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24:A=Chronicle

「遅かったじゃないか」


 宿へ戻ったミディアを、迎えた者が居た。


「あ、貴女は……! 【ドンの耳】の女将さん? どうして……」


 気風の良い女性は、刑事と錬金術師とは旧知の関係。数日前まで世話になっていた宿の主人だ。確かドリーと呼ばれていた。普通ではない二人と古い付き合いがあるのだから、彼女も普通の人間ではない。


「ドロレスだ。ドリーとでも呼んどくれ。あの時はゆっくり挨拶も出来なかったね。さて……! こんな所に突っ立ってちゃ邪魔になる。あいつからの頼まれ事でね。続きは部屋で話すよ」

「は、はい!」


 ドロレスが手配した部屋に招かれ、ミディアはほっと息を吐く。借りた部屋であるのにそこは、彼女の酒場の空気がそのまま漂う。“いる”のだ。出会った当初は驚いた霊達の存在に、こんなにも心安らぐなんて。安心した次に襲ってくるのは罪悪感。ここにいるのは皆、ボニー=レッドが使役した霊。彼らの主人を守れず、持ち帰れたのは宝石一つ。


「ごめんなさい……私の所為で、レッド刑事は」

「…………顔をあげな、お嬢ちゃん」


 ドロレスの言葉が、少し刑事と似ていて。ミディアは思わず顔を上げる。彼女に彼が宿っていないか凝視して……違うと知って勝手に落胆。


「あいつは簡単には死なないよ。材料さえあればまた、人の形も作れるだろうさ。あの錬金術師なら簡単に」

「うっ……」


 ファウストを頼らなければならないのか。刑事のためでもあの男には極力会いたくない。しかし元凶が、我が儘は言えない。父に、会いに行くべきなのだろう。例え傍に“彼女”がいても。


「あの、ドリーさんはどうしてここに?」

「店に来た、奴の使令に頼まれてね。まったく、私はもう隠居してるってのに人使いが荒いよ」

「隠居、ですか?」

「ああ。言ってなかったかい? 私は元・墓場警察さ。年寄りを引っ張り出す程人手が足りてないのかねぇ」

「え?」

「言いたかないが、ファウスト……奴の、錬金術の師匠だよ。ホムンクルス作りを手伝ってやったこともある」


 あの二人の顔見知りが、唯の酒場の主人であるはずがない。聞けば、ファウストは彼女に弟子入りし多くを学んだ後に、ボニー=レッドの世話役を師匠に丸投げして行方を眩ませるを繰り返したそうだ。


「ち、父とはいつ頃知り合ったんですか?」

「いつだったかねぇ。女だてらに研究に明け暮れていたんだが、年甲斐もなく所帯を持つことになっちまってね。……私ごと攫われて、腹の子は死んだ。私は死に損なっちまったがね」

「ドリーさん……ご愁傷様です」

「ふん、昔のことさ。気にしないでおくれ」


 ドロレスは煙草を吹かし、苦笑い。そんな姿にも刑事を重ね見てしまう。彼女はボニーの師でもあったのだろう。ミディアの石を握る手が微かに震えた。


「ま、それで……私が女として壊れたと知るや旦那は逃げちまった。馬鹿だねぇ。それでホムンクルス作りなんか始めてしまったんだ」


 子供が産めなくなった女錬金術師が、母体を介さず生命を生み出す術に手を染めた。それで夫と愛が戻って来ると信じていたのか? 馬鹿な話とドロレスは過去の自分を嗤ってみせる。


「研究が軌道になると、あのガキが……ファウストがやって来た。私から“ホムンクルス”と“賢者の石”の作り方を学ぶために。攫われて生き延びた女はいない。私が石の錬成に成功した達人(アデプト)だと奴は見抜いていたんだよ」

「貴方から学び……あの人は、レッド刑事を」

「ああ。とんでもない材料を幾つも使って作っていたよ。その癖作ったら後は私に丸投げだろう? 酷い男だよ。仕方ないから軌道に乗るまで墓場警察を手伝ってやったんだ。ファウストは私が復讐のため働いていたと思っていたようだが……生まれたばかりの赤ん坊を放っておけなかっただけさ」


 家族を失ったドロレスは、弟子のファウストを我が子のように、その被造物ボニーを孫のように思っていたのか? 彼女が彼らを手伝ったのは、彼らへの親しみからだろう。ならば何故、墓場警察を辞めたのか。ミディアが問いかけるより先に、ドロレスが吐いた溜め息は……霊の形を作り出す。


「長生きをしすぎるものじゃない。私はね、道化を恨めなくなっちまったんだ」

「そんなっ! 貴方は彼を恨む理由があります!!」

「普通に生きていたのなら、天寿を全うしたであろう頃まで時間が過ぎればね。残るのは酒の苦みと二日酔いくらいなものさ。そうしたら……思うのさ。あいつと私の何が違うんだって」


 霊はカイネスの姿を象った後……彼女自身の姿に変わる。そうして煙草の中へと吸い込まれ、彼女の中へとまた消える。


「私は作ることを選んだ。あいつは消すことを選んだ。失った愛のために。滑稽なのはどちらも未だ、何も手に入らないということかね」

(ちがう……)


 この人は作り、また失う。カイネスは奪い、手に入れた。何処が同じだって言うの?


「いいや、同じなんだ。だから私は墓場警察を続けられなくなったんだ。……こんな話をしに来たんじゃなかった。悪いねお嬢ちゃん。今日はあんたに見せたい物があったんだ」

「見せたい物……?」


 霊から霊へ、墓場警察へ届いた情報。此方へ届けるために生身の人間が必要だった。墓場警察の人間では無く、酒場の主人が使われたのは……今の刑事を墓場警察に見せられないから? 或いは彼女が普通の人間より早く、移動が可能であったから? 錬金術だけではなく、彼女は降霊術にも長けていた。二人の師であるならば当然か。


「聞いたよ。噂の少年の……あんたが身元確認したんだって?」

「ファイデ君の、ことですか?」

「ああ。もう一度確認したいらしい。これを見て貰えるかい?」


 ドリーが突きつけるは、画家の霊が描いた死体の絵。


「これは本当に、ファイデ=ミュラーか? 彼の身内はもういない。確認のしようが無いんだ。これが本人じゃなかったら、少々問題があるんだよ」

「どういうこと、ですか?」

「二枚目をよく見な。これが今朝の様子だ」

「あっ!!」

「三枚目は、同日の姉の方だ。水死体ってのは悲惨なもんなんだけどね、引き上げられたのが早かったからこっちは今も綺麗なもんだよ」


(そうだ、私はあの時――……)


 警察署で夢を見た。目覚めた後も夢見心地で、判断能力に信憑性がない。自分が確認したのは本当に彼だったのか解らない。しかし今見せられた絵は、自分の知る……確認した少年とは別人だった。


「こ、この……二枚目」


 先に死亡したソルディが全く腐敗していないも関わらず、“彼”の遺体は腐っている。“使い魔”の死体は腐らないはずなのに。





 夢か現か解らない。多分此処は現であるのに。夢のようだとファイデは思う。


(誰も、いなくなった)


 小さいなりに活気のあった仕立屋。今は誰も居ない。“噂”の所為で盗難が後を絶たず、店内は荒らされている。警察が立ち入り禁止の札を下げ、施錠も為されているが窓硝子も割られて侵入された。贈り物だと聞いていた作りかけのドレスも、後は引き渡すだけだったドレスも……違う人の手に渡ってしまった。荒廃した店にはもう、両親の姿も無い。

 残ったのは悲劇のドレスメーカー・ファイデとミュラードレスの名前だけ。


(みんないなくなったのに、僕はまだ……いなくなれない)


 死ねば楽になれると思った。噂は広がり尾鰭が付いて、醜聞ばかりが世に残る。一着一着に込めた想いを、もう誰も覚えていない。これまで仕立てた服の持ち主も、高値で売りさばけると知りオークションに流す。依頼人も、受け取った側も、今は数字しか解らないのだ。

 悪いことは忘れて欲しい。自分のことなんて、誰にも思い出して欲しくない。誰に忘れられても、自分はまだ生きている。こうして確かに存在している。

 使い魔として生まれ変わるイコール過去を切り離すことではない。全てを忘れて別の存在になれたらどんなに良かったか。


(僕はどうして、こんな所に?)


 過去を忘れたいのなら、何故別の場所へ行かない? 過去が、現が壊されることに慰みを見い出すなんておかしいだろう。

 ファイデは思う。自分にとっての世界とは、人であったと。姉が居る場所が自分の居場所だった。追いかけて追いかけて、置いて行かれた。死の果てまで一緒に行っても、もはや二人は相容れない。そうして残されたのは、死へと誘う道化の手。


(僕の居場所は。僕の世界はカイネスだ)


 生前の居場所ソルディと共に、主の寵愛を競い合う。考えたこともなかった。どうすれば他人に好かれるかだなんて。考えずに生きて来て、幸か不幸か愛されて……大きな流れに巻き込まれ、自分は死ぬこととなった。

 そんな自分が今更、寵愛を競うだって? 反吐が出る。こんな自分を浅ましいと思う。心まで汚れてしまったようで、自分の気持ちがわからなくなる。

 仕立屋へ戻ってきたのは、かつての自分が何を思っていたかを思い出したかったのかもしれない。無論、収穫があればこんな退屈な顔はしていない。


「ここにいたのかい、ファイデ」

「……居ちゃ悪いか?」


 探しに来てくれて嬉しい、そんな気持ちは見せないように冷たい声を作った。当然見透かされている。その上で、せめてもの抵抗だ。奴はそれを面白いと思っているのだから……精々“面白がらせなければ”。


「“彼”の使令が居ると厄介なのだけど。奴らは器に依存する。見える者がいなければ、君には気付けないだろう。気をつけるべきは我々“悪魔”だね」


 生家に入り浸り墓場警察に見つかるな、道化はそんな注意をしに来た。霊達は、物体に入り込む。建物や家具に取り憑き間者としての立ち聞き盗み見、生者死者から情報を抜き出す等が主な仕事。物体を動かす、記憶と記録を暴くことが得意。


「霊に霊が見えないって?」

「君たち使い魔は特殊な造りなんだ。魂は僕が持っているけれど、僕の使い魔である限り君たちは魔力を持つ。魂から抽出した魔力で霊体をコーティングしている状態だ。君から霊は見えても、彼らから君は見えないよ。もし見られても、夢へ逃げ込めば追っては来られない」


 霊との交戦は、使い魔側が有利。魂が見える者に憑依しなければ、魂には触れられず気付けない。その間に霊を喰らってしまえば良いのだ。


「ふぅん……」

「……その様子だと既に食後かな? 君経由で此方にも魔力が届いていたのはそういうことか。偉い偉い、君からの贈り物だったということか」


 監視の霊を始末したことで、叱られるのではないかと思った。勝手な真似をするなと捨てられるかもしれないと。しかし道化はファイデを褒めて微笑んでいる。


「墓場警察には、霊媒体質の者は幾らか置かれているが、“彼”は同時に複数人には憑けない。隙を作れる状況でもないだろう。此方から刺激を与えるのは悪くない手だ。嗚呼! それならそうだ。僕が大好きで仕事熱心な君に、お使いを頼みたいんだ。引き受けてくれるね?」


 喜んで損をした。この男はファイデを心配して来たのではない。叱りに来たのでもない。


「……ソルディは?」

「あの子は勝手に何処かに出かけてしまってね。頼りになるのが君だけなんだ」

「そんな言葉で人を思い通りに出来ると思うなよ」

「使い魔が、隠し事を出来るとは思わないことだ。僕は君を知っている。君の“いいえ”は常に“はい”だ」

「“俺”は、行くとは言ってない」

「空腹だろう? ちゃんとおやつは用意しているよ。仕事中、好きに喰らって構わない」

「……………………」

「僕を上回る魔力を得れば、使い魔の枷を外し君も悪魔になれる。僕の機嫌や心変わりを恐れる必要も無く、君の意思で何処にでも行ける。そう、その上で――……僕の傍に居ることだって」


 姉の不在を考えたなら、もはや断れない。ソルディも同じ話を聞かせられ、仕事に出たかもしれないのだ。彼女だけ悪魔に昇格したならば自分はどうなる? 使い魔ではなく一人の悪魔として。強力で忠実な下僕が出来たなら? 自分は餌としてすぐに消されてしまう。


「君はその名前が嫌いなんだね。それじゃあご褒美だ! お使いのお駄賃にとっておきの名前をあげよう」

「……え?」

「Ut……Resonare、Mira……Famuli。そうだな君は、Mira(ミラ)が良い。俯かず、少し上を向いて御覧、“ミラ”。“召使い(しもべ)”の君はやがて“奇跡”と変わる」


 死とか上っ面の言葉とか。そういう物は貰ってきたが、カイネスから良い意味のある“何か”を貰うのは初めてだ。嬉しいけれど、少し怖い。

 生前の名に縛られてきたように、新たな名は新たな足枷とならないか? その名を受け入れてしまえば最後、こいつからは永遠に逃れられない。そんな恐怖が湧き上がる。


(……あの人に、怖い話をされた時みたいだ)


 怖いのに、心臓がドクドク鳴る。もう身体も持っていないのに、魂が心を歌い出す。カイネスの魔術は、恐れによって魅了する。怖い、怖いのに優しい声、優しい笑顔。この優しさが嘘ならば、世界の何も信じられない。最後に縋れるのはこいつだけ。怖がった瞬間にはもう、奴の虜。逃れられるはずもない。


「君がこれから見るものも、聞くことも。全て君のことじゃない。君は今こそ……本当に死んで生まれ変わるんだ」

「……解った。“いいえ”だ。何処へ“行かなければ”良い?」

「水上都市バルカロラ。嘘吐きな君にぴったりの街だよ、僕の“ミラ”。帰って来たら、もっと良いご褒美をあげよう」


 やっと“ファイデ”を殺してくれた。消してくれた。これ以上の幸せが何処にある? 僕は確かに生きているのに、いなくなれたんだ。もっと幸せになれるなんて、本当に夢のようだ。


「悪魔に、してくれるってこと?」

「君があの街で存分に働いてくれたら、そうなるだろうね」


 もう何も怖がらなくて良い。皆に忘れられ、貶められず、消滅しない。唯幸せな永遠が広がっている。そんな未来が、手の届く場所にある。


「いってらっしゃい、“ミラ”」


 仕立屋の鏡が光り、遠い街を映し出す。ファイデが……“ミラ”が飛び込めば、辺りの景色は一瞬にして色付いた。





「指輪を盗まれた? アバット、君が付いていながらか?」


 もう随分と古い記憶と記録の中で、ファウストは呆れていた。


「面目ない」

「あまり彼を責めないでやって、可愛い愛し子。私を国外に逃がすため、彼は尽力してくれました」

「レディ。盗まれたは誤りですね? 貴女は彼を逃すため、奴らに指輪を差し出した。良いですか、目の前の子を助けるためにその他の民を苦境へ導いてはなりません」

「ふふふ、貴方は本当によく……私を知っているのですねファウスト」


 何時の時代も、女神様はお優しい。こうして過去へやって来ても彼女の本質は不変。少年と少女を逃すため、自ら犠牲となった未来と変わらない。


「ですが、陛下は全てのために一を犠牲に。私は一のために全てを犠牲に。そうして我らのロンダルディアは歴史を紡いできたのです。変わらなくては……そう願っても、神とは変われないものなのです。私が変わるとすれば、それは私が滅ぶ時」

「渡し賃にしては高価すぎます。レテの川を渡るおつもりで? レディ……もう一体、作りましょうか? 彼だけでは不安が残ります」

「いいえ、大丈夫。この子は何処へも行かないわ。だからね、愛し子。“それ”は貴方が――……」



「ファウストさん?」

「!?」

「どうしたのぼーっとして。寝不足? 良くないわ、相手は夢魔なんですからね」


 眠ってはいない。ちゃんと彼女が見えていた。目の前に、変わらずルベカ=ロンドの姿が見えている。


(魂不在の影響か?)


 精神を保つため、身体に残った記憶が感情の再生を行っている。早急に所有者の元へ向かわなければ身体を動かせなくなる。


(いや、違う)


 “フェレス”の力を取り込んでいるのだから、私は半ば悪魔と大差ない。魔力ある限り、活動に支障はない。


「これは失礼しました。少々気が昂ぶりましてな。ようやくこれて……全てが終わるというものです」

「…………ファウストさんは、どれ位の間あいつを追っていたの?」

「二十四年周期を数えるのが面倒になるくらい、でしょうか? こういった話はメフィスの方がしっかり覚えていますよ。戻ってきたら聞いてみては如何です?」

「悪徳不動産みたいね……貴方」

「何を今更。達人アデプト以下の錬金術師など、大半が詐欺師のようなものですよ」


「愚者も賢者も死ねば皆土へと還り、土壌となる。後世の人間は土より多くを学び吸収し、知識や技術といった花を咲かせるのです。凡俗な無能も、考古学か地層学さえ学べれば如何様にも。例えば、取るに足らない男が花を摘み取り過去へと飛べば、古き人々にはどう映るのでしょうね」


 少々喋り過ぎたか。少女はこの例え話が誰の物語か気が付いている。


「もし、そんな男が魅力的に見えるのならば。惚れる方も愚か。未来への冒涜というものです」

「……だから貴方は、誰も信じようとしないの?」

「信頼というものは、契約の上に成り立つのですよお嬢さん。例えばそう。永遠を誓う契約の下、切り捨てられた男が今も尚、呪いを撒き散らかすように。契約破棄は信頼や愛を失う」

「どうかしら。信頼を失っても――……愛って、そんなに簡単に消えてはくれないわ。だから貴方は、この時代にいるのでしょう?」

「永遠に、綺麗な愛などありませんとも。時の流れでそれは名前を変えるのです。“妄執”や“呪縛”とでも名付けましょうか? 貴女が多くを忘れたように、私や道化も何かが抜け落ち名前を変えて存在を続かせた。まだそれを愛と呼ぼうとするのはご自由に。けれど愛の名の下に、全てが許されるとは貴女はお思いですか? あれを愛と呼ぶのなら、これらの悲劇も殺戮も。奴から貴女へ捧げられた愛でしょう」

「貴方達って、言葉数で押し切ろうとしがちよね。芝居がかった口調も同じ。そういう時って大体嘘だと思うわ。一説を語っているだけで、貴方自身の言葉じゃない。それって仮面よ。そんなに私に素顔を見せたくないのね。貴方の印象なんか最悪スタートなのだし、今更見損なったりしないわ」

「熟々貴女は王であらせられる。黙って綺麗に着飾る妃になれぬお人のようで」

「褒められている気がしないのだけれど?」

「いえいえ、褒めているのです。唯、貴女は生まれる時代が早過ぎた。貴女が男であったなら、今日まで至る悲劇も呪いも恐らく存在しなかった」

「私は私よ。いつの何処に生まれても。それは変わらないわ。私が女に生まれたことを、足枷だなんて思わない。それは女王ベルカンヌだって同じはず」


 全く、この小娘は強かになった。口で負ける気はしないが、一言二言で言い負かせるとは思えない。時間潰しもここまでだ。ファウストは見えない仮面を付け替える。


「歓談も名残惜しいですが、陛下。間もなくです。屋敷の前に配達員が来ましたよ」


 こうして屋敷に籠もる前。ルベカに例のドレスを着せ、一日街を歩かせた。当然あれは何処の誰かと噂され……アバットに用意させた屋敷と名前を借り受ける。

 レディの代わりに、“ロンダルディアの遠縁”を名乗り……やんごとない身分のご令嬢を気取らせる。正面から殴り込むは難くとも、向こうから招きたくなる状況を作れば良い。

 屋敷で働かせるのは、メフィスの使い魔。彼らを人の姿に変身させ、それなりの人間を雇える財力を示す。

 届けられた手紙は予想通りの文面だ。“ミュラードレス限定舞踏会”へのご案内。


「差出人は……“ルフィアナ=ルキーヌ”。ルキーヌ婦人が噂のご婦人で間違いないかしら?」

「いえ。彼女は噂以前より美しいと評判の女性です。派手な男遊びと“噂好き”なのが玉に瑕。カーニバルの時期だけ滞在されるため、それは本名ではないでしょう。祭りが終われば別の名と別の人生を生きているはず」

「そう、でも怪しげな臭いはぷんぷんするわ」

「では乗り込む方向で良いですな?」

「ええ。勿論よ。唯、ドレス限定……っていうと、参加者は女性だけってことかしら」

「ドレスさえ着用できれば男でも構わないのでは? そこまで無粋な真似はしませんが、陛下一人にはさせませんとも。それが奴らの狙いでしょう」

「…………ファウストさんなら似合うと思うけど、流石にミディアのお父様にそれは」

「ご心配なく。切り札は複数用意しておく物です」


 女装した成人男性にエスコートされる図を想像し、少女は言葉を詰まらせる。彼女を鼻で笑った後、ファウストは隣室へと移り切り札を喉に流し込む。

 錬金術を極めようと、不老不死には未だ至らず。手に入れたのは巻き戻し。悪魔と時を遡り、時に肉体さえも巻き戻す。若返りの薬で少年に戻るなど容易。こうして身体を縮めれば、“切り札”に袖を通すも可能。


「お待たせ致しました。参りましょうか、陛下?」


 着替えた錬金術師の姿を前に、少女はパクパク口を開閉。人を指差し腰を抜かしている。


「ふ、ふぁふぁふぁふぁふぁ、ファウスト……さんっ!?」

「ええ。如何なさいましたか?」

「貴方それっ!! ああ、それもだけどそれもっ!!」


 高くなった声と、縮んだ背丈。ドレスを見事に着こなす少年が、あの錬金術師だとは信じたくないのだろう。少女は床を這いながら、隣室に錬金術師が隠れていないか確かめている。質の悪い手品だろうと思いたくて必死である。


「外見でしたら若返りの秘薬で。ドレスでしたら墓場警察からくすねましたが何か? 此方はファイデ=ミュラーが最期に着ていた、最大の曰く付きドレスです。これで門前払いはないかと」

「貴方、正気じゃ無いわ! 敵の潜伏地に被害者の服で出かけるなんて!」

「貴女の美貌があれば、大抵の男は釣れると思うのですが。例の事件を踏まえて念には念をです。ああ。この外見では護衛として不安が残ると? その点は問題ありません。私は唯の美少年ではありませんので。大男の数十人掛かってこようと返り討ちにしてやりましょう」

「別に、そういう訳ではなくて……っ、ああ! もうっ! 貴方が凄い錬金術師だって知っていても、そんな私より年下に戻られちゃ……ちょっと不安になるわよ! メフィスだって今は偵察に飛ばしているんでしょう!?」

「お優しいことですね。見てくれが子供なら、貴女は心配して下さると? ご心配なく、中身は私ですのでね。滅多なことはありません」


 お手をどうぞとファウストが手を差し出すと、ルベカは顔を背けたまま従った。自分の外見が優れている自覚はあるが、気の強い娘が豹変するのは奇妙。

 被害者の衣装を身に纏えるよう、彼と同じ程度の年齢まで若返ったのが良くなかった。恐らくルベカは例の少年を思い出しているのだ。女王の意識を取り戻した矢先に、お針子娘に逆戻り。これは愚策か。

 視覚情報に惑わされるようでは、夢魔の掌の上。気を引き締めなさいと助言の意味で、錬金術師は指を折り曲げ悪を数える。


「良いですか“お嬢さん”、姿が変われど人の本質は変わらない。これまで私がして来たことをよく思い出して御覧なさい」


 一人の女の人生を狂わせ、我が子の亡骸を弄び、悪しき女を蘇らせた。ホムンクルスと少女の淡い恋も引き裂いた。

 時代に投げ込まれた小石。波紋は広がり歪みを作り、未来を変えようとした。誰が泣いて傷付こうと構わない。自分や他人。どんな犠牲を払おうと、私には叶えたい願いがある。そのためならば、悪魔に全てを捧げても良い。“彼女”のためならば、喜んで地獄へ落ちよう。悪魔に魂を売ったその日から、私は人ではなくなった。


「自覚はありますよ。犯人達など可愛いものです。私を超える外道はこの時代にはおりません。そんな私が、小悪党共に遅れを取るとでもお思いで?」

「……そうね。ごめんなさい、失礼だったわ」


 此方の手を握ったまま、少女は深く息を吸う。彼女はしっかり此方を見据え、力強く頷いた。


「行きましょう、頼りにしてるわファウストさん!」


 手を引かれるのは此方。立場が逆だ。なのに何故だろう。どうして彼女を思い出す? 手を引いて二人歩いたあの夜を。

 吹き飛ばされてしまった頭部。思い出したくない。思い出せない。彼女の本当の顔も、忘れてしまったのに。それでもマルガレーテとは違う。ルベカは彼女を彷彿させる外見でもない。


(温かい)


 何時から忘れていた? 過去の世界で幾らでも、他者に触れてきただろう? なのに何故今思う? 人の掌の温度。思い出すのは、そんなこと。嗚呼、こんなことさえ忘れていたのか。


(……忘れようと、していた?)


 未来ではどうせ皆死人だと、触れても何とも思わなかった。触れた過去の人間達の肌からは、いっそ冷たささえ感じた。

 死んでいたのは。この時代に生まれてすらいない男の方だ。彼女は生きている。


(……熱いな。この手は)


 変わったのは彼女だけではないのかもしれない。この手で他の者に触れることが怖いと思う。それら全てに温度を感じてしまったら、壊せるだろうか? これまでのように。


(いいや)


 壊さなければ。過去は淘汰されるもの。未来のための犠牲である。彼らは既に死んだ人間なのだから。温かさなど、夢やまやかし。既に失われた物だ。心を閉ざして仮面を纏え。ほら簡単だ。自分の中から彼女を殺す。目の前に居る少女を死者の側に数えてやるのだ。

 それだけで指先はすっと冷えていき……もはや何も感じない。


(指輪が現れた。……いよいよなんだ。余計なことは考えるな)


 ロンダルディカの指輪。あれは奴らの切り札だ。

 ファウストはホムンクルスと共にこれまで何度も犯人達を始末したが、指輪は見つからなかった。今になり、何故わざわざ指輪を持ち出したのか。考えるまでもない、誘われている。


(連中も勝負に出た。“女王”の到来を待ち望んでいたのは、奴らも同じ)


 呪いを解くためには女王の力が必要だが、許しを得る可能性は低い。犯人はルベカの思い人、ファイデ=ミュラーを殺害している。それでも尚、賭けるに値する物が彼方にはあるのだ。

 一人の娘ではなく、一国の王であるのなら。彼女は個人的な感情を捨てなければならない。たった一人の人間と、全ての民を天秤に掛けられたなら。女王はロンダルディカを選べるだろうか? 同じ滅亡でも、今すぐ民が苦しみ死ぬことと、民の余生分猶予がある滅びであれば……ベルカンヌは女神を選ばない。

 しかしそれでは指輪で釣る必要も無い。奴らの狙いは他にある?


(何をするにもまずは、私の魂を取り戻さなくては)






「仕立屋に出入りしていた人?」


 ゴンドラでの移動中、錬金術師は奇妙なことを聞いて来た。

 説明なしに疑問だけぶつけられても。この人はいつも唐突だ。犯人、その人物像を探るために必要なのだろうか。ルベカは店での記憶を掘り起こす。


「客の他は、材料の仕入れとかの……取引先? 近くのお店なら届けてくれることもあったわ」

「他には?」

「他は――……。ソルディもファイデ君も、私もミディアも。小さい世界で生きていたんだと思うわ。不思議よね……自由に出歩けないファイデ君以外はもっと多くの人との繋がりがあってもおかしくなかったのに」

「貴女は自ら囚われた。“あれ”は図体こそ人並みですが、未だにフラスコの中を生きている。残る二人は――……」

「二人は……?」

「私はよく知りませんのでな。参考までに聞いておこうかと」


 勿体ぶってそれか。ルベカは呆れてしまう。ルベカのしらけた反応に、錬金術師はコホンと咳払い。場を仕切り直した。


「唯の仕立屋の子供達、と言い切るには少々。道化が選んだ以上、無意味ではありません。何かが隠されているはずなのですよ」

「ふぅん、そうね……ファイデ君はどうしてか、運が悪いのよね。身体自体におかしな病気はないのだけれど、ちょっと外出しただけですぐ高熱を出したり怪我をしたり。家に縛られているって言うの? 昔はソルディがそうだったらしいけど」

「ある時を境に、二人の境遇が入れ替わったと?」

「彼女、それを気に病んでいたんじゃないかしら? だからファイデ君のことを大事にしていて、彼に近付く私のことを疎ましく思っていた。私は兄弟も居ないから解らないけど、幾ら二人きりの姉弟とは言え二人の世界が強すぎる嫌いはあったわ」


 ファイデのことになると、思わず饒舌になる。錬金術師の生温かい目に、今度はルベカが咳払い。


「それで……ご聡明なファウストさんは何かお解りで?」

「ボーンヤードの資料には目を通してありましてな。仕立屋ミュラーは一度場所を移しています。強盗が原因で。病弱なご令嬢が撃退した。獄中での記録には、ソルディ=ミュラーへの暴言が残っています。“奇しくも”言葉通り、全ては現実となった訳ですが……夢魔の眷属は、別の顔を持ちます。表の顔まで盗賊という連中は、取るに足らない三下雑魚。消耗品です」

「本当の眷属は、ここにいてもおかしくない人間。それなりの身なりの人ってことね。何でそんな人が夢魔の使いっ走りなんてしているのかしら? 食うに困ってではないわよね」

「まぁ、ある種の呪いでしょうな。夢魔に取り憑かれ、狂わぬ者など居りません。ですから必ず失敗をし、尻尾を掴ませてしまう」

「尻尾にはもう手が届くのよね?」

「これまで全ての事件の犯人は、私とボニーで捕らえるなり始末するなりしました。しかし今回は、なかなか骨が折れます」

「……刑事さんが傍に居ないから?」


 いつもなら軽く流す言葉でも、今の姿で言われると少々心臓に悪い。言葉だけがいつもの錬金術師。しかし表情は子供のそれだ。肉体の若返りに伴い、精神に揺らぎが? 仮面が剥がれかけている。


「代わりに勝利の女神が居りますが?」


 僅かの間を置いて発せられた言葉は、嫌味と言うより弱音めいて耳へと届く。彼は心細いのか? 悪魔が傍に居ないから? ファウストの、余裕が少し欠けている。短い間の付き合いでも、珍しい顔だ。ルベカは驚き、ファウストを見つめ返した。


「それって私じゃなくて、メフィスのことだと思うわ」

「陛下、あれに言ったら機嫌を損ねますよ。あの姿は不本意でしょうから」

「屋敷には、人間以外も居ると考えて良いのよね? でも……それで貴方はそんな顔をするの? 違うわよね。これまでだって散々夢魔を相手にして来た。今回はそれ以外の要因がある」

「魂は人間の履歴書です。誰より良い目と鼻があるメフィスにも探し出せないなど、まず起こり得ない。それが今回は起きている」


 招待状から目的地を悪魔に知らせて捜索させたが、犯人の手掛かりがみつかったという連絡が無い。錬金術師の憂い顔はそのためか。


「別の何かに変換したんじゃない? 錬金術だと抽出って言うの? それなら見つけられっこないわ」

「それは面白い。ならば魂のない人間を探せば良いですね。墓暴きでもしますか陛下? 傑作です。貴女は犯人は夜ごと墓から起き上がってくると?」

「どうしたのファウストさん、貴方らしくないわ」

「私はいつもこんな男ですが」

「うーん、何て言えば良いのかしら」


 本来は性格に難はあれど、知的な年上男性。そんな印象だった男が妙に子供っぽい。そのまま伝えたら失礼だろうか。ルベカは言葉を変えてみる。


「少し、ドキッとしたわ」

「はい?」

「貴方も人間なんだなぁと思ったのよ。女心……じゃないわね。ギャップかしら。強そうな人の、弱そうな一面。意外性? 母性をくすぐるって言うの? そういうの、ちょっと好みよ」

「え?」


 あら面白い。ルベカは吹き出し笑い出す。

 世界の全てを俺は知っているぞと言わんがばかりの錬金術師が。少しからかっただけで顔を赤くしていた。これから雪でも降るに違いない。


「まったく、やめて欲しいわ。私が賭けに負けたら全部お終いなんだから、ファウストさんは私を誑かさないでね」

「……陛下、お戯れを」

「随分参っているのね。何かあったの? ファウストさんともあろうお方が、私みたいな小娘一人に手玉に取られていたら駄目よ。頼りにしてるんですからね」


 冗談のつもりだったのに。意外な反応をされ、ルベカも戸惑う。


(幼くなったからって、似てはいない。髪の色くらいよね。ファイデ君と同じなのは……)

「……私の顔に何か?」

「ううん、何でもないわ」


 じっと見つめた男の顔は、ファイデにもカイネスにも似ていない。それなのにどうして、懐かしさを感じたのだろう? 思い人をあんな風に失った。これからの余生は、悲しみに暮れずっと辛いだけの人生だと思っていた。その私が笑った。誰かをからかい、笑ってしまった。


(ちょっと、怖い)


 早く事件を片付けて、この人から離れたい。万が一でも自分が変わってしまうなんて、絶対にあってはならない。


「はいはい、この話はお終い! ええと、それで……思い出したわ。お医者様よ」

「はい?」

「お店に出入りしていた人。ファイデ君は外にも出られないから、診察には外からお医者様を呼ぶの。ファウストさんも、確かお医者様も兼業していたのでしょう? 昔からお世話になっていた高齢の先生が亡くなられてからは困っていたの。新しく代わりに来ていたのはそうね……知らない? エス先生。A(エス)Chronicle(クロニクル)先生」

「エス、クロニクル? 随分と変わった名前だ。一度聞けば忘れない名だが……私の知る限り、そんな名の医者はいないはず。流れ者の闇医者か、医者もどきか。――……いや、A Chronicleだと!? その医者が来た、最初と最後はいつ!?」

「いつだったかしら……半年くらい前? とても良い風邪薬を出してくれるって、でも薬がもうすぐ無くなりそうで。ファイデ君もまた会いたがっていたわ」

「では“一度だけ”、と言うことですね?」

「ええ。ファウストさん? 先生のお名前が何か?」

「アナグラムだ。道化師――……Arlecchino(アルレッキーノ)!!」

「疲れているのねファウストさん。少し休んだ方が良いわ」

「お嬢さん、可哀想な人を見る目はお止めなさい。これは由々しき自体なのだよ!」


 ルベカの反応に、錬金術師は語気を荒げる。


「暗号は錬金術の基礎だ。解る者にだけ解る伝言。挑発も挑発だとも! 奴は堂々と下見に来ていたわけだよ。犠牲者探しか使い魔探しかは知らないが、治療をしながら“薬”をばら蒔く!! 薬でマーキングをするんだ。“あの本”があっても居場所が割れるわけだ。薬を飲んだ者が目印になる。それで餌共の居場所をカイネスに教えていたのさ」

「それならバルカロラにも、あの人が医者として潜り込んだ?」

「行く先々で当然名前は変えているだろう。外見だってどうか解らん。少なくとも、一度でも薬を飲んだ者の証言は当てにならない。君は飲んでいないだろうな?」

「ええ」

「ならばお嬢さ……陛下。貴女が頼りです。目的地で、その人物を見つけるのです」


ソルディはト音記号Chiave di Sol キアーヴェディソル→ディソル→ソルディ

ファイデはへ音記号Chiave di Fa キアーヴェディファ→ディファ→ファイデ


とアナグラムで命名。

ドレミ~の元ネタである

聖ヨハネ賛歌https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E8%B3%9B%E6%AD%8C

的な意味で、Famuliから上に行ってMira

ソルディはSolve から下へ落ちてLabii と名付けられるのだと思う。


医師の名前は道化師のアナグラムですが

A→エース→由来がas

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