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35:あなたがたを希釈する

 自分の心が魂が。歪であることに気付いた時、それはどうやって生きていけば良いのでしょう。人として欠陥がある。喜びを喜びと感じることが出来ない。普通の人が喜ぶように、自分も同じように感じている。そんな風に自らを欺すことは出来ても……結局の所、演技でしかない。常に演技を強いられている。本心を曝け出すこともないし、自分と信じた配役を演じるだけ。

 人生は舞台? いいえ牢獄。

 でもね、それに気付くことさえなかったら……人生はすばらしいもの。

 だけど、気付いてしまったら? この世界はどんなに醜い姿であるのでしょうか。



「見事な物だ“ベルカンヌ”。顔色一つ、変えない……か」


 上出来だと、彼は目を細めて笑う。私の共犯者は、私の力を買っていた。

 心に仮面を置けば良い。私は彼を愛することも憎むことも何でも出来る。


「“何故だっ、ベルカンヌっ!!”」


 愛なんて無力。私の完璧な仮面を前に、貴方は再び欺された。私が貴方以上の道化だったのかもしれないわ。

 貴方が褒めた顔のまま、絞首台に送ることも簡単だ。仮面を捨てれば貴方との、思い出だってゴミになる。

 身体こそ人間。生まれ方こそ人間。けれど私はよくできた人形。

 数分前まで楽しく話した相手が居た。私がその場を離れた隙に、その子が運悪く何者かに殺害されたとして……私は何とも思わない。例えそれが、仕える主や家族であっても。

 悲しい振りは出来ても、実の所とっても平気。


 私の中にある衝動は、“欲しい”という気持ちだけ。求めるもののため、それに近付く人物を演じるのだ。初めは無意識的に。私は生き延びるため、上手く立ち回った。私は私が馬鹿だと信じていたのだ。強く自分に言い聞かせ、私は自身の異常性を仮面で覆い隠した。

 そうして私は食うに困らない素敵な生活を手に入れた。なんて幸運なんだ。私を救ってくれたベルカンヌ様に誠心誠意お仕えしよう。“馬鹿”な私は単純に、そう思って生きていた。

 でもねカイネス。貴方に出会い、私は思い知らされた。私と貴方は同じなんだって。私が私と信じた人格は、生きるため……私が作った仮面でしかない。

 どうして手には入らない物は美しく、何故手にした物はみんなガラクタなのだろう。

 仮面、仮面……私の仮面。私はきっとろくでなし。美しいのは外側ばかり。


(何も。何も、感じない)


 感情が、心がある振りをする。なんとも思っていない癖に。

 “人間の仮面”に。“忠臣の仮面”に飽きただけでしょう? 私によく似たあの人の……“恋する仮面”に憧れただけでしょう? その仮面を被ったならば、私は私を欺しきれると信じたの。


 楽しい振りをすれば、心の半分は欺せる。もう半分は冷めた瞳で私を嗤う。

 悲しい振りをしても、同じ事。何者かを演じ、生きる私には。常に最悪の観客がいた。私の下手な演技を馬鹿にする奴がいた。そしてその最悪の人間こそ、私の正体なのだ。

 私は私の心全てを満足させる生を送りたい。どんな感情でも良い。私の全てを満たし染め上げる……本当の心が欲しい。

 カイネスなら、この空虚を理解できる。あの人を真に理解できるのも、陛下ではなく私。それなのにあの人は――……“理解されない”ことを選んだ。私と同じなのに、私と違う答えを選んだ。

 この差は“愛”のあるなしだ。あの人は空っぽだけど、あの人の内には愛がある。あの人は愛で満たされた。あの人は、愛してくれた人のため――……その仮面を最期まで喜び身に付けた。なんて直向きな心。貴方がどれだけあの人を愛していたか、あの人は全て解ってなんかくれないのに。





「クワラント様、本当に私で良かったのですか?」

「その名で呼ぶなと言ったはずだ。誰に聞かれているとも限らん。……顔を良く見せろ、“ベルカンヌ”」

「……はい、“貴方”」

「顔色は悪くない。近頃の調子はどうだ?」

「ふふふ……健康ですわ、母子ともに」


 仲睦まじい女王と道化。いや違う。待ち望まれた子が女王に宿ったことで、正気を取り戻した道化は王となり……二人は王と妃となった。処刑されたのは彼の名を騙る偽者だったのだ。待望の懐妊に、国内は祝福ムード。

 しかしその実、王国は滅んだのだ。王家の血を継ぐ姫は既に亡く、影武者の女に取って代わられ、王の正体も侵略者である。

 美しい。美しいだけ、肖像画のような妃。もはや女王ではない“彼女(わたし)”は統治も彼に任せきり。


「最近のベルカンヌ様は、笑顔を。やはりああしているのが一番よ」

「そうそう! 可愛い御子に囲まれてなんて幸せそうなこと! 血塗られた玉座などより、家に入る方が良かったんですよ!」


 城中の者達が、“彼女”の変化を喜んだ。無能な道化と冷酷な女王より、有能な王と慈愛に満ちた妃の方が良かったのだと喜んだ。

 私にはそんな資格はないと知ってはいるが、ここで私は立ち止まる。喉に魚の骨が引っかかったよう外れない。そんな違和感。

 偽の私と王よりも、この国を。民を愛していたあの二人を、彼らは望んでいなかった。

 殺しておいて何をと自分でも思う。しかし私が求めたもの。私が愛したもの。私が奪って手にしたものを、彼らは“不要だった”と言っているのだ。信用ならぬ民共。奴らは本当に、私が望んだ歴史を語り継ぐ頭があるだろうか? 書き記す力があるだろうか?

 不安で仕方が無い。時が流れていく程に。老いていく。弱っていく。間もなく死んでしまう私には、私がどう書き残されるか知る術がない。


(私が、罪を犯したのはっ――……)


 愛した人達を殺し、私が醜くも生き延びたのは。主君の命と名を奪い、愛した男と同じ顔の男を愛する。血を繋ぎ歴史を繋ぐ。偽りの歴史で、私がカイネスと結ばれたと後世に広めるため。

 順風満帆に思えたこの道も、終わりが近付けば疑念ばかりが囁きかける。嗚呼、私は後悔している。もっと良いやり方があった。誰も信用できない。愛した人も、血を分けた我が子でさえも!


(私は失敗した。だから、ロンダルディカっ――……! お前のようなものが生まれてしまった!)


 神なんていない。いたなら私のような化け物を、作るはずがないのです。

 私の存在は神の否定。或いは、神を悪意ある存在と定義すること。

 私はそう信じて生きていたのに、女神が生まれた。忌ま忌ましい……女神ロンダルディカ。

 彼女は善。私のような大罪人を罰する力も持たない。祖国に生まれた全ての子を愛し守るだけの神。汚れなき女神を前に、私は己の醜さを知る。そして失望するのだ。

 神は確かに存在するのに、何故……私のような者が生まれてしまったのかと天を憎むのだ。

 慈しみ深い女神。あれにとっては私ですら“愛しい我が子”――……“母親である女王”であるとは認めない。民の命を人質にし、一応の懐柔はしているが……あの女を消さなければ私は安らかに眠れない。民に広まる女神信仰は、私の歴史を歪めてしまう。


(でも……どうすれば、神を殺せる?)


「とんでもねぇな。今際の際に罪を悔いるんじゃなく、そのやり方を悔いるなんざ……救いようのない人間がいたもんだ。そうやって、全部殺して始末して何が残った?」

「何者だっ! 此処を何処だと思って……」


 私をせせせら笑うは死神か? 振り向いた先、立っていたのは――……容れ物。美しいけれど……なんて禍々しい娘。一目で異形と解る。


「女王の寝室。“偽者”の」

「!?」

「たまにはあいつと添い寝をしてみるもんだ。俺様好みの第五魔力たっぷりの、夢の穴へと繋がった」


 ある夜“報いの悪魔”は現れた。赤い目のそれは、私の記憶を盗み見たかのような口ぶりで――……


「記録を変えて、歴史を改竄し……偽者が女王になって、お前を愛さなかった道化との子を子孫とする。それでも“神様”が怖くて怖くて堪らない? そんなに罪を犯しておいて、まだ神を信じる訳か。人間っておかしな生き物だ」


 “神”の話を口にした時、悪魔は一瞬赤い瞳に憂いを浮かべたが……それは本当に僅かの間だけ。すぐに不敵な笑みに戻ってふんぞり返る。


「生憎、俺様はあんな女神なんかより強い。お前の願い……叶えてやってもいいんだぜ?」

「え……」

「歴史に望み通りの史実が残れば良いんだろ? そうなれば死後にお前の魂がどうなろうと、構わないんだな?」


 女神がそんなに恐ろしいなら、“弱らせて誕生させる”か“そもそも生まれさせない”かそう立ち回れば良い。簡単なことだと悪魔は言う。


「いいか? 基本的に歴史は変わらない。“報い”ってのはそう言うことだ。お前が一度でも殺した相手は絶対に“お前の所為で”命を落とす。これを変えようってのは並大抵の努力じゃ覆せねぇ。お前が罪を犯した所為だ。その上で俺は“時間を巻き戻せる”」

「時間を……!? それは……どこまで、なのですか?」

「人間一匹分くらいの人生なら余裕だが、あまり望みすぎるな。お前が先に、思い人に出会おうなんて思うな。多くを望めばその分狂いも大きくなる。お前の目的は何だ? あれが生まれた理由は解っているんだろ? なら、女王を殺すタイミングをずらせ。それで女神は出来損ないになる」


 赤い瞳は輝いて、優しく語りかけるのだ。その色に魅入られるよう、私は唯々頷いた。望む歴史が残るなら、私は死後の幸福なんて求めない。


「解りました。私の魂、貴方に差し上げます……!」





「“歴史は変わらない。けれど、我々悪魔には関係ない話”。使い魔、それは何故?」

「我々の間では有名な問答ですねお嬢様」


 頬杖をつきながら眺める世界。人間達の苦悩は実に興味深い。

 部屋の掃除に興じる使い魔は、振り向きもせず適当な態度。


「我々が悪徳そのものであるからです。その気になれば何でも滅ぼせる輩が、ちっぽけな世界に縛られるはずもないでしょう?」

「そりゃそうよ。一秒後に消せる場所に歴史もクソもないじゃない」

「では何故そんな問いかけを?」


 質問を投げかけながら私を見ない。窓の汚れがそんなに気になるか?

 私の本を前に掃除だなんて。彼はこれまでの流れで、完結までまだ時間が掛かると判断したらしい。合理的だが馬鹿な男だ。私に何年仕えているのだお前は。そのくらい理解していると思っていたのに……。


(…………嗚呼、そういうこと)


 見ないつもりなのだ。自分を疑っている。己の目を通じ、第六領主に見せてしまうことを恐れている。


(……馬鹿な男)


 鼻で笑って、私は一口茶を啜る。本当に。何年私に仕えているのだお前は。


「ねぇ使い魔? あんたが見たくないのは解るわよ? 奇遇よねぇ? 主を裏切って、もう一人の主を選んだ道化だなんて。肩書きだけならあんたそっくり!」

「お、お嬢様っ、……な、何を言って!!」


 ほら馬鹿。ようやく此方を振り向いた。こんな安い挑発に乗るとは、随分弱っているようだ。


「見なさい。目をそらさずに。お前がここに居る以上……この本はあんたにも意味のある物語よ」

「まったく……二人称で仮面を並べて遊ぶのは、お嬢様くらいです」


それは魔王としての言葉か、私個人の言葉か。判別が付かないと奴が言う。

 欲望に忠実な悪魔であっても、仮面を持つ。他者が存在する以上、幾つもの関係性……自己の側面が生まれる。仕方の無いことだ。この男は私の使い魔だが、第六領主の使い魔でもある。どちらかを選べだなんてわざわざ言わない。忠実なだけの部下なんて、息が詰まるじゃないか。永遠に囚われた私の慰め。退屈を殺させるための道化から、ユーモアが消えたらここは本当に牢獄になる。

 私とお前は今迄以上も以下もない、停滞の繋がり。だから昨日と変わらずいつまでも。


「…………残酷な人ですよ貴女は」


 小さく呟かれた言葉。聞こえなかった振りをしてやるべきか? 否!! からかった方が面白いし、見逃すのも“私らしくない”。これもまた、“仮面”。人間達を振り回すそれ。我々悪魔であっても、逃れられない呪いだろうか?


「あら? 悪魔ですもの当然よ。訂正なさい。お前は満足な語彙力も無いのかしら?」

「残酷な悪魔ですよ!!」

「ええ、正解」


 私がベルカンヌのようになれば、お前は私を選ぶのでしょうね。そうなれば、此処での生活がもっと楽しくなるかもしれないわ。

 だけどね使い魔。私が何故お前を脚本で操らないか。考えてご覧なさい。手に入らないものは、いつまでも求められる。手に入れば、お互いガラクタになる。それが永遠。我々の。


「やれやれ……イストリア様。貴女は一体、誰を勝たせたいのです? 第五公や俺を焚き付けて……」

「安定した食糧供給。或いは至高の逸品。何方を食べたいかって話なのよね」


 ここらで話を軌道修正。関連性は当然ある。


「お嬢様は後者ですよね」


 魂の餌場を壊すのは勿体ないが故の暗黙の了解。片っ端から壊しまくったら他の領主から睨まれるもの。上は好き放題やってるけど下位領主なんかは特にね。根回しや育成に励むティモリアやエペンヴァの涙ぐましい努力を思い、私は笑った。


「解ってるじゃない。そういう話よ。私は此方の権力争いなんかに興味が無い。より至高の一冊に育てられればそれでいいのよ」

「ははは! それは良い。では俺が死ぬ前に、一冊俺の本も書いてほしいものです」

「変なことを言うわねあんた。悪魔は誰も言わないわよそんなこと」


 観察され操られ誘われる不幸。私の能力を知る者が、書かれることを望むとは。いよいよ馬鹿になったか使い魔。


「その時、名前のない俺にも何かタイトルが……名前を教えて頂けるでしょう? いいじゃないですか!」


 とんでもない大嘘吐き。よくも悪魔でいられるものだわ。


「仕方ないわねぇ……解ったわよ。あんたの余命が解ったら書いてやるわよタイトルを」


 いつも通り。私は私の仮面を装った。そうしなければ、時間が動き出しそうだった。とんでもない話だわ。今すぐこいつの本を書いて殺してやるべきか? いや、日常生活に支障が出る。今日の所は見逃してやろう。


「はぁ……そっくりだわ、あんた。精々気をつけることね。私と同じ顔の悪魔に惚れられないようにしなさいよ」

「生憎、俺と同じ顔の悪魔なら存在するのですがね」

「やめてよ、冗談じゃないわ。エペンヴァなんてエフィアル以上になしよなし」


 少しだけ仮面を外した会話をしても、時計の針は進まない。きっとこのままぐるぐると、同じ時間を回り続ける。


「まだティモリアの妾の方が楽しそう」

「お嬢様、お言葉ですが――……その約束、果たして彼は“覚えていられる”のでしょうか?」

「そうねぇ――……私あんまり時は操らないから。解らないわね」


 停滞している存在は、時の流れに疎かった。





 “諸説あり”……僅かでも過去に触れた者なら誰しも耳にする言葉。可能性という名の空白。失われた空白には、真実以外に悪魔が潜む。

 小さな空白であれば流れは変わらずそのまま流れていくだけなのだが、歴史上大きなターニングポイント。鍵となる人物、出来事。どの時代にも必ず存在するそれを、“軸”と彼女は呼んでいる。歴史と物語の悪魔イストリアは、軸を見つけて世界を本へと閉じ込める。

 それならば『高飛車なピエロ』の世界にとって、軸となるのはカイネスか? 違う。女王だ。女王ベルカンヌは命を落とす。しかし、彼女がいつどのように命を落とすか。それによりこの本の世界は大きく形を変えて行く。


「…………過去の俺様をぶん殴りたい」


 罰の悪魔改め、報いの悪魔ティモリアは己の報いに項垂れていた。イストリアに本の記憶を流し込まれ過去と未来を知ったものの、己の未来は明るくなかった。それから過去も。


 下位領主として日夜職務に励む。これまで契約した人間、得た魂の数は数え切れない。第六領主のように効率性のある能力では無いため、自分自身が頑張るしかない努力家だ。質より量で魔力を稼ぐ第六領主エペンヴァに対し、第五領主ティモリアは質と量を重んじる。見込みのある魂を育て、将来的に高く良質な得る魔力を入手する。つまりは形振り構わず頑張っている。その結果、余程思い入れのある契約者以外、契約したこともとうに忘れている。永遠を生きる者はそういうもの。


(あのとんでもねぇ女がもっととんでもねぇ女になる切っ掛け作ったの俺かよ!!)


 おまけにあの人間には食われ逃げまでされている。ただ働きも良いところだ。

 過去の世界に飛んだところ、今まさに過去の自分がとんでもねぇ女と契約しようとしている。


(……いや、待てよ。ここが分岐点? ならここは、既に消えてしまった世界か?)


 覚えているはずがない。自分がこの女と契約したのは、この女がもっと若い頃で……自分にとっては未来の話。あの時ベルカンヌはまだ生きていた。本来の歴史では、既に彼女は殺されていた。


(俺がいた世界は、既にこの契約が為された後……おかしい。俺達悪魔は世界の変化に影響を受けないはず。……まさか?)


 ティモリアは唯一の例外を思い出す。イストリアの本に入ってしまえば、悪魔であっても彼女の能力に縛られる。

 この契約より早く、カイネスとイストリアが契約をした。既に“観察される約束をした世界”……本になってしまった世界にノコノコ俺はやって来た。

 完全体ならまだしも、子供悪魔だった自分では分岐点の影響を無効化できなかったに違いない。つまりこの契約自体が“存在しない”世界になり、契約の記憶を失った。


(回りくどさは倍以上だが、やってることはアムニシアかよ……だが、絡繰りは解った!)


 ここは本来の歴史。影武者……偽女王と偽道化が子孫を残した世界。盗賊共の先祖が人間として生まれた世界。

 本に綴られていた世界は、偽女王が偽道化を殺し……子を産まなかった世界。ここで本来存在した盗賊の子孫は消滅する。そこで眷属として手を差し伸べたのがエングリマ。その後の世界はあのような展開になってしまった。


(契約を阻止する。それでラザレットは生まれない、もしくは唯の人間になる。いや、それをしにくるのは未来の俺だろ? 何故いない? どうしてこの時代に来ないんだ?)


 悪魔は未来の自分が来るであろう時代に飛んだ。本の記憶を見た限り、自分では錬金術師の過去旅行を阻止なんて……どうせ出来ない。口では必ず押し負ける。現場付近に張り込む方が確実だ。それが何だ、幸運なことにここには過去の自分までやって来ていた。 

 過去と未来と現在の自分。三人でこの時代のエングリマを殺せば良い。しばらくは楽観的に待っていたが、一向に未来の自分は来ない。

 契約内容が決まっていく――……口付けが済めばいよいよ契約成立だ。ティモリアは焦り出す。エングリマ殺しを出来ないなら、契約阻止が必須であるが……


(この契約を止めたら、ここにいる俺はどうなる?)


 ここで契約をして変わった世界……その未来で勝利が確定していた自分。それを覆してまで、契約者に尽くす義理があるか? あるわけがない。人間など家畜だ餌だ。己の魔力を増幅させるための食糧でしかない。ましてや今の自分は、ファウストとかいう男と出会ってすらいないのだ。


(ここで、未来が変わったら――……正しい歴史に戻ったら)


 一連の事件はもっと早くに終決した? 錬金術師ファウストは生まれず、唯の少年として幸せに?


(俺様の最高の餌がなくなるって!???)


 叫びだしたい心を抑え付け、ティモリアは怒りに震える。解った。解ってしまった。未来の自分はここへは来ない。未来が変わっては困るのだ。奴が望むは、片割れ殺し。第四領主エングリマの殺害! それもたった一人でやろうとしている。

 それ自体は願ったり叶ったり。応援に行きたい位だが、この時代にはそれを邪魔する者が居る。第二領主カタストロフだ。未来の自分は奴を倒したようだが、エングリマを殺すなら……今一度奴と戦うことになる。

 早く加勢に行かなければ、未来の自分が敗れれば……ここに居る自分も一緒に消滅してしまう!


(俺の未来のためには、今……カタストロフを殺さなきゃ)


 いつかそんな日が来るとは覚悟していた。しかし今すぐと決断を迫られて、迷いを振り切ることが出来るか? よく知っている男を、まだ会った事も無い男の為に殺すのだ。あいつの顔。俺を呼ぶあいつの声も、掌の温度も思い出せるのに。


 時間は待ってはくれない。急がなければ。焦れば余計に何も見えない。

 本の外側なら、何が正しいか。何をするべきかよく解ったのに。こうして内に入り込めば、登場人物の一人に成り下がる。俯瞰視出来ない世界は観光以外で来るべきではない。選択がこんなにも恐ろしい。『海神の歌姫』世界に来た時とはまるで大違い。


 溜め息は一度だけ。災いの吐き出されない幸せな息。一息で呼吸を整える。両眼から流れる物を拭い去り、悪魔ティモリアは赤い瞳を強く見開く。次に飛ぶのは別の場所。未来が自分を待つ場所だった。



「おいっ!!」


 その場所で、まずは叫んだ。誰の名を呼んで良いかもわからないまま。

 何だこの場所は。やけに寒い。


「随分遅かったじゃないか」


 笑う男の声を、俺は知らない。それでもこのくっそ寒い場所で、その声だけが温かい。ティモリアが目を瞬くと、情報だけで知る男が自分を出迎える。


「しかし私の悪魔は実に優秀。提示した三つの願い……全てを叶えてくれた」

「マジかよ……」


 エングリマ殺害、マンドレイク一族誕生阻止、錬金術師過去旅行阻止。その裏にはカタストロフ殺害まで含まれている。未来の自分はとんでもない化け物だ。凄すぎて悲しみも喜びも凍ってしまいそう。いいや、本当に。比喩ではなく寒くて凍る勢いだ。


「唯問題が一つあってね……未来の君はこのように瀕死状態だ」

「はぁ!? どういうことだよ!!」


 錬金術師が指差すは、足下に埋もれている悪魔。未来の自分が埋もれていたのは、真っ白な……雪? 転んだ雪だるまのようこんもりとその場に倒れ込んでいる。お前のために頑張ったのだから助け起こすか抱き起こすくらいしろ。文句を言いながらティモリア自身が自分を助ける。


(……ここ、未来じゃ無い。俺はあいつを……あそこで殺害したって言うのか?)


 俺が阻止したのはファウストの時間旅行では無かった。女王に会いに行かずにここに来たため女王は自害せず……あの女が女王を殺害。このファウストは、女王の時代に飛んだばかりのファウストで。何らかの方法で、事情を知ってここに居る。

 マンドレイクとエングリマの契約の前に、処刑台の下――……エングリマを滅ぼした?

 完全体の俺と、過去へ飛んだ未来の俺が?


「おい、錬金術師」


 聞きたいことが山程ある。さしあたってはこうだ。何故魔力を返されたはずの未来の自分が、今の自分と全く同じ姿なのかと。


「なんとつれない。更に未来の私は貴方の物なのですから私の名を差し上げますよ、ファウストとお呼び下さいお若き第五公?」

「言ってる場合か!! どうしてこっちの俺までこんな姿だ! もう一人はどうした!!」

「同じなものですか。よく御覧ください」


 本性の姿で戦ったのか? 助けた自分の頭には……猫の片耳、それから立派な角が一本。


「もう一人はその角となりました。半身を滅ぼすために、自身の半身を失う。残った魔力の姿がそれと言うことでしょう」

「じゃあ、本当に……死んだんだな?」

「はい」

「エングリマが死んだなら、どうしてこんな……クソ寒いんだ!?」

「お言葉通り。罪の悪魔が死んだためです。それ以上は悪魔である貴方の方がお詳しいでしょう?」


 領主悪魔は一人ではない。体内ですら下剋上が起こり得る。無数の魂から生み出された魔力の集合体。それら全てを葬り去らねば、完全には殺せない。他の人格が表に出て、身体を支配するだけだ。


「彼は大勢殺してくれたのですがね、残ってしまったのですよ。相手方に……一人分だけ、魂が」


 身体が震える。寒さのせいか、武者震い? 或いは恐怖? 全てが正しい。


「懐かしい声だ。相変わらず君は騒がしい」


 優しげで冷たい。普段の幼い言動も消え去り、落ち着いた青年の声。エングリマとの違いは、頭に生えた山羊の角と耳。今第四領主の身体を支配する人格の影響か。或いは、それだけ魔力が漏れ出ている証?

 子供悪魔の印であったコウモリ羽も頭にはない。子供の身体でありながら、角を得るなど――……何の“因果”か。前世の宿敵と、再び邂逅する日が来ようとは。


「……“冬の悪魔(ヒエムス)”」


 絞首台の上に腰掛けた大鎌持ち……冬の死神。揺れる死体を哀れむも、触れて助けることはない。誰より優しく、誰より残酷な悪魔が再び現れた。


「元気そうだね“夏の悪魔(アエスタス)”」

省略したところはまた次回。


サブタイトルはユールタイド(yuletide)を毎度おなじみアナグラムを翻訳にかけました。

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