プロローグ 白い部屋
彼女が死んだ。
それは、私の生きる理由が失われたことを意味する。こんな病気に体を乗っ取られて、それでも前を向いていられたのは、彼女がいてくれたからだった。
語り合うことも、触れ合うことも、気持ちを通じ合わせることも、その何もかもが二度と楽しむことはできない。これ以上、誰も失いたくなかったのに。
一度思い出に浸ってしまうと、もう抜け出せない。いくつも散りばめられた記憶を、頭の中で組み合わせる。
初めて出会った夕暮れの廊下、互いの過去を明かし合ったあの日、大きな悲しみを乗り越えたこと、彼女との触れ合い、伝えてくれた愛の言葉、通じ合った二人の想い、認めてくれた私の体、進行する病状、彼女の笑顔、彼女の仕草、彼女の姿──。
そのどれもが、今では遠い過去。手を伸ばしても届かない。こんなに頼りなくて曖昧な思い出に、私は支えられている。
いつか必ず訪れるとわかっていたのに、必死に目を背け続けていた。二人で視線を交わし合い、そこに閉鎖した世界を作り出して逃げ込んだ日々。
私も彼女も弱かった。こんな絶望しかない未来を突き詰めて想像してしまったら、きっと二人とも壊れていただろう。
仰向けに寝転がり、何を見るでもなく天井に目を向ける。眼前に広がる白さは心を落ち着けるどころか、不安定にすらさせるほど狂気に満ちた冷たさを私に向けている。
白は清潔さの象徴だと、誰が決めたのだろう。寝返りを打って視界を変えても、白は私を見逃してくれない。
壁も、床も、机も椅子も扉までも──目に映る物すべてが白く染められている。窓から眺めた空さえも、白い雲に覆われていた。私はどこまでも白い世界に包まれる。
無防備に晒され続ける私の思考は凍りつき、その活動を停止する。何も見ず、何も考えようとせず、指先の一つも動かせない。さながら私は人形といったところか。
それもいいかもしれない。もはや彼女がいない世界に意味などないのだから。でも、それならなぜ私は今こうして生き永らえているのだろう。生きていく理由が失われたのに。
凍った回路が湿り気を帯び始め、内に秘めた記憶が水のように流れ出す。彼女の記憶。私の生きた証。これ以上ないほど大切な財産。
ああ、また私は──過去に浸ってしまう。
逃れる術などない。他にすることなど閃かないのだから。今の私には何もないのだから。未来を見れば、どう足掻いても死ぬことしか考えられないのだから。