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1:はじまりの事件

※この小説は若干のエログロ、変態成分が含まれています。


 主人公である道化師がロリコンでショタコンなので、その辺りを踏まえて気をつけて閲覧をお願いします。

(相手が変態なのでこればっかりはどうしようもないのですが、回によっては若干のBL成分があるかも。でもこれ警告つけようにも、メインがBLジャンルじゃないからどうすればいいんだよ)


危ない回は、前書きで注意書き書きます。

人が人を笑うこと。それには幾つの理由がありましょう?

ひとつ、心から面白がって。

ひとつ、相手を馬鹿にして。

ひとつ、或いは愛想笑い。面白いなんて思っていないのに、周りに合わせてぎこちなく。

ひとつ、それは何か他の感情を隠すため。それは喜びであったり悲しみであったり、笑いは心を隠す仮面の役割も持っている。


その男が望んだのは、一番最初の笑い。二つ目を伴っていても構わない。彼はそう思っていました。

笑うことで相手が、嫌な気持ちから解放される。それならきっと、自分が馬鹿にされることは意味があり、素晴らしいことなのだと彼は考えていましたから。


「僕が笑われることで、誰か癒せるなら馬鹿にされて構わない」


そう言って笑うその男は、直ぐ傍に笑わせられない相手がいることも気付きません。それはそう、彼自身。相手を笑わせながら、彼はいつも泣いている。そのことに彼自身が気付いていない。目を背けてみない振り。そうやって自分自身の心から逃げ続けたその男は、やがて大きな闇に囚われました。

そこに飲み込まれてやっと、彼は自分がどんなに愚かだったかを知るのです。


「僕を笑う者は決して許さない」


彼は死にました。彼は殺されました。それでも生きていた当時は胸を張って誇れる道を歩いたつもり。それを馬鹿にする奴は、誰であっても許せない。

深い闇に囚われた彼の絶望。その嘆きと怒りを聞いたのは、一人の悪魔。死後に悪魔と契約して自分も悪魔として蘇り、これまでの悔いを晴らすための活動を始めたのです。

これは愚かで聡明、下賤で高貴。誇り高き道化師を、綴っただけの物語。



「お嬢様、また死人と契約ですか?生者と契約した方が、得られる魔力が多いのでは?」

「お黙りなさい使い魔。結果的にはこっちの方が効率が良いのよ」

「ははは、そうですか。しかしそれは何故?」

「だって相手はもう死んでるんだから、誰にもどうにも出来ないわけでしょ?たまにはこういう喜劇も良いじゃない」



 昔々ある所に、とても愚かな男がいました。彼の名前は……確か、カイネス。元々は騎士見習いをしていた男で、剣術もさることながら、非常に頭の切れる男だったそうですが……そんな彼が何故愚か者になったのか。

 その辺りは当時はロンダルシアと呼ばれており、ロンダルディアという名の王様が国を治めて居りました。その頃のお城や貴族の皆様は、犬のように道化を飼うのが一種のステータスと言いましょうか。身体的、或いは精神的に問題があり、社会から見放された者を養うことが富裕層の仕事だったのです。

 その男もそんな人間の一人、お城に雇われた宮廷道化師だったわけですが……彼は身体的にも精神的にも問題があったわけではありません。さる目的のため、敢えて狂人を演じていたのです。


 彼の目的と言うのは、お姫様を守ること。彼は王に仕える忠臣でしたが、激しい内乱の中、王を守れず死なせてしまいました。彼はそれを悔やんでいました。そして自分に出来ることを考えて、王の忘れ形見であるお姫様を守り幸せな一生を送らせることが自分の償いだと考えました。

 そこで彼は、戦場で気が触れた狂人を演じ、錯乱しながら城に帰ります。後ろ盾が消えた城の中、心細い思いをしていたお姫様でしたが……男の正体に気付き、彼を宮廷道化師として雇い自分の傍に置きました。


 *


 「でもね、お姫様はその男を殺しちゃったんだって」

 「ええ!?どうして?」

 「ええとね……それは確か」


 *


 死んだ王に替わる新たな王を決めるため、お姫様に結婚を迫る有力者達。けれどまだ幼いお姫様は結婚なんてしたくありません。

 毎日泣いてばかりのお姫様を哀れんで、道化師はお姫様に助言します。


 「ベル姫。それなら、貴女を笑わせた者を新しい王ということにしたらどうでしょう?」

 「酷いわカイネス!お父様が亡くなって、その上何処の馬の骨とも解らぬ人に嫁ぐなんて、こんな悲しい気分で笑えませんわ」

 「では、私が馬鹿なことをしましょう。だからいつものように笑ってください」

 「まぁ!貴方と結婚するんですか!?」

 「ご安心を、ベルカンヌ様。私は頭のおかしな道化ですから、貴女に手を出したりいたしませんよ。狂人には国は継げませんから、貴女がこの国の王になれば良いのです。王になれば連中も、貴女に文句は言えますまい」


 道化の言葉にお姫様は少しがっかり。と言うのも、お姫様は自分を守ってくれるその男に惹かれていたから。道化師自身、お姫様を心憎からず思っていたのですが、彼女を守ると決めた以上、手を出すなんて恐れ多いと考える……要するにへたれでした。

 他の言い方をするなら、彼はとても子供でした。愛する人を笑わせることに生き甲斐を見出し、それだけで幸せになれるような人。良く言えば純粋、穿った見方をするなら頭の幸せな人間。


 「お美しいお姫様!これから私が一曲奏でてみせましょう!」

 「まぁ!うふふふふ!あはははは!傑作だわカイネスったら!貴方本当に馬鹿みたい!」


 弓だけ持った胡弓弾き。自分の身体を楽器に見立ててギーギーキーキー。低音高音……地声裏声使い分け、男は気が狂ったように騒ぎ立てます。

 求婚者達は皆、生まれの良い者ばかりですから高いプライドがあり……彼以上に愚かな振る舞いを演じることが出来ません。如何に美しいお姫様のため、身分や金のためであれ、自分を卑下することが出来ない。

 勿論彼にもプライドはありましたが、それを上回るお姫様への慕情。彼女のために自分を捨てられるその男は、確かに他の男達よりもずっとお姫様を愛していたことは事実。

 すれ違いはあるもの……二人の思惑はとんとん拍子で話が進み、お姫様は好きな相手と一緒になることが出来ました。それでも二人は世継ぎがなかなか授からず……それもそのはず、道化師はお姫様になかなか手を出さないのです。


 「このままでは国が滅んでしまいますわ!いい加減私に手を出したらどうなのです?」

 「ははは、女王様。私のストライクは15歳以下なので、幾らお美しい王女様でもこればっかりは」

 「貴方は……っ、お前はいつまでそんな狂人の振りをするんですか!?私は貴方が恥ずかしいっ!お願いだから早く、私に見合う……相応しい、普通の男に戻って下さい!」


 お姫様は焦りました。男の言う戯れ言は、口からの出任せだと思っていたのに、ここまで抵抗を続けるなんて……この男、もしかして本当に?そんな疑念が芽生え始めます。


(しばらく会わずに距離を置き、彼を試してみよう。本当に私を愛しているなら、私の嘘に気付くはず)


 そう考えたお姫様は……数年時間を置いて、喧嘩の仲直りの際に自分ではなく、数年前の自分に似た背格好の使用人を彼の元へ向かわせました。男はそれが偽者であることに気付かず、以前と同じようにふざけるばかり。


 「どうして私に気付かないの?貴方の愛なんてその程度の物?」


 私が大事で手を出さなかったのではない。本当に愛していなかったから、触れようとも思わなかったのだ。そう思うとお姫様は悔しくて堪りません。


 「あの男は私を愛してなどいないのだ。だから国の未来も考えられない。他人を満たせる自分という、歪んだ自己満足しかあの男の中にはない!」


 結局の所、笑ってくれる人なら誰でも良い。だから本当のことが何も見えない。

 憎しみに囚われたお姫様は、道化師に追っ手を放ち……偽者のお姫様を連れて逃げた道化師を捕まえ、彼に真実を明かしました。


 「今更僕を殺すのか!?僕が嫌いになったのかベルカンヌっ!?僕は貴方のために恥も外聞も捨て、こんな馬鹿みたいな男を演じていたのに!!」

 「私のためですって!?ふざけないで!!貴方は私の心変わりにも気付かない!私を見てすらいなかった!!お前は私を愛してなんかいなかったのよ!……っ、貴方なんか大嫌いっ!もう要らないわよっ!消えてしまいなさいっ!私にはお前は似合わないわ!」


 *


 「そういう訳で、道化師は殺されちゃったんだって……」

 「嘘ぉ!私聞いたのと何か違うわミディア!」

 「ああ、それはねルベカちゃん、だってまだ続きあるもん」

 「続き?」

 「そ。道化師はね、大好きだったお姫様に殺されて、色々悟ったんだよ。欲望殺してプライドへし折って尽くしてもこんな惨めな末路になる。自分が馬鹿みたいで悲しくなって……自分を犠牲にしてまで他人を笑わせることが下らなく思えてきたの」

 「へ、へぇ……え、ええと……確かその後悪魔だか夢魔だかなって甦ったんだったかしら?」

 「うん。それで彼は、この話を聞いて自分を笑った奴を許さない。道化師が笑った子を殺しに来るんだって!」

 「あ、それそれ!私聞いたのそれっ!夜中に攫いに来るんでしょ?どんな人なんだろうねー……綺麗なお姫様が惚れた位だし、格好良かったりして?」

 「ふん、そんな質の悪い噂信じるわけ?ロンドもファウストも飽きないわね」


 最後の方はよくある自己責任系、そんな都市伝説風味。有り触れた噂話を面白がって怖がる子供達。そんな会話に割り込んだ、気の強い女の子が一人。勝ち気そうなその眼差しで、彼女は全てを嘲笑う。


 「ていうか百歩譲って本当だとしても、攫いに来るの変態なんでしょ?変態の上おっさんとかだったらどうすんのよ。お姫様の趣味が最悪だったらどうすんのよ」

 「うわ、ソルディちゃん、そこまで言う?そこはちょっとイケメン補正の夢見させてよ」

 「仮にイケメンだとしても、変態は須く皆変態よ」

 「いや、イケメンなら有りじゃない?」

 「いいや、無し無しっ!」

 「うわー……いや、でも確かに。悪趣味なのは事実だよね。唯攫って殺すんじゃなくて、散々心身共にいたぶってから殺すんだって」

 「そうね、そんなお姫様に対する憎しみの八つ当たりされても困るわね」

 「うーん……それはそれがうちの国のお姫様だったらしいから、国民イコールお姫様の子供みたいなもんってことで復讐してるんじゃないの?子供みんな居なくなったら国滅ぶしね」

 「いやいやいや、子供攫って国滅ぼすって何人攫う気だよっていう。まぁ、笑った相手殺せるんなら女王様直接殺せよって話よね」

 「そこは、あれだよ。直接殺せないから回りくどい手を使うんだってば。だからこそ夢魔なんだって。人の精神操って現実に作用するんだよ」


 日々が幸せだと、それは退屈に映る。だから日常にスリルを求める。この話もそんな退屈に飽きた誰かが作った法螺話。それを信じるなんて馬鹿げている。気の強い女の子は友達達に呆れて溜息。


 「あんた達、そんな馬鹿な話間に受けちゃ駄目だって。うちの弟知ってるでしょ?うちの子にそんな話聞かせないでよね!あいつもう14にもなるのに恐がりで!怖くて眠れないから一緒に寝ようなんて来られても私が迷惑するんだってば!解ってよ!」

 「あ、ごめんねソルディちゃん。そうだよね。ファイデ君の耳には入らないように……」

 「あぁ……ごめんミュラー、もう遅いかも」

 「え?」

 「ほら、こういう系の話ってよくあるでしょ?何日以内に何人に話さないと駄目だって。それで私話しちゃったー」

 「おぃいいいいいい!ロンドぉおおおお!!なんてことしてくれたのよ!!もう信じらんない!」

 「だ、大丈夫だよソルディちゃん!ピエロは一人ずつしか攫わないから!笑ってもさ、その時ピエロが街にいなきゃセーフなんだよ!一回攫えば違う街に行っちゃうの!また暫くは戻ってこないから大丈夫だって!」

 「はぁ?何それ」

 「ピエロは気に入った子から攫うから、この街の子供みんなが笑っても攫われるのはひとまず一人なんだよ」

 「その一人がうちの弟だったらどうしてくれんのよ!相手は変態なんでしょ?男だからって油断も安心も出来ないわよ!」

 「あはは、それは確かに。泣いて怖がる子とか可愛いって気に入られるかもね」

 「何ですって!」

 「あ、もうこんな時間!早く帰らないと!またねミュラー!」

 「また明日ねーソルディちゃん!」

 「あ!待てこのっ!」


 怒り出した少女から、慌てて逃げ出す子供達。遅れて家路に着いた少女は、薄暗い夕暮れの道を歩く。影が長くなる夕暮れに吹く風はこの季節でも肌寒い。ぶると身震いしたのはその所為だ。


(別に私は怖くなんかないんだから)


 少女は作り話の中の道化に腹を立てていた。噂の発祥もとが解らない以上、怒る対象がそれくらいしかなかったのだ。あんな子供騙し真に受けて、人を怖がらせるなんて悪趣味も良いところ。誰が言い出したかは知らないが、幾ら退屈だからってあんな話は無いだろう。噂話で寝不足にさせて、精神に異常を来したらそれを夢魔の所為にする。現実の事件を噂に結びつけ、ちっぽけな噂は尾鰭を付けて拡大していく。前に小耳に挟んだ時は、何日以内に何人なんて話はなかった。だから自分の所で止めさせた。弟には話していない。あれからもう一月は経ったし、私の所には何も来ていない。ほらね、あんなの嘘っぱち。

 自分に言い聞かせるように、少女はぶつぶつ呟いた。


 「全くもう……噂だってもう少しマシな話用意しなさいよ」


 残虐さも猥談も、どちらもゴシップ好きの人間には流行るだろう。噂の主、通称「高飛車ピエロ」……彼はお姫様との愛で誤りを知った。愛する者を求めないことが悲劇の始まり、それならば……今度愛する者は手を伸ばそう。今度は笑わせるのではなく嗤ってあげよう。相手のプライドをへし折って、傷付けて、命さえ奪う。奴が死んで学んだ愛情表現は、この上なく歪んでいる。


 「子供の私だって、そんなんじゃないっての位知ってるってのに」


 そんなものは愛じゃない。少なくともそんな愛は一方的な物。例え相手がどんなに格好良かったとしてもそんなのお断りよと、少女は頷いた。


(あれ……?あの子、ファウストじゃん。どうしたんだろ)


 さっき先に帰った友達の一人。長い髪の毛をリボンで結った、女の子らしい可愛い子。

 彼女は頬を赤くして、通りの向こうを見つめている。彼女の視線の先には微笑を浮かべた大人しそうな青年。

 その微笑に釣られるように、彼女もまた微笑んだ。


(な、何……あれ?)


 目と目で話しているわけではないが、二人の視線は共に慈しみに満ちている。それはさながら、愛し合いながら壁に隔てられた恋人達の密会のよう。この場に遭遇してしまったことが申し訳なく思えてくる。それでも彼女の胸の高鳴りが此方にまで感染するみたいに、少女の頬まで熱くなる。


(嫌だ、ここ通らないと家に帰れないのに)


 あいつら今にもキスでもしそうだな。二人が立ち去るまで物陰に隠れていなければならない我が身を少女は嘆いた。……とは言え、見てはいけないと思ってもやはり気になる。あの子大人しそうな顔してあんな恋人が居たのか。いや、別に羨ましくはないけど。でも相手年上でしょ?変なこと考えてる男じゃないでしょうね。心配だわ。

 そう自分に言い訳し、二人をこっそり覗き見ればさっきより近い。男が此方に歩いて来ている。


(やばっ!隠れなきゃ!)


 ここでは見つかる。少女は身をかがめ、ゴミ箱の陰に身を潜めた。この店の主は何を捨てたのだろう。生臭さが鼻につく。しかし背に腹は代えられないと諦める。その間にも、一歩一歩近付く二人。二人の距離は縮まって、男が少女の肩を抱く。そして優しい声で彼は言う。


 「君、笑ったね?」

 「え?」

 「今、僕を見て笑っただろう?」


 とても優しい声なのに、背筋が凍えるように震えた。本能的な恐怖だ。その男の笑みには得体の知れないおぞましさが隠されている。今すぐここから逃げ出したい。そう思ったが、動けば見つかる。


(それに、あの台詞……)


 さっきの噂を彷彿させる、奇妙な言葉。あんな話嘘っぱち。でも、噂を真似した模倣犯?その可能性は否定できない。


 「い、嫌!放してっ!」

 「だって君は僕を嗤っただろう?馬鹿にしたんだろう?」

 「わ、笑ってなんかいません!」

 「へぇ、嘘を吐くんだ。悪い子だねぇ君は。顔だけじゃなくてそんなところもあの女にそっくりだ!あはははは!こいつはいいや!」


 少女が息を殺す内に男が友達の手を掴み、ずるずると夕闇に向かって引き摺り出した。誘拐犯!?触れるということは、あれは夢魔などではない、模倣犯だ。


(でも……相手が生きた人間なら)


 相手は大人の男。自分が飛び出しても勝てる相手じゃない。

 それでもあの子は友達だ。このまま見捨てるなんて出来ない。少女は辺りに武器になりそうな物はないかと手を這わせる。


 「……え?」


 ゴミ箱の陰。自分が隠れていた反対側に何かがいる。伸ばした手に触れたのは、傷だらけの誰かの手。それは自分と同じくらいに小さい手。まだ子供だ。そんな子供の手に無数の線が刻まれて、その子の身体を血に染めている。それは鋭利な刃物の傷じゃない。何度も何度も何か柔らかい物で擦られ、摩擦で裂かれたみたいに……


 「……」


 少女が意を決し向こう側を覗いてみると、そこには服ごと裂かれた少女の死体がある。その小さな亡骸は手首だけではなく、首筋や腹……太腿や股まで切られた跡がある。自分の身体を使ったヴァイオリン。ピエロの話を思い出し、ぶるっと寒気に教われた。その時だ。

 ヴァイオリンの音が聞こえる。それは何処から?顔を上げるも向こうの通りには誰もいない。少女が死体に驚いている内に、二人は向こうの通りから姿を消していた。ヴァイオリンの音色はその向こうの裏通りから聞こえてくる。

 一瞬、家に帰るという選択肢が頭を過ぎったが、少女は首を振ってその答えを捨てた。彼女を見捨てたら、あんな奇妙な噂を信じたようなものじゃないかと、自分を奮い立たせた。


(そうよ、あり得ない)


 きっとこれは夢。こんなの本当のわけがない。それなら帰っても良い?いや、駄目。仮にこれが夢だとしても、私は屈するものか。死んでまで人に迷惑かける人間は最低だ。そんな奴、もしいるならぶん殴ってでも説教してやる。そう意気込んで踏み込んだ路地裏は、生温い風が吹く。人の息遣いに似た、嫌な感じの空気。何と言えば良いのだろうか。嫌な意味の生々しさ。ここが夢ではなく現実だと、人に思わせるような温度を宿した風だった。

 折角奮い立たせた勇気も霧散していくくらい、それは嫌らしい風だった。もう既にここに来たことを少女は後悔し始めている。


(人の息遣い?そんなんじゃないわ)


 進んだ先には小さな広場。そこに出来た人だかり。ここらで夜市でもあるのか?聞いたこともない。その活気はやはりこの空気と同じ。肌に粘り着くような嫌な感じがする。歓声を上げ広場の中央を向いた人々は、仮面を付けた大人ばかりだ。皆、黒いドレスとタキシード。品の良い立派な服を着ているけれど、その口が浮かべる笑みはこの世の誰よりも低俗。その唇はだらしなく緩み、口の端を釣り上げ、涎をまき散らしながら手を叩き、何かをせせら笑っている。


 「今日の主役はこの少女!ミディア=ファウスト!見た目は可愛らしいお嬢さんだけど、その腹の底では何を考えているのやら!これからそれを私が曝いて見せましょう!さぁさ皆様良くお揃いで、此方をご覧下さいな」

(あっ……!)


 歓声の中に、朗らかに響いた男の声。それはさっきの男の声。それに気付いて少女は震え上がった。


 「歌うこの子が愛しいヴァイオリン、今から奏でてみせましょう」


 男が立つのは酒樽の上。それを演説台のように使ってヴァイオリンの弓を手に取った。男はヴァイオリンを持っていないのに、それを指揮棒のように振るうだけで、どこからともなくヴァイオリンの音色が流れる。男の隣には先程見失った少女、ファウスト。髪のリボンを解かれて目隠しをされ手は縛られて……街灯に吊されていた。


(どうしよう)


 助けようにも周りの人だかりが邪魔で進めない。押しのけようにもこの大人達、石のように重たく動かない。目立つことをすれば、黒服ではない自分もあの台の上に連れて行かれる。そう思うと足も竦んで動けない。


 「ごめんなさい……笑ったのは確かに本当です。だけど違う!照れただけで!一目で恋に落ちただけ!貴方が好き、だから止めて!私を殺して何になるのよ!?」

 「嘘吐きな君の言葉、信じるには至らない。子供の言う戯れ言だよ、鐘を鳴らして目覚めると良い」

 「きゃああああああああああっ!!」


 男が指揮を止めると、彼女の身体が逆さまに。手を縛っていたリボンが足へと絡みつき、彼女の身体を街灯に打ち付ける。捲れたスカートの下から白い足が顕わになると、観客達が興奮し、わーわーぎゃーぎゃー騒ぎ出す。酒を飲み出す者もいて、辺りはますます大騒ぎ。


 「12の鐘、過ぎた後に……まだ言えるなら愛せるかもね」


 男がそう口ずさむと、街灯が時計に替わる。彼女を打ち付けた数だけ時計は一回り動くのか、時計は一時になっていた。男の言う12時とは、一回りした後ということ。12時を過ぎるということは、1時まで来いということ。1時は13時。13という数字からして、一回死んで来い。こいつはそう言った。

 好きな相手にこれだけいたぶられてそれでもまだ愛していると言えるのか?愛した女に殺されて、愛など消えた道化師にとって……多分生者から信じられる愛は無い。死んでそれでもまだ僕を好きって言えるのと、この男は言ったのだ。


(何て奴……)


 少女は恐怖を越えて怒りが湧き上がってくるのを感じた。彼女の恋心を踏みにじっただけじゃない。その上こんな非道な行為!こいつは本当に狂ってる!好きになって攫う癖に、好かれたら冷めるのだこの男は。


 「そこのあんた、あんた馬鹿でしょ!いいや馬鹿!馬っ鹿じゃないの!?絶対馬鹿よ!この変態加虐性犯罪者っ!」


 歌の途中に割り込んで、少女は男を心の底から嘲笑う。


 「笑われたと思うのは、お前の根暗な性質が!この上なく卑屈すぎて歪んでいるからなのよ!」


 あの子が笑ったのは、好きになった人を見つめて……その人に微笑まれたからはにかんだのに。それを歪めて受け取った、この男がすべて悪いのだ。

 少女が思いきり怒りを吐き出すと、一斉に観客達の視線が此方を向いた。続いてそれは道化師も。


 「な、何よ!」


 男の格好はそこまで道化らしくない。多少格好が古臭く、数世紀前の人間のよう。小綺麗な男で、何処かの貴族とか騎士みたいにも見えなくもない。

 ピエロと呼ばれているが涙の化粧も無いし、そもそも元が宮廷道化師ならジェスターだ。それでも腹の底で何を考えているか解らない、そう言う意味でなら確かに道化以外の呼び名が見当たらない。今だって穏やかな笑みを浮かべているけれど、どんな恐ろしいことを考えているのか。


 「君は良い友達が居るんだね。そうだな、僕もあいつに似た女を傍に置くよりは、こういう気の強い女の子の方が愉しめそうだ」


 にたりと笑って道化師は、足のリボンを弓で切る。やはりあの死体は、この弓でやったのか。弓はべっとりと血に染まっていた。

 男がもう一度弓を振るえば、観客達は姿を消して、先程までの妙な空気も街灯も消える。落下して来た友人を抱き留めて、少女はほっと息を吐く。


 「ファウスト、大丈夫!?」

 「う、うぁああああああん!そるでぃいいちゃああん!!ひっくっ……ひっく」

 「よしよし。ほら、泣かない泣かない。いい女が女に涙見せてどうすんのよ。そういうのはあんなのじゃなくて中身まで良い男に取って置きなさい」

 「君には弟か妹でも居るのかな?随分としっかり者だ」

 「あんたまだ居たの?集団幻覚の産物ならさっさと消えなさいよ」

 「現実的でクールだね、でもそれは君が何より幻想を恐れている証でもある。強気なのはそれだけ中身が柔いんだろう。今度の夜が楽しみだよ」


 友人の背を撫で慰める少女の背後で、うんうんと頷く道化師。得物を見定めるよう粘っこい視線で凝視もしている。


 「残念だけど、僕は今回ここに来てから……まだこの街から誰も攫っていない。他の街から攫った子はもう殺したけど」


 少女もその言葉に思い出す。道化師は一人攫って別の街。攫う価値が無くとも腹が立てば殺すのだということは、今のことで露見したが。


 「勝ち気なお嬢さん、君の魂はどんな音色がするんだろうね」


 獰猛な獣のような目で、此方を眺めた後、男はもはや残っていない客席に一礼。そして自分も姿を消した。


 「消えた……」


 やっぱり幻だったのか?少女はそう思ったが、友人はまだ泣いている。頭をぶつけた怪我もある。それに辺りは見慣れた街並み……ではない。そこから幾らか離れた隣町との境目。それをほんの少し越えていた。


(まだ攫ってないって嘘じゃない)


 だからあれが現実だとしてもノーカウント。もう私は攫えないわ。強く、そう思い込むしかない。あの男が噂通りの存在なら、心が負けたらお終いだ。夢から幻覚が始まり、現実をも蝕んでいく。今のこの子だって、一目惚れから成る幻想……妄想のフィルター。それをあいつに利用された。多分、噂の人物がどんな人か。何度も頭に思い浮かべた。それは現実を見ていない、妄想の世界に囚われるきっかけ。


(否定することだって、あいつを考えること)


 忘れよう。何もかも。多分それが一番良い。少女はそう直感したが、日が沈んだ夜の風に身体が震える。夕方の風より冷たくなってもいいはずなのに、どうしてだろう。あの気持ち悪い風のよう、何者かの気配と息吹を隠したように生温い。

同名のオリジナル曲を作った時に、頭の中にあった設定です。

曲を聞いてくれた方、これは動画を見てくれた方へのお礼に書いた小説になります。

短編小説にしたかったけど、思いの外長くなりすぎたので区切りました。



登場人物の名前は、歌わせたボーカロイドの名前から連想する言葉や音楽用語を捩ったり。詳細はブログにでもこっそり書いておきます。

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