第69話 ─ 名前の無い村 ─ キリスト教の「神」もまた一種の偶像である*
扉が開いたことではっきりと確認できたが、外は夜のようだ。
最初に接続したオールバラ伯爵家以降、時差を意識したことはなかったけれど、今回の接続はかなり経度の離れた地か、地軸が傾いてあるのであれば緯度がずれたところに繋がっている。第5層はそれだけ魔素が濃いということなのだろう。
……今になって気がついたけれど、もしかしたら子爵やウィルマを1時間か2時間、待たせていたりしたのかな?
こちらの自己紹介は終わっているのに女性は沈黙している。
先程、俺達を鏡像だと思って振り返った女性の反応に、思わず笑みがこぼれたことについて腹を立てているのだろうか?
この女性の黒髪はかなり長い。椅子に座るときは髪を払わないと、お尻の下に挟んでしまいそうだ。
個体差はあるけれど確か日本の女性が一番髪が長く伸びる。黒髪に茶色の瞳。日本人?
でも腰から下の足の長さは明らかに白人であることを物語っている。
ただしマヤ達と違って顔の肌はアルビノを思わせる程に白い。まぁ髪や瞳の色からしてアルビノではなく、白変種のようなものなのかも知れないけれど。
「遅い時間にごめんなさい。今は何時頃なのでしょうか?」
周囲の空気が少し変わる。質問の意図がわかっていないということは、こいつら緯度か経度がかなりずれていることに気がついていないのか?
「ナオミです! あっ、ナオミ・サトーです! じ、時間ですか? 確か10時頃とちゃうやろか」
いきなり早口で捲し立ててきた。
中途半端な関西弁になっているのは、サークレット(翻訳)が頑張ってくれているのだろうか? 頑張っている方向性が、どこを向いているのかはわからないけれど。
ナオミという名は発音が少し違うが欧米でもあるし、中学の教科書に書いてあるイギリスの外交官アーネスト・サトウを日系人だと思ったのは俺だけではないはず。
日本人っぽい名前を取って付けたようなネーミングだな。
「10時って夜の10時だと言っているのかしら? まだ夕方の早い時間のはずよ」
後ろでリンが呟く。緯度や経度の話はしているのに、そっちには思考が回らないようだ。
「遅い時間に来てしまったようですね……」
「あっ! 」
「お待ちください」
俺が会話を打ち切ろうとしたら前と後ろ、両方から声が掛かった。
振り向いてロミナを見ると、ロミナはサトーという女性と先に話せとジェスチャーで示す。
もう一度女性に視線を向けた。
「あ、あの……病を治すというオーブをお持ちではないやろか? お持ちやったら……チーズ、チーズ! と交換してもらえんか? この村のチーズはとっても評判が良おて、行商の人が年に何度も買い求めに来はるんや」
話が見えないのでマヤを見た。マヤも首を捻っている。ウィルマが長剣を握り直し、揃えていた両足をそっと肩幅に広げている。何をする気だこいつ?
当惑しているとリンが前に出た。
「落ち着いて。その衣服の紋章、貴女神官よね? 貴女の[キュア・ディジーズ]で治せない病気ということなのかしら? だからオーブをチーズ? と交換したいと言っているの?」
紋章か。幾つもの継ぎが当ててあるけれど、最新の超銀河団CG画のように見えないこともない。
「そないです! 足らんかったら……銀貨も何枚か用意でけます。どないやろ、オーブを頂けんやろか?」
リンが俺の左手に嵌めてある指輪を見る。城塞のときの意趣返しのつもりだろうか。
「さっき何か言いかけたけれど、ロミナの用事は何?」
女性に返事をする前に振り向いて確認をとる。
ロミナは少し考えてから1歩前に出て口を開いた。
「今後のダンジョン攻略において神官の方に参加していただければ、対アンテッド戦を優位に進められるのではないでしょうか?」
「優位になるとは、悪魔を[強制送還]したように神官にも対アンテッド用の魔法があるということ?」
「あ、[ターン アンデッド]やね! お爺様がリッチには通用せーへんけれど、ファントムやスペクター程度やったら、私でも追い払うことはできると言うてくれはった」
女性が満面の笑みで俺とロミナの会話に食いついてきた。
ロミナに視線を向けたが既に後ろへ下がっている。他に言うことはないのだろう。
もう1度女性と向き合う。
「さっき話したけれど、今攻略中のダンジョンに同行してくれるということでいいのかな? アンテッドはこれまでにスケルトンやワイトと遭遇している。他にも邪眼持ちや悪魔が出てくるし、第6層以降は更に強力なアンテッドが出てくるかもしれない」
「同行? でっしゃろか?」
何故かそんな話は今初めて聞いたという顔をしている。
「明日までに考えておいてもらえるかな。それと、必要なオーブは1つでいいの?」
と、言いながら左手に嵌めた指輪を外し、右手を女性に向けて差し出す。向こうからは鏡から手が出てきたように見えるだろう。
案の定驚いている。後ろに数歩後退りしている。
「この指輪はオーブと同じように病気を完治させることができる。1日に1度しか使えないから、余計な事を考えないように気をつけて。指輪を嵌めた手で病人の肌へ接触させて{病気完治}と唱えれば高位術者と同じ効果がある」
女性は俺の顔と鏡から突き出た右腕を交互に見比べていた。
逡巡後に漸く受け取ってくれたのだが動こうとしない。
事情に見当がつかないので、周囲のマヤ達に視線を向けるが皆わからないらしく首を捻っている。
「貴方は高貴の出どっしゃろか?」
突然畏んで姿勢を正しはじめる。
「よく誤解されるけれど、俺個人の話だったら平民だから態度を改める必要はないよ。指輪のことを言っているのなら、偶々ダンジョンで拾った物で、俺の家の家宝というわけではないから気にしないで使ってほしい。使ったら返しに来るのを忘れないで」
「神様の御業を指輪に閉じ込めるんは畏れ多い……」
「貴女はどの神を信仰しているのかしら?」
俺の右斜め前に出ているリンが問い詰める。声に僅かな苛つきをのせていた。
「どの神? 神様は神様や」
何か話が噛み合っていない気がする。
怒鳴り返そうとリンが息を吸い込む音が聞こえてきた。
「お言葉から察するに、ここはエァル国ではないように思えます」
澄んだ華やかな響きがある声が後ろから届く。小さな声なのに明瞭に聞き取れる。
リンが振り向いてロミナのいる方を向く。
無用な争いに巻き込まれないように、リンの表情を盗み見るのはやめておいた。
「そのようね」
ロミナに答えてから、リンは再度前を向く。
「貴女の神の教えは知らないけれど、病人を救いたいのならお急ぎなさい」
リンの言葉に女性は大事なことを思い出したと言わんばかりに、何も言わずに駆け出して行った。
「次はあの方をお連れになられるのですか?」
マヤにしては含みのある変な声だった。
「対アンテッド戦を優位に進められるのなら神官の参加は助かると思うけれど?」
「ですが、あの方……ご自身の指も治せないようです。本当にファントムやスペクターと対抗できるのでしょうか」
「指輪を渡すときに俺も気がついたけれど、近しい人が重病だったらそういうことに気が回らないこともあると思う」
「もし指輪で治せないときには、どうされるおつもりなのですか?」
後ろから底冷えのする低い声。
「青の軟オーブはウィルマの物だから、それは気にしなくていい。どうするかと言われてもできることはないかな。素人診断で対応するようないい加減な真似をする気はない。日本に連れて行けば治せるかもしれないけれど、多分あの女性の支払い能力では無保険の病人に高度医療を施せる金は出せないだろう。俺の支払い能力も超えていると思う。それこそ第6層には藍の軟オーブがあるかもしれないという可能性を示唆するぐらいかな。ただ、今の傾向だと第6層ではアイテムの類は1つか2つぐらいしか手に入らない気がする。藍の軟オーブが都合よくその中の1つとしてダンジョンに転がっていると期待する程俺は楽天家ではない」
「だからあんたは見殺しにするというわけね?」
「もう1つ手はあるよ。日本の公的機関に通報すれば、話の持って行きよう次第では病人を引き受けてくれるかもしれない。だけど、それを選択するとこれから先のことは全く予測できなくなる。このパーティーは今日で解散して2度と会うことができない可能性もあるし、リンは日本の図書館に通えるかどうかも日本側が決めることになる」
「どうして、そんなことになるのよ!」
「君たちの国の役人の行動原則は知らないけれど、日本の役人は減点方式だから、何もしないでいた者が最後の椅子に座ることができるようになっている。前例のない余計なことをして失敗したら役人たちの生き残りレースから脱落するし、誰かがそういうことに加担していることを知ったら、競争相手の役人は異世界の病人を救おうとしている役人に対して、積極的か消極的な邪魔をして失敗させようとするかもしれない」
「そんな屑しかいないのに、よく国が維持できるわね!」
「きちんと翻訳できているのかわからないけれど、俺たちの世界で『ホーン効果』と言われている認知バイアスの概念がある。組織全体が屑なわけではない。役人を構成する人たちの多数は善良な人たちだよ。権限のある役人に屑がいると、どうしても目立ってしまうので外からはそう見えるという話。フリードリヒ2世という外国人が『役人は国家の僕』という言葉を残しているけれど、日本も大きな戦争で負けるまではそういう国家の僕としての役人たちが組織を運営していた。現在の役人は自分たちの所属する組織には忠実だけれども、国家の役人としての意識が希薄になっていることは否定できない」
「但馬さんは日本国に通報してでも病人を救いたいですか?」
「君たちの総意としてそうすべきだというのなら反対はしない。俺が今ここで決めるには判断する材料が少なすぎる」
会話が止まった。
あの女性が戻ってくるまで手持ち無沙汰なので5層で気になっていたことを聞いておくか。
「第3層でマヤが六角形の岩柱を見て『最初にダンジョン・オーブがあった場所だが、ダンジョンの拡張によりオーブは今5層か6層に転移している』と言っていたけれど5層から通路や空間が広がっている。5層の透明オーブが落ちていた空間には6層への入り口であろう銀白色の霧状のものも確認している。5層の未探査の空間に六角形の岩柱があったのに、通りかからなかったから見つけられなかっただけで、ダンジョンは現在7層か8層ぐらいまで拡張しているという理解でいいのだろうか?」
俺の前に並んだ4人を等分に見ながら尋ねたけれど、誰も答えてくれない。
「行けばわかることじゃない。今そんな先の階層のことまで考えられるなんて随分と余裕があるのね」
数秒間視線を合わせたリンは挑発するように口を開いた。
マヤとロミナは視線を合わせても見つめ返してくれるだけで何も言わない。
「階層の途中で通路の高さが変わるダンジョンは私めにも経験がありません」
頼れるお姉さんキャラ。我らがウィルマさんへ最後に視線を合わせて見つめても、先のことはわからないらしい。
「それで? わからないことをわからないと確認できて満足できたのかしら?」
「いや、俺が気にしているのは4層まであった大岩が5層にはなかったこと」
「但馬さんには、そのことを気にする理由があるのですか?」
マヤが人差し指を顎に沿えて首を傾げる可愛らしい仕草を久しぶりに見せてくれた。
「日本人の柳田國男という人によると、日本各地には成長する石や石が石を産むという伝承** が伝わっているらしい。君たちの世界にもそういう伝承があるのかということと、今更だけれど大岩の上にアイテムが添えられているのはダンジョンで一般的なことだと見做していいのかな?」
「え? 石が成長したり石が石を産むというのは魔物のことですね。石ではありません。でも、日本には魔物はいないのですよね? 本当は魔物もいるのではないでしょうか? それと、いつも大岩の上にアイテムがあるというダンジョンは私も初めての経験です」
「結局、貴方は何が言いたいのですか?」
見た目から受ける印象とは違いウィルマの沸点はリンよりも低い。それとも俺を嫌う度合いが、リンよりウィルマの方が強いせいか。ファーストコンタクトが悪すぎたのだから仕方ないけれど。
「5層においては大岩の設置が見られず、代わりに通路が拡幅されている。これまでは大岩と魔物・アイテムがセットで配されていたのに、大岩がなくとも魔物・アイテムを配置できるのであれば、そもそも大岩の意味は何か。但馬様が気にしておられることはそのことですか?」
「呆れた! あんた本当にそんな下らないことを気にしているの? ダンジョンってのはそういうものなのよ! 意味なんかないわ」
「2人で満開の桜の花を見に行った夜のお城で、但馬さんは私に『日本では大きな岩が信仰の対象になる』と仰られていましたが、そのことも関連があるとお考えになられているのでしょうか?」
リンだけでなくロミナもマヤの言葉を受けて視線に感情をのせている。近所のオバチャンのように面白がっているウィルマの視線が気にいらない。
「サンプルが1つしかないから検証できないけれど、興味深いとは思っている。ついでに言うと、まだマヤと出会う前、1層の入り口近くにスクロール(赤)が20本転がっていたけれど、付近に大岩がないという例外が最初にあった」
「ふん! サンプルが1つしかないから検証できないことがわかっているのに、うだうだと思い悩んでいるの? 出来たばかりで生育中のダンジョンと遭遇できるチャンスなんて人生で1度切りよ。遭遇する事すらないまま人生を終える人が大多数なの。あんたさっき自分を『王位(crown)』に誤解されると言っていたけれど『道化(clown)』と言い間違えたのかしら?」
……サークレットの翻訳が無駄に仕事をしているのか? 互いに翻訳サークレットを持っているからリンの煽りが効果的に発揮されるのか?
「現状は1つだけれど、今の日本であれば未踏査のダンジョンと遭遇できる確率は高いと思っている」
「それは青の軟オーブを複数個入手することも容易だということですか?」
ウィルマが早速食いついてきた。
「行ってみなければわからないけれど、公開されている情報が正しいのであれば、低脅威度ダンジョンに紫から緑のオーブは無いと思う。あるのは橙と赤で運が良ければ黄もあるかな? 日本基準でも俺の自宅に繋がっているダンジョンは不規則だから」
「但馬様だけが未踏査のダンジョンと遭遇できるという根拠があるのですね?」
「日本でダンジョンが発生する場所はある程度限定されているから。『風土記』という古文献の逸文に書かれてあることを丹念に拾っていけば、過疎地にある未踏査ダンジョンをある程度見つけられるかもしれないと思っているよ」
目にも表情にも感情をのせないロミナと見つめ合う。
何を考えているのかは全くわからないが、何かを考えていることはわかる。
「そんな価値の低い物を探しに田舎へ出かけるの? いいわね。何もすることのない人は」
「日本では橙のオーブ1つでリンの食費やその他の雑費代1ヶ月分にはなるし、スクロールやアイテムはそれ以上の値段がつくよ」
「あんた、それを口実にあたしをあんたの国のあちらこちらへと、引っ張りまわそうとしているんじゃないでしょうね?」
「公開されている情報が正しければ、もう俺1人で低脅威度ダンジョンを踏破できると思うから、気が乗らないのならついてこなくていいよ」
「え? 私を連れて行ってくれないのですか?」
マヤが心底驚いたという声を出した。
「マヤを連れて行けるかどうかは、伯爵や家令がどう考えるかだろ? 当然のように連れて行くと言ってしまうと……あの家令さんは良い顔をしないと思うよ」
「それは……そうかも知れませんが……でも、私はついて行きたいです!」
伸ばしかけた手を成長期の胸に置いて真剣な表情で見つめてくる。この場に居るのが2人だけだったら抱きついてきたのだろうか。
「どういう風に話をもっていけば家令が同意してくれるか、知恵を貸してくれるかな」
「もちろんです! おまかせください!」
俺の言葉にマヤは今までで最高の笑顔を返してくれた。
* 和辻哲郎 『偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集』 講談社文芸文庫 2007
** 柳田國男(川村杳樹名義) 「玉依姫考」『郷土研究 1917 第4巻12号』
柳田國男「袂石」『日本の伝説』 新潮社 1977




