第65話 ─国境の城塞─ 帰朝報告
< ボックステッド子爵領-ファグス・クレナ領庁-ボックステッド邸執務室 >
「閣下、ただいま帰還いたしました。正面玄関にて日本人を含む全員を待たせております。大広間に通してもよろしいでしょうか?」
「全員無事帰還できたのは喜ばしいことなのに、何故そのような不景気顔をしているんだい?」
ボックステッド子爵は心底わからないと不思議そうに尋ねる。
「閣下が何も考えていない思いつきを私めに押しつけたからではないでしょうか」
「ウィルマ。長い付き合いだというのに、わしへの敬意が足りないぞ」
子爵は何時以来かと即座に思い出せない不眠から漸く解放されたのに、部下が帰るや否や問題を持ち込んできたのかと、少し警戒を表情に乗せた。
「家紋を消して、装飾品を取り払おうと、閣下の馬車に貴族ではない者のみが乗っていれば不審がられて当然。そこに思いが至りませんでしたか?」
「お前も気がつかなかったではないか。それにわしの家紋入り短剣を持たせた。きちんと説明すれば問題になることもなかろう」
「到着するや否や、ファーンズワース聖騎士、グラブ傭兵隊長、両者から説明を求められました。その遣り取りで、閣下がゴブリンの襲撃を承知していながら日本人たちを遣わしたことが明らかにされました」
椅子に座ったまま当惑顔の子爵をウィルマは冷たい視線で見下ろしている。
「……なるほど。わしは視察に出かけていて不在ということにしておいた方が良さそうだな。日本人は報酬に何を要求している?」
「閣下のことについては1つだけ、釈明を聞きたいそうです」
ウィルマを宥めるように柔らかい表情を見せる子爵の顳顬がピクリと動いた。
「平民風情がか?」
「平民には必要なくとも、クーム侯爵家とオールバラ伯爵家には必要となるのではないでしょうか。もちろん聡明な閣下のことですから、そのことについて考えておられることを私めは疑っておりません。考えておられるのですよね?」
「当然だ。だが向こうから正式な書簡が届いたときに答えよう。平民に話すことではないな」
「さすがは閣下。そういえば閣下もリン・グリンプトン嬢と同じく、幼少の頃は神童との呼び声が高かったのでしたね。私めの物心がつく前のことなのでつい忘れがちになってしまいます。先程の考えなしという発言は謝罪して撤回いたします」
ボックステッド子爵は暫しウィルマを見つめる。
「疲れておるようだな。球冠鏡はこの7日間接続したままだ。大広間ではなく、この執務室へ連れて来て連中には直ぐに帰ってもらえ。お前も休んで良いぞ」
「報酬を待たせずに帰らせろということですね」
「報酬か。ふむ。あぁあの日本人は軟オーブ(赤)を大量に欲していたな。10個くれてやれ」
「閣下。旅の話は後日にゆっくりとお話しいたします。ですが2点だけ、今、申し上げてもよろしいですか?」
「うん? 何だ、言ってみろ」
「1点目。日本人が所有している[ファイヤーボール]のワンドが消耗しております。魔力の充填代は閣下が負担なされては如何でしょうか?」
「おや? あの日本人は魔法使いだったのかい? まぁ良いだろう」
「2点目。2日後に日本人が球冠鏡を接続いたします。閣下は今回の旅を終えたら、私めを日本人に同行させるようなことを仰っておられましたが、変更はありませんか?」
「……そんな話もしたな。お前が嫌だと言うのであれば断ってもよいぞ。城塞からの鳩で凡その状況は把握している。お前が嫌なのであれば他の者を行かせる」
「日本人が攻略中のダンジョンにて軟オーブ(青)が手に入るかもしれません。私めが参ります」
「クーム侯爵家とオールバラ伯爵家が狙っているのはそれか?」
「いえ。両家とも特段の興味はないようです」
「益々わからんな。あの2家は何を考えている。何かわかったか?」
「旅の間。何やら熱心に学問の講義をしておりましたが、私めには何の話をしているのか皆目わかりませんでした」
「そうか…… あぁ、余剰の緑や青のオーブが出てくれば、わしが相場より高く買うと伝えておいてくれ。主寝室で仮眠をとるからわしの邪魔をするなよ」
ボックステッド子爵は立ち上がると、そう言い残して執務室を出て行った。
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< クーム侯爵領 - 侯爵本邸 家令執務室 >
「9日目の帰還か。偉大なる御主人様が納得できる相応の成果があったのであろうな?」
爬虫類を連想する顔をした家令がロミナの全身を嘗め回すように見た。
「待て!」
少し間を置いて口を開きかけたロミナを家令は制止する。
「即答できないということは成果がないことを示しておる。だが偉大なる御主人様の関心を得られる話は持ち帰った。そんなところか。同じ話を何度も聞くほど時間を持て余しているわけではない。身綺麗にして…… ん? 何だその髪は」
家令は椅子から立ち上がるとロミナの直ぐ側に迄歩み寄り、顔をロミナの赤髪に近づけて凝視した。匂いも嗅いで確かめていたかもしれない。
繁々とロミナの髪を見分した家令が漸く顔を離す。
「この髪は但馬様に買い与えられた日本の洗髪剤です。旅の間、継続して使用しておりました」
「日本にはそのような物があるのか。当家に献上する下心でお前に使用したのだな。あの日本人に、次からは事前の許可を取れと命じよ! 偉大なる御主人様の寛容さに甘えることは決して許されることではない」
「抗弁の機会をお与え頂きたく存じます」
家令は珍しいことがあると少し驚いた。
「何だ? 言ってみよ」
「但馬様は洗髪剤を自己の管理下でないところで使用されたくないと申しております。そしてこちらの額縁、1点ものなので継続しての献上はできないそうです」
「それか。見せよ」
ロミナの手からふんだくるように額縁を奪うと、家令は写真を見た。
「このようなつまらない絵は献上する価値もないぞ!」
「絵ではなく、献上品は額縁です。お気づきになられませんか?」
ロミナに指摘され、家令は額縁を矯めつ眇めつ確認しはじめた。
「……ガラスか」
「偉大なる御主人様に献上する価値のあるガラスだとわたくしは思います」
「だが、この絵にそんな価値はないな」
「絵はわたくしが但馬様から報酬として頂いたものです」
そう言われて家令は改めて絵を見入る。
「おまえが物に執着をみせるとはな。正直に言え! この絵の価値は何だ?」
沈黙が続く。家令が焦れて息を吸い込みはじめる。
「生前の御祖母様から聞かされていた故郷の風景と重なるからです」
家令の口から力のない息が漏れた。
「聡明なおまえのことだ。ファーガスを名乗らせている意味は承知しておるな」
ロミナは黙って肯いた。
「ならば良い。この絵は持って行け。偉大なる御主人様から呼ばれるまで部屋で待機しておれ」
額縁から慎重に写真を取り出したロミナは大事そうに抱えながら、一礼し部屋を出て行った。
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< オールバラ伯爵領 - 伯爵本邸 家令執務室 >
「旅は楽しめたか?」
執務机から顔を上げた家令は、マヤが扉の外に出る前に呼びとめ、目を細めてマヤを眺める。
球冠鏡の側にいるのは副執事ではなく、下級使用人の従僕だった。
「酷い目に遭いました」
家令は改めてマヤを眺める。視線が右手で止まる。
「酷い目に遭ったことと、お前が手に持つワンド。それは魔道具か? 関係があるのかな?」
「はい。そうです。但馬さんがこれを持っていなかったら、トクマト教の城塞『シュガローフ』はサナタ教と結託したゴブリンによって陥落していたでしょう」
右掌をマヤに向け発言を止め、家令は従僕に退室を命じる。
部屋から出た従僕を制して、室内に留まったマヤが自身の手で扉を確実に閉めた。
「何があった?」
予想していた質問なので、マヤは淀みなく答えることができた。
「ボックステッド子爵はサナタ教の策謀とゴブリンの襲撃を予見していたのに、その事を事前にお話しいただけませんでした。訝しむ但馬さんが出発前に念を押したにも拘わらず、正直に事態の説明を告げてくれなかったのです」
片側の眉を上げる家令。
「それは…… 随分と当家を軽んじた行為だな。事が終わった後に子爵は何と言っていた?」
「領内の視察に出かけていると言われ、お会いできませんでした。代わりに報酬として但馬さんのワンド{ファイヤーボール}に魔力を充填するための対価として銀貨を残して行ったそうです」
「……報酬はそれだけか」
「あっ、他にも軟オーブ(赤)を10個。追加で頂きました。合計20個です」
「子爵とは話し合う必要があるようだな」
「報酬ではないのですが、家令さんが望まれたオーブ(青)の件についても報告があります」
「但馬が売らないと言ったか?」
「いえ、売る意思があるかどうかは何も言っておりません。ただ、ボックステッド子爵が城塞への案内人として紹介した女性が軟オーブ(青)を必要としているそうです。家令さんとの競売を申し込んできました」
「ん? 競り合うつもりなんぞないが」
「そう仰るだろうと思って代弁しておきました。軟オーブ(青)は彼女への報酬として支払われることとなりました」
「但馬がそれで良いと言ったのなら何も言う事はないが、変な話だな。その案内人はお前に負けず劣らずの優れた容姿の少女か?」
「とても素敵な20代半ばぐらいの女性です」
「言っている事と言葉に乗せる感情が同じであれば、お前も素敵な大人の女性と言われるようになるだろう」
家令は笑みを見せぬように注意深く無表情を保ったまま、目の前の少女を揶揄う。
顔を赤らめていることを自覚しながら、マヤは思っていた事を吐き出した。
「全てボックステッド子爵の計略かもしれません。今回の件では子爵もそれなりの私財を費やしているそうです。市場に出回ることのない高価な品が手に入る機会があれば横から掠め取れと、予め指示が出されていたのかもしれません」
「……少し話が横道にそれたな。但馬はそのワンドを使ってゴブリンの大群を蹴散らしたのか?」
「そうです! 大活躍をしてくれました! 家令さんにも是非見てもらいたかったです」
一転して上機嫌になったマヤは必要以上の大声で一気に捲くし立てた。
しかしながら家令の応答は鈍い。
「家令さんは『水蒸気爆発』という現象をご存知ですか?」
突然何の話をはじめたのかと当惑する家令をよそにマヤは話を続けた。
「油を引いたフライパンを加熱したままにしておくと白煙が上がってきますよね」
「あっあぁ、そうだな」
「そのまま過熱を続けた後に水気のあるものをフライパンに入れると大きな音がしたことがありませんか?」
マヤは但馬からの受け売りをここぞとばかりにはじめた。
「野営の際に新兵が時々やらかすから、それは知っておる」
「それが『水蒸気爆発』です」
「お前は先程から何の話をしておるのだ?」
「ですから…… あっそうでした。ボックステッド領は初日こそ晴れていましたが、その後は雨が降り続いていたのです」
「つまり、雨中で{ファイヤーボール}を連射したら、その『水蒸気爆発』とやらで通常の[ファイヤーボール]より大きな音がしたと言いたかったのか?」
「そうです! 左右から襲ってくるゴブリンを次々と薙ぎ払っている間、馬を真っ直ぐに走らせるのは大変だったんです」
上機嫌に話すマヤ。家令の眉間に皺が寄る。
「お前も戦場にでたのか。もしや紅宝石もゴブリン掃討に力を貸したのか?」
マヤは家令が不機嫌になった理由がわからない。
「いえ。ロミナ様も但馬さんの護衛に出ようとしたのですが、それは但馬さんが止めさせました。護衛は私と傭兵さんたちだけです」
「子爵と話す前に但馬と話す必要があるようだな。明日も出かけるのか?」
「但馬さんは明日、リンさんと日本の図書館で過ごすそうです。私とロミナ様・ウィルマ様は休養してくれと言って、私を図書館に連れて行ってくれないんです」
家令が何を考えているのかわからなかったので、マヤは感情を少ししか混ぜずに事実だけを伝えた。
「ウィルマというのが子爵の付けた案内人か。明後日には第5層へ5人で行く予定なのか?」
「はい」
「辺地の木っ端貴族なんぞにいいように使われおって。お前に命じるが今後ダンジョン攻略外での護衛は禁じる。紅宝石が何と報告したのかわからぬが、侯爵も気がかわるかもしれんな。そもそもクーム侯爵はどういう心算で紅宝石のような過剰な戦力を但馬に付けたのか、何か聞いておるか?」
「ロミナ様は寡黙なお方なので、自身のことは何も話しません」
「もし明後日のダンジョン攻略に参加してくるのであれば1度聞いてみよ。こちらが探りを入れていることを悟らせるなよ。うまくやれ」
「……はい」
家令はマヤの顔から何かを探るように見つめる。
「どうかしましたか?」
「グリンプトン元子爵家の娘。リンと言ったか。近頃では良い噂は聞かぬが、うまくやれているのか?」
「リンさんとですか? はい。とても良くしてくださっております」
「思えばお前は同世代の娘たちと交わることもなく大人と共にいることを望んで育ってきたな。歳の近い友人がいてもよかろう。当家に仕える気があるか、それも聞いておけ」
「えっと、はい。聞いておきます」
「ん? 今はどこにも仕えておらんのだろ? 当家に不満があるようなことを言っておったのか?」
「いえ。そうではなくてですね。リンさんは農業に強い関心を寄せられていますから、但馬さんがダンジョン攻略を成し遂げてもそのまま日本に居つきそうです」
「あぁそういえば農地に施肥する肥料について熱心に調べておるのだったな」
「はい。ロミナ様も強い関心をお寄せです。お二方の学びに私は追いつけそうもないです」
家令の表情が少し柔らかくなる。
「あっ、でも。但馬さんが私を気にかけてくださっていますから、何もわからないわけではないですよ」
「いや、そうではない。お前と紅宝石とグリンプトン元子爵家の娘が仲睦まじく学んでおる姿をちと想像した。そこに但馬という中年男がおるのは違和感しか感じぬが、勉学でなくとも同世代の娘3人が語らうのは楽しかろう。紅宝石は駄目だが、グリンプトン元子爵家の娘とのそうした場を設定することは協力できるから、何か思いついたらいつでも言ってきなさい」
「ありがとうございます」
ー国境の城塞ー執筆に当たって
・フレーバーとして、D&Dのモジュール「The Keep on the Borderlands」を
参考にしました。
・宗教はTRPG『ルーンクエスト』からお借りしました。
<参考文献>
八原博通 『沖縄決戦 - 高級参謀の手記』中公文庫 2015
『歴史群像 No.43 沖縄1945』学習研究社 2000




