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19:提供者

 青い海は美しい。これ程までに美しいものが存在している=神の証明。この世界は確かに神が創ったと、誰もが信じるようになる。そしてこの街がどんなに神に愛されているかを疑う余地などどこにもない。

 主の愛の証明たるバルカロラなら、祝福されたこの土地ならば――……どんな愛も叶えられる。

 異国まで広がる“伝説”は、語られ信じられる内……やがて力を貯め込んだ。日没に、伝説の橋の下で口づけを交わせば、永遠の愛になる。“彼女”もまた、伝説に魅せられこの地を訪れた。


「はぁああ……素敵…………すてき、だわ。信じられない、嘘みたい」


 娘の口は塞がらない。感嘆の息は止まらず、喜びの溜め息として繰り返される。此の世の物とは思えない美しさの中、愛しい人と過ごす幸せ。時の流れも忘れるように、舟はゆったりと。しかし確実に時を進める。青かった空と海は、今や交わる時刻となった。夕暮れのバルカロラも、これまで以上の絶景だ。



「だって夢だったの! 私……楽しくて堪らないのよ!」


 ゴンドラには若い男と可憐な娘。ごく普通の、幸せな恋人達。すれ違う舟からは異国情緒溢れる歌とアコーディオンの音色。二人の舟の船頭も……一緒に歌い、景色と時を楽しませる。


「立て続けに問題ばかりで、旅行も出来なかったじゃない――……」


 新婚旅行の。小声で娘は囁いた。結婚してから何年経っただろう? もう三年? 少女は外見からも幼さが抜け、女性らしい魅力が増している。彼女にはその自覚もある。


(素敵な街! 愛し合う二人!! 誰の目も気にせず、二人っきり!! 何も起こらないはずがないわ!!)


 奥手な男のために、乙女は愛に飢えていた。今だけは、この旅の間だけでも背負った重荷を共に下ろして唯の二人にようやくなれる。


「少々笑顔に品がありませんが」

「あら? それは勿論貴方の所為よ。貴方が約束を守ってくれたことが嬉しいの!」


 水面に映る少女の顔は、幸せに満ちていた。彼女を見つめる男の方は、顔を僅かに陰らせる。


「決して後悔させないわ。貴方が私を選んだことを」

「そうですか。それは楽しみです」

「ふ、ふふふ……ねぇ、これって夢? ちょっと私の頬をつねってくれない?」

「仮にそれが命令でもお断りします。貴女に対し傷の一つも付けたくありません」

「はぁあああ……やっぱり貴方も景色にやられているわ。これまでそんな事、言ってくれたこともないのに。やっぱり……やっぱりどうせ私の夢なんだわ!!」

「そんなにはしゃがないで下さい。落ちたら大変です」


 小さなゴンドラで暴れる少女を抱き寄せた、男の顔も赤い。楽しげな彼女の姿に自然と表情が緩み出すのを必死に堪えている。そんな努力も空しく、少女の破顔を眼前に受け……男はくすくす笑い出す。


「ふっ……ははは! 大げさだなぁ」

「もう! そんなに笑わないでよ! 今、子供っぽいって思ったでしょ!! こーんな美女を目の前にそんなこと言う!?」

「貴女は変わらない。昔からずっと……」


 出会った頃と何も変わらない。惹かれ続けていると囁かれ……少女は景色よりも彼の瞳に見入ってしまう。程よく舟は橋の下へとさしかかり……少女は力一杯目を瞑る。


(さぁ! 来なさいカイネス!!)


 口づけを待つ少女の前髪をかき上げて、男は額に唇を落とした。


「し、信じられない!! あ、貴方って人は!!」

「願えば何でも叶えられると思っているお子様には、お休みのキスで十分です。なぁに、まだ旅は終わりません。明日にもチャンスはありますよ」


 本当に自分が欲しいなら、ご自分からどうぞ。意地悪く笑う男に少女は誓う。


「み、見てなさい! 明日は絶対に――……永遠を誓わせてみせるわ!! いいこと、カイネス!! 後悔しても遅いのだわ! 覚悟していなさい!! 貴方の頭は私のことしか考えられなくなるし、貴方の目は私しか見つめられなくなるのよ!」



 見ている情報。聞こえない声まで聞こえるのはどうして? 私の心が、“魂”がそれを経験しているから。死して尚、魂は……記憶を、過去を忘れられずにいるから。

 幸せな女王と道化の記録を見、ルベカの瞳から涙が流れる。


(こんなの、恨まれて当然よ……)


 この幸せから、女王は。私は彼を地獄へ突き落としたのだ。信じられない裏切りだ。自分のことなのに解らない。


(女王はこんなにも彼を愛していたのに、どうして彼を殺したの?)

「…………」


 涙の感覚。リアルな冷たさ。これは私だけの涙じゃない――……仮面を付けていた者が、今の景色を見て泣いたから。


「知っているかなリュディア。彼らは今夜、いよいよ愛を語り合う」

「いいえ、クワラント様。あの人は、決して彼を受け入れられない。あの人は――……背負った全てを投げ出すことは出来ません」

「それは誤りだ。女王が全てを捨てるのではない。全てが彼女を見限るんだよ。そうだろう、私の“ベルカ”?」


 すぐ傍から、聞こえる男女のささやき声。ルベカ自身が何者かに抱き締められる感覚。


(なに、これ……!?)


 このマスケラは、会話が不可能である作り。何故会話が成立している? 不思議に思うと視点が低い。ゴンドラが離れていくのを見届けて……女の細指が、マスケラを外し……“クワラント”という男を見ていた。街はすっかり日が落ちて、窓の明かりと街灯だけでは男の顔も解らない。だから“リュディア”は仮面を外した。少しでも視界を広げるために。


「クワラント様……貴方は何を」

「私は玉座を、君は彼を手に入れる。契約はそれで全てだ。何も怖がる必要は無い。私は彼と、君は彼女とこんなに似ているのだからね」


 仮面を外した男と女。仮面が記録した二人の顔は――……どちらもルベカが知る顔だった。


「彼ら自身を騙せなくとも、民の大半は気付かない。いや、気付いたって関係ないさ。彼らが求めるのは――……救いなのだ。精々踊って貰うとしよう。楽しい宴の始まりだ!」

(どうして……? どうして…………同じ顔の男と女が二人も居るのよ!?)


 クワラントはカイネスに、リュディアは女王……ベルカンヌと双子のようにそっくり。ルベカはある記事についてを思い出していた。


(“ドッペルゲンガー”)


 同じ顔の人間とは、死の予兆。出会ってはいけない相手。なによ下らない、彼らは顔見知りなのでしょう? 会話内容から考えて絶対にそう!! 納得しようとぐるぐる思考は回っているが、全てが言い訳のように聞こえる。

 ルベカは知っている。“カイネス”が死んだことを知っている。少なくとも一人は本当の死の予兆に違いないと、思うことを止められない。


(……それなら、女王も。彼女も誰かに、……“殺された”?)


 本当のことが知りたい。ゴンドラの二人に危機が迫っていることを教えたい。しかし仮面は一人で動けない。どのような感情からか、汗ばむ女の指の柔らかさを感じることしか出来ない。


「今晩、……やるのですか?」

「いいや。今日は招待状だけにしよう。急がば回れと言う奴さ」



 仮面舞踏会。身分を隠し、愛を語らう絶好の場。どんな身分の者であれ、今は誰もが見ない振り。例えば異国の女王であっても、卑しい道化であろうとも。誰も彼らの愛を咎めない。ここはそういう場であった。


「けれど、そんなプライベートでシークレットなアングラ空間。暗殺にも使われて当然だ。何処の誰かなんて解らないんだからね。外へ逃げるのが難しくとも、人に溶け込み時を待つには良い場所だ」

「……………………」


 時は飛んで、暗い室内。仮面は床に落ちている。縛られ身動きの取れない女と、傍で笑っている男の影が目に入る。


「ご不満そうですね、陛下?」

「……カイネスは何処?」


 舞踏会で照明事故があった。明かりの消えた会場で、踊り相手をすり替えた奴がいた。今頃偽者は道化を連れて逃避行。彼が気付いたときにはもう遅い。女王は別の男の物となっている。それが奴らの企み。死の予兆共は全ての仕事を上手くやりおおせたのだった。


「貴女のナイトなら……貴女を助けに来ませんよ」

「知ってるわ。あれは道化だもの。道化に何か期待するなんて無意味。カイネスは私の隣で笑ってさえいればいいのよ」

「つまり、貴女があれを守っているとでも仰っているのですか?」

「頭が高いわ、英雄殿。私の物を“あれ”などと。いつまであの人のご主人様気分でいるの? 迷惑なので止めて頂けませんこと?」

「これは失礼。ですがね陛下。一つくらい弁解させて頂きたいものです。今でこそ私はこうして悪人紛いの行動をしていますが――……少なくとも三年前まではまともだったのですよ? そう、貴女が私を選ばなかった……あの時までは」


「お前に解るか!? 王手に迫った盤面で! 誰より信頼した駒に俺は裏切られたんだ! お前が真に国を思うなら! お前は俺を選ばなければならない! 俺を愛していなくとも、俺にこれまでの非道を詫び、懇願してでもその身を差し出す他にない!! あれは欠陥品なのだ!! 全てを知って何故、まだそんなクソ生意気な面を晒していやがる!!」

「貴方の企みならば、私は必要ない。私によく似たあの子を、お前が口説いて回れば良いの。それで私達を追放するか殺すかしたらお終い。どうしてそうしないの? 簡単な事よ。貴方は私をトロフィーだと思っている。どんなに顔が似ていても、王家の血を持たない彼女に興味が無いのよ。高貴な私が、格下だと思っていた部下に取られて悔しいのでしょう? だからこうして愚かなことをしている。私をその気にさせたいのなら、お前が私を笑わせてみなさい。あの人よりも、私を笑顔にさせてみなさい! お前が見下すたかが道化を使わなければ、私の笑顔も作れない。そんな男がどう、国を民を幸せに出来るというの?」

「……っ、黙れ!! 黙れ黙れ黙れぇえええええっっ!!!!」


 誘拐されても女王は気高い。怒った男に拳を振るわれても、彼女の声は震えない。ルベカには信じられなかった。自分が聞いて来た話の人物像と、彼女の声が違って聞こえて。

 何発拳を蹴りを入れられただろうか。聞こえる音にルベカも痛みを思い出す。馬鹿な男だ。彼女との子を望みながら、腹にまで蹴りを入れるだなんて。


「…………ベルカンヌ、よく聞け。これは最後の取引だ。王国はバルカロラと交易がある。船の行き来をしているってことだ」


 暴力を振るうことに疲れた男は、息を整えた後……残酷な言葉を放つ。


「もしも“とんでもない病”が、行き来したらどうなる? 私は狙った場所に、疫病を流行らせられる。試しにここで流行らせましょうか? 黒死病なんて良いですね。さて、貴女と彼がお忍びで遊びに出かけた噂を流しましょう。さぁて、誰が国に災いを持ち帰ったのか。愚かな民草に真実が理解できるでしょうか?」

「あ、貴方……まさかっ!!」

「英雄ってのは人殺しだ。戦神には凶悪な供が居る。疫病も味方に付けてこその英雄だ」

「そんな者は、神じゃない。お前は…………悪魔に縋ってまで、何故!? 彼はお前を争いの嫌いな、優しい……素晴らしい人だと言っていたのに!! どうして祖国に帰らないの!? 貴方の手腕なら、故郷で王になることくらい簡単でしょう!?」

「先程言った理由以外にもありますよ。簡単だからつまらない。無能な兄達が黙って口を開けていて手に入る国をぶん盗ったってつまらない。大国を蹂躙してこそ燃えるだろう!? お前は最高の女だよベルカンヌ! ここまでこの俺を追い詰めたのはお前が初めてだ!」

「お前が仕組んだのね――……父様のこともっ!!」

「カイネスだってそんな俺の手駒ですよねぇ? あいつが貴女に従っていたのは、罪の意識からなんですよ。馬鹿なお姫様。あいつが本当にお前を愛していたのなら、とっくの昔にあんたを手に入れていた!」

「嘘……よ」


 昨日はあんなに嬉しそうに、彼女は“嘘”と呟いた。それが今や、両目一杯に涙を溜めて――……噦り上げ、呼吸は悲しみばかりを吐き出して。


「簡単な引き算ですよ、陛下。お前を愛していない道化一人の命と、今はまだお前を信じている民草共の命と何方を選ぶ?」



 こうして女王は“民”を守って、愛した男へ兵を差し向けた。けれどもそれで終わらない。道化と同じ顔の男も、道化として兵に追わせて始末した。彼女は自らが王として、民を守ろうと躍起になった。新たな夫も迎えず子も成さず、己の力のみで国を豊かにせんと。唯一人、見えない何かと戦うように――……。


「そんなに、泣かないで下さいまし。ベルカ様が泣いておられると、私もとても辛いのです」


 男の死後、気丈な女王が唯一涙を見せる相手がいた。それは小さな子供の姿で――……手には国印の入った大きな指輪をしていた。子供は真っ白な肌と、真っ黒な髪。仮面は引き出しの中、微かな隙間から二人を眺める。


「“ロンダルディカ”……あなたが無事に育ってくれることが、私の願いよ。それだけが――……私の」



「!? 私……いつの間にベッドに?」


 ルベカが目覚めたのは、日も高く登り切った頃。ここはレディの部屋だろうか? 昨晩は仮面を付けたままずっと記録に触れていたのか。


(二人は……!?)


 慌てて寝台を飛び出そうとしたところ、ルベカはその場に倒れ込む。誰かがルベカの手をしっかり握っているのだ。


「メイトオルト、様?」


 細い指は死人のように冷たい。けれどルベカの手を掴み、緩んだ笑みで……隣で寝ている淑女は愛らしく、最後の記録と重なるようだ。


(“ロンダルディカ”……と呼ばれていた。実の娘? あり得ないわ。なら、女王の養子ってこと? でも普通、子供を姓そっくりの名で呼んだりするかしら?)

「主は可愛らしいでしょう、こんなに大きく育ちましたよ陛下」

「アバットさん!?」


 ルベカは再び寝台から転がり落ちそうになる。気配なく近付いて来るなんて、寝起きに驚かされるのは止めて欲しい。心臓を落ち着かせながら男の方を軽く睨む。


「……貴方、何者? 記録の中に貴方はいない。なのに随分と事情に詳しいみたいだわ」

「結婚とは何も、人対人の関係にありません。例えば巫女は神の花嫁。バルカロラでは海との婚姻がある。女王ベルカンヌは“ロンダルシア”、王国を伴侶とし――……祖国を栄えさせた。二度と男を愛さずに」

「言っている意味が解らないのだけど。貴方の言葉通りならまるで――……レディはロンダルシアの化身であるようよ」

「ええ。季節の神が人の姿を模すように、彼女は国を映し出す鏡。女王との婚姻により人の形を得た“国神”。ですから困っているのです。彼女はこんなに弱り切っていて…………遠くない未来に命を落としてしまう」


 悪魔が存在するのなら、神も存在する。悪魔が姿を現せば、全ての不思議は肯定される。国が人の形を取って、国の様子を伝える。レディは高飛車ピエロの呪いを表す視覚的な指標。彼女が息絶えれば女王の国が終わった証。


「…………事実は後で呑み込むとして、何か方法はないの? 彼女は危険を冒しても私を助けてくれた」

「婚姻の証たる、指輪が盗まれました」


 アバットの言葉通り、夢で見た指輪がレディの手には今はない。


「口惜しい。指輪を失ったために主はもう何百年も……祖国に留まれないのです。主はこのバルカロラから離れることが出来ない身」

「えっと……国を司る神様がいないと、その国ってどうなっちゃうの?」

「災いを防ぐことが出来ません。それは彼女も同様に。ここはゆったりと……彼女を蝕む毒がある。国神は、国外では永遠に生きられない。王国が滅べば主も滅び、主が力尽きれば王国もそこで潰える一蓮托生」


 面倒な話に巻き込まれている。頭では理解しているが、荷物は肩にのし掛かる。生まれ変わった自分には関係ないこと。愛している人一人だけのことを考えろとファウストに言われたが……ルベカは隣で眠る“ロンダルディカ”の手を振り解けない。彼らの話が真実ならば、彼女はずっと――……ルベカのことを待っていた。


「このような話、今の時代の王族には理解して貰えない。主を救えるのはルベカ様――……陛下、貴女だけなのです」


今回はrondoのアナグラムdonor。

想像よりご主人様下衆で笑いました。双つ歌作った時から怪しい感じはあったけど。そんな奴だったんですね。名前はかの病関係のquarantineから。リュディアはミディアと合わせて音楽用語、かつそれだけでも音楽用語。


レディの正体そんなんだったんかい! と前回まで遠縁だろうと思っていた私も吃驚。元ネタの土地や国から考えたら、女神必要だなぁと。モブ国民一杯出す余裕はないのでまるごと一人でその役を表して貰うのにいいな。ルベカに少しずつ、女王の誇りが戻っていくのを書きたい。


次回は、指輪(+α)を取り戻しに現実の犯人との遭遇になる予定です。

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