0 プロローグ 「ここなら、きっと大丈夫・・・。」
彼女はムカデの一種である『ゲジ』
蟲でした。
6月の中すぎの、夜のことです。
そこは、冬には雪が積もる地域にある、ちょっとした田舎町でした。
そこに数件の家と建ち並ぶ白壁の一軒家がありました・・・。
その家の北向きの玄関へと続くコンクリートの階段の下には、小さな子供なら入れるぐらいの隙間がありました。
ですから、そこは危ないので、金網がされて塞がれてました。
太陽が直接当たらないそこは、年中、日陰になってました。
だから真冬に土の表面が凍ることがあっても、乾くことは無かったのでした。
6年も生きられた。
6年も食べて。上手く逃げ延びて。越冬して。
今日まで生き抜いてきた。
それは『メスのゲジゲジ』
本当は『ゲジ』って言うのだけれど、皆には「ゲジゲジ」って言われることが多い、ムカデの一種の蟲でした。
そんなゲジゲジのメスである彼女に残された寿命は、もう、そうは長くないはずでした。
人にも一定の寿命があるのと同じように、ゲジゲジにも一定の寿命があるのです。
彼女の寿命は、もう数ヶ月かも知れません・・・。
しかし、彼女にとっては、毎日『今日を生き延びる事』を繰り返すだけで、ここまできたのでした・・・。
寿命で死ねる彼女の仲間は、本当に、とても少ないのでした。
その殆どは、自分達よりも強い生き物に捕えられて、食べられて死ぬからです・・・。
他にも、川に流されたり。何かに踏まれたり。
農薬や、殺虫剤で殺されたりもするからです・・・。
「ここなら、良いんじゃないかな・・・?」
彼女は、コンクリートの階段の下の湿った土の感触を確かめると、そう思いました。
いや、そう感じただけかも知れません。
土は固すぎなかったので、彼女は土に卵を産み落とすと、体の前後から長く伸びる触覚と、辺りが良く見える複眼を通して卵の状態を確かめると、29本の脚をとても器用に使って、卵を保護するのに丁寧に土を掛けながら、粘り気のある土を卵に塗って保護しました・・・。
そうすることで、卵を乾燥から守るのです。
彼女は誰に教えられる事もなく、いつもそうして卵を産んできたのですが、今日は脚が1本少ないので、少しだけ苦労してました。
彼女の脚は、本当は左右に15本づつで合計30本もの脚が有るのですが、3日前にカナヘビに襲われそうになった時に、囮として1本切り落としたので、今は29本の脚となっていたのでした。
彼女が切り落とした1本の脚がピクピクと動いて、同時にギシギシと音を立ててカナヘビを引き付けてくれたので、彼女はこうして卵を産めたのでした。
彼女がもう少し若ければ、次の脱皮の時に、その脚は元に戻ったでしょう。
でも、彼女には、もう、次の脱皮をするだけの生命力は残ってませんでした。
誰よりも、彼女がそのことを感じてました。
1年に何度か産卵するゲジゲジでしたが、彼女にとっては、もしかしたら、この産卵が、彼女の最後の産卵になるかも知れないのでした・・・。
産卵を終えて、少し疲れを感じた彼女は、節でできた体を左にくねらせ、もう一度、卵の状態を触覚と複眼で確かめました。
「ここなら・・・きっと・・・。」
彼女は、そう思うと、もう最後の子供達になるかも知れない卵達をお尻の触覚で撫でて、そっと別れを告げました・・・。




