第23話
「っふ、ふふふふっ」
俺に指差されたベイツ氏は笑い出し、ついには
「あははははは」
と大声で笑った。
そしてひとしきり笑い終えると軽蔑した口調で口を開いた。
「貴方は今まで何を聞いていたのです? 私は旦那様から全財産を譲ると遺言されているのですよ? その私が財産目当てで旦那様を殺害ですって? まさか僅かばかり早く財産を手に入れる為に殺害したと言うんじゃないでしょうね? あまりにも馬鹿馬鹿しい。貴方はもう少し頭のよい人かと思っていたのに残念です」
夫人達も自分達が犯人扱いされなかった事には安心した様だが、やはり財産目当てでベイツ氏がオドレイ氏を殺害したという事は理解できないのか、俺を怪訝そうに見つめている。
だが俺は構わず話を続ける。
「まずどうやってオドレイ氏を殺害したのかです」
ベイツ氏は自分の発言を無視した俺に鋭い視線を浴びせてきたが、俺は平然と話を続けた。
「オドレイ氏が殺されているのを見つける少し前、ベイツさんは私に飲み物を持ってきてくれました。大変冷えていて厨房から持ってきたと思われるものです」
「それが何か?」
「そしてオドレイ氏が殺害されみんなが集まり話した後、自室へと戻った私は、飲み残していたその飲み物を飲みましたが……どうだったと思います?」
「さあ、分かりませんな」
俺の問いかけにベイツ氏は、そう無愛想に答えた。
「温くなっていましたが、大変美味しかったですよ」
ベイツ氏は「っふ」っと鼻で笑った。それがどうしたのだ? という風に。
「次に同じものをクレア夫人から頂きました。これも大変美味しかったです。しかし夫人からの長いお話の後、残りを飲んだらどうったと思います?」
「美味しかったんじゃないんですか?」
ベイツ氏はうんざりした様に言った。
「いえいえ。残念ながら不味かったですよ。氷が溶けて薄くなってしまっていたので」
俺がそう言って改めてベイツ氏に視線を合わせると、ベイツ氏も鋭い視線を俺に返す。
「で? それがどうしたのですか?」
「貴方には分かっているんでしょ?」
とはいえ、夫人達とまおうには何の事か分からず俺とベイツ氏を交互に見比べている。
「貴方はあの時、厨房まで飲み物を取りに行っていたんじゃない。その前に鍵を忘れたと言って厨房に戻った時に飲み物を持ってきていてすぐ近くに隠して置いたんだ。そして飲み物を取って来ると言い部屋を出た貴方は、オドレイ氏を殺害し返り血などの始末をしてから、近くに置いてあった飲み物を持って俺の部屋に戻ってきたんだ」
「何を言ってるんです? 私が厨房に鍵を取りに行ってから貴方の部屋に向かい、飲み物を取りに行くまでにそれなりの時間があったのですよ? そんな事をすればすっかり温くなっているはずでしょう」
「飲み物に氷を入れた物だったら確かにその間に氷が溶けきって温くなっていたでしょう。しかし飲み物ごと完全に凍らした物を置いておけば、飲み物を取りに行った時にちょうど飲み頃になっている。貴方はそう時間を計算していたんじゃないんですか?」
「何を根拠に言ってるんですか?」
「夫人が持って来てくれた飲み物は氷が溶けると水っぽくなって不味かった。しかし貴方が持って来てくれた飲み物は氷が溶けても美味しかった。それは氷自体が飲み物を凍らした物だったからじゃないんですか? 貴方は飲み物ごと完全に凍らした物を用意していたんだ」
だが俺の言葉にベイツ氏は軽蔑した様に反論する。
「たとえそうだとしても、旦那様を殺害した証拠にはならんでしょう?」
「しかし貴方のアリバイは無くなる」
「貴方は肝心な事を忘れてはいませんか? 何度言わせるんです? 私は旦那様から全財産を譲り受けるんですよ? 私の動機は?」
俺はベイツ氏を無視してエレーナ嬢に身体を向け歩み寄った。
エレーナ嬢は不安げに事態を見守っている。
「大丈夫。お父さんを殺したのはお母さんやお兄さんじゃない。でもそれを証明するには君が持っているお父さんからの手紙が必要なんだ。持ってきてくれるかい?」
「本当?」
「ああ。本当だ。だから頼む」
「はい!」
エレーナ嬢は急いで自分の個室へと向かうと例の手紙を持ってきて俺に差し出した。
「じゃあ、少し借りるね」
俺はそう言って受ける取ると、ベイツ氏に近寄った。
「この手紙を読んでいただけますか?」
ベイツ氏は憮然と無言で手紙を受け取るとざっと流し読む。
「これがどうしたというのです? この手紙からは旦那様と奥様達の仲が悪いという事しか分かりませんが?」
「宛名はなんと書いてあります?」
「エレーナお嬢様宛ですね」
「そうじゃありません。正確にはなんと書いています?」
「我が娘エレーナへ。ですね。それが何か?」
「そうです。我が娘エレーナへ。です」
俺はエレーナ嬢へと視線を送りにっこりと笑った。そして話を続ける。
「貴方は夫人が不倫をしていてオドレイ氏が2人の子供を自分の子ではないと思っている。と私に説明していた。ですが、そう思っていたのなら手紙に「我が娘」と書くでしょうか? 確かに貴方が吹き込んだ所為で夫婦仲は悪くなっていた。しかしオドレイ氏は少なくともエレーナ嬢を自分の子供ではないと思ってはいなかった。違いますか?」
俺の言葉にベイツ氏はため息を付いて答える。
「それで? もしそうだとしても、だからどうしたというのです? それと私が旦那様を殺害したという事がどう関係あるんです?」
「あの晩餐の時、オドレイ氏は貴方に全財産を贈ると遺言した、と言っていました。しかしエレーナ嬢を路頭に迷わす事はありえない。この矛盾をどう解決するのか? オドレイ氏の書斎に行って調べさせて頂きました。何か抜け道が有るんじゃないかと思いましてね。そしたらやっぱりその事が書いてある法律の本が有りましたよ。しかもオドレイ氏もそこを熟読したのか、そのページに折り目が付いていました。貴方もご存知なんでしょ? 遺留分についてですよ」
俺の言葉にベイツ氏の表情が険しくなる。
だが夫人達は何の事か分からない様だ。もっとも分からないからこそオドレイ氏から全財産を譲り受けるというベイツ氏をあそこまで敵視していたんだろうが。
俺は夫人達に向き直って説明した。
「遺留分とは、たとえ遺言書にどう書かれていても遺族が最低限受け取る事が出来る権利がある財産の事です。そうでないと、今まで夫に尽くしてきた奥さんやお子さんが無一文で放り出される事がありえるので、それを防ぐ為の法律です」
「本当ですか!?」
俺の言葉に夫人は驚きの声を上げた。
「はい。オドレイ氏は全財産をベイツ氏へ贈る事について貴方達には「いい薬」と言っていました。ですがそれはまったく財産を残さないと貴方達に思わせて不安にさせる。それだけの事だったのです。オドレイ氏自身遺留分の事は分かっていて、貴方達にも遺産を残す心算だったんですよ。貴方達3人は全財産の半分は相続できるはずです」
夫人は喜びの表情を作ったが、そこにベイツ氏の怒声が響いた。
「それがどうした! それと私が旦那様を殺す事に何の関係がある!
「正確に言えば貴方がオドレイ氏を殺す事に意味は無い。重要なのはオドレイ氏を殺害したのは夫人達だと思わせる事だ。なぜなら遺産目的で殺害した場合、相続権を失うからだ」
遺産目的で殺害しても相続できるなら、極端な話何年か刑務所に入る覚悟で殺害しても遺産を貰える事になる。それを禁じる法律だ。
「オドレイ氏殺害の容疑が夫人達にかかれば夫人達の相続権、遺留分は無くなる。そうなれば晴れてオドレイ氏の全財産を手に入れる事が出来る。貴方はそう考えたんだ!」
指を突きつける俺に、ベイツ氏は顔を歪ませ突き刺す様な視線で睨む。
「オドレイ氏は貴方を信頼していた。そして貴方に財産の半分を譲り事業を任せる心算だった。にもかかわらず貴方は残り半分を手に入れようと、自分を信頼してくれたオドレイ氏を殺害したんだ!」
「私は遺留分などというものは知らん! 旦那様が半分しか私に残さないこともな! 私は全財産を譲り受ける事になると思っていた! 私には殺人の動機が無い!」
「それは嘘だ! オドレイ氏は貴方に事業を任せる心算だった。それならば譲る財産が半分という事を貴方に言っていない訳がない。事業を引き継ぐのに重要な事なんだからな!」
「……証拠はどこにある」
「証拠は無い。だが、俺はやってくる役人に今言ったことをすべて話すぞ! お前にアリバイが無い事も、オドレイ氏がエレーナ嬢達を自分の子供を思っていなかったという嘘を言って俺を味方につけようとした事も、自分が全財産を譲り受けられないと知りながら、周囲には自分が全財産を受け継ぐことになっていると言って、夫人達を挑発した事もだ!」
もしかしたらマティアス氏に遺言書を燃やさせた事すらベイツ氏の計画だったのかも知れない。
あの様な事をすれば役人達に対する夫人側の心象は悪くなる。
ベイツ氏はおそらく公正証書遺言書の存在を知っていて、オドレイ氏の直筆遺言書を夫人達の前でわざと見せびらかしたんだ。
もしマティアス氏が燃やしたら儲けもの。燃やさなくてもベイツ氏には何の被害も無いのだから。
「役人は夫人達を貴方のどちらをオドレイ氏殺害の犯人と考えるかな?」
俺はベイツ氏へ冷然と言い放った。
そこへ突然扉が開き、ベイツ氏側に付いた元マティアス氏お付のオードランが飛び込んできた。そしてベイツ氏におもねる様に叫んぶ。
「ベイツ様! 役人が来ました! 早くそいつらを旦那様を殺した犯人として突き出しましょう!」
あまりの間の悪さに俺はオードランに冷たい視線を投げかけた。
まおうはあっけに取られ、
クレア夫人もオードランに冷ややかな目を向ける。
マティアス氏はオードランを睨み。
エレーナ嬢は困り顔を見せた。
そしてベイツ氏は……。
「まおう! 捕まえろ!」
窓から逃げようというのか、窓に向かって走るベイツ氏に気付いた俺はまおうに叫んだ。
ガシャンっというガラスが割れる音がなりベイツ氏は窓の外に身を躍らせる!
しかしすばやく動いたまおうが、割れた窓から手を伸ばしベイツ氏の襟首を捕まえ、部屋の中に引きずり込む。
まおうによって床に投げ出されたベイツ氏を見下ろし俺は口を開く。
「観念したらどうです? まおうからは逃げられませんよ」
「くそ!」
「オドレイ氏の全財産の半分でも相当な額のはずだ。貴方はそれだけで満足すべきだった……。貴方はそのもう半分の為にオドレイ氏と家族との絆を壊しオドレイ氏を殺害した。絶対に逃がしはしない」
ベイツ氏は声も無くうな垂れている。
「どうしたんです!」
そこへ窓が割れる音を聞きつけたらしい数人の役人が部屋に雪崩込んだ。
役人達はまおうの姿に硬直したが、俺が事情を話すと納得し、そしてベイツ氏に縄をかけた。
「私じゃない! 奥様がその男を雇って旦那様を殺害したんだ!」
ベイツ氏は最後まで喚いていたが役人は構わず引きずる様に連行した。
ベイツ氏が俺達を屋敷に入れてくれたのは、自分のアリバイに使う心算だったんだろう。
はじめに招待したという雨でこれなくなった客人にその役目をさせる心算だったのを、俺に代役させたのだ。
夫人達は普段は別宅に住んでいる。今回のチャンスを逃せば次に条件が揃うのはいつになるかベイツ氏もあせったに違いない。
なにせオドレイ氏の体調は良くなく、もしオドレイ氏を殺害する前に自然死されては元も子も無いからだ。
その後クレア夫人からお礼にと金貨が入った皮袋を手渡された。
これからも旅は続く、遠慮無しに受け取ったが気分はこの屋敷から早く立ち去りたかった。
クレア夫人も俺達を引き止める様子はない。
だがエレーナ嬢だけは名残惜しそうにし、まおうとなにやら話している。
「お兄ちゃん。ありがとう!」
屋敷の門をくぐる時エレーナ嬢が笑って手を振ってくれたので俺も手を振り替えし、次の村へと道を急ぐ。
しばらく歩いた後まおうに聞いてみた。
「エレーナ嬢と何を話していたんだ?」
するとまおうが嬉しそうに口を開く。
「また来てね。だって。僕達友達なんだよ」
「そっか。良かったな」
まあ悪い事ばかりでも無かったか。
空はそれまでの大雨が嘘の様に晴れ渡っていた。