選挙に行こうの会
ある日、国民に向けて大々的なアンケート調査が行われた。そのアンケートは、選挙投票に行く意志があるかどうかを問う簡単な内容のもので、政治不信が高まる中、その結果に注目が集まった。
この国の国民の悪いクセの一つに、政治不信が高くなると選挙に行かないという点がある。本当はそういった時にこそ、選挙投票に行って、政治家を変えなくてはいけないはずなのだが、それをよく分かっていないのだ。
まぁ、確かに選ぶべき政治家がいないという点は認めるけれど。
そのアンケートの集計結果は惨憺たるものだった。なんと“必ず選挙投票に行く”と答えた人は全体のわずか一割ほどで、後はほとんどが明言を避けていた。
流石にこれには国内外から驚きの声が上がり、各政党の代表政治家が記者会見まで開いて反省の言葉を述べるまでに至った。当然、世界中の笑い者になった。なんて民主主義に対する意識の低い国だろう?と。これでは、選挙制度の意味がない。
僕はどの政党に投票するかは決めかねていたけど、選挙投票は国民の義務だと考えているので、“必ず選挙投票に行く”と答えていた。それが当たり前だと思っていたのだ。だからその結果には落胆していた。こんなんで本当に大丈夫なのだろうか?と。ただし、その件はそれで終わりだろうとも思っていた。流石に次には繋がらないだろうと。ところが、そのアンケート結果を受けて、政治家達とそして社会は妙な動きを見せ始めたのだった。
しばらくしてから、再びアンケート調査が行われた。ただし、それは先のアンケートで“必ず選挙投票に行く”と答えた人に対してのみに行われ、具体的に執って欲しい政策について質問するという内容のものだった。なんでも公約や政策に活かしたいのだと。
それを見て僕は“なるほど”とそう思った。
政治家が当選する為には、投票してくれる人が望む政策案を出す必要がある。そして“必ず選挙投票に行く”と答えた人は、当にその投票してくれる人で、更にそれだけ人数が少ないとくれば無視する訳にはいかない。投票率は低くても選挙は無効にはならないので、その選挙に行くつもりの数少ない人達の心さえ掴んでしまえば、それで当選の確率はグッと上がる事になるからだ。
つまり、政治家達はたった一割の人達の意見を重視し、残りの九割の人達の意見を無視すると表明した事になる。もっとも、これは選挙に行く気のない本人達が悪いのだけど。
僕はそのアンケートにかなり真面目に答えた。すると、更に動きがあった。
“選挙に行こうの会”発足。
そのアンケートに真面目に答えた人だけに対して、そのようなメールが送られて来たのだ。
なんでもその会は、この国の選挙への理解のなさは非常に憂慮すべき事態で、その状況を打開する為に少しで良いから活動をしようという、そういう主旨のものらしかった。よく読んでみたのだけど、生活の負担になるほどの活動内容ではなかったので、僕はその会に軽い気持ちで参加してしまった。
その会の活動内容は、簡単に言ってしまえば、できるだけ選挙に行こうとネット上で訴えるというその程度のものだった。ただ、その会が活動を行っても状況は良くはならなかった。それどころかむしろ酷くなっているように思えた。どうやら皆、そういった活動から距離を置きたいらしい。
そんな感じで、“選挙に行こうの会”は成果を出してはいなかったのだけど、会は本来の目的とは違う方向に広がって行ってしまった。なんと政治家達が、頻繁に会に接触を持ち始めたのだ。
“必ず選挙投票に行く”とアンケートに答えた人が一割、その次の政策に関するアンケートに真面目に答えた人は更に少なく、“選挙に行こうの会”に入会する人となると更に少なくなってしまう。
しかし、それでも高確率で選挙投票に行く人間達は政治家達にとって魅力的だったのだろう。投票に行かない人達の意見なんて全て無視しても選挙結果には何の影響もないが、選挙に行く人の意見はちゃんと聞かないと当選する事ができない。
政治家達は、会と頻繁に交流し、その望まれている政策を聞くようになっていった。
ここまでなら、まだ良かったかもしれない。
しかし、そのうちに“選挙に行こうの会”は優遇されるようになっていったのだ。正式な組織として認められ、国から資金の提供が出るようにまでなった。そして会は、国の政策決定に大きな影響力を持つようになってしまった。
そうすると、更に会にとって有利な法案が認められるようになった。当然、権力や富が集中していく事になる……
単なる噂かもしれないのだけど、いつの間にか“選挙に行こうの会”に所属しているだけで、学校に合格し易くなるし、就職し易くもなるし、会社での待遇が良くなると言われるようになっていた。
俄かには信じられなかったけど、そう言われてみれば、今回のボーナスはやけに高かったような気がした。他の社員達が憂鬱な顔をしていたのとは対照的だ。
選挙投票に行かない人達の生活なんて、どうなっても構わない。投票してくれる人達の生活さえ支えればそれで良い。
政治家の立場から考えるのなら、極論を言えばそういう事になってしまう。それは、もしかしたら、だからなのかもしれない。
“選挙に行こうの会”はそのうちに、特定の政党を応援し始めた。その政党は、もちろん“選挙に行こうの会”への大きな支援を決定していた。
僕の所へもその政党へ投票するよう促すメールが送られて来た。
その政党が与党になれば、会に所属している僕らの生活は安泰になるのだそうだ。どういう仕組みなのかは知らないけど。
しかし僕は、その政党への投票を迷っていた。
それがとても不健康な事のような気がしていたからだ。
例えば、その政党は原発を推進しようとしていた。ところが国民の多くは原発推進には反対しているのだ。だけど、選挙投票に行かない所為で、その原発反対の意見は無視されてしまう。もちろん、それは選挙に行かない人達の自業自得なのだけど、それでも何かが間違っているような気がした。
一般の人達が選挙投票に行かなければ、組織票を持つ政党の有利になり、そして国民の多くが望まない政策が実行されてしまう可能性だってある。つまり、九割の意見を無視し、一割の為の政策を実行する。そういった事が成立してしまうのだ。
それを喜ぶのは、一体誰なのだろう?
投票する政治家がいないから、投票へは行かない。
もしかしたら、その行動を最も望んでいるのは、組織票を持つ政治家達なのかもしれない。
2000年。森元首相が無党派層について「そのまま関心がない、と言って寝てしまってくれれば、それでいいんですけれども、そうはいかんでしょうね」などと発言しました。その訳を、どうかよく考えてください。
もちろん、この小説はフィクションで、話の内容は誇張してありますが、実際に現実社会でもこれと似たような事は起こっています。一般の人達が、選挙投票に行かなければ、それが更に酷くなってしまう点をどうか分かってください。