完璧な人形は、喝采の中で砕け散る
毎日16時に1章ずつ投稿していく予定ですのでよろしくお願いします。
ぱちん、と。
どこかで、何かが砕け散る音がした。
それは、天井で星屑のように輝くシャンデリアの飾りか、それとも、誰かが手から滑り落としたシャンパングラスの音だったのかもしれない。
けれど、わたくしには分かっていた。
今、砕け散ったのは、他の何でもない。わたくし、アリアンナ・クライフェルトが、その人生の全てをかけて築き上げてきた、完璧だったはずの世界、そのものだったのだと。
「――よって、アリアンナ・クライフェルト! 貴様との婚約は、この場を以て破棄する!」
雷鳴のように轟いたその声は、わたくしの婚約者であるはずの、このエルムガルド王国の王太子、アルブレヒト殿下のものであった。
彼の力強い腕に、手首を骨がきしむほど強く掴まれ、晒し者にされている。痛い。違う、痛いのは手首じゃない。まるで氷の杭でも打ち込まれたかのように、心臓が、痛い。
殿下の隣では、守られるようにして立つ男爵令嬢、リゼットさんが、潤んだ大きな瞳でか弱く震えていた。庇護欲をそそるその姿に、会場の貴族たちからは同情的な囁き声が聞こえてくる。
けれど、わたくしには見えていた。
殿下の逞しい腕の影に隠れた彼女の口元が、わたくしにだけ見える角度で、ほんのわずかに、満足げに吊り上がっているのを。
「君のその完璧さには、もううんざりだ!」
ああ、まただ。殿下は、まるで正義のヒーローを演じるかのように、その美しい顔を悲劇的に歪めて叫ぶ。
「人の心を凍らせる、氷の鎧! その冷たい心で、か弱く心優しいリゼットをどれだけ虐げれば気が済むのだ!」
虐げた、ですって?
わたくしが、いつ?
違う。違う、違う、違うわ。わたくしは、あなたのためにこそ、完璧であろうとしただけ。あなたの隣に立つ妃として、誰からも侮られぬよう、感情を殺し、淑女の仮面を貼り付けてきただけなのに…!
喉の奥から、叫び声がせり上がってくる。けれど、声にならない。長年かけて身体に叩き込まれた「淑女は感情を露わにしない」という鉄の枷が、最後の最後で、わたくしの喉を締め付けていた。
「……」
わたくしは、唇を噛みしめることしかできなかった。
周囲の貴族たちから、嘲笑と侮蔑の視線が突き刺さる。
「やはり…」
「氷の貴婦人などと持て囃されていたが、ただの嫉妬深い女だったのね」
「それに引き換え、リゼット様はなんてお可哀想に…」
昨日まで、わたくしのサロンに招かれることをあれほど熱望し、甘いお世辞を並べていた令嬢たちの、手のひらを返したような残酷な囁きが、耳の中で不協和音を奏でる。
わたくしの沈黙を、罪を認めたものと解釈したのだろう。殿下は、勝ち誇ったようにリゼットさんの肩を抱き寄せた。
「真に国母たるべきは、リゼットのように、人の痛みに寄り添える純真な魂の持ち主なのだ!」
わたくしが悪役令嬢だと決まっているかのようだ。
ああ、なんて独りよがりな正義。
その時だった。殿下の腕の中から、リゼットさんが、一瞬だけ、わたくしに向かって視線を送った。
その瞳に宿っていたのは、怯えでも、涙でもない。
全てを嘲笑うかのような、勝利を確信した、昏い、昏い侮蔑の色。
その視線が、かろうじて立っていたわたくしの心を砕く、最後の刃となった。
視界が、ぐにゃりと歪む。
シャンデリアの光が、網膜の上で滲んでいく。
耳鳴りが、全ての音をかき消していく。
ああ、これが、私の完璧だった世界の、終わりの音――。
意識が遠のく中、わたくしが最後に見たのは、人垣の向こうで、絶望に顔を歪ませ、こちらに向かって必死に手を伸ばそうとしている、兄、フェリクスの姿だった。
その伸ばされた手も、わたくしには、もう届かない。
わたくしの世界は、喝采の中で、粉々に砕け散ったのだから。