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17:労働者の車

「ご無沙汰しております、義兄君」

「どの口が、私を貴様の兄などとっ!! 二度と顔を見せるなと言ったはずだファウスト!!」

「そうでしょうとも。私と結ばれたために、貴女の愛する妹は……マルガレーテは命を落とした。なればこそ、彼女の忘れ形見は可愛らしいと思いませんか? 私のような男に預けられないとも思いませんか?」

「あれの……忘れ形見、だと?」

「この子は触媒……媒体いいえ、むしろ霊媒(ミディアム)。そうですね、名は“ミディア”。“あれ”に復讐したいと望んでいるのは貴方だけではありません。この子が育てば必ずや、貴方の役に立つでしょう」





 失われたものは何だって美しい。だからこそ人間共は言うのだ。時間よ止まれと。お前は美しいなどと。実の所ファウストは、最愛の人の顔さえ正確には思い出せない。それだけの時を生き続けた。果たしてマルガレーテはグレートヒェンに似ていたのか。この男の主観ではそうであった。それだけのこと。つまりは、感動もない停滞の世界に見つけた美しさ、愛すべき者。それこそが、奴には“グレートヒェン”の再来なのだ。


(ああ、けれど――……)


“奪われたものは、いつだって憎らしい”


 故にファウストは、奪い傷付ける側となる。これぞ、人間が永遠を生きられない理由が知れると言うもの。はじまりがどんなに素晴らしい、美しい愛であっても……時は人間の心を歪める。そんな者が大勢闊歩していたら終末も終末、世の終わり。悪魔側には愉快な世界となるが、余興であって食卓ではない。最高の肉を喰らうには、僅かな香辛料があればいい。


(これまで耐えた甲斐があった)


 契約者たる主は、いつになく良い香り。もうすぐ時が来る。待ちかねたその時が。


「ご機嫌だなメフィス」

「そりゃあ当然。何年ぶりか? あんたのそんな悔しそうな顔を見るのは」


 隣室が鎮まった頃、まだ二人の夜は終わらない。永く生きる者にとっては、一晩の眠りなど瞬き一瞬。眠らない夜など幾らでもある。


「気分が良い。今晩はサービスで、注いでやるよご主人様」


 まだ中身の残る主人の酒杯に、溢れるまで酒を注いでやる。瓶の中身は幾らでも。室内全てを酒で満たすも容易。膝まで浸かった辺りで、主は酒を消せと呆れ返った。


「メフィス……いい加減にしろ」

「はいはい、どうですお味は?」


 主人から咎められ、悪魔が片手を振る。たちまち酒は幻と消え……残るは注ぐ前と変わらぬ量が杯の内に揺れるのみ。


「お前の酒は不味い。折角の肴が台無しだ」


 待ち望んだ“女王”を手に入れた。彼女の意思で側に置くことも叶った。だと言うのにこの男が飲んだくれているには訳がある。

 悪魔を騙し時を欺き手に入れた、念入りに育て上げた武器。それが今や奴の手から消えてしまった!


「ならなかったなぁファウストの旦那? あんたの思い通りにさ! あーはっはっはっは! 最高だよ、あんたの今の顔!」


 悪魔は主を眺めてゲラゲラ笑った。こんな顔は本当に、二十四年ぶりくらいなもの。いいや、あの時以上に酷い顔。

 二十四年前の使い魔マルガレーテ。 彼女は道化に食われ滅びたのではない唯一の例外。奴にとって忘れられない使い魔だろう。ファウストが完全にマルガレーテを見限ったのは、二度目の裏切りのため。ミディアを道具と見なすのも、マルガレーテへの失望……愛の消滅が理由。


「やっぱりあいつは“オイフォーリン”にはなれなかった! “ユストゥス ”だったんだ。あの男の、じゃない。あんたのさ。詩じゃなくて死だってのは傑作だよ! あはははは!!」


 ミディア=ファウストは、その名の通り名実ともにファウストの娘だが、存在してはならない者である以上……彼女の死は必然だった。しかしこの男は二度、あの娘を救った。器としての肉体を。助けた相手が命取りになるのなら、実に滑稽だ。契約期間を何度も勝手に延ばされた溜飲が下がる。面白い結末を悪魔は期待していた。それを見るために、己は騙されたのだとさえ思う。


「メフィス。半身が私から逃れたことがそんなにも嬉しいか?」

「そりゃあもう。欲を言えば俺様が逃げたかったところだが」


 散々契約の裏を掻かれたのだ。この男を出し抜くのは痛快だ。悪魔が悪魔である以上、日頃の行いの賜などと言わないが……幸運は諦めない者のところへやって来る。そういうものだと悪魔はよぉく知っていた。


「肉体の檻を盾にして、中に凶器をぶち込むなんざよくもまぁ……あくどいこと考えるよなぁあんた。つくづく人間にしておくのが惜しい。早く地獄で俺の配下にしたいもんだ」

「やれやれ。お手柔らかに頼むと約束させておくべきですかな、未来のご主人様に」


 これ以上酒は不要と言わんばかりに、男は杯を悪魔のそれに傾けた。飲み干した辛口の葡萄酒は、この上なく美味だった。


「報いが来る前に終わらせちまえよ、ファウスト。時の神は死よりも怖い。あれの手綱を離したら、あんたもいよいよお終いだ」

「ふっ……私には幸運の女王様が付いているからね。そう簡単にはいかないさ。あれより余程、彼女は良い盾になる」

「本当に薄情な男だな」


 だと言うのに、何故この男は酒など浴びたのか。つくづく人間とは奇妙な生き物である。

 ……可哀想に。作り物の刑事より、お前は心の名前を知らないのだな。やはりお前は永く生きてはならなかった。

 そんな男を永遠の苦痛に縛り付けることが面白い。ファウストの悲鳴は日々、どれだけの魔力を生み出すだろう? 食前酒はもう飲み飽きた。晩餐会が待ち遠しい。悪魔は舌舐めずりをして笑う。





「本当に、付いて来て良かったのか?」

「……はい」


 刑事と名を失った娘。しいて言うなら名はフェレス。馬車に揺られながら、二人の旅は始まった。これまでだって二人きり。道連れ相手が変わるだけ。刑事は口数少なくも……時折私を気に掛けて、同じ質問ばかりを此方へ寄越す。

 何度目の問いかけだろうと“フェレス”は思う。


「私は大丈夫ですよ、刑事さん」


 微笑むフェレスに刑事は困っている風だ。


「あんな男でも……一応はお嬢ちゃんの身内だろう。奴は狡いし酷い男だから、あれで案外凹んでいるぞ。それを愛情や愛着と呼んで良いとは思わないがな。……それでもお嬢ちゃんがなんとも思わないなら好きにしろ」

「はい、そうします」


 何を気遣う必要がある? 刑事はフェレスを何度も気遣う。上手い言葉が見つからぬまま、「本当に良かったのか」の次は「大丈夫か?」の繰り返し。自分なんかに付いて来るべきではないと何度も何度も言い放つ。


「そんなに心配しないで下さい、レッド刑事。私は唯の小娘ではありません。貴方よりずっとおばあちゃんかもしれませんよ」


 何かあってもそれが私の死期だろう。フェレスの諭す言葉に刑事は不快感を露わにした。


「君は奴に。死に魅入られているようだが――……死は救いではない。あんなものが救いであるなら、此の世に奴や俺のような化け物が生まれたりしない」

「……化け物だなんて。私にはそう思えません。貴方も……あの人も。こうして話が出来る。言葉を交わせるならば、言葉を重ね続ければ、心を通わせることだって――……」

「それは君が此方側に来ているからだ。君は魔に魅入られ本来言葉を交わし、心を通じ合わせられるはずの“人間”達を遠ざけている」


 まだ戻れるはずだ。例え半身が悪魔でも、半分の魂と人の器を持っている。許される時間の中で人間として生きるべきだと刑事は言った。


「君一人が死んだところで、奴は何も変わらない。残された人が悲しむだけで、誰も救われたりしない。君が満たされるだけだ」

「残された人――……? そんな人私には誰も……」

「…………“ミディア”の両親について、君はどの程度知っている?」


 そんな事を聞いて何の意味があるのだろう。訝しみながらフェレスは肉体の記憶を掘り起こす。


「母は突然消えました。父もミディアを殺害後から、消息が掴めません」


 あの人達は、“ミディア”が本を持ち出した日に――……何処にもいなくなった。錯乱した父にミディアは絞め殺され、その後ファウストに蘇らせられた。


「なるほどな。ならば君は、“母親”が家から出た姿を一度も見てはいないはず」

「……そう、かもしれません」

「君は父親に契約を破らせた。それで母親代わりの悪魔は自由の身となり、契約者を食い殺したのだろう」

「それなら……やはり、ミディアには」

「いや。……彼は君の本当の父親ではない。君の死を、悲しむのは人間はまだ存在するんだ、ミディア=ファウスト。君の母の名は――……マルガレーテ。父の名はファウスト。君の身体は正真正銘、あの男が父親だ」


 父と洗脳していた養父が、実の父親? 何故そんな回りくどいことを。フェレスは刑事の話を受けて、軽く混乱してしまう。


「嘘――……、あの人が……“ミディア”の、父親!? どうして他の人にあの子を預けたりなんか――……」

「“ミディア”のじゃない、お嬢ちゃんのことだ。少なくともこの数年、その名前で生きて来たのはお嬢ちゃんだろう?」

「…………どうでしょうか。いませんよもう、私をそう見てくれる人は。私が死なせた。殺させたから」


 ソルディ=ミュラーはもういない。けれど“ルベカ”がまだ残っている。そう指摘しないのはレッド刑事の優しさだ。フェレスは刑事の優しさに甘え、それ以上を踏み込ませなかった。


「…………あの人が私を娘と思ってる訳がありません。本当に娘と思っていたなら、私を復讐の道具になんてしませんよ。私があの人なら、私なんか。私の魂なんか宿らせない。"O, wär’ich nie geboren!"……そういうこと、です」





 錬金術とは、不完全なものを完全へと至らしめる秘術である。金の錬成や永遠の命を目的とした学問と思われているが、それらは目的の一つに過ぎない。しかしその過程で錬金術師達は多くの発見と発明をもたらした。


(なのだとしても、やっぱり変よ! 絶対おかしい!!)


 ルベカは納得出来ずにいた。仕立屋のある街は農村部と城下町の中間地点に位置し、ギルドも多く活気がある。ロンダルディア王都ロンダード。ここのような大都市ならば“蒸気機関”は存在するし、大ギルドには蒸気機関を所持する場所もある。


「だけど……こんな馬車、見たこと無いわ! 馬の居ない馬車なんて!」

「陛下、ご出身は? 王都の中の何処かでしょう? では蒸気機関くらい目にしているはずですが?」

「都って言っても……ほんとに外れの方よ。農村部にも近いから、活気があるってだけで……」


 都と言われてもいまいちピンと来ない。通りが変わればそれぞれが別の街。それも高飛車ピエロの所為だろう。

 王都を街とは数えずに、大都市内で小刻みに犯行を繰り返す。王都の外でも同様の犯行が行われているはずだが、人口の少ない場所では事件も少ない。借りた本の中にも都市部での裁判記録が殆どだった。

 道化が定めた境界線が、“街”になる。連れ去れてた子供は、必ず余所の街で遺体が発見されるため……見つかった街に犯人がいると誰かが思う。犯人が見つからないなら、その街の者が隠し匿ったと考える。道化が引き起こす事件は、軋轢を生む。街の中での結束力は上がっても、外部との関係性は悪化する。だからそう……今日の“王都”ロンダードは小さな街の集合体。

 大都市での事件だから話題になる。人が大勢居るから足が付かない。郊外や遠方……田舎での事件は噂にならない。道化も現実の犯人も、人口の多い場所程よくやって来るのだ。

人が沢山居るから噂が広まる……人の好奇心が集まる。無関係の悲劇を楽しめる。 都市伝説という呪い。他人の不幸を笑う余裕。それは――……現実逃避という娯楽? それとも他者への愛を忘れた無関心?


(現に私も――……)


 最初はルベカも“高飛車ピエロ”の噂を楽しんでいた。他人事として、面白がっていた。その罰が、私の現実。重すぎる現実。当事者どころか元凶……元凶にとっての元凶が自分であるなんて。報いは必ずやって来る。過去が未来を殺しにやって来る。人はそうして、己の罪のために死ぬのだ。死ぬのが自分であればどんなに良いか。報いはより苦しめようと、周りの罪なき者まで手を延ばす。利息を回収するかのように。


「ほんと、……夢みたい」


 夢だったら良いのに。おかしな馬車も、みんなが消えた現実も。馬鹿げた騒動も、悲しいことも何もかも。

 ルベカのぼやき声を聞き、錬金術師は快活に笑う。嫌味の一種に違いない。そうルベカは確信していた。


「ははは、愉快な方ですな陛下。夢は夢でも悪夢のようだと顔に書いてありますよ」

「……別に呆れている訳ではないの」


 現実逃避というのなら、これも現実逃避だろう。飛ぶように移り変わる景色、勢い良く街を離れる蒸気機関。人間驚きが過ぎると感心する気持ちも消え失せるのだとルベカは失笑。“まるで魔法”と呆れ眺める。この馬なし馬車は蒸気で動いている……説明されてもルベカにはよく解らない。


「ファウストさん、五月蠅いし臭いもするし……燃えているの? こんな物、何処に隠していたのよ」

「当然ですな、見せないようにしていましたから。まぁ、言うなればそれが魔法という物ですな」


 過去と未来からの秘技を、併せ持った錬金術師。確かに彼は何でも出来る。道行く人は怪奇な馬車に気付きもしない。


「表立って見せる物でもないのですよ。もう何十年かしなければ、陛下の国には現れません。む……いや、本来ならそろそろ登場しても良いのですかな?」

「そんなこと私に聞かれても困るわ」

「そうでしょうかね? 奴の呪いが国力を、信頼を失わせた。本来在るべき栄光も、発展も……そこまで至らず衰退へ」

「王国が……滅びかけていると言いたいの?」

「ええ。それ故貴女が現れた。天の意思により、送り込まれたと言っても良いでしょう」


 悪魔と地獄が存在するのなら、天も神も存在する。悪魔とは間接的な神の存在証明なのだと。彼らは悪魔のように大手を振って人の世に関わることはしないが、思惑のため駒を配置すると錬金術師は言い切った。


「神は試練と犠牲を愛と呼び、彼らは対価と結果を仕事と呼びます」

「死後の救済か、生前の幸福か……という話かしら?」

「カイネスは、天にも地にも属さぬ者。実態のない夢を漂う。死後の安寧を。……あれは死に魅せられた子らしか攫えぬのですよ。つまるところ、貴方の罪です。民を死に向かわせる、彼らに幸せな今と未来を与えられない貴女の王国の罪なのです」


 試練なき死。彼の誘拐……逃亡とは生からの。生きる苦しみからの解放。未来ある少年少女が高飛車ピエロに取り憑かれるのは、お前が生前の幸福を与えられない無能だから。

 女王の魂を生まれ持とうが、血筋は王家に何の縁もない。そんな自身に何が出来るのだろう。責任や罪ばかりを押しつけられても、他人事のように感じる。

 王とは救済者だと言われているのか? 対価なき救済。女王に民が救えないから、民は悪魔に付け入られてしまう。どんな対価を支払ってでも、救いに願いに手を伸ばす。


「気を悪くしないで欲しいのだけれど、言っても良いかしら?」


 ルベカは一つ前置きをする。言われた分言い返してやる。そんな気持ちが少しはあったが、それが全てではない。


「ええ。ここは貴女の王国ですとも、さぁ何なりと」

「…………それもどうかと思うけど。それじゃあお言葉に甘えて聞かせて貰うわ。貴方の錬金術と、メフィスの魔法。……こんなに何でも出来るのに、どうして今まであいつを捕まえられなかったの?」

「ははは! これは手厳しい」

「それってつまり……ファウストさん。貴方も女王の民なのかしら?」


 貴方も救いを求めているの? 対価なき救済を。

 流石に失礼だろう……真っ直ぐには訊ねられない。しかし彼には真意が伝わっていた。軽薄な作り笑いを浮かべる前に、ファウストは……戸惑ったのだ。ものの一、二秒のことではあった。それでも彼はルベカを見た。縋るような目で。


「……いいえ。ですが貴女が私の主となるのなら。それも運命なのでしょう。抗うことはいたしませんとも。例えそれが許しでも報いでも」


 救えるものなら救ってみせろ。それまで飼い慣らせると思うな。あくまで利害関係で自分たちは同じ場所にいるのだ。錬金術師の挑戦的な言葉の陰から、僅かな弱みが顔を出す。これまでだって、彼らには捕まえられた。それでもそこに、彼の安寧や救いは存在しなかった。そんな風にルベカは思う。この人も、“女王”という幻想に取り憑かれた人なのだ。


「……貴方は私に何をさせたいの?」

「貴女が全てを思い出せば、自ずと解ることですよ。さて、先程の問いにお答えしましょう。我々は、貴女を待っていたのですよ」



「綺麗な街……」

「毎度愉快な女王陛下。発言と表情が異なるようですが?」

「そりゃそうなるわよ」


 何で私はこんなおっさんと、ロマンチックな場所にいるのやら。割り切ったつもりでも落ち込む気持ちに嘘は吐けない。今更取り繕うこともないとルベカは顔に心を表した。

 

 水上都市バルカロラは、ルベカの暮らす国から随分離れた場所にある。女王が生きた時代には、もっと時間が掛かっただろう。


「でも、まさか舟に乗るなんて。貴方のことだから次は空でも飛ぶのかと思ったわ」

「そうしても良いのですが、あれは猫のような男ですから」

「猫? とてもそうは思えないけど」

「奴はああ見えて水が苦手なのです。水は時に結界の役目を果たします」

「それなら最初から全部船旅にすれば良かったんじゃない? 安全なのでしょう?」

「それではボニー君に先を越されてしまいます故。強引に物事を進めるのは彼の方が得意でね。私のコネも時代と共に少なくなって、大変なのですよ。錬金術師は頭を使わねば」


 あの馬車はファウストと悪魔が作った物で、此の世に二つと存在しない。同じやり方で追いつけない刑事は海路を使う。高速船の手配は、怪しげな錬金術師より現役警官の彼の方が伝手がある。


「奴は貴女を攫わない。陸路で問題ないのです。ふっ、くくくっ……ボニー君はあれで過保護と言うか、可愛いところがあるのですよ。奴が今更あれを攫うこともないでしょうに」


 ミディアの安全のために、刑事は海路を選んだと彼は言う。ファウストはレッド刑事をよく知っている。この二人も妙に因縁深い関係だ。ルベカは少し興味を持つが、聞いたところで男が素直に答えるとも思えず諦めた。


「まぁ……ミディアが無事ならそれでいいわ。あんなことがあったばかりだし、すぐに顔を合わせるっていうのも気まずいわ。会わずに済むならお互いそれがいい……貴方の旅支度についてはけちの付けようが無いわ」


 船ならばもっと多くの日数を要した。それが二日とせずに到着するのだ。やはり魔法だろうとルベカは思う。昨日の早朝に出立し、翌日の夕暮れにはもうバルカロラへとやって来た。海面に反射する夕日を眺め……感慨に耽る。本当に美しい景色。出来ることなら愛する人と共にこんな場所へ来たかった。


(ファイデ君にも見せたかったな……)


 生前の彼は、家に縛られていた。外を出歩けない不運の下に生まれ、出歩けばすぐに健康を損なう。当然バルカロラへ来たこともない。この美しい町並みを、空と海を目にしたならば……彼は何を思っただろう。次はどんなドレスを作っただろう? 何色の生地? どんな柄? 糸は何色? 感銘を受けた彼は、もっと素晴らしい服を仕上げただろう。服が仕上がり喜ぶ彼を……いいや、楽しそうに作業をする彼を、私はもっと見ていたかった。


(それとも……今、貴方は幸福なのかしら)


 死んでしまった貴方は、もう場所に囚われずに済む。行こうと思えばどんな場所でも行ける、どんな景色も貴方は見られる。もう二度と……服を仕立てることは出来ない代わりに。


「いいえ陛下。死んでしまえばすべてがお終いなのです。それ以上などありません。それ以下が存在しないだけ。永遠の停滞です」

「……え?」

「これ以上不幸にならない。それを奴は幸福と呼ぶ。まったく、反吐が出ますね」


 揺れる水面に映る錬金術師の表情は、珍しく怒りに彩られている。


「いいですか陛下。貴女は今生きている。貴女は幾らでも幸福になれる。過去を捨て、思い人を忘れていくことで。新しく誰かを愛することが出来る。幸せな未来を掴める。奴も同じ事を言うでしょう。“そして女王のように裏切れ”と」


「奴の口車に乗ってはいけません。私ならばあの少年を蘇らせられる。少女の方は諦めなさい、貴女は彼を選ぶべきなのです。本当に彼を愛しているのなら」


「貴女が彼を思い続けることが、奴の望みです。貴女が唯一人を愛し続けることで、奴は安息を得る。女王もそうであったのだと。生涯自分以外の誰も愛せなかったのだと、彼女の愛を再び信じられるようになる」

「でも、そんなのファイデ君が悲しむわ。彼は……誰かの犠牲の上に、幸せになれる人ではないの」

「そんなもの、魔術で幾らでも騙せます。愛する人が生きている。それに勝ることなどありますか?」


 ルベカは思う。この人は。錬金術師ファウストは、かつて本当に……心の底から愛した人が居たのだと。彼が今も生き続け、ピエロを追いかけ続ける理由は……彼が失った愛に関係しているのだろう。


「……そうねファウストさん。貴方のようになれたなら、きっと私は……。少し、考えてみるわ」


 頭ごなしに否定は出来ない。自分よりも長い間悩み考え続け、彼が見つけた答えがそれなのだ。彼の答えも一つの意味では正解なのだ。唯、彼にとっての正解が、自分にとっての正解であるかはルベカはまだ解らない。


「ええ、それが良いでしょう。時間はまだ残っております。この街でならば安全に、貴女は過去を取り戻せるでしょう」

「……過去を、か。ねぇ、ファウストさん。バルカロラもロンダルディアだったの? そんな話……聞いたこともないわ」


 このバルカロラに女王の過去がある? ルベカには思い当たる節がない。


「いいえ、ここは貴女と奴にとって因縁深い場所ですが……王国ではありませんとも。しかし最も安全な場所であるとも言えましょう」

「貴方はここで、私に会わせたい人がいるのよね?」


 ファウストは“我々”と口にした。馬なし馬車を飛ばして来たのも、刑事達を出し抜く必要があったと考えられる。


「ええ、その通りです。今の貴女は王家に何の縁もない。ですが、王家にも話のわかる方がおりまして」


 これからその人に会いに行くのだと錬金術師は説明をする。


「奴は、王家からも子を攫うことがありましてね。手っ取り早く王国を滅ぼすにはそれが確実でしょう。無論、奴の好きにさせるわけにもいかず……私が当時の陛下に助言をし、まぁそれなりに陛下からのご寵愛を賜りましたよ。その縁あって、今も奴が活発な時期はここへ逃れる高貴な方々も多いのです。奴が興味を無くす年齢になるまでここで暮らす方もそれなりに」


 王家縁の者の中でも話が通じる人間。錬金術師の言葉を信じ、ルベカの存在も認められる人間が相手なら、幾らかの情報は聞き出せる。情報こそが過去を紐解く手がかりなのだと彼は言う。


「奴は水を苦手とすると、先程申し上げましたね?」

「え、ええ」

「水を清め結界とすることで、奴の移動範囲は狭められる。川を越える、海を越えることがなかなか容易ではないのです。故に、ここへ来ることも逃げ出すことも面倒なため……滅多にやって来ませんよ。来ても弱体化してまともに攫えはしません」


 女王の国、女王の民を呪うことが出来ても、夢魔は水を呪えない。錬金術師から貰った本にはない情報だ。重要な話はもっと早く教えろと、睨んだところで全てが空しい。


「……私がもっと早くに貴方に出会い、ファイデ君とソルディを……ここに移動させていたら」

「無理でしょうな。一度生じたことはどうにもなりません。奴の意思でこうした結果が招かれた以上、どうあっても彼らは命を落としたでしょう。彼らがあの場に住んでいた。それが全ての結果なのです」


 移動させるまでの間に、攫われて殺されただけ。無慈悲な言葉が水面を渡り……空気へ溶ける。


「過去は変わらない。でも、これからはそうじゃない。……ここにあいつを誘い込めれば、貴方が何とか出来ると捉えて良いの?」

「無論、そのために餌となる貴女をこうしてここへ」

「……本当に!?」


 顔を上げたルベカが縋る視線をぶつけた先で、錬金術師は笑っている。


「唯、奴も対策は練って来る。ですからここへは貴女が求めて止まない、現実世界の犯人が現れる。そうしなければあれは満足に夢も渡れませんからね」

「なんですって!? 貴方、手掛かりくらいって言っていたじゃない」

「王都は彼の庭。ボニー君の手下がいたかもしれないのでね。念には念をと言うことです」


 目的の一つがこの都市に潜んでいる? 思わぬ収穫に気が逸る。頼もしい協力者に期待の眼差しを向けて見る。けれども穏やかに笑う男の胸中は窺い知れない。男の様子にルベカは不思議と懐かしさを覚えていた。


「頑張りましょう陛下。ボニー君とあれが来る前に、我々で全てを終わらせるのです」

しれっとミディアとファウストの関係が明かされる回。

barcarolaのアナグラムA Lobar Carがサブタイトル。

そろそろこの曲 https://www.nicovideo.jp/watch/sm35238698 まで話進めたいところです。


ついでに刑事の新曲出来ました。https://www.nicovideo.jp/watch/sm36266472

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[良い点] 設定の説明が分かりやすいです。 [一言] いつも投稿お疲れ様です! 群像劇状態で設定の整理やプロットの作成も大変だとは思いますが、思うように書けることを応援してます!
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