9 飼い人
◇
甘ったるい煙の臭いで、アイルは目を覚ました。が、目を開けたつもりなのに、暗い。よくよく思えば体の自由もない。
目隠しをされているのか……。ご丁寧に、猿轡もされている。
ここは、どこだ?
男どもに連れ去られたあとの記憶がない。音が聞こえないことから、どうやら、耳も塞がれているらしい。
一点の光も音もない、真の闇。
その闇がなんとなく、よく知る使い魔の毛並に見えて、少しだけ落ち着いた。
何とかして、ここから逃げ出さないと。
そう思ったときだ。
体が大きく揺れた。地面が揺れている。小刻みに伝わる振動。運ばれているのか? と思い至ったその瞬間。
いきなり目隠しと耳あて、猿轡を取られ、飛び込んできた光で目が眩んだ。
「さて、皆さま。今宵のラストを飾るのはうっすらと輝く絹のような金髪の見目麗しい少年! 愛玩用として可愛がるもよし! 奴隷としてこき使うもよし! まさに、多様性のある人間です! スタートは、五万から。では」
言い終わった瞬間、かんっと木槌が高らかに鳴り響いた。
十万、五十万、百十万などあちらこちらから声が上がる。
……何なんだ、これは。
手足を拘束されたままのアイルが見たのは、仮面をかぶる大勢の人々。ステージの中央で自分にしか当たらないライト。そして、観客たちが羽織る、よく見知ったマント。
一体、何が――。
瞬時に察した。でも、認めたくなかった。
「ねえ、あれ、アイルじゃない? ウィンディーズ家の」
「まさか」
「でも……」
白髪のような金髪、翡翠色の瞳、十代半ばの少年――。フィンシュテットでもマグレーティでも珍しいその髪は、アイルをアイルと示すには十分だった。
「本物だ、本物のアイル・ウィンディーズだ」
誰かの呟きは、瞬く間に伝染し、叫ぶ数字も跳ね上がった。
アイルは、顔を上げられなかった。
ぐっと奥歯を噛み締めれば、唇を噛んだのか鉄の味が広かった。
ここにいるほとんどのヴィンダーは、下流から中流家系のヴィンダーだ。フィンシュテットで己の権力を示せない代わりに、ここマグレーティで外道にも近い遊びに興じている。
これを、御三家を始めフィンシュテットの最高機関にいる者たちは、把握しているのだろうか。
もし、この現状を知っていればさすがの御三家も対策を練らないわけにはいかないはずだ。
そんなことを思っているうちに、どんどん競値が上がる。
天才と謳われるアイルの遺伝子欲しさか、はたまた、奴隷として使うことで己の支配欲を満たしたいのか。――まあ、どちらもだろう。
――屈辱だ。
今までにないほどの盛り上がりの中、年端のいかない少年は、じっと己の足元を見ていた。
◇
まさか、こんなことになるとはな。
口元を不敵に歪ませれば、キイっと籠の中の妖魔が鳴いた。魔法で光玉が浮くこの地下には、何人たりとも入ることはできない。――自分をのぞいて。
「これは、思わぬ拾いものよなあ」
恍惚な眼差しを向けるそれは、液体の入った小瓶であった。
もう一度、試したい。だが、それにはこれだけじゃあ足りない。――だったら、取ってくればいい。
妖魔の入った籠を開けはなった。
「行け」
バサリと羽を羽ばたかせると、鳥の姿に近い妖魔は姿を消した。それは、アイルを襲った妖魔と同じ種類の妖魔だった。
◇
目隠しをされ、荷車に放り込まれたアイルが再び目を開いたとき、一瞬フィンシュテットに戻ってきたのかと思った。
そこは、マグレーティでは見たことのないほどの豪邸内だった。
四方八方を囲む真っ白な壁。日は沈んでいるというのに、太陽が照らしているかのように明るい照明。大理石の床に見上げるほど高い天井。いくつかの窓には、ステンドグラスが施されている。
なんだ、ここは。
同じく買われた者に肩を貸してもらいながら、目の前の光景に目を疑った。
すると、アイルを競取ったのであろう、仮面をつけた女が手を叩く。
何が始まるのか、と思ったとき、奥の部屋から女が駆け寄ってきた。
「はい、主様」
何かご用でしょうか、と聞く女中らしい中年の女に主と呼ばれた女は、近いと吐き出すように言った後、家畜でも見るかのように一瞥して、数歩下がった。
「新しいものたちよ。すぐ使えるようにしておきなさい」
「かしこまりました」
ここで、何をさせられるのか。
アイルを含め十名ほどいる面々は、不安そうに互いの顔を見合った。
「それじゃあ、アタシは部屋に戻るわ」
そう言って、アイルの肩に手を置いた。
「主様、その者は……」
「彼はいいの。つべこべ言わず、さっさと言ったとおりにしなさい」
そう言い放った瞬間、女は消えた。アイルを連れて。
「今日は、とてもついてるわ」
シャワーを浴び終わった女は、栗色の髪を拭きながら、窓際に立つアイルを見てにっこり笑った。
「まさか、貴方を手に入れることができる日が来るなんて、ね」
お前の顔なんか見たくない。
アイルは、顔を背けた。が、花の蜜のような甘ったるい匂い強くなった瞬間、女の手がアイルの顎を持ち上げた。
「ふふ。生意気なところもいいわ。けど、覚えておきなさい。貴方はアタシに買われたの。もう、ノーマーですらないわ。アタシは貴方の飼い主」
アイルは女を睨んだ。
そんなアイルを見て、女は再び妖艶にほほ笑むと顔を近づけてきた。
「生きるも死ぬも、アタシの手のひらの中ってこと、忘れないでね」
途端、アイルはベッドに押し倒された。二人分の体重を受けた大きなベッドがしなる。
「さあ、貴方はアタシを楽しませてくれるかしら?」
大きく目を見開いたアイルだったが、すぐに普段通りの表情に戻った。
この女は、僕に関わることで、ある日突然魔力を失うかもしれないとは、思っていないのだろうか……。
だが、紅潮した女の顔を見て、アイルはその考えを振り払った。
どいつもこいつも。――僕ではなく、家名と二つ名しか見えていない。
なんて、馬鹿馬鹿しい。
アイルは、鋭く息を吐いた。
手首は女に捕まれていて、逃げられそうにない。なら――。
アイルは激しく咳き込んだ。体を丸め苦しそうに咳き込めば、腕を掴んでいた手も離れた。
咳き込みながら、涙目で女を見れば何やら考えているらしかった。
それもそうだろう。
今のアイルは、とてもじゃないが健康体とはいえない。手首は女の手でも簡単につかめる程細く、顔色も悪い。体なんか薄すぎて骨が浮き出ているんじゃないかと思えるくらいだ。
「まずは、健康な体になってもらなわきゃダメよね」
独り言のように呟いた女は、アイルを解放すると、ベッドサイドに置かれた鈴を鳴らした。
「……お呼びでしょうか」
控えめにノックされたあと、小さく声が聞こえた。さっきいた広場に現れたあの女中の声だ。
「彼を部屋に案内して」
そう指示して、アイルは部屋を追い出された。
女は知らないだろう。アイルの口角が上がっていたことを。




