第65話 ─名前の無い村─ くりすますの木もさんたくろうすも耶蘇教徒が異教の人々の「生活の古典」のみやびやかさを見棄てる気になれないでとりこんだもの*
揺れるランタンの灯りで室内が明るくなったと思ったら、ドタドタとした足音が近づいてきた。
「精霊様のお怒りが鎮まりました! おおきに!」
満面に笑みをたたえた女性は長い黒髪をなびかせて、鏡の前まで走ってきた。
足元にランタンを置き、重ねた両掌に指輪を乗せて鏡の中に差し出そうとする。
鏡の損傷と女性の怪我を危惧した俺は考える前に体が動いた。
女性より遅くに動き出したが映像に数歩歩み寄り、先に向こう側へ手を付きだすことができた。
これまで隠してきたのに、後ろからマヤとウィルマの厳しい視線を感じる。
中学や高校で毎年行われる体力測定。俺の機敏さはクラス上位に余裕で入るのだが、何故かそれを認めない連中が時折りいる。用紙に測定値を自分で書き込み持ち歩く。その用紙を盗み見た誰かがクラスの数人を呼び寄せて「但馬は不正をしている」と騒ぎ出し俺の後ろをついてくる。
反復横跳び等で俺が何回ラインを跨いだか脇で数え「動き出しが周囲よりコンマ数秒早かったからこの数は認めない」と口々に騒ぎ出す。
コンマ数秒早いだけなら誤魔化せる数は1つだけの筈だが、何故かそんな当たり前の理屈すら聞き入れない。運動神経だけは自分たちと同じレベルでなければならないという願望は全てに優先するらしい。
逆に運動部でレギュラー枠に入れる連中は俺が何もしていないのに、野球やサッカーの試合中に「お前は上手いのに手を抜いている」と怒り出す。
マヤとウィルマには気づかれたな…… そういえば甥っ子もバカな事をしたときに俺が機敏な動きをして見せたら、怒られていることより目の前で見たことが理解できないと目を白黒させていたが、今マヤはどんな顔をしているのだろう。
「精霊様の怒りが鎮まるというのは、病気が治ったということでいいのかな?」
重ねた両掌に乗せてある指輪を右手で摘まみ上げながら確認した。
「そ、そうです」
鏡越しの女性が怯えた表情を見せる。
俺の動きを殴られると誤解させたか。
「あぁごめんなさい。鏡越しにやりとりできるのは特別なアイテムを持った者だけで、君は鏡のこちら側には干渉できない。鏡に傷がついたり、指をくじかせたくないと咄嗟に体が動いたけれど、驚かせたようで申しわけない」
「気にいらんことがあったら当たり前のように殴りかかる人かと思たわ」
涙ぐんでいるようにも見えたが、近しい人の病気が治って嬉しいのだろう。多分。地雷を踏みにいかないように涙には触れない事にした。
「全くそんなことは考えていなかったけれども、配慮が足りなくて申し訳ない」
後ろの少女たちから非難されないように、ここは謝罪の言葉を重ねておく。
「もし、気を悪くさせていなかったら明日のダンジョン探索に同行して欲しい」
マヤと合流するまで自宅ダンジョン第1層の入り口に置いておいた安物の腕時計をバックパックから取り出して手渡した。
「これは何やろか?」
腕時計を受け取ってはくれたが女性は不思議そうな顔をして時計を眺めている。
「時計という道具…… ごめん。調整するから返して」
先程この女性は10時頃と言っていたので8時を針が指すようにリューズを回す。
「今から4時間後に長い針と短い針が真上を向いて揃う」
説明しながらリューズを回して針を正午の位置にした。女性は興味深そうに俺の手元を覗き込む。
「それから半日後にもう1度この針が真上を指すので、もし同行してくれるのであればその時間に鏡の前へ来て欲しい。同行できないのであればこの時計は貴女に差し上げるので私たちのことは忘れてくれていい」
時計を見ながら説明を聞いていた女性は最後の言葉を聞いた途端にいきなり俺を見つめてきた。鏡越しではあるが直ぐ目の前、潤んだ瞳で見つめてくる。長くて濃いまつげ。切れ長の目。鼻筋が通っているせいか顔全体とのバランスがとれていて全体的に整った顔に見える。俺はロミナの垂れ目をチャームポイントだと思っているが、人によってはこの肌の白さが際立つ女性の方が完璧な美であると褒め称えるかもしれない。
開け放たれた扉越しに見える月明り。
ランタンによるものだが登場と同時に屋内が明るくなる舞台演出。
常人とは明らかに異なる白い肌。
……赫耶姫。瓜子姫。桃太郎。
竹・瓜・桃。
折口信夫が『霊魂の話』** で、壺の中に這入って三輪川を流れて来た秦河勝の壺に蓋があったのは、どうやって入ったのかわからない桃太郎等の話よりは多少進化した形だと述べているのは皮肉なのだろうか。
卵生説話より、外界からの来訪者は暫くの間何かの中で過ごしてから人として現れるという、外からやって来る・それが或期間ものの中に這入る・やがて出現して此世の形をとるという三段順序説話の方が日本では多い。石の中に入った神が外から日本に来るという話は柳田・折口どちらも思料している。
「但馬さん?」
しまった。余計な事に没入してしまった。何時の間にかマヤが俺の左隣りに並び立ち、下から俺の顔を見上げている。
今、何の話をしていたのだったかと手に持つ腕時計に視線を向ける。
あぁ時差と集合時間の話の途中だったな。
何事もなかったかのように話を続けよう。
8時を針が指すようにもう1度リューズを回し、映像の中に右手を差し出した。
「そちらの時間で明日のお昼過ぎぐらいに又訪問する予定だけれど、この道具は魔素の多い所では正常に動かなくなる可能性があるから、時計の針ではなくて体感時間を目安にして欲しい」
鏡の中から俺の右手が出てきたときに少し驚いたようだが、後ろに下がることなく女性は時計と俺の顔を見比べた。
「なんやようわからんけれど、明日の昼過ぎには必ず来るさかい待っててや」
女性が腕時計を受け取ったので手を戻し、俺は接続を切った。
「どういうつもりなのかしら?」
数年前に製造が中止されたインクカートリッジ式の竹ペン。カートリッジのインクをマヤに持ってきてもらった異世界のインクに詰め替え、布袋に5と書き込んでいるとリンが含みのある声で聞いてくる。
「どういうつもり。とは?」
透明オーブを布袋にしまいながら不明瞭な質問の意図を問い返す。
「マヤとロミナ。それにウィルマさんを同行させようとするあんたの行動は…… まぁわからないこともないわ。でも、サトーさんと言うのだったかしら彼女。あんな戦えそうにない、本当かどうかもわからない[ターン アンデッド]についての自己申告だけで連れて行こうとするのは正気を疑うわ!」
女性陣からの険悪なオーラが漂ってきた。慎重に言葉を選んで対応しないとかなりまずいことになりそうだ。持っている布袋の口を閉じてバックパックに入れながら、「ハーレム主人公に俺はなる!」という本音だけは絶対に見抜かれないようにしなければならないと固く心に誓う。
「随分と長い間見つめ合っていたけれど、あれだけ楚々とした麗しい女人でなくとも貴方は同じことをするのかしら?」
なんとなくロミナとウィルマは何も言わないと思い込んでいたのに、まさかウィルマが参戦するとは予想外だった。逆にマヤの沈黙が恐い。言うまでもないことだが最優先するのはマヤへの配慮で、実際問題、リンとウィルマからどう思われようがどうでもいい。
「目に涙を湛えた女性が目の前にいれば発言に躊躇するのは男として当たり前のことだと俺は思うけれど、容姿云々という言葉がでてくるウィルマの思考経路の方がむしろわからない」
「但馬さんは泣かせてしまったと思ったから、サトー様を見つめておられたのですね?」
マヤが感情を消した声で正面から俺を見据える。
誰だよ冷房のスイッチを入れたやつは…… 何故かシーハグの邪眼に捉えられた際の恐怖を思い出し膝が震えそうになった。ハーレムメンバー6人目は諦めた方がいいかもしれない。
「さっきからそう言っているし、彼女を勧誘したのは、神官であれば俺より高位の治癒魔法を使えるかもしれないという打算があったことも付け加えておく」
一旦言葉を切ってマヤの当て布をしたスカートに視線を向ける。
「それに、俺としては素っ気ない勧誘の仕方のつもりだったのに、何故か熱心に勧誘したと見做されていることに強い違和感があるのだけれど、君たちの世界では『来たければ来い』という勧誘方法は、俺の世界と異なるニュアンスになるのだろうか?」
「何言ってんのよ! 誰が熱心に勧誘していたなんて言ったのかしら? あたしたちはあの女の身を心配しているの! あんたはマヤやロミナに護衛されているからいいんでしょうけれど、あの女は誰が護るの? 低脅威度ダンジョン程度は単身で踏破できると豪語した誰かさんがあの女を護ってくださるのかしら?」
「俺の世界基準でもあの女性は大人に見えた。子供ではないのだから本人がついて来ると言うのであればその判断を尊重すべきではないのかな? そもそも彼女に危険が及びそうな程に強い魔物が出てくるのであれば、俺は自宅ダンジョン探索を打ち切るよ」
「少しの間の観察ですが彼女は依存心が強そうに見受けられました。自己責任という言葉で彼女を連れて行く貴方にも責任の一端が生じますが、女性を危険な場所に連れて行く自覚と覚悟はお持ちなのですね?」
「ウィルマの言う自覚はわかるが覚悟はわからない。その言葉で俺にどんな責任を負わせようとしているのか見当もつかないが、そこまで言うのならウィルマが同行しないように説得すれば良いのでは? 俺はここにいる誰かにそんな覚悟を負わせる気は一切ない」
「但馬様は先程からわたくしを擁護なされておられるのでしょうか? もしそうであればわたくしが謝罪いたします」
落ち着いたロミナの声が聞こえた。
大声を出しているわけでもないのに、何故かリンやウィルマの声より良く響いた。
「え? ちょっと待って! どうしてロミナをかばっているということになるの?」
頭を下げているロミナにリンが詰め寄る。
「わたくしとて無限に魔法を使えるわけではありません。この先魔法か魔法の武器でなければ対応できないアンデッドの類が頻出するようであればお役目を果たせないかもしれません。わたくしの弱い心が神官様の参加を望んだのです。但馬様を責められる前に、どうかわたくしを叱ってください」
続いて発言しようとする者はいなかった。
「来るかどうかもわからない人について仮定の話を続けても仕方がない。来ない方が良いと思う人は、その人が責任を持って『来るな』と彼女を説得すればいい。俺は彼女の参加の可否に嘴を挟まないから」
自宅へと引き返すために歩きはじめた俺の横を小走りで追いかけてきたマヤが追い抜く。
「必ず来るわよ。あの女」
誰かが小声で呟いたのが後ろから聞こえた。
上から蛭が降ってくる水の張った大きな空間を除いて第5層を踏破したが、ダンジョン・オーブがあったであろう六角形の岩柱は見当たらなかった。
女性陣を説得してまで蛭がいる空間を探索する口実も思い至らなかったので家路に向かう。
何の支障もなく第1層に戻ってきた。
礼儀としてウィルマを夕食と買い物に誘うが、丁寧な言葉で拒絶された。
ロミナはどうするのかと同じ言葉を掛けると、肯いたので4人で出かけることとなった。
ベランダの手前。百均製高濃度アルコール大判ウェットシートで、女の子たち3人が黙々と足を拭っているのを横目に、先に自宅へ入って行く。
洗面所で用を済まして乾燥を終えた洗濯物を洗濯機から取り出していると、3人も洗面所に入ってきた。マヤに段取りを確認すると、服を着替える前にシャワーだけでも浴びたいと言うので1人分のバスタオルを用意しようとすると、リンとロミナもシャワーを浴びたいと言い出した。
リンはわからないでもないけれど、ロミナが自分から申し出たのには少し驚いた。
3人分のバスタオルを持ってきた後、黙って盥と洗濯用洗剤を浴室に置いて出て行く。
リビングで冷めたコーヒーをちびちびと飲みながら、朝に読めなかった朝刊と配達されたばかりの夕刊を1時間かけて読み終えた頃に3人は漸く浴室から出てきた。
ロミナに視線を奪われないように意識して3人を見ない。
俺は同じ失敗を2度繰り返さない出来る男なのだ。
マヤのところの家令にもそう言ったのだから、ここで同じ間違いはしない。
ロミナがリビングを通り抜けていく。多分洗濯した物を乾かしにダンジョンへ向かったのだろう。
マヤとリンが空になったコーヒーカップを見ている。
背伸びをしてコーヒーを飲んでいた子供の頃は「ブラジル」と呼ばれ、いつの間にか「サントス」と呼ぶようになり、気がつけば又「ブラジル」と呼ぶようになった所謂「ブラジル サントス No.2」。
マヤは俺と同じように砂糖なしで牛乳を入れたのを好み、リンはブラックで飲む。
一般的にはコーヒーをブラックで飲むのが通人で、そういう連中の一部は砂糖やミルクを入れるのはコーヒーの良さがわからないお子様舌だと見做すことがあると俺が言ったせいだろうか。
本当は数人だか数十人だかに1人の割りでコーヒーの苦味を苦いと感じない味覚障害がいるだけなのだが、一般的には知られていないことなのでそれは言わなかった。
少女たちが俺の淹れたコーヒーを飲んでいるとロミナが戻ってきた。
ロミナが2人それぞれに袋を渡した後、飲み物の希望を聞いたらコーヒーをちらりと見たのに水で良いと言うので、ミネラルウォーターをカップに注いで手渡す。
10分程の休憩後3人に出かけて良いかを確認し、いつもの儀式を踏襲する。姿を消した少女たちを引き連れ車に乗り込む。
買いたい物の希望を聞くと釣り糸が欲しいと言うので、最初に釣具店へ赴き3人に買い与える。ついでに残り2人分も買っておく。1人分は無駄になるかもしれないが。
アウトドアショップでは無駄になるかもしれない寝袋とエアーマットを1つずつ購入した。冷たい視線を背後から受けたが誰も何も言わなかった。
今回は夕食の希望を聞かなかった。歳のせいか大量の肉を食べたいと俺は思わないけれど「肉バル」という店があるらしい。新聞を読む前に書斎のPCで個室のある店を調べておいた。時間内無制限の店の方が彼女たちは喜ぶかもしれないが、そういう店は個室で食べられないだろうし、肉の質も期待できない。質より量か。量より質か。成長期の子供のいる家庭では皆同じ問題に直面しているのだろう。
駐車場に車を駐めて店内に入る。匂いで背後の少女たちのテンションが爆上がりしているのがわかる。寝袋を購入したときの不機嫌さは吹き飛んだようだ。
牛、豚、鶏、羊、鴨。店が鴨と言っているのは家鴨なのだろうけれど、馬肉を出す店は候補から外しておいた。城塞への行程でマヤとリンが馬を丁寧に世話していたので馬肉は駄目な気がする。
鉄の串に牛肉や豚肉や鶏肉のかたまりを刺し、炭火でじっくりと焼いてから、岩塩やソースで味わうバーベキューのようなスタイルのシュラスコ。
豪快に齧りつく若い子たちは見ているだけで楽しい。世間の父親のような気分になる。
何の肉かは知らないけれどロミナが1ポンドステーキを注文した。俺にはハーフポンドでも十分過ぎるのに届けられたステーキを見て、マヤとロミナも注文している。
多分こいつらは肉しか食わない。
* 折口信夫『古代研究I 民俗学篇1』角川ソフィア文庫 2016
** 折口信夫『折口信夫全集 3』中央公論社 1995




