26:穏やかな強盗
世界がぐるりと反転した。それだけで、何もかもがなくなった。
見えたのは足だった。ブラブラ揺れる、足だった。人混みを掻き分け、押され倒され……這って進んで見えたのは。遠くで響いた晩鐘が、頭の中で谺する。その頃にはもう広場には、一人しか残っていなかった。生きて居る者はそう。自分一人だけだった。
「可哀想に」
吊られた囚人を見上げ続けた少年に、声を掛けたのは奇妙な出で立ちの子供。線の細い肢体と透き通る青い瞳が印象的な化け物だ。彼女の頭と背には蝙蝠に似た羽があった。
「何を、して……いるんだ」
「この子を回収しているんだよ。この子は死を招くから、なるべく早く回収しないといけないの」
美しい少女は処刑場の土を掘る。彼女がおいでと呼びかけると、それらは自ら土から顔を出し……彼女の手に収まった。
「この土地には多くの罪がある。ずっと根を張らせていると、この子達は強い力を持ってしまう。悲鳴一つで何人死なせてしまうか。そうなったら大変だ」
「どうして僕に、そんな話を?」
「君はそれを聞く権利があるから。この子は君の“血”を分けた兄弟なんだから。一応確認しているの。この子を連れて行ってしまって良い? って。この子の血縁はもう、君だけでしょう?」
少女が掌を此方へ向ける。白い掌には、小さな小人が乗っている。それは頭から葉を生やした醜い顔で、何やらキィキィ喚いている。
「そいつが、僕の兄弟?」
「そう。君のお父さんが死んだ時に生まれたマンドラゴラ。この子は私の眷属に分類される生き物だけど、君にはこの子を引き取る権利がある。この子は人ではないけれど、一人ぼっちの君から兄弟を取り上げるのはちょっと心苦しい。君がこの子を家族として迎え入れるというならば、この子を連れて行くのはやめようと思うの。どうする?」
美しい化け物が、おぞましい化け物を差し出し問いかける。
「大事に育てれば、未来を教えてくれる良い子だよ」
「未来が解っても、何にもならない」
化け物達から顔を背けて、少年は涙を零した。今更自分にどんな未来が残っているのか。家も身分も家族も亡くした。残っているのは罪人の子という不名誉だけ。自分がこれからどのように不幸になるか、落ちぶれるのか教えられても何になる?
「父様は、凄い人だった。先のことが何でも解ったから、どんな戦にも負けなかった。それなのに…………今は首を吊られている」
「キィ、キィ……」
「……なるほど。そうか、“僕”はあの子に負けるのか」
マンドラゴラから何かを聞いた少女は、口調を僅かに変えて呟く。
「ふぅん。僕を殺すだけに飽き足らず、あの方を裏切ったと。あの方の力で僕を圧倒して殺したか。それを知られたくなくて、過去を変えたか。随分と汚い手を使う」
少女は笑っていて美しいのに、昼間見た処刑人のような迫力がある。
「君は僕の恩人だね。このまま薬草にしてしまうのでは恩知らずか。そうだね……それじゃあ、君と君の家族を助けよう」
「おい……あの」
植物と会話する化け物に、少年は戸惑いがちに声を掛けた。何を言っているかは解らないが、それを引き取れというのなら断ろうと思った。そんな醜い化け物を家族と呼ぶくらいなら、天涯孤独の方がまだ良い。
「そんなものは飼えない。僕は魔術の知識なんかないんだ」
「それは困るな。君以外いないんだ。だって君がいるって事は、この子は本当なら生まれないはずなんだ……でもこの子がいる。“君は生まれなかった”」
「……何の話だ」
目の前に居る自分に向かって、お前は生まれていないなど。この娘は狂人か。いいや、見た目通りの化け物だ。悲鳴で人を殺すという植物を自力で土から這い出させ、死なずに少女は生きている。
「よく考えてみて。君はどうして私が見えているの? 私は今……私が人間に見えるようにしていないのに」
嫌な汗が流れた。額の汗を拭おうと、触れた袖は乾いたまま。また悪寒によって冷や汗が出る。頬に触れたが何もない。それどころか……少年の指は自身の頬を貫通して顔の向こうへすり抜けた。
「!?」
もう一度、恐る恐る手で触れる。両手で触れた左右の頬。顔をすり抜け両手が触れて? 両手自身も合わさらずに通り抜けてしまう。ぞっとした。昼間には、他人にぶつかる感触があったのに。今はもう、両足が……ちゃんと大地に触れているかの自信も無い。自分の身体は宙に浮いているのではないか? 足裏に、靴の感触も感じないのだ。
縋り見つめた先の少女は、哀れみの視線を注ぐだけ。悪魔など、彼女の言葉通り普通の人間が視認できるはずがないのだ。悪魔が意図的に、出会おうとしない限りは。
「どう、して……」
「君はもういない。だからこの子がいる。ある意味、この子は君なんだ。そこで吊られている彼は、女と交わらずに死んだのさ」
「何を言って……!? 僕にはちゃんと両親が居る! 父の名はクワラント、母の名はベルカンヌ!! 僕はこの、ロンダルシアの王となる男だ!!」
「マンドラゴラが生まれるのは、無実の囚人が童貞のまま死んだ時。君が生まれたという過去は消えて無くなった。だから君は身体を失い、霊として彷徨っている」
「僕に、そんな醜い化け物として生きろと言うのか!?」
「わからないかな。君にお礼をしようと言っているんだ」
美しい化け物は醜い化け物を呑み込んだ後、少年にキスをした。何事かと驚く内に、マンドラゴラを彼女は吐き出し少年の口に流し込む。如何に小人とは言え、飲み込めるような大きさではない。苦しみ藻掻く内、マンドラゴラは少年の体内に潜り込み、血肉に根を張り広がった。吐き出そうとしても葉の一枚も出て来ない。
「げほっ、ごほっ……! うげぇええ……」
「あはは、吐き出せないって。文字通り君と彼は一心同体、同一人物なんだから」
口からマンドラゴラを吐き出そうと奮闘する少年に、少女は優しく笑みかける。視線を受けて少年は気が付いた。自身の口元に、触れられていると。
(身体が、ある!?)
この化け物は、本当に自分を助けてくれたのか? 驚愕する少年に、少女は忠告の言葉を残した。
「気をつけるんだよ。身体があるって事はとても自由で不自由だ。ここは出た目の世界ではない。天を向くまで終わらない悪夢の世界。ここでは君の出自は変わらない。平穏に暮らせるとは思わないことだ」
世界は平行に。無数に存在するのではない。箱や多面体の側面なのだと少女は言った。
世界は箱一つ。中に可能性を秘めたまま転がっていく。転がされ、どの面が出るか。それでも側面の変化は、同じ物体。賽子の変化に等しい。互いに作用し影響し合う。未来を知ることは、転がる数値を知っているだけ。賽子の重心、長さや重さが変わったら? 未来は容易く変えられる。
「君はあの子だ。簡単には消えないよ……例え歴史が変わっても、彼が必ず死ぬ以上、君は存在し続ける。君の母親は違っても、全ては引き継がれるだろう」
「言っている意味がわからない……理解できないことを感謝しろって言うのか?」
「君には何も望まないよ。期待するのは別の側面にいる君の方。転がった先の君が知り得ないことを、これから君は知っていく。同じ箱に入っているんだ。表面の君もマンドラゴラの加護を得た」
「生き返っても、何の意味も無い! こんなものの、何がお礼だって言うんだ!!」
例え表の何かが変わっても、側面に居る者は潰れた可能性として消える。何も良いことなんかない。少年の泣き言を少女は笑って否定した。
「同じ身体の中に居るのに、表も裏も側面もないよ。その子と同じ。引き抜かれるのを待てば良い」
*
太陽の光を知らない。夜に星を見たことはある。人里離れた洞窟が俺にとっての城だった。
「助けて……お願い、助けて!」
生まれた時からそこに居る。俺は盗賊団の中で最も幼いが、入って数年の新参者に比べれば在籍期間は長い。それでも侮られるのだ。囚われの商品達は、こぞって自分に懇願をする。首領の実子に気に入られれば、酷い目に遭わずに済むと考えて、あの手この手で俺を誘った。
「私の家、お金持ちなの。助けてくれたら貴方の欲しいもの何でも買ってあげるわ」
「可哀想に。そんなに痩せて。うちの屋敷にとても腕の良い料理人がいるの。貴方が食べた事も無いお肉もお菓子もいっぱい作ってくれる。一緒に行きましょう?」
「まだ小さいのに、お父さんもお母さんも忙しくて寂しいよね? お姉さんと一緒に遊ぼうよ。楽しいお話でもお歌でも教えてあげる」
アジトに運び込まれる女はどれも、星々のように可憐で美しい。しかしその内面はどうだ?
(こいつらには俺が見えていない。俺を人とも思っていない)
見ているのは自分だけ。自分が助かることだけ考える。本心から俺と遊びたい奴なんていない。
(俺もこいつらを、人間なんかと思わない)
命乞いをする女達を、俺は次第に人と認識しなくなる。幼くとも盗賊である自分を見下す者達を、俺は見下していたのだ。
「何も言わないの?」
牢の中。女達の中に、一人不思議な子供がいた。
美しい顔立ちだが、あれは男だろうか女だろうか? 服装ならば女のようだが、命乞いをしない女などこれまで一人も居なかった。ならば男か? 少年が攫われてくることも多々。男であれば女のような手は打てない。そういうものを好む奴も団にはいたが、大体は女が好きな者が多い。女の真似事をしたところで、餌にはならない。しかし、誘う餌を持たないなりに命乞いをする様が見たい。
見れば見る程美しい。彼が懇願すれば、耳を傾ける女はいるだろう。探せば男だって見つかるかもしれない。勿論、本当に逃したりする者は盗賊団の何処にもいないが。
美しい少年は何も言わず、小さな次期頭領を一瞥すると……これまで彼が、女達を見ていたのと同じ眼差しを寄越した。
(な、何なんだあいつ! 俺はいつか盗賊団のお頭になるんだぞ!!)
なんて腹立たしい男なんだ。父に頼んで、死ぬより酷い目に遭わせてやろう。女達と同じ目になり、頭を垂れて助けを求めるようになるまで。
しかし俺の期待は当てが外れた。父親の元へ戻った俺が見つけたのは、既に赤ら顔の男。父は既に酔いが回っていた。これではお願い事など出来そうにない。そう、それどころか。
(嗚呼。またはじまった)
「ヒック……いいかよく聞けぇ。世が世なら、俺は一国一城の主だったんだ」
酒が回ると父は、下らないお伽噺を口にする。やれ、先祖は由緒正しい家柄の~から始まる恨み言。王族が一体どうして盗賊まで落ちぶれてしまったのか。
父の言葉を信じる者は誰も居ない。母も手下も皆、大口を開けて笑うのだ。
「なんだいあんた、またその話? こんな穴蔵みたいな城があんたの城だって知ってたら、私はあんたと一緒になんかならなかったよ、まったく!」
「がはははは! お頭は相変わらずロマンチストですね!」
盗賊の子として生まれた自分には、酔った父親が情けなく思えた。元より失う物など何も無い。大昔のご先祖様が裕福だろうと今は代々破落戸。自分が手にし失った物でも無い大昔の栄光などに、何故父は浸っているのか。
大勢の手下。器量の良い妻、大勢の愛人や奴隷。金も命も何だって、望んだ物は手に入る。極悪非道……立派な盗賊頭の父が、どうして酔うとこうなのか。
「親父、もっと格好いい話してくれよ! 村一つ焼いた話とか、貴族の娘をバラバラにした話とか」
「ほら、あんたはもう寝るんだよ」
仕事の話をせがむ息子を、母親は寝室へと連れて行き宴会場から遠ざかる。まだまだ盗賊達のどんちゃん騒ぎは終わらない。みんなあんなに楽しそうなのに、どうして俺だけ寝ないといけないのか。
横になっても眠れない。母が眠ってしまえば、バレても構わない。戻っても父は怒らない。俺はすぐさま部屋を抜けだし、宴会場のすぐ隣……食料庫の陰から宴の様子を盗み見た。
「この飲んだくれ共はいつまで飲む気で居るのかねぇ。お前等! これだけたらふく食ったんだ。次の仕事は決まっているんだろうね?」
「次の仕事は金にならねぇ。しばらくは後ろ盾を頼って食い繋ぐ。そのための宴だ。しばらくはこいつらに、満足に食わせてやれるか解らんからな」
母の言葉に父が言う。不穏な空気に手下共の酔いも次第に覚めていく。何事かと問う気概があったのは、女だてらに母だけだった。
「なんだいあんた。足が付いたわけでもあるまいに。ガキ共を売り飛ばすのはやめるのかい? 馬鹿言うんじゃないよ。あたしらは陸の海賊さ。あたしらの略奪は、それこそ立派な方から認められている」
「俺は、酒は飲まねぇと決めていた。それがどうだ?」
「何言ってるんですかお頭。今も飲んでるじゃないですか」
手下の一人の発言により、その場は笑いに包まれる。それでも父は。父だけは笑わない。これは手下には聞かせられない話だと、母は判断した様子。
「まったく、この飲んだくれはあたしがケツ引っ叩いてやらなきゃ駄目かね。お前達、後は部屋で飲みな! 覗いたら殺すよ!!」
「ひぇえ! 姉御のあれは本気だぜ!」
蜘蛛の子を散らすよう、手下はその場から逃げ帰る。皆酔っていたからか、隠れた少年に気付く者はいなかった。
静まりかえった宴会場。二人きりになった所で、父は母へと弱音を零す。
「…………俺ぁ、思うんだよ。確かに今は安全さ。仕事をすればするほど報酬はでかくなる。だがよぉ、例の“薬”はまずい。俺達はとんでもない物を運ばされていた」
「何言ってんだい。お上が禁止するから欲しがる馬鹿が大勢出て来るんだろ」
「俺はよぉ。これまで何も思わず殺してきた……普通の人間が、恐ろしい。奴らは俺達とは違う、日々祈り神の家にも行くだろう? なのにあの薬を飲むんだよ。飲ませるんだよ」
人殺しに恐れを抱かぬ者が恐ろしい。人殺しを殺すのが怖い。これが父の、素顔? 残虐非道な仮面の裏に、潜む男は気弱な男。父は殺人への嫌悪感を失っていなかった。
善良な一般市民の仮面を付けた者達の、仮面の裏を父は見たのだ。
「へぇ、そうかい。あんたは子が出来たから、私を殺さず売らずに側に置いたって? これは傑作だ! あんたみたいな男が神を信じているなんて!」
「俺は酒が好きだ。だが酒が嫌いだ。親父を見て、生涯飲まんと決めていたんだ」
「はいはい、お代わりは水だね。ほらよ」
「俺で終わらせるつもりだった。なのに……あれに“呪い”を継がせてしまった。神って奴は残酷だ。あれを俺なんかの所じゃ無くて、後ろ盾の家にでも……いいや、ロンダルディアの家でも良い。俺以外の所なら何処でも良い。まともな親父がいる場所に、遣わしてくれたら良かったのに」
「あの子の所為か? 一端の父親面かい? こんな家業、自分で終わりにするって? なに弱気になってるか知らないけどね、あんたは自分の仕事に誇るべきだ。あんたの稼ぎであの子は。大勢の手下が食い繋いでる。まともに働いても一家全員食わせてやれない“普通”の家もあるだろう? 毎日食わしてやってる分、あんたは立派な男だよ」
褒められ宥められても父の憂いは晴れない。明日までにいつもの顔にも取らなければ、手下達に侮られる。そうなれば内乱だ。新しい頭の座を巡って、馬鹿共が殺し合う。父は、そんな単純な事も解らぬ男ではないだろうに。
「この国を壊すのが俺達の仕事だ。だが、目の前で“普通”の連中が狂っていくのを見るのは恐ろしい。こんな俺が、一番まともなんじゃねぇか。そんな風に僅かでも思ってしまうのが怖いんだ。俺は奴らに何をされるか解らねぇ。今迄のように、ちゃんと殺せる奴らなのか解らなくなる」
「それで今回はたんまり薬が残ってるわけかい。薬から手を引けば、後ろ盾を失う。あんた、その意味が解ってるのかい?」
「…………どうせ奴らは俺を助けない。これまでだってそうだ。そうやって見捨てられ続けてきたから、もう僅かしか残っていない。“あいつ”は俺に増やせと言うが、もううんざりだ。こんな思いをするのは俺で、最後にするべきだった」
父の妄言か? 呪いだの、あいつだの。知らない言葉ばかりが並ぶ。
「先祖の業をいつまで背負わせられるんだ。俺が何をした!?」
「酒は嫌いか? 適量ならば良薬だろうに勿体ない。浴びるほど飲めば良いさ。ちっぽけな悩みなんか吹き飛ぶように」
「ぶはっ! な、なにしやがる!! お前……」
頭から酒を浴びせられた父は、母へ文句を言おうと顔を上げた。そしてそいつの美しさに見惚れた後、酔いは直ぐに吹き飛んだ。
「お前、…………誰だ?」
いつからだ? 声の変化に気付きもしなかった。父の話を聞いていたのは母ではなかったのか?
異変に気付き俺も身を乗り出した。そこにいたのは牢にいた彼だった。一体何時、牢から抜け出してきたのだろう。喋っていたのはあの……美しい少年だった。
「墓場警察だ。遺言があれば聞いてやろう」
「へっ……噂より、随分可愛いじゃねぇか刑事さん? なんだその小娘みてぇななりは」
彼を切り捨てようと、父が振り上げた剣。それに対し少年は怯えもせず、服の裾から取り出した分厚い本を開くだけ。
「“♂は♀、♀は♄に。♄は♃、♃は☿”」
本から浮かび上がった魔方陣が、少年の足下まで広がった。剣が振り下ろされたのはその直後!
「何!?」
凶器が少年に触れた時、鉄の刃はぐにゃりと曲がる。
「“溶解して凝固せよ” 」
「ぎゃっ!」
父が掴んでいた剣が、液体状の銀へと変わり、少年の本の中へと吸い込まれて行く。この少年には武器が効かない。ならば拳で黙らせる。
「この野郎っ!!」
拳を突き出す父は、やはり魔方陣を超えた途端に悲鳴を上げた。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア」
今度は身体が溶けたのか? 違う、轟々音が鳴る。辺りが先程よりも明るくなった。父の身体が燃えている。
「抽出して炉に放り込んでやれば良い。それから、煆焼の際に生じた炎を吐き戻せば……この通り」
酒に濡れていた父には、面白いように火が回る。火達磨になった男は水を求めて辺りを彷徨い、自ら酒樽を被ってしまう。僅かな火であればそれで消せただろうが、この度は逆効果。更に炎は強くなり、悲鳴を上げて彷徨う姿はまるで踊っているようだ。風で火を消すつもりなのか、それでも火はどんどん増していく。
(親父……嘘だろ?)
少し前までは思いもしなかった。命乞いをする側に、父が……自分が追いやられるなんて。
ここにいるのが知られれば、自分も一巻の終わり。何秒先か、何分後か。きっと来る。恐怖から浮かぶ命乞いの言葉。俺もあの女達のように、必死に言葉を組み合わせ……彼の情に訴えようとする。
だがそこまでして、見逃された者がこれまでいたか? 短い記憶の限りでは、見逃された獲物はいなかった。自分もそうなるのが報い。
(報い? 報いなのか……?)
俺はまだ誰も殺していない。生まれた境遇が悪いのか? 親が悪党なら俺も殺されて当然なのか? 人殺しに食わされ育てられた、血肉が罪だとでも?
腑に落ちない。違うだろう。どうせ同じなら。どうせ殺されるなら…………震えて命乞いなんて誰がするものか!
極限まで高められた恐怖心が、行き着く疑問が怒りに変わる。
なんて情けない。檻の中にもいないのに、自分はあの女達のようではないか。俺は気概で奮い立つ。
衣服を探り取り出す小さなナイフ。子供には危ないと、まだこんな小物しか与えられていないがこうして武器を持っている。自分も立派な盗賊団の一員なのだ。未来の配下を殺されて、命乞いなんて出来るか! 俺の財産を奪いやがった。盗賊から奪いやがった。絶対に許してなるものか!!
奪うのは俺達の仕事。その誇りを汚されたのだ。奴らから何か奪わなければ、死んでも死にきれない。
(親父はもう戦えない。今は俺が、お頭なんだっ!)
父が誇ったのは、お伽噺のような失われた身分。自分が誇るのは、弱音を吐く父ではない。皆に恐れられた残虐非道な父の姿だ。
相手は一人だ。まだ勝機はある。奇妙な術を使うが、線の細い子供は身体能力が高いようには見えない。真正面から挑まなければ良い。奇襲し押さえつけ、喉を掻き切るくらいやってやれないことはない。
地の利ならば此方にある。死角から別の通路で回り込む。それで殺してやるんだ、あいつを。あいつを。
俺が意気込み、その場を離れようとした刹那。 人を生きたまま焼き殺している少年は、朗らかに笑い出す。正気ではない。
「あはははは! やはり酒は良いねぇ。御覧、綺麗に燃えているだろう?」
誰に向かって話しているのか? 自分に言われたようでぞっとした。気付いているのか彼は!? そんな訳が無い。彼は此方を見ていないのだ。炎に照らされた少年の横顔に、感じた怯えは何故だろう。違う感情で塗り潰される。
(綺麗だ)
太陽を見てみたい。でも近付けば今の父のような騒がしい火達磨なんだ。それじゃあこいつは何なんだ? 離れているから美しい? 近付けば醜いと思えるか?
半ば衝動的に、俺は動いた。食料庫を出……一歩一歩と距離を詰め、木箱の影から彼を見る。
彼は本当に、盗賊達の死を喜んでいる。人の心を失った化け物。小娘達が盗賊を恐れ、懇願したように……化け物の前に自分達は為す術もない。なのにどうして、そう思う?
(……綺麗、だ)
父の死にゆく光景ではない。 燃える炎に照らされて、微笑む彼が美しかった。偉大と信じた父は酒を浴びた姿が真実。とてもとても弱かった。奪う側の者は、真の強者はこんなにも美しい。あれが欲しい。あれを奪いたい。……もっと彼をよく見たい。
苦しみ藻掻く盗賊を、眺めて笑う。なんて残酷な生き物なんだ。嗚呼、どうしたらこの化け物を女達と同じ顔にさせられる? 俺はそれが見たい。見たくて見たくて堪らない。
「!」
ガタン。身を乗り出すと同時に響いた音。しまった、積み荷を崩してしまったか? 一気に血の気が引いていく。しかし少年が振り向いたのは、俺とは別の方向だった。
(あっ……)
宴会場に姿を現したのは黒衣の男。屍を食い散らかす鴉のような真っ黒な出で立ち。真っ赤に染まった手袋と、爛々と光る赤目が男の異常性を物語る。男は血まみれの手で、一人の女を引きずっていた。
「おや、遅かったねボニー。君が存分に暴れられるよう、人質は逃がしておいてあげただろう?」
「先に連絡をしろ時空徘徊者。時間が惜しい。お前の所為で主犯を取り逃がすところだった」
「二度と私の顔は見たくなかったのではないのかな? 潜入地の手掛かりだけでも与えたことに感謝し給え。まぁ、いいじゃないか。まだ止めを刺す時間くらいは残っている」
黒衣の男は踊り狂う盗賊に、複雑な面持ちで視線を送る。少年のようにくすくす笑うこともない。
男は女から手を離し、父へと近付く。手が燃えることも厭わず火達磨の首を掴み、力を込めて首を落とした。焼けた首が転がる様を、男は不快気に眉を顰める。内に燻る怒りの炎を、誰に向ければ良いのか解らない。そんな子供のようだった。
「呆気ないと思うかい? それは申し訳ないことをした。よく焼けていたのだろう」
「酒を蒸留したのか? つくづく悪趣味な男だ」
「ついでに温度も上げておいたんだ。君の役にも立っただろう? それでボニー、残党共は?」
「雑魚は粗方始末した。抜き取った情報から、残る血族は……子が一人」
「なるほど。それなら彼女は使えるな」
少年は引きずられて来た女に。俺の母に向かって、奴はにこりと微笑んだ。
「ひっ! ち、近寄るんじゃないよ! あんた……いいのかい? 私は、腹に子がいるんだ。罪人でも、子に罪はない。私を殺したら、あんたも地獄へ落ちるんだ」
「ボニー、どう思う?」
「……随分と大きな子だな。フラスコを出て、“何年”だ?」
黒衣の男には、不思議な物が見えていた。女の腹が空っぽであることを見抜いていた。自分も夫のように殺されるのだと、腰を抜かして震える女。彼女の傍に膝を折り、少年はそっと女の手を握る。
「やぁ、ご婦人。彼が手荒な真似をしたことは詫びよう、そんなに怯えなくて良い。貴女は元々は被害者だ。呪いの血縁でもない。正直に話してくれたら“これまでの罪をなかったことにして”保護する準備が此方にはある」
明るい口調の脅し。場違いな微笑みが、本物の優しさなのかもしれないと誤認させる語り口。母の顔から怯えは消え、今は戸惑いの色が浮かんでいる。
「可哀想な貴女は生き延びようと必死だった。賊に取り入り気に入られれば、子を育てる母であれば、命を繋ぐことが出来た。それでも“彼”は死んでしまった。貴女にとって“賊の子”はまだ愛しい我が子かい? それとも、忌々しい過去の汚点かな?」
(ああ……)
母の顔が、牢の女達と同じ顔になっていく。なんと言えば助かるか、自分のことだけ考える奴らの顔になっていく。
「早めに答えた方が良い。貴女もその子も多くの時間は残っていない。火を放ったからね、隠れていても無事とはいかない。こんな穴蔵だ、焼け死ぬか酸欠で死ぬかだ」
(聞きたくないっ、聞きたくない!)
「……寝室に寝かせてきた。火を付けたせいで何処かへ逃げたってんならそれ以上のことは知らないよ」
「それは残念だ。貴女を虐めても、きっとその子は出て来ない」
少年が失望の意を示すと、彼の足下の魔方陣は大きく広がって洞窟全てを呑み込んだ。
「私としたことが、殺す順序を間違えた。これでも殺せるか怪しいものだ」
「な、何をしたんだい!?」
「“腐敗”の作業に移行した。洞窟内にいる者は、程無くすべて腐り出す。子供の足では間に合わないが、急いで逃げれば貴女は助かるかもしれない」
少年の返答に母は悲鳴を上げて逃げて行く。このまま逃げる? あいつだけ? 俺を捨てた女だけ?
あの通路は遠回りだ。此方からなら横の抜け道で先回りが出来る。
「ぶ、無事だったのかいラザ!? さ、早く母さんと……」
「足を挫いたんだ。負ぶって?」
通路で再会した女は僅かの間母の顔に戻ったが、俺の嘘の言葉を受け……“彼”の言葉を思い出す。子供の足では間に合わない。ましてや荷物が増えたなら……大人だって間に合うものか。
「…………っ!」
差し出した手を下げて、一目散に走り去る。女の足を狙ってナイフを投げた。転倒した女を笑い、落ちたナイフを再び俺は手に取った。
「あんた、何てことをっ!」
「逃げてみろよ、その足で。間に合うもんなら逃げてみろ!! お前が俺を捨てたんじゃない。俺がお前を捨てたんだ!」
嗚呼、気分が良い。逃げる女を嘲笑い、俺は今彼と同じ気持ちの中にいる。燃える父を見ていたあの少年が、感じていただろう高揚を。
笑って笑って、笑って笑って……薄くなった空気によって倒れ込む。遠くなる意識の中で、見えてくるのは幻覚か。派手な衣装の男の腕に、抱き上げられる幻を見た。
*
「気が付いたかい? いやぁ驚いたな」
「崩れた斜面から、生きた子供が見つかるなんて。あんたはよっぽど信心深い子なんだねぇ」
「ははは! お前の夢は外れたな! なーにが裏山から金塊が見つかるお告げを受けただ」
「奇跡は奇跡さ! こうして人一人救って見せたんだ。私の夢もなかなかのものだろう? 夢自体も当たりだよ。通りかかった商人が、縁起が良いってこの子を欲しがっている」
田舎の教会で、盗賊の子は目を開けた。山では大きな地震があったらしい。押し潰された洞窟は、少年と土を遠くまで運んでいった。
そんな目に遭って、どうして自分は生きている? 塞ぎ込む彼の傍ら、恩人だと言う修道士達は浮かれ騒いだ。
「しかし、物を知らなすぎる。こんなガキを欲しがるなんて酔狂な旦那だ」
「あれま。じゃあこの子は例の奴の被害者かねぇ」
「見てくれは悪くない。あり得る話だ」
状況が飲み込めないまま、新しい家……新しい家族が出来た。眩しかった日差しに慣れた頃、嘘が上手くなった。
「やはり品がある。攫われる前は名家の子だったに違いない」
養父は、金目当てで少年を引き取っていた。少年の素性が明らかになった時、その謝礼を期待して。愚か者め。お前が連れてきたのは人殺しの子だ。盗むことを生業とし、恩を仇で返す生き物だ。
「事故のショックで思い出せないことも多いのですが……父の口癖はこうでした。我が家は世が世なら……と」
「おお! では王家とかつては親しかった旧家を当たってみるか!」
上機嫌で調査を始めた養父は突然、遺書を残して命を絶った。遺書には養子である少年に全てを譲ると記載され、あれよあれよと言う間に彼は新たな名前と多くの富を手に入れる。
夫婦には子がなかったことから彼の相続を咎める者もなく、すべては順風満帆。嘘の名前がすっかり肌に染み込んで、送る新たな人生は……多くの他人と比較し幸福と呼べるものである。しかしながら、彼は常に満たされない思いを抱えていた。
(どうして俺は生きている?)
物心ついた頃には既に、盗賊の教育を受けていた。普通の人間らしい生活をしてみても、全て嘘。自分の出自を決して誰にも明かせない。本当の名前だってもう捨てた。
嗚呼、今なら簡単に金を奪える。殺してしまえる。目の前に数多の好機があろうとも、手を伸ばしてはならない。そうしなければ自分もいつか、一族のように殺される。
それでも少年は思う。狼が羊の群れで暮らすことには無理があろうと。最初から化け物として生まれた者が、いつまで人間の振りをしていられる? このまま生きていても、死んでいるのと同じだろう。苦しい。いっそ死んでしまうか?
もしも死ぬまで人間の仮面を続けられても、俺の心は。魂は死んでしまう。この俺が、飼い慣らされて餌をもらい食い繋ぎ。やがては人間様の面をして、へこへこ頭を下げてあくせく働くって? 冗談じゃない。俺から全てを奪った国のため、どうして俺が働いてやらなきゃならないんだ? 俺は壊したいんだ、奪いたいんだ。奪われた分以上に、奪ってやらなきゃ気が済まない。
(あいつの所為だ……あいつの、あいつの)
たった一人の少年に。墓場警察を名乗る人間に。俺の全ては奪われた。あいつから何かを奪わなければ、俺は死ぬまであの日の炎に苛まれるのだ。
火が消えない。本物の太陽をこの目にしても、あの日の輝きが薄れない。あの光景より美しいものなど、日の下には一つも存在しなかった。
(俺が親父のようになれば……あいつが殺しに来てくれる)
与えられた仮面を剥ぎ取り、今の生活を捨てる。血に従って暴れるだけで、再び彼に会えるのだ。
命を脅かされない、食うにも困らない生活。それを捨てさえすれば。
「今日の勉強が終わったら、貴方の好きなケーキにしましょう。新しい茶葉が入ったのよ」
養母はあの女とは違う。血も繋がらない自分を、本当の我が子のように可愛がる。死んだ養父が築いた商家を潰さないよう、養子の教育にも力を入れた。厳しくも、優しい人だ。
「ありがとう、母さん」
あんな金の亡者には勿体ない女だ。こんな善良な人間をどう欺して娶ったのか不思議でならない。養母は彼の素性を追及せず、家業を継がせることだけを考えていた。仮にその子が盗賊の子と知っても、同じように接しただろう。けれど自分の思いを知ったなら、彼女は失望するに違いない。
期待や重圧が、肩に重たくのし掛かる。生きるため、社会に溶け込むために纏った仮面が外れない。この女と一緒にいたら、いつか自分は死んでしまう。“あの噂”を耳にしたのは…………幸福な生活に閉塞感を抱いていた頃。
「何だか不気味……坊ちゃまに責任がないのは解っているけど」
「“高飛車ピエロ”ではないわ! だって旦那様は対象年齢じゃないでしょう?」
「だから不気味なのよ! ロンダルディアで最近何が起きているのかしら? 例の事件は最近大人しいし……だからこそ不気味なの! 坊ちゃまを悪く言ったり、探ろうとした子は不幸になるのよ! 馬車にはねられたり、掃除で足を滑らせたり……親族の方や使用人に死が続きすぎてるわ」
「うーん、そうね。誰かが異様に幸福になる話なんてあったかしら? 坊ちゃまは、周りの人の幸せを吸い取っているみたい」
(……“高飛車、ピエロ”?)
使用人達の噂話に、奇妙な言葉が含まれていた。何の気なしに、屋敷の書庫や街の図書館を訪れる。高飛車ピエロとは、お堅い本には足跡を残さず新聞、雑誌には……よく現れる都市伝説。
事実として何らかの殺人事件があり、解決を行う者が居る。時代を追って新しい事件の記述を漁ったところ、思わぬ名前が飛び出した。覚えのある被害者の名は、父が攫ってきた女達。盗賊を討伐し、表彰された組織の名は――……“墓場警察”。
“彼”が名乗った所属じゃないか。その名に心を奪われて墓場警察が動いた事件を調べる内に、少年は歴史書までに手を出した。そうして彼は、哀れな道化の名を知った。
「……“カイネス”」
「やっと、喚んでくれたんだね“ラザレット”」
*
「やぁ、初めましてラザレット。懐かしいなぁ、君を見ていると……彼を思い出す」
それは静かな夜だった。家人も寝静まった夜、寝室で歴史書を開いていた時。父の言う呪いの正体に手が届いた瞬間に――……道化は姿を現した。奴が喚ぶのは俺の名だ。もう誰からも呼ばれないはずの名だ。
「誰だお前は!? どうしてその名をっ!」
「君のことはよく知っているよ。君の一族とは長い付き合いでね。ようやく話が出来るようになったけど……よく生きていたね君は。いや、生き返ったと言うべきかな」
「答えになってねぇ!!」
夜更けに現れた男は、気味が悪い顔をしていた。父よりも、自分によく似ている。血を分けた兄弟か、自分の未来の姿を見ているかのよう。出で立ちは派手な宮廷道化の衣装。自分の将来がそんなものかと思うと情けなかった。誰に飼われるって? この国にか?
「僕はカイネス。カイネス=べアルバイト。この国では高飛車ピエロの名の方が有名かな。君たちの遠い昔のご先祖様……みたいなものさ。君たちは呪われているからねぇ。だから僕が見えるんだ」
自らを死者と男は名乗る。目をこらしてみれば、なるほど男の姿は透けていて……背景が見える。なんだこいつは幻覚か。しかし、やけに具体的な話を持ち出す幻覚だ。半信半疑の中、“ラザレット”は幻覚に問いかける。
「…………大昔からいるんなら、俺が知らないことも知っているな? 答えろ。呪いとは何だ?」
「死刑囚の体液にはちょっとした力がある。僕の血が、彼に呪術の才を与えてしまった」
斬首された道化の血液を浴びた、男が自分の先祖であるらしい……呪いはそこから始まったのだと半透明の道化は笑う。
「彼の名は”クワラント”だよ。後でロンダルシアの歴史書を読んだら良いよ。逆賊の名と絵ぐらいは残ってる」
「おい、どういうことだ? 俺のご先祖様は世が世なら王となった男だ」
「そうだね。彼には……野望を持たなければ継げる国があった。けれど婚姻による侵略を企み縛り首となったのさ」
「縛り首だと!? ふざけるなっ!!」
道化風情が誇りある斬首刑で、王族が庶民と同じ縛り首!? 自分に高貴な血が流れているなど眉唾物な父の譫言。しかしこうして落ちぶれ賊となった一族が、縋る最後のプライドだ。新たな人生、表社会で息苦しさを感じる度に、父の言葉が蘇るのだ。本当なら俺は、こんな窮屈に生きてはいない人間なのにと。
「君が悔しいと感じるよりも、当人は怒り狂った。だから君たちへの呪いは、僕の呪いじゃない。僕は唯の切っ掛け、全てはクワラントの呪いだ。彼が処刑されたことで、彼の子孫は呪われた。彼が殺される前に、蒔いた種が毒草に変化したと言うのかな」
「難しい話は良い……具体的にはどんな呪いなんだよ」
「ご先祖様の復讐を果たすまで、君達に安住の地はない。社会から排斥され、罪を犯さなければ生きられず、生きていれば追われ続ける。老衰では死ねないし、自死も出来ない。試しに一度計画は忘れ、このままもう少し“普通の生活”をしてみると良い。僕の言っている意味がわかるよ」
カイネスと出会ってから、日常の閉塞感は増していた。父の言葉は妄言ではなく、事実自分が高貴な身分であったと明かされて。些細なことに苛立った。それらを封じ、よくできたご養子様を演じる自分に憤慨した。
自分が自分として生きられない。一生俺はこのまま、怒りの炎を消せぬまま。焼かれ苦しみ続けるのか。いっそ殺して欲しい。嗚呼、だけど。嘘の仮面に人望が出来、人が集まる。まともな人間は、慕う相手を殺さない。では妬まれて殺されないものか。そう思うのに、カイネスめ。夢魔は邪魔者を、夢で操り自死させる。あくまで道を踏み外さなければ。罪を犯さなければ俺は死ねない。殺して貰えない。
「そろそろ我慢の限界だろう? どうだい、誰か攫ってみない? 君の好みを教えてくれたらよい子を探してきてあげる」
「帰れ化け物」
最近は夢見も悪い。夢魔が事件を起こせと夢まで纏わり付いてくる。夢どころか現実にまで現れて、一日中悪の道へと誘うのだ。
「おや、手厳しい。なんだい? また事件を調べていたのかい?」
「うるさい、黙れ!」
「ラザレット、君がそうして生きていくのなら……二度と彼には会えないよ」
「会ってどうする。復讐しろって? 馬鹿馬鹿しい。あんな奴ら死んで当然だ」
まともに生きようとすれば、父のことを否定する必要がある。事件を、父の罪を知れば知るほど……幼い日の憧れを、思い出が汚らわしいものになる。そう思わなければ此方で生きていけない。自分を洗脳し、心にもない言葉を繰り返す。
「ラザレット。君は悔しくないの? 家族をみんなをあんな風に殺されて。これっぽっちも復讐心がないのかい?」
過去の記憶を夢魔は夢に映しだし、炎に笑う少年を蘇らせる。
「あっ……」
「あとは何だ」
「なるほど……君の好みはそういう感じかと思って」
必要以上に美化された光景に、夢魔さえ苦笑する始末。
「ようやく解ったよ。君の内にあるのは一人生き延びた罪悪感? 違うよね。君はまた、彼に会ってみたいんだ。彼に勝ちたいのは彼が憎いからじゃない。君にはやりたいことがある。しかし強すぎる彼を負かすビジョンが見えない。だから忘れようとしている」
自身の劣情を言い当てられて腹が立つ。俺にプライバシーはないのか。
「明日の晩を楽しみにしておいで。とっておきの土産を持ってくるよ」
「二度と来るな! 消え失せろ!!」
夢魔に怒鳴ってやったところで目が覚める。一睡も出来た気がしない。心身の限界だ。
(くそっ、くそっ……くそっ! クソッ!!)
むしゃくしゃする。誰でも良いからいたぶりたい。消えない怒りをぶつけたい。苦しいんだ。誰か助けてくれ。
(こんなに辛いのに……現実の誰も、俺を理解してくれない)
素顔に何の価値もない。俺は誰にも求められない。求められるは仮面だけ。
このままでは気が狂れる。まともな人間として生きることは、海の中で生きること。俺は呼吸も出来ないまま長く長く溺れ続ける。これが呪いなんだ!!
呪われた血族は、太陽の下では生きられない。奪い、殺し罪を重ねなければ、自分の心も正気も保てない。遅かれ早かれ。気が狂れれば俺は必ず人を殺してしまう。いつその瞬間が来るか。最も近くにいる人は――……使用人か、養母か?
「家業の勉強も大事だけど根を詰めすぎよ。お茶が入ったわ、少し休みましょう?」
本当の母親でもないのに、彼女は優しい。彼女を母親として慕うまともな俺と、あの女と同じ境遇に突き落としたい俺がいる。同じ状況下では優しい彼女も、あの女と同じになるか試したい。
殺したい、殺したい、……殺したくない。彼女以外だ。他の誰かを、誰でも良い。正気が保てるなら、早く犠牲になってくれ!
「悪くない悪夢だろう? 彼の魂を遡れる範囲で人間分だけピックアップしてきたよ。次はどの時代に行こうか?」
夢の中で思う存分、あの男をいたぶった。少しでも、似ている箇所を見つける度に俺の心は高鳴った。しかし所詮は夢だ。覚めればむなしさだけ残る。
「そう思う?」
「!?」
目覚めた俺は返り血で汚れていた。夢じゃない。夢を見ながら、現実に生きた人間を殺害させられた。
「お前……よくもっ!!」
「でも、すっきりしただろう? 本当の君に戻れて」
悪魔の言葉が胸に大きく広がった。嘘の仮面を纏うこと、あの息苦しさが消えている。
「君はもう引き返せない。後は心の持ちようさ。楽しむか、苦しむか」
賽は投げられていた。――……悪魔の掌の上で。
Calm Heist
サブタイはAlchemistのアナグラム。
何度も書き直して悩んで書きました。歌と併せてお楽しみ下さい。https://www.nicovideo.jp/watch/sm37199554




