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第72話 俺何かやっちゃいましたか

「ナオミが風呂から出てくる前に話を終わらせるよ。三輪山説話の類型の1つである蛇と人間との間に生まれた大神惟基オオミワコレモトは、夏冬の区別なく手足にアカギレがあり皮膚がひび割れていたため『あかがり大太』と呼ばれていたという伝承が残っていて、『平家物語延慶本』にはこの男の背に蛇の形ありとしている。マヤが気にしていたナオミの手の指もこの話と関連付けようと思えばできるし、ただの偶然かもしれない。アザでもアカギレでもなく、できものだけれど、日本の岡山というところに住んでいた家筋では、嫁いでその家をでた最も年長の女には生まれた女の子に黄緑色のできもの『ミコガミガサ』が生じるとされている。一代飛ばして孫にできたという例外もあるが、その家筋の屋敷内には地主様という石がマツられていて、ミコガミ様が最も年長の女について家を出てしまうらしい。『ミコガミガサ』が生じた女の子は実家にかえりミコガミ様を戻す風習があった*」


「まさかとは思うけれど、その話。あんたが今創った話ではないんでしょうね? ちょっとできすぎ」


「私もそう思いました。但馬さんは私たちを騙そうとしていませんか?」


 ……友人や家族相手であれば、こういうカツがれているのではないかという反応はいつもの事だけれど、実際何度もやらかしているから通常の反応だが、マヤに誠実な男だと思われていないというのは一寸チョットへこむな。俺はどこで間違えたのだろう?


大神惟基オオミワコレモトの話は偶然で片づけられるし、ミコガミ様の話は似ているというだけでナオミと重ねるのは無理がある」


「では話さなければ良かったのではないでしょうか?」


 真っ直ぐに俺を見つめるロミナ。今日はよく視線が合う。


「民俗学の説明で安易に蛇神を引き合いにしたのが間違いだという叱責は認める」

 豊かな関係性を醸成するために笑いの幅を広げるのは止めて、大切な相手から疑われないよう、誠実な男を演じ切ると誓ったはずなのに、長い間色恋から離れていたから俺は又失敗したかもしれない。

 男相手ならふざけている時と真面目な話をしている時の切り替えで問題は起きないのに、何故女はそういう切り分けをしないのだろうか。

 もう手遅れのようだけれど、ここは言い訳せずに謝罪しておくしかないな。


ワタシめも不適切な話を聞かされたと感じました。こんな話を聞かされては今後ナオミさんのことを色眼鏡で見てしまいそうです」


 子供が自分の言葉に責任をとらないことに腹を立てても仕方がないが、お前がそれを言うのか……俺の警告は全く無意味だった。


 廊下と洗面所を仕切るアコーディオンカーテンを開けたバサーという音が聞こえた。


「マヤには朝食を手伝ってもらうから、ロミナとリンのどちらかがナオミにヘアドライヤーの使い方を教えてあげて、それと風呂に湯を入れているなら湯も抜いておいて」


 ロミナとリンが顔を見合わす。


「わたくしが参ります」


 ロミナの申し出にリンが安堵の表情を見せる。確かリンもマヤたちにフレンドリーアピールをやっていたし、ロミナよりリンの方がヘアドライヤーを使い慣れているはずなのに、女の行動原則は本当にわからない。


 話を打ち切られたウィルマは不満顔でソファーへ座りに行き、ナオミの世話をロミナに押しつけたリンはTVのリモコンを手に取ってからソファーに座る。2人共朝食の準備を手伝う気はないようだ。「手伝え」と言ったら何と言い返してくるのだろうか?


 マヤとキッチンに入る。

 前回はロミナ・リン・ウィルマと俺・マヤで、2回朝食を用意した。メニューは同じだが俺の単純ミスで単価の高いソーセージをリン達に振舞うのをうっかり忘れてしまった。今朝は生ハムを用意したのだけれど、同じミスを繰り返さないよう6皿均等に価格帯の違う生ハムを同量ずつ載せていく。


 5種類サラダ盛りはマヤに任せている。


 ハード系パンのバゲットに霧吹きで水を軽くかけてアルミホイルで巻きオーブンに並べ再加熱する。


 パンを焼くために食事中何度か往復することになるが、今日は一緒に食べるつもりだ。まさか俺の手がついた皿から生ハムだけを掻っ攫っていく奴はいないだろうと信じたい。


 焼き上がった最初のパンをオーブンから取り出していると、ロミナがキッチンに戻ってきてソファーに座った。続いてリビングに入ってきたナオミはソファーに座る3人とキッチンにいる俺達2人を見比べている。


「丁度パンが焼き上がったところだから、空いている場所に座って」

 リビングに入ってナオミにソファーを指差す。

 ツイデにリンからリモコンを取り上げて音楽の選曲をはじめた。


 見目よい女性5人との朝食。念願のハーレムライフ。心が躍る。今朝はレイモン=ルフェーヴル=グランド=オーケストラから『シバの女王』『月光のソナタ』『夜間飛行』等のベタな選曲をした。異世界人にはわからないのだから問題はない。誰もがうんざりする程聞かされた曲ということは、そのこと自体が名曲であることの証左なのだから。


 スピーカーからイージーリスニングが流れはじめると、オビえた小動物のように右へ左へと顔を振るナオミを横目にキッチンへと引き返す。


 同じ要領でパンをオーブンに入れると、パン・生ハムを並べた皿・サラダを盛ったボウル・3種類のドレッシング・果汁100%のジュース3種とコップをマヤと2人でテーブルに並べていく。


 ウィルマだけ朝の手洗いをしていないような気もするが、足を拭っているときに百均製高濃度アルコール大判ウェットシートが仕事をしてくれたと信じている。


「各自に配った皿とボウルのお代わりは無いから、食べるパンの量を想定して盛り付けるようにして、パンは今も焼いているから順次追加していく。ドレッシングとジュースはお好みで、ナオミは口にできない食べ物や飲み物ってあるの?」


「そういうんは無いけれど、あんさんらは今から朝食なんやろ? 朝や昼や、なんやようわからんけれど…… いっつも朝からこんなに食べてはるん?」


 口を半開きにしてテーブルを眺めていたナオミは、俺から声を掛けられると上目遣いで聞き返してきた。

 さらさらの長い黒髪が流れるように動く。

 男の庇護欲を誘う完璧なシチュエーション。マヤのように狙ってやっている印象はなかった。


「俺の自宅であればこれが普通だけれど、ダンジョン内でこういう朝食は期待しないで」


「普通って。2日前の朝食は缶詰とパウチ入りパンしかなかったじゃない!」


「子爵様のご招待から帰還した翌日だろ。買いに行くには疲れていたし、買い置きもなかったのだからそういう例外もあるさ」


 不満そうに顔を横にソムけるリン。確か16歳だったか。まぁ日本基準だったらまだ子供だよな。


「では食べようか」


 最初にドレッシング、次いでジュースの取り合いになる。というか、リンとウィルマが上品に狙ったものを掴みにいき、先を越された側がさも最初からジュースを狙っていましたよと伸ばした手の方向をかえていた。その後、マヤとロミナが互いに譲り合いながら残りから選んでいる。ナオミは無言の競り合いに眼をパチクリさせ手が止まっていた。


 手の止まったナオミに気がついたマヤがドレッシングの説明をはじめる。

 続いてリンが野菜とドレッシングの組み合わせでお勧めの講釈をはじめた。

 その話題に乗っかって、ウィルマも異なるドレッシングをかけ合わせる味変について語りだす。


 言われるままに、サラダへ違う種類のドレッシングを少量ずつかけては口に運ぶナオミが笑顔を見せる。

 こいつら「サラダをやるから生ハムを寄越せ」と言い出さないだろうなと疑心暗鬼になる俺と、黙食を楽しむロミナ。


 華やいだ女性の声が飛び交う朝のテーブル。

 イージーリスニングが2曲終わるのを目安に、俺はキッチンへパンを取りに行く作業を幾度か繰り返す。




 女性陣が食後の指洗いやクチススぎと身支度をしている間に朝食の後片付けをすました。

 家の戸締りを確認し装備を身につけはじめる。


「但馬さん。今回は大きい方のテントも持って行ってくださいませんか?」


 マヤの後ろにいるリンがウナズいている。ケシカけたのはリンか。


「マヤから見て不要な装備ってある?」


 マヤは首をカシげながら俺のバックパックから1点1点取り出していく。


「なんぞ持って行くもんがあるんやったらアテが持とか?」


 遠慮がちながらもしっかりした声が上がった。


「試しに担いでもらえる? 見た目より重いから気をつけてね」


 4人用のワンタッチテントが入った収納袋をダンジョン公社製の丈夫ジョウブな帆布70Lのバックパックに無理なく収める。ナオミは何かに少し顔をしかめたが、俺の手助けを受けながら背負い込むことができた。


この程度(コンナン)どーてことあらへん」

 かきあげたナオミの長い後髪がバックパックに被さる。洗髪剤の香りが周囲に広がっていく。


 ……今の日本の女性で4人用のワンタッチテントを担いで同じことを言ってくれるのって、何割りぐらいの人がいるのだろうか。

 そう思いながらナオミにバックパックが身体にフィットするよう各部のストラップを調節するように指示する。 

ついでにサイドコンプレッションベルトを延長し、テント泊用のエアーマットを取り付けてあげた。

 ときどき漏れる小さい声を聞きながら、異世界にも「セクハラ」に類する概念があるのか、ちょっとだけ気になった。



{装備品}

・寝袋×6

・エアーマット×6

・ワンタッチテント 1人用×1 4人用×1

・純チタン製水筒 2L×7

・ナイロン テグス(釣り糸)200号 500m×6

・夏用毛布(圧縮済)×6

・泉州フェイスタオル 中厚手×6

・旅行用歯磨きセット×6

・鈴×18

・バックパック[帆布製70L]×5


・バックパック[帆布製110L]

・サイザルロープ 50m 太さ9mm

・固形燃料コンロ×2

・折りたたみ火起し器×1

・ファイヤーピストン×1

・備長炭 2kg×1

・着火剤 ×60

・防水マッチ×25

(ハゼノキ)ろうそく(燃焼時間70分) 3匁×8

・パラフィンオイル500ml ×3

・調理鍋(フライパン兼用)×2

・伐採斧1844 Helko Werk Germany(全長79cm/ヘッド重量1.6kg)×1

・青紙土佐打ナイフ(全長30cm/刃渡15cm)×1

・多機能ナイフ

・カトラリーセット(木製)

・火ばさみ

・方位磁針

・公社製腕時計

・低価格腕時計

龕灯(ガンドウ)

・パウチ入り防災パン×50(総重量 2.6kg)

・缶詰 肉/焼き鳥/カレー缶/おかず缶/16種×2(総重量 2kg)

・緑茶・紅茶・コーヒー 各10袋

・携帯薬入れ

  解熱鎮痛薬/抗生剤軟膏/消毒アルコールゲル/塩タブレット/

  ピンセット/ホチキス/ホチキス針

・サランラップ

・ガムテープ

・ニトロセルロース接着剤(180mL)

・スチールボール6mm×200

・アウトドア用洗濯道具各種

・ドライシャンプー

・ドライシャンプーシート メンズ

・ボディシート

・トイレットペーパー

・タバコ1箱

(百均商品)

・ウェットシート

(ノコギリ)

・ミニハンマー

・釘セット

・手芸道具各種

・補修用 布/皮

・衣類圧縮袋(ハンドポンプ付き) 特大2枚 大2枚 中2枚

・レジ袋M10枚

・結束バンド50本




 寝袋・エアーマット・毛布・パウチ入り防災パンといった人数分あるものは各自のバックパックに振り分ける。

 俺のバックパックには詰め込めるだけ詰め込み、入らない分はロミナのバックパックに入れてもらった。

 マヤ・ウィルマ・リンは戦闘と同時にバックパックを足元に落とすので、個人用私物が追加で入っているだけで他は入れていない。パンは渡したが缶詰は俺のバックパックに入れてある。70Lは大きすぎるからマヤ達は私物のバックパックで良さそうなのに、何故かマヤが俺の買ってあげた帆布製バックパックを使うと言い出し、リン・ウィルマも私物ではなくダンジョン公社製帆布70Lバックパックを選択した。


 出発の準備がトトノったのか全員の顔を見回して確認し、最後にマヤへ視線を向ける。

「家令さんが合意してくれればダンジョン内で1泊せずに済むのだけれど、マヤが言っていたように宿泊させてほしいというお願いは断られた?」


「申し訳ありません」

 神妙な顔で頭を下げるマヤ。


「いいよ。マヤが頭を下げることではないから」


「なんや、そないなことやったらアテのとこ来るか?」


 あの爺さんとはできれば顔を合わせたくない。

 あの頭の回転の速そうな思考能力と向き合ったら、数分で俺のことが丸裸にされそうだ。


「気にしなくていいのよ、ナオミ。ダンジョン内で泊まりたくないなんていう軟弱なことを言っているのはそいつ1人なんだから」


「せやかてお爺様の呪詛スソシズめてもらったお礼もできてへんし、鏡つこーて自由に出入りできるんやったらちゃんとした寝室ネシツもあるよって使ツコうたってや」


 女性陣4人が互いに顔を見合わせる。何故かマヤも含めて誰も俺を見ようとしない。


「ナオミさん。貴族家には体面というものがあります。予告無しに他家へ押し掛けることはできないのですよ」


「さいでっか。貴族ゆうんはえろーけったいなんやな」


 ウィルマさんグッジョブ。さすがは俺たちのウィルマさんだ。


「行くよ」


 事前に決めた順番で自宅ベランダからダンジョンへ入って行く。


 今回は第2層の魔物をウィルマが狩ることになっている。

 例によってハンドサインの確認をしながら進むのだが、1度しか聞いていないナオミは間違えないのに、横で聞いていたはずのウィルマが覚えていない。


 スケルトンをナオミの[ターン アンデッド]で破壊した後、ウィルマに対しては全て覚えているかの再確認をした方がよさそうだ。


 第2層の魔物を掃討し3層・4層・5層と進んで行くと、第6層への入り口、第5層最奥にまでやってきた。

 3層~5層にリポップした魔物はいなかったが、ヒルのいる空間だけ魔物を放置というのは何ともおさまりが悪い。[火球]で焼き払って良いかという俺の提案は何故か無視された。


 お昼をやや過ぎた時間になっていたが昼食にする。

 最初に折りたたみ火起し器を組み立て着火剤を置いておく。

 ファイヤーピストンに火種をセットし着火させ、直ぐに着火剤へ火種を移す。

 備長炭が爆ぜないように着火剤から少し距離を置いた場所に炭を置き、水分を飛ばしながら徐々に火へ寄せていく。

 着火剤の燃焼時間は10分位あるが、5分程かけて水分を飛ばした炭を逐次チクジ火の上に置いていった。

 火のまわった炭を固形燃料コンロに移し鍋をかけ、予備の水筒から2lの水を鍋に注いで水が沸騰するのを待つ。


 城塞との往復で繰り返した作業なので見飽きたのか、マヤ達は缶詰選びに余念がない。

 ナオミだけが物珍しそうに隣で俺の手元を覗き込んでいる。

 出会った初日。マヤに手料理を振舞ったときのことをちょっと思い出した。ナオミとの距離はマヤとかわらないが、確かマヤはナオミのように肩や二の腕を当てなかったような気がする。


「もう少ししたら水が沸くからナオミも缶詰を1つ選んできて」

 そう言って俺のバックパックをアサっているマヤ達を指差した。


「缶詰って何や?」


「食べ物のことだけれど、口で説明するより見た方が分かり易いから向こうへ行って選んでおいで」


「但馬はんは何を選びはるんや?」


「……焼き鳥かな」


「ほなアテもそれでええわ」


 会話が聞こえたのか、マヤがバックパックから缶詰を3個取り出し、手元の1個をバックパックに戻している。


 マヤがこちらに近づいてきたのをに、缶詰を手に持ったパーティーメンバーが鍋をかけたコンロの周りに集まってきた。水はまだ沸いていない。


「もしかしてナオミは[水生成]の魔法を使えるのかな?」


 黙って見合うのも息苦しいので話題をふる。


「だせるよ! なんやったら今使(ツコ)うか? そんなことやったらお安いご用や。今日は1回しか使われへんけどな。明日からは日に3回(アテ)が水を用立てるで」


「ロミナはどっちが好ましいと考える? ロミナとナオミに日に1度ずつ頼むのと、ナオミに3度水を出してもらうのと」


「……1回はわたくしが承ります。神官様の魔法は応用範囲が広いので中位の[クリエイト・ウォーター]といえども日に1回か2回で留め置かれてはいかがでしょうか?」


「ナオミは他にどんな魔法が使えるのかしら?」


アテ? せやなー、ここにおる人ら全員の1日分食料も出せるでー。せやけど塩漬けの肉や魚とか生の麦やさかいに、毎日3食(アテ)が出したんを食べれるお人はおらへんのとちゃうか」


「そ、それは確かに難しそうね。ナオミさんは高位魔法も使えるの?」


「高位でっか? 高位は日に1度だけやね。即死やなかったら手足をせても元の健康体に戻せるとか、アンテッドに弱体化された人を元に戻したり、後はあんまり使うな言われてるんやけど[アースクウェイク]も使えるで、せやかてダンジョン内で地震を起こすアホウはおらんけどな」


 ロミナを含む女4人がひきつった笑いを浮かべている。ちょっとコワい。

 ひょっとしてパーティーメンバー6人の中で、ウィットに富んだナイスでホットないけてるジョークが言えるのは俺1人だけではないだろか。


 そういえば第1層の最深部は天井から岩が崩れ落ちて通路が塞がっていた。あれも地震の影響なのだろうか?


 鍋底に細かい気泡ができ表面に湯気が立ち始めてきた。40℃を超えたぐらいだろうか。

 そのまま鍋の湯を眺めている。女性陣は持ち寄った缶詰だけではなく、違う種類の缶詰もバックパックから取り出しナオミに中身の説明をはじめた。


 水面が激しく泡立ち煮立ってきたので、鍋をコンロから持ち上げ直置ジカオきし、缶詰を湯に沈めていく。

 コンロの上に折りたたみ火起し器を重ね、コンロ側面の空気口を塞いだ。


 何も指示をしていないのに、気がつけば女達の前にはパウチ入り防災パンが2個ずつと私物らしきパンが置かれている。並べて置いてある水筒のコップからは紐が垂れ下がっていた。


 無惨にも取り散らかされた俺のバックパックの中身。封を切られた紅茶とコーヒーの箱が目にとまる。


 缶詰は洗わずに入れたのに、直置ジカオきした鍋の湯をそのまま飲み物に使うつもりなのだろうか?


「そのコップに、この鍋の湯を注いでいけばいいのかな?」

 念のために聞いてみた。もしかしたら俺の勘違いかもしれない。


「あんた、鍋は1個しか使っていないじゃない。何で当たり前の事を聞いてんのよ?」


 ……当たり前らしい。ご丁寧に誰もいない場所にもパン2個と紐が垂れ下がったコップが置いてある。水だしコーヒーって聞いたことはあるが試してみるのも一興か。砂糖もミルクもないブラックになるが。


 火ばさみで缶詰を取り出そうと考えていたが、カトラリーにした方がよさそうだ。もっとも炭の付いた火ばさみの方が浄水効果はありそうだけれど、今俺だけが気にしているのは水に混入している不純物なんだよな……“文化的な差異”か。


 鍋を持ち上げると1人1人の前に缶詰を給仕していく。

 ナオミには缶詰の開け方と、中身が噴き出す可能性を説明し注意をウナガした。


 もう1周してコップに湯を注いでいく。

 ちなみに俺の給仕に一声言葉をかけてくれたのはマヤとナオミだけだった。

 機械的な程にバカ丁寧なロミナが何も言わないのは、侯爵家の教えなのだろうか?


 覆いを取っ払った龕灯ガンドウを中心に、ほぼ正六角形の頂点、それぞれ約2メートルの距離を置いて各々(オノオノ)が静かに座っている。

 俺の隣はマヤとナオミ。反対側がウィルマ。

 これと言った話題もないので、第6層でのフォーメーションと基本的な戦術を確認する。


「先鋒はウィルマ。次鋒がマヤ。ウィルマへの応援が必要かどうかはマヤに一任する。マヤは多方面からの襲撃があるかもしれないと常に念頭において行動して。もし後方や側方からの攻撃があったらマヤが対応し、ウィルマは動かないで周辺警戒をオロソかにしないよう警戒を続けて。マヤ単独での対応が難しいとウィルマが判断したらその場合は応援してあげて。状況に応じてリンはウィルマの位置に移動するなり全体の位置取りを考えて行動し背後の警戒と援護。ここまでで異論のある人はいるかな?」


 やや不満そうな表情をしているマヤも含めて全員がウナズいた。


「中段は俺。左右にロミナとナオミ。通路を進む間は側方の警戒を重点的に行って欲しい。戦闘がはじまったらロミナは自主判断に任せるけれど、ナオミは戦闘よりも周辺警戒に注力、ナオミの治癒魔法も必要だと思ったら自主判断に任せるから躊躇タメラわないで適時テキジ行ってほしい。ナオミが使える治癒魔法の6・7割が使用されたらそこで撤退するつもりなので4割位使用したら申告してね」


 今度のはロミナを除く4人が不満そうな顔をした。


「時間制限があるのなら兎も角、リポップ間隔が長いのだから翌日再アタックする方針は改めないよ」


「誰も不満なんか言っていないでしょ! あんたがチキンなのはもう皆わかっているわよ」


「後ろ備えは引き続きリンに任せるから頼むよ」


「あんた第6層では後ろから襲撃されるって本当に思っているの? 慎重も度を越していない?」


「備えておくことは悪い判断ではないだろ?」


 リンが息を吸い込んで何かを言おうと、一拍の間が空いた。


「但馬様。リン様は何故但馬様がそう予測しているのか、その判断の根拠をお尋ねになられているのではないですか?」


 小さいがよく通るロミナの声が、リンの感情をクールダウンさせる。




 ……判断の根拠ね。

 お前たちは全員2週間以内に製造された炭素体ユニットで、俺が異世界と呼ぶ場所やダンジョンはTV番組が用意した可能性。

 そろそろ視聴率を気にしはじめたプロデューサーが軽いノリで「ここらで1体消えてもらおうか」と考えているかもしれない可能性。

 そんなところかな。


「お話ししていただけませんか?」


 人工的な造形美を思わせるロミナの美しい顔が真っすぐに俺を見、普段の諦観テイカンした目ではなく透徹トウテツした視線を向けてきた。


「スタージョンという作家が『常に絶対的にそうであるものは、存在しない』という言葉を残している。俺が気にしているのは可能性の話であって予言ではないよ」


「お話ししてはいただけないのですね」


「リンが言う通り俺はチキンだから。不測の事態に備えたいだけのことだが、もしかして皆を不安にさせているのだろうか?」


「……そうかもしれませんね」


 ロミナの最後の言葉は龕灯ガンドウに視線をやってからのことだった。

 なんとなく何かを失ったような気がした。


「フォーメーションについては了解が得られたから次は戦術の確認だね。以前話したときにはいなかった人もいるからもう1度繰り返すけれど、相手に遠距離攻撃能力がある場合は絶対に突っ込まないで1度後ろに下がって」


 ウィルマに視線を向ける。


「先鋒だけが取り残されるという事態は誰も望んでいないのだから、ウィルマは特に背後からの声に注意して『撤退』の声が上がったら従って欲しい」


「後ろに下がってどうするのですか?」


 挑発するような視線を向けてきた。まぁことウィルマに関しては初対面からこういう視線だったが。


「追いかけてきたら曲がり角で迎え撃てばいい。追いかけてこないのであれば俺が[火球]を放り込むよ」


「その魔物が火に対して絶対防御が可能であれば?」


「その場合はウィルマさんにおマカせする」


随分ズイブンと虫のいい話をしていると、自覚はありますか?」


 一瞬視線をロミナに向けかけたが自重した。もうロミナは俺を見ていない。


「誰にも対応できないのであればこのダンジョン踏破はそこで諦める。ウィルマはその場所で子爵領に帰って良いよ。もう2度と会うことはない」


「貴方がそう決めたのならそれに従いましょう」


 言葉と表情が一致していないウィルマも俺から顔を背けた。


 中高生時代以降の食事。単数であれ複数であれ何時もの事だが俺1人が話している間に全員ほぼ食べ終えたようだ。何時ものように目の前にある食べ物を手早く口に入れた。


 マヤと火まわり品の清掃と片付けをしているとナオミが手伝いたいと言ってきた。

 正直、コンロや火起し器の放熱待ちなので手早く片付けても仕方がないのだけれども、断ると角が立つので熾火オキビ状態の炭を火ばさみで細かく砕いてもらう。消火用の水は最小限にしたいので、砕いた炭があまり飛び散らないように注意するよう頼んだ。

 ナオミが水を出せるのであれば鍋の水を予備の水筒に戻す必要はないが、実はできないと言われたら笑えない。


 龕灯ガンドウの明かりで教科書を読んでいたリンが本を閉じ、ロミナに話し掛けるもロミナは首を左右に振っている。


「ナオミ! 食後の軽い運動をするから手伝って」


 最近は俺・マヤとロミナ・リンで固定されていたペアだが、今日はロミナがリンの誘いを断ったようだ。

 火まわり品には未だ余熱があるので俺もマヤと軽い柔軟をはじめた。


 だらだらと柔軟運動をしている間に火まわり品も冷めたのでバックパックに片付ける。


 第6層への入り口。銀白色の霧の中へ順番に入って行く。



 そこは広大な空間だった。


 ヘッドライトをスポット照射し最大照射距離の150mで周囲を照らしたが壁は見えなかった。正面、比較対象物がないのではっきりとはわからないが、50mか70m先に石柱が立っている。


 警戒しながら慎重に進む。ヘッドライトは170度大角度の投光照明に切り替え、覆いを取っ払った龕灯ガンドウをナオミに持たせて周辺警戒を頼む。


 目の前には第3層で見た柱状節理、高さ1mぐらいの六角形の岩柱。

 その上には羊脂白玉が鎮座していた。羊の脂のように白く、きめ細やかで、しっとりとした質感があり、ワズかに青や黄や赤を帯びているように見える。直径は30cm位の真円球。もしこれが本物の翡翠ヒスイであれば中国だとどれぐらいの高値がつくのか全く予想できない。誰も存在を知らない小国の国家予算位の金額にはなりそうだ。


「但馬さん。お探しのダンジョンオーブはオソらくこれだと思います」


 6人が石柱を取り囲んでいる。多分誰も背後を警戒していない。

「[邪悪感知][危険感知]」

 念のために魔法を使ったが特に反応はなかった。


「これがダンジョンオーブだと断定できる人はいないの?」


「いるわけないでしょ! 何処にでもある物じゃないのよ。でも話に聞くダンジョンオーブはダンジョンの最深部、石柱の上にある白い石だと言われているのだからこれで間違いないわよ」


「ロミナはどう思う?」


「わたくしもこれがダンジョンオーブだと思います」


 心ここにあらずといった風のロミナはオーブに見惚れたまま機械的な返事を返した。


「ナオミはダンジョンオーブについて何か聞いている?」


「知らんにゃ」


 返事が少し遅れた。ナオミもオーブに目を奪われている。真珠が美しいというのはわからなくもないけれど、ギョクに見惚れるという感覚は今一つわからない。


「マヤ。ダンジョンオーブを砕けば魔物の発生が止まるんだよね?」


「えっ? あっ! はいそうです」


 槍で突いて砕くより剣を叩きつけた方が砕けそうだ。そう思い見回すと、ウィルマの重そうな長剣が目にとまった。マヤの片手剣よりもこれがちょうど良いのではないだろうか。


「ウィルマ。オーブを砕くのに君の剣を貸して」


 面倒臭そうにウィルマは抜いた長剣を俺に差し出した。目はオーブに釘付けだ。

 受け取った長剣を振り上げる。何か気の利いた事を言った方が良いような気もするが、どうせ誰も聞いていない。


 俺は長剣を振り下ろした。


 想定していたより容易く長剣はオーブに切り込み、振り下ろした勢いが止まらないまま岩柱に食い込む。


 剣と硬い物がかち合う音はせず、閃光が走る。


 一瞬身体が浮いたような気がした。数十秒程目が見えない状態が続く。


 ヨウヤく周囲の人の輪郭リンカク朧気オボロゲながら見えてきたと思ったら、誰かが俺の握っていた長剣を引っ手繰タクった。


「あんた!なんてことをしたのよ!」


 何か続けてノノシろうとしているが、激高したリンは続きの言葉が出てこないようだ。

 ロミナと視線が合う。


「但馬様。石柱まで破壊してしまってはオーブの登録情報が全て失われていませんか?」


 改めて石柱のあった場所に視線を向けると、オーブも石柱もどこにも見えなかった。慌ててバックパックから1と書いてある布袋を取り出し中から透明オーブを取り出す。


 透明オーブは何の反応も示さない。


 バックパックから無登録のアームレットを接触させるが何も起きなかった。


「これって第1層入口近くのように魔素がないってこと? 密閉空間だから魔素が急速に失われることはないと聞いていたけれど?」


「この広大な空間には未だ魔素が溜まっていないということでしょ! それよりあんた! どうして石柱まで破壊したのよ!」


「オーブの材質を見誤って力の加減を間違えたが、そもそも石柱を破壊したらどうなるかの説明を俺は聞いていない」


「なんでそんな事すらあんたは知らないのよ! 訳のわからない能書きを垂れる前にそれぐらいの事は知っておきなさい! 常識でしょ!」


「今ここで常識を論じるよりも第5層に戻るべきでは?」


 冷静なロミナの声を聞き、全員が入ってきた場所へ視線を向ける。

 ヘッドライトの明かりの先、銀白色の霧は変わらずそこにあった。


 自然と足が早歩きになった。霧の中に入って行く。

 第5層は存在していた。だが取り出した透明オーブは何の反応も示さない。


 無言で第1層の入り口。自宅ベランダへ続く部屋にまで戻ってきた。


 悲鳴を上げたのは誰だろう?


 あるべき銀白色の霧はそこになかった。


アテらどうなるん?」


 誰もが絶句している中、最初に声を上げたナオミ。

 肝が据わっているのか、事態の深刻さを理解していないのか。


「ちょっと見て廻ってくるから皆はここにいて」


 ナオミが龕灯ガンドウを持っていることを確認してから離脱した。

 早歩きで歩く俺の後ろを複数人がついてくる足音がする。

 第1層の銀白色の霧状のものがある場所を通りすぎる。U字型になった路を更に30メートル程進んだ場所、落石で通路が塞がっている筈の場所。


 通路を塞いでいた落石は綺麗になくなっていた。通路の先からは自然光が差し込んでいる。


 リンが俺の側を走って駆け抜けて行き、ウィルマとマヤが続く。

 立ち止まったままの俺に一瞥イチベツもせず、ロミナも歩いて先へ進んで行った。


 ただ1人残ったナオミに声を掛け、俺もゆっくりと歩き出す。


 ここは切り立った岩山の側面に開いた洞窟だった。

 目の前には地平線まで広がる森林地帯。


 足元を見ると、この場所から地上までの高さと、マンションベランダから道路を見下ろした高さは同じ位。




 ……俺、何かやっちゃいましたか?

* 千葉徳爾「ミコガミスジについて」『日本民俗学』 第四号 1954


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 執筆当初の構想としては此処からが本編のつもりでした。

 第2部以降は-memorandum-にある話を肉付けしたような諸国漫遊記的な作品を目指したのですが一旦完結とさせていただきます。

 書き溜めたものを半年後・一年後に投稿開始するのか、このまま消えるのか、現時点では未定です。

 末文となりましたが、最後までお付き合い頂けた数名の方々にはこの場にて感謝の言葉を申し上げます。貴方方がいらっしゃらなければ本作品は半年前にエタっていたと思います。

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