16:ハングタイマー
哀れな道化、元は騎士。戦で不具となったは誤り。王への忠義は携えども、肝心の王は“お姫様”の父ではなかった。
*
「ロンダルシア、……ですか?」
「そうだ。姫の結婚相手を……つまりは次の王を探している」
ご主人様は小国の王。大国から見れば取るに足らない諸侯の一人。若き王には野望があった。
「肉親と争うくらいなら、故郷を捨てる。私は他の手段で王になるのだ」
小さな国のため国を二分し争うよりも、王は世界へ目を向けた。然れど故郷に民に思い入れはある。
「感謝するぞカイネス。家を捨てたお前の話を知り、私も心を決められた」
「道化には勿体ないお言葉です、ご主人様。ははははは! 最高の冗談ですよ! 私などより貴方の方が道化に向いておられます」
「ふっ……全く。お前はいつもそれだ。主人にくらい仮面を外して見せろ」
出来ませんよそんなこと。私の心を暴いても、貴方が求める答えはない。貴方が私に失望するのです。本当に救いようのない愚者であったかと、失望されたくないのです。皮肉なことですね。初めて愛した他者でさえ、私に夢を見ていた。全てはうたかた。私の真実、現実を知れば貴方の夢は覚めて消えてしまうのです。
「それで、ご主人様? 私が潜り込むと言うことは、そういったお話なのですね?」
「……ああ。頼む。城に入り込み、情報を入手してくれ。お前は私に似ている。お前と打ち解ければ、見ず知らずの相手よりも私が幾分かはマシだと思ってくれるだろうさ」
「畏まりました。全てはご主人様のご命令通りに」
無である道化は薬一つで何にでもなれた。メイドにも、見習い騎士にも。無に数値を足して別の物へと変える薬だ。別の薬を飲めば足された数以上が引かれ、また別の物へと変わる。無はいつしか二つに分けられたが……一度抱いた恋心は無くならない。
愛を知り、愛されない痛みは酷く堪える。早く終われと道化は願った。王が伴侶を見つけたら、私は壊れてしまう。そうなればいい。本当の愚者として痛みも分からぬ程に壊れたい。そうして不要と捨てられたい。
いいや、そんな未来があるものか。優しき王だ。薬のためにいつか身体か精神が壊れてしまうのだとしても、主命に生きた自分のために王は泣いてくださるだろう。私はその時を今か今かと待ち続ける。
(王よ、私は貴方のために終わりたいのです)
それが愚かな私が漸く理解した……愛なのですから。何にもならない私に出来る唯一のこと。我が身ひとつで貴方の国に、多くの花を咲かせて見せましょう。花は人々の笑顔。彼らを前に貴方が時折私を思い出してくれれば良い。それで愚者は救われるのです。
「何度見ても見事なものだな、まるで魔法だ」
「ご主人様に恥など掻かせませんとも。この顔に誓って約束いたしましょう!」
私は貴方に拾われた。私は貴方に救われた。貴方とよく似た私の顔は、きっとお役に立つことでしょう。大国の王となるべきお方の影となる、これぞ最高の道化道。惨めに死んでも大往生。精々悔しがるが良い。私は愛する人を守り死ぬのだ。満足に剣も振るえぬこの手でも、私は大きなものを守り死ぬのだ。私を馬鹿にした父の悔しがる顔が見える。嗚呼、惨めですね父上。悔しくもありませんが、道化としては負けてしまいました。
「この顔で騎士として城に。彼方の顔でメイドとしてお姫様の寝室まで潜り込んで見せますとも! お姫様には毎晩貴方の素晴らしさを子守歌として歌いましょう! ははは! ご安心ください! 万に一つも過ちなどありません! 無論私は愚者ですから!」
「それで良い。お前は真っ当な男じゃない。お前が上手いことやってくれたら……ロンダルディアは私の物になる」
真っ当な人間ではない。私は貴方に愛されることもない。ならば精々演じて見せよう。一世一代の名演を。
*
「誰……貴方は」
お姫様との邂逅は、何と言ったら良いものか。唯々目を奪われた。私の半身が、「あれが欲しい」と喚き始めた。もう一方がそれを咎める。あれはご主人様に献上するものなのだと叱りつけ……お前なんか消えてしまえと騒ぐ。
「俺は貴方の味方です。可哀想な姫君。かの大国は偉大な王と宝を失いました。宝は貴女だベルカンヌ姫! 遠い異国まで響いた貴女の微笑みも、今はこうして陰っておられる」
「……笑えるわけが無いわ。こんな時にどうして笑えるの? それは本当の大馬鹿者よ」
「馬鹿で結構! 私が貴女に笑顔を取り戻して差し上げます」
愛らしい姫を王は溺愛し、王は姫に王位を譲るつもりであった。王の目は愛により曇り、正道を失った。であれば王の死も、真実は反乱に他ならない。当然自分が王になると疑わなかった兄もいる。妃や側室は己の子を王にと譲らない。
「姫、父君への復讐のため。俺をお使いください」
噓のような口上も、半ば本心。最大の後ろ盾たる王を失い、広い王城にひとりぼっちのお姫様。彼女は人形。所有権を巡り奪われ合う宝。高貴な姫、美しき器にも自由はない。彼女の心も人格も、誰も求めていないのだ。お可哀想に。それは私が愛するあの人も。
(姫……)
貴女に出会いたくなかった。決して触れてはならない人が、私の求めた半身だったと知りたくなかった。世界にきっと只一人。私だけが貴女の苦しみを理解してあげられる。どんなにお辛いでしょうと貴女のために私は泣いてあげられる。涙を拭い抱きしめて、貴女が泣き止むまでその背を優しくなでて差し上げたい。だって貴女一人だけが、私の僕の苦しみを分かってくれる人だから。
「どうして、私を助けてくれるの? 貴方に何の得があって……」
「私の主の命令です。あの方は貴方を救いたいと願っておられる。そして私も……世界一と称された、貴女の笑顔が見てみたいのです」
「私が笑っても、何にもならないわ」
「いいえ。人々の笑顔こそが魔法の源。貴女が笑って下されば、どんな奇跡も起こしましょう」
「……本当、に?」
「ええ! 私が貴女をお守りします、如何なる魔法を用いても、貴女が望めば何にでも。この身を剣とし騎士にでも。この身を毛布に侍女にでも。いつでもお側に居りますよ、ですからそう……悲しまないで下さい、姫」
道化の大げさな物言いに、姫は小さく笑みを浮かべた。父を亡くしたばかりのお姫様が、まだ喪に服すべき日に泣き止んだ。
「涙が止まるだなんて。貴方は本当に……魔法使いのようね」
「お褒めにあずかり光栄ですよ」
あの人と同じ事を言う。同じ事を言われても、私の胸は痛まない。私の魔法に見惚れるように輝く瞳は澄み切っていて……此の世の悪意の一つも知らない風だ。貴女はこのままでは死んでしまう。運良く生き延びても、傷付き醜く歪んでしまう。私のようになって欲しくない。
道化たる私が、騎士でありたいと願うなど何とも滑稽。
(愚かなことを……)
私はご主人様のため、ここへ来た。貴女を利用し奪い操るために来た。貴女は人形なのだ。私は貴女に繰糸を付けるが使命。全く、愚かだ。結んだ糸、指の先から振り回されて踊っているのが私じゃないか。
*
“余がいくら言おうとお前達は姫を王と認めぬだろう。何ということだ。嘆かわしい! この堅物共、よぉく聞け。どうしても姫を王にしたくないと言うのなら、素晴らしい男を探すのだ。余にもしものことがあれば、姫はどんなに悲しむだろう。姫の笑顔を、余の宝を取り戻した者こそ、次の王に相応しい。”
自らが王になる好機。互いを喰らい合い潰し合い、強欲共は身を滅ぼす。国内の膿を出すのだ。そうして女王の統治を整える。亡き王の願いは愛娘の地位固め。
けれども王の遺言は歪められ、姫には重い枷となる。
重苦しい空気の城の中……突然姫に重用された一人の男。何をしてもそれは道化だからと許される。姫の道化は自由に城を徘徊し、姫の目となり耳となる。不自由な姫にとって、道化は何より心強い味方となった。王が遺した忠臣と後世まで噂されるもそのためか。
やがて……。誰にも会いたくないと、城の奥深くに閉じこもっていたお姫様。彼女は道化を引き連れて……皆の前へとやって来た。
「父上の言葉は絶対です。女の私が賛同を得られず私が王と認められずとも、王位継承権を持つのはこの私。その私が夫に王位を譲るのです。……それには異論はありませんね?」
新たな王を選べば歴史上からも用済みとなり……後に語られるのは何人子を産んだか。その子が何を成したのか。精々その程度。だからこそ姫は渋った。最後の足掻きだ。人として生きようと姫は粘った。門前払いの求婚者達は皆、姫の変化を歓迎した。けれども彼らはすぐに言葉を失うことになる。
「では、もう王は決まりました。部屋に閉じこもり泣いてばかりの私をここへ連れて来た。彼が私の夫となる人です。彼が泣いてばかりの私を、こうして笑顔にしてくれたのです」
道化本人も実は驚いていた。姫からそんな話は聞かされていなかったから。これは一本取られたと腹を抱えて大笑い。道化を見て姫もクスクス笑う。
彼らはあまりに無邪気で、結婚の意味も解っていないのではという程だ。あまりにも二人が微笑ましいために、皆も釣られて笑ってしまった。その場にいた者の多くはそのまま二人を祝福したが、当然皆が彼らを認めた訳ではない。 道化との婚姻を発表したことで、力尽くで全てを手にしようと企む者も現れた。
「そう、……兵を挙げる準備を」
「ええ。袖にされるを逆恨みしたつまらない者達が」
「貴方の主は?」
「既に手筈通りに。貴女の敵を討ち、貴女の復讐を叶え……貴女に勝利と幸福をあの方は届けてくださる」
「……そう」
「折を見て入れ替わります。あの方は必ずや、貴女を幸せにして下さいます。このような私を拾いあげて下さった、素晴らしいお方です」
黙って入れ替わっても良かった。嘘を吐けなかったのは、お姫様の綺麗な目に、嘘という悪徳を見せたくなかったから。
大事な主と、可愛い姫君。どちらの愛も選べないのなら、手に入らないなら……何方も手放してしまえ。愛しい人と愛しい人を添い遂げさせる。傍らで笑い眺める惨めさが、何より滑稽、面白い。
「私の顔はお好きでしょう? 顔こそよく似ていますが、あの方は私よりずっと完璧な方です。一目見れば必ずや、貴女も虜となりましょう」
「……カイネス」
「はい」
「恋とか愛とか……よく解らないけれど、あなたがいなくなったら私は寂しい。ずっと私の傍に居て」
「勿論です。私はご主人様の物。ご主人様と貴女様がご成婚された暁には、俺は永遠に貴女の道化となりましょう」
「……そして、飲み続けるのね。其方の薬だけずっと」
「……姫?」
「カイネス、もういいの。薬を飲むのをやめて。無理に何かにならなくていいの。貴方は最初から、もう貴方であるのだから……どこにもいなく、ならないで」
無垢な姫が自分のための我が儘を言う。遺言のためではない我が儘を。
言葉から声から表情から。捕まれた指の先から全てが伝える。こんな私を愛していると。
「出来ません……姫。私は……」
「貴方はいい人だと言うけれど、私は信じられないわ。その薬は……良くない物でしょう!? もっと早くに気付けば良かった!! 私のために、貴方にずっと無理をさせてきた!! 私のために貴方を傷つけるような人、嫌いだわ! 騎士でも侍女でも無くて良い。王でも道化でもなくて良い! 私は貴方に傍にいて欲しいのよ! 私を笑わせたのは、その人ではなく貴方なのだもの!! 貴方が王になるべきよ!!」
こんなにも求められている。求めているのに。貴女は幼く気持ちの名前がわからない。気付かないのだ、それこそが愛であると言うのに。私を浚う術を持たない。私の王から浚ってくれない。小さな小さなお姫様。
誰からも愛されず、求められない私を貴女が望む。私が欲しいと幼い瞳が訴える。唯々寂しいと泣くお姫様の涙に触れて、感じた愛おしさ。私が貴女を笑わせたのは、敬愛する主に貴女を献上するためなのです。それなのに……どうして惜しいと思うのか。あの方であっても、貴女を渡したくないと。
(ベルカンヌ……)
完全な人間に生まれたかった。俺だって、貴女と幸せになりたかった。許されることならば。
貴女はまだ何も知らない。薬で人格が変わるとしか思っていない。私はね姫……真っ当な人間ではない。貴女に私は相応しくない。いつか終わりが来る。国の未来を背負う貴女と私は生きていけない。例え主より貴女を愛してしまったのだとしても。
「私は壊れているのです。心も、身体も。王になど、なれませんよ」
「そんなはずないわ! 壊れているのは貴方以外よ! みんな私の話を聞かないの! 私の声を聞いてくれない! 貴方だけが……私の目を見て、私と話をしてくれる。私を人間として見てくれる」
「……それは」
「私はいつも人形扱い。本当に人形になってしまいそうだった私を、変えてくれたのは。取り戻してくれたのは貴方なのよカイネス。貴方なら私以外も……壊れてしまったみんなを人に戻せるわ」
新たな王の資格には、強さも身分も必要ない。人と人の心をつなぐ力。人を笑顔にする力。悪意と悲しみに侵された国を、幸せな場所へ戻したい。お姫様が私に願う。
「私はもう、幸せなのよ」
お前がいれば幸せと、貴女が愛らしい笑顔をくれた。“貴方のご主人様なんて要らない”と。完全なあの人ではなく、壊れた私なんかを貴女は選んだ。心が揺れる。無価値な私に価値を見い出した人を裏切りたくない。過去や傷……恩義、忠誠、存在理由。捨て去ることが恐ろしい。それなのに。全てを裏切っても、この人が欲しいと心が泣く。泣き喚く。
「貴方がどうしても王になれないと言うのなら、私が王になる。そして貴方を守ってあげる。貴方を悪く言う人が、一人もいない場所を作るわ」
泣いていたのは心だけ? そうではなかった。貴女の言葉に私は負けてしまった。小さな手は私まで伸ばされて、私を攫いにやって来た。
あの日、鳥籠の姫が変わった。私の涙を見た時に。姫は王となられた。強く気高い女王に。
「ベルカンヌ……」
「ふふふ、やっと……名前で呼んでくれた」
貴女が教えてくれたのだ。否定され心の奥に押し殺し、とうに死んでいたはずの……、僕を君が目覚めさせた。
僕は愚かな道化ですから、だからこうして悩むのです。あの人のために壊れるまで働き死にたいと。無邪気に笑ってくれた貴女のために……生きたいと。
*
(……不思議だと思うことがある)
夢に漂いながら、ファイデは一人思索に耽る。死とは永遠の夢の中。抜け出すことは叶わない。そう、奇妙なことだと思う。肉体もないのに存在している。渡り歩く夢の中なら死者とも生者とも触れ合える。死んで囚われ手に入れたのは、皮肉にも自由に等しい隷属だった。生前よりも少ない制約と柵。死へ至るまでの道のりは、苦痛に彩られていたが……あれ以上の痛みはない。もう二度と苦しむこともない解放感。
(夢の中で夢を見る。死者は夢を見られない。それでも僕は夢を見る)
死者が見る夢は自身の過去の思い出、記憶。それからもう一つが、誰かの見る夢。夢魔の使い魔であるファイデには他者の夢に干渉できた。そうやって長い長い夢の牢獄の中、夢魔は夢を貪り生きていく。
使い魔とは、主の力を受けて生まれた存在。故に主であるカイネスの、夢が。記憶を夢見ることがある。恐らくそれは、姉ソルディも。自分と彼の境界線を見失う。まるで自己愛のように彼に強く惹かれてしまう。自分が大嫌いな僕らが、あいつに愛される。奴の愛を受け僕らも奴を想い始める。誰の言葉も信じられなくとも、自分自身なら信じられる。僕らの心の隅々まで奴は全てを知っている。弱さも醜さも知った上で、作られる言葉は何より大きく響く。
(僕が恐れているのは……)
夢の終わり。自分たちより以前の使い魔は彼の傍には存在しない。皆、永遠から逃れた。彼を守り滅んだか。彼に飽きられ捨てられたのか。何方も恐ろしいことだと思う。今告げられる言葉は真実なのに、何かの切っ掛けで彼の寵愛を失う。失えばゴミのように捨てられる。例え今が幸福であろうとも……姉のように素直に彼を信じられない理由がそれだ。僕には終わりが見えている。
ソルディとファイデには、明確な違いがあった。
(ロンドさん……)
それは“女王”から寄せられた好意の有無。
僕なんかのために必死になって、カイネスに踊らせられているお針子。思えば生前から彼女は優しかった。しかし彼女が何かをすることで、カイネスの僕への気持ちが変わる可能性がある。もしくは彼女が変わってしまえば、僕も不要品に変わるのか。
(僕は貴女が恐ろしい)
道化はファイデと自身を重ね見ている。ソルディ、ファイデの二人で自分自身を。女であるため女王に愛されなかったソルディと、男であるため想い寄せられたファイデ。
ファイデは知っている。カイネスはソルディの方が可愛いのだ。だから先に浚った。捨てられるなら自分が先だ。故に苦しむ。どうか捨てないで欲しいと。どうすれば愛してくれるのか。足掻く姿は昔の彼に重なって、同族嫌悪で嫌われる。
だから何も言わない。反抗的な態度を取る。この仮面を暴かれた時、自分は再び滅ぶのだ。可愛いねと笑う道化は既に、こんな気持ちも知っていて……滑稽だと笑っているのだ。
ならばと女王に縋ってみても彼女は状況に振り回されるだけの愚者。満足に道化と渡り合うことも出来ない。言葉や行動だけで、カイネスを救える訳がない。
(僕が何をしたって言うんだ)
只生きていた。それだけで、愛され憎まれ全てをなくす。死して尚、救いは見えない。
*
まるで悪夢のようだ。
「……まさかこうも意見が分かれるとは思わなかったわ」
いつものミディアであれば、他人の意見に流されていた。気弱な態度の内にも頑なさが残り続ける。話は何時迄も堂堂巡り。真っ向から対立されたルベカはどう説得した物かと思い悩んだ。
「ミディア。貴女がよく知っていると思う。あの人は……ファウストさんろくでもない人だけど、知識と力は頼りになるわ」
「刑事さんは信頼できるよ。それに強いし」
宿へと戻ったルベカはミディアと合流。酒場で答えを出す前に、情報共有の後……それぞれの答えをまとめようと試みた。しかし 互いに違う男の側に付くのが良いと主張する。
「あの人が変なことしないように目を光らせながら、利用してあいつを追うのが良いと思うんだけど」
「それは刑事さんも同じ。近くにいなきゃソルディちゃんとファイデ君を刑事さんから守れない」
「……どうやって? 私達が何をやっても止められっこないわよ。あの人人間じゃないんでしょう? 刑事さんがあの人と違って誠実そうなのは認めるけど……だからこそ、必ず彼は言葉通りに全てを果たす人よ。手心なんて加えてくれない」
「ルベカちゃんがさっき言った通りだよ。私は……ルベカちゃんより、父……ううん、ファウストをよく知っている。あの人は本当に危険な人なの。ルベカちゃんを利用することしか考えていない。ルベカちゃんが彼を利用しようとしても、絶対に出し抜かれる。現実に直接関与できる分、ある意味道化師以上に危ないよ」
「……それでも、あの人は確実に一人は生き返らせられる。もう一人は私の手で救ってみせる」
「…………わかった」
長く続いた平行線も、ミディアの短い呟きでようやくまとまった。ルベカはほっと胸をなで下ろし……彼女を階下へ誘う。薄暗い酒場には、昨晩と同じ面々が既に揃っている。他の客が見えないのは、店主が気を回してくれたためか。
「おお、予想より早かったねお嬢さん方。それで? 心は決まったかな?」
「ええ。私達は……」
「ルベカちゃんは貴方に、私は刑事さんに付いていきます」
「ミディア!?」
彼女は折れたのでは無かった。会話を終わらせただけだったのだ。
「答えが重ならないならそうするしかないんだと思う。少し寂しいけど……私もルベカちゃんも、そういう“罰”が必要なんだよ」
「ご冗談を。貴女は彼女の顔を見ていたくなくなったのだ」
「……ファウスト」
錬金術師の言葉をミディアは苦々しく受け容れる。否定の言葉を作れない“悪魔”の性分。彼の言葉が真実だから。
己の正体を知ったミディアは、女王への思いも取り戻したのか? 彼女は全てを私に語ったのではない?
「もう、父とは呼んで下さらないのですか“慈しみの君”? いいえ、主の下を離れると言うのか“フェレス”?」
「私にはまだ、魂が残っている。人間としての私は貴方と契約していない。悪魔は“メフィス”が傍に居るでしょう?」
「それは確かに。貴女は所詮撒き餌に過ぎん。今更果たせる役割もないだろう。私の使い古しの用済みで良ければ持って行くと良いボニー君」
舌打ちの後、テーブルに酒代を叩き付けた刑事が席を立つ。ミディアは小さな鞄を携えて、彼の後を追って店を出て行く。
「嘘……でしょ、ミディア!」
慌ててルベカも追いかけるが、少女は一度立ち止まっただけ。振り向くこともなく、背中を向けたまま別れの言葉を口にした。
「ごめんねルベカちゃん。私は……もう“ミディア”じゃないの。私の本当の名前を貴女が思い出したとしても、私は貴女の命令には従えない。今更、そんなこと……許されないから」
本当の名前。彼女の魂が持つ名前……女王ベルカンヌの影武者であった少女の名前。今この場で呼べたのならば、もう数秒は彼女の足を止められた? 否。結末は変わらないと彼女自身が言い切った。
「まだ……好きなの? あいつが」
「…………」
「無力なあんたがその人に付いて行くって、二人を救うためじゃない。あいつを消さないように見張りたいんでしょう!?」
「……………………」
「目を覚ましてよミディア!! それはあんたの気持ちじゃない!! 引きずられてるだけよ!! あんたが今、この時代で見つけたものをまだ犠牲にしていいの!?」
「…………解らないよ、貴女には」
少女が振り向く刹那、憎悪に染まった双眸がルベカを射貫いた。異形の瞳。赤く輝く瞳から、透明な涙が止めどなく流れている。
「あの人にあんなに愛されて! 今だってまだあの人の心の全てを占めていて!! それなのに……この時代で他の誰かを愛してしまった貴女になんか!!」
「ミディアっ!!」
「“ミディア”は死にました!! ご機嫌よう、そしてお別れです! 誰より罪に塗れた陛下!!」
知らぬ事は罪なのだ。忘れることも罪なのだ。思い出し、知ってしまった少女が女王を責める。全てを忘れた女王を。“ミディア”でなくなった存在に、“ルベカ”の言葉はもはや一つも届かない。
ルベカの口からはその後も幾つも言葉が零れたが、もう二度と少女は振り向かずに走り去った。彼女が消えた方角を、ルベカは呆然と見つめて立ち尽くすことしか出来ない。
(あの子が、同じ気持ちでなかったことは……知っていた。でも)
復讐を望む私と、未練を追うあの子。目的地が同じだからと共に向かった。己の罪と無力さを知り……私の復讐が賭けに変化したよう、あの子の未練も後悔へと形を変えたのだと思い込んでいた。それでも彼女は変わっていなかった。ソルディへの思いを取り戻そうとした“ミディア”は既に死んでいた。真実を知ってしまった彼女は、ソルディという荷物を背負うことが出来なかった。己には触れる資格もないと諦めたのだ。そして今、彼女に残った物は――……あの男。
「いつまでそうしているおつもりで? 身体が冷えますよ、麗しのお嬢さん」
宿へ帰りましょうと手を差し伸べる錬金術師。偽りでも、娘が去った悲しみを演じることもない。私という手駒が手に入ったことを喜んでいる。こんな男と行動を共にして良いのか? 去った彼女の選択が正しかったのではないか? 不安に襲われたが、私はもう選択したのだ。ルベカは男の手は掴まずに、自らの意思で宿へと足を進ませる。
「申し訳ありませんね陛下、私の躾が成功していたならばこうはならなかったのですが」
義娘に見限られても、男は何も変わらない。こんなガラクタのような男でも利用しなければ、何も掴めないのがルベカにとっての現実だった。
「聡明なる陛下、貴女は賢明です。私の力があれば貴女は容易く真実へと到達できることでしょう」
「……そうだと良いわね」
宿の主人は刑事とも知己。込み入った話は部屋の中でと男の部屋へと連れ込まれ……悪魔が居ても人間としては不審な男と二人きり。男がミディアの本当の父親でもないと知った以上、最低限の敬意ももはや不要に思われた。
「ご安心下さい。あれが消えたことで私はようやく貴女に話が出来ますよ。しかし、そう警戒されては傷付きますな」
此方の硬い態度と表情を見て、男が冗談を口にする。利用すると腹を括れど、愛想良くする必要性も感じられない。どのように自分が利用されるかも解らないのだ。そもそも傷付くなとど、そんな感情が残っているのかとルベカは男に問いたくなった。疑念の視線を受けながら、男は笑っている。
高飛車ピエロを追う内に、彼の良くない点が似てきたのではないか? 錬金術師の薄気味悪さは出会った頃の道化に似ていて憂鬱だ。
「詳しい話は道すがらに追々と。今日はもう遅い、休みましょう。出発は明朝。向かう場所は此方です」
ルベカの疲労を感じ取り、男は話を切り上げる。卓上に広げられた地図。目的地として男が指を置いたのは、予想外の場所だった。
「国外へ出るの?」
「無謀な旅を決めた貴女だ。貴女を心配する身内などないでしょう。さしずめ事故か流行病で亡くされた。そんな所では?」
「……気持ち悪いくらいその通りよ」
「では不都合はありませんね」
自身のことを見透かされるは気分が悪い。もう少し遠慮をして欲しいと告げたところで男には何も伝わらないかと諦める。
「そこに行けば、現実での犯人を捕まえられる?」
「其方に関しても手がかりは得られるかと。現実の犯人も、我々の件に無関係とは言えませんのでね。まぁ、此方でも目を通しておいて下さい」
*
それが呪いというならば、俺達のこの境遇も呪いと呼ぶに値する。静まりかえった部屋の中……男は一人酒杯を傾け幻影を出迎えた。
「……またお前か」
「そんな嫌そうな顔をされてもね。しばらく僕は何もしないよ。今日は君にプレゼントがあってね。君の手下から受け取ったかな。気を付けると良い。ボーンヤードと錬金術師が君を付け狙っている」
「フン……ようやく面白くなって来たじゃないか」
「はぁ。変わらないね君は。いい加減、女性にも興味を持ってくれないかい? 困るんだよね血を残さずに君が死んでしまうのは」
「俺の手下にも血族は居るだろう?」
「あの人の直系は君だけなんだ。この二十四年間……ボーンヤードが優秀すぎて、血の薄い連中以外は殺されてしまってね」
「逆に言えば、有象無象。紛れた俺の尻尾は掴めない」
「確かに。誰に似たんだかね。君は魔法を使わずとも変装の名人だ。君は魂までも偽れる。あの二人であっても君を見つけることは出来ない。それでもね……女王は決して諦めない。そういう女だ。あの人は」
この化け物のよく知る相手。どれ程良い女なのだかな。まぁ、全く興味は無いが。
「お前が困るのは、この呪いが消えることだろう?」
「僕の悪夢と呪いを広めてくれる子は多いに越したことはないからね」
俺のように直接こいつと意思疎通の取れる者は少ない。人々に多くの悪夢を見せるため、現実世界にも悩みの種は必要だ。俺達の悪事をこいつが助けるのも、自分の領域を広げるため。脱獄には便利だが、こう毎晩現れられては疲れも取れない。
男は聞き流していた話を少しは真面目に聞いてやることにした。
「それで? 今晩は何の話だ」
「これを使え。悪魔は約束を守る。決められた約束を守ることでこれは君を守ってくれる。より安全に暴れられると言うものさ」
夢魔が操り連れて来た運び手。それが男に届けた物は……何の変哲もない本が一冊。
「荷物なら届いてる。あれが何だって言うんだ」
「君がある条件付きで不死身になる」
「そんな便利な物、どうしてもっと早く寄越さんのかね」
「そうしたら君は正しい使い方をしないだろう? 君好みの可愛い子の名前を書いて慰み者にしてお終いさ」
確かにと男は夢魔に唸った。どんなことをしても死なずに済むのなら、勿体ない獲物がこれまで何人居ただろう。直近の話であるならば……取っておきの獲物を男は道化に奪われていた。
「人の獲物を掠め取ってよく言うな」
「加減の出来ない君が悪い」
*
錬金術師がルベカに預けた一冊の古びた本。眠る前に少しページを捲ってみる。大まかな内容としては、囚人の告解や裁判の記録と、それらに纏わる伝承をまとめた本であるようだ。
「悪魔憑き……」
残忍な事件、欲望のままに行った犯行を、悪魔の所為にする。悪魔に操られていたとし、減刑を求める者達の記録。彼らの内には後悔も反省もない。
不思議なことに、夢魔をよく出会う血筋が存在すると本は言う。夢魔となった者の血族は、夢魔が夢に入り込むこと。
(犯人は……あの男の遠い親戚、子孫ってこと?)
そんな血絶やしてしまえと誰もが思うだろうに滅びない。犯行の結果、望まれぬ子供が増え、治政者は宗教上の理由で罪無き彼らに情けを掛けた。非情になれば高飛車ピエロは現世との繋がりを無くし、誰も殺されなくなる? いやそれも無意味。闇に傾く心を機敏に感じ取り、奴は手駒に加えてしまう。本にはそうも記されていた。
悪事を働く夢魔の子孫達はやがて出会い惹かれ合い、犯罪組織を作り上げる。尻尾を掴むためには、悪人の出入りする場所に踏み込まなければならないだろう。
(ファイデ君を、ソルディを死なせたのも……そいつらなのかしら)
疲れて内容が頭に入らない。ルベカは軽くページを送り、また明日にでもと本を閉じかけ……ある記述に目を留めた。
「罪人の、血……」
罪人の血には価値がある。罪人はその死で既に罪を償った。彼らの血に触れることで、自らの罪を清めるという伝承。死と罪の肩代わり。かの道化の亡骸にも、多くの人が引き寄せられた。血を衣類に染み込ませる程度ならまだ可愛らしい。死後、さらし者となった彼を……酷い者ではその血を啜った者がいた。真相は定かではなく、その亡骸を切り刻んだ者が居て……血を浴びた姿を見た民衆が群がったという説もある。
道化の狂気が乗り移ったとでも言うのか。血を浴びた者達の子孫は、悪夢に悩まされることになったと伝えられている。
美しき女王のロンダルディア。かの大国には多くの罪と呪い、そして災いが今も尚続いている。
「…………なんて本寄越したのよあの人」
寝る前に読むんじゃなかった。友と喧嘩別れを少女に読ませる本ではない。やはりあの男は頭がおかしい。本の内容と、同行人の理解しがたさにルベカは気分が悪くなった。
(明日も早いのに)
このまま眠ってしまったら、悪夢にうなされそう。早く夜が明けることを願いながら、ルベカは身を横たえた。
nightmareのアナグラムやったら色々面白かったです




