羊の国から、狼になりたい
「・・・もういっそ、獣姦でも良いか」
どこか遠い眼差しで彼方を見ていた旧友、羊族の上位種、ノルディがポツリ呟いた。
ぶふーっ!!!
「な・・・な、な・・・ノルディ!」
旧友と嗜んでいた飲み物を、山羊族の上位種ラグエルは一気にふきだし、叫んだ。
少し器官に入ったかもしれない。げほげほと咳き込みながら、ラグエルは少し前に聞いた言葉を反芻した。な・・・なに言ったこいつ。今なにを!
目を白黒させて見た先には、麗しの美貌の主、羊族の若き長がいる。
・・・明日の婚礼に参列する為、山を越え山羊族の地まで来ていたノルディは、山羊族の長ラグエルと、食後の軽い酒を楽しんでいた。
しきりに咽ているラグエルを流し目で見た後、ノルディはため息をついた。
「・・・うるさいな、ラグエル。らぶらぶの貴様には分からん苦悩だ。大体同族と婚姻を結べたのだから、私とはスタートラインさえ違う。むしろ貴様にとって獣姦はノーマルプレイだろうが」
白銀のノルディは優美な眉目にしわを寄せ、苦悩の色を見せている。苦悩する若き長は憂いを秘めて限りなく美しかった。
・・・が、紡がれる言葉は凶器。
「お・・・落ち着け、ノルディ。あの小猿は、そもそも人族だろうが! じゅっ・・・獣っ!? ダ、ダダ、ダメだろうが、貴様! 泣かれて嫌われるぞ!」
そもそも落人はデリケートな生き物なんだから!
出産の折は、精神面のサポートが色々大変だったと、各国の長が言ってたぞ!
・・・その話を聞いて、お荷物(落人)が落っこちてこなくて良かったと思ったことは内緒だ。
焦ったラグエルに、ノルディは冷めた眼差しをよこした。
じっと見つめて、しばしの後、ため息をついた。しみじみと。
「・・・芽衣は、羊ラブなんだよ、ラグ」
明けても暮れても羊・羊・ひつじ・だ! 子羊、娘羊、の次くらいに私なんだよ。それでも人型だったら爺の後に回されるんだ・・・。
グルーミングの順番に物申す! とばかりに、拳を握り締めてプルプルしたノルディだった。
そんな常になく煮詰まった感じのノルディに、ラグエルは恐る恐る腕を伸ばした。
「お、おい。酔ったのか? 酔ってるよな。酔ってると言ってくれ」
「酔ってなどいない」
不穏な空気をかもし出す、白銀のノルディにラグエルはたじたじだ。しかもそのノルディは、ラグエルの戸惑いに気づいてはいても、自分の苛立ちを発散させるので手一杯だ。
・・・まあ、いつもは長として皆を率いなければならない重責にある二人だ。
旧友で悪友のラグエルの前、さらに酒が入ったからこそ、零れ落ちた本音だろうが、いかんせん。
内容が痛かった・・・。
「・・・そうさ、いっそ人型より、羊形態の方がよろこんで身を任してくれるかもしれないな・・・」
・・・当のノルディ、酔ってはいないが、もちろん、自棄だ。
「・・・ふふ。ふふふ・・・(遠い目)。毛皮に魅せられているうちにのしかかれば良かったんだ・・・」
芽衣のピーに滾るピーを突っ込んで、あんあん言わせりゃ済んだんじゃないか?
今じゃすっかり安心しきって、同じベッドで寝る始末。どーすりゃいいんですか、この滾る思いの行く末は!
ああ・・・。
「狼になりたい・・・」
がっくし↓
「お、おおお落ち着け! お前、俺を祝いに来たんじゃないのか! それとも愚痴を言いに来たのか?」
花婿は、独身最後の夜を旧友との昔話に費やすつもりだったのに、なぜか、一本切れた風情の友人を、いなすために汗をかいていた。
オカシイ。
なんか、立場が違う。
やっかみを受けながら、酒を酌み交わし、恋人の惚気をきかせて羨ましがられるはずなのに、なんだこの仕打ち・・・!
「・・・幸せそうに鼻の下を伸ばしているから、いやみのひとつも言いたくなるんですよ。ええ、腹の立つ・・・リエル女史に嫌われろ!」
リエル女史の目が覚めることを、切に祈りますよ、私は!
「ノルディ!」
「・・・ああ・・・そう言えば、芽衣に頼まれてましたね・・・。まずはそのうっとうしい髭、そり落とすか・・・」
青い瞳が底光を見せる。・・・うっそりとノルディが立ち上がった。
無駄に威圧感が漂う。
ラグエルさんたらたじたじだ。
「・・・つるつるにしてやりますよ。・・・私が芽衣につるつるにされたくらいにね・・・」
「おまっ! 何の恨みがっ!」
「・・・おとなしくなさい」
ソファに腰掛けていたラグエルに、圧し掛かって押さえつけたノルディが、妖しく笑った。
・・・そのときだっ!
どかあんんんっ! だだだだだっっ! がこがこがたがたっ!
ものすごい音が響いた。
一瞬の沈黙の後、
「あた、いたた・・・」
「あらやだ、めえちゃん。だいじょうぶ?」
「や、やあん、私としたことが・・・!」
ピンクの髪の娘と黒い髪の娘が、踏み倒した扉の前でじたばたしていた。
「・・・メリー? 芽衣?」
・・・なにをしてるんですか? ノルディが呟いた。
わたわたと立ち上がり、スカートをぱむぱむした娘達がとびっきりの笑顔をふりまいた。内心はどうあれ、とびきりだ。
「ご、ご、ご主人様! え、と・・・」
「あの、明日の打ち合わせをしておりまして、その・・・!」
「し・・・失礼いたしましたあっ!」
慌ててドもる芽衣を尻目に、メリーさんが慌てて部屋から走り去った。それはもぅ見事な逃げっぷりだ。
後に残された芽衣も、娘さんが走り去った扉と、ノルディたちを見て、おろおろすると、がばっと頭を下げた。
「あの、そ、その・・・どーぞ、ごゆっくりいいいいいいっっっ!」
ドップラー効果で声が彼方に消えていった。
「・・・?」
「・・・なんだ・・・?」
後に残されたのは、ソファの上で首をひねる羊族の長様と、山羊族の長様の二人だった。
だが、客観的に見て。
ソファに身を投げ出したラグエルさんに圧し掛かり、ラグエルの万歳両手を片手で拘束し、あまつさえ彼の体を膝の間できっちりと抑えていたノルディのさんのお姿は。
腐女子的には、脳髄直撃の「美形鬼畜言葉責め男子」だった。(いやまだ責めてない。)
「あいつら、いったいなにしに来たんだ・・・?」
「・・・いや、明日の花嫁の、付き添い担当なんだが・・・」
ソファで呆然と呟いたラグエルに手を貸して、ノルディはそのままラグエルを引き起こした。
なんだか、考え込んでるだけ損な気がした。芽衣は相変わらず芽衣だし。
「・・・なんだ・・・まあ・・・手がかかりそうだなー・・・小猿なだけに」
「小猿ではない。芽衣だ。だが名を呼ぶのは許さん。・・・ふん、貴様よりは望みがあると思っていたんだがな・・・。なんたって、リエル女史だ。さて、どうやって落とした。泣き落としか」
「・・・ん。まぁな・・・泣き落としだ」
我に帰ったノルディさんとラグエルさんの恋話はその夜遅くまで続いた。
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婚礼は厳粛な中に華やかさを含ませた、新しい風を感じさせるものになるだろう。
色とりどりの花に、飾り付けられたお屋敷の広間に、招待されたものたちのため息が聞こえる。
山の中では身内だけの素朴な婚礼が主流だったようだから、これは大きな変化だろうと芽衣は思う。
婚礼の部屋に入ると目に飛び込む、細長い真っ赤な織物が鮮やかだ。
赤い絨毯の先に、山羊族の祭壇を飾りつけてもらった。初めての試みでみんな戸惑っていたけど、イラストを描いて見せたら納得してくれた。後は簡単だ。絨毯をはさんで、両脇にいすを並べて、親族の席を作り、絨毯側には花束とリボンを飾った。
本当は祭壇の上に、大きな十字架がかけられるはずなんだけど、そこには山の神様のモニュメント。
大きな羊さんのタペストリーを飾った。そのすぐ下に宣誓台。両隣に燭台。
向こうの世界の結婚式の様相を話したら、それでは、私の仕事は重大ですね。とノルディ様が笑ってくれた。だから、出来ると確信した。
精一杯祝福しましょうね。リエル女史は祝福されて当たり前のお方なんだから。とノルディ様はにっこり微笑んでうなずいた。
・・・ノルディ様は今回、祭壇の前に立つ、羊族山羊族すべてを代表して祝福を授ける、重要な役割だ。ラグエルさんの頼みにノルディ様は二つ返事で了承した。それからはこの日の前後を空けるため、仕事を寝る間を惜しんで片付けた。
「これが、バージンロードって言うんです」
祭壇の前で、ラグエルさんは立って待つんですよ。
そんでこっちの扉から花嫁がお父さんに手を引かれて入場するんです。
でも花嫁さんには親御さんがいないから、マリーさんと私が付き添いになるんだ。
「ここを一歩一歩歩いて、花嫁は花婿のもとに歩いていくんです」
絨毯はこの日のために芽衣たち羊族の少女が織った絨毯だ。処女の娘が織った繊細な織りは、お金だけでは手に入らない。でも誰もが織りに混ざってあっという間に織りあがった。
「リエル姉様を最高の花嫁にして見せます!」
羊族の娘達は憧れの山羊族の女傑に、捧げる貢物、ということで盛り上がっていた。
山羊族の若き長が、花嫁となる娘を連れて羊族の長の元を訪ねたのは、かれこれ一年も前のことだ。図案化したタペストリーを作って欲しいと頼まれた。羊族、山羊族の昔からのしきたり。
嫁ぐ娘の幸せを祈って一年も前から準備するのだ。
糸を染め、紡いでは、図案を悩み、一織り一織り心をこめる。
好きな花、好きな鳥、好きな色、花嫁に似合う色、柄、組み合わせてそれは出来る。
世界でたった一つの織物。
花婿から贈られるそれ。
・・・山羊族屈指の女丈夫リエルは、ラグエルが長となるまで、山羊族を率いてきた女首領だそうだ。
まだ頼りないラグエルが、長として立てるよう陰になり日向になり支えてきた赤い髪の乙女。
無数の傷を衣に隠し、領地の民を守りぬいた武勇の人。里を守ることに必死で、気がついたら婚期を逃していたラグエルさんより九歳も年上の上位種のお姉さん。
始めて会った時は右額に刻まれた大きな傷が痛々しくて、驚いた。
けれど、その傷を愛しげに撫でながら、リエルさんは笑ったのだ。
ラグエルさんと目線をあわせ、困ったように、でもほのぼのと笑ったのだ・・・。
「・・・体中傷だらけで、顔にも大きな傷が残ってて。別の娘を選べと散々言ったのに、こいつときたらちっとも人の話を聴かないんだ」
と、リエルさんが困ったように笑った。
その傷がいいんだ、とラグエルさんは言い切った。
「この傷を誰より愛しているんだ。柔らかい白い手の女より、リエルの硬い手のほうが、優しい言葉より、リエルの容赦ない声の方が万倍も好きだ」
まっすぐ見つめて言い切った若い長の姿を見て、誰もが見ほれる花嫁を演出しようと思った。
風当たりは強かったそうだ。
若い長をたぶらかした女狐と呼ばれたこともあったらしい。女の人を侮辱するなんて許さない。
鼻を明かしてやろうよ、といったら、リエル姉様、気後れしがちで困ったんだ。
「・・・ごつごつしててちっとも女らしくないだろう? 腕だって足だって、顔つきだって凛々しいと言われることはあっても、綺麗だと言われたことは無いんだよ。・・・大体この体格では、入るドレスなんか無いだろう?」
レースやフリルみたいな、女の子然としたカッコウなんか、もぅ随分と取ってないんだ。
似合うはず無いからね。
そう言ってあきらめたように笑う姉様を見て、私とメリーさんは奮い立った。
「マイナス数えてても良い事ないんですよう! 良いとこをうんと伸ばしましょ!」
そうさ、見せ方一つで女は変わるんだ。
「姉様はごつごつしてるって言うけど、無駄な贅肉が無いってことです! それってスレンダーって言うんですよ! 立って見て下さい。ほら、とっても姿勢が良いでしょう? 立ち姿が美しいんです。スレンダーで出るとこ出てる姉様には、ごてごてしたドレスより、シンプルなラインのドレスが似合います!」
そういった私に、メリーさんも同意した。
「まかせて! とびきりの綺麗な花嫁さんにしてあげる」
でも、本当は着飾らなくてもリエルさんはきらきらしてて、綺麗だ。
「・・・いまだに反対する馬鹿な親族が多くて、困るんだ」
ラグエルさんの呟きも後を押した。とびきりの花嫁を、見せてやるんだ、そのうるさ型の山羊たちに!
「熊は熊らしく、どーんと構えてなさい!」
バシッと背中をたたいたら、ラグエルさんがよろめいた。
「っなっ! 誰が熊だ、誰が!」
「うっさいわね! むさいその髭そりなさいよ! 花嫁の隣が熊男じゃ、ますます美女と野獣だわ!」
「こ・・・この猿! 貴様の腕は確かだと皆が言うから、任せるんだからな! そこ間違えるなよ!」
「分かってんわ! まーかせなさいっ!」
どんと胸をたたいて、咽たのは秘密だ。
何より、熊は敵だが、リエル姉様には味方したいんだから!
*****
羊の国は織物の国。
取って置きの子羊ちゃんの毛を紡いで、つやのある、薄い薄い反物を織った。目をつめてテロンとした手触りのしなやかな織物。これで体の線を出すマーメイドドレスを作る。
初めてのドレスはメリーさんも興味しんしんだった。
「すそを広がらせるのね?」
「そうそう。こう、ドレス自体がお花のように」
「これぐらいかな・・・もっと?」
羊族の娘さんたちも、真剣そのものだ。みんな必死で針を動かした。
リエル姉様は鍛えていた武道派だっただけ、鍛え上げられた体がすばらしい。筋肉質を隠すより、薄い生地でまねの出来ない肉体美を前面に押し出せば、うっとりするだろうと思ったんだ。
案の定、シンプルな飾りのないドレスに身を包んだ姉様は、掛け値なしに美しかった。
白いドレスに真っ赤な髪と瞳が映える。
リエル姉様が気にしていた傷跡もシフォンのケープや、手袋で隠せるよ、と言ったんだけど、ラグエルさんの一声で、リエル姉様はあえて傷を隠さず、額の傷だって前髪を上げて私達に見せたんだ。
「守り抜いた証だ」とラグエルさんは言った。
「守ってくれた証だから、隠す必要はないんだ」と。
ああ・・・。ラグエルさん熊の癖に分かってるなあ。でも、本人に確認してからじゃないと、ダメだよ?と言ったら、すぐ姉様に尋ねていた。
リエル、あなたはどう思う? 俺はその傷は勲章だと思うんだ。でもあなたがいやならば・・・と、おろおろしながらラグエルさんがリエル姉様の顔を覗き込んでいた。
リエル姉様が泣きながらラグエルさんの首に腕を回すのを見て、みんな、わっと盛り上がった。
リエル姉様は、ラグエルさんのために傷を隠そうと思っていたんだ。親族の男に、傷もちの娘より、うちの娘を娶ればいいものを、と言われ続けて、下を向いていたらしい。やっと吹っ切れたようで、顔を上げたリエル姉様は、それまで以上に美しかった。
それから、最後まで抵抗していた彼の髭だけど。
ご主人様が綺麗にそりあげてくれた。さすが・・・!
そして、婚礼当日。
白の山羊族特有の衣装を着たラグエルさんが待つ祭壇に歩み寄る、リエル姉様の美しさは、後々の語り草になるほどだった。
神聖で厳かな空気を盛り上げていたのが、壇上で祝福の言葉を述べる羊族の長さまだったのは、言わずもかな。
打ち合わせたとおりに式が進む。
ご主人様が厳かに
「誓いのキスを」
と、言った。
・・・羨ましいなあ、と思ったのは、内緒だ。
・・・ちなみに、その後羊の国に戻ってから発刊された、小冊子の内容も内緒なのだ。
えー・・・そのものずばりの構図だと思います。