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四 晃政の夜のさつまいものカスタープディング

 華族である芳川家から縁談が来たのは、三月の初めだったか。

 晃政はブランデーグラスを傾けた。

「華族とつながることができるんですのよ」

 見合いの釣り書きを直接持ってきた馨の義理母の三保子がドヤ顔で言った。

 俺は、正直、華族の力がなくても商売はうまくいっているので不要だ。

華族相手の商売よりもむしろ一般人相手に衛生的な環境を作りたかった。だが、説明しても理解してもらえそうにない。

世界が華族中心の奴らはどこにでもいる。

 晃政は黙って聞いていた。

「うちの長女なら、平野家できっとお役に立てますわ」

 三保子が笑顔でいう。

「芳川家には二人の子どもがいると聞いているが」

 長女に限定した辺りに何か意図を感じた。

「いえ、そうなんですが、次女はまだ幼くて……。おほほほ」

 次女はすでに十六歳か、十七歳だったはずだ。

 その年齢なら縁談を組んでもおかしくない。それなのに「長女と縁談を」と言ってくるあたりがおかしかった。

 厄介払いか? 胡散臭いな。

噂によると、長女の馨は家からあまり出ないらしい。

次女の佳子は母の三保子と贅沢三昧。

 お茶会や夜のパーティーに勤しんでいるらしい。

内情は火の車といったところか。

 落ちぶれ華族と呼ばれている芳川家は長女を差し置いて、次女の婚約者を現在物色中という。それなのに、俺のところに長女との縁談を持ってきた。

 長女の馨は、病弱で、地味で、頭が悪く、我が儘と聞いていたが……。

 一体どんな女なのか。

 芳川三保子は引き下がる様子はない。

 商売柄、華族様からの話は断りづらい。

 とりあえず預かることにしておこう。今までの婚約者のように、ここが嫌になったら勝手に出て行くだろう。

 晃政はため息をついた。

「では、まずはうちで花嫁修業してもらう」

「構いませんわ。不要でしたら、追い出してください」

 三保子は意地の悪い顔をした。

「いや、そんなことは……」

 この女は、義理の娘とはいえ、可愛くはないのだろうか。

「馨は家事全般ができます。料理も上手いし、小さい子の面倒もみることができる」

 今まで黙っていた芳川健三が小さく呟いた。

「相分かった。では、いつからきてもらおうか」

「明日からでも」

 こいつらは、ここに長女の馨を捨てる気なのだろう。

 びっくりした。そして馨に同情した。

「その代わり、結納金と屋敷を修繕する費用をお願いしたい」

 健三が頭を下げた。

 噂通り、芳川家は困窮していたらしい。

「馨さんとの婚礼として、結納金と支度金、屋敷の修繕費も支払いましょう。その代わり、これ以上は払いません。よろしいですね? 契約書に判を押してください」

「ありがたい。助かった」

 健三は判を押した。


 それなのに馨がうちに来たときは、綿の着物だった。

春とはいえ、まだ寒い。

荷物は風呂敷一つという。

何のために支度金を出したのか。

結納金は何に使ったのか。言わずもがなである。

はああ。

大きなため息が出た。

それでは馨がかわいそうではないか。

嫁に出すというが、体の良い、捨て子だ。

哀れに思う。

噂とは裏腹に、馨は綺麗だった。

化粧っ気のない姿に、ドキッとした。

清楚な雰囲気に可愛らしい顔立ち。

進に送る情の深い視線。

まるで聖母のようにみえた。

こんなに美しくて素敵な女性に、芳川家は何たる仕打ちをしてきたんだろう。

芳川家には二度と戻さない。

晃政は胸に誓った。


 晃政が夜遅く帰宅して、しばらくすると馨が主寝室を訪れた。

「お帰りなさいませ」

「遅い時は、先に休んでいても構わないから」

「ありがとうございます。でも、なるべく晃政様をお待ちしたいと思います。お腹は空いていませんか?」

 馨はティーワゴンを運んできた。

「ああ、今日も夕飯を食べ損ねたことに気が付いたよ。これは? 甘い香りがするね。肉桂かな?」

 晃政は一番上に乗っている皿を指さした。

「私が作ったさつまいものカスタープディングでございます」

 テーブルの上にさつまいものカスタープディングとお茶の用意をする。

「馨が作ったのかい? うまそうだ」

 馨は小さく頷いた。

「どれ、せっかくだし、いただくとしよう」

 晃政はお皿の上で揺れるカスタープディングを一匙すくう。

 実は甘いものに目がなく、おやつを進に買うことが大好きだった。

「美味い。さつまいもが入っているのか。甘くて柔らかい」

 晃政の頬が緩む。

 ずっと緊張した交渉の場だったため、疲れていた。

 大阪と福岡にも石鹼工場があるのだが、もう一つ作ってほしいと政府より打診があったのだ。新たに工場を作ってもいいが、今の自分には余裕がない。さらにアジアへ輸出も考えてほしいと言われ、頭を悩ましていた。

 どうしても自分一人でやるには限界がある。

 進のために貿易会社は残しておいてやりたい。それに進、馨のためにも家族としての時間を作りたい気持ちがあった。

「こんなに美味しいプディングを食べたのは初めてだよ」

 馨の気遣いに感謝した。

「大げさです」

 馨は顔を赤くする。

「このプディングでゆっくり眠れそうだ。ありがとう」

「よかったです」

 馨はほっとした顔をした。

 おや、頬に何かついている。

 晃政が馨をじっと見つめる。

「これは……」

 晃政は馨の頬を指で拭った。

「あ」

 馨が慌てると、晃政は指で拭うと、ペロリとなめた。

 馨の柔らかい頬に触れた。

「うん、これはプリンだな」

「甘い。す、すまない。進の面倒を見ているときの、いつもの癖でつい……」

 晃政は思わず赤面した。

 馨は小さく笑って「大丈夫です」と答えた。

 視線を逸らすことができずにいると、気が付いた馨が晃政を見つめ返した。

 二人の間には甘い雰囲気が流れる。

 このまま馨と一緒にいたい。

 晃政は馨の手を握ろうとする。

 コンコン。

 ドアをノックする音がした。

 はっと気が付き、晃政と馨はちょっと気まずそうに愛想笑いをする。

 これは……、台所の仕事をするのが好きというが、手荒れがひどいのではないか。

華族というのは、名ばかりで使用人扱いされていたのか。

かわいそうに。

 馨が芳川家でひどい扱いを受けていたのが伺い知れた。

 なんて腹立たしい。

 先妻の子というだけなのに、馨が何をしたというのか。

 カッと腹が熱くなる。

「失礼します」

 史恵と君代が今日の報告に来たようだ。

 頬を赤らめた馨は慌てて挨拶をして、隣の自室に戻っていく。

 存外、馨のことを気に入っているらしい自分がいた。

「進坊ちゃまは馨様をお姉ちゃんと呼んでいます。馨様と食事をするために、苦手なものも頑張って食べていらっしゃいましたよ」

史恵が苦笑しながら報告する。

「お茶の入れ方も、食事のマナーも完璧でした。華族学校を優秀な成績で卒業しているのは本当のようです。気立てもよく見た目もよい。馨様は逸材ですね」

 君代は嬉しそうな顔だ。

「旦那様、ぜったい馨様を逃してはなりませんよ。芳川家の次女よりいいに違いありませんから」

「ああ、わかっている。芳川家には、もう十分な金を払っている。馨に接触をさせないようにしてくれ。しかし、ひどい待遇だったようだな」

「お任せください」

 史恵は言った。

「旦那様もしっかり馨様を捕まえていてくださいね」

 君代に言われ、晃政も頷いた。




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