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34:彼は私が踏みにじる

悪魔回。

『冬の悪魔』https://ncode.syosetu.com/n0056k/ 、

『海神の歌姫』https://ncode.syosetu.com/n6067x/と

『終末のカタストロフ』https://ncode.syosetu.com/n4810ba/(の今後の展開を含んだ内容)になります。

領主悪魔達については、そちらをご参照下さい。


 狂っていた。己は情けないことに。たかだか人間一人のために、壊れてしまった女神のように。

 春の女神との戦いは、果たして勝利と呼べるだろうか?

 目覚めた時には記憶の大半を失っていて、傍には誰も居なかった。唯、誰に向ければ余暇もわからぬ怒りだけが、胸の中へと渦巻いて。呪いを振り撒くようになったのは、それからだ。

 狂った俺は、呪いを止めようとした冬神により討たれた。奴には俺を殺せないはずだが、あれは死神だ。どういう訳だか俺を殺せた。覚えているのはそこまでで、死んで正気を取り戻し――……過去の記憶も俺の所へ帰って来た。

 夏の悪魔アエスタスの物語はそこでお終い。ここから始まるのは、罰の悪魔ティモリア様の話だ。





 俺達悪魔は、絶対的な力。人間では太刀打ち出来ない厄災だ。

 俺達が司る罪と罰。因果と応報は、俺達が神であった名残と呼べるもの。

 他の同僚達のよう、人間を陥れるための力ではない。道を正そうとする信仰、汚れを祓い魂を浄化するための装置。

 生まれて間もない悪魔の、生存率は低い。後ろ盾を得られなければ、同族に支配されるか魔力の餌と食われるか。この俺様だって、はじまりは惨めなものさ。


(く、屈辱だ……なんだ、この姿は!?)


 “夏神アエスタス”は己を呪った。死後に目覚めた世界は、地獄と呼ばれる上位世界。己が神として生きた世界は、小さな小さな箱庭。

 目覚めた時、俺は絶句したね。手で触れても何も燃えない。いや、それよりも! 死神と恐れられた俺様が、際どい女物の衣装を着せられていた。もっと驚いたのが、俺の肉体がそれにピタリと収まっていたことだ。心も記憶も残したまま、俺は女悪魔に生まれ変わった。


「高貴な者の寵愛を得られるなど、滅多にないことだ。光栄に思うのだぞ?」


 尊大な女悪魔は足を組み、靴先で俺の顔を持ち上げる。奴の話を聞く時は、跪くよう“定められて”いる。


「ちっ……」

「その目つき……まだ“前世”が抜けていないようだな、“feles”……雌猫(フェレス)?」


 黒く短い角を持った第五領主。本来その角は、俺の頭にあるべき角だ。

 今、俺の頭部には黒猫の耳が生えている。この悪魔に服従させられた時、角を奪われた。代わりに出たのがその耳だ。

 大人の悪魔には角があり、子供の悪魔には角がない。稀に生れながらに角を持つ悪魔もいて――……そんな奴は上等な魔力を持つ。地獄の連中には高貴な冠なのだろう。

 生まれながらの王族が、他国の卑しい王に財を奪われ奴隷落ち。みたいなものか。最悪だな。何にせよ、俺は生まれ落ちた場所が悪かった。戦うことさえ許されず、俺はこいつのしもべとなった。


「悔しいか? そうよのぅ、角さえあれば私の首など刎ねられるだろうよ。嗚呼、醜いなぁ? 美しき神が、畜生へと堕ちる姿は堪らぬなぁ?」


 こいつは俺に命じた。自ら角を折り、差し出せと。そこから俺には文字通り、地獄の日々が始まった。外見こそ美しい女を模した悪魔クリシス。長い髪は深海のような暗い青。似た色合いの俺は、奴と同系統の魔力を持っていた。奴は俺を餌に育てるために。

 “悪魔”には救いはないのだろうか? 死んでまで、最悪が続くとは思わなかった。


「私の庇護がなければお前は今頃、低級悪魔…………は無理か。くくく、では変態と名高い最弱公辺りの慰み者だ。美しい私に拾われたことを感謝するが良い」


 どの口が言う。第五領主クリシスは、第六公に勝るとも劣らない変態だ。

 そんな変態悪魔……当時の第五領主が司っていたのは、“法律”。法の悪魔クリシスは悪法の権化。法に背けば、奴に魔力や命を奪われる。

 奴が支配した場所は、奴の法に縛られる。下位領主でありながら、領内であれば敗北はしない。消し去りたいが、手を焼く相手。上位領主達さえ無傷では勝てず、関わりたがらない。小さな領地で、猿山の大将をさせて置くのが安全だ。

 領外での単独行動は恐るるに足らず、領地拡大は不可能。だが、それなりの武力を持った領主と組まれたら非常に厄介。クリシスには誰も奴に近付かない協定を領主達が結ぶことで、地獄は均衡を保っていた。唯一つ――……例外の“第四領地”以外は。


「まったく惜しいことをした。お前は第四領と第五領の境に落ちていた」


 第四領地に悪魔は住めない。だから四……死の国だ。俺が生まれた地獄では、悪魔が治めない土地の多くは煉獄と呼ばれている。治められるものなら既に誰かが手に入れている。それが出来なかった場所が、煉獄。煉獄に落ちた魂は、己の罪を清めた後にまた何処かの下位世界へと生まれ落ちる。

 煉獄に踏み込むことが出来るのは魂を持つ者か、魂を持たない者。矛盾した言葉だが、魂が有れば留まれて……魂がなければ奪われない。つまりは、悪魔以外の土地である。

 魂を魔力に変換して生きる悪魔達は、踏み込むだけで弱体化する上、長く留まれば命が尽きる。領地不在の第四領は、治めようとしても領主は直ぐに死んでしまう美しき死の大地。


「向こう側にも、もう一匹美味そうな雄猫がいたのだが……口惜しい。せめてお前には二匹分私を満足させて貰わねば」


 領主クリシスは、弱い。法を司る魔力が厄介過ぎるだけ。純粋な戦闘能力ならその辺の雑魚にも敗北するだろう。だからクリシスはたかだか一歩でも、領地の外へは出られない。領外は、奴の法に縛られないのだ。


(まったく、死んだ片割れが羨ましい)


 境界線の向こうと此方。落ちた場所が逆ならば、俺の苦しみを味わっていたのはそいつの方だ。顔も知らないもう一匹を、俺は心底呪ったもんだ。


 城の外へは“法”により出られない俺は、窓の外――……遥か彼方に見える第四領に思いを馳せた。地獄の底にありながら、天上の楽園のよう。美しき峰々、元素が喜びを歌う。俺が求めて止まない春を見せ付ける。“あの国”を、あの男を思い出す景色。

 どれだけ求めても手に入らなかった幻影が、死して尚、俺の前に現れる。あの土地は、残酷な逃げ水だ。


(だが、あんな場所で死ねたなら。お前は幸せだっただろうな……“キルシェ”)


 窓の向こうの楽園だけが、俺には救いだったよ。あの領地で、彼は今も幸せに暮らしているんじゃないかと思えたからな。この祈りだけが、俺に残った僅かな神性。苦痛の日々の唯一の安らぎだった。

 地獄へ落ちて何年過ぎた頃だろう? 窓の向こうの楽園が、ある時姿を変えてしまった。永久の春が、他を拒む白銀に。胸騒ぎがした。第四領地は、死の大地。言葉自体は変わらない。それでも窓の風景は、二度と俺を救わなかった。


「第四領に、領主が現れただと? 何処の馬鹿だその者は!」

「へ、へぇ……それがどうにも、まだガキの悪魔で」


 クリシスの叱責に、境界警備の眷属は頭を垂れる。


「姿を、見たのか?」

「は、はいぃい! 他領との交戦で、怪我を負った奴をその……その領主自ら手当てを。天女のように美しい……見ているだけで命を吸われるような娘でした」


 戦帰りの傷付いた眷属達が、隣接する第四領地に迷い込んだ。死の大地に命を吸われ悲鳴を上げる奴らの前に、天使の如き美しき悪魔が現れた。


「くくく……“娘”か。ふん、それでお前だけが、仲間を見捨てて逃げ帰ったと言う訳か」

「ひ、ひいい! 申し訳ありません!!」


 第四公も恐ろしいが、目の前で静かな怒りを発する主も恐ろしい。目を背けた眷属は、俺の法へと視線を逃がし、直ぐに逸らして震え出す。俺を見て、奴は怯えた?


「なるほど。そいつの顔は――……そこの雌猫(フェレス)に似ていたと? くくく……ははは! そいつは面白い!! 数十年とは言え、あの領地で小悪魔が生き延びるか!? とんでもない悪魔が生まれたものだな! “フェレス”!!」

「はい。……ちっ」

「《私の前で舌打ちは禁じる》と定めたはずだが? まぁ良い、お前は私に逆らえない。器にもたっぷりと……内より私の法を刻んでやった。領外に出ようが、逃れられない。その上で命じよう」


 クリシスは何に怯えている? 俺は不審に思う。


「《神性を持つお前なら、第四領でも留まれる。第四領主を抹殺し、己の血肉とせよ》! 《我が法の下、口答えは許さん》!!」

「……解りました」





 元・旅人神を窮屈な城に閉じ込めるなんて、酷い飼い主がいたものだ。クリシスへの恨みを再確認し、俺は深呼吸。嗚呼、久々の外だ。薄気味悪い第四領地でも、外の空気は美味い。


(本当に、俺はもう“夏神”じゃないんだな……)


 宙を舞う六花。頬へと触れる冷えた風。気分が悪いと感じても、寒さを感じたことはない。あの頃の俺は強く強く燃えていたのだ。


(……惨めだな)


 それが今は一匹の……半端な猫だ。角も奪われ、本性にも戻れない。手で触れて何も燃やせず、病を広げることも出来ない。上質な魔力を生み出し、吸われて弄ばれるだけの餌。

 もしも愛した人が望んでくれたなら、心に背き女神になっても良いと思った。彼になら、愛されたいと俺は思った。

 女の身体になった今、愛されようと愛はない。愛した人は何処にもいない。いつかクリシスを殺して自由を得、数多の世界に探しに行っても――……きっと俺を愛さない。あいつは、春の女神のような女が好きなんだ。鏡を見てみろ。凍った湖を見ろ。見窄らしい猫が一匹映るだけ。


(こんなに惨めなのに――……いつまで経っても、“俺”のまま)


 死神は。何回死ねば、救われる? 殺した数だけ繰り返す? 地獄と地獄を、地獄の地獄を。何処へ行っても、何処へ消えても。救いなんてないのかもしれない。

 耳も指先も、冷たく冷えてしまっていて。唯、温かいのは胸の奥。そこだけ消えずに残った炎があった。炎は俺を苛み続ける懐かしさ。俺が夏神だった残滓。誰にぶつければ良いかも解らぬ怒りが燻る。

 力を失った無力な悪魔が抱えるには、過分な荷物だろうに。どうしたことか、消えてくれない。

 クリシスを殺せばこの炎は鎮まるだろうか。解らない。奴への恨みが増えていくのは喜ばしい。全てはこの火を消すためだ。嬉しいな。またお前を憎める。そう思わなければ、耐えられない。こうして領地の外に在ろうと、俺は自害も許されない。


(誰でも良い、誰でも良い……誰でも良いっ!!)


 この火を使わせてくれ。俺の苦しみを和らげてくれ。“もっと”おかしくなりそうだ。記憶なんかが戻った所為で。力なんかを失った所為で。

 第四領主を殺して、炎が弱まれば良い。第四領主に、領地に殺されるならそれでも良い。誰か俺を救ってくれ!


「あらあら、随分と可愛らしい領主様だこと」


 氷で足を滑らせ転倒した俺に。差し出されたのは白い手と、クスクスという笑い声。

 厚手のコートを着た女は膝を折り、じっと俺の瞳を覗き込む。この寒さで手袋もしない人間だって?


「……人間? …………じゃないなお前」


 姿形は人間だが、瞳からは魔を感じる。感じる魔力の質は、クリシスとは異なるが――……。


「人間よ? ここに居る人間を“配役”で操って踊らせているだけだもの」

「悪魔じゃねぇか」


 女の助けを借りず一人で立ち上がった俺を見て、奴は今度は腹を抱えて大笑い。


「嘘は吐いていないわ? 貴方をからかいはしたけどね。最近面変わりしたって言う、第四領を見学しようと思ったの。ぐるっと一周はしたから貴方よりは詳しいわよ、案内してあげましょうか?」

「ウェルギリウスにでもなろうって? 生娘(パルテニアス)とでも呼んでやろうかお嬢さん」

「詩人に喩えられるのは悪くないわね。でも生憎、今日の私は使者なのよ」


 俺の数歩先を勝手に歩き、着いてきているか時折振り向いてみるその女。俺が旅した何処かの国では、女の方が後ろを歩くものだったが……こいつはそういう女ではない。


(誰でも良いとは思ったが――……)


 女と話をし、俺の炎は戸惑った。簡単に殺せそうな相手なのに、隙が無い。こいつを殺してしまったら――……とんでもない者を敵に回す。取り返しの付かなくなるような、本能的な恐怖を覚える。


「その位で私は怒らないわよ? この子が壊されても、痛くもかゆくもないもの」

「……お見通しか。参ったよ」

「あらあら。ちょっとは可愛いところがあるじゃない、見た目以外も」


 人間の身体を使って動かしていると奴は言ったが、地獄に生身の人間がいるとは思えない。動かしているのは人間の魂か? そんなものまで操れる悪魔がいるのか? こいつは一体何者なんだ?


「目的地に着く前に……そろそろ本題に入ろうかしら。実はね。第五公を倒す方法、私は知っているの」

「!? ……願っても無い話だが、少々怪しいぜあんた」

「嫌ねぇ、使い魔の悪いところが移ったみたい」


 女は子供のような大人のような、不思議な笑い方をする。


「簡単な話よ。法を破るにはまず力。武力でも権力でもいいわ、強ければそれで良い。強い後ろ盾があれば良い。私はその縁を繋げることが出来る」


 女はサラサラと空中に指を走らせ文字を刻んだ。指先からは血が滲み、空間に浮かんだ文字は鏡文字。それはまるで……俺達がいる場所の外側から書き記されているかのよう。


「“    は、強力で安全な悪魔の庇護を得て、晴れて自由の身”っと。これでいいわ。でもまだ足りない。名前が必要なのよ。肩書きでも良いわ? 貴方の本質を表す名前が」

「名前――……」

「使者って言ったわよね? 実はもう、候補を貰ってきてるの。貴方が嫌じゃなければ、この名前を受け入れた時、法の楔は消滅するわ。…………信じられないって顔ね」


 女は苦笑し、また新たな文字を書きこんだ。


「“我々の、行く手を阻む雪は止み――……一時空は春を歌った。大地は二人を歓迎し、使者を此方に遣わした”」

「!?」


 一瞬にして雪山は、俺が愛した景色を取り戻す。カーネーション(Nelke)、チューリップ(Tulpe)、薔薇(Rose)、菫(Veilchen)。赤白桃に紫……足下には色とりどりの花が咲き乱れる。山道を教えるように、向こう側には黄のミモザ。香りも手触りも本物、幻術の類いではない。


「あんまり長時間やると上にバレて五月蠅いから何年かで戻るけど。これで信じて貰えたかしら?」

「……どうして俺に、協力をする? お前達悪魔は、他人のために動かないはずだ」

「一つ訂正、お前達じゃないわ。“私達”よ。だから動いたの、あいつには私達も困っていてね。利害の一致って言うのかしら。あの女もたまには良い仕事をして。夢にまで潜り込んで、あいつに名付け親なんかさせたのよ」


 本当の姿を見せない相手だが、その口ぶりからクリシス同様、領主悪魔……魔王? 今の話には、複数人の領主が出ていたようだが。


「私、今の第五公には消えて貰いたいのよ。“共に脅威を潰すため、婚姻を~”とか“圧倒的な俺の武力と、お前の特殊能力を継いだ最強の子を作ろう!! 更に地獄を盛り立てよう!!”とか脳筋馬鹿に言われたくないじゃない?」

「……見合いから逃れるために俺に協力を??」


 それは何とも“人間らしい”理由で悪魔らしくない。しかし自由を求めるそいつの姿に、共感を覚えたのも確か。或いは彼女も? だとすれば、尚のこと“悪魔らしかぬ悪魔”だろう。


「私が産む側って決め付けてるのが気色悪くてナンセンス。私達悪魔は両性だってのに」

「え??」

「え???? あ、そうね。貴方まだ子供だものね、片性か。大人の、完全体の悪魔は両性よ? どっちにもなれるし、部位だけ切り替えとかも――……」

「それは知ってる」

「あらそう? じゃあ気付いた訳ね。だから貴方がここに送り込まれたのよ」


 “双子の悪魔は、身体を分けて生まれてしまう。他の悪魔より簡単に大人になれるけど、容易に大人にはなれない”――……だって? 女の説明は矛盾している。


「片割れが死んでなかったから、俺は成長できない。あのクソ婆はもっと俺の力を奪うために、もう一匹を殺してこいって言ったのか!?」

「そういうことよ。今の貴方にピッタリね」

「何の話だ!!」

「“名前”の話よ、“ティモリア”。貴方は怒っているのではないの……嘆いているのよ」

「嘆く……? 俺が?」

「ええ。復讐は貴方の正当な権利」


 女の呼び声で、空間に刻まれる名前。先程の空欄にも同じ字が滲んで記される。それらは俺が見ている目の前で、俺に向かって飛び込んだ。ぶつかる文字が俺の身体に消えていき、あいつの魔力が……消えていく!!


「“誉れ高き第二公より授かりし名は、τιμωρία――……我らの歴史を刻む者として。悪魔ιστορίαの名をもって、ここに記そう! 愛すべき同胞《罰の悪魔》の誕生を!”」





 違和感なんて、もう消えた。

 女の身体も、角のない頭も。寝惚け眼であろうとも、鏡に映る姿が自分であると認識できる程度には。

 なのに感じる違和感は。目から流れた涙の所為だ。


(ちっ……最悪だ。エフィアルの野郎……!)


 “悪夢”を司る同僚に悪態を吐き、いつか殺すと心に誓った。あいつがいなくなれば、世の中少しはマシになる。


(しかしなんだってんだ。今更なんで、あんな夢…………)


 最近、よく見る同じ夢。あれは、悪魔ティモリアが生まれる以前の記憶。

 あれから俺はイストリアの導きにより、カタストロフの庇護を得て――……クリシスを滅ぼし第五領を継ぐ。

 新たな名を手に入れて、俺の姿も随分変わった。獣のような姿から、人型に近い姿になった。人と異なる特徴は、背の片翼に尻尾……獣耳から変わった頭の蝙蝠羽。

 鳥でも獣でもない蝙蝠羽は、位の高い悪魔の証。成長すれば、この羽が角へと育つらしい。

 クリシスに奪われた角は、奴を殺しても取り戻せなかった。あいつが死ねば消滅するようよう《法で縛られていた》ためだ。俺は奴の命乞いに耳を貸さず、己の角を諦めた。

 大人になれば頭羽は立派な角に変化するという話だが、当時のイストリアは角と頭羽のどちらも持った奇妙な悪魔だった。人間で言う境界人に近いのだろう。

 そんな古き同僚――……最後に見た姿は。長かった彼女の髪は切られ肩まで短くなり、立派な角は折られてしまった。かつての俺の耳のように、代わりに生えたのはもう一対の頭羽。

 『海神の歌姫』の変以降、イストリアとの交流は殆ど絶っていた。

 奴に近付けば地獄の最上位権力者……第一領主の逆鱗に触れる。死にたくないから誰も彼女に会わない。


(あの頃の俺みたいなもんか……)


 “悪魔”に染まった俺ですら、僅かな罪悪感はある。


(トリアは俺の――……)


 同僚連中では唯一の、友人だったかもしれない。“人間的な感情”を持つ彼女は、俺の裏切りに傷付いたに決まっている。


(いや、あいつも悪魔だ。あんな“一瞬の気まぐれ”…………あいつもきっと、忘れてしまった。俺だって…………忘れていたんだ。お前の角が、折られるまでは)


 長い時を生き、俺は悪魔になってしまった。忌み名ではない、身も心も悪魔になった。忘れて当然だ。あれは、俺がまだ“神”だった頃の記憶だ。名付けられる前の俺の記憶だ。悪魔ティモリア様の歴史には存在しない。


(…………イストリア)


 夢のように、遠い記憶だ。寝ぼけたままだからか、夢見心地の方が忘れた記憶に触れられる。

 彼女との出会い。一応、俺は助けられた側だ。領地と自由を得たものの、返せる物が無い俺に。あいつは「時々茶でも飲みに来なさい、面白い土産話と一緒に」なんて笑って答えた。

 当時を思い出そうとすれば、真っ先に黄色の花を思い出す。俺にもあいつにもない色なのに、変だよな。だけど、そよいだ風に運ばれる、細やかな甘さ。他にも山程、綺麗な花も……強い香りもあったのに。思い出すのはミモザの香り。


「さっさと帰れ。今更どの面下げて会いに行けって?」

「そう仰らずに。危害は加えません。約束します。ただ俺の主は第五公に“暇だから茶に付き合え”と申しております」

「お断りだ。眠いんだよ、俺様早朝まで稼いでたからな」


 仕事の後は眠い。魔力を得るためなら何でもするのが俺様のモットー。かつて角を失った分、俺の方がエングリマより弱いのだ。力の差を埋めるために、俺は仕事のえり好みはしない。身体だろうが心だろうが契約者にくれてやり、俺で魅了しそれ以上を巻き上げる。

神性なんかで悪魔は飯を食えない。同僚の中で真面目に働いてるの、俺くらいじゃないのか?


(いや、もう一人いたか)


 朝から決して見たくない、第六公と同じ顔。見るだけで不快な派遣使い魔が、イストリアの所からやって来た。


「丁度良い花も咲いたのですよ。世話は俺に任せきりですが。今だと丁度、黄色のミモザが綺麗です」

「…………ちっ、一杯だけだからな」


 寝台から重い腰を上げ、床を踏んだところ……俺の足下は輝きだした。あの日のように? いや違う。支度をする間も惜しむよう、約束を反故にされぬよう? この使い魔が移動魔法を組んだのだ!


「おいてめぇ! 寝起きだぞ俺!? 身支度とかっ、俺だって手土産くらいは――……」

「いえいえ、お気になさらず。一瞬で着きますよー!」





 物語の悪魔として思うことがある。

 私の同僚で言うならば、道化とは第六公のことであろう。他者に侮られ見下されようと、彼は一番美味しいところを持っていく。

 道化とは、笑われる価値のある者を言う。奴は謙りながら、内心ではそれ以上に全てを馬鹿にし笑っているのだ。魔王の末端と呼ぶのも憚れる小物であるが、本来の意味で……誰より悪魔的な領主。


 で、あるならば。『高飛車なピエロ』とは何なのか。

 多くの嘘を振り撒いて、仮面を纏った役者。笑わせれば笑わせるほど、彼の正気はすり減り消えていく。本当の意味で、彼は道化になり得ない。彼は哀れな狂人である。

 彼は結局、何一つ手に入れることは出来なかったのだから。


 しかし、傍観する者からすれば惨めな彼は確かに。非情によくできた滑稽な“道化”である。それを笑えなくなったのは、視る側が。私が変わってしまったと言うことなのだろう。


(道化と言えば――……)


 私は、戻った使い魔をチラリと眺める。いけ好かない同僚とよく似た風貌だが、まだ此方の方が誠意がある。否、違うのは“時間”だ。

 時とは鎖のようなもの。違う場所で違う者と過ごした存在は、同一人物であろうとも……もはや別人。別人格、仮面と言い換えても良いだろう。


「お帰り使い魔。一つ良いかしら? ああ、その子を運びながらで良いわ。そのまま聴きなさい」

「はぁ、解りました。……で、どうしましたお嬢様?」

「ティモリアを連れてきた駄賃に教えてあげる、私はお前の名を知っているのよ」

「それの何処が、ご褒美なんですか」


 朗報を伝えてやるも、使い魔は心底呆れた様子で答える。


「無名のまま送り込まれた俺に、貴方は用意していた名前があった。“いつでも本にして殺せる”って脅しですか?」

「まさか! “お前は私を裏切れない”と言ったのよ」


 伝わるだろうか。解るだろう。人間なんかとは違う。もっと永い時間を生きた私達は。

 お前は既に、私を一度裏切った。私は使い魔を操るための本を、『海神の歌姫』の時点で用意していなかった。それ以降、私がそれらしき本を書いていることを“使い魔は見ていない”。間者のこいつに見つけられないとは、つまりそんな本は存在しないと言うこと。

 信頼してあげるから、その信頼を裏切るんじゃないわよ。これはそういう鎖なの。


「そうですか」


 背中しか見えないが、使い魔は照れているよう。声で解る、上機嫌。回り込んで顔を見ても、貴方は見せてくれないでしょうけど。私はそれを知っているのよ。

 私も小さく笑ったところで丁度、部屋の前。扉を前に、客人を担いだ使い魔が足を止める。


「ですが……お嬢様は、知りませんね」

「な、何よ?」

「少々妬けますね? 俺より先に名を貰っていた悪魔がいたなんて」


 この使い魔は、私の使用人かつ監視役で公認スパイ。最弱の魔王、第六公は手足として己の眷属を数多の世界に送り込む。彼等は主に似て揃いも揃って胡散臭い不審者だが、非情に有能であり重宝される。媚び諂い、雑用を引き受けつつ、第六公の目と耳としてよく働く。

 厄介なクリシスが消え勢力図は変化したが、第六領主はどの魔王が相手でも正面からは決して勝てないままだった。念入りに計画を立てた上で、どうにか出来るのが双子の悪魔くらいか。それさえ恐ろしい保護者のために上手くはいかない。

 組もうと私に近寄って来たのは奴からだったか。


「私が付けたんじゃないわ。それに……あんた、その子の記憶に“介入”したの?」

「不可抗力です。移動中に暴れられまして、無理矢理眠って頂きました」


 その気になれば第一領主にもなれる私が、第七領主――……名目上の末席に甘んじているのは、権力争いに興味が無いため。眷属ではなく自身の分身を送り込むというのは、私を味方に付けるためだ。本体が消えれば分身も……あの使い魔も消えてなくなる。

 使い魔に対する情を芽生えさせ、第六公を少なくとも“敗北させない保証”を得ようとした。

 それが解っていたから私は、使い魔に名を授けなかった。永い時間を同じ屋敷で過ごしても、私は彼を“使い魔”と呼ぶ。巫山戯た態度のこの男も、私を滅多に名では呼ばない。


「ご注意下さい、“イストリア”様。今の貴方は、誰かを救えるほどの力は無い」

「馬鹿言わないで。私が何時、誰かのために動いたですって? 私はいつだって、私のためにしか動かないわ!」

「それはなんともご立派で。大層“悪魔”らしいですよお嬢様」





 俺がクリシスに仕えた期間は、時間で言えばとても短い。百年にも満たなかったと思う。ほんの数十年、俺達の歴史で言えば、一瞬だ。記録の上では、俺は“一瞬”で第二領主(カタストロフ)に救出されたことになっている。

 だけど生憎俺は、神だった。……季節神だった感覚が抜けない。司る一年の四分の一。追われ逃げ、三ヶ月を繰り返す永遠。それが俺の全てだ。悪魔の感覚が身につくまで、想像を絶する地獄だった。体感時間は何万年にも及ぶ。

 餌として可愛がられ搾取された俺は、“一瞬”が過ぎ去る頃には悪魔の考え方に染まっていた。


(生温いぜ“生娘”ちゃんよ! 片割れは殺す! 後ろ盾なんかすぐに捨ててやる! 俺の力でクリシスをぶっ殺す!! 利用できるもんは何でも利用してやる、“俺”のために!!)


 悪魔らしさこそ、地獄で生き延びる術なのに。どうしてお前達は、“そう”じゃない?


「だからっ……いい加減っ、くたばれぇえええ!!」

「きゃっ! な、何するんです!? 危ないですよ?」

「今すぐその薄気味悪い口調をやめろ!! ふざけてんのか!?」

「え? 私のこと、知ってるんですか?」


 第四領地の山の上。再会した片割れは、多少の変化こそあれど――……俺がよく知る“悪魔”だった。風貌の変わった俺とは違う。髪色は生前のまま、魂もあの頃と同じ冷えた冬の色。見間違えるはずがない。俺を殺した相手のことを!


「俺様の面を忘れたって!? 冬の悪魔(ヒエムス)、何を巫山戯たことを――……!」

「凄い……ほんとに私の名前! もしかして貴方――……“あの人”ですか!?」


 嬉しそうに抱きついてくる? あの冬の悪魔が?

 凍らせられると身構えたが、何も起こらない。俺の目をじっと覗き込んでから――……悲しそうに微笑む悪魔が見えるだけ。


「違う……あの人じゃない」


 寂しげな呟きは、俺の心に重なった。お前は、誰だ? 同じ魂をしているのに、お前じゃない。そもそも、悪魔の癖にどうして魂が残っている? だから煉獄に居られるのか? まだお前は俺と違って……“神”でいられるのか? 地獄に生まれ変わっても、まだ神様面してやがるのか!?

 俺と違って、何の苦しみも知らずに――……お綺麗な場所で目覚めて、滅ぼして!!

 変わったのは俺だけだってお前は言うのか!?


「…………ぶっ殺すっ!!」





 書斎のソファーに、気を失った子悪魔を置く。頬を何度か突いてみるが小さく唸るだけだった。


「もう。強引に攫ってくるなんて、何処かの道化に感化されすぎじゃない? こっちは急いでるのに! 気絶させちゃうなんて……余計に時間が掛かるじゃないの」

「ははは、面目ない……すみませんお嬢様」


 私は客人を肩を揺する。やはりうなり声以上の反応はない。同僚を操ることは呪いによって禁じられている。今や、容易に起こすこともままならない。

 使い魔が召喚ゲートで強引に攫って来た、見た目は美少女の第五公。服装に乱れが見える。まさか寝起きという訳でもあるまい。“仕事中”だったのだろう。

 眠りは浅いが、夢に囚われている様子。長引けば厄介な同僚に気付かれる。仕方ないと、私は子悪魔の身体に手を這わせた。


「ティモリア起きてー! 起きなきゃお姉さんが部位増設して弄ぶわよー、起きなさいー!」

「……ぎゃっっ!?」

「あら、起きた」

「人のトラウマ使って起こすな……ったく、何の用だよ」

「悪いわね。忙しいところ喚んでしまって」


 第五領主ティモリア。見目麗しい罰の悪魔は、はだけた胸元もそのままに腕組みをする。蠱惑的な肉体に反し、随分と男らしい。この子は“仕事中”は魔力を喰らう為ならと、外見通りの振る舞いをもする涙ぐましい悪魔である。上へ這い上がるためなら手段を選ばない。


「お前の所の使い魔は礼儀がなってねぇ。一回俺に貸してみろ。飼い慣らしやすいよう調教してやるよ」

「それは悪くない話だけれど、あいつもまだ病み上がりなのよ。今回は私に免じて大目に見てあげて」

「ちっ……俺様も暇じゃねぇんだ。手短にしろ。上に隠れて俺様を誘うなんて、何の悪巧みだ?」

「嫌ね、とっても素敵な話よモリア。この話を聞かずにここを去ったなら、エングリマが勝つ未来が来るわ」


 こんな態度のティモリアも、上位領主らを敵に回すは怖いらしい。当然か。下位領主である彼女……いいえ“彼”では真っ向勝負、綿密な計画や小細工でも太刀打ち出来ない。私の話を聞かずに立ち去るならば、彼はそう遠くない未来に滅びる。

 私の予言めいた言葉に不快感を示しながら、第五領主はソファーへドカッと腰を下ろした。


「そいつは、随分な“悪巧み”だな……トリア?」


 私と第五領主ティモリアは、そう不仲ではない。立場上敵対することはあれど、趣味も近く個人的には好きな部類。悪魔の本質として、私はひねくれ者だ。逆張り好みから、肩入れするのは下位領主側。私は出世に興味が無く、彼が第一領主になるというのなら恩を売るのも悪くない。私の害にならないことを誓ってくれるのなら、私は第五か第六領主が地獄を治めてくれて構わないのだ。


(そして何より。私は――……“この子”を知っている)


 変わってしまったエングリマより、変われずにいるティモリアに同情するのは仕方の無いこと。


「話すより、これを見てもらった方が早いかしらね。はい、栞を挟んでおいたからその辺ざっくり読んでみて」


 私はまだ白紙の残る『高飛車なピエロ』の本を、ティモリアへと差し出した。本へと目を落とした彼の手は、いつしか小刻みに震え出す。


「っ……!?」


 紅茶で喉を潤す私の前で――……まだまだ幼い悪魔は言葉を失っていた。それでも鮮血色の瞳は輝きを失わずにいる。闘争を求める者の目だ。


「“メフィストフェレス”――……契約者との縁で見つけた世界だけれど……良い名前よね」


 その名を聞いて、彼は驚いた。自分の過去を知らない遥か未来の人間が、俺の過去を塗り替える。一時の呪いを、切り分けて――……片割れの方に押しやった。

 呼び名一つに過ぎないが、ファウストは叶えていた。悪魔としてのあの二人の始まりを、入れ換え置き換え“メフィス”と呼んだ。



「懐かしいな…………今日のお前も“使者”か」


 彼の呟きに、私は目を丸くする。彼が思い出した”ことに、少し嬉しさもある。


「ふふっ……ええ、そうよ。私は貴方の過去の名と、未来の名を知っている。私は貴方がその名を失わなければ善いと思うわ」

「そうか…………だが、正気かトリア。こいつは色んな意味で、クソやばい。上に知られたら、お前どころか俺様まで消されるっ!」

「上にも覗けやしないわよ。私の領地は特別製だし封印もされている。第六公の力でね。見ようと思って覗けるのはあの変態くらいよ」

「あの使い魔っ、……あいつは信用できんのか? 前科があるだろ」

「下位のあんたに利することは、下位である……あいつの主にも利すること。そもそも、あんた達双子の戦いに、私達領主は関与できない。あの女さえもね。それだけあんた達の後ろ盾は、“恐ろしい男”なのよ」


 そんな男が目覚められないことを、知っているのは私だけ。見ていても使い魔には解るはずがない。たかだか一匹二匹の人間のため、強大な悪魔が囚われてしまうなんて愚かなことが、存在するなど信じない。数多の世界を見てきた私でなければ理解できない感情だ。


(あいつ……“歌姫”なんかの死に、随分と落ち込んでるようじゃない。双子が呼びかけたって――……今回ばかりは、起こせない)


 深く眠っている第二公。『終末のカタストロフ』の世界で彼の心は砕けた。大きな悲しみの内、夢の中で眠っている。心身の傷が癒えるまで容易に目覚めることはない。仕掛けるなら今が好機。

 万が一、双子の悪魔の殺し合いを知ってもカタストロフは目覚めない。結末を見届けるまで今の夢からは目覚められない。愛とはそんな、愚行に繋がる感情なのである。


「余裕って面だな。トリアは、カタストロフが怖くねぇってか?」

「あら。私をこんな境遇にしたのは、彼の存在が大きいでしょう?」


 私を弱らせて閉じ込めて、お前達は私の爪も牙も抜いたつもりなのだろうが、私――……歴史と物語の悪魔はそこまで弱くない。直接操る術を奪われようと、こうして間接的に同僚達を動かし未来を変えることは出来る。


「だから私は期待している。あの子は過去と因果、貴方は未来と応報。どちらを残すかなんてわかりきったことじゃない」

「……俺に恩を売って、過去でも変えさせる気か?」

「…………え?」

「いや、ほら……全員の封印を解くより、それ自体を潰す。その方が楽だって事だろ?」


 ティモリアの言葉に、私は何を思ったのだろう。取引の確認に過ぎない彼の言葉が、どうしてか胸の中で大きく響く。

 考え込んだ私を余所に、ティモリアは珍しく照れていた。あら可愛い。この子も大概、他人が好きよね。孤独を強いられていた神様ならではの感傷だろうか?


「まぁ、悪くねぇ。どいつもこいつも、あいつを恐れて俺達には肩入れしなかった。動いたのはお前だけ……」


 ティモリアは向かいの席から私の隣に飛んで来る。それから思い切り私の肩をバンバン叩いて笑う。


「愛してるぜトリア、俺様が第一領主になったら妾くらいにはしてやる!」


 本当に上機嫌だこと。色っぽい言葉と態度の違いから、冗談だろうとすぐに気付いた。


(そうか、この子は)


 悪魔になって、彼は幸せになれたのだ。こんな風に手で触れても、燃やして殺すことはない。子供のような横顔に、思わず私の顔もほころんだ。


「はいはい、その時はお茶飲むくらいなら付き合ってあげるわ。男の姿の方が、あんたの好みかしら?」

「おい、どうしてそうなる?」

「最悪で良い男から、良い名前を貰ったわね」

「おい、待て。誤解だ。俺はあんな男、まだ会ったこともないだろ!? ……俺様のことだ、魔力のために頑張ってるだけでこれっぽっちも興味なんてあるわけが……っ」

「だってあんたいっつも、惚れた女がいる男に引っかかるじゃない? 毎回男で破滅してるんだもの、早く完全体になりなさいね」

「うぐっ……」


 難儀なことで。本の背を羽ペンで撫でた後、私は彼の額を羽でなぞった。彼がまだ読み終えていない箇所も含め……本の内容を全て、言葉ではなく記憶としてティモリアへと流し込んだのだ。それから“権限”も。


「トリア、今何を……?」

「あんたがこの本に出入りできるようにしたわ。それこそ好きな“時代”にね。私はあいつと違って閉じ込めたりしないから安心なさい」


 私は一つの世界を、一冊の本に閉じ込められる。私は契約相手が死ぬ……或いは滅ぶまで、その世界を観察出来る。完成した本は脚本となり、登場人物達の人生を感情を追体験できるため、悪魔たちには好評だ。契約相手、餌である人間の心理を理解するにも役立つし、大いなる暇潰しにもなる。未完の本はそんな配役遊びが出来ない代わりに、私は登場人物達を操ることも可能だ。唯、自然な成り行きを見守る方が面白いので基本的には放置する。けれども、今回は事情が異なる。


(エングリマの敗北を、私が保証する)


 噛み切った指先より流れる血を、インク壺へと落とす。骨色の羽ペンで掬い上げ、白紙のページを開く。


「…………考えたな、トリア」

「ほほほ、私は“同僚”を操ることを禁じられているだけですもの、おほほほほ!」


 双子の悪魔には過去があり、未来があり……別の“名前”や“存在”がある。それを知らない同僚共の裏を掻いてやったのだ。


「だが、そいつは待て。……俺様は勝つ。だから別のことを書いてくれ」


 律儀な男。宿敵との勝負自体には、水を差されたくないらしい。ティモリアは、勝利の約束ではなく不思議なことを私に願った。

 真剣な眼差しに負け、渋々私が書きこんだのをみて、ティモリアは本の中へと姿を消した。


「…………もう入って良いわよ、使い魔」


 彼が消えたところで、私は使い魔を室内へと招く。彼は客人への茶を用意していたが、ティモリアが戻って来るまでにそれは冷えていることだろう。私は空のカップを差し出した。


「第五公も奇妙な方ですね。あの場で博打を打たれるとは」

「本当に地獄耳ね、あんたは」

「いえいえ、褒めているんですよ俺は。下位領主に必要なのは計画性と酔狂さ……博打ですからね」

「それは私も含んでるのかしら?」

「は、ははは。それで何と書いたんですか?」

「あの子、ああ見えて……まだまだ“神様”が抜けてないのよ。可愛いじゃない?」


 白紙が続く本の、最後のページ。そこに彼が願った言葉はとても短い。“ever after”、これだけだ。誰にとってのめでたしめでたしか。決めることを退けられた。私が与えた情報で、“十分だ”と彼は言ったのだ。


来た見た(Veni, vidi)勝った(, vici)とでも言うつもりかしらね」

賽は投げ(Alea jacta)られた( est)の方では?」





「昔の俺は、随分と可愛かったな。そうは思わないか? なぁ、おっさん?」


 新たな名は、俺に多くを与えた。地位と力、後ろ盾と自由。歪で拙いが、汚れのない愛情。信仰とも違う繋がり。


(どうして俺に、そんな名前を付けたんだ?)


 長い髪、立派な角。それからおまけに猫の耳。過去と未来を取り戻した、完全体の悪魔の姿で“メフィス”は笑う。


「俺、ここまで来られるようになったんだぜ。ちょっとの間だけだけどな。今ならあんたの寝首を掻ける」


 “猫”を救った育て親、第二領主は目覚めない。此処は終末の悪魔カタストロフが眠る部屋。夢と現を治める上位領主の夢の領地に、下位領主は関与できない。

 呆れてしまう。過去へと飛んで飛び出た場所が、よりにもよってこの場所か。“メフィス”は大きな大きな溜め息一つ。


「なぁ、カタストロフ。お前の見ている悪夢を俺も知ってるよ。大事な奴の死は辛い……おまけに俺が惚れた奴はいつも、他の女に夢中なんだ」


 眠り続ける悪魔に口付けるが、お伽話のようにはいかない。終末の悪魔は目覚めない。それが彼の選択だった。


「でも……あんたはもう“静止画”だ。……ほらな、何も感じない」


 偉大な悪魔。密かに想った相手を過去にする。先に俺達を捨てたのはこの男。第二領主が歌姫を選んだことで、双子の悪魔の時は進んだ。お前を悦ばせるための家族ごっこも、きょうだいごっこももう終わり。


「起きなくて良いのかカタストロフ。あんたの力を手に入れたら、俺はエングリマを殺すのに?」


 起きて戦えば良い。俺を退ければ良い。最も強い悪魔カタストロフはこれまでのように、双子の殺し合いを止めることも、自身の命を守ることも選べない。

 終末の悪魔が目覚めれば、夢見た世界は滅びてしまう。ちっぽけな下位世界で……壊せないほど何かを愛してしまったのだ。家族のような俺達以上に、誰かを愛した。


「名前の礼だ。俺を助けた報いを受けろ。あんたはもう、この地獄に戻れない。そこがお前の、最後の“夢”だ」


 第四領主エングリマ、冬の悪魔を殺すため。確実な勝利のため。二度同じ悪魔を手に掛ける。抵抗もなくすんなりと、男は死を受け容れた。

 愛には応えられない癖に、殺されてやれる程度には愛していたと言わんばかりに。

 夏の悪魔は死神だ。口付け一つで命を奪う。眠る悪魔の体温は、上がって上がって……冷えて途切れた。


「おやすみカタストロフ。その夢が終わるまで――……誰一人、あんたの永い眠りに気付かない」



仕事が終わった後にコツコツ頑張りました。なかなかまとめられなくて苦労しました。

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