灰色淑女の休日
兄様という名の、最高の共犯者を得た翌日。
わたくしたちは、早速、次の作戦会議を開いていた。
兄様が、楽しそうにその作戦名を告げる。
「名付けて、『オペレーション:逆シンデレラ』だ!」
「逆シンデレラ、ですって?」
「ああ。これから、麗しいお姫様が、みすぼらしい街娘に変身するんだからな!」
その計画は、こうだ。
わたくしは、懇意の侍女エマに(「少し変わった刺繍の題材を探しに、街の様子を見たいの」という、もっともらしい口実で)協力を仰ぎ、古着のワンピースを手に入れた。
それは、何度も何度も洗濯されて、元の色が何色だったのかも分からないほどに色褪せた、何の飾りもない、灰色のワンピースだった。
艶やかなプラチナブロンドの髪は、これ見よがしに目立たぬよう、くすんだ色の布で頭巾のようにきつく覆い隠す。
そして仕上げに、兄様が悪戯っぽく、庭の土をわたくしの頬に、ちょん、とつけた。
「よし、完璧だ! これなら誰も、あのクライフェルトが誇る『氷の貴婦人』様だとは思うまい!」
鏡に映るのは、みすぼらしいけれど、瞳だけがこれから始まる冒険への期待に、キラキラと輝いている、見知らぬ少女の姿。
わたくしは、その姿に恐怖よりも、どうしようもないほどの高揚感を覚えていた。
兄様は、子供の頃に探検して見つけたという、屋敷の庭師だけが使う古い通用門へとわたくしを導いてくれた。ここを通れば、正門の厳重な衛兵たちに見つかることなく、外の世界へ出られるのだ。
門の前で兄様は、小さな革袋をわたくしに手渡した。中からは、ちゃりん、と小銭の音がする。
「いいか、アリアンナ。絶対に、危ない場所には行くなよ。困ったことがあったら、すぐに衛兵にクライフェルトの名を告げるんだ。それと…」
兄様は、いつもの軽薄な笑みの奥に、真剣な光を宿して言った。
「門限は、日暮れの鐘が鳴るまでだ。約束だぞ」
「はい、兄様!」
わたくしが力強く頷くと、兄様は満足そうに微笑み、わたくしの頭をくしゃり、と撫でた。
そして、ついにその時が来た。
わたくしは、通用門の、錆びついた鉄の取っ手を、そっと押し開ける。
――生まれて初めて、誰の付き添いもなく、たった一人で、王都の喧騒へと足を踏み出した。
門を一歩出た瞬間、わたくしの世界は、一変した。
貴族街の水を打ったような静寂とは無縁の、生命力に満ちた音が、わたくしを包み込む。
荷馬車を引く馬のいななき。
野菜を売る男の、腹の底から出すようなダミ声。
母親を呼びながら、石畳の路地を駆け回る子供たちの、甲高い笑い声。
そして、匂い。
パン屋の窯から漂ってくる、香ばしくて、少しだけ甘い匂い。
異国の商人たちが広げる、スパイスの刺激的で、鼻をくすぐる香り。
懸命に働く人々の、汗の匂い。
全てが混然一体となって、わたくしの五感を、優しく、しかし容赦なく刺激する。
『これが…これが、わたくしが守るべき国の、本当の姿なのね。なんて、力強くて、温かくて…そして少しだけ、怖い場所なのかしら』
わたくしは、あてもなく、その喧騒の中を歩き始めた。
色とりどりの洗濯物が、路地裏の空ではためいている。
露店には、真っ赤に熟したリンゴや、瑞々しい緑の葉野菜が、山のように積まれている。
何もかもが、完璧に調和され、管理された屋敷の中とは違う、混沌とした、しかし抗いがたいほどの美しさに満ちていた。
やがてわたくしは、道端の小さな露店に、足を止めた。
そこには、貴族の宝石店には決して置かれていないような、素朴で温かみのある品々が並んでいた。
その中でわたくしの心は、一つの品に完全に奪われてしまった。
それは、丁寧に丁寧に彫られた、木彫りの、一羽の小鳥の髪飾りだった。
一度目の人生では、ダイヤモンド以外の石ころに、価値はないと教えられてきた。
けれど、今のわたくしには、職人の指の温もりが感じられるこの木の鳥が、どんな高価な宝石よりも、ずっとずっと、価値があり、美しく見えた。
わたくしは、兄様から貰った小銭を、ぎゅっと握りしめる。
そして生まれて初めて、自分の意志で自分のためだけの買い物をしようと、店の主人に声をかけた。
『わたくしの人生は、ずっと誰かに与えられた宝石を、ただ身につけるだけのものだった。けれど、これからは違う。わたくしが本当に美しいと思うものを、自分のこの手で選んでいくのよ』
わたくしのささやかで、しかし偉大な休日は、自分だけの宝物を見つけることから始まった。
その道の先で、わたくしの運命そのものを、根底から揺るがすほどの、劇的な出会いが待っていることなど、この時のわたくしは、まだ知る由もなかったのだ。




