37:飼いならさない
世界を旅する季節の神々。彼らが永遠の命を失った後、生まれた神は一年すら生きられず――……毎年生まれ変わる儚い存在に変わってしまった。
季節の神々が世界の各地で無数に生まれるのかと思ったが、どうやら違う。冬が生まれれば世界の全ては冬になり、春が生まれれば世界の全ては春になる。
最後の永遠を持っていた四季神が、死んだ場所に同じ季節の神が毎年生まれることまでは解ったが――……《冬神の巫女》は、どうしても出会えない神がいた。
「アエスタスー! アエスタスーー!! 何処に隠れた盆暗夏神ーー!!」
おかしいわね。巫女は不思議がっていた。むしろ喜ばしいとして、他の者が探そうとしないことに苛立ちながら。
「冬神の巫女様。ご健勝で何よりでございます」
「夏神に会いたいんだけど、またお出かけ中だって言うのかしら? 彼は神殿にもいないの?」
「夏神様は気まぐれでございますから」
「……その言い訳も聞き飽きたわ。丁度良い夏――……って言えば良いことなんだけど。丁度良すぎるのよ。春と秋が長いって言うか――……違うわね。三ヶ月で死なないの。私が出会った季神は三人とも四ヶ月生きてるのよ」
「良いことではありませんか。女神なら四ヶ月でも民は歓迎するでしょう」
「それはそうだから――……誰もそれを咎めない。でも、順番としてそう……夏神が仕事をしなくなったなら、春神を秋神が殺して良いの? またおかしな事になるんじゃない? 冬神と夏神が――……殺し合った時みたいに」
追及を受け、夏神の巫女は観念したように話し始めた。
「でも、そうはなっていない。そうでしょう? 夏の神殿は、役目を果たしています。古来からの方法で、永遠を失ったか弱き神は滅ぼせる」
夏神の神殿。その奥深くにある祭壇には、春神の人形が祀られていた。神殿の主ではない彼女が飾られる理由は――……秘密裏に行われる、処刑である。
「悪魔には祭が必要です。季節の節目を知らせ、処刑しなければ――……夏神の不在が知れ渡る。しかし三ヶ月で春神を処刑したならば、秋神の支配が長引くでしょう?」
「…………そういう、ことだったのね」
冬神の巫女は、哀れな人形から目を背けながら理解を示した。彼女には、夏神の神殿を非難できない理由がある。
「でも、処刑はやめた方が良いわ。女神達の暴走や、夏神の呪いを忘れたの? 短命になっても神は神。恨みを買えばいつか必ず良くないことが起きるわ」
「ならばあの時のように、自然の摂理に背いて神々同士を殺し合わせることをお望みですか?」
「それは……それも、駄目だと思う。……冬神の奴、やっちゃったのよね夏神を。死神が死神を殺すとどうなるか――……誰も知らなかったのが問題なのだろうけど」
嫌われものの季節は、不在を誰にも知られない。人は女神の威光に感謝するだけ。かつて自らを呪った存在を、冬神の巫女は哀れんだ。冬の悪魔のように、夏の悪魔も孤独な永遠を生きていたのだろうと思いを馳せて。
「神様が、一人の人間を愛することがあってはならない。それはきっと、こんな風に世界を壊してしまうから――……だったのね」
「どうするおつもりですか、フィーネ様」
「すぐに狂いは生じないと思うの。でもこのままでは少しずつ、少しずつ……春と秋が弱まって冬が強くなる。いつか春の女神でも、冬神を殺せない日がやって来る。女神達が短命になり、生まれてすぐ死んでしまう時代が来るわ」
春と秋を取り戻してくれた彼。夏の呪いから解放された者達の命。冬の悪魔が残してくれたものを守るには。彼に救われた……愛された自分が決断しなければならない。
「冬の死を毎年早めましょう。女神の生を長くして、冬の力を抑えさせるの。処刑と言っても、形式的な物。その裏で…………毎年、冬の悪魔と人間に恋をさせる。そうして決まった時期に死んで貰う」
「それが理想ではありますが…………相手は冬神。短命になったと言え、死神ですよ? 誰がそんな危険な役目を」
「ええ。勿論失敗する可能性もある。でも、あいつらの行動、思考パターンを私は知り尽くしているわ。……だから。だから――……相手はできるだけ私の――……私の子孫に出会わせる」
辛い初恋を、子孫代々背負わせる。それで世界を延命させられるなら安いもの。
解けない雪は残っていても、春は再びやって来る。人間の娘も、短い永遠を終わらせる日がやって来た。
*
永遠は美しい。簡単に作れないから、存在しないから美しい。
失われた永遠は愛おしい。不完全だから、愛おしい。
神を忘れ、人間としての生を全うした少女を、ヒエムスは愛おしいと感じていた。彼女との思い出を、今でも愛しいと思うのは――……永遠に至れなかったから。それは短命となった季節の神を、人間達を慈しむ心にも似ている。
彼女もそうだ。生まれて死にゆく新たな神を、子どものように愛した。自らの子ども達と同じように、愛してくれた。彼女の子ども達も、やがては彼女のように新たな愛を見つけていった。唯一人を除いては。
(似てないようで、似ているんだよなぁ……彼らは)
同じ魂。同じ業。これが因果というものか。司るものは、僕らの本質。僕ら自身の名であるのだろう。僕とエングリマの違いは、たった一つ。僕は未練も後悔もなく、あの子にはそれがある。
僕が残してしまったのは、後悔ではなく罪なのだ。
神殺しという僕が犯した罪を、同じ魂達に背負わせてしまったこと。来世以降の魂が、自分の魂の子と解釈するなら……僕は最低の親だ。そんな風に僕が抱えている罪悪感を、あの子も無意識の内に感じているのか?
罰の悪魔を前にすると、途端にあの子は萎縮する。
何と話しかけようか。こんな風に悩むのは、毎度のことで。罪の悪魔はいつだって、君に困惑していた。
過去の自分を知る相手。此方は仲良くしたいのに、恨まれる……憎まれる理由が解らない。恐らく僕らは……家族というものに、焦がれていた。生まれながらの悪魔ではない、別の何かから悪魔になった者は家族を知らない。眷属という自らの配下を増やすのは、エングリマの場合――……救済と寂しさから。
深く傷付いたあの子は、意識の底へ沈んでしまった。まだ消滅はしていないはずだが、それも時間の問題。時が動けば、話は変わる。ならばどうする? 何を選ぶか。それは優先順位の問題。
二つの罪がここにあり、両者が対立している。償える相手は片方だけ。既にあの子は選択をした。過去の亡霊でしかない僕は、エングリマの願いを叶えるだけ。そのためだけに存在している。
氷の鎌に魔力を込めて、より鋭き形状――……剣へと変える。一方的な処刑はもう無理だ。これは因果の力を宿した、因縁の形。かつて夏神アエスタスを殺した、凶器を使えば――……一撃で屠ることも不可能ではない。
(でも――……)
金色の角を得た悪魔。目の前のそれは――……まだ“夏の悪魔”であるのだろうか?
それに呪いをかけるよう、冬の悪魔は古の名で呼びかける。
「良かったのかい“夏の悪魔”? 君が完全体になりたいと望むのは、僕を取り込めば――……失った記憶を取り戻せると思ったからだろう?」
挑発の言葉には乗らず、彼は赤い瞳で此方をじっと見つめている。合体の反動で、此方のことや現在の状況すら忘れてしまったのだろうか?
「君が忘れた人の名前や顔、声や思い出。君を殺した死神は、全てを記憶している。走馬灯。君だってそうだろ? 大事な人を忘れても。君が殺めた者達のことは、決して忘れられない。だから君はエングリマを殺そうとした。違うかい?」
神を殺したのなんてあれが最初で最後。だから僕は、彼を上手に殺せなかった。あの世界は、……夏が生まれなくなった。
春と秋が消えても上手く回った世界。夏が消えても問題無い――……? 違う。夏と冬だから機能していた。夏神が滅んだ世界は、やがて……。
愛した人の為、世界の仕組みを変えたことで世界を滅ぼし、彼女の子孫も死なせてしまった。僕がここに居ること、その意味全ては罪滅ぼしのため。
迷いはある。後悔もある。それでも心を昔のように凍らせて、上手くやらねばならない。殺すのだ。目の前の悪魔をもう一度、あの日のように。
「だが、君は過去を手放した。今の君はその情報を手にしても、事実を知るだけで。もう……何も感じないんだ」
「だから巻き戻して、なかったことにしろって? ……そいつは新手の命乞いか? 解ってんだよ、そんなことは」
夏の悪魔は、笑いながら泣いている。本来の、戦う意味を……己の片割れを倒す理由を失った。それでも戦わなければならない。契約者のために。過去より未来を選んでしまったこと、どれだけ嘆こうと……彼は自分が生き残る道を選んだ。
僕らが君へ抱く感情は、少々複雑だ。
かつては共感、憐憫? そしてそれ以外の大半は無。君に恨まれ追われることで、無だった心は別の意味を持ち始める。しかし此処に来て、僕らは共感を失った。
地獄に落ちて尚、神のように生きた罪の悪魔。今の姿は、振る舞いは。とても神とは呼べやしない。だが、君はどうだ? 誰より悪魔のように生きた君がどうして、今……そんな姿を僕らへ見せる? 悪魔らしい姿も何処か神々しく、かつて忌み嫌われた存在であると誰が君を思うだろうか?
「アエスタス。いいや、ティモリア。……もう一つだけ最後に聞かせて欲しいな。君の方こそ、いつまで神様のつもりなんだい?」
その男を選んだ理由は“それ”だろう!? 嗚呼、今の君を見ているとどうしようもなく腹が立つ。世界を呪い、多くを苦しめ必要以上の死を振り撒いた者がどうして? 地獄に堕ちて正真正銘の悪魔になって、それでもまだ。誰かのために、生きられる?
目的と手段が逆だろう! 手段のために目的を捨てる悪魔が何処にいる!? その男が君に何を与えた? そいつはなんとも思っていないはずだ。僕らを便利な道具だとしか考えていない契約者。僕らとラザレットとは違う。何の繋がりもない。そんな唯の人間のため、どうして自分を賭けられる?
「『窓枠遊戯』より、【配役】マリアンヌ!」
「……っ!?」
錬金術師が、謎の言葉を口にした。これまでのような錬金術用語ではない。ファウストの詠唱に、罰の悪魔は突如……甲冑に身を包んだ戦乙女へ変化した。
「流石は我が主。煌びやかなお姿は、囮には最適ですね」
(……しまった! そうだ、こいつはっ!)
殺したはずの相手が生きている。未来のティモリアが習得していた技。時に干渉する力に、ここに居る悪魔も目覚めた。すべての時間ではなく、この人間そのもの……この男の肉体だけを巻き戻している? つまり、大事な契約者の命を人質にすることは不可能。錬金術師も煩わしいが、先に罰の悪魔を殺さなければこの場は凌ぎきれない。
予期せぬ事態だ。時はまだ凍っているのに、何だこの芸当は? 対象を絞り、更に強力な時間魔法を展開。罰の悪魔の動きを封じる! ……封じた、はずなのに。
別の時間軸を生きているのか? 戦乙女は馬を駆り、此方に向かって斬りかかる。完全な獣の本性へと返り攻撃を躱したが、遅れて痛みがやって来る。彼女の剣ではない。いつの間にやら、彼女の背後には幾人もの兵士があった。一人一人の力は微々たるものだが、全ての攻撃を躱すは至難の業。
別の世界に引きずり込まれた? そう錯覚するような、壮大な召喚魔法?
今のティモリアはまるで別人。剣の腕が飛躍的に向上。肉体はティモリアのままで、別の人間の魂を宿したような身の熟し。契約者でもない人間の魂をどうやって?
(これは……第七領主の、イストリアの脚本能力!? こんな力もあったとは聞いたことがない)
だが他に思い当たる悪魔がいない。やはり第七領主の介入か? 神聖なる決闘を、汚したのか……!? 悪魔がそれを破ればどうなるか。魔王ともあろう者が知らぬはずがない。
「あー……その辺は問題無い。これは俺が奪った力だ」
「彼女の脚本能力を、君が?」
「未来の俺は第七魔力を完全に引き出すことは出来なかった。だが、――……“未完書庫”の目録なら俺でも演じて力に出来る」
限定された力? 否。既に恐るべき力。これ以上の力を、能力を隠し持っていた。そう、本にさえすれば――……同僚さえ操れる。他の魔王の力さえ、自分自身、或いは別の者に貸し与えることが出来るなら。イストリアを生かしたまま服従させられた者が、永遠に地獄の支配者となれる。
つまりこれは、彼女にとっても賭けだ。この戦いが、他の魔王に知られれば――……地獄は荒れる。知られるわけにはいかないと、この本を隠し通さなければならない。『高飛車なピエロ』の世界は、歴史と物語の悪魔にとってとてつもない弱みになった。
(僕らが勝つには強請り、脅して味方させるか? 出来ない。そうさせないために、既にティモリアを何らかの約束で縛っている。この弱みを口外する可能性のある僕を、彼女は此処で殺すつもりだ)
第二領主が生きている中、イストリアが中立を破った理由は何だ? エングリマが彼女に見限られるような行動を取ったか? 封印に手を貸したとは言え、敵対関係までは行っていない。彼女の境遇を哀れみ、暇をしている彼女の話し相手になろうと遊びに行くこともあっただろう? 何が彼女の怒りを買った?
「『時間泥棒』より【配役】時間泥棒!!」
錬金術師が手にしたそれは、目録か? 未完書庫のタイトルと登場人物を読み上げる。今度の名には背筋が震えた。その本は、エングリマにも縁がある。
目深く被った帽子とマントが目印。金時計を片手に時間を歌う時間泥棒。今の時間をティモリアが歌い上げると、辺りは朝日が差し込むよう光に包まれ……凍った時が動き出す。
(……未完、書庫?)
忍び込んだ世界。もしかして、あの世界もまだ……終わっていないのだとしたら?
イストリアはあの世界を嫌っていた。第一領主エフィアルティスとの契約により、永遠に囚われた牢獄の世界。
イストリアが嫌ったのは、未来のエングリマか? 氷の力をより強め、第一領主に近付いた。罪の悪魔が、永遠に時を凍らせる力を手に入れることを――……イストリアは拒んだのだ。
「……まだやるか、ヒエムス」
敗北を認めこの世界から手を引くなら、命までは取らないと? 甘すぎる。イストリアが敵に回った以上、此方に未来はない。勝利以外に、明日がない。
突き付けられた剣に、此方も再び人型となり剣をぶつけることしか出来ない。
「勝つまで、やるさ! ……“彼女”を負かすのは、いつだって“人間”の力だった!」
契約者のため。その思いの強さだけなら此方も負けない。背負っている者の数が違うのだ。何も残せなかった僕の。僕にとっての。これが彼女との、唯一残された…………永遠なのだから。
魂を燃やせ。命を喰らえ。一つ残れば良いだろう。僕らもあの子も、命一つ残れば良い。全てを魔力に変えるのだ。
「歌え“海神の歌姫”!!」
喚び出すは契約者の魂。海神の娘の嘆きは天まで届く津波となって、全てを海の底へと沈める。人を死に誘い、波の下へと招く美しき歌声。
ティモリアが従えた兵は、歌へ誘われ次々波の下へと消える。そしてこの高波、大量の水の元素を冬の力で凍らせる。真っ白となった氷と死の世界。ここでようやく、錬金術師の顔色が変わった。
「ファウスト! 次の本だ!! 早く読み上げろ!!」
「…………あり、ません」
「はぁ!?」
「『時間泥棒』で時を破る。時を壊せば死からは逃れられない。第四公が使った魂は、完結した世界の魂です。タイトルになるような、その中でも最も価値ある魂……未完書庫の本では太刀打ち出来ません。終わりましたね我が主」
「笑って言うな!!」
「笑うしかありませんとも。格好付けていないでさっさと殺していれば終わったものを」
乾いた笑いを零した主従に、ヒエムスは遠慮無く吹雪で吹飛ばした。
「君たちの反省は僕らが活かそう。さっさと殺させて貰うとするよ」
「ぎゃああああああ! 何でもいい!! 残ってるタイトルなんか読み上げろ馬鹿!!」
夏神の力でも溶かせない絶対的な死。ティモリアは纏った配役も剥がれ、衣装の幻影も解けてしまった。
「エングリマは停滞を望んだ。時を動かしたのは君の方だ。君の死は、君が望んだことだ。だから死ぬのは君であるべきだ」
「違うな! てめぇが俺を殺した! だから俺はお前を殺す!! それが、俺達の永遠だ!!」
「……こ、この力はっ!?」
錬金術師は何を読み上げた? 懐かしく、この上なく恐ろしい。魔力の爆発! 時や氷なんて歯牙にも掛けない。この場にいる全てが消滅しかねない圧倒的な暴力。
これは終末の力。第二領主の力。未来のティモリアはカタストロフを殺したが、奪ったのは魔力だけ。彼の力そのものは使いこなせなかったのではないのか?
「『終末の“カタストロフ”』……?」
どうして、その名前の本がある? 物語の悪魔は、魔王達を本として綴ることが出来なくなっていたはずなのに。
(まさか――……封印される以前より、タイトルを?)
それが出来るとするなら。彼女にその世界の座標を渡したのは、時渡りの力を得た未来のティモリア。二人が手を組んだことで、過去が変わった。それとも他に抜け道が?
(いや、そんなことより)
こんなことがあっていいのか? エングリマは第二領主を守ろうとした。そんなこの子が、第二領主の力によって……殺されるなんて、あまりにも。
ティモリアの髪は、恐ろしいまで伸び――……黄金の角も巨大になった。赤い瞳はそのままで、しかし血のよう色濃くなっていた。第二領主の本当の姿は、こうであったのかもしれない。こんな化け物を、未来のティモリアはどうやって殺した? これは、まともに戦って勝てる相手じゃない。第一領主ですら太刀打ち出来ない化け物だと、一目見てはっきり解る。
「あー……そっか。あのおっさん……そりゃ、ただで死ぬようなタマじゃねぇよな。この俺様を最後まで利用する気か」
此方の顔は青いというのに、何故かティモリアの顔は赤い。
「…………後味は悪いが、今度こそ終わりだ。何か、言い残すことは?」
「僕から君に対してはないよ、ティモリア。でも……」
過去を全て、失っても……か。僕には出来ない。以前の君にも出来なかったこと。因果と応報、過去と未来。結果は解っていた。だからこそ――……変えようと僕らは足掻いたのだ。
冬の悪魔は溜め息を吐く。こんなに遠い世界では、冷気を呼べても懐かしい配下を喚ぶことは叶わない。凍った時の流れには、北風と雪は意識を持って誕生しない。
僕は本当に変わってしまった。触れるだけではもう殺せない。魔力を武器に込め、殺そうと思わなければ死神の力を取り戻せない。
「僕は君が羨ましいよ、アエスタス」
冬の悪魔ヒエムスが感じていることは、エングリマも同じ思いであるのだろう。別の人格であっても魂と肉体を共有している以上、心は切っても切り離せない。
「でも……可哀相に。そんな姿になっても君は、君自身の願いを正しく理解していない」
エングリマは知っている。だからあの子を勝たせてあげたかった。
「お前がっ、俺様を憐れむんじゃねぇぇええええええ!!!!」
声の振動、世界が揺れる。音から世界が壊される。すぐにここから逃げなければ、本当に死んでしまう。最悪、この空間だけではない。元の世界さえ。ティモリアは第二魔力を使いこなせていない。力任せに暴れられたら、互いの契約者も無事では済まない。
(……僕が最後に、出来ることは“過去”を紐解くだけ!!)
完結した世界の魂。エングリマの契約者を信じる。
召喚した契約者の魂を、一時的に取り込んだ。姿形も“海神の歌姫”へと変わる。
あの世界も一つの終末だった。海神を鎮めた歌声を、僕らの喉から響かせる。歌が届いた? それとも――……この姿か?
ティモリアの身体から、カタストロフの配役が剥がれて霧散。再び勝負は振り出しへ――……
(なんて、上手くはいかないか)
滅びの力を浴びたのだ。僕の意識は、魂は深いダメージを受けている。今眠ってしまえば二度と目覚めないだろう。他に残っているのは……死にかけの、エングリマの存在だけ。
(……“カロン、さん”?)
目覚めた。海神の歌姫の歌で……エングリマの人格が、甦った。だがこの状況で、彼女に身体を譲ってはならない。この子が殺されてしまう。
(違う……他にも“誰か”、いますね? いつも……今も、私を守ろうと必死になって――……あっ! 解った!! お父さん、ですよね? 貴方が私の……)
違う、違うよ。僕はそんなんじゃない。いつも君を苦しめていたんだ。君は何も悪くないのに、僕の罪を背負わせてしまった。だから……例え勝てなくても死の瞬間は、その痛みは。せめて僕が引き受けたい。
(……大丈夫ですよ、お父さん。ティモリアは、話せば解ってくれるから。私がずっと、嘘を吐いていたから。だから聞いて貰えなかった。本当のことを言えば……だから、返してください。私の身体を。私の罪を)
僕の気持ちがわかる。彼の気持ちもわかる。彼女はそう訴える。弱り切った身体で、むざむざ宿敵の前に姿を現せばどうなるか解っているだろうに。信じるなんて、口にした。
信じられない。僕の魂なんかから、君のような存在が生まれようとは。
エングリマ。君は悪魔なんかじゃない。君は――……
目の前の彼に抱いたような、羨望を――……僕だった魂に感じるなんて。
「私は大丈夫。だから……安心して眠っていて。ヒエムス父さん」
*
「……エングリマ」
「強いね、ティモ。……ううん、強くなった。最初は私の方が強かったのに」
命乞いはしないよ。もう降参。魂を解放し、元の姿に戻った私は笑って両手を挙げる。
「解ってる。私は救済のつもりの契約しかしてこなかった。君はいつも貪欲に……どんなことでもして魂を魔力をかき集めてきた。だからいつか、こんな日が来るのは当然の結果」
そう、当たり前なんだ。足掻いてみたけど、悪いのは全部自分。
悪魔として生まれ変わった以上、悪魔として生きるべき。その道から外れた自分が、永遠を生きられる訳がない。本当にカタストロ様との生活を守りたいのなら、ティモリアと均衡を維持できる強さを保っていなければならなかった。
「こうなった以上、もう未練も無い。あの子にしてあげられることがもうないのは悲しいけど、私の力不足。それに子どもって、親が思っている以上に実は大きくなって……成長しているものなのかもね」
「安心しろ。惚れた男もすぐに同じ所に送ってやる」
「あははは! それはティモでもできないよ!」
あの人は、私が好きだった人だった人。近くにいて痛いほど良く解った。あの人はもういないんだって。
「ふふふ。私のお父さんって、自分を脅して従わなければ殺そうとするような人が好きになっちゃったんだよ」
「……は? ヒエムスの、話か??」
冬の悪魔の思い人は儚げな少女だろう。そう想像していたティモリアは、構えた剣をおとしかける程驚いた。
「でも、ずっと一人だった自分から、寂しいを殺してくれた。どんなに嫌がっても追いかけて追いかけて来てくれた。それが嬉しかったんだって」
「お前なぁ……どんな遺言だ、それは」
「これで最後だから、ちゃんと聞いて。……私も同じ」
もしかしたら、この一言で本当に殺されるかも。それでも伝えたい言葉があった。
「私は…………ティモリア、貴方のことが……好き」
ティモリアは、今度は本当に剣を落とした。
「…………は? え? あ……?? え??」
「だからずっと一緒にいたかった。貴方に自分が消えて欲しいと思われていても」
「あー……いや、えっと」
「誰かのお母さんになったら、こんな気持ち、忘られるかと思ったけど……駄目だったみたい」
「わ、解った! 次はそう言うあれだな! この俺様に色仕掛けとは何と卑劣な真似を!」
「嘘じゃないよ。だって私……“悪魔”だから」
罪の悪魔としての力は、死にかけだから? もう私の力はティモリアに移っているのだろう。だからこんな風に、狼狽えた彼を抱き締めれば溶けていく。最後に残ったのは、冬の悪魔としての能力。恋した相手に触れれば、溶けて死んでしまう力。
「ち、違うだろ……俺達は、もっと! もっと!! 血で血を洗うような! 拭うようなっ……そういう殺し合いで、終わるべきだろ!? なにお前は――……最後まで、悪魔らしく……ねぇんだよ!! この恋愛脳のクソ神悪魔がっ!!」
本当に。好きな人のこんな風に取り乱す様って、癖になるかも。“お父さん”の気持ちが解って笑ってしまう。こんな風に死ねるなんて思わなかった。彼の言う通り、もっと悽惨な殺し合いの果てに死ぬものだと思っていたのに。冬の悪魔として生まれたこと、幸せだったと感じるのは死の瞬間なのかもしれない。
でも、そうだな。ティモの本当の姿を――……見られないのは少し残念。
「見てろ。見せてやる。俺の中から……俺の目で」
もう喋ることも出来なくなった私の耳に、届いた最後の声。溶けて水溜まりになった私に映った悪魔の姿は美しい。左右で異なる色の瞳。片翼だった翼も左右に揃った。
泣いているのは赤い瞳の方。ティモリアは片目を拭い、笑ってくれた。
(……っ! ティモ!! 危ないっ!!)
水鏡から何かが見えた。凍った時が溶けたのだ。ここはもう、現実の世界?
何者かの、背後から角を狙った一撃。悲願と別離の瞬間……その隙を襲われた!
嗚呼、とても嫌な音がした。私の最後の声は聞こえなかったのかもしれない。幸せな気持ちで消えることが出来ないなんて、残念だけど。私がしてきた罪を思えば仕方が無い。
私は死んでも償えなかった。それどころか、私が死ぬことで彼を危険にさらしてしまった。
(ラザレット――……)
あの子にも謝りたかった。私が関わったことで、あの子は本来の運命より不幸になっていないだろうか? 守りたかったのか本当なのに。私は何も、守れなかった。
強い後悔の中――……私の意識は解けていった。
Atonement(償い)のアナグラム。Tame En Notがサブタイトル。
何ヶ月も書き直しましたが、海神のアルバム用の曲で双子悪魔の掘り下げが終わったので書き上げることにしました。
元々脚本シリーズはノベルゲームだったので、どちらを勝たせる未来も本来存在していたのですが、小説だとそういうわけにもいかず何年も考えていました。
高飛車なピエロ自体もこれで高位存在達のバトルは終わったので、終わりに向かって出発出来ると思います! もう少しお付き合いください。




