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煙と灰のエアロスカール  作者: 犬山三郎丸


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階層の歪み

10章階層の歪み

昨夜の騒ぎは、朝になったら薄くなっていた、薄くなったというより底の音に飲まれた

蒸気の唸り、配管の鳴き、荷車の軋み、人の声、音が重なると人は立ち止まらない、怖さは端へ押しやられる

怖さが消えるわけじゃない、置き場所が変わるだけだ


工房の扉を開けると、もう金属の音が鳴っていた

リコットは客を捌きながら手を動かし、堂島は横で止まらない並べ方を作る

外したものは左、戻すものは右、締める前は手前、締めたら奥

紙に書かない、置き方で順番を残す

追いかけない代わりに、止める順番だけ増やす、昨夜の喉の渇きがそれを教えていた


昼前に中層側の使い走りが来た

札を差し出す、薄い金属片、擦れた刻印、いつもより長い列

リコットが指でなぞる

「弁の小物と継手、いつもより多いね」


使い走りは肩をすくめる

「上から急げってだけ、理由は言われてない」

言い方が乾いている、余計を言うと怒られる顔だ


リコットは笑いに寄せない

「言われてないんじゃなくて、言えないって顔だよ」

堂島が目線を上げる

「中層は、こういうのを下に流さないのか」


リコットはレンチを置かずに言う

「流さない、下には知らせない」

「知らせたら下が動く、動いたら混ざる、混ざったら面倒が増える」

一拍置いて、言葉を少し落とす

「でも、上が焦ってる匂いは出る、札が増える、窓口が硬くなる、夜勤が増える」


堂島は札の刻印を一度だけ見て返す

「硬くなるなら、なおさら揃える」

「札の向き、封の形、受領票のしまい方、全部同じにする、同じなら戻せる」


リコットは小さく頷く

「そう、それ、それが出来ると負けない」

軽口にしない、勘づいている目だ

下に事故の話は降りない、でも窓口の硬さは降りてくる、その硬さだけで何かが起きたと分かる


その日のシルビィは袋を軽くして戻ってきた

堂島が置いた枠を守った形だ

シルビィは小さな紙を一瞬だけ出し、単語を二つ書いてすぐしまう

『札 多い』

『門 硬い』

危険のない瞬間だけの記録が、今日の空気を残す


夜になって工房の音が細くなると、木箱が用意され、札が添えられた

継手、短い配管、座金とねじ、薄い革、細い弁、使う前提の形をした部品

堂島は紐の結び目を同じ形に揃え、刻印が見える向きで札を置き、受領票を受け取ったらすぐ隠す順番を頭の中でなぞった

削らない、例外を作らない、門がそうならこちらもそうする


境目に近づくほど道は固くなる

板の継ぎ目が減り、壁材が新しくなり、灯りが増える

灯りが増えると影の場所もはっきりする、影は逃げ道であり線でもある


門の前に着いた瞬間、違いが分かった

人が多い、列が出来ている、外窓口の格子の前で木箱が積まれ、役人の数も増えている

いつもなら夜は静かだ、夜は止める理由が作られやすい代わりに人は少ない

今日は逆だ、夜なのに昼みたいに詰まっている

詰まっているのは荷だけじゃない、門の中の空気そのものが詰まっている


リコットが低く言う

「やっぱりだ」

堂島が聞く

「何が」


リコットは周りの役人の数を数えるみたいに目を動かす

「夜勤が増えてる」

「増えるってことは、上で止まったってこと」

「止まった理由は言わない、でも止まった形だけは下に出る」


シルビィは門灯の外側、影の中で外套の縁を押さえている

目がいつもより硬い

中層付近はシルビィにとって線の外だ、近いだけで息が浅くなる


堂島は声を落とす

「いつも通りやる、札を出す、封は触らない、数は控え通り、受領票を取る」

「止められたら理由を言わせる、規則に戻す」

「怒鳴らない、押さない、前に出ない」


リコットが息を吐く

「了解、今日は私も口を閉じる」


番が来る

格子の向こうの灯りの下に、見覚えのある制服が立っていた

棒を腰に提げ、靴が黒く光っている

名札、エリック

昼に見た警吏だ

普段なら夜の窓口は別の係が回す、それなのにエリックが前に立っている

事故の影響で駆り出されている、その形が見える


エリックの横にもう一人いる

目が落ち着かない、手先がせわしない

夜の質の悪さは消えていない、硬い規則の影に隠れている


リコットが札を差し出す

「工房の搬入、外窓口に預け」


エリックは札を受け取り、刻印をなぞり、箱の紐を見る

視線が堂島の影へ止まる

一瞬だけ、昼の記憶が揺れる

でも戻す、門の顔に戻す


「運搬者登録」


堂島は影から出ない

「登録はしてない、荷を降ろすだけだ、内側には入らない」

「札はある、封も切ってない、受領票を出してくれればそれで済む」


横の役人が口角を上げる

「今夜は照会が山だ、時間かかるぞ」

言い方だけ柔らかい、柔らかいまま面倒を増やす顔だ


エリックが先に切る

「照会は規則、時間は理由にならない」

「札の刻印と荷の内容を一致させる、外窓口で数と照合、必要なら受領票に照会番号を付ける」

それから、説明の形で釘を刺す

「夜に人手が増えているのは、そのためだ」


つまり、何かが起きたからだ

起きた内容は言わない

言えない

でも起きた影響だけは、門の硬さとして降りてくる


リコットの肩が跳ねる

堂島が先に言う、声は低く、短く、厳しい

「封を切るなら理由を言え」

「担当印を受領票に残せ、再封の印も残せ、記録が残らない封切りは受けない」


横の役人が舌打ちする

「面倒くせえ」


エリックは視線だけで黙らせる

「封は切らない」

「切るなら記録、記録を残せないなら切らない」

「外窓口で照合だけする、荷は留め置き、明朝中層側が回収」


堂島はすぐ返す

「了解、番号を入れろ、受領票に残るなら問題ない」


エリックは短く頷く

「外窓口へ」

「影から出るな、内側に足を入れたら拘束、例外はない」


堂島は短く

「了解」


外窓口へ回される

格子の開口は狭い、箱は二つ、数は多い

エリックが帳面をめくり、横の役人が荷に触る

乱暴に触ろうとする手が出るたび、エリックが言葉で止める

「封は触るな、照合は目でやれ」


数えが始まる

継手、六、弁、四、座金、二十、ねじ、二十

途中で指が止まる

薄い革、パッキン、数が合わない


リコットの口が開きかける

堂島が先に止める、声がさらに硬くなる

「言うな、数える」

リコットの肩が動いて止まる

止め方が分かった顔になる

厳しさの形が、父親の影に重なるみたいに目が揺れる


堂島は箱の角を見る

紐の影、底板の隙間、布の皺

薄い革は軽い、軽いものほど数から漏れる

堂島は焦らない、焦ると手が大きく動き怪しく見える

指先だけで布の皺を開き、二枚重なった革を一枚ずつ剥がして格子の前に置く

「ここに二枚重なってる、数は合う」


横の役人が小さく舌打ちする

「ちっ」


エリックは淡々と言う

「合ったな」

それだけで次へ進めと言っている


受領票が出る

紙は粗い、でも印は押される

照会番号が書かれ、札の刻印が写される


堂島は受領票の番号を指でなぞる

「この番号で明朝回収、合ってるな」

エリックは短く

「合ってる」

「次」

例外はない、だから早い、早いから冷たい


門から離れ、路地の影に入ってようやく息が戻る

列のざわめきが遠ざかり、蒸気の唸りが底の音に戻る


リコットが小さく言う

「事故の話は下に降りない」

「でも門の硬さで分かる、上で何かが止まった」

堂島は頷く

「止まったなら、型が残る」

「型が残るなら、次は偶然じゃ済まなくなる」


シルビィが小さな紙を出す

ほんの短い時間だけ

単語を二つ書いて、すぐしまう

『夜勤 増』

『エリック いる』

下に開示されない情報の代わりに、影の形だけが残る


工房へ戻ると熱と匂いが迎える

でも戻ったのに気持ちは落ち着かない

中層の事故は語られない

語られないまま、門だけが硬くなる

硬くなるということは、上が痛んでいるということだ


堂島は受領票の位置を確かめる

番号が残っている

残っている限り明朝は回る

回る限り二人の明日は一つ残る


ただ嫌な予感も残る

下の事故は薄く処理される

上の事故は隠される

隠されるほど、同じ型は何度でも入り込める


堂島は息を整え、声に出さずに順番を並べ直す

封、札、照会番号、受領票

そして、型


型が揃い始めた

揃い始めたからこそ、次は止めるだけじゃ足りなくなる

そんな手触りだけが、工房の熱の中に残った

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