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23:宝石の兜

「目に見えない神を信じる者は、目に見えない悪しき存在も潜在的に肯定している。相反する存在が居なければ、神話も逸話も陳腐なものさ」

「…………」

「案外僕らのような者から縁遠いのは、神も信じない愚か者の方じゃないのかな。彼らは賢いねぇ……君のように、殺されずに済むのだから」

「………………」

「どうしたんだい? 君が崇める者を信じ続ければ良い。それで僕はいなくなるんだろう? あと何秒で消えるかな、一緒に数えてあげようか?」


 祈っても祈っても、夢魔は消えない。声も姿もなくならない。

 少女はこれまで信じた全てに裏切られた。神の存在の有無ではない。“いる”と信じて疑わない者が……信心深い自分を救ってくれない現実は、“いない”よりも残酷だ。


「1,2、3――……」

「そんな大それた者では無いが、ここにいる。道化、貴様を殺す死神は」


 少女が悪夢に深く取り込まれる寸前、黒色の蝶が羽ばたいた。道化は少しばかり驚いて、蝶の群れが一人の男に変わって行くのを見届ける。


「また君か。大したものだよボニー」

「ボニー……?」


 それが黒衣の男の名だろうか? 少女は小さな声で彼を呼ぶ。夢魔よりも禍々しきその男は、悪しき者を連れていた。黒煙の如き悪霊達が彼の周りを飛び交い、男の号令を待っている。

 もう死んでしまった人間は眠らない。夢魔に操られることもない。高飛車ピエロにとって、霊を使役する彼は天敵?


「流石は彼の秘蔵っ子。間に合うなんて君の主ですら一度も無かったことなのに」


 拍手を送りながら、道化は見えない仮面を付け直す。貼り付けられた笑顔からは、驚愕は既に消えていた。この場を乗り切り誘拐を成功させる自信は揺らいでいない。


「でも見たところ……君は、まだ未完成。君の力は死の黒化(ニグレド)。君に出来るのは死なせて夢を終わらせるだけ。眷属・使い魔殺しには長けているようだけど、それでどうやって僕を殺すつもり? あはははは! 銃で撃たれたところでここは夢、僕は身体も――……うっ」

白化(アルベド)を使うのは初めてだ。こうして初めて……間に合った。今度の手下は無能だな」


 真っ黒だった男の出で立ちが、一瞬にして白色に変わる。髪の色素も薄くなり、瞳の色も明るく変わる。まるで魔法のようだった。禍々しいと感じた者に、少女は神々しさを覚えた程だ。

 撃たれた道化が傷口からえぐり取った弾丸は、磨かれた鏡のよう光る。鉛玉はいつしか銀へと変化していた。


「なるほど。“彼”をそれで撃ったか。彼の夢との繋がりを、辿って痛みを感じさせるとはね……」

「夢は今終わらせた。現実で、この子を攫える配下はいない」


 道化が深く取り憑いた主犯を殺害し、絶命の痛みを同調させる。道化が支配する夢の世界で、ボニーは道化に血を流させた。名乗りの通り、彼は死神なのかもしれない。

 けれど少女は怖くなかった。道化に感じた恐ろしさを、彼には感じないのだ。彼の内で燃える炎が。その魂が崇高なものだと思えてならない。


(祈りが、届いたんだわ)


 目に見えないものを信じた。裏切られたと失意に満ちた。その刹那、奇跡はこうして現れた。疑わず、信じて良いのだ。私は償わなければならない。一度でも天を疑ったことを。贖罪のために神は、私に生きよと彼を遣わした。

 少女は目の前の、白い男の向かって祈りを捧げる。


「魂を食って魔力を増やすわ、霊を従えて配下を増やすわ無駄がない。彼は本物の天才だなぁ、君の設計は実に見事だ」

「世辞で手を緩めるとでも? お前が取り憑く者を何度でも殺してやる。一度の死で魔へ堕ちた者が何度耐えられるだろうな。お前が自ら消えることを望むまで、お前は死に続けるんだカイネス」

「魅力的なお誘いだけれど――……僕はまだ消える気はない。ロンダルディアある限り、愉快な道化も滅びない。でも、君を甘く見ていた。それは認めて今日の所は諦めるとしよう。良かったねお嬢さん。君の信仰の勝利だ」


 光を遮る道化が消えて、真っ暗だった夢の世界に優しい光が降り注ぐ。白化による復活。少女の悪夢は、夢の終わりへ辿り着いたのだ。


「起きたか。大丈夫か? どこか痛むか?」


 家まで送ろうと仏頂面で手を差し伸べる男。夢では真っ白だった衣装も目覚めた先では元のまま。墓場警察の黒服。自分を助けるために、人を殺した。

 それでも血まみれの男は、彼の内の魂は。夢で見た白色なのだと少女は思う。


「刑事さん……貴方は」


 何故なのか。目に見えるようになれば、信仰は形を変える。人の形をしたものに、思いを寄せれば名前が変わる。

 道化が残した言葉は呪い。謎の刑事に救われることで、少女の信仰は敗北を迎えた。


(どうしよう……初めて会った人なのに。貴方のことが知りたい)


 どんな些細なことでも良い。一つでも多く、この人を知りたい。私を知ってもらいたい。こんな気持ち、祈りではない。願望だ。我欲ばかりが胸の内にあふれ出す。嗚呼これが、恋というものなのか。


「ああ。私は墓場警察の……レッドだ」

「あはははは! 何それ、……とっても似合わない! ボニー=ホワイトさんじゃないの? 何処が赤いの?」

「おい、現場であまり動き回らないでくれ」

「貴方が逃げるからでしょ!? あっ、解った!! 貴方の目……茶色だけど良く見ると、赤みがかっていて綺麗。だからレッドなのね」

「君の捜索で寝不足だっただけだ。まったく、誘拐されかけたと言うのに元気なお嬢さんだ……。自覚はないだろうが、心身共に疲弊しているはずだ」

「きゃっ……」

「ここからなら署の方が近い。少し休んでいくと良い」


 刑事の行動にはムードも何もない。荷物を担ぐよう担がれ運ばれる。不満を覚えるより先に、どうして胸が弾むのか。触れた彼の肩に温度を感じたから? 彼は神ではない、生きて触れる……体温ある人間なのだ。そう確認できた喜び?


(違う、私は)


 掌でも、指先一つでも。貴方に触れられたことが嬉しい。このまま何処にも辿り着かなければ良い。時間が止まってしまえば良いのに。貴方と二人、何処までも。何処へも行けずに歩いて行けたら、きっときっと幸せなのに。


(ねぇ、カイネス。もし私を今この瞬間に殺してくれるなら。……私は喜んで死ぬと思うわ)


 少女が浮かべた笑みと涙。繊細な心を理解できない刑事には。少女の浮かべた表情は、恐怖からの解放、安堵としか読み取れなかった。


「刑事さん、私。…………マルガレーテって言うの」





「ミディア……“ファウスト”」


 調書に記載された名に、男は因縁を感じていた。後日、亡霊達に調べさせるかと。そんな風に職場から出た夕暮れに。“彼女”を彷彿させる少女が待っていた。

 いや、正確には違う。少女はマルガレーテではない。ミディアは刑事を待ってはいなかった。

 声を掛けてしまったのは、どうにも放っておけなくて。“彼女”もこんな風に、待ち疲れてうたた寝をした日が懐かしかった。悪夢が現実を侵食してくる。幸せな、幸せな悪夢だった。

 恐らく“私”は長く存在し過ぎたのだ。まったく、良くないことだ。今更になって解るのだ。“奴”の心が、“あの男”の感情が。

 何故道化が女王を憎むのか。どうして錬金術師がマルガレーテを魅了したのか。解らなければ滅ぼせない。ファウストは学ばせるため、“俺”と彼女を傷付けた。


(マルガレーテ……)


 君と同じ顔の少女が道化を追うのが不愉快だ。夕暮れに、君と出会わない日々が寂しい。

 多くを学び、理解した今でも。まだ、解らないことがある。


(君は何故――……)


 あの日俺から道化を庇い、滅ぶことを選んだのか。





「大丈夫。怖い事なんてないわ」


 それに誰が気付いただろう。少女はその日も笑っていた。


「祈ればきっと応えてくれる。高飛車ピエロなんていない。いたとしても、そういう悪い物は主が遠ざけて下さるわ。一緒にお祈りに行きましょう?」

「すげーやマギー!! マギーはマギだ!!」

「うん! マギーに話したら怖い夢、全然見なくなったんだよ!」


 マルガレーテと話をすると、子供達に笑顔が戻る。霊からの情報で、俺は彼女を知っていた。若いのに大した娘だと驚いたのを覚えている。

 だからこそ、一度目は間に合ったのだ。彼女が殺される前に。

(奴にとっては目障りか。護衛を付けて置こう)


 彼女は信心深い人だった。道化を見たと怖がる子供達を諭し、祈らせる。信仰は夢魔の天敵ではあるだろう。存在を明確に否定する。或いは容認した後も、より強固な意志で魔の誘いを退ける。悪い言い方にはなるが、妄想や幻覚をより強い思い込み、洗脳で撃退する……というのがその絡繰り。

 ならば何故、彼女は一度カイネスに攫われたのか? 答えは非常に簡単だ。所詮彼女もまだ年若い娘。慈愛と信仰心に恵まれようと、心ある人間は恐怖を捨てることは出来ない。

 他者の恐怖を和らげる際、彼女は何度も耳にする。恐ろしい高飛車ピエロの噂話を。噂はいつしか信仰を上回る洗脳となり、彼女に恐れを抱かせた。

 幻覚を否定しても否定出来なくなった時、厄介者を排除しようと奴が動き出したのだ。

 厄介者がいなくなれば、恐怖は一気に広まっていく。あの彼女でさえ駄目だった。人々は諦め、再び道化を恐れ出す。


「ボニー! 今日はもうお仕事終わり?」

「はぁあああ……何度も言うが、若い娘がこんな時間に」

「そう。とっても危ない。何処かの危ない紳士に乱暴されてしまうかも。今日も送っていってくれるでしょ、刑事さんなら」


 俺が助け出してからの彼女と言えば、教会へ行く回数も減り……その分墓場警察へ入り浸る。主への愛も恋の前ではこんなものかとからかう者もいた。それから…………彼女は別の男と恋仲になり、人々の間からは“信心深い娘”への信仰も薄れていった。所詮、その程度の女だったのか。失望した者もいただろう。

 ファウストが彼女に近付いたのは、夢魔を退ける力の研究に違いない。仕事に追われる俺では常に彼女を守れない、彼女も奴の傍に居た方が安全だ。彼女がいてもいなくても、何時からだろう。言い訳を探すことばかり考えていた。自分の事ながら、非効率な時間消費が不可解だった。


「……マルガレーテ?」

「ひっ……! あ、……ボニー」


 彼女と会うのは大凡いつも夕暮れだ。彼女は家の仕事が片付いて、俺は仕事を終えた頃。

買い物が終わっても真っ直ぐ家に帰らずに、墓場警察なんかに寄り付いて。ファウストが現れてからは、昼から奴と……いや、忘れよう。

 兎にも角にも、夜更けに遭遇するなど珍しい。若い娘が夜中に一人歩き? 嫌な予感がした。また夢魔に付け入られているのではないか?

 フード付きの闇色マントを頭から被り、人目を憚るよう怯えながら街を行く。目的地の方向は、彼女の自宅のようである。一体何処から帰って来た?

 声を掛けると怯えと安堵を交互に瞳に映し出す。何か怖いことでもあったのか、無理に聞き出しこれ以上怯えさせてはならないが、夢魔の仕業であるのなら見過ごせない。事情を探る必要はある。


「ひ、久しぶりね! お仕事はどう? ちゃんと休めてる?」

「俺のことはどうでもいい。君こそどうした、こんな時間に。あまり遅くに出歩くな。家まで送ろう」

「……ありがとう、ごめんなさい」

「それか。ファウ……ハンスにでも送らせろ。一応、君たちはその……そういう仲なのだろう?」


 男の名を口にしたところで、彼女はヒュッと怯えて息を呑む。何の感情だ? 彼女は身を震わせ立ち尽くす。


「……グレーテ、様子がおかしい。何があった?」

「…………ボニーは刑事さんだから」

「それがどうした?」

「ボニーは墓場警察だから、私が悪いことをしたら捕まえるのよね」


 俺は悪夢から君を助けた。君の精神に触れたのだ。その時に君がどれだけ良い人間かを知っている。君が罪など犯すものか。どんなことでも許してやりたい。


「…………時と、場合による。俺の管轄外なら無理に労働する気はない」

「そっか……」

「誰かがもし、何者かに操られ罪を犯したならば。俺はその元凶を叩く。その者の罪が軽くなるよう働きかける。込み入った事情があるのなら、名を変えさせて国外に逃がす。……そうやって解決した事件もあ……グレー、テ?」

「ねぇ、ボニー。私を助けて。私……まだ、怖い夢を見ているの」


 俺に縋り付いた少女の腕は冷え切っていた。青白い顔と指先は、死人のそれのようだった。


「起きても、夢が終わらないの。こんなの、私の現実じゃないのに……夢がまだ、終わらないの。助けて……あの時みたいにもう一度、お願いよボニー」

「グレーテ、大丈夫だ。落ち着け。落ち着くんだ。話をしよう、ゆっくりでいい。息を吸って、気持ちを落ち着かせるんだ」

「駄目よ。飲んでも、飲んでも飲んでも飲んでもっ! まだ居る気がする。嗚呼、駄目だ駄目だ、こんなんじゃ駄目。もっと飲まなきゃ!!」


 様子がおかしい。彼女は突然俺を振り払い、自身の服を探って次々に瓶を取り出す。銀色に輝く液体に、俺は目を疑った。


「やめろ! 本当にどうしたんだ君は!? そんな物、身体に毒だ」


 彼女がそれを飲み下す前に、瓶を奪って叩き割る。しかし彼女は石畳に落ちた液体に迷うこと無く口付け啜る。


「グレーテ……」


 彼女は狂ってしまった。壊れてしまった。あの男は何をした!? 水銀を求めるような理由――……思い当たって絶句する。

 噂では聞いていた。“父親”本人にも聞いた。どうせ生まれぬ子であると。彼女の外見に変化は無かった。ならば人の悪意ある噂だろう。彼らの仲睦まじさに当てられ流された……唯の、悪意であると。

 けれどもし、真実であるならば? 腹の子は何処へと消えた? 彼女は何時から水銀を飲み続けている? 気が狂れるまで、何度も……何度も?


「足りない足りない、駄目よこんなの。もっと飲まなきゃ、いなくならない。……でも、どうするの? 今度は何処に埋めれば良いの? 何回土を掘れば良いの? 墓を幾つ作れば良いの!? 戻ってきてる、戻ってきてるっ!!」

「グレーテ!! 待てっ!!」


 妄想と幻覚に追われ少女は逃げて行く。慌てて追うが、追いつく前に家に着く。鍵を破る前に、彼女の家からは悲鳴が上がった。彼女の兄の声だった。

 捕らえられるわけがない。今度の犯人は。彼女を死へと攫ったのは、誰でもない……彼女自身。


「ふ、ふふふ。やっと。やっと……いなくなった。やっと……元通り。貴方が悪夢を終わらせてくれた。そうよね……ボニー?」


 無理矢理扉を破った時には、マルガレーテの腹は空っぽになっていた。自ら切り裂き腸と胎を引きずり出した。彼女は、殺人の罪に耐えきれなかった。嗚呼、もっと早くに気付くべきだった。彼女がまだ狙われていたことに。

 近年道化は二人殺しに熱中している。使い魔候補ではない犠牲者は、死者の数で選んでいる。ファウストは。あの男は彼女を再び攫わせるため近付いたのだ!!





「あっはっは! 墓場警察が墓地にいるなど新手の喜劇かいボニー? そんな愉快な君に、良い知らせと悪い知らせだ。どちらから聞く?」

「これ以上の最悪が何処にある?」


 雨の日だ。昼か夜かも解らぬ夕暮れ時。少女の墓前にボニー=レッドは立っていた。参列者は既に去り、供られた花々は雨が無残に散らせてしまう。

 短すぎる人生。少女の名と十数年を刻んだ墓石。歴史は変わらない。例えば抗えない運命というものがあり、道化や錬金術師が現れず……同じ日に少女が死んでいたとして。時の化け物共は、同じ事だと笑うだろうか。後ろを振り返るまでもない。男は平然と、笑っているのが解る。彼女の恋人でありながら、彼女の死に何の感情も抱いていない。心を持って生まれた人間の癖に。


(どうせ同じ日に死ぬのだとしても……! 幸せに死なせてやることだって、お前には出来たはずなのに!!)


 雨の勢いが増している。いっそこのまま全てを水銀にして、錬金術師を殺してやりたい。……できるものなら。


「悪い知らせは既にご存知の通り、マルガレーテが死んだ。罪の重さに堪え兼ねての“自殺”だ」

「“最悪”は……お前がその間抜け面を、見せに来たことだファウスト!」


 振り返った先、少年……男は常日頃と変わらぬ軽薄な笑みを浮かべていた。殴りかかる此方の反応を、男は面白がっている。

 自分はこの男に作られた。被造物は創造主に危害を加えられないよう設計されている。痛いほど握りしめた拳は男の眼前で止まる。此方の意思もお構いなしに。不可視の壁は破れない。ならばともう一方の手で銃を男に突きつけた。


「何が自殺だっ!! 彼女の心身を水銀が蝕んだ結果っ……お前と道化による“殺人”だ」


 錬金術師による魅了の効果が切れた後、彼女の腹には子があった。恐れに駆られた少女は、水銀の堕胎薬を服用したのだ。胎児殺しも罪に問われる。

 罪の片割れなら目の前に居る。責任も取らずにのうのうと、まだ生きている。お前だけ。


 何度となく俺は悔やんだ。俺には再び彼女を救う機会があったのに。理由を付けて、見逃した。あの夜彼女は、堕胎した胎児を何処かへ埋めて来た。その帰りに俺に遭遇したのだ。だというのに俺は、全てが明るみに出るまで気付けなかった。彼女が何らかの罪を犯し、助けを求めていることに気付いていたのに。どんな言葉を伝えれば、彼女を救えるか俺には解らなかったのだ。

 だがお前は違うだろう? お前は人間だ。出来損ないのホムンクルスは、涙も流さずに吠えた。


「お前は彼女に何をした!? 彼女がああなるまで何故放って置いた!! 何故彼女を守らなかった!!」


 お前は人間だ。時を超え姿や名を変えようと、魂も心も持った人間だ。お前には、彼女が理解できたのに、どうして彼女を見殺しにした? 俺にはこの男がどうしても理解できなかった。


「…………“大いなる作業(マグヌス・オプス)”。全てはお前のためだ、“錬金炉(アタノール)”」


 ボニー=レッドの顔を見て、錬金術師はにたりと笑う。

 魂のない不完全なホムンクルスが、感情を露わにした。マルガレーテの犠牲は全て、“大いなる作業(マグヌス・オプス)”。賢者の石を作るため? 俺が感じている痛みも、彼女の無数の傷跡も。必要な犠牲とファウスト、お前は笑うのか?


「おお、怖い怖い。創造主に刃向かうか? 意思の力で自ら致命的な欠陥を生み出すなら、君は壊れて滅びてしまうのに?」

「上等だ。お前が二度と口を利かぬようになるなら、俺が壊れる価値はある」

「出来ないよボニー。君は人間ではない。お前には魂がない。悲しみを覚えても、魂がなければすり減る精神も存在しない。お前は感情により、自壊は出来ない機構なんだよ。死にたいのなら、肉体を損傷するべきだね。まぁ、その身体は最高傑作! 頑丈に作ったから滅ぶことも難しいが」


 目の前の男を今すぐ黙らせたいが、指が動かず引き金を引けない。壊れる自由ない、完成された不完全。あの時俺は、道化よりもこの男が憎かった。道化を滅ぼすという役目を終えるまで、刑事は滅ぶ自由も与えられない人形だった。


「錬金炉、それが怒りだ。しっかり味わい忘れるな。そして次の食事は――……喜びだ。良かったなボニー、また彼女に会えるぞ。マルガレーテは……奴の使い魔になった」


 それが良い、知らせ? 最悪のお代わりだろう。だが、この例えようのない身の震えは何だ? 倒さなければならない敵として。しかし再び彼女と会える。言葉を交わすことも出来る。

 夕暮れに。彼女が待つ場所へ、歩いて行く時に感じていたもの。それが何十倍にもなってあふれ出すような、奇妙な感覚。今や彼女の名を聞くだけで、心臓を握りしめられた錯覚を覚える。止まってしまった心臓を、無理矢理蘇生させられているようで気分が悪い。にも拘らず、両手の指先まで痺れ熱を帯びて震える。


「使い魔、だと……?」

「もう暫くすれば仕事を覚える。暴れ回る前にお前が始末するんだ」


 男の言葉に震えが止まるが、不思議と腹が立つ。必要な事と理解しているが、命じられた内容にも。

 使い魔は早期に始末しなければならない。使い魔を得た後、道化が子を攫わなくなるのは使い魔探しを達成したから。その後は使い魔が代わりに働くためである。


 マルガレーテは使い魔。使い魔は、霊によって成形される。魂は悪魔の元にあり、配下の亡霊を使っても使い魔から魂は奪えない。亡骸が不死であるため、霊である使い魔を消し去ることは難しい。


「ボニー。これまで使い魔はどう殺して来た? 霊共はカイネス……魂より生まれた悪魔には有用だが、霊から生まれた存在には対抗できないとは教えたな?」

「……使い魔は、俺が追い詰めた」

「ああ、その通り。奴の妨害がなければね。君が黒化し死を操れば訳無い仕事だ。今回もいつものようにやればいい」

「…………」

「食事に理性は不要だ。お前の手下は魂しか食らえない。だが、お前は霊も食えるのだ。時に仲間の亡霊を糧とし無念を継いで、お前は道化を追ったはず。お前は霊からも魂からも魔力を抽出出来る。炉に取り込み硫黄と水銀を結合させるがお前の役目」


 ひとつ、ふたつ……数え上げればキリがない。創造主と自分の違い。マルガレーテと自分の違い。異常性。

 ファウストは、俺に愛を学ばせようとした。愛により狂い壊れた道化を滅ぼすには、愛を理解しなければならないと。だが、そんなものは詭弁である。

 全ては“錬金炉を使い、賢者の石を作る”ため。ボニー=レッドは人ではない。ホムンクルス型錬金炉。魂を与えずに造り……多くの霊を身に宿らせた。


「君が始末しなくとも、ある程度暴れた後に奴が見限る。あれは狂っているから」


 奴の言葉は確かなことだ。これまで多くの使い魔が、道化によって始末された。悪夢の拡散、被害者増加のために使いを得るのに自らを壊す。愚かな道化は、自分以外が愛した国を壊す様に耐えられなくなる。使い魔を自己同一視している内は良いが、見限ったら最後……使い魔は用済み。

 捨てられぬよう主に喜ばれるよう健気に働く程、道化の理想より使いは遠ざかってしまう。或いは、過去の己を思い出すのか。女王のために働いて、消されてしまった自分のことを。見ていられずに、壊してしまう。皮肉にも、彼女と同じ事をして。




 悪魔は魂より転化し生まれ、多くの場合魂により魔力を得る。契約により誕生した使い魔は、魂を悪魔に奪われ霊より転化したもの。

 霊は水銀のみで構成されるが、死んで間もない者は魂と霊が結合している。二つは時間の経過で分離。霊から魂……硫黄が剥がれる。それから霊は記憶や感情を失い消滅する。

 使役する亡霊も例外ではない。強力な霊を維持するために、上質な水銀――……時に魂を食わせる必要があった。食料にして良い現実犯が消え、食料に出来ない使い魔が暴れ出す段階に入ってしまえば、此方は消耗戦。 使い魔が得た魔力は道化の手に渡り、多くの魔力を得た夢魔は悪夢の感染を広げる。長引く程不利になる。使い魔をすぐに始末する最大の理由がそれだ。墓場警察と錬金術師だけで対応出来ないレベルまで、悪夢が広がればいよいよロンダルディアは危うい。


(殺さなければ。俺が彼女を……俺が、あの子を?)


 悪魔に引き剥がされようと、死んで間もない使い魔は、魂と霊の違いを認識できない。痛覚が繋がっている。霊が消えれば魂も無効化できる。

 しかし完全に意識まで分化したなら、霊を消しても使い魔を殺せない。夢魔から魂を取り戻して消滅させる工程が必要になる。これまでは、そうなる前に速やかに使い魔を殺害して来た。


(カイネスっ……俺が、彼女を倒せないと知って――……彼女を使い魔にしやがった!!)


 苦しみ始めた“錬金炉”に創造主は優しげに語りかける。


「なぁボニー? お前にはもう、感情が芽生えているのだろう? どうせ飽きたら壊される哀れな玩具なら。お前が彼女を愛しているのなら、お前の手で消してやるのが良いとは思わないか? む、これでも駄目かそうか、それなら――……」


「なぁボニー。彼女が“ロンダルディア”だと言ったらどうする? 彼女を永遠に縛り付けるため、奴が死へ誘ったなら? 役目を果たせば君の望み通り、壊れる自由をくれてやろう」


 彼女が“女王”であるのなら。終わらせられる、こんな痛みも苦しみも。彼女を壊し、俺も壊れる。主から贈られる残酷な言葉は、俺には救いに思えた。





 かつては道化の天敵だった少女が、今や優秀な使い魔。使い魔を得てから、夢魔の被害者は何倍にも膨れ上がった。国内では産業発展による水銀中毒が疑われたが、あれは使い魔の暗躍が大きな原因。


「飲み過ぎなければ良い。大丈夫、適量なら毒じゃない。見つからないように、ちゃあんと隠してあげる」


 使い魔は、哀れな女達を言葉巧みに誘い出す。

 夢で操り関係を持たせ、街の彼方此方で醜聞が聞こえてくる。

 道化の呪いは国の滅亡。問題や事件でも民が増えるは喜ばしい……そう考える上方が、水銀を取り締まったらどうなるか。そうだ、悪夢の浸食が広がる。


「みんな、無かったことにすればいい。嫌な夢を終わらせましょう? きっと楽になれるわ。簡単な事よ」


 元いた場所にお帰りと囁くは、彼女が思い実行できなかった方法。魔に堕ちるとは、信仰と罪悪感の喪失。

 夢とは何より恐ろしい。目覚めて見る夢は何よりも。

 土に埋めればいつか見つかる。ならば腹に隠せば良い。自分では無く相手の男の腹に、調理して。それが我が子と解らぬように夢を見せ、上等な料理と思い込ませる。

 ここまで酷い使い魔には初めて出会った。彼女が受けた傷や痛みが増幅されてロンダルディアに襲い来る。

 肉体を破壊され、行き場をなくした霊が泣き叫ぶ悽惨な犯行現場。精神が宿るのは魂で、霊には本来感情はない。彼らにあるのは肉体を通じた記憶だけ。そんな霊が悲鳴を上げる。

 痛いと感じる心がないのに、記憶の外装だけで恐ろしい叫び声を上げるのだ。聞こえない人々も、あれを聞き続ければ心身に支障を来す。気付ける者は少なかったが、二十四年前に一度王都は地獄と化した。


「いらっしゃいボニー! 会いたかったわ!!」

「……マルガレーテ」


 使い魔としての彼女は、捨てたい過去全てを捨てた存在で。対峙する度幸せそうに笑っていた。ヴァイオリンを模した衣装、水銀を表す緑獅子の尾と耳……腹部は卵形の空洞。彼女の罪と罰を象徴する姿で新たな使い魔は誕生した。


「嫌だわ素っ気ない。愛称で呼んでくれなきゃ、愛を込めて」

「そんな君に、会いたくなかった“マルガレーテ”」

「カイネスじゃなくて。貴方が私を攫ってくれたら、あの頃と同じように今も笑っていられたかもしれない。私をこうしたのは、貴方なのよ? そうでしょ、“助けてくれなかった”ボニー=レッド?」


 育むは愛か命か永遠か。肉というフラスコ、錬金術の実験にあいつは彼女を利用した。

 不透明な器の中で、ホムンクルスを作ってみて欲しい。見えず解らない恐怖を想像して欲しい。彼女は生きたフラスコだ。自ら壊れる以外に、実験を止める手立てが無かった。


「ハンスはいないの?」

「君が、……会う必要は無い」


 薬の効果が切れてもまだ、あの男への想いがあるのか? 憎しみでも奴に囚われているのか?

 ボニーは陰鬱な声で応えるも、少女ははぁと溜め息で返す。


「残念ね。彼が来るのを知っていたら、シチューを用意していたのに」


 真意に気付き、ぞっとした。我が子の肉を男に食らわせ此の世から消してしまおうと? 出会った頃の同じ愛らしい顔。造形は変わらぬままなのに、彼女の表情は悪意に満ちている。


「ごめんねボニー、貴方には食べさせてあげられないの」


 その瞬間だけ、彼女の声に悲しみが宿る。彼女の腹には、彼女自身がえぐり取った卵形の空洞。彼女の命と未来を絶った、悪しき傷跡。


(俺が、人間だったなら――……)


 迷うことも、思い留まることもなく抱き締められただろうか。仮定の話は虚しい。苦しむだけだ、心など。


(マルガレーテ。お前が“女王”である以上……俺はっ!!)


 魂を道化から奪い、消滅させることが出来たなら。これで道化の呪いは終わる。終焉を見せ付けたい相手が永遠に失われたのなら、道化の復讐は意味を失う。

 奴が彼女を使い魔にした理由は、それだ。魂を奪い縛り付け、愛した国が衰退し滅びていく様を眺めさせたかったのだ。マルガレーテの暴走を止めない理由は、女王自身が民を虐殺していく様が愉快で堪らないのだろう。


「…………君の、望みを叶えよう。おいで、マルガレーテ」


 両手を広げ、彼女を誘う。心ない人形が、愛の奇跡を乞うように。瞳を赤へと変えて彼女を呼んだ。


「嘘っ……“赤化ルベド”まで至ったなんて。本当に、“賢者の石”が……?」


 ふらふらと、少女が此方へやって来る。


「心臓が石だ。抉り取れ。君が帰りたい時代に、戻れば良い……“グレーテ”」


 賢者の石はここにある。不老不死でも何でも出来る。やり直すことも、蘇ることも。怯えながら、疑いながら近付く彼女に呼びかける。“愛”を込め、グーレテと。


「……温かい。貴方が……“君”がこうしてくれるのは初めてだね」

「!?」

「あっはははは! 道化の舞台で僕より楽しいことをするのは駄目だよボニー?」


 抱き締めた瞬間、抜き取られた心臓。使い魔に道化の意識が乗り移った。彼らは主であるカイネスの器。予想はしていた、ここまでは。だが――……


「安心しろ。笑われるのはお前だ道化っ!!」


 使い魔という水銀(霊体)に、道化の硫黄()が入り込んでいる。ボニー=レッドは“錬金炉”。成功するか失敗するかはどうでもいい。材料が揃えば、石になるのは奴らの方だ。この身体の何処にも、石などありはしない! 抱き締めた腕、胸の穴で、炉へと誘い閉じ込める!


(やはり、掛かった!!)


 愛しの女王を消される前に、お前が現れると踏んでいた。カイネスの魂を掴んでいる今、屠るは容易。後は炉を動かす“錬金術師”さえ居れば!!


「手を貸せ、ファウスト!!」


 自力で出来る手品など、炉の火を目に映すくらいが精一杯。悪魔の力で姿を隠していた少年が、“大いなる作業”を始めれば全てが終わる。錬金術が終わるまで、俺は炉として霊と魂を封じ込め続ければいい。


「彼女はベルカンヌじゃない。この子の魂は僕の内にある。一緒に溶けて良いのかい“フォスタス君”?」


 炉の中で夢魔の声が響く。錬金術を恐れ、ファウストを説得しているのか? 無駄なことを。


「過去の魂が死ねば、未来で蘇ることは無くなるよ? 君の愛しい“グレートヒェン”が」


 その名は何だ? しかし、奴には確かな効果があった。此方が知らぬ名を巡り、契約悪魔と錬金術師が揉めている。炉を開けなければ魂を確認できない。


「欺したのかメフィスト!! あれが、“彼女”だったのか!?」

「馬鹿かっ!! あんなもんに惑わされるな!! 早くやれっ……てください!!」

「契約に従い、真実であると誓えるか!? この時代に彼女はいないと誓えるか!?」

《熱い……痛い、助けて……”フォース”……》

「“グレーテ”!! 本当に、君なのか!?」


 ファウストはもう駄目だ、“女の声”が聞こえた途端正気を失った。このために俺を作っておきながら、土壇場で裏切った。もはや頼れる者は己と……


(亡霊達よ!!)


 ボニー=レッドは大声を上げ、口から使令を呑み込んだ。炉へと水銀の亡霊を送り込み、道化の魂を食らわせる。

 炉内に水銀が増えれば、何らかの反応が起きる。亡霊に食らい尽くされては堪らないと、魂は暴れ回る。マルガレーテの霊だけで、道化を守り切ることは出来ない。


「“戸を開け、錬金炉”」


 正気かファウスト。此方が有利、この場を耐えれば道化を消せる。彼女一人諦めるだけで、全てが終わるのだ。お前はたった一人の女のために、俺に開けと命じるのか!?

 炉の中で、亡霊達が泣き叫ぶ。復讐が終わろうとしているのに何故、錬金術師が邪魔をする?


「ぐぁっ……!」


 押さえつけられた口元。奴の手から送り込まれる硫黄――……何から抽出したのだ? 咥えさせられたのは冷たい石と金属。それから大量の硫黄が注ぎ込まれる。恐ろしい魂だ。何世紀にも渡り、恨みを蓄積させた亡霊達にも勝る恐るべき精神力。魂を食らっていた亡霊達が、散り散りになり逃げて行く。

 残っているのは炉の扉。内に道化を押し留めるは、ボニー=レッドの意思。


(俺の身体に硫黄はない。俺の塩と水銀で、魂だけは……逃さない!)


 魂の欠けた器は、取り込んだ魂を逃さぬよう、完璧な人間になろうと足掻く本能がある。そういう風に、この錬金術師が作った。矛盾しているのは何方だ? お前の方だファウスト。

 創造主に刃向かえば、道具は壊れる。それでも意思で抗った。壊れてもいい、道化を道連れに壊れるのなら……存在理由を果たして死ねる。


「“開け、錬金炉”」


 口内に侵入した男の指先が、上顎を撫ぜる。これはあれだ、ゴーレムの文字を消すように。


(ファウ……ストっ!!)


 錬金炉に幾つの技術を組み合わせた? ホムンクルスにゴーレムに……。何者にしても不完全、不完全故に強靱。一時的に機能を停止するだけ、文字を消されても俺は死ねない。唯、一時……この男に抗う力を無くす強制終了機構。

 あらん限りの憎しみと、恨みを込めて奴を見る。胸を押さえる手は、糸の切れた人形。だらりと今や地に触れる。炉は開け放たれて、魂を留める術ももはやない。

 男は亡霊の燃える炉へ手を伸ばし、魂を掴み上げる。道化の魂が焼かれた内側――……燃え残った少女の魂。男は悪魔にそれを見せ、誰の物かを確認させる。


「これは誰の物だ、メフィスト」

「…………馬鹿野郎!! 天才の癖に使い魔の性質も知らねぇのか!! 今更読み取れるわけねぇだろがっ!! それは今の今までマルガレーテの魂でしたよクソファウストの旦那!! だけどな使い魔ってのは――……主のためにあるんですよ!! 身代わりなんです!! 保険なんです!!」

「馬鹿はお前だ。既に分解させた。彼女と奴の魂を切り離した!! 彼女自ら奴を庇わなければ、奴が出て来るなど――……」

「悪魔は欺しますけどね、嘘は吐かないんだよクソファウスト様!!」


 破壊された肉体。地に伏して大馬鹿者の口論を聞く。

 それでもボニー=レッドは眠れない。錬金炉は夢など見られない。ファウストの手から飛び上がった魂が道化の形を取り戻し、一筋涙を流すのを……見上げる悪夢。現実の中、生きていた。死に損なって、生き延びた。壊れることも、出来ないで。


(マルガレーテ、君は何故――……)


 君は女王でもないのに、カイネスを庇ったんだ?

 どうして俺を、一緒に死なせてくれなかったんだ?


「“甘いのよ、貴方はいつも”」


 突如響いた声で、我に返った。今はいつだ? 何年だ? 暗くて何も見えないが、ここは一体何処なのか。


(……“走馬灯”?)


 嗚呼、やっと俺は死ぬことが出来るのか。暗闇の中、瞼を閉じてまどろんで。眠ってしまえばようやくに。


「“レッド刑事”!!」

「!?」


 姿は見えないが声はもう一人分。あれは誰だ? 五月蠅くて目が覚めて来る。いやそれよりも。“貴方はいつも”……?


(“あの女”は、誰だ?)





(大丈夫、大丈夫……大丈夫、大丈夫)


 砂の中、ミディアは大きく息を吸う。空気が尽きる前に脱出しなければならないが、辺りから人の気配が消えるまで大人しくしなければ。

 知らないけれど、“知っている”。この壁は、護符を剥がせば砂に戻る。


(大丈夫、大丈夫……)


 あの女の誤算。“私”が“知っている”ことを、彼女は知らなかった。彼女の知識は何者かの受け売りで、自ら学んだ知識ではない。思うに以前、同様の術を“見た”記憶があるだけなのだ。


(大丈夫……)


 レッド刑事は強い人。そう簡単に死んだりしない。銃声は聞こえたが、それが何だと言うのだろう。

 彼は瀕死状態かもしれない。人が集まる前にここから移動させなければならないが、本当に彼らは帰っただろうか?

 ミディアは一番先に、ゴーレムを増やすことにした。天井、床、四方の壁。壁一枚一枚を別の個体に変える。その上で、床のゴーレムだけ殺すのだ。


(穴を掘れば、壁を壊さず外に出られる)


 地盤が緩み、押し潰される前に床から壁を越えて穴を掘り、地上まで這い上がる。

 形の整えられた綺麗な爪には砂が沢山入ってしまった。服も濡れて泥だらけ。汚い。汚いのに、私は笑っている。


(私は死にたくないっ……まだ私は、“ミディア”でいたい!!)


 馬鹿みたいだ。今も昔も、自らの美しさしか誇れるものがなかった。そんな私が汚れながら必死になって。生まれてこなければ良かった。そう思い続けた私が、こんなに惨めに生きようとしている。肉体にも僅かな魂は残るのだ。肉体(ミディア)はまだ、生きたがっている。(フェレス)の私もそう思う。


(ソルディちゃん、ルベカちゃん――……レッド刑事。生きる価値も、救う価値もない私を……みんなは何度も助けてくれた)


 私は“悪魔”なのだから、対価には奇跡で応えなければならない。与えられた物を唯享受してはならない。私が本当に悪魔なら。例え彼が本当に死んでいたとしても、私が彼を蘇らせる。


(私だって、“リュディア(わたし)”だって!!)


 ファウストより以前。愛しい道化を取り戻すため、ありとあらゆる術に縋った。

 “知らない”ことを、“思い出せ”。彼に出来た事ならば、私でも叶えられる奇跡。


「本当に、そうかしら?」

「!?」

「もっと急がないと。まだ壁の向こうへ行けないの? 床が駄目なら崩れちゃう。崩れた砂に押し潰されて、貴女が死ぬのは別に良いの。でも、借りたものは返さないと駄目じゃない?」


 背後から聞こえた子供の声に、ミディアは思わず飛び退いた。


「あ、あなたは……!?」


 ミディアの後ろでしゃがみ込んでいたのは一人の少女。ミディアはその顔によく見覚えがある。毎朝見ている自分の顔だ。


「お姉さんはどうして私の名前を使っているの? 私の身体を使っているの? いつまで使うの? いつ返してくれるの?」

「え……あ、ご、ごめんなさい」


 これも悪夢か現実か? 少女の言葉への疑念はあるが、反射的にミディアは頭を下げてしまう。


「困るの。そうやって身体が生きていると死んだって認めて貰えなくて、私は生まれ変わることも出来ない」

「あの、貴女はまさか……」

「うん。私はミディア。ミディア=ファウスト」


 決定打となる少女の言葉に、砂を掘る手が止まる。その頃フェレスはすっかり青褪めていた。


「貴女をずっと見ていたの。ソルディちゃんの傍に貴女はいたのに、どうしてあんな……酷いことをしたの?」

「わ、私は……」

「貴女なら、私の代わりにソルディちゃんと仲良く出来たのに。どうしてあんなに悲しい顔をさせていたの? ソルディちゃん、私を名前で呼んで、くれなくなった」

「…………ごめんなさい、でも」


 “ミディア”は再び顔を上げ、両手を動かし砂を掘る。少女が現れる以前より、速度を上げて思い切り。


「私の罪を数えたら、もう両手の指では足りないの」


 今更罪が一つ二つ増えたところで何なのか。私が許されない人間で、誰より地獄へ落ちるべきだと知っている。この身体は私の物。本来の持ち主だろうと私が死ぬまで返さない。何も手に入れられなかった“私”が、やっと手にしたものなの。私が“ミディア”として生きた時間は、かつての生より多くのものを与えてくれた。


「私が、“ミディア=ファウスト”! 貴女じゃなくて、私をそう呼んでくれる人がいる。私がミディアであるために、私は刑事さんを助けなきゃ」

「そうやって全部、貴女のため?」

「こんな私を……生きててくれるだけで良いって、言ってくれたの。だからあの人の居ないところで、私が勝手に諦めるなんて……っ!」


 あの人が死にそうなら、今度は私が言いに行く。貴方に生きていて欲しいって。こんな私を庇って死ぬなんて、決してあってはならないこと。


「でも、あの人が大好きだった人の娘って……お姉さんじゃ無くて私だよ? 刑事さんが助けたいのは私じゃないの?」

「…………“貴女、誰?”」


 レッド刑事は見えないものが見える。本物のミディアの霊や魂が傍に居たなら、無視せず手を差し伸べたはず。それならこれは、その何方でもない。


「…………やーめた。気分が乗らなくなったわ」


 少女は溜め息を吐き、つまらなそうに言った。


「やっぱりあんたは、“ミディア”じゃない。あの子はもう、死んだんだ。はっきり解ったわ」

「っ!? もしかして……ソルディ、ちゃん!?」


 再び手を止めてしまった“ミディア”に、少女は呆れて「馬鹿みたい」と零す。


「ソルディちゃん、ソルディちゃん!!」

「夢じゃ無いんだから、生者が私に触れられる訳無いでしょ」


 霊体の使い魔に抱きつこうともすり抜ける。すり抜けたまま抱き締める。

 もはや欺す必要もないと少女は使い魔の姿を現すが、変わらず“ミディア”は触れられない使い魔に抱きついていた。


「……ごめんなさい、旦那さんも女将さんも守れなかった」

「別に、どうでもいいわ。もう私には関係ない人達だし」


 両親が心配で見に来たのではなかった? 使い魔の冷酷な声。ソルディは本心からそう告げている。ならば自分を気に掛けて――……などと希望的観測は出来ない。


(このタイミング……あの人の指示だ。“レッド刑事の死亡を確認に来た”)


 彼を助けないように、“ミディアの霊”を騙り時間稼ぎを企んだ。こうして抱き締めている間も、ミディアは彼女の掌の上。

 死んでしまった友人と、まだ生きている恩人を天秤に掛け……ミディアはソルディを投げ出した。もう壁が崩れることもお構いなしに、ミディアは天井の文字を消す。崩して、押し潰される前に上へ上へと藻掻いて這った。光より先に見えたのは……一面の赤。


「レッド刑事!!」


 彼の服に違いない。手を伸ばし掴んだ先で、服は脆く崩れ落ちた。血液の染みた砂だと気付き、ミディアは残りを這い上がり地上へと顔を出す。


(どうして……?)


 血の染み込んだ砂の上、彼の姿が何処にも見えない。聞こえた声は、服を持って行けと言っていた。なのに彼の身体もない。

 日は昇りきっている。倒れている刑事を見つけた人間が、街まで運んでくれたのか?


「…………消滅を確認。カイネスに教えなきゃ」

「待ってソルディちゃん! 消滅ってどういうこと!? 刑事さんはまだ……あの人はそんなに簡単に死んだりしないよ!!」

「随分な入れ込みようね。あんた本当は誰でも良いんじゃない?」

「え……!?」

「あんたに関わって、あんたを守ろうとする人間は、みんなみんな死んでいく。例外があると思うの?」


 そうやって、私も死んだ。ソルディの指摘にミディアは何も答えられない。

 使い魔はしばらくの間返答を待っていたが、何も言い返せないことに呆れて姿を掻き消した。


「私の、所為で――……」


 誰も居なくなった海岸で、ミディアは再び砂を掘る。今度は下へ下へと砂を掘る。刑事が何処かに埋まっていないか。血の臭いが染み込んだ、砂を掻き分け手を汚し……触れられる者を求め続けた。


「痛っ……」


 やがて、指先は硬い石に触れ僅かに欠ける。何だろう、周りの砂を掻き分け拾い上げたのは赤色の宝石だった。“ミディア”はそれが何か解らない。しかし“リュディア(わたし)”は気が付いた。


「“赤化(ルベド)”……?」


 服でも身体でもない。肝心なのは霊と魂。敵の誰にも見つからず、彼を助け出したい。そんな“ミディア”の願いを叶える姿になって、ボニー=レッドはそこにいた。

ボニー回。死にそうで死にそうで死にそうでまだ死なない。

ミディアの成長? と、ソルディとの再会&すれ違い。

マルガレーテがベルカンヌだと勘違いしていた男達。

嘘は言ってないけど欺すカイネス(ベルカンヌじゃないよ、過去の魂消せば未来で蘇られないよ←あくまで情報であり、マルガレーテが未来のあの子だよとは明言していない引っかけ)。道化を仕留めることに失敗。

賢者のヴァーミリオンhttps://piapro.jp/t/zHu7聞きながらがおすすめの回です。


meth golem で Gem Helm To のアナグラムがサブタイトル。

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