羊の国から腐女子のススメ
誰にだってハジメテの衝撃ってのがあるわよね。
それが如何に衝撃的で、魂揺さぶっちゃうかで、その後の進退が変わっちゃうくらいの。
・・・わたしのハジメテの衝撃は、十一の時だったわ。
なじみの本屋さんでふと手に取った漫画本。表紙はいたってノーマルな男女カップルだった。・・・ように見えただけなんだけどね・・・。はあぁ。
でもね、読み進めるうちになんかヘンだなーって思ったのよ。
今思えば、そこでやめときゃ良かったのよねー。
でも、好奇心って奴は一度起きると解決するまでおさまらないでしょう?
あの時のわたしもそうと知らずに踏み込んでいったのよね。
未知の世界へ!
あるシーンにたどり着いたとき、可愛くて口の悪い女の子だと思ってた子が、男の子だと悟ったわ。
あれがイワユル、青天の霹靂だったのね・・・。
そのあとは、?の増産よ。
あれ?
なんで?
どーして? よ。
何で、男同士で見詰め合って、頬染めあって、抱き合って口付けしてるの・・・?
硬直した指は、脳が指令する行動を忠実に行ったわ。
本、閉じたさ。
でも、そのうちフラッシュバックするわけよ。眠ったとき、起きたとき、勉強の合間に時折ふっと降りてくるの。あの感覚。
淫靡な、背徳感。
イケナイ事をしている自覚はあったわ。
親に隠れてあんな本に手を出したら・・・戻れなくなると言うのも知っていた。
でも、あの、胸をどきどきさせる高揚感。あの味をもう一度、と思ってまた本屋さんへ行ったの。
今思えば、世はまさに、ぼーいずらぶジャンルの確立を祝福し、謳いあげていた。
淫靡で華美で、どこかストイックな陰影を伴う雑誌が、ところせましと置かれていたの!
まさに天国!
一回、転がり落ちると、どっかにぶつかって止まるまで、誰にも止められないのよね・・・。
未知の世界が諸手を広げて歓迎してくれたわ!
でもそこで、わたしは奥の深さを知ったのです・・・。
ぼーいすらぶジャンル、侮りがたし・・・!
オーソドックスな恋愛モノ、リーマンもの、教師モノ、同級生モノ、やくざモノ。
ハードを追求する、監禁もの、緊縛もの、鬼畜もの。
マニアックさを謳うもの、ハーレクインもの、ファンタジーもの、歴史もの、転生もの、童話口調のもの・・・分類しだすと切がない。
しかもだ!
漫画でビジュアルに魅せるモノがあるかと思えば、文章一本に絞り込んだ読み応えのあるものまで存在するから大変だ!
・・・通ったわ。
通い続けて、本屋さんじゃダメなんだと気がついた。サークル活動の中で、同人誌を発行している方が多かったの。
でもね、同人誌って普通の本屋さんじゃ売ってないのよ。
同人誌はすごかった! なんと言うか、濃い?
プロも顔負けの精密な描写!
絵は事細かく細部まで画き込まれている。そう・・・さ い ぶ ま で !
そりゃ、もう髪の一筋まで再現されてる代物だ。
波打つ胸板に流れる一筋の汗や、顎を伝う汗や、にっこり笑った男性が握りしめてる男性の(!)象徴に浮き出した血管の一筋や、ちろりと出された舌先から滴る露までが、綿密に描き込まれていたの・・・!
・・・これって、汗かしら。
・・・それともなんか違う汁かしら。
同じ「さんずい」なのになんなの、この単語の持つ、度合いの違い・・・!
いけない。
この続きを見てはいけない気がする。
でもでも、気になる・・・・。それが腐女子。
恐る恐る、むしろ怖いもの見たさで果敢に続きを読み進み、攻め男子と受け男子の痴態を目を皿のようにして見ていった。
青くなり赤くなり、白くなっては赤くなり、そして悟った。
おそるべし、同人誌! 見習おう腐女子の絆!
男同士の口付けだけでうろたえていた青いわたしは過去の産物。
今じゃすっかり染め上がってる。
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「う~ん、ここはやっぱり、苦々しげに睨み付けて、そのうち淫靡な快楽に屈して吐息を漏らす、ってのが良いかも・・・」
こっちの構図の方が、いいよね? と誰にともなく呟いて、芽衣は描きあがった下書きの紙を持ち上げた。
コマ割りも台詞配置もばっちりの漫画の原稿だ。
「熊の左手は、ノルディ様の着衣の中にこう、潜ませて・・・うん? こう? あれ?」
仕方なく鏡の前で全身を映し出して見た。
後ろから羽交い絞めにするんだから、こう、腕が回されて・・・ああ、肩口から抱き込む方が良いかなー?
鏡の前で自分を抱きしめるように腕を回す娘の後ろで、ノックの後顔をだしたピンクの毛並みの娘羊が、その場で立ち尽くしていた。
「あれれ? めりーさん?」
めりーさん、めりーさん、もしもーし?
自分を自分で抱きしめている間抜けなポーズのまま、芽衣がメリーさんを振り返った。
メリーさんは固まったままだ。
どしたの? と小首を傾げる黒髪の娘さんと、それはこっちの台詞だと言わんばかりのピンクの娘羊が肩を落とした。
「・・・最近夜遅くまで仕事をしているようだから、様子を見てやって欲しいと長さまが、仰るから・・・でも。楽しそうだね、めえちゃん・・・」
「えへへ。お仕事じゃないの。趣味と言うか、娯楽と言うか・・・」
真っ赤になってすまなそうに謝る娘は可愛らしい。
悪気がないのはわかるのだが、でも長さまはこの娘がナニヲシテイタノカが気になるのだ。
きっと扉の向こうで聞き耳を立てているに違いない。
そう思いながら、メリーさんは目の前の娘に向き直った。
「・・・解ってるわ。めえちゃん監修の娯楽本の作成でしょう? となりのリリエルが続きはまだかって騒いでいたものね」
分かっているからなお痛い。
長さまに言いたいが言えないこのジレンマ。
声を大にして言いたい。
この娘はねー、長さまの裸体を描いちゃ、男同士の劣情に焦点を当てた、モノスゴイモンを描いているんですよーって。
・・・言えないけどね・・・。
半ば諦めきった表情で、娘羊さんは芽衣を見た。
対する芽衣は上機嫌だ。筆の進み具合が良いらしい。(頭の痛いことにね!by、めりーさん)
「そうなの。続きがんばって描いているけど、でも完成度は高い方が良いじゃない?」
活版印刷はもっぱら童話や昔語りが中心で、口伝でつたえられていたものを形に残すことから始められた。
そっちが最優先だから、今、ぼーいすらぶ分野はお休みだ。ちまちまと木片を彫って印刷するには時間がかかりすぎる。
だから今わたしが描いている物は、文章ではなく、漫画だった。
炭の粉を粘土に混ぜて、固めた墨の棒で、線を引き絵を描いている。水墨画みたいなものだ。
これなら一冊、十日位かければできるし、読むのに時間はかからないから、すぐに回し読みが出来る。
回を重ねてなんともう五冊目に突入だ。
毎回ノルディ様似の美形が困難な目にあっているけど、おおむね反応は良好。
みんなやっぱり美形受けが好きなのねー・・・。
でも途中まで仕上がった漫画を見ていたメリーさんが、眉をしかめて呟いた。
「・・・きれいなだけなら、女の人の方が良いに決まってますわ。柔らかいし、抱き心地だって良いはず」
「めりーさん?」
「近寄りがたいほど綺麗で、尊敬できて、心酔しきってる、存在感のある男性が、その崇拝ゆえに、崇拝している相手に押し倒される! ってところに禁断の香りを覚えますのよ。攻略の難しい難攻不落の相手に挑む男の心意気! 男足る者そうでなくっちゃ!」
「めりーさんも、そう思う?」
「当たり前ですわよ! 熊と女神の肉弾戦は、ぜひとも女神に勝利して欲しいですわ!」
だって私たちの長さまが、黙ってあんな熊に押し倒されるとお思いで?
「「否!」」
「長さまは、鬼畜ですわ! 押し倒して嫣然と蠱惑的に微笑んでもらわなければ! 大体あの熊に長さまを御せる力量などございません!」
嫁御の尻に敷かれて鼻の下を伸ばしているそうですもの!
ラグエルさんのお嫁さんは、山羊族稀代の姐御と呼ばれる女丈夫らしい・・・。
猛々しさは男顔負け。女子の憧れの的。
「ふん、ラグエルごときが触れてよいお方ではありませんのよ、おねえさまは! きっと泣きついたに違いありませんわ! お姉さまは年下のものを無碍に扱うこともない、凛々しいお方なのに・・・」
メリーさんのお手本と崇められた女性は、どうも、ラグエルさんより年上みたいだ。
「・・・あの髭は、お姉さまに少しでも近づきたい年下の男の子の気合なのか・・・」
そうと知ったら、今度は、あれだ。
「下克上って、響きが好き・・・」
熊よ、チャレンジャーとして認めてやろう。(えらそう)
未踏の大地に挑む挑戦者として、讃える本を書かなきゃ・・・!
それから、新作の批評をメリーさんにお願いしてみた。
快く引き受けてくれたので嬉しい!
でも、やっぱり、知らない単語があるみたいで、メリーさんの眉が寄っていた。
「めえちゃん、この、ねくたいってなぁに?」
おおう、ネクタイ!
ないもんね、ネクタイ!
「ネクタイはねー、リーマン・・・サラリーマンっていう職種の方が使用する、仕事着の決めアイテムなんです! もう、もう、最強のアイテムなんですよぅ! 縛ってよし! 目隠ししてよし! さらに上級者になると、素肌にワイシャツ、解けかかったネクタイのみという、無敵のお色気をかもし出したり、果ては勃ってる一物の根元を縛ってイケナクさせる拷問アイテムに仕立てたりという腐女子的最強アイテムのひとつで・・・」
頬を真っ赤に染め上げながら、説明を始めた黒髪も麗しい娘。
その状況を想像したのか、やがて両手で頬を押さえると、メリーさんの目の前で嬉しそうにくねくねし出した。
ばら色のほっぺに、艶めいた黒髪が色を添える。
だが、その娘の紡ぎだした言葉の羅列に、めりーさんが血相を変えた。
ここぞとばかりに、常に抱いていた疑問を口に出す。
「・・・めえちゃん向こうに恋人いた?」
「へ?」
「見たことあるの? そ、それとも、し・・・したことあるの?」
ピンクの娘羊の頭ン中はすわ一大事!でいっぱいだった。
どうしよう! 恋人がいるなんて言われたら!
長さまになんてご報告をすればいいのだろう!?
だいたい漫画を見せてもらってから、付きまとっていたこの疑惑。
だってどこの世界に、処女が処女のままで、こんな大胆なものを描けるのか!
うぶそうなめえちゃんに、まさかの恋人疑惑浮上!?
長さまが、心痛で死んでしまうわ!
冗談じゃないっ!!!!
「へ? へ・・・な、にゃにゃにゃ! ないです! 見たこともしたこともないです!」
ピンクの毛玉が逆立って、勢いそのままに迫られた娘は、言葉に含まれたものに慌てて手を振り始めた。顔が、赤い。
「うそおっしゃいっ! ここ! この絵! しかもここ! この、この、うにゃにゃの詳しい描写と言い、形状と言い、見たかもしくは味わったことがあるのか明白!」
「ないって! なにその断定口調! しかも、味わっっひいいいいっ! ち、ちがう! その、その」
慌てた挙句そんなことを口走った芽衣だったが、間違いではない。
目を白黒させながら、詰め寄るメリーさんを見上げた。
「わたしは未体験です! でもそこを補って余りある、好奇心で掘り下げてきたの! 未知のゾーンは、想像の賜物なんですよぅっ!!!あとは、先人の描いた代物を舐めるように見込んだ結果と、先輩の仰った「まつたけに思いを馳せよ」という名言を胸に抱えていた次第で!」
「・・・・・・まつたけ・・・・・・?」
それって、なに。
こくこくこくと頷く娘の頬は、恥じらいに真っ赤に染まっていた。
もじもじもじと目をそらす。
「ええと、ええとね、は・・・恥ずかしながらこの岸 芽衣。恋人いない暦=年齢でして。で、まつたけってね、向こうの世界の高級食材で、あるときお母さんが清水の舞台から飛び降りる気合で買ってきた人生初の国産マツタケを前に、先輩のお言葉を思い出したのです・・・男の象徴はマツタケよ!ってのを・・・で、珍味を前にデッサンしました。
そりゃーもー、いろんな角度から。そしたら、その肉感的なところとか、肉惑的なところとか、隆盛なところとか、質量的にも腐女子仲間に絶賛されて・・・ほ、ほめられて、のせられて・・・」
精魂込めて描きました!
男性の象徴を!
「・・・めえちゃん・・・。想像でここまでの描写を?」
いっそ、あっぱれ。
「・・・え、えへ」←(至極嬉しそうな笑顔)
「・・・・・・(恥らう場所がちがう!)・・・うん。まあ、わかったわ・・・」
がっくりと力を落としたメリーさんの姿があった。
でも良かったのか、これで。良かったんだろうな、これで。これで初体験済んでますなんて暴露されたら、いかな長さまだって立ち直れるはずがない・・・。
なんて考えていたメリーさんを尻目に、芽衣は嬉しそうに絵を指し示していた。
「えへへ、でもね、これいいでしょー? 男の人と付き合ったことがない子でも、これでシミュレーションすれば、恐怖半減!」
「・・・それは、確かに。でも本当に気持ちよくなれるのかしら・・・」
「え、なれますよー! きっとね!」
悶えつつ頬を染める少女ふたり。
「・・・くううううう、一回!一回で良いからご主人様を目隠しして、はだかにしてみたいなああああ、抗うご主人様を押さえつけてー、もろ肌脱がすより、かた肌をこう、さらけ出させてさー」
わたしがそう言いつつ、右肩を出したもんだから、メリーさんが慌ててしまった。
「めめめ、めえちゃんっ! はしたないわよ!」
「えええ、私なんて別に、ご主人様の色気に比べたら! 花魁と下女くらいの格差が!」
「おいらんの意味もわかんないな・・・。でもめえちゃん、素肌を出しちゃいけません! 毛皮がないんだから、そんな無防備に肌をさらけ出してると、勘違いしたばか者に襲われるよ!」
「わたしを襲う気力があるんなら、ぜひともご主人様を押し倒して欲しいです!」
隠れまっちょを押し倒せる男気に溢れたホモっていないのかしら。
目を皿のようにして探したけど、現実、さわやかまっちょまんは皆さん、妻帯者でした。
「押し倒す適任者がいないのが難点ですねぇ・・・。押し倒せそうなさわやか元気系も、はかなげ美少年系も、強気子犬系も、気まぐれ子猫系も、いるにはいるけど・・・いないんだもん・・・」
ええ、年齢でアウト。
小さきものは本当に小さくて、その愛らしさを目にすると・・・いくらわたしが鬼畜ボーイズラブ命って言っても、気がとがめます。情が移ったのよね。あの子達が鬼畜ご主人様に襲われる、と考えたら・・・無理! 無理無理無理、無理いいっ!!!そんな、可哀そうなことできるかああああ!
あの子達はわたしが守る!
ご主人様の毒牙にかけてたまるもんか!!!
・・・だからご主人様、安心して逞しい殿方に押し倒されて知らない扉を開けてください! あの子達の貞操の為に!
そんでその一部始終をリポートするのです!
逞しい殿方に押し倒されて喜びに花開くだろうご主人様を、影から見守りたいです!
あら、決して覗きではありませんよ?
処女ならぬ処男を散らす様を克明に書き記すためですから! 後学の友のために。
「アイテムとしては銀縁眼鏡代わりに、モノクル発見しましたし、鬼畜男子に似合いそうな白衣も作りました。ネクタイだって各種製造完了してます!「めえちゃんっめえちゃんっ」縄だって、荒縄、なめし皮、絹布、木綿と各種そろえました!」
なんか、メリーさんの声が間に入ったようですが、待て同志!
「・・・あとはご主人様を押し倒してくれる飛びきりたくましい殿方を発見するのみです!」
「・・・殿方・・・?」
「はい! ナイス組み合わせといえば、ラグエルさんだったんですが、あの方お嫁さんを迎えるそうですし、高砂や~ですので、省きます! でもでも、探せばきっと、ご主人さまに似合いの隠れまっちょか、はかなげ美青年と見せかけて、実は腹黒鬼畜系がいるはずだ、と、おもぉぉぉ・・・・・・め、めりーさん、明日の仕事は何でしょお?」
夢見るように明後日の方を見上げて語っていたわたしも、台風襲来に気付いたので、さりげなさを装って話を変えてみたりなんかしましたが・・・。
・・・遅かった、ようです・・・。
開け放たれた扉には、優美な、あまりにも優美な羊族の若き長が立っていました。
気のせいだよね、ブリザードが見える。
・・・・・・。
ええと、前略。
はるか異世界におられるお父様、お母様。
・・・突然ですが、芽衣、ぴんちです。
「冷気が一瞬で部屋を埋め尽くしてね、フリージングってこういうことを言うんだなあって思ったの!白銀のノルディってあだ名は伊達じゃないんだね! ものすごい冷気だったよ、文字通り、氷の微笑!」
凍ってしまって動けなくって、あの青い瞳に見つめられてね、口元が開くたび、白い息が吐き出される感じがしてさ。実際温度何度下がったのかなー?氷点下だったと思うよ?雪女って本当にいたんだねー・・・。
しみじみと呟いた。
「長さまは雪女じゃないけど・・・」
「それくらい迫力あって、それくらい美人だったって事!」