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14:それらを台無しに羊

「お父さん……」


 刑事が宿を去った後、ミディアは錬金術師に問いかけた。


「何だい愛しの我が娘」

「人を蘇らせるために必要な事って、何ですか? お父さんはどうして、二十四年前に――……マルガレーテさんを。……そう、しなかったのですか?」


 父は答えない。死者を蘇らせるには、何か条件があるのだ。


「使い魔って何なんですか? 本当に……二人を生き返らせることは出来るんですよね!? あの、刑事さんが……私達に嘘を吐いているんですよね? そうだって……言って下さい」

「……そうだ我が娘。嘘を吐いているのはあの男だ」


 真っ直ぐに此方を見つめて男が言った。嗚呼、嘘は吐いていないが……真実ではない。この人は、私に何かを隠している。あの日、“私”が目覚めた時のように。貴方はまた、私を騙している。


「……“ミディア”は一度、死んでいます。それをお父さんが。ファウストさんが生き返らせた。だから、ソルディちゃんやファイデ君も、取り戻せるでしょう!? 他の人達だって。体が壊れていても、何か別の方法があるんですよね!?」


 縋るように訴える。私自身が証明だ。一度死者を蘇らせた男がここにいる。一度出来たことが今、出来ないなどとは言わせない。事実、説得材料に彼は二人を取り戻すことを持ちかけたのだ。なのにどうして疑うか? それは私の中で生まれた不安が追い立てるから。


(二人の魂はまだ存在する。体は壊れてしまった……)


 私は受け入れられるだろうか? 別の体で蘇った二人のことを。そう考えた時、私は私自身を信じられなくなったのだ。


(私は本当に……ミディアなの?)


 高飛車ピエロに、ミディアの記憶と女王の統治時代の記憶を見せられた。そのどちらも自分であると断言できる夢だった。それでも、私自身に二人の記憶は無い。道化が見せた記憶? 私自身の眠っている記憶? 両者の違いは私という存在を大きく揺れ動かせる。


(怖い……怖いよ)


 どうして彼に惹かれたの? あんなに恐ろしい人に。その気持ちは本当に、私から生まれた気持ちなの? 夢の中の私は……昔の彼が好きだった。今もまだ、諦め切れなその気持ち。夢を見る前も見た後も、それは少しも変化せず……私の胸の真ん中に居座り続けている。彼を思うこの気持ちが、私の心臓であるみたい。


(おかしいよ、そんなの……)


 優しくしてくれたソルディを。私の代わりに命を落としたあの人を。どうして一番大事に出来ないの? 彼女と過ごした時間を塗り替えて、心の全てがあの人の物になる。こんな気持ち、恋ではない。これはもう……呪いだ。

 何に対しての悲しさか。解らぬ涙を浮かべながら、ミディアは男に詰め寄った。


「……ファウストさん、貴方は誰? どうして私を生き返らせたの?」

「貴女がまだ私の娘であるならば、貴女はそんな疑問を抱かぬはずです。父が娘を助けるのは当然のことでしょう? ……思い出したのではなかったのですか? “慈しみ深い貴女”よ」


 客の少ない店でも、穏やかではない話題は目立つ。場所を移しましょうと……男は部屋を指さした。ミディアの後にはルベカも続く。事情に通じている店主にまで聞かれたくない話を、これから始めるのだろう。


「…………結論から言いましょう、慈しみの君。貴女は本物の“ミディア”ではない。ソルディ嬢の、親友は貴女ではない」

「でも、私は……」


 夢魔に見せられた夢。あれが私自身の記憶なら――……私はミディア。この男に出会う前の記憶もちゃんとある。あの頃の気持ちだってちゃんと覚えている。思い出せるもの! 例え一時忘れていても、思い出せたのなら……あれは私の記憶に違いないわ! 自分に強く言い聞かせ、ミディアは男を睨んだ。


「ミディアの記憶がありますか? 当然でしょう。貴女は彼女の魂を喰らった“悪魔”なのですよ」



(ミディアが……悪魔)


 説明されても理解できない不思議な話。全てを呑み込むにはやはり時間が必要だった。“彼女”自身もそうだろう。ルベカは暗い表情の……今生の名さえ無くした少女を哀れんだ。


「……今日は疲れたわね、さっさと休みましょう?」


 自分達の部屋へ戻った後……互いに言葉は少なくそのまま就寝をした。翌朝ルベカが目覚めると、先に起きていたのか。或いは一睡も出来なかったのか。少女は部屋の隅で塞ぎ込んでいた。


「……“ミディア”」

「…………まだ、その名前で呼んでくれるの? ルベカちゃん」

「貴女が何者であれ、私にとってはミディアはミディアよ」


 死体に吹き込まれた魂。ミディアではないものに取って代わった後、私はこの子と出会ったのだ。少なくとも私にとってミディアとは、目の前の少女である。


「ありがとう。でも……ソルディちゃんの“ミディア”は、私じゃなかったんだよ」


 すすり泣く少女を前に、かける言葉も見失う。


「本物のミディアなら、もっとソルディちゃんを大事に出来て。ソルディちゃんを死なせたりしなかった。私の所為で、ソルディちゃんは――……っ!!」

「違うわ。私の所為よ。私が二人の傍に居たから、巻き込まれたの。恨むなら貴女自身じゃ無くて、私を恨みなさい」


 自身の口より流れた言葉に面食らう。それは確かに私の声であるのだが、意図せず紡がれた言葉。他人の言葉を聞くように、二つの耳はそれを聞く。


「ルベカ……ちゃん?」


 私は何を言っているのだろう。ルベカは咄嗟に自身の口を手で覆う。そうしなければまだ何か……唇は勝手に話を続けただろう。本当に、気味が悪い。悪い夢でも見ているようだ。


「あ、……貴女は悪くないわ。悪いのは……二人を殺した張本人よ。ピエロだけじゃない。現実で、二人を殺した連中こそが悪人よ」


 今度は大丈夫。取り繕うよう話を続け、自分の言葉を彼女へ伝える。彼女には、まだ言っていないことがある。


「あいつも悪魔なら、多分……嘘だけは吐かない。現実の犯人達への復讐を遂げれば、二人の魂を解放してくれるって…………約束したわ」

「ほ、本当!?」

「ええ。だからファウストさんの力を借りたなら……二人を生き返らせることが出来ると思うの」

「良かった……良かったぁ!」


 此方に抱きつき泣きじゃくる……“ミディア”は幼い子供のようだ。この子が、女王の時代からやって来た……人ならざる者などと、ルベカには一晩明けても信じられない。

 今見ている現実さえも、唯の悪夢であれば良いのに。そう思わずにはいられなかった。



(四十八年前、二十四年前――……)


 当時の新聞か雑誌記事はないものか。街の古書店や図書館を回ってもろくな情報は無い。

 以前は思い人のために、こんな風に噂を追いかけていた。それが今や――……なんと惨めなことだろう。町を彷徨いながら、ルベカの顔は下を向く。

 今晩までに答えを出すためミディアと手分けをし……自分たちなりに過去の事件を調べることにした。慣れた手段を用いても、満足に情報が集まらない歯がゆさを感じる。霊媒師と錬金術師……あの二人は普通の人間ではない。証拠隠滅も彼らは容易にやってのける。

 ルベカの気持ちに反し、今日は皮肉なほどの快晴。燦々と照りつける日差しに目を細め……昨晩の奇妙な体験を思い出す。飛び交う無数の霊魂、それを走狗のよう扱う不思議な刑事。道化の使い魔とされた二人を、救う術があると嘯く錬金術師。言葉だけを信じるなら、錬金術師に付いて行きたい。しかし、彼は怪しげで……信頼できる相手に思えなかった。


(疑うにも信じるにも、私達の目で見極めなければならないのに)


 情報だ。情報が足りない。高飛車ピエロが同じ街へやって来る周期が二十四年? 街の数と比較して……殺害の頻度、被害者数を考えるならおかしな話……もっと早く回ってきても良いものなのに。

 女王が治めた王国は、今私達が暮らす国より広かった? 数カ国に跨がる国土があったなら……ここで奴を逃せば見つけ出すのは困難だ。使い魔を得た道化師は、誘拐を行わなくなる。亡骸と事件を追い、追跡することが不可能になってしまう。あの刑事とあの変人……いや、ミディアの養父が躍起になるのも当然だとルベカは思う。


(本に残っていないなら……人の記憶。教会か葬儀屋なら……何か知っているかも)


 道化の被害者は、皆惨い殺され方をする。それだけ酷い有様ならば、死と関わる人々の記憶には深く残っているかもしれない。


「すみません……お伺いしたいことがあるのですが」


 藁にも縋る思いでめぼしい場所を巡ってみるが、大半は知らないの一点張り。最初は愛想のよい者も、次第に口ごもり扉を閉ざす。最後に行き着いた葬儀屋で……当時のことを覚えている者と話をすることが出来た。


「二十四年前にこの街で殺された“マルガレーテ”? ああ、当時はまだ親父の代だったが覚えているよ。子供心に恐ろしくてな」


 中から出て来た中年の男は、陰を宿した顔で悔恨めいた過去を語る。高飛車ピエロは確かに二十四年前、この街へやって来たのだと。


「それでも街の子供はみんな安堵したものさ。嗚呼これで、自分たちは大丈夫だってな。…………俺がこの仕事を継いだのも、あの子への罪滅ぼしという気持ちもあったさ」

「その方とは、お知り合いだったのですか?」

「いや。彼女と一番仲が良かったのは――……ハンスだな」


 犠牲者と仲が良かったという少年。彼も高飛車ピエロを追いかけて、ファイデのように別の街で殺されてしまったのか? ルベカの疑問を受けた葬儀屋は、ゆっくりと首を横に振る。


「あいつが現れると、便乗する輩が出るんだ。今なら奴の所為にして、殺したい奴を殺せると……殺意の自制がなくなる者が出て来るんだ。だからあいつが去った後も、決して安心は出来ないんだ。……ハンスもそうだ。小綺麗な子供だったからな、無理もない。事件の後にすぐ、失踪。きっと誘拐されちまったんだよ」


 もし生きていれば俺より少し年上くらいだと、男は失笑。


「彼奴らのことを、教会が語りたがらないのも無理はない。昔はこの辺は土葬が多かったんだが、ある時を境に火葬が増えた。墓地も足りなくなって来たこともあるが……あんな事件が続いた所為だ。殺されて惨い姿のまま埋葬するのは可哀想だってことなのかねぇ」

「……それでは、ハンスさんのお墓には誰も入っていないんですね」

「いや、あいつの葬儀をうちでやった覚えはないし……余所でもどうだろうな。不思議なのはむしろ、あの子の方だ。あれは俺もよく覚えてる。……マルガレーテの亡骸は、燃えなかったんだ」

「……燃え、なかった?」


 灰にならない遺体を、人々は恐れ敬った。使い魔にされ魂を奪われた人間の、肉体だけが滅びない? 普通に考えるならあり得ない話だが、あり得ないことをこれまで散々目にしているため、そういったこともあるだろう。ルベカは受け入れそうになる。


「ああ。あまり口外しないでくれよ。誰も彼女のことを口にしないのはそのためだ。今もまだ……彼女の墓には亡骸が残っているはずだ」

「解りました。でも…………どうして、私にその話を?」

「同じ事を、彼女も親父に聞きに来たんだ。二十四年前に、二十四年前の――……なんて名前だったかな。兎に角、何だかって名前の子の葬儀について聞きに来た。親父が追い返した翌日だったよ。あの子がいなくなって――……別の街で発見されたのは」


 話しておけば何かが変わっていたかもしれない。話をしたことで肩の荷が下りたのか、男は朗らかな表情へ変わっていった。

 窓の外はまだ夕暮れ……待ち合わせにはまだ時間がある。寄る場所がまた増えた。



「……この時間はよく人に会うな。またかお嬢ちゃん」


 情報を集める……そう考えた時、思い浮かんだ顔は…………養父ではなく、彼と敵対する人だった。ボーンヤードへ足を向ければ、くたびれた様子の男が“私”を出迎える。


「レッド刑事……貴方とお話ししたいことがあります」

「……こっちへ来な。取調室で構わないか?」

「何処でも構いません。……驚く人がいない場所なら」

「…………それならこっちだ」


 刑事に案内された場所は、彼に与えられた部屋なのか? 怪しげな書物とインテリアが目立つ。それ以外は……生活感の無い部屋。必要最低限の物と黒魔術用品だけが転がっている。


「刑事さんは……魂が見えるんですよね?」

「……見えなきゃ仕事にならないな。こうすりゃお嬢ちゃんだって見えるだろう?」


 男がパイプを咥えて吐き出すと、煙は昨晩のように霊の姿となって騒ぎ始める。


「き、きゃあああああああああああ!!」

「世の中には目に見えないものを信じられない者が多くてな。奴を追うには何より早さが必要だ。くだらないことで足止め食ったら仕事に支障が出るだろう? だから、こういう……見せるための術もある。…………それで? そんな話を聞きに来たのか?」

「ち、違います」


 この人は、現実の仇は取ってくれると言った。私達の復讐のため、ボーンヤードの協力を得ることは大きな意味を持つ。養父との確執を探り、二人を協力関係に結びつけたい。互いに足を引っ張り合っては、道化師には辿り着けないはずだから。

 信じて貰うには、私のことを知ってもらうしかない。この人のことを教えて貰うには、まず私が情報を明かさなければ。意を決し、“私”は刑事に告げた。


「養父は。私は悪魔だと言いました。死んでしまったミディアの体に、悪魔の魂を吹き込んだのだと私は……養父のことを、何処まで信じて良いのか解らなくなりました。だから貴方に教えて欲しいんです。私の魂は…………人の物と、同じですよね?」

「…………残念だが。あいつにしては珍しく…………嘘を吐いていない。お嬢ちゃんに嘘を吐くのは契約に反するんだろう」


 否定して欲しかった言葉を、刑事はあっさり認めてしまう。


「昨晩奴に会った時、…………奴が連れている悪魔の姿が変わっていた。以前は大人の男だったのが、小娘サイズの悪魔に縮んでいやがった」

「…………ファウストは、悪魔にある者の魂を食べさせた。けれど悪魔は魂を吐き出した。体の内側から力を奪う寄生虫のような魂だったと……“メフィス”が。本人が言っていました」

「それでお嬢ちゃんが“フェレス”となったか。確かに……奇妙な魂だとは思ったよ。人のようでもあり悪魔のようでもある」


 人と悪魔の違いは魂を見ればわかると刑事は語る。悪魔が魂を求めるのは、悪魔が自分自身の魂を持っていないからなのだと。


「お嬢ちゃんの魂は欠けていた。魂を喰われでもしたのかと思ったが、まさか喰らう方だったとは」


 悪魔は魂を持たない。ならば人が悪魔となった時、それまで所持していた魂は何処へ行って何になる? そう問いかければ男は答える。魂は力に変わると。力……魔力こそが悪魔の命。悪魔は魂を魔力に変えて生きている。だから彼らは魂を喰らうのだ。養父の仰々しい語り口よりは、幾分か解りやすい説明だと“私”は思った。


「今お嬢ちゃんの中にある魂は、消化される前に取り出された……人間として残った一部分だろう」

「でも、悪魔の力を奪って悪魔になったなら……その分の力は何処へ行ったのでしょうか?」

「それはあの野郎だろうよ。あいつはそういうずる賢い男だ。悪魔を出し抜くために、使役を楽にするため弱体化させたのさ。そのために、昔のお嬢ちゃんだった人を食わせた」


 契約とは騙し合い。養父は悪魔の助力を受けながら、未来の破滅を防ぐため……強力な悪魔を二つに分けた。その上で、片方の悪魔から魔力を奪った?


「それでは養父は……私を悪魔にすることを、狙ってやったということですか?」

「……じっとしていろ。まだ魂が覚えているなら、見せられる」


 刑事は片手で“私”の瞼を覆い、もう片側で心臓の上へと触れる。手の冷たさには驚かされたが、そこから何の感情も感じられないためか気恥ずかしいとは思わなかった。


「…………“フェレス”、お前の記憶を見せてみろ」


 それが“私”の名前なのかな。魂に名前が書いてあるのなら、きっとそうなのだろう。彼の声に応えるよう、“私”の頭の中にはある風景が広がっていく。



「良いですかファウストの旦那。過去へ飛んでも歴史は変わらない。あんたが何をしでかしてもだ。大きな時代の流れってのは、人間一人に変えられはしない」

「解っているとも。私が何をしようと“彼女”を救えなかったようにね」


 既に生じた結果は何があっても変わらない。悪魔の力で時間を遡ったとしても。今よりも錬金術師は若く、美しい青年の姿をしていた。私はそれを、高い位置から見下ろしている。私の喉から出る声も、低い男の声だった。


「解って下さったなら結構! 腹いせにどの女と遊ぶんですか?」

「歴史は変わらないのだろう? それならこの国で……いいやこの時代で最も高貴で美しい人を我が物にしてみようか? それでも歴史は何も変わりはしないのだろう? 痛快じゃないか!」

「なるほど……女王ベルカンヌですか。そいつは傑作だ!」

「だろうとも! 子を作れない伴侶を殺した上で、その後の生涯新たな夫も子も作らなかった麗しの女王! 子が出来なかった理由は相手の男が原因か、女王自身が問題だったか暇潰しに歴史のロマンを解き明かしてみせよう! もし子供が生まれても、歴史は変わらないだろう? 愉快じゃ無いか! 私の子孫が王族に紛れ込むかもしれないぞ?」

「あっはっはっは! 流石は旦那! 時の制約と禁忌に触れてお遊びとは! 他の人間共とは器が違います」


 男の話を最高だと褒め称え、自分の口から零れる笑い声が苦痛。人を何だと思っているのか。こんな最低な話を喜ぶ気持ちが解らない。だけれど何かが引っかかる。


(女王様が……?)


 道化師を処刑した理由は世継ぎを作るため。離婚するために彼を消す必要があったから。それなのに何故? どうして子供を作らなかったの? 彼が殺されたことは、すっかり無意味になるじゃ無い。

 疑問を感じても、悪魔と男は止まらない。私はそれを悪魔の目から見ているだけだ。悪魔の力を使い城へ潜り込み、位と権力を増し……とうとう女王の臥し所まで忍び込んだ悪党共。そこで彼らは、私は……美しい人を見た。


(ルベカちゃん……!?)


 彼女よりも年を重ねた美女。簡素な寝間着姿でも、見惚れるような美しさ。彼女を飾る美しさは、国を預かるその誇り。そして……どんな困難にも立ち向かう勇敢さなのだと思わせられた。例え彼女が卑しい姿をしていても……彼女が同じ目をしていたら、誰もが彼女に見惚れるだろう。

 今のルベカに足りないものは……国を、多くの命を守る責任。女王という立場を持たない今の彼女は、誇りという美しさを無くしている。


「王の閨に忍び込むとは何事ですか。明朝広場に首を並べたいのですね?」

「そうお怒りになりますな、陛下。貴女は国の未来のために、お世継ぎを望んでいらっしゃる。私はどんな願いも叶えられるのです。ですから貴女が願いさえすれば、貴女の王国は安泰なのですよ」

「寄るなっ!」

「言ったでしょう。私には不思議な力がある。貴女の配下は全て眠っていますよ。誰も助けになど来ない。私との一夜に気付く者は誰もいないのです。明日には私は皆の記憶と共に消えましょう! 子は神からの賜り物として、貴女の奇跡に付け加えれば良い」

「……誰が、貴様の物になどなるか!」


 女王は手にした剣の切っ先を……向ける標的を男から自身へ変えて、逡巡後に自害した。国のためにと手を汚して来た女王が……死の間際、自らの誇りを選んでしまう。その選択が意味することは……私は既に知っていた。あの男を処刑した後、だから貴女は泣いていたのだ。彼を殺した時から、貴女は骸の生を生きていた。

 国の未来のため愛する人を殺したと言うのに、他の誰も貴女は愛せなかった。愛することを許せなかった。


「……これは、驚いた。歴史は変わらない。つまり……旦那が来なくとも、今日ここで死んでいたんでしょうね!!」


 女王の死を目撃した男と悪魔は呆然として……その後手を叩いて笑い合った。


「半ば伝説だからねぇ。歴史書には彼女の死因も死亡した年月も残っていない。我々は素晴らしい歴史の一場面に立ち会っているのだ!」

「いやぁ残念でしたね。もっと前に遡って早めに口説き落としますか旦那?」

「いいやそれこそ無駄だろう。女王の没年は歴史に残っていない。つまり死亡日時に誤差が生じるだけなのだ。……扉の外を御覧メフィスト。我々が眠らせ損ねた者が居る。彼女こそ、歴史の守り手さ!」


 男が示す扉の向こうには、女王に仕える侍女がいた。彼女の手には刃物が隠され……女王の暗殺を企てていたことが見て取れる。男と悪魔が来なければ、歴史の上で女王を殺していたのはその女――……“ミディア”と同じ顔をした女であった。


「よかったねぇ、偽物の陛下。世継ぎのない陛下の急死……影武者でもあった貴女が女王として担がれたのは想像に難くない。我々がいてもいなくても、貴女は本物の女王様になれたのですよ。今回は運良く手も汚さずに済んだ。“幸運”ですね偽の陛下!」

「ち、……違う! わ、私――……っ、そんなつもりは!!」

「ずっと、あの人になりたかったのでしょう? 良かったじゃありませんか! 彼女の悩みは貴女の悩み。思い人のいない世界で、子を望まれ続ける苦痛! いやはや夢が叶うとは素晴らしいではありませんか! 思う存分苦しめますね!」

「嫌……! そんなの嫌っ! 助けてっ……貴方はなんでも出来るのでしょう!?」

「ええ。何でも出来ますとも。私では無く……こちらの悪魔がですがね」


 男は言葉巧みに侍女を魔道へ誘う。悪魔と契約さえすれば、何でも願いを叶えてやろうと。


「……カイネスをっ! “あの人を、生き返らせて”!!」


 女王の座だけでは意味が無い。愛する人と結ばれたい。愚かな願いだ。悪魔はその男を蘇らせたが……人としては蘇らせることは無かった。失意のままに死んだ女の魂を得て、悪魔は美味だと呑み込んだ。悪魔が魂をすっかり食べた事を確認した後、男は悪魔を……“私”を嘲笑うように見た。


「私から彼女を奪った奴への腹いせのつもりが、……思わぬ収穫を得たな。ははは、あの娘もなかなかの魂だっただろう? どうだねお味の方は?」

「いい加減旦那の魂を食べたいですがね。まぁ、間食程度にはなりましたよ……ぐっ、がはっ!! な、何だ……こ、これは!?」


 無性に喉が渇く。体の内側から干からびるよう、唯々苦しい。このままでは私は死んでしまう! 叫びのたうち回る悪魔を前に、男は腹を抱えて笑っていた。


「本当に、これは傑作だ!! 悪魔も嘘を吐くんだねぇメフィスト? あはははは! 歴史は変わるじゃないか、私というたった一人の存在で!」

「…………てめぇっ、何をっ!!」

「いいや、私がここにいなくとも。彼女は君を喚び、同じ願いをしていたのだろうね。でなければあいつが存在する訳が無い。あはははは! だが君たち悪魔は我々の歴史には書き記されない存在だ。伝承、神話に息づく君たちは、……変わってしまうと証明された!!」

「何がっ……おか、しい? 何を、笑って……」

「歴史は変わらなくとも人の心は変わる。魂も変化する。以前の君なら消化できた魂が、今や劇物と変わったのだよメフィスト! どうだい、助けて欲しいかい? 私はその術を知っているのだがねぇ」


メフィストフェレスのアナグラム(https://new.wordsmith.org/anagram/anagram.cgi?anagram=Mephistopheles&t=500&a=n)を日本語翻訳に掛けました。色々あって楽しかった。羊のヘルプは省略します とか面白いのもあったのですが、そっちの方が話にあってるかもと思ったので、敢えて合わない滑稽な物を選びました。


そういえば新曲出来てました。お針子コンビの掘り下げ曲。https://www.nicovideo.jp/watch/sm35238698

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