優等生の王太子殿下が、バカそうな男爵令嬢に釘付け!? 殿下の婚約者である公爵令嬢は困惑するも、打つ手無し。彼女の取り巻き令嬢たちが怒り狂って嫌がらせをしても、バカ女は知らん顔。王国の未来はどうなる!?
◆1
ある春の朝、グラベル王国王立学園の本校舎ーー。
今日も廊下で、亜麻色の髪をしたトロワ・モンマス男爵令嬢が、金髪の貴公子ランス・グラベル王太子の胸板にベッタリと貼り付いて、上目遣いで甘えている。
セリーヌ・ラングランド公爵令嬢と、その取り巻き令嬢たちは、その姿を、遠巻きに見詰めていた。
彼女たち、三人の取り巻き令嬢たちーーアン・メルブック侯爵令嬢、メリッサ・カンヴァス伯爵令嬢、ルナ・トーン子爵令嬢ーーは、扇子で口許を隠しながら、口々に囁く。
「ご覧なさいな、皆様。
あのトロワ男爵令嬢の、胸元まではだけている衣装を。
そして、貴族の令嬢にあるまじき、子猫のように甘えた仕草ーー。
膝の上まで裾丈が上がっていて、これ見よがしに、ふくらはぎを露わにして。
あんな格好してる人なんて、令嬢では誰一人いないのに。
唇にも真っ赤な口紅を滲ませて。
口紅をつけるのって、校則違反でしたわよね!?」
「そうよ、そうよ。
王太子殿下は、どうして、あんなふしだらな女と仲睦まじくなさっているのかしら?
殿下には、セリーヌ・ラングランド公爵令嬢様という、立派な婚約者がおられるのに。
見て、あの指先と手首!
殿下からいただいたであろう、輝かしいダイヤの指輪とエメラルドのブレスレット!
殿下の碧色の瞳に合わせているのかしら。
本当に癪に触るわ。
本来でしたらセリーヌ様に贈られるべき宝石でしたでしょうに!」
「ほんと、なんて図々しい女!
モンマス男爵家なんて、王都の役人をこなすだけの貧乏貴族じゃないの。
そんな家の娘だというのに、よりにもよって、王太子殿下と……。
由緒正しき学園に、これ見よがしにジャラジャラした宝飾品をいっぱい身に付けて。
それに、香水の香りが凄かったわ。
『色香で男を落とす』
というのは、ああいう女のことを言うのね。
殿下も情けない。
あんな女相手にデレデレして。
ニヤけた目で、あの女を見詰めてるわ。
ほんとに腹が立つ!」
令嬢方の中心には、扇子で顔を隠し、青い瞳だけ上から出すセリーヌ公爵令嬢の姿があった。
取り巻きの一人が、首魁に問いかける。
「どうなさいますの、セリーヌ様?
あの男爵令嬢は、懲らしめなきゃいけないですよね!?」
だが、セリーヌ自身は銀髪を震わせて唇を咬みつつも、黙っている。
相変わらず、ランス王太子とトロワ男爵令嬢の後ろ姿を、青い瞳を細めて、ジッと見ているだけだ。
取り巻き令嬢方は、歯痒くて仕方なかった。
◇◇◇
その日の昼下がり、学園の中庭ーー。
ランス王太子とセリーヌ公爵令嬢ーー長年の婚約者同士が、ベンチに腰掛け、二人きりで会っていた。
セリーヌ公爵令嬢が、昨晩のうちに、
『お昼休みに、学園中庭のベンチで、二人だけでお会いしましょう』
と、ランス王太子宛に手紙をしたためて誘っていたのだ。
王太子が金髪を掻き上げつつ、隣に座る銀髪令嬢に問いかける。
「話があるとのことだけど、何かな?」
セリーヌ公爵令嬢は、婚約者を青い瞳で正面から見据えて訴えた。
「殿下。
これ以上、トロワ男爵令嬢と仲睦まじくなさるのは、ご遠慮いただけませんか?
婚約者ゆえに嫉妬して、そのように申し上げるのではありません。
私という婚約者がありながら、殿下が他の女性と懇意にするさまを皆に見せつけるようでは、婚約という契約自体が軽いものと看做されかねないからです。
高位貴族家の令嬢、令息は皆、幼い頃からの婚約相手がおります。
それなのに、自分の縁談が確かなものとは思えなくなってしまいます。
殿下には、上に立つ者として、もっと貴族社会の常識をわきまえていただきたく……」
セリーヌ嬢の持つ扇子が小刻みに震えている。
勇を鼓しての苦言だった。
だが、ランス王太子は、彼女の表情を見てはいなかった。
彼の目は、今現在、目の前にいる銀髪の婚約者ではなく、一年ほど前に突如として姿を現した、亜麻色の髪をした女性に向けられていたのだ。
「彼女ーートロワ・モンマス男爵令嬢は、類を見ない、素敵な女性だよ。
そうーー彼女と初めて出会ったのは、一年ほど前、学園の渡り廊下だった。
彼女とすれ違ったんだ。
その際、僕は度肝を抜かれたよ。
ドレスの裾から腰にまで切れ込みがあって、太腿まで脚を剥き出しにしたスタイル。
亜麻色の髪をクルクルと巻き毛にして、色とりどりのリボンが頭上で花開いていた。
僕は目を見張った。
だから声を掛けたんだ。
『君。この由緒ある学園で、なんで、そんな服装しているんだい?』と。
するとトロワ嬢は、
『だって、私にはこうした衣装の方が似合っていて、可愛いでしょ。殿下もそう思わない?』
そう言って、僕の目をジッと見たんだ。
僕は、そのとき思ったね。
『ほんとに、そうだ』と。
雷に打たれたように感じたんだ。
規則、規則で縛りつけられた制服や振る舞いも良いけれども、この娘はなんて自由で、愛らしいんだろうと。
僕はそのとき、この娘を大切な存在に思ってしまったんだ」
ランス王太子は、遠くを見るように、碧色の瞳を細める。
セリーヌ公爵令嬢は、彼の意識を目の前に持ってこようと、前のめりになって食い下がった。
「ですが、殿下!
トロワ男爵令嬢だけがそのような奇抜な格好でいるのを、殿下がお庇いになると、殿下が依怙贔屓なさっているーーいえ、トロワ嬢が殿下の恋人であるかのように、他からは見られてしまいますわ。
それでよろしいんですの?
私という婚約者がありながら!」
ランス王太子は金髪の頭を振って、肩を竦める。
「それはわかっている。
けれど、トロワ嬢の個性は、煌めいているんだよ。
唯一無二だ。
僕は大切にしたいんだよ。
こんな学園生活だからこそ、彼女のような存在が一人いたって、僕は良いんじゃないかと思う。
本当に楽しいんだ。
だけど、皆が皆、彼女のように大胆に振る舞えるわけじゃない。
彼女は大勢から注目されて、嫉妬もあって、軋轢も激しくなる一方だろう。
だから僕は王太子として、彼女と、その文化を守ることにしたんだ」
「文化を守るって……」
セリーヌ・ラングランド公爵令嬢は、青い瞳を伏せて、黙り込んでしまった。
◆2
一方、同時刻、学園の裏庭ーー。
取り巻き令嬢たちが、トロワ・モンマス男爵令嬢を取り囲んでいた。
まずはルナ・トーン子爵令嬢が黒い瞳で睨み付けて、口火を切った。
「トロワ男爵令嬢!
貴女、男爵家の娘のくせに、王太子殿下に積極的すぎるわよ。
その高価な宝石が付いたブレスレットだって、殿下からいただいたものでしょう?
今すぐ、外しなさい!」
手を伸ばして、無理矢理、トロワ嬢の右手首からブレスレットを引きちぎった。
赤や緑の宝石粒が、ちぎれた弾みで飛び散っていく。
が、誰も拾おうとしない。
さらにルナ子爵令嬢の手は、次の獲物を目掛けて伸びていた。
「その指輪も殿下からのいただき物よね!?
ほんと、生意気なんだから!」
そう言って、ルナ嬢は、今度は指輪をも抜き取ろうとする。
だが、さすがに指から取るのは難しい。
トロワ嬢は咄嗟に左手を握り締めて、指輪を嵌めた拳ごと胸元に寄せた。
それでも取り巻き令嬢たちは、攻撃の手を緩めない。
今度はメリッサ・カンヴァス伯爵令嬢が、白く輝く鉄製のハサミを振りかざし、甲高い声を張りあげた。
「香水の香りを、そんなにさせて!
くるくるカールした、その髪の毛!
その髪だって、腹が立つのよ。
その長い髪に香りを付けて、殿下を誘惑しているんだわ!
だ・か・ら、私が貴族令嬢らしい髪に切ってあげる。
感謝なさい!」
トロワはハサミで、亜麻色の長い髪を、バサッと斜めに切られてしまった。
リボンも、めちゃくちゃに裂かれた。
それだけではない。
メリッサ嬢が手にしたハサミは、次なる仕事場を見つけたようだ。
いきなりトロワ嬢のドレスの腹部に切り込みを入れたのだ。
おかげで、下腹部の肌が露出してしまった。
「貴女には、その姿がお似合いよ!」
メリッサ伯爵令嬢はハサミを手にしたまま、褐色の瞳を輝かせて叫ぶ。
トロワ嬢の髪もドレスも、ハサミでズタズタに切られてしまった。
三人の令嬢たちは、おほほほ! と嘲笑う。
だが、トロワ・モンマス男爵令嬢は挫けない。
怯むどころか、余裕を見せる。
薄ら笑いを浮かべながら、煽るような口調で言い返した。
「貴女たち、ちょっとやりすぎじゃない?
これじゃあ、私がいじめられたってことが、皆様に丸わかりですよ?
良いの、それで?
貴女たちが引きちぎったブレスレットは、王太子殿下が私への誕生日プレゼントとしてくれたものですし、この指輪も、殿下の瞳の色に合わせてくれた特注品よ。
髪に染み込んだ香水だって、殿下からいただいたもの。
ドレスも含めて、すべて殿下からの贈り物なの。
それを、こんなふうにして。
貴女たちこそ、これから何が起こるかわからないわよ!?」
一瞬、取り巻き令嬢たちは、笑うのをやめた。
サッと血の気が退いた令嬢もいた。
だが、ここまで来て、後に引き返すつもりはないようだ。
トロワ嬢は、より過激に、直接的な制裁を受けるようになった。
ルナ・トーン子爵令嬢から平手打ちされ、メリッサ・カンヴァス伯爵令嬢からは両手で突き飛ばされたのである。
「痛い、痛い!」
と悲鳴をあげるが、令嬢たちは容赦しなかった。
「うるさい!
男爵家のくせに生意気ね!
私たちには公爵令嬢様がついているのよ」
「ふん!
お前なんか、最下層貴族のくせして。
殿下にいくら贔屓にされたからって、貴女は殿下のお相手になれるわけないのよ」
そしてついに、アン・メルブック侯爵令嬢からも、
「身の程を知りなさい!」
と罵倒され、トロワはお腹に蹴りを入れられてしまった。
アン侯爵令嬢は、地に倒れたトロワ嬢に近づき、さらに踏み付けにしようとする。
ところがそのとき、トロワが後頭部に付けていた、宝石煌めく髪飾りに目がついた。
見たときがあるようなデザインーー。
トロワ嬢は、アン侯爵令嬢が一瞬、動きを止めた、その隙を突いた。
髪飾りに手を遣りながら、男爵令嬢が、下から侯爵令嬢を睨み付ける。
「どう? 綺麗でしょ、この髪飾り。
これはマンディ公爵家のご令息ピエール様からいただいたものですのよ」
その言葉を耳にして、アン侯爵令嬢は青褪める。
「なんですって!?
ピエール様は私の婚約者よ!」
トロワ男爵令嬢はゆっくりと立ち上がると、顎を突き立てた。
「あら、そうですの?
ピエール・マンディ公爵令息様は、とてもお優しい方でしたわ。
この髪飾りは、私のお誕生日のお祝いにと言って、いただいたものなんです。
お断りしたんですけど、
『ぜひ、これを君に。
白状すると、これは本来、僕の婚約者のために買ったものなんだ。
だけど、デザインが気に入らないからって、受け取ってくれなかった。
色合いが派手すぎるんだってさ。
でも、君になら似合うだろうと思って。
婚約者以外の女性に贈り物をするのは御法度だろうけど、ちょうど君の誕生日みたいだから、僕を助けると思って受け取ってもらいたい』
とおっしゃって、無理に私の頭に付けてくださったんです。
それ以来、仕方なく学園に付けて来ているんですよ」
そう言って、トロワ嬢は、あははは! と笑う。
アン侯爵令嬢は、涙目になって、金切り声を上げた。
「だったら、これは婚約者である私がもらっとくわ!
貴女にはふさわしくないから。
貴女はそこらに落ちているゴミでも付けておきなさい!」
半分泣きながら、髪飾りをトロワの亜麻色の髪から引き剥がそうとする。
抵抗するトロワを、他の二人が押さえ付けた。
そして、メリッサ伯爵令嬢と、ルナ子爵令嬢は、声を揃える。
「貴女にも立派な婚約者がいるじゃない!」
「お父様とお母様が選んだお相手で、我慢しなさいよ!」
貴族令嬢の端くれだから、トロワ・モンマス男爵令嬢にも、婚約者がいる。
トマス・マルロー伯爵令息という、桃色の髪をした、ちょっと小太りの男性だ。
身分的には申し分なく、モンマス男爵家の娘には、過ぎたお相手だと見られていた。
ところがトロワ男爵令嬢は、ニヒルな笑みを浮かべて放言する。
「どうせ婚約なんて、家格上昇を狙っての契約なんでしょ?
だったら婚約するなら、伯爵より王太子よね! 違う?」と。
あからさまな言いように、令嬢方は呆れ返った。
アン・メルブック侯爵令嬢が、意を決したように、強い足取りで、前に進み出る。
二人の令嬢に両腕を捉えられたトロワ嬢に、顔を思い切り近づけて、宣言した。
「結論を言い渡します。
貴女、殿下から身を退きなさい。
殿下のお隣に立つには、身分が低すぎるって言ってるのよ!」
トロワ男爵令嬢は、両手を振り回して、令嬢方からの拘束を解くと、フン! と鼻息を荒くする。
そして、令嬢たちに嘲りの言葉を投げつけた。
「退けって言われても、王太子殿下が私のことを気に入って、
『素敵だ。君はまるで可愛い猫のようだ。いつまでも撫で回していたい』
って言うのだから、仕方ないですよね?
私は殿下のお気持ちを汲んでいるだけなんですよ。
ごめんなさいね、モテない貴女たちの気持ちを踏み躙って。
忠告しておきますけど、貴女方、貴族家のご令嬢は、ランス王太子殿下に言わせれば、人形のようで、面白くないんだそうですよ?
私のように溌剌として、何でも意見を言ったり、感情を表す人こそ、人間らしくて気持ち良いというのが、殿下のお考えなのです。
ーーそういうわけで、私は王太子殿下から、とっても有望な女性と見做されているの。
これでも、じつは王妃候補なんですよ。
でもこれは内緒にしてくださいね。
私たち二人だけの秘密なので。うふふ……」
取り巻き令嬢たちからすれば、完全に、煽られた格好だ。
実際にそう感じたアン侯爵令嬢は、扇子をトロワに突き立てた状態で上下させる。
「貴女こそ、わかってるの!?
ランス王太子には、セリーヌ・ラングランド公爵令嬢様という、立派な婚約者がいらっしゃるのよ!
それなのに、その態度はなによ、あたかも殿下の婚約者みたいに振る舞って!」
面と向かって非難されても、逆にトロワは胸を張って勝ち誇った。
「だってランス王太子殿下が、
『君と話すと楽しい』
っておっしゃって、
『毎日、昼休みには、僕と話してくれないか。お願いだよ』
って約束なさったから。
『君には、きっと似合うよ』
と言って、私の瞳の色や、髪の色に合わせてコーディネートされた宝飾品や衣服を、たくさんプレゼントして寄越すのだから。
私はそうした殿下のご意向に応じているだけなのよ。
毎日会うたびに、
『今日も楽しかったよ。はい、これ。プレゼント!』
と言って、一日に、一個か二個かはもらうのよ。
だから、私も付けなきゃ悪いと思って、毎日付けてきてるの。
ブレスレットやネックレスなんかは、ちょっとジャラジャラして重たいかなと思うけど、悪いじゃない?
王太子殿下からいただいたプレゼントですもの」
アン侯爵令嬢が苛立ちの声をあげる。
「貴女、どこまで浅ましい女なの!?
まるで餌付けされたペットのように、いくら殿下が相手だからって、男性からそんなにホイホイとプレゼントされて浮かれてるんじゃないわよ!
貴族令嬢としての誇りはないの!?
ああ、そうね。
貴女に、そんな貴族令嬢の嗜みを期待する方が間違っているのよね。
身分下のくせに、貴女、高位貴族家の私たちに挨拶もしないんだから!」
トロワ男爵令嬢も平気な顔で、口が減らない。
「だって、貴女たち、私を見る目が冷たいんですもの。
貴女たちに近寄ると、何をされるか分からない。
それに、王太子殿下だって、
『女狐のアイツらには気を付けろ。君は近寄らないほうが良いよ。
僕は君の身に何かあったら、夜も眠れないんだ。君を守らなきゃいけないからね』
って言ってくれてるの。
貴女たちなんかより、私、王太子殿下から、よほど大切に思われているのよ。
だから私、貴女たちとは関わらないようにしていますの。
挨拶もしないし、なるべく貴女たちから遠ざかっていたの。
ごめんなさいね。悪気はないから。
だって、王太子殿下がそうしろ、とおっしゃるんですもの。
文句があるなら、殿下に言ってくださいまし」
ルナ・トーン子爵令嬢は地団駄を踏み、生唾を飛ばす。
「何かって言うと王太子、王太子って。
でも、私は知ってるのよ。
貴女なんか、オトコだったら誰でも良いんでしょ、ほんとうは!
貴女、王太子殿下ばかりか、私の婚約者にも、親しげに話してたじゃない!?」
すると、待ってましたとばかりに、トロワ嬢は扇子を広げ、散々に煽り返した。
「え? どの殿方かしら?
私、いろんな人に話しかけられるから、まったく記憶がないの。
貴女の婚約者って、どの方?
今すぐ、私の目の前に連れて来てくださらない?
私、王太子殿下以外の殿方の名前と顔が、まったく一致しませんのよ。
だけど、皆様、にこやかに私に優しく話しかけてくださるから、私も適当に相槌を打っているだけなんです。
貴女の婚約者がその中にいたって、全然わからないわ。
ごめんなさい」
ルナ子嬢は、両手で顔を覆って、わあああ、と泣き始める。
そのさまを見て、メリッサ・カンヴァス伯爵令嬢が扇子をパチンと閉じて、
「なんて娘なの!?
貴女、ルナが悲しむの知っていて、いたぶってるんでしょ!」
と、トロワ男爵令嬢に、扇子を突き立てる。
「だいたい、貴女は無礼すぎるのよ!
以前、私がお茶会にお誘いしたときも、貴女、来なかったじゃない?
爵位が上の令嬢から誘いを受けておいて、よくも無視できるわね!?
非常識にも程があるわ」
でも、トロワ嬢の反撃は止まらない。
パチン、パチンと扇子を開け閉めしながら、嘲弄する。
「ですから、先程も言いましたように、王太子殿下が、
『悪意ある令嬢たちからの誘いには、一切応じるな!』
と仰せになったからなんですのよ。
私だって女ですもの。
おいしいスイーツや、ティータイムを楽しむぐらいはしたかったわ。
でも失礼ながら、貴女、伯爵家のご令嬢ですよね?
王太子殿下とどちらが身分が上か、お分かりでしょ?
伯爵令嬢ごときが王太子殿下のご忠告を無視するよう訴えるだなんて、それこそ無礼ではなくて?
ランス王太子の言うことを聞かないといけないと思って、私、貴女がたからのお誘いは一切無視して、招待状も破り捨てましたの。
ごめんなさい」
メリッサ伯爵令嬢は絶句して、何も言い返せない。
アン・メルブック侯爵令嬢が業を煮やして、パシンと扇子で膝を打つ。
「何度も言わせないで!
身分違いなんだから、貴女は立場をわきまえなさい!」
トロワ男爵令嬢が口に手を当て、冷笑する。
「あら、また嫉妬?
さっきから同じセリフしか出ていませんよ?
みっともないから、おやめくださらない?
でもまあ、仕方ないわよね、貴女たちが私を妬むのは。
だって私、可愛いから。
貴女たちのような、凡庸な容姿の方からすれば、気になって仕方ないのもわかるわ。
だけど、どうしようもないことなのよ、これは。
私が可愛く生まれ付いてしまったんですもの。
私から目を離させなくなっても仕方ないって、私、諦めてますから。
私のことが気になって、いろいろと詮索するのは、どうぞご自由に。
でも、要らぬ嫌がらせや意地悪を仕掛けてくるのは、もうこれっきりにしてくださいね」
トロワは亜麻色の髪を振り払って、踵を返す。
そして、堂々と立ち去ってしまった。
裏庭に残された令嬢方は、ハラワタが煮え繰り返る思いだった。
「悔しい。
なんて失礼なんでしょう!」
アン侯爵令嬢が唇を咬む。
だが、取り巻き三令嬢は、途方にくれてしまった。
何としても、トロワ男爵令嬢をやり込めたい。
だが、方法が思いつかないーー。
そこへ、青いドレスを纏ったセリーヌ・ラングランド公爵令嬢が姿を現した。
彼女は中庭で王太子との会合を終え、裏庭へと顔を出してきたのだ。
アン侯爵令嬢はセリーヌの許へ駆け寄り、生唾を飛ばす。
「セリーヌ様!
あの娘、どうしてやりましょう!?」
本来のリーダーである彼女に、トロワ男爵令嬢をやり込める方法を提示してもらうことを期待したのだ。
が、思いも寄らぬ答えが返ってきた。
「あの方をお茶会にお誘いしようと思いますの。
皆様もご一緒にどうかしら?」
セリーヌ公爵令嬢の言葉に、三人の取り巻き令嬢たちは、呆気に取られた。
「あんな女をお茶会に!?」
「話にならない!」
「婚約者を盗られても良いんですか、セリーヌ様!」
ついさっきまで、トロワ男爵令嬢がどれほど自分たちを馬鹿にして、煽っていたかを、セリーヌ様は知らないんだーーそう令嬢たちは思った。
だから、取り巻き令嬢たちは、セリーヌに詰め寄った。
だが、セリーヌ公爵令嬢は真顔で答えるのみであった。
「これ以上、あの娘を相手に、いくら罵倒しても、無駄なようです。
ですから、彼女の意図を良く知るためにお茶にお誘いするーー。
それが貴族令嬢の嗜みですもの」と。
意外な反応に納得できず、取り巻き令嬢たちは、
「なんて呑気なんでしょう!」
「私たち、参加いたしませんわ!」
「セリーヌ様がそんなご様子ですから、あの女が図に乗るんですわ!」
などと口々に罵って、プリプリ怒りながら、立ち去っていった。
彼女たちは、トロワ男爵令嬢を追い込むことを、まだ諦めていなかったのである。
◆3
午後になって、学園はちょっとした騒ぎに包まれた。
取り巻き令嬢たちが、トロワ・モンマス男爵令嬢を退学処分にするよう、署名運動を起こし、学園の理事長のところに嘆願書を持っていったからだ。
多くの令嬢たちが署名のうえ、退学願い理由を書き連ねた。
「男爵家の娘のくせに、殿下に甘えて、ずるい」
「服装も化粧も、校則を違反している。処罰すべき」
「はしたない。女として恥ずかしい」
ーーそういった発言に、嘆願書は満ち満ちていた。
取り巻き令嬢たちが、トロワ男爵令嬢に叩きつけてきた罵倒と同じセリフばかりだ。
だが、理事長アンドリュー・ヴィターリ男爵は、首を横に振るばかり。
デスクを陣取った理事長は、禿頭を自らの手で撫でながら、弱々しい声を出す。
「ランス王太子殿下の仰せでは、
『トロワ男爵令嬢の個性は貴重だ。僕は守りたい。
この学園において、自由が尊ばれる流れがあっても良いんじゃないか?
自分の個性や衣装を大切にすることも必要だと思う』
とのことです。
そもそもこの問題は、生徒間のこと。
学校全体の問題ではありません。
これだけの理由で退学には……」
かくして、あっさりとトロワ男爵令嬢の退学願いは、理事長によって却下された。
それでも、腹を立てた令嬢たちは諦めない。
今度は嘆願書を、生徒会に提出した。
ところが、生徒会長のマネ・ジャモ侯爵令息は、ランス王太子殿下と仲が良かった。
それゆえ、いかにも公平を装ったフリをして、王太子の意向に沿った提案をした。
「嘆願書に目を通したが、これでは一方的だ。
女性の意見ばかりではないか。
男性の意見も聴取せねば」
そう言って生徒会長自身が音頭を取って、貴族令息たちからも署名を集め始めたのだ。
すると、あっという間に、トロワ男爵令嬢を退学にしないように訴える、たくさんの理由書きと署名が集まった。
「見ていて楽しいから、良いじゃないか」
「ああいう可愛らしい女の子が学園にいると、勉強もスポーツもやる気が起こる」
「彼女こそアイドルだ」
「性はもっと解放されるべきだ」
などといった、危機感のカケラもない理由書きと署名が数多く集まった。
そうした結果を受けて、生徒会長マネは、トロワ・モンマス男爵令嬢の在学決定を宣言し、令嬢方による退学願いの嘆願書は破棄されることとなった。
当然、令嬢方の気は収まらない。
結局は、より直接的な、貴族令嬢らしからぬ、姑息な手に出た。
その日の午後ーー。
体操の授業の後、トロワ男爵令嬢の服だけがなくなっていた。
代わりに置いてあったのは、布地が極端に少ない、スケスケの下着だった。
三人の取り巻き令嬢たちは、ざまぁとばかりに笑っていた。
「私のドレスを返して!」
更衣室において、トロワ男爵令嬢が、露骨に犯人であろう三人に向かって要求する。
が、無視されてしまった。
「貴女のドレスなんか、知らないわよ。
そんなもの、あったっけ?」
「ああ、貴女の着ていた衣装のことですか?
アレ、そもそも、ドレスとは認められませんよね。
街中の淫売婦が身に纏う衣装でしょう?
胸ははだけて、裾までの丈は異常に短い。
貴族家の令嬢が身に付ける衣装ではないわ」
「貴女、いつも肌を露出しているんでしょ?
だったら、その格好で廊下を歩きなさいよ。
いかにも貴女らしい個性ってことで、それで良いじゃない?」
露骨な嫌がらせだった。
もちろん、彼女らの意見に従う必要などない。
体操着のまま、過ごせば良いだけの話だ。
ところが、トロワ・モンマス男爵令嬢も食えない性格をしていた。
「そうですか。わかりました」
と彼女は答え、おとなしく裸になり、その扇情的な下着に履き替えたのだ。
その結果、裸同然の「淫売婦の衣装」を纏った姿で、廊下を歩くこととなった。
正直、取り巻き令嬢たちも驚いてしまった。
彼女たちが透き通る下着を置いたのは単なる嫌がらせで、てっきり彼女は体操着のままで今日は授業に出るだろうと高を括っていた。
ところが、体操着を脱ぎ捨て、透けた下着のみを着て往来を闊歩するということは、自分たちが嫌がらせをしたという事実が、衆目の知るところとなることを意味する。
案の定、学園の男子たちは、眩しそうに、下着姿のトロワ嬢を見た。
普段、華美な装いの下に隠れている、艶かしい女性の肢体が露わとなりながらも、トロワ嬢は威風堂々と歩いている。
その姿に驚嘆したのだ。
ランス王太子も通り掛かりに偶然目にして、びっくりした。
「なんて大胆なーーいったい、どうしたんだい?
こんな無茶をして!」
さすがに下着だけで廊下を歩くのは、扇情的に過ぎる。
トロワは王太子の胸を目掛けて、ここぞとばかりに飛び込んだ。
「だって、私のドレスがなくなってしまったんですもの。
代わりに、こんなはしたない下着を付けて、廊下を歩けってーー」
「また、いじめられたんだね!?」
ランス殿下は、泣きじゃくるトロワ嬢を抱きかかえ、遠く、物陰から見ていた令嬢たちを、睨み付けた。
三人の令嬢方は慌てて背を向けて、逃げ去って行った。
そして、その場を、物陰からしっかりと見ている貴族令嬢がいた。
セリーヌ・ラングランド公爵令嬢である。
彼女は見た。
取り巻き令嬢たちの、程度の低い嫌がらせを仕掛ける、みっともない姿を。
そして、婚約者であるランス王太子が、下着姿のトロワ男爵令嬢を両腕で抱き締めると同時に、彼女の胸元を見て、鼻の下を伸ばしているさまを。
セリーヌ公爵令嬢は、眉間に深く皺を刻んで、憂いに沈んだ。
◇◇◇
その夜、王都貴族街にある、ラングランド公爵邸ーー。
晩餐後、セリーヌ・ラングランド公爵令嬢は鏡台の前に座り、独り、考え込んでいた。
あのクールで優等生だったランス・グラベル王太子殿下が、どうして、あんな馬鹿な娘の言いなりになって、デレデレしているのかしら、と。
セリーヌには、どうしても理解できなかった。
たしかにトロワ・モンマス男爵令嬢のことを、ランス王太子が可愛がっているのはわかる。
けれども、私たちを「女狐」呼ばわりして、「近寄るな!」とまで、言い含めるとは。
私たちだって、別にトロワ嬢を取って食おうとしてるわけじゃない。
もともとは、彼女が、貴族令嬢としての礼節(目下からは声をかけない、とか)をわきまえていないようなので、基礎的な挨拶から学ばせる機会を作ってやろうと思って、接触したはずだった。
だが、トロワ嬢は、ことあるごとに「だって、ランス王太子殿下がーー」と、煽るように言い返してきたので、結果として、取り巻き令嬢たちもヒートアップしてしまったのだ。
(第一、殿下も殿下よ。
ほんとうにトロワ嬢を愛していて、可愛いと思うのであったら、ランス殿下が率先して彼女に身だしなみや作法を教えてあげるべきだわ。
それから、婚約者である私、セリーヌに紹介するべきなのに……。
トロワ嬢があまりにも非常識な娘だから、私や皆にお披露目するのが恥ずかしかったのかしら?)
それにしても、ランス殿下は、ここ最近、ほんとうに変わってしまった。
あれは、ほんとうに私の知ってる王太子ランス・グラベル殿下なのか。
セリーヌには、まったく別人のように感じられる。
(それにしても、わからないーー)
ランス王太子殿下は本来、礼節や身だしなみには厳しいお方だった。
淑女の振る舞いについては特にうるさくて、礼儀作法や所作のすべてに優雅さをお求めになっていた。
それゆえ、あんな平民女がするように、脚を丸出しにして、人目を気にしないで、往来でクルクル回る、トロワ・モンマス男爵令嬢の振る舞いを絶賛するだなんて。
以前のランス王太子殿下だったら、あり得ないことだった。
絶対に、おかしい。
とはいえ、男心は良くわからない。
そんなトロワ嬢を幼子のように可愛いと思って、本気で好きになったのかもしれない。
でも、解せないところは他にもある。
ランス王太子がトロワ男爵令嬢に対して、あんな派手で破廉恥なドレスを贈るなんて、とても考えられない。
それに宝飾品をランス王太子が贈ったというけど、それにも違和感がある。
トロワ嬢のファッションは、下品な装飾ばかり身に付けていて、今までのランス王太子のセンスとはまったく違う。
王室で育った者が、あんな品のないものを贈るなんて。
それに、王室御用達のお店があるのに、あの宝飾品はそこで贖われたモノではないだろう。
宝石の石は大きいけれど、等級が低そうなうえに、カットが杜撰で、粗悪である。
そんな宝石を、毎日、学園で付けさせるなんて、あり得ない。
それとも王太子は、トロワ嬢を単なる馬鹿な女だと思って、「この娘には、このくらいがちょうど良い」と思って贈ったのかしら?
そこも疑問に思うところだ。
それに、トロワ男爵令嬢によれば、毎日昼休みに、ランス王太子とお話ししている、と言っていたがーーそれは嘘だと思う。
だって彼は、自分の派閥の令息たちとの打ち合わせや会食をするのをとても大切にしているから、毎日、こんな軽薄そうな女とだけで時間を潰せるはずがない。
ランス王太子は、意外と貴族との関係を大切になさる。
だからトロワ嬢に対しても、高位貴族家のご令嬢からお誘いを受けたり、挨拶されたりしたら、本来だったら喜んで頭を下げるよう、窘めるのが筋だ。
それなのに、その筋目をランス王太子が破るよう勧めたというのも、おかしな話だ。
特に、お茶会のお誘いに、ランス殿下が「行くな!」とは言わないと思う。
お茶会では、情報を得たり、顔繋ぎがあったりするから、貴族の令嬢にとっては大切なものだからだ。
ランス王太子が、いくら私たち貴族令嬢を疎ましく思っていたとしても、「お茶会に出るな!」とまでは言うはずがない。
王族は特に、お茶会や催し物をとても大切に思っているんだもの。
なんだか、あの娘ーートロワ・モンマス男爵令嬢の言っていることは、おかしい。
あの女が口にする「殿下がこうおっしゃっていたーー」ということ自体、虚偽に塗れている可能性もある。
でもーー。
ランス王太子殿下もお年頃だし、男ってあんなふうに、気に入った女性を見出してしまうと、豹変してしまうものなのかしら?
わからないーー。
セリーヌ・ラングランド公爵令嬢は、深く頭を悩ませ、眠れぬ夜を迎えていた。
◆4
一方、セリーヌ公爵令嬢が自宅で懊悩している頃、マルロー伯爵邸では、トロワ・モンマス男爵令嬢が、婚約者のトマス・マルロー伯爵令息から、叱責されていた。
トマスは桃色の髪を掻きむしりながら、ソファに腰を落ち着けることなく、応接間中をグルグルと歩き回っていた。
「ヤバいよ、ヤバいよ!
噂じゃ、アン・メルブック侯爵令嬢たちが、理事長や生徒会に嘆願書を提出したそうじゃないか。
君のことを退学処分にするっていうーー」
婚約者の態度とは対照的に、トロワ男爵令嬢はソファに座って落ち着いている。
「らしいですね。
随分と思い切ったことをなさったようで。
でも、ご実家のご両親に告げ口をした様子もないので、まずは一安心といったところですわ」
「もう良い加減にしたらどうなんだ?
僕のことは、どうでも良い。
でも、僕の実家マルロー伯爵家の名誉もかかっている。
それにトロワ、君の評判自体が、真っ先に落ちてしまうじゃないか」
トロワ・モンマス男爵令嬢は、婚約者がネチネチとする説教を無視して、お茶を飲む。
それから、ゆっくりと立ち上がった。
「今晩は、貴方のお母様とお姉様に、私、招かれておりますの。
近々行われる王宮舞踏会での催し物について相談がおありとか。
これから着替えて準備するので、失礼致します」
忠告に耳を貸すことなく立ち去ろうとする婚約者に向かって、トマスは吐き捨てた。
「ふん!
お母様とお姉様に、うんと叱ってもらうが良いさ。
今までで一番長い説教になっても知らないぞ!」
開いたままの扉を、トマスが代わりにバタン! と大きな音を立てて閉めた。
トロワ男爵令嬢はその音を背にして廊下を進み、階段脇の控室に入る。
そして、自ら黒を基調としたシックな衣装に着替えて、銀縁眼鏡をかけ、二階の執務室に昇った。
執務室では、フェネ・マルロー伯爵夫人とジュルナ・ゴンクール公爵夫人といった、二人の大人の女性がソファに腰掛けて待ち構えており、声を掛けてくれた。
「あら、トロワさん。
夜分にお呼び立てして、ごめんなさいね」
「今晩は我が家でお泊まりなさいな。
貴女のお父様ジョルジュ・モンマス男爵には、マルロー伯爵邸で王宮舞踏会に向けての打ち合わせをする、と伝えてありますから」
二人の貴婦人に勧められるまま、対面のソファに腰掛け、トロワ嬢は微笑む。
「はい。
お父様には、私の仕事に気付かれてはおりませんから、ご安心を。
ところで旦那様は?
今晩はお顔をお出しになると伺っておりましたが」
「もうじきご公務を終えて、いらっしゃるはずですよ」
フェネ・マルロー伯爵夫人がそう答えると、彼女に代わって、ジュルナ・ゴンクール公爵夫人が身を乗り出す。
彼女はフェネ伯爵夫人の娘であり、婚約者トマスの姉である。
マルロー伯爵家からゴンクール家に嫁いでいたが、今は実家に帰っていた。
「それよりも、ごめんなさいね。
ウチの弟、トマスが馬鹿丸出しで。
廊下を歩いていたとき、お部屋で怒鳴っていたのが漏れ聞こえました」
「いいえ。
ランス王太子も、似たようなものですわ」
「ところで、貴女をどうすることもできずに、詰まらないことを仕出かしたのは、どなた?」
お姉様ジュルナ・ゴンクール公爵夫人は、取り巻き令嬢たちの言動に興味を持っているようだった。
トロワ嬢は、持参した鞄から書類を取り出し、居住まいを正す。
「当然、私自身が被った嫌がらせなので、良く覚えております。
ですが、客観性を保つために、報告書をお見せ致します。
私が受けた、最近の嫌がらせの数々が、すでに多くの者によって目撃され、ここに記されてあります」
報告を上げたのは、上は伯爵、下は騎士爵の、主に次女、三女といった令嬢たちだ。
彼女たちは、皆、トロワの配下として働いてくれていた。
ジュルナ夫人は、報告書に目を通す。
ブレスレットが引きちぎられたこと。
髪の毛を切られたこと。
ドレスが切り裂かれたこと。
髪飾りが奪われたこと。
集団で暴力を振るわれたこと。
理事長や生徒会に、退学処分にするよう、嘆願書を出されたこと。
体操の最中にドレスを隠され、下着姿になるよう強要されたこと。
ーーそうした嫌がらせの数々が、詳細に記されていた。
他にも、報告書には、取り巻き令嬢たちによって流布された、「トロワ男爵令嬢についての悪い噂」についても記されていた。
いわくーー。
「平民男と懇ろになっている」
「夜遊びに明け暮れている」
「ポールダンスを踊っていた」
「男から投げ銭もらって平気だった」
ーー等々。
じつはその噂を流したルナ・トーン子爵令嬢こそが、夜遊びの常連だというオマケ付きだ。
ジュルナ夫人は軽く舌打ちしつつも、書類をトントンとソファテーブルの上で整理してから、彼女が持参した鞄の中に仕舞い込んだ。
「じゃあ夫に言って対処していただくわ。
メルブック侯爵家、カンヴァス伯爵家、トーン子爵家か……。
そうね、次の人事異動で、ボッシュ・メルブック侯爵には厚生大臣の座を退いてもらって、ロクワ・カンヴァス伯爵はさらに遠方の国に赴任してもらおうかしら。
プルート・トーン子爵は頻りに官職の斡旋を願い出ておりましたけど、来年も却下ということで」
ジュルナ夫人が早口でそう述べた後、紅茶に口を付ける。
対面に座るトロワ嬢は、上目遣いながらも、異を唱えた。
「それは重すぎませんか?
いくら娘さんたちが残念だったとしても、お父上がそれなりの人材でしたら、上手く用いた方がよろしいのでは?」
ジュルナ夫人はカップを皿に置き、問い返す。
「貴族社会では、家督者の権勢が、即座にその一族の力に反映されるようになっているわ。
ですから、子供の出来が悪いのなら、親の代から力を削いで行くしかないのですけどーー貴女はどうしたら良いと思います?」
「そうですねーー。
令嬢方はいずれ嫁がれる身ですから、実家に打撃を与えたところで意味は薄いでしょう。
お相手の家をどうするかを考える方が優先かと」
と口にして、トロワ嬢は天井に目を遣りながら、思案しつつ答えた。
「例えば、アン・メルブック侯爵令嬢のお相手は、マンディ公爵家のご令息です。
従って、シルヴァ・マンディ公爵には内務大臣を退くか、息子のピエールさんに婚約破棄をしていただくか、選択を迫ればよろしいかと。
同様に、メリッサ・カンヴァス伯爵令嬢のお相手は、騎士団に影響力があるレウロペ伯爵家のご令息ですから、近々起こるかもしれない隣国との紛争の最前線に息子のボザールさんを送られたくなかったら、カンヴァス伯爵家との婚約破棄をしてもらいたいと、フォション・レウロペ伯爵に示唆なさればいかがかと。
そして、ルナ・トーン子爵令嬢のお相手は、パレス子爵家のご令息です。
あの家は、王領であるテトラ鉱山の採掘権を保有し、鉱石の鑑定料、運搬料も徴収する権限を与えてもらっていますが、その権限を取り上げればよろしいかと。
先の大戦以来の習慣として、長年に渡って維持されてきましたが、そろそろ王家に権限を返してもらう時期かと。
それだけで、レリーフ・パレス子爵は、どうして今頃、権益が取り上げられたのか、いろいろと思いを巡らせて、いずれは息子リッツさんの婚約相手に問題があると勘付いてくださることでしょう」
婚約者の母と姉は、揃って扇子を広げ、苦笑いを浮かべた。
「すっかり宰相府調査官の職務が板に付いてきたようね」
「ほんと。ウチの息子には勿体無いわ。
トマスと駄目になっても、私たちとは縁を切らないでちょうだいね」
トロワ・モンマス男爵令嬢は学園中等部の頃から、学業及び体操の成績を買われて、宰相府に雇われていた。
婚約者トマスの姉ジュルナに目を付けられた結果である。
学園に通う生徒の鑑定が主な仕事であった。
学園は将来、国を背負う予定の者たちの、能力と人となりを見る舞台となっていた。
将来、国王となる王太子と、その交友関係にある者が、いずれは国家の中枢を担うことになるため、普段はそこまで精査しないが、王太子在学中の年次は特に厳しく目を光らせて当然であった。
やがて、婚約者の父レオナルド・マルロー伯爵が帰宅してきた。
今晩、彼は来客を伴っていた。
彼の上司である、白髪の宰相アルテ・ゴンクール王弟閣下だ。
そのまま静かに二階へと上がり、執務室へと入って行く。
トロワのみならず、フェネ、ジュルナといった三人の女性が立ち上がり、お辞儀をする。
それを当然のように受けて、二人の男性は椅子に座る。
椅子の脇には小さな丸テーブルがあり、ブランデーを注いだグラスが置かれていた。
「やはりランス王太子は駄目か?」
アルテ宰相が溜息とともに口を開くと、トロワは立ったまま、眼鏡を掛け直して答える。
「はい。女の色香に弱すぎますね。
あのように、あからさまなアプローチにすら抗えないとは。
私があれほど露骨にふしだらな態度を取っても、ちょっと窘める程度で、結局はニヤついているんですから。
成績は良いんですけどね。
学者か、デザイナーなどをなさった方がよろしいんじゃないでしょうか」
宰相閣下は顎髭を撫でつつ思案する。
「第二王子のレーモンの方がやはり、マシか。
ランスの方が優等生だったんだが、やむを得ん。
女に弱いようでは重責は務まらん。
特に国王ともなると、王妃やその親族にまで、目を光らせねばならんからな。
となると、縁組自体をやり直す必要があるな」
我がグラベル王国は、四方を大国に囲まれている小国だ。
国力から言って、戦争を行うわけにはいかない。
だから、外交だけで何事も凌ぐ必要がある。
それなのに、将来の国王が、女性に対して、ちょっとのことでメロメロになるようでは、いつハニートラップにかかるかわかったものではない。
たとえ国内の女性が相手であっても、その背後に控える勢力に政治権力を専横されるのも困りものだ。
その意味では、ランス王太子の婚約者セリーヌの実家、筆頭公爵家のラングランド家と、ランスが強く繋がるのも好ましくない。
ランスが王太子として不適切であれば、出来るだけ早く関係を断たねばならない。
「自然に婚約破棄に至るよう、動いてくれ」
王弟でもあるアルテ宰相が低い声をあげると、トロワ嬢は直立した姿勢のまま答えた。
「ええ、承知しております。
取り巻き令嬢方と同じように、ランス殿下も私の言うことを鵜呑みになさっておりますから、セリーヌ公爵令嬢のことを適当に悪く吹き込みさえすれば、すぐにでも婚約破棄を宣言なさるかと思われます。
もっとも、殿下はセリーヌ嬢の代わりに私を婚約者に指名しかねないのですが、そこら辺は、双方の実家が反対するでしょうから、すぐにでも破綻する運びとなるでしょう。
そして、この婚約破棄騒ぎを口実に、王太子の座から引き摺り下ろせばよろしいかと。
ーーでも、セリーヌ・ラングランド公爵令嬢は、しっかりとしたお方のようです。
取り巻き連中とは違い、セリーヌ嬢は直接、私に手を出してこないし、私が口にすることも額面通りには信じておられない様子です。
彼女なりに、こちらの動向を探っておられるのかと」
トロワはセリーヌからの招待状を取り出し、宰相に見せて微笑んだ。
「彼女、私をお茶会に誘ってくださいました」
アルテ宰相も、セリーヌ公爵令嬢を高く評価しているようで、満足げに頷き、
「なら、良い。
セリーヌ嬢もこちらに取り込むことが出来れば上々だ」
と語り、グラスに手を伸ばし、ブランデーの香りを楽しみだす。
宰相閣下が飲酒を始めるということは、トロワ男爵令嬢の仕事は終了したという合図だ。
改めて、トロワたち女性陣もソファに座り直し、紅茶を愉しむ。
そのまま大人の男女が歓談するさまを眺めながら、トロワ男爵令嬢は、カップに口を付けつつ、いずれ行われる、セリーヌ公爵令嬢とのお茶会に思いを馳せた。
幸いなことに、例の取り巻き令嬢たちは、セリーヌ公爵令嬢から離れつつあるから、お茶会には出席しないだろう。
仮に、顔を出そうとしても、それを押し留めるよう手配してみせる。
そしてぜひとも、セリーヌ嬢とは、二人だけでお茶を共にしたい。
強くそう思った。
私、トロワが本性を見せたところで、賢明なセリーヌ公爵令嬢のこと。
さして驚かないだろう。
こちらから腹を割って話せば、仲良くなれるに違いない。
実際、ランス王太子殿下の人となりに最も失望しているのは、あの人なのだから。
(お茶会、楽しみだわ。
もし私とセリーヌ公爵令嬢とが懇意になれば、今まで反目しあっていたラングランド公爵派とアルテ宰相派とが手を組めるようになるかもしれない。
そうなれば、しばらくの間、国内は安泰だわ)
近い将来、隣り合った二つの大国が、互いに戦争を始めようとしている。
我がグラベル王国は、その大国の双方から、味方するよう要請されるだろう。
ヘタをしたら、参戦することまで要求してくるかもしれない。
巧みな外交が求められる状況だ。
我が国の維持と発展のために、私たち、若い令嬢も頑張らねばならない。
トロワ・モンマス男爵令嬢は、「腹心の友」をようやく得られそうな予感に、身体が震えるほど興奮しているのだった。
(了)




