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2:仕立て屋の姉弟

 「お姉ちゃん……?」

 「うるさい、うるさいっ!」

 「あのさ、何かあった?」

 「ほっといて!」


 *


(リスト通り、配達してくれたんだろうけど……何かあったのかな?)


 その日はげっそりした顔で、やけに帰宅が遅かった姉。彼女は酷く不機嫌だった。帰宅早々一人で部屋に籠もってしまうし、悩み事の相談も出来ないと、少年は居間でひっそり溜息を吐く。両親はまだ帰らない。もう仕事が終わっていいはずの時間なのに。冷えた夕食が並んだテーブルをじっと見つめる。近頃は、頑張って作っても……温かい内に皆で食べられた試しがない。


 「父さん達遅いな……」


 家は仕立て屋。姉弟の仕事は家の手伝い。それでも仕事はそれぞれ異なる。

 母は店の接客、父は仕入れや出荷に向かう。病気がちで体力がない少年は、自宅である工房での留守番と洋服作りの手伝い。少年の姉は店で作った服を着て、近場へ配達や買い出しに行く宣伝係で看板娘。両親や姉が留守の間はお針子達がいるから寂しくないが、彼女たちも帰ってしまうと工房の中は何だか怖い。昼間は人がいて明るい分、その差が心に凍みるのだ。


(ロンドさんに怖い話聞かせられたし)


 僕は女の子じゃないから攫わないはず。攫ったって面白くないよ。そう言ったのにロンドさんったら僕を怖がらせるんだ。


 「ひひひ、ファイデ君。世の中にはねぇ変態って言う生き物が居るんだから気をつけないと」

 「僕、笑ってません!」

 「そうかなぁ、怖がってるの隠そうとして口元笑ってない?」

 「わ、笑ってないですってば!」

 「そんな顔しちゃって、もう!お姉さんがそのピエロだったら攫っちゃうわよ、なんちゃって」

 「ルベカちゃん、女将さんがお店に来てソルディちゃんの配達手伝ってだってー!今日はそれ終わったらもう上がって良いからって」

 「よっし!それじゃまたねファイデ君。ちゃんと戸締まりするのよ?世の中変態多いんだから。ちゃんとカーテン閉めないと、そこのショーウィンドウから君を見ている影があるかもねぇ、ふふふ」

 「そ、そういうこと言うの止めて下さいよ。き、気にしないようにしてもそんなの言われたら気になって……」


 お針子の一人に聞かせられた話を思い出し、少年はぶるぶる身震い。もう工房の鍵を掛けていいだろうか?鍵を閉めるにはショーウィンドウの前を通らなければならない。カーテンは閉めているが、そこに誰かの影があったらどうしよう。震える足で少年は、ゆっくり慎重に扉に近付く。


 「あれ?もう掛かってる」


 見ればもう扉は施錠されている。姉が帰宅したときに掛けたのか。

 それなら今日はもう、両親は帰らないと言うことだろうか?店に出向いた姉は、何か知っているかも知れないと、少年は姉の部屋まで行ってみる。それでもどうやって開けて貰おう。暫し考え込んだ後一度食卓と工房へと戻り……少年は夕飯と秘密兵器を運ぶことにした。


 「ソルディ姉ちゃん、夕飯は?」

 「いらない」

 「スープくらいは」


 いらないと、再び声が帰ってきた。その直後、ぎゅるると空腹を知らせる音が鳴る。その後すぐに、恥ずかしそうに小さな声。今度は違うことを言う。


 「……寄越せ」

 「うん」


 部屋から出たくないのだろう。それでもがちゃっと鍵が開く。お盆を持って入室すると、寝台の中、蹲った姉が見える。風邪でも引いているのだろうか?随分と顔色が悪い。


 「ロンドさんと喧嘩でもした?それともファウストさん?」


 まさか顧客相手に問題を起こしたわけはないだろうが、友人であるお針子二人とは、しょっちゅう姉は言い争って喧嘩をしている。夢見がちでおっとりしているファウストをきつい物言いで泣かせたり、ロンドとはよく分からないが些細なことで啀み合う。それでも一緒に配達に行くことも度々あり、その度に二人を途中まで送っていくのだからそれなりには大切に思っているのだろう。もし喧嘩なら、たまには折れてやればいいのでは。そう提案するも、姉にギロリと睨まれてしまう。


 「ファイデには関係ないでしょ」

 「それはそうかもしれないけど」


 そう言われれば、少年には返す言葉もない。黙り込んだ姉を前に、どうしたものかと考え込んだ。すると、姉の方から此方に向かって話を振って来る。


 「……ファイデ、あんた今日ロンドから変なこと聞かなかった?」

 「え、ああ……高飛車ピエロの噂、だったっけ?」


 そう。それこそ自分が姉に相談したかったことなのだ。だけど不機嫌な姉を相手にこんな話をしたらますます怒られそうで言い出せなかった。


 「あんた、あんな馬鹿な話信じてんの?」


 折角話した噂話もこうして一蹴されてしまうのだ。これじゃロンドさんとは衝突もするだろうなと少年は苦笑する。


 「い、いや……信じてはいないけど、何だか怖いよね」

 「……ああいうのは怖がるのが一番駄目なの」

 「え?」


 いつもならこういう噂を一蹴してくれる姉が、今回は妙なことを言う。少年は驚き姉を見つめた。


 「実際そういうものがいなくても、怖がるって事は居るかもしれないって思うこと。それでありもしないものを見たり聞いたりしちゃうわけ」


 それは説得力があったけど、姉の顔を見ているとそれが強がりにしか思えない。姉の顔は真っ青だったのだ。


 「お店で聞いたけど、父さん出張先で帰りの馬車がトラブルに巻き込まれて今日は帰れそうにないんだって。でも何時帰るか解らないし、母さんは店の方で待機しなきゃいけなくなって……」

 「そっか。帰りに何かあったんだ」


 姉は工房である家と店舗を行き来して、材料を運んだり買い出しを行うことが常。少年はと言うと工房で作業に当たる傍ら、こうして家事をこなしている。二人の役割分担がそうなったのは、弟は手先が器用、姉は不器用ということもあるが、体力の差も関係している。

 身体の弱い自分が姉と同じ仕事をすれば、すぐに風邪を引いて倒れてしまう。お針子が噂を教えてくれたのは、外に出ないようにと気を使ってくれたのかも知れない。夏も間もなくもう終わる。冷え込めばすぐに風邪が流行って来るだろう。


 「そゆこと。馬車が壊れたとかそんなんみたいね。あんたの方は?」

 「あ、新作の秋物なんだけど。どうかな……刺繍とか頑張ったんだ」


 こっそり背中に隠していた秘密兵器。今日仕上げた服を見せれば、沈んでいた姉もいつもの明るさを取り戻す。


 「へぇ!いいじゃない!明るさを抑えた生地でありながら、刺繍の糸は白で統一。派手すぎず地味すぎず……偉そうでもなく情けなくもなくそこそこ可愛いわこのエプロンドレス!エプロンの下から見えるスカートに刺繍が残って見える長さなのも良いわね」

 「ロンドさんは、子供っぽすぎるって笑ってたけど」

 「でしょうね。ファウストは?」

 「デザインは好きだけど、色柄はもうちょっと欲しかったって」

 「解ってないわね。これ普段着にも使えるし、内側に明るい白いブラウスとパニエでも入れればよそ行きにも使えそうで合理的なのに」

 「それじゃ、姉ちゃんにあげるよ。それでまた宣伝してきて」


 商品はオーダーメイドな所もある。デザインの見本として見せて回れば、あれと同じデザインで違う色をというオーダーも来る。元々この服は姉に似合うと思って作ったのだ。

 そろそろ寒くなる。外を回る姉が風邪を引かぬよう厚手の生地で作っている。気に入って貰えて何よりだと、少年はほっと胸をなで下ろした。


 「ねぇファイデ」

 「何?」


 姉は何時も通りになったはず。少なくとも機嫌は良くなった。それなのに何故か再び微妙な空気。その理由を考えると……宣伝。それが姉にとって、外に出ることを示唆する言葉に聞こえたから?


(何か、外で嫌なことがあったのは間違いないみたいだ)


 それが何なのか解らない。その上姉には話す気がないらしい。どうすれば励ませるのか解らない。困ったなと少年が唸ったところで、姉が初めて頼るような目を向けてきていた。


 「あんたが怖くてどうしようもないって言うんなら、一緒に……」

 「お姉ちゃん?」

 「な、何でもない!やっぱ何でもないから!」


 一瞬縋るような色が見て取れた姉の瞳。それがすぐに嘘に隠される。お姉ちゃん面をする彼女は、自分を前に弱音を吐いたり出来ない人間なのだ。もし自分が弟でなければ、もっと自然に頼って貰えたのだろうか。そう思うと少年は、自分が情けなく思えた。


(僕は何時も助けて貰ってばかりなのに)


 自分は何も返せていない。そう思うとやはり悲しい。


 「お姉ちゃん」

 「着替えるんだから早く出て行って!デリカシーないわね!」


 枕を思い切り顔面にぶつけられ、退室を余儀なくされた少年は仕方なしに部屋を出る。それでも最後に聞いておくことがあった。


 「あのさ、明日の朝は何食べたい?」


 頼って貰えないならせめて、気を紛らわせるようなこと。そういう風に癒すことで力になれないか。何も気付かぬふりで馬鹿みたいに笑って聞いてみた。


(僕まで沈んでいられないよね)


 立ち去る前に振り返った先。寝台に突っ伏した姉はそれでもリクエストを投げてくる。


 「ふわっふわの……オムライス。あとパンケーキの生クリームフルーツ添え。ぱさぱさしてたら怒るから」

 「うん。解った!お休み」


 明日の約束。何気ない言葉だけど、とても安心できる。何も替わらない明日がそこにあるって信じられるから。


(あんなの嘘だ。道化師なんているわけがない)


 明日になれば両親が帰る。姉もきっと立ち直る。今日一日眠って終わってしまえば、怖いことも嫌なことも消えて無くなる。きっとそうだ。そうに違いない。そう思うと今度は明日が待ち遠しくて眠れない。

 寝台の中ごろごろ寝返りを打つ内、姉が服を喜んでくれた事を思い出す。どうせ眠れないならまた何か作ろうか。ちょっとしたものなら一晩あれば。あの服に似合うような白いリボンに刺繍でも。


(うん、それがいい!姉ちゃんきっと吃驚する!)


 少年が自室から工房に向かうには、姉の部屋の前を通らなければならない。眠っているところを起こしてはいけないと、灯りも点けずに息を殺して廊下を進んだ。


(え……?)


 通りかかった姉の部屋の前。扉の前に立つと、風を感じる。まさか窓が開いている?こんな夜中に?


(人の、話し声!?)


 姉の声ではない。だけではない。知らない人の声がする。男の声だ。でも父の声ではない。ひやっと背筋が寒くなったと同時に、居間から柱時計が鳴り騒ぐ。それからボーンボーンと十二回だけ時計は鳴った。今は十二時。こんな時間に現れる人間がいるとしたらそれは泥棒?


(それとも)


 思い出したのは、昼間に聞いた噂話。詳細を思い出す前に、微かに聞こえるヴァイオリンの音色。うちは仕立て屋。楽器なんてあるはずもない。

 そうだ!噂の道化師は、ヴァイオリン弾き。そこに気付けば一瞬にして血の気が凍る。まるで、誰かの冷たい手に心臓を掴まれたみたいに。

歌なら数フレーズで終わるのに、小説にすると過程が長くなるのは何故なんだ。

まだ道化師以外誰も死んでいないなんて。

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