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アイル  作者: はるの そらと
2章
12/42

11 飼い人3


 その日、アイルは足の赴くまま館の中を歩いた。三階建ての屋敷は、白を基調とした造りで、階段や柱、窓枠には派手すぎるほど細かな技法が凝らされており、美術品もいたるところに置かれていた。館は上空から見ればコの字の形になっているせいで、場所によって見える景色も違う。囲うようにある中庭には緑の芝生が敷き詰められ、時折馬が放されていた。

 アルビーネは魔法をあまり使わない。

 移動も馬車移動が主だ。

 ヴィンダーと言うよりは、ノーマーの貴族と言った方がふさわしい。

 その日もアイルは一階の中庭が見える廊下を歩きながら、館の中を隅々まで見て回った。

 正直、ほとんど使われていない部屋ばかりだ。

 物が溢れている衣裳部屋やまったく使われた形跡のない書斎を見て回る。物置にするくらいなら、飼い人の部屋にあてがえばいいのに、と思うのだがそうする気はないのだろう。

 アルビーネの飼い人に対する態度を見ていればわかることだ。

 扉を開いては閉じてをしばらく繰り返したあとだった。

 アイルの足が止まった。

「……すごい」

 星空を見上げるようにして、アイルは一歩部屋の中へ踏み込んだ。

 そこは、見渡す限り本の山だった。部屋いっぱいにあるいくつかの巨大な本棚に、隙間なく詰められている。

 アイルはおもむろに一冊抜き出すと、本を広げた。古びた本特有の匂いが、アイルの鼻をくすぐる。

 ぱらぱらとページをめくったあと、閉じたアイルは、アルビーネがこの館を一から作ったわけではないことを知った。

 ここにある書物のほとんどが、魔法書ではなく、ここマグレーティの歴史や文化、生活に関するものばかりだったのだ。

 アイルの足跡がつくくらい埃が溜まった部屋は、もう何年も開けられた形跡がない。

 アルビーネにとっていらないこの部屋は、アイルからすれば宝の山のように見えた。

 それからアイルは、書物室に籠るようになった。ただ、アルビーネの機嫌を損ね、本を処分されないよう、ほどほどにしなければならなかったが。できることなら、一日中引きこもっていたかった。


 翌日も書物室に足を踏み入れたアイルは、たまたま行き違ったルーナに声をかけ、掃除道具を持ってきてもらった。

 さすがに、埃の積もったままの部屋に何時間も籠れない。小さな天窓しかない部屋だからこそ、日中でも蝋燭の淡い光がかかせなかった。

 箒、ちりとり、雑巾、バケツとそれらすべてを一度に運んできてくれたルーナは、少しだけ掃除を手伝ってくれた。手伝ってくれるのはありがたいが、ルーナも飼い人。アイルの何十倍も働かなければ罰を食らう。

「ここは僕一人でも平気だから、もう持ち場に戻れば?」

 今まで同世代の子供とあまり話したことがないアイルは、言葉一つ選ぶのにも気を使った。それでも、ぶっきらぼうで冷たい言葉に聞こえてしまう。

 だが、ルーナは気にすることもなく、頭を振った。

「大丈夫」

 それだけ言って、せっせと床を拭く。

 なら、お言葉に甘えよう。そんなに広い部屋ではないとはいえ、アイル一人では一日じゃあ終わらないだろう。

 淡い光の中、床を拭く音だけが耳に届いた。

 あらかた掃除が終わり、部屋を出ていたルーナが戻ってきたころ、一冊の本が落ちてきた。

 きちんと仕舞われてなかったのだろう。本を拾ったアイルは、癖でついページをめくった。


  昔、大きなものあり。

 光に焼かれ、闇に呑まる弱きものを哀れに思い、手を差し伸べたり。

 その手掴まず。

 力は強さに非ず。

 求めるは、己の手。

 導くは、暁。

 それ夜明けを告げる風を纏い、現れる。


 それは、マグレーティに伝わる伝承だった。

「フィンシュテットに伝わるものと、少しだけ――違う」

 夢中になって本に目を落としているときだった。

「まだ、アルバはこない」

 近くで聞こえた声に驚き、顔を上げればルーナが近くに立っていた。

「アルバって?」

「暁のこと。古い言葉だから、今は言い伝えの暁をいうの。みんな、アルバはまだかってよく言っている」

 こんな状況じゃあ、そう言うのも仕方がない。けど、あくまでもこれは言い伝えでしかなく、事実になるのかは疑わしい。それに言葉の解釈の仕方によってはいろいろと捉えることができる。

 フィンシュテットでは、主に御三家が、最後の数行に己の家系を当てはめようと、いろいろ試みているらしいが、それは何かが違う。

 ところが、マグレーティにも似た伝承がある。

 そうすると、この最後に語られる、導く者は一体――。

 アイルは本を開いたまま、ただただ立ち尽くしていた。


 それから数日後。事件が起きた。


 その日も、書物室でむさぼるように本を読んでいれば、大きな物音を聞きつけた。 

 いつもなら、夢中になって物音も気づかないのだが、このときばかりは嫌な予感がして、音のした方へ向かった。すると、今度は罵声が耳に飛び込んできた。

「――だよ! 身分をわきまえろ!」

 眉間に皺が寄る。

 もう、人が死ぬのを見るのはたくさんだ。自分の無能さを改めて見せつけられているようで、腹が立つ。だが、声の主はアルビーネじゃあなかった。

 どこかで聞き覚えのある声だと思えば、毎日食事を運んでくる、あの女中の声だ。飼い人の中のまとめ役をアルビーネから与えられている、そんな女中が声を荒げるその相手を、のぞき見たアイルは、思わず目を見開いた。

 ルーナ!?

 小さくうなだれるその姿は、前に会ったときより薄汚れ、心なしか痩せたようにも見える。

「気安く話してよいお方だと思うな」

 女中はそういうとルーナを置いてどこかへ姿を消した。

 何故、ルーナが?

 疑問しかわかなかった。


 翌日、アイルは書物室に向かう途中、行き違ったルーナに呼び止められた。

「これ」

 そう言って手渡してきたのは、手のひらに収まるほど小さな袋、ラベンダーを詰めた匂い袋だ。

「僕に?」

 物をもらうほど何かした覚えがない。

 思わず問えば、ルーナは大きく頷いた。

「お礼。名前の」

 ああ、とアイルは納得した。けど、お礼にもらうには、十分すぎる。断ろうと口を開けば、さっと走り去ってしまった。

「変な奴」

 匂い袋から漂うラベンダーの香りは、祖母カローラの手入れが行き届いた庭を思い出させた。


 本に囲まれた部屋は、落ち着く。

 誰もいないことも関係しているかもしれない。だが、ウィンディーズ家にあった書物庫ですごした幼少期が時折アイルの脳裏をかすめては、複雑な気持ちにさせる。

 失われた時は、もとに戻らない。

 今では、身を切られる思いでそれを受け止めることができる。

 ヴィンやおばあ様は、元気でいるだろうか。

 朱色に染まる空が天窓から見えた。

 血のようだとアイルは思った。


「おい、何寝てんだよ」

 水風船のような弾力と冷たさを頬に感じ、薄目を開ければ、二つの満月が飛び込んできた。

 とうとう死んだのか……。

「アホか。そう簡単にくたばられてたまるか」

 懐かしい声と口調に、目をこすりながら起き上がれば、案の定、ヴィンがそこに座っていた。

「どうした?」

「どうしたもこうしたもあるかよ! あいつら、どんどん先に行っちまうぜ!」

 早く行くぞ、といつものように肩に飛び乗るヴィン。そんなヴィンにアイルは力なく頭を左右に振った。

「アイル?」

 前を見れば、マントを羽織り片手に杖を持つヴィンダーたちが、眩い光の先へと歩いている。

 それに比べ、自分はどうだろう。

「……僕には無理だ」

 そう言うアイルの足首には、鎖がまかれていた。マントも杖もアイルにはない。

 赤くなった足首を触ろうと、手を伸ばせば、ヴィンに耳朶を噛まれた。もちろん、甘噛みだが、痛いものは痛い。

「何するんだよ」

 肩から追い払えば、目の前にいたのは見知らぬ女だった。

 黒髪が風で靡く。ルーナの黒髪とは違い、まるで美を追求した芸術品のような髪であった。もちろん、見たことない女だ。女は、髪だけでなく顔立ちも整っており、絶世の美女と称しても語弊がないほど、見目麗しい。

「……誰だ」

 睨めば、女は何を思ったのかアイルの頬を抓った。

 これには、さすがのアイルも驚いた。

「何をする!」

 手を振り払えば、女はにかっと笑った。

「奪われてばかりの人生は嫌いだろ?」

 そう言って、女は手を叩いた。

 ――破裂音と同時に、視界に飛び込んできたのは、カーテンの隙間からのぞく、黄色い満月だった。

 夢、か。

 それにしても、変な夢だ。……気分が良いものではない。夢のせいか、胸騒ぎもする。

 アイルは、起き上がると窓を開けた。途端、風が部屋の中に入り込む。カーテンがはためき、本がぱらぱらとめくれた。

 風のなさそうな静かな夜に見え多分、不意を突かれた思いだ。眠気も風が奪っていった。

「満月、か」

 夢の中に出てきた黒猫を思い出し、窓越しから夜風に当たる。

 そのときだ。微かに肌を刺激する気配を感じた。急げと胸の内が騒ぐ。

 ――また、誰かが殺される。

 体の内を駆け回る不安は、弱まるどころか強くなる。アイルは、部屋を出た。

 階段を駆け下り、勘で走ればとある一室に辿り着いた。飼い人に与えられた大部屋だ。

 そっと近づき、耳を立てれば怒り狂ったアルビーネの声が飛び込んできた。

「薄汚い子豚風情の小娘が!」

 大きな物音とほぼ同時にうめき声が聞こえた。

 途端、アイルは扉を蹴破る勢いで開けた。

 するとどうだろう。目を丸くするアルビーネとそばに控える女中と飼い人の男、そして蹲るルーナの姿。

 何故ルーナが?

 そのとき、顔を上げたルーナと目があった。言葉がなくても、黒い瞳が雄弁に語る。

 ここにいてはいけない、と。

 だが、アルビーネはアイルに気づいてしまった。

「どうして貴方がここにいるの……」

 静かな声。だが、そこには明らかなほど怒りが含まれていた。

「別に、偶然。たまたま目が覚めたから、ちょっと気分転換に歩き回っただけ」

 それが咎められることか、と目で語ればアルビーネはそれ以上何も言わなかった。

 アイルは静まり返った部屋の中で、ルーナのもとまで行くとしゃがみ、顔色をのぞき見た。

 髪でよく見えなかったが、わずかに見えた唇は、真っ青だった。よく見ると手足も骨と皮しかないほど痩せきっている。

 今じゃあ、自分の体を支えるのもやっとなのだろう。床につく両腕は震えていた。そっとその背に手を伸ばしたときだ。

「触らないで!」

 声を上げたのは、アルビーネだった。

「貴方はアタシのもの……他の者が気安く話していい相手じゃないのよ」

「……何を言っている? 僕はそんなこと強要されてないし、誰のものにもなったつもりはない」

「貴方は、アタシのものよ。――それは変わらない」

 狂気を孕んだアルビーネの目を見て、アイルは事の次第が見えてきた。

 つまり、ルーナがこんな目に遭っているのも、突き詰めれば自分のせいなのだ。おそらく、アルビーネにルーナと話しているところを見られたのだろう。

 わざと大きなため息をこぼせば、アルビーネは肩を揺らした。

 ほとほと嫌気がさしてくる。どうしてこうなった、と誰に向かって怒鳴ればいい?

 だからと言って、どうすることもできない。

 今の僕はひどく――無力だ。

 アルビーネは、どこからともなく杖を取り出すと、それをルーナに向けた。いつものように石化魔法を小さく詠唱している。

「やめろ」

 庇うように前へ出れば、アルビーネが首を傾けた。

「どうして? あれも、これも、それも、全部アタシのモノ。アタシがお金を出して買ったモノなのよ? このテーブルと同じ。使うも壊すもアタシの自由。それなのに、何故――」

 ――邪魔するの?

 アイルは思わず息をのんだ。まるで、自分がおかしなことをしているようじゃないか。

 だが、アイルは退かなかった。

「だからと言って、簡単に殺していいのか?」

「じゃあ聞くけど」

 アルビーネは、光さえ呑み込みそうな真っ黒な瞳にアイルを映して言う。

「貴方は、今まで生き物を殺したことはないの? 犬、鳥、猫、蛙――飼い人もそれと同じなのよ?」

 貴方、おかしいわよ、と言葉と目でアルビーネは語る。

 アイルは固唾を呑み込んだ。

「……たしかに、こんな世界じゃおかしいのは僕の方かもね」

 そうでしょ、と妖艶にほほ笑むアルビーネ。それをちらりと見たアイルは、鼻で笑った。

「だけど、僕には僕の信念がある」

 こんなところで屈するほど、軟じゃない。

 そしてアイルはルーナの手を取り立ち上がらせると、部屋を飛び出た。

「待ちなさい!」

 アルビーネが杖を振るうが、それより先にアイルたちの方が早かった。閉じた扉に魔力の塊がぶつかる。

「早く、捕まえなさい!」

 半狂乱で叫ぶアルビーネの声を背に、アイルはルーナの手を引き走った。

 ばんっと音を立て屋敷の扉を開けると、外には出ず、その足で再び屋敷の中を走る。

 階段下に隠れたアイルは、ルーナに向け、人差し指を立てるとしーっと呟いた。

「こっちか」

「追うぞ」

「明かりを持って来い」

 何人かの男たちが、さきほど開け放った扉から外へと向かう。

「……うまくいったようだ」

 ふっと笑ったアイルは、少しだけ静まり返った屋敷の中で、まわりを警戒しながら顔を出す。

「もう少し、走ってくれる?」

 そう問うアイルに、ルーナは頷いた。

 人目をしので向かった先は、裏庭に通じる窓の前だった。周囲を確認した後、なるべく音を立てずに窓を開けると、わずかな隙間から外へ出た。

「馬には?」

 手入れの行き届いた芝生の上を駆けながら、アイルが言う。

 乗れるか、という意味だと解釈したルーナは、頭を左右に振った。馬など、乗ったこともなければ見たこともない。

 この屋敷は、街中から離れた雑木林の中心にぽつりと存在している。街灯もなく、ヴィンダーの住む屋敷と知っているせいか、夜は魔法が使える人間しか来ない。

 どこかでフクロウが鳴いた。

 満月の光が、ぼんやりと行末を見守っているようだった。

 アイルはとある小屋の前で足を止めた。馬小屋の前だ。何か異変を感じ取ったのか、馬たちに落ち着きがない。

 その中から、アイルは一頭の馬の手綱を引いた。真っ黒な色の馬だ。その馬の背に鞍を乗せると、アイルはルーナに乗るよう指示した。

 ふるふると頭を振るが、大丈夫だからと言うアイルの手を借りまたがった。馬は、鼻を鳴らし足踏みをしたが、アイルが馬の胴を叩き、落ち着かせる。そして、馬の目を見て何かをささやいた。

「ルーナは、しっかり首にしがみついて。あとは、こいつが連れて行ってくれる」

「え……」

 一緒に行かないの、と口を開きかけたときだ。

「さあ、行け!」

 アイルに思いっきり叩かれた黒馬が、一度いななくと林に向かって駆けて行った。

 ルーナの髪も馬と同じ、黒色。黒はよく闇に馴染む。それにあの馬は賢い。時折放し飼いにされていたとき、窓越しにではあるがアイルのもとへ何度もやってきた馬なのだ。魔法が使えなくても、あの馬なら何とかしてくれる。そんな根拠のない自信があった。おそらく、どうにか振り抜けることができるだろう。

 騒々しい物音に振り返れば、杖を振るうアルビーネの姿が目に入った。それを見て、アイルは意地の悪い笑顔を作ると、そのまま意識を失った。


 目を覚ましたとき、案の定というべきか、手足は拘束されていた。

「やっと目が覚めたわね」

 足を組んで座るアルビーネと目が合った。

 残念ながら、アイルにはアルビーネに言いたいことは一つもない。黙り込んでいれば、つま先で顎を上げられた。振り払ってもよかったが、されるがままになった。

「貴方、今アタシの飼い人だってこと、忘れてはいない?」

 足先が喉元に押し当てられる。それでも、アイルは何も言わなかった。

「貴方のせいで、一匹、逃がしちゃったじゃない。……この埋め合わせ、どう責任を取ってくれるの?」

 責任を取る取らないなど、関係ない。自分の正しいと思ったことをした、そこにアルビーネのいう責任を取る必要性など、微塵もない。

「……僕、は」

 喉元に突き付けられる足先のせいで、息を吸うのもやっとだが、それでもかすれた声でアイルは言う。

「……僕は、アイル。貴方の奴隷でも、飼い人でも、使用人でもない」

 そんなこと、こっちは同意したつもりはないからな。そしてそれは、ここに連れてこられたノーマーも同じ。

 アイルは鼻で笑って、アルビーネを見た。

「……フィンシュテットではこんな羽振りのいい生活はできないからな。魔法を刃物のように使い、人を脅し、こき使う気分だどうだ、アルビーネ?」

 マグレーティでないと、ここにいる飼い人となんら変わらないもんな、と言えば胸元を思いっきり蹴られた。

 咳き込み、吐き気を呑み込めば、今度は腹を蹴られた。

「黙っていればよかったのもを。――魔法の才能はあっても、宝の持ち腐れね」

 ――知っている。周りの者たちからそう言われていたことは。いつも先代、先々代と比べられ、その行動には必ず評価が付けられた。

 そんなこと、言われなくてもわかっているさ。

「……言いたいことは、それだけか?」

 それでもなお、挑発的な態度を見せるアイルに、アルビーネは、口をわなわなと震わせると、鋭い眼光を向けてきた。

「さっさと僕を解放しろ。石にされ壊されるのを気長に待つほど、僕もお人好しじゃない。……ましてや夜伽の相手など、こっちから願い下げだ」

「このガキ……言わせておけば」

 どうやら逆鱗に触れたらしい。

 どうにもこうにも、アルビーネは若さや美にこだわるきらいがある。

 ――ここで殺されるかも。

 そんなことを思っていれば、頭を鈍器で殴られた。再び意識を手放す前に聞こえたのは、使わされたぶんは返してもらう、というアルビーネの感情のない言葉だけだった。


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