21:悲しいリークス氏
数日経過した頃……ようやくフェレスは落ち着いた。馬車を乗り換え、何処へ向かっているのか疑問に思う余裕が生まれた。ミディアの出生を明かした後、移動の指示しか話しかけて来ない刑事は、女心が解っていない。無理もないかと諦めた。何も言わずに多くを察し、気遣って欲しいなんて我が儘通用したのは“ソルディ”だけ。
(私から話しかけないと)
聞きさえすれば、答えてくれる。私に聞かせて良いことならば。刑事と数日共に過ごし、刑事が“人間ではない”意味をフェレスは実感する。
(この人には心がない訳ではないけど、機械みたいな人なんだ)
使命以外で自分から動くことがない。その使命さえ、最初にインプットされた命令を実行しているだけ。自分から何かを望み、求めることがない。人間とは違う生き物。
(だからファウストに。私に利用されている)
協力じゃない。共生は共生でも片利共生。私は寄生虫のようだとフェレスは嗤う。
何を今更。私はこれまでずっと、そうやって生きてきたんじゃない。女王の影として、ミディアの振りをして、メフィスの半身を奪って。場所や時代、名前や身体を変えても私は何も変わらない。存在し続ける限り、同じ事を繰り返す。私にとって、生とはそういうものなのだ。
「……レッド刑事、目的地は何処なんですか?」
暫く悩み、勇気を振り絞り聞いてみた。何を悩んでいたんだろう。刑事は簡単に答えてくれる。
「この男を追っている。見覚えはあるか? この男が犯人の一味か、夢魔に操られただけの一般人かは解らない。だが、こいつと“それ”の足取りを追えば――……今回の黒幕には辿り着く」
刑事が差し出す人相書きは、写実的。路地裏から通りを伺う、痩せ細った気弱な男。何かに取り憑かれたような? 幻覚を追う如き眼差しが印象的。服装は何の変哲もないが、生地は上質。男の外見と服の品質の不一致が少し気になる。少なくとも、ミュラーで仕立てた服ではなさそうだ。
「いえ、ありません。うちの顧客ではありません。でも、凄い……レッド刑事が描いたんですか?」
「こいつらの中に画家がいてな。手を貸しそいつに描かせた」
彼は自身の身体に霊を取り憑かせ、仕事をさせたと口にした。そんな使い方も出来たとは。
「しかし、お嬢ちゃんも知らないか。ヤードの人間でもない、ミュラーの顧客や縁者という線も消えたな」
「この人を追っている理由があるんですよね? この人が事件にどんな関わりを?」
「……こいつは最近、立ち入り禁止の仕立屋に出入りした。そしてある物を盗み出した。あの男に押しつけられた面倒事だが、放置できない問題だ。これに見覚えは?」
刑事は絵の一点を指し示す。服の隙間から一部が覗くそれ。男が小脇に抱えた物体を。
「この本!! 私、知ってます! ……ミディアの記憶の中で、見ました。私の、……彼女の家にあったもので。仕立屋に、持って行ったのは彼女です」
「ならば情報自体は真実か。奴の言葉を鵜呑みには出来ないが――……意味のない嘘は吐かない男だ。情報を餌にし、目的は時間稼ぎ。それから此方の動きを把握しておく、か」
ファウストは、ボニー=レッドをよく理解している。彼が何のため動き、どういう存在なのか。当然だ。彼を造ったのはファウストなのだから。
刑事が動かなければ誰もやらない。それで逃せば利用されている。無理矢理善意的に解釈するなら、分担作業となるだろう。
「レッド刑事、この本って……事件に関係しているんですよね?」
「連中の手に渡ると厄介だ。使い方の解らない下っ端ならまだ良い。上へ渡る前に回収したい」
「何人くらい仲間がいると思いますか?」
「こいつは犯人一味の末端だ。正確な数は不明だが数百数千で済めば良いな」
「え!」
「移動距離で解るだろう? 全ては組織立った犯行だ。一人でこなせる仕事じゃない。道化が夢で操るにしろ、複数人の協力者がいる。標的や餌の選別を行う集団が。噂を散蒔くのも、悪夢の感染を広げるため」
ソルディ事件の犯人は、複数人。しかしそれ以上の人数が、高飛車ピエロの犯行に関わっていると彼は言う。
女王への復讐。実体を持たない悪魔が国を滅ぼすには、現実で行動する下僕が必要。
「国家転覆のためには内通者と、他国が必要だ。犯罪組織は後で手を切るには丁度良い。利用し罪を押し付け、口封じに始末する。これまで何度も見た展開だ」
簡単には殺せない、他国の地位ある存在が事件に関わっているのなら……何世紀も解決できない理由も知れる。例え戦い攻め滅ぼしても、道化師は次の手駒を見つける。キリがない。これで手打ちと、実行者を差し出しひとまずの収束。ほとぼりが冷めた頃にまた、違う場所から事件が起こる。
追いかけているものの大きさに、フェレスは急な眩暈に襲われた。
「睨みを利かせ、周囲が大人しくなっても変わらない。今度は内側から毒が出る。王位簒奪を狙う輩が現れたりな。その繰り返し。今回は――……まぁ、他国絡みのケースだった。それだけだ」
「そう……なんですね」
「……着いたようだな。降りるぞ。今日はここで夜を明かし、海に出られる前に取り戻す」
「わぁ……!」
馬車を降り視界に飛び込む、夕焼けの海。景色に魅入ったフェレスに、無感動な刑事が並ぶ。男の目撃情報を追い、辿り着いた港町。高飛車ピエロは国内に広がる噂話と呪いであるのに、他国へ繋がる港が関わるなんて。
カイネスの張り巡らせた糸は、どこまで広がっているのだろう。旅の終着地がまだ見えない。
(綺麗な夕日――……)
直視できず、視線を落とす。自分が酷く醜悪な生き物に思えてならなかった。
「なんだ、海は初めてか?」
「いえ……ちょっと懐かしくて」
「そうか。ゆっくり出来なくて悪いな。宿は向こうに取ってある」
景色から目を外し、細い路地へと入る前。刑事は軽く、フェレスの頭に手を置いた。撫でる動作とは違う。肩に手を置くような慰め? けれどそこまで親しくもないだろうと子供扱い? 重要なのは、彼に気遣いの機能が備わっていたこと。
(レッド刑事――……“命令”以外も、出来るんだ)
夕焼けを見た時よりも、どうして胸が痛むのか。理由が解っているだけに、罪の意識も重かった。
*
「危ないところだったな。今晩船が出るらしい。奴はそれで海を渡る算段だ」
刑事の情報収集速度は異常。人海戦術は捜査の基本? いいえ、人は人でも人霊海戦術。亡霊達は非常に優秀。空は飛ぶ、壁や人をすり抜ける。覗きに盗聴お手の物。更には人に乗り移り、彼らが見ていた記録までをも探らせる。犠牲者の遺族が増えれば増えるほど、手駒が増えて強くなる。
刑事が手にした煙管からは、白い煙が得意げな笑みで立ち上る。白い顔を押し込むように次々と煙が煙管に逆戻り。どういう仕組みなのだろう?
(あの人が……悪魔に気に入られるの、納得しちゃった)
此の世で不思議な現象を引き起こせるのは悪魔だけだと、悪魔のフェレスは思っていたがその認識は間違いだった。
錬金術師ファウスト。彼は人でありながら、人の枠をはみ出した。悪魔が彼の魂を欲しがるほどに、彼は人間離れした。その答えがフェレスの目の前にある。
(この人は、あの人に錬金術で造られた――……)
刑事本人からではない、ルベカがファウストから聞き出した情報。フェレスは人伝の人人伝で刑事の正体を知った。暗くて気怠気な印象の男も、作り物と教わってから観察すると、よく作り込まれていると関心をする。髪の毛も肌も人と遜色のない出来だが、性別も年齢も瞬時に判断出来ないよう造られている。彼の口調や格好で、どうにでもなるだろう。今の彼は……街に時代に溶け込む黒い制服と夜がよく似合う。
(レッド刑事は――……私と何が、違うんだろう?)
造られたとはどういう風に? フェレス同様死者の身体に別の魂を宿らせたのであれば、この能力の違いは何なのだろう。
共にあの男の被害者であるのに、私は彼を利用している。彼がファウストに造られたなら、“ミディア”にとっては従者に近い。自分はミディアではないと言いながら、彼女の利点は利用しようと画策。事実だけを並べ立て割り切って考えようとする自分に反吐が出る。
その名で呼ばれたくないのは、“ミディア”なのだろう。悪魔なんかに名を汚されたくないと、死んだ少女が訴えるのだ。
“ミディア”と呼ばれ過ごした時間だけが、フェレスの“良心”。とうに死んだ娘が、呵責となってフェレスを苛む。
何も出来ない、罪ばかりの私。そんな私に、頼りになって強くて便利な旅の道連れ。私の聞きたいことを教えてくれて、私の言いたくないことは詮索しない。あまりに出来すぎていて、何だか怖い。仕組まれている。でも誰に? ファウスト? カイネス? “クワラント”?
(こんなこと、あり得ない。幽霊とか悪魔とか、錬金術とか全てが嘘で。私は悪い夢を見ているの。私は唯のお針子ミディア。今夜の夢はちょっと長引いていて。でも寝坊した私のことをソルディちゃんが呼びに来て――……)
そんな日常に、何かが足りないとスリルを追い求めたのは誰? 捨てようとして失ってから取り戻したいなんて、何て愚かで醜いの。
今の不思議な現実こそが真実なのだ。フェレスは頬を抓る手を止めた。
「眠いならこのまま隣の部屋で寝ちまいな。霊を一人見張りに残すが、戸締まりだけはしっかりしてくれよ」
睡魔のためと解釈した刑事は再びフェレスを気遣う。慌ててフェレスは否定を行い、同行の意思を伝えた。
「だ、大丈夫です! 私も連れて行って下さい」
「お嬢ちゃん、本当に大丈夫か? 俺とお嬢ちゃんは身体の作りが違うんだ。あまり無理は……」
肉体は普通の人間である“ミディア”が特別脆いのではなく、“ボニー=レッド”が強靱、異常。“ミディア”は元々、女王ベルカンヌの魂の檻として造られた。ファウストは女王に、戦うための力を持たせなかった。
女王の魂も得られなかったフェレスは、何処まで行っても無力な少女。本当に、生とはままならない。
「私は大丈夫です。どうなったっていいんです。……私、貴方の足を引っ張ったり、邪魔をしたりするかもしれません。いつでもその場に置いていって構いませんから」
「俺の仕事は事件の解決だ」
懇願するフェレスに、刑事は無表情に短く答える。
「お嬢ちゃんは肉体こそ攫われなかったが、心が悪夢に囚われている。君は、悪夢を見ているんだ。ずっと――……長い間な」
「悪夢――……」
今し方、私自身が考えた。言われたかった言葉なのに。それを他人に言われた途端、否定の心が湧き上がる。過去への妄執から解放された時、私には何も残らない。悪夢なんかじゃないわ。現実よりもずっとずっと素晴らしい夢。
(私がここに居るのは――……ファウストとあの女から逃げたかったから。それだけじゃない)
夢を終わらせたくなくて、障害となりそうな刑事の元に身を寄せた。やはり私は悪魔なのだと思う。刑事に告げた言葉が真実だ。
("O, wär’ich nie geboren!")
嗚呼、本当に。最初から私さえ居なければ。
女王ベルカンヌの紛い物。そして“ミディア”の紛い物。私はいつも、誰かの代わり。
一人だけ。紛い物の私を。偽者なんかの私を。つなぎ止めようとしてくれた少女さえ、私は不幸にしてしまう。
(私があの人を追いかけるのは――……ソルディちゃんを生き返らせたいからじゃない。あの人の愛が手に入る確証があるからでもない。私の願いを叶えるために、どうしてもあの人が必要だったんだ)
心も体も、自己の境界が朧気で。罪の意識だけが響く中、フェレスはようやく自分の望み……その全貌を知る。
「レッド刑事」
「……何だ?」
「私、迷惑を掛けると思いますが……もうしばらく、よろしくお願いします」
「…………子供が迷惑なんか考えなくて良い。そもそも君はあの男に散々迷惑を掛けられたんだ。俺は奴に……あいつの後始末のために造られたような気がするよ」
煙管を手に刑事が呟く。
墓場に入るその日まで。ボーンヤードは人のため。生者に頼られてなんぼだと。ぼやいたその人は、少し……笑っている風だった。
私なんかに勿体ない、優しさを受け取りながら。今度は胸が、傷まなかった。
*
「解ってますよ、解ってますって! そう急かさないで下さい!!」
「とっとと乗れ! 良いか!? 妙な動きを見せたらすぐに殺してやるからな!!」
奇妙な話だが、どちらも同じ人物から発せられた言葉である。海鳥も帰巣して数時間……人々も寝静まった頃。辺りは霧に包まれる。
天候を読み、時刻を指定したのだろう。港から僅かに離れた入り江に、“痩せ細った”男はやって来た。外套の内側は長方形に膨れ上がり、何やら大事そうに隠し持つ。片手は其方を外から押さえ、もう一方で銀のナイフを光らせる。
男の傍には女が一人。彼女が人質なのだろう。彼女と同じくらい疲れた顔の男が、馬車から積み荷を降ろし浜に置く。
疲れ顔の男がすっかり荷物を降ろした頃に、小舟が二艘浜へ近付く。霧の向こうには大型船が隠れ潜んでいる。
一艘は荷物を運ぶため。もう一艘は抵抗された場合の戦力のため、屈強な男を複数乗せていた。
「とっとと中身を確認しろ!」
「はい!」
「へへ、すいませんねぇ。こいつら本当に使えない連中でして」
異様な男が謙るのは、仲間に対してではない。彼にしか見えない何かに訴えるよう媚び諂い、目に見える者に対しては高圧的な態度。男達には“それ”が見えていなくとも、異様な男への恐怖はあるのか命令通りによく動く。破落戸にしては、妙に統率が取れていた。
「荷物に異常はありません。指定通りの品です」
「んなこたぁわかってんだよ、何もたもたしてやがる! もう確認は良い! さっさと積み込め馬鹿野郎っ!!」
確認しろと命じて直ぐに、確認を途中で終了させる。調べたのはたったの二箱。男達はテキパキと木箱を浜から拾い上げ、小舟に次々載せていく。箱が一つ、また一つと減っていくのを……窶れた顔の男が不安げに見守っていた。やがて全てが積み込まれた時、彼はいよいよ耐えられなくなり声を上げた。
「約束は守った! 早くそいつを返してくれ!!」
「あーあ、そうだな……」
人質の解放を迫られて、異様な男は苛立ちながら生半可な答えを返す。
「年は食ってるが、良い女じゃねぇかあんたの嫁さん。聞いた話じゃ、ガキ共も可愛かったんだって? 兄弟達が言ってたぜ? あっちの方も悪くなかったってな! あっはっはっは!!」
「…………っ、約束は守った。約束を守れ!!」
殴りかかりたいのを必死に堪え、窶れた男が訴える。
「ああ、そうだな。そっちの女はもう自由だ。だがなぁ旦那? 自由ってのは何を選択してもいい。そいつ自身が決めることだ」
「な、何を……」
「てめぇの女が帰りたくねぇって言うんなら、それまでのことだろ? なぁ?」
「ごめんなさい……ごめんなさい」
呆然とする夫に向かい、涙ながらに女は別れを告げ……異様な男に駆け寄り小舟に乗り込む。
「嘘だ…………何かの間違いだ。これは」
これは“悪夢”なのだ。夢なら覚めてくれ。残された男が強く強く願った刹那、静寂は光と共に破られた。
「ぎゃああああああ! な、何しやがるっ!!」
「魂が見えないってのは、不便だな」
小舟の上で、女がくくくと嗤う。痩せ細った男を冷たい海に突き落としたのは彼女だ。手にはしっかりと、“狙いの本”が握られていた。
「可哀想に。冷えただろう? あんたもこいつはどうだい?」
女の手にはまだ何かある。女が濡れ鼠に差し出すは、白い煙が立ち上り金に輝く煙管。女が吹きかけた煙は男の内に吸い込まれ、……男は意識を失った。
「さてと。お前はこのままこいつを動かして、近くの署にぶち込んで置いてくれ」
男の中に居る者に女が指示を出したところ、気絶した男は頷き、白目をむいたまま泳いでいった。港までそうしていくつもりなのだろう。
妻の変貌に呆気に取られていた男は、自分に近付く者の気配に気付かなかった。
「Mrリークス=ミュラー……良い知らせと悪い知らせがある」
「あ、貴方は!? ……その格好。ボーンヤードの? いや、その色は――……!?」
岩陰から現れた刑事。彼の制服が緋色であることを不審がる。ヤードの警官は、黒い制服を着用していた。
「失礼、“赤化”だ。直に戻る。よし、こっちだ。此方に戻る前、力自慢に交代させた。ふっ……流石だな。舟ももう着いた」
「貴方は一体――……?」
女の細腕が櫂をこぎ、女とは思えない速度で帰還。あれは本当に妻なのか? どうしたものかと夫は狼狽える。
「私は墓場警察のボニー=レッド。良い知らせは、彼女は無事だ」
「貴方が、あの!? それなら先程のあれは……」
「ああ。そういうことだ。……残念だが、悪い知らせも理解したようだな」
男もその名を知っていた。決して歴史の表舞台に現れないが、求め願えば辿り着く。可哀想な彼らに、ボーンヤードが最後に告げる。“ボニー=レッドを信じろ”と。彼は救い手、被害者遺族が最後に縋る者の名だ。しかし同時に……“死神”だ。
彼が自ら名乗る時、その者は既に亡者となっている。救いとは、死後に手を差し出されること。
ボニー=レッドは男に向かい手を差し出した。
「貴方は取り憑いていたんだ。仕入れ先の、御者に。本当の貴方は……箱の一つに眠っているよ」
霧の向こう側から、海へと何かが落とされる音。男の惨めで窮屈な棺桶が、闇に葬られた音。現実を受け止められない男は慟哭。ボニーレッドは舌打ちし、煙管を黄金に光らせた。それを合図に煙筒へ集まる亡霊達の渦。不気味で恐ろしく、幻想的なその光景。亡霊達は光に集まる蛾のようだ。いいや、本当に蛾? 違う。魂達は蝶へと変わり金の鱗粉を生み宙を舞う。
*
(どうしたもんか)
入り江の岩陰に向かう数刻前。宿の一室に、仕事を終えた亡霊が代わる代わるやって来た。目的の人物を見つけたこと。人質の存在。攫われた女は、少女にとっても顔なじみの人物だった。
どう伝えようと、恐らく少女は取り乱す。面倒だ。なるべく同様の少ないやり方を選びたい。ボニー=レッドは考え込んだ。
走狗の集める情報全てが喜ばしいニュースではない。まともに喜べることは、目的の人物がまだ海を渡っていないことくらい。
「お嬢ちゃん、あれから仕立屋には顔を出していないな? 旅に出る前に、退職か休職の知らせは……してないな?」
「あ……、すみません。レッド刑事、ボーンヤードの方から伝えて頂けませんか?」
「いや、恐らく不要だ。ヤードと連絡は取れるが、店に伝える方法がない。店の方も騒ぎがあった。……盗難だけで話が終われば良かったんだが」
ファウストは全ての情報を寄越さなかった。本部に残した霊を召喚したところ、都の続報も届いたが……彼方では新たな噂が広がっていた。噂のために仕立屋ミュラーには、事件後何度も強盗が押し入っている。そのため店は閉められて、ヤードの監視下に置かれていた。
「お言葉ですが、ミュラーは高級店ではないですし……売り上げだって店を回すのが精一杯の自転車操業だと思ってました」
「少し前までは、な。数日遅れの三流紙が手に入った」
新聞に目を落とし、少女は短く悲鳴を上げた。
「そんなっ……」
世話になった店の不幸に、少女の顔は青ざめる。己の出生を知ろうと、“ミディア”として生きた時間は切り離せない。
「ミディア嬢ちゃん」
ボニーは敢えて少女をそう呼んだ。
「待ち合わせまでまだ時間がある。話しておきたいことがある」
*
人は娯楽を喰らい消費して生きる。心の、魂の平穏、安寧のために。その際消費されるのは、同種の人間である。犠牲は付きもの。好奇心は猫をも殺す、人は好奇心のために他者を容易に傷付ける。娯楽のフィルターを通した先に、映っているのは血の通った人間ではない。人形だ。奴らは此方を人形だと思っているのだ。
「うう……うぅううっ、ファイデ……ソルディ」
あれから妻は、毎日泣いてばかりいる。将来有望だった息子はいない。明るい娘ももういない。二人のお針子も何処かへ消えてしまった。私達夫婦はずっと、覚めない悪夢の中にいる。
「いつまで泣いている! お前が泣いてばかりいたら、二人が天に昇れないだろう!!」
「天に……? 天も主も私はもう信じられない!! 私の自慢の子供達が、あんな酷い目にあって何を祈れと言うんです!? 貴方には解らないんだわ!! 貴方がお腹を痛めて産んだ訳ではないのですから!!」
「何だと!? 誰のお陰で稼ぎがあると思ってるんだ!! あいつが死んで、俺だって泣きたい!! そこを堪えて働いているんだ!! その間お前は何をしていた!? 何もしていなかっただろうが!! 俺が何着ドレスを仕上げたか言ってみろ!!」
争いたいのではない。互いに口を開けばこうして諍いになる。子供が二人、惨めに死んだ。息子は変質者に惨殺され、娘は大勢に暴行されて自害した。我々に残ったのは、周りからの好奇の視線と汚名のみ。取引先へ行っても、仕入れに行っても嫌悪感で吐きそうだ。
「……何を、しているの!? 貴方っ、何てことを!! 魂を悪魔に売ったのですか!?」
「うるさい!! お前は黙ってろ!! 主への感謝も忘れたお前に言われたくないっ!!」
私の“嘘”を前にして。仕上がった服を見て、妻は恐れ戦いた。何のことはない女性服。息子の残したデザイン画でもよく売れる。しかしそれ以上の稼ぎが出来るのは――……私の息子が作ったと“偽装”することだ。
商品に店名ではなく、息子の名前のタグを付ける。我が子の不幸が、息子の遺作をブランドに変えた。ファイデの名を付けるだけで、何桁も値段が跳ね上がる。
「馬鹿みたいだろ? 今まで二束三文だった商品が、今じゃ馬鹿な金持ち共が大金叩いて欲しがる。ファイデが死んだことでな!! ファイデの死は、――……あれを高級ブランドに変えたのさ!!」
息子と娘は帰って来ない。この不幸で失うばかりは悔しいだろう。取り戻せるのが金だけとは空しいが、生きていくには金が要る。仕事の忙しさで忘れたい。富で得る幸福で、痛みを悲しみを紛らわせたい。最初は唯、それだけだった。
(それなのに――……)
私は笑い、涙した。もはや笑うしかないのだ。愛する息子の仕立てた服が、評価されるは親として嬉しい。だが経験不足のひよっこ。至らぬ点が多くある。それが何だ。それが良いのだと? 職人として自身に劣る息子が、私以上に持て囃される現実が唯々辛い。この苦しさの意味を、私は知ってしまった。
我が子達を失った悲しさよりも、職人としての苦痛が勝っている事実。認識した。自覚してしまった。それが何より辛いのだ。気付きたくなかった。知りたくなどなかった。あの子が殺されなければ、こんな苦痛。知らずに生きていられたのに。
*
「……うーん」
ドレスを手に、ルベカは思い悩んでいた。
錬金術師から受け取った今日の衣装は、純白のドレス。カーニバルには白い衣装の参加者も居るが、豪華な金刺繍が施されてあるとか、仮面や帽子が派手であるとか――……もう少し何とかならなかったのだろうか。
「ちょっと、地味よね。立派は立派だし綺麗なドレスだけど、カーニバルっぽくはないわ。これじゃあ唯のウェディングドレスみたい」
情報を探るにも街に溶け込まなければならない。本当にこの衣装で大丈夫なのかと不安を覚える。用意された衣装はルベカには地味に思えた。
そもそもルベカは心に決めていた。ウェディングドレスはファイデの仕立てたドレスを着るのだと。当然その時隣を歩くのは彼だとも。彼に白いドレスを作って貰う日は、彼を手に入れ将来を誓い合ったその日なのだと夢を見た。
(ファイデ君だって、約束してくれたのよ)
赤いドレスばかり欲しがる私が、いつか白いドレスが欲しいと言ったら作ってくれる? そう訊ねたら、彼はもちろんと頷いてくれたのだ。幼い彼は、ルベカの心も知らず……それでもドレスを作る約束だけは喜んで引き受けてくれた。
(白い糸は何色の生地にも馴染みよく似合う……白い服が似合わない人は居ない)
懐かしい彼の口癖。
賭けの行く末がどうなるか。場合によってはその約束はもう、果たされることはないのかもしれない。
(……文句も言っていられないか)
憂鬱に息を吐き、ルベカは衣装に袖を通し始めた。やがてメフィスに手伝いを頼もうか。コルセットを締めようと鏡で背を見た時だった。
「こ、このドレス!?」
それまで気にも留めなかった。白い生地に白い糸……コルセットの刺繍図案。慌てて脱いだドレスにも――……彼の存在が見える。
「ファウストさんっ、これはどういうこと!?」
「後ほどお答えします。さぁメフィス、陛下の手伝いを」
主人の名を受け、何故か不機嫌気味の悪魔が室内へやって来る。彼女は何も答えずに、手早くルベカを着飾らせた。それが終わると忌々しげに彼を呼ぶ。
「終わったぞ、入って来いファウスト!」
「よくお似合いですよ陛下」
ルベカと悪魔二人に睨まれながら、錬金術師は平然と世辞を送った。先程見た微笑とは似ても似つかない笑顔の仮面。いつもの錬金術師ファウストだ。
「説明して貰えるのよね、ファウストさん? これは……ファイデ君のドレス。貴方、どこで手に入れたの!? 私は彼をよく見ていたのよ。彼が私に隠れて私のドレスを作っていたとは思えない」
そんな暇があるならソルディのための服を彼は作るもの。悲しいかな、ルベカは現実をよく知っていた。僅かに落ち込みながら、ルベカは話を続けた。
「お言葉通り、それはミュラー少年の手によるもの。目的のため入手し、それを貴女に合うよう仕立て直させました」
「目的……?」
「ご存知ですかな? 彼の死後――……彼のドレスは、価値が上がっているのです。なんとも人間とは残酷な生き物ですな」
「それって、つまり――……犯人達もファイデ君のドレスを狙っているの?」
「或いは。価値を上げるために彼を殺した。此方をどうぞ」
錬金術師が手渡すは、ルベカ馴染みのゴシップ紙。外を出歩けないファイデのために、愉快な噂話を探し眺めた情報源。あろう事か、そこに仕立屋ミュラーが取り上げられていた。
“仕立屋の若きドレスメーカーである少年が、自ら仕立てたドレスを着せられ殺害された。彼の身体には無数の暴行の痕跡があり、死因は窒息死とも出血死とも言われている。さて、彼が仕立てた可憐なドレスの数々をご紹介しよう。
ミュラードレスは皮肉にも、彼の死の翌日……ある婦人のサロンでお披露目され、注目された。この美しいドレスが二度と手に入らないならばと、店の在庫に殺到! 更には既に出回ったドレスを手に入れようと、高値で取引されている。
何故こんなにも、彼女たちが彼のドレスを欲しがるか。そこにはこんな理由があるのです。”
「“悲劇の少年のドレスは……着た者の不幸を吸い取り、幸福にする”!? ふざけるんじゃないわよ、人のファイデ君を死刑囚の加護みたいな扱い方なんかしてっ!! “火付け役となった某婦人。家名はあれど美貌なし、嫁のもらい手もないと噂されていた彼女はドレスを得た途端急激に美しくなり、異国の仮面舞踏会では美しい恋人と歩く姿も目撃されている。”ですって!? よくもよくもよくもよくもっ!! ファイデ君のドレスをこんな下らない五流記事にしやがってぇええええええ!!」
思わずルベカはゴシップ紙を真っ二つに引き裂いた。そのまま形も残らぬまで切り刻みたいのを押さえ込み、再び記事へと目を落とす。
「おやおや。なんとも恋とは恐ろしい。先程までの風格が、見る影もありませんな」
「……なるほど。こうなるのが解ってたから、この記事見せるの遅らせたんだなファウスト」
「ファウストさん、メフィスっ!! この婦人についての心当たりも当然あるのよね!?」
「ええ、無論。このドレスで歩く重要性を理解して頂けたようで何よりです」
ファイデを殺したのは、謎の婦人と繋がりのある犯罪集団? 連中はこのバルカロラに潜んでいる。ミュラードレスを着ることで、件の連中の方から近付いて来る。ルベカにはその釣り餌になれとファウストは言っている。
「上等だわ! この街に潜む悪党共、全員引っ捕らえてやりましょう!!」
胸くそ回。
Dressmakerでアナグラム&翻訳掛けたらSad Reeks Mr(悲しいリークス氏)と出たので、仕立屋の旦那さんの名前が今更決まりました。やったぜ。
刑事の歌https://www.nicovideo.jp/watch/sm36266472 と
錬金術師の歌https://www.nicovideo.jp/watch/sm36421918 を作ったので、早く彼らが活躍するシーンを書きたいなと思っていたら、墓暴いて死体蹴りを始めていました。不思議。




