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第64話 ─国境の城塞─ あはれ旅人 悲みて夢うつら離りて行くか濁世を*

< 城塞『シュガローフ』 - 近傍地古墳墓(イドウム) - サナタ教現地司令部 >


「お帰りになられる? あの城壁の中にはあなた方全員が満足できる食料があるのにですか?」


 司教参事会長アーチディーカンはゴブリンからの予想外の申し出に驚いたという表情をしている。


「おまえ。はなし。うそ」


「嘘など言っておりませんよ」


 司教参事会長アーチディーカンは突然の罵倒に心が傷つけられたと弱々しい声で否定した。


「あな。いつ、できる? おまえ、かべ、なか、はいる、かんたん、言った」


「あぁトンネルですか……本当にいつ開通するのでしょうね。ここまで、城内から掘っているはずなのですが」


 司教参事会長アーチディーカンもゴブリンの言葉に大いに同意すると共感の姿勢を示す。彼は、この湿った古墳墓イドウム内の空間で、膠着状態に陥った現在の状況にうんざりしている様子を、わざとらしく見せつけた。


「おまえ。おおきい、どうぐ。かべ、こわす、言った。どうぐ、どこ?」


 司教参事会長アーチディーカンは一瞬、冷たい視線をゴブリンに向け、少し眉をひそめた。


「あなた方が頑張ってくだされば、そのような道具がなくとも城内に入れるのではないですか? わたくしどもは頑張ってきたのですよ。次はあなた方の頑張りに期待しております」


「おまえ、みず、ぬれない。おれ、ぬれる。たべるもの、ない。なに、がんばった?」


 ゴブリンは古墳墓イドウムの天井を見上げ、テーブルの上にある果物を指差す。


「これが欲しいのですか? どうぞ持って行ってください」


 司教参事会長アーチディーカンはテーブルの上にある果物を皿ごと持ち上げて、施しを与えるかのようにゴブリンへ突き出す。


「ちがう! いらない。おれ、かえる」


 そう言うとゴブリンの代表は、怒りを押し殺した低い唸り声を残し出て行った。


「閣下?」


「わたし達も今夜の内に引き上げましょう」


 司教参事会長アーチディーカンは後ろに控えていた部下に振り向くと指示をだす。


投石機カタパルトの修理は不可能なのですか?」


 部下は諦めきれないといった表情で、上司の翻意ホンイウナガす。


「あなたは見ていないのですか? 特殊な魔法を使ったのか、スリングで特殊な何かを投げ込んでから[ファイヤーボール]を使用したのか、革・縄は元より木材も薪にするしかないですね。何をすれば木材がの様な状態に成ってしまったのか当惑しております」


「後1日。後1日待てば、トンネルによって城内への侵入が可能になるかもしれませんよ?」


 司教参事会長アーチディーカンは目の前の若い男をまじまじと見つめる。 

 溜息をつきかけたが何とか誤魔化し口を開いた。


「よいですか。今回の作戦には想定外が多すぎます。ずは今日も降りやまない雨。この時期にこれ程雨が降り続けるなどということは誰にも予測できませんでした。その為士気が一向に上がりません。人間だけではなくゴブリン達も雨の中で行動することをイトってます。攻城兵器を組み上げるのに時間が掛かったのも雨による作業効率の低下が大いに影響しています」


 司教参事会長アーチディーカンは人差し指でテーブルを1度叩いた。思いの他大きな音が重く澱んだ古墳墓イドウム内の空間に響く。


「次に貴方が今お話しになられたトンネル。そこの隅に土中に埋めた壺がありますね。中に入れた水にサザナミが見えるのであれば私も待ちます。明日迄待ったところで、城内からトンネルがここまで伸びてくることはないでしょう」


 さっきは自重した溜息。目の前の部下に向けてではないせいか、部下が壺の水を見た後、司教参事会長アーチディーカンに向き直り視線が合ったとき、司教参事会長アーチディーカンの口からは長い溜息が漏れた。


「わざわざ不測の事態に備えた大事な兵器だと念を押したのに、それを川に流してしまったこと。これは私の失敗です。組み立てに手間の掛かる投石機カタパルト関連の部材。効率を優先して先頭に配したのは間違いでした。最重要な兵器である以上、私の目の届くところに置いておくべきだったのです。上への報告書ではこの失態が厳しく責め立てられるでしょう」


 司教参事会長アーチディーカンは天井を見上げると、少しの間目を閉じた。


「最後の想定外は……あの馬鹿げた火力を行使した魔法使いの出現です。あのような威力ある[ファイヤーボール]を何度も放つ魔道具を所有する者。私どもは今次コンジの作戦で何をしても城塞攻略がカナわなかったとはっきりしました」


 その言葉を受けると若者はテーブルに一歩近づく。


「たった1人の魔法使いの出現で弱気にならないでください。ゴブリンどもの数で押し切れば、1人の優れた魔法使いなんぞ障害に成り得ません!」


 司教参事会長アーチディーカンは暗い目で若者を見返す。


「そうではないのですよ。おわかりになりませんか? 貴方の言う通り1人の魔法使いを始末することは容易タヤスいことです。問題は!」


 穏やかに話していた司教参事会長アーチディーカンは突如感情をアラわにした。

 司教参事会長アーチディーカンの剥き出しの感情を向けられた若者は思わず数歩後退(アトジサ)りする。


「失礼しました。いけませんね。まだまだ私も未熟です。このようなことでは降格処分を受けてもしかたがありません。お詫びいたします」


 そう言うと司教参事会長アーチディーカンは少しだけ頭を下げた。


「何についてのお話しでしたか。……そうそう、魔法使いの出現でした。し城塞内に魔法使いが1人しかおらず、あれが城内での最高戦力であるのであれば、あのような使い捨て同然な用い方はいたしません。城塞総司令官は名にしおうファーンズワース聖騎士。グラブ傭兵隊隊長も優秀な指揮官です。使いどころを間違える愚か者であることを期待してはいけません」


 司教参事会長アーチディーカンは言葉を切り若者を見つめる。


「おわかりですね。城塞内には代替戦力として複数の魔法使い、アルいは表に出てきた者より遥かに優秀な魔法使いが控えているのです」


 若者は何も言わない。余計な言葉を口にしてもう1度司教参事会長(アーチディーカン)を怒らせるような危険を避けたのであろう。


「トクマト教がここまで此の地を重視していたとは驚くべき事実です。もしかしたらボックステッド子爵の策動かもしれません。近年は良い話を聞かず『成人してみればただの凡人だった』と笑われておりますが、周囲をミスリードさせていたのかもしれませんね。いずれにせよ、今回私どもは策をロウしすぎました。貴方はお若いのですから今回の私どもの失敗を他山の石として、今後のご活躍をお祈りいたします」


 そう言うと司教参事会長アーチディーカンはテーブルに向き直り書類への書き込みを再開した。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


< 城塞『シュガローフ』 - 某所 地下室 >


「行ったか?」

 机に向かって書類仕事をしていた助祭長は、ドアが開くや否や特有の甲高い声で確認した。地下室の湿気と埃っぽい匂いの中で、その声は一層耳についた。


「はい。助祭長。奴は城門上に呼びつけられたので、当初の2人だけではなく更に3人追加して都合ツゴウ5人を向かわせることができました」


「その5人で確実に仕留シトめられるのか?」


「所有呪文を払底させた魔法使い。護衛は少女が1人です。民兵の巡回コースは把握しておりますから、最適の襲撃箇所にての奇襲がカナえば確実かと」


「……所有呪文を払底させるような無能な魔法使いであればよいのだがな。お前もその襲撃箇所にオモムき、殺害が困難な場合でも奴のワンドだけは破損か奪取できるように差配サハイせよ」


 机を挟んで反対側にいる部下に助祭長は命じる。彼の細い目が、部下の顔を鋭く見据えた。


「どうした?」


 助祭長は、年齢に似つかわしくない普段の甲高い声ではなく、幾分低めの声をだして部下に返事を求めた。


「雑貨屋のお手伝いはできても、そういった荒事の経験はないのですが……」


 部下の顔をめ付けた助祭長は押しつけるような声をだした。


「誰にでも初めてはある。ここでお前が功を上げれば伝道者エバンジェリストに推薦しよう。それとも俺の命令は聞けんのか?」


「努力いたします」


 男は弱々しい声を出しながら頭を下げ、力なく部屋から出て行った。

 助祭長は閉じられたドアを数秒眺めたあと、机の下にカガみ込むと、頑丈な鍵つき収納箱チェストへ書類を詰め込む作業を再開した。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


< 城塞『シュガローフ』 - 城門前 >


酒場マリールーンを出てから1時間経っていないけれど、ロミナとリンは残っているだろうか?」


「ウィルマ様にも酒場マリールーンに居ると伝言を残しておりますから、宿には戻らず直接向かわれた方が良いと思います。未だに合流できていなかったら、今度はマリー様にウィルマ様へのご伝言をお願いしては如何イカガでしょうか?」


 俺もマヤもえて城塞に戻ってこなかった傭兵を話題にしない。マヤがどういう割り切り方をしているのかはわからないけれど、酒場マリールーンを出てから城門上迄の事について、俺の方から話題を振るつもりはない。


 朝方の強い雨はいつのまにか小雨に戻っていた。そのことに今頃気がついた。左右に並ぶ建物の軒先からは、一定のリズムで雫が地面を叩き、水たまりに波紋を広げている。思い返してみれば宿屋に装備を取りに行った時には既に小雨だった気がする。この1時間弱の間、どれだけ余裕がなかったのかと笑みを浮かべそうになるが、不謹慎なので表情筋は動かさない。濡れた土の匂いが鼻につく。

 会話がないまま2人で街路を歩いて行く。馬車が2台すれ違えるかどうかというやや狭い路に足を踏み入れたとき、俺の[危険感知]が反応した。


「囲まれている! [扉封じ]」


 声を出して警告する前に左側を歩いていたマヤが片手剣を抜き放つ。俺は右側の建物のドアに[扉封じ]をトナえた。


 左側のドアが内側に開くと、そこから2人の剣で武装した男たち、後ろからもう1人、合計3人の男たちが飛び出してきた。


 前面の2人、向かって右側の男が左の男より2歩程前にでた。

 一応剣は中段に構えているけれども場慣れしていないのか、剣先が僅かに揺れている。男の目が、マヤとその男の隣にいるはずの仲間と、反対側から飛び出してくるはずの仲間を探して忙しく動いている。緊張と恐怖で強張りきったその視線は、獲物を前にした狩人というより初めて修羅場に出た兵士のそれだった。


 マヤは一声も発せずにすっと前に出たと思ったら後ろに下がった。同時に右側の男が崩れ落ちる。


 マヤが下がるのと同時に左側の男が飛び出してきた。剣を振り上げているがマヤの突きを警戒しているのか、後ろに下がったマヤへの追撃を止めて静止した。


 この男の剣先は揺れていない。


 俺の後ろのドアからガタガタとノブを回す音、興奮した野太い男の声と、材木を叩く音がウルサい。


 再度マヤが前へ出た。

 するすると飛び出したと思う間もなく、剣を撃ち合うことがないまま左側の男も倒れた。


 後の男は剣を放り出してガクガクと震えている。


「但馬さん。こちらへ!」


 マヤは躊躇なく震える男の顔を片手剣の柄で殴り飛ばす。ふらついた男は壁に衝突し崩れ落ちるとその場で動かない。


「先程の魔法は助かりました。私と向き合っているのに注意を他に向けるとは修練が足りていません」


 マヤは2人の男をサゲスむ様に一瞬だけ見下ろした。

 ……そういう顔もするのかと、マヤとの心の距離が大きく遠のく。助けられている立場だが生命観の違いに絶望する。


 マヤの傍らに早歩きで近づきながら、3人目が投げ捨てた剣を足ですくい上げるようにして遠くへ蹴り飛ばした。

 壁に衝突させられた男は生きているようだが、立ち上がる気力はなさそうに見える。

 もし起き上がってきても対応できるように、数歩の距離がある場所に移動してから振り返った。


 [扉封じ]を掛けたドアの向こう側から聞こえていた声や音が止んでいる。

 どうしたものかと様子を窺っていると、突然2階から男が飛び降りてきた。すかさずマヤが一撃を与えようと前に出るが2人目も飛び降りてきた。


 上を見上げると3人目が窓から飛び降りようとしている。


「[魔法の矢]」


 窓枠に足を掛けて飛び降りようとする寸前の足を狙った。

 叫び声を上げながら男は頭を下にして落下していく。地面に激突する嫌な音と共に叫び声は止んだ。離れた場所からでも即死だとわかる首の曲がりかた。


 ……人を殺したという実感はいてこなかった。俺の仕事はホラー映画に出演して悲鳴を上げていれば良いだけのモブになることではない。守るべき相手がいる。その事をより強く意識する。


 マヤを挟んで2人の男が剣を構えている。3人共、窓から落ちた男を見ようともしない。

 使える魔法は未だ幾つかあるが、男2人を同時に瞬殺できる魔法でない限り、生きのびてもマヤは怒るだろう。まぁ瞬殺できてもマヤは怒るのだろう。

 このままここに立ち続けるのは下策だとわかっているが、下手に動くと現在の膠着状態が崩れそうな気がする。


 2番目に飛び降りてきた男。身長は俺と同じ175cm位か。剣道で言う八相の構えに近い剣の持ち方をしている。時代劇だと多数の敵に囲まれた主人公がよくやっているやつだ。完全に受けなのか、誘い受けなのかはわからない。


 最初に飛び降りてきた男は俺より10cm以上高い。何をすればそんなに上半身を鍛えられるのかという胸厚キョウコウが目立つ巨漢。

 この男が数歩動いてはマヤの隙を狙っている。図体から予想するのとは掛け離れた機敏さで立ち位置を変え続ける。

 剣は下段と言うよりも、ただぶら下げただけという持ち方なのは明らかに誘いなのだろう。


 何の前触れもなくマヤが巨漢に仕掛けた。

 マヤが水平に振った片手剣からは空気を切り裂くような音が聞こえた気がした。

 巨漢は真上から振り下ろした剣をマヤの片手剣に叩きつける。鋭い金属音がはっきりと聞こえた。

 ……正確に言うと、金属音が聞こえた後にマヤが水平に片手剣を振ったのが見え、巨漢は何時の間にか振り上げていた剣を振り下ろしている。という状況からの推測だ。


 マヤは俺を庇うように斜め後ろへと飛び下がる。

 もしかしたら、今の位置に動くために仕掛けたのかもしれない。


 片手剣を持つ右手がシビれたのか、マヤが重心を移そうとしたさい、左手の異変に俺も気がついた。自身の負傷に驚いたマヤは明らかに隙ができたように後ろから見ている俺には見えた。


 巨漢は不気味な面相を歪める。笑ったのだろうか? だが表情に変化があっただけで仕掛けない。


 マヤの左右両肘には防具を装着しているはずなのに、撃ち合う直前まであった左肘には防具がなく血が流れている。


 軟オーブを損傷部位治癒薬として、この状況で後ろからマヤの左肘に使用したら間違いなく怒るよなぁ。


 マヤは後ろに1歩下がった。


 巨漢は動かないが、もう1人が距離を詰めてきた。


 [魔法の矢]はまだ2本ある。片方に使うのが正解なのか、両者に1本ずつが正解なのか、決断できない。心臓がうるさく脈打っている。


 バシャバシャとぬかるんだ地面を駆けてくる音が近づいてくる。濡れた金髪を揺らしながら、長剣を右手に持ったウィルマが巨漢に駆け寄って行く。


 音と俺の表情で巨漢は振り向くことなく素早く横移動し、もう1人の男と並び立った。


 襲撃者2人と、マヤ・ウィルマが相対する。マヤの後ろにいる俺は壁の側にウズクマる男から更に数歩離れたところに移動した。


「マヤさん。後はワタシめが引き受けます。傷の手当てをしてください」


 ウィルマは正面を向いたままマヤに話し掛けた。その声は、戦闘の緊迫感とは裏腹に、驚くほど冷静だった。


「この程度の傷は問題ありません! 1人は私が受け持ちます」


「わかりました。ではこのまま互いの正面を受け持ちましょう」


 様子見していた巨漢は何かに気がついたと言わんばかりに怒声を上げてウィルマに切り掛かる。何を言ったのか聞き取れなかった。


 巨漢は加速薬でも使ったのかという程の速度でウィルマに向かったが、剣を撃ち合うこともなく崩れ落ちた。……ウィルマってこんなに強いのか。

 もっとも、負傷した子爵を後ろに庇いながら、ウィルマがこの2人と睨みあっていたならば、別な結果になっていたかもしれないし、マヤも周囲を気にする必要がなければ負傷しなかったかもしれないけれど。


 均衡が崩れた。マヤが前に出て最後の男を切り払う。その動作は、巨漢を倒したウィルマのそれと同じく、一切の迷いがない。


 戦闘中は軟オーブ(赤)を損傷部位治癒薬として使うことを考えていたけれど、俺はバックパックから軟オーブ(緑)を取り出してマヤに歩み寄る。


「左肘の負傷に使って」


 振り向いたマヤは俺が右手に持つ軟オーブ(緑)をじっと見つめる。


「そこまでの負傷ではありません。お願いを1つ聞き届けていだけますか?」


「何?」


「但馬さんの[キュア・ライト・ウーンズ]で治して欲しいです」


「[軽傷治癒]で治るの?」


「はい! 緑のオーブを使用する程の怪我ではありませんから」


 随分と久しぶりにマヤの笑顔が見れた気がする。この1時間は俺の人生で最も長い1時間だったかもしれない。そのまま言われた通りに俺はマヤの怪我を治す。


 左肘を曲げたり伸ばしたりして、マヤは傷が癒えたのか確認しているとき、急に俺の右手の軟オーブ(緑)へと視線を向けた。


「そういえばお話ししておりませんでした。家令さんが『第5層で青色のオーブが見つかれば買い取りたい』と言っていました。お譲り頂けますか?」


 襲撃者の検分をしていたウィルマがマヤの言葉に大きく反応し、壁際に蹲っていた男の右膝を蹴り飛ばした。男は悲鳴を上げて地面にもんどり打つ。


 ウィルマはモダえる男を一顧だにせず、俺の面前に走ってきた。


「青オーブが手に入るのですか? それは硬軟どちらのオーブでしょう?」


「かもしれないという話。帰国したら、俺の自宅に接続している未踏破ダンジョン第5層に向かうことになるが、第4層では緑色の硬軟オーブが1つずつあった。第5層には青オーブがあるかもしれないし、ないかもしれない。それは行ってみなければわからないよ」


 ウィルマはあからさまに落胆した表情を見せる。肩を落とし、濡れた金髪から水滴が滴っても微動だにしない。不謹慎だが戦闘の高揚感が抜けていないのか、彼女の整った顔を流れる水滴に妙な色気を感じた。


「その未踏破ダンジョンの第5層には1度も足を踏み入れていないのですね?」


「そうだけど、マヤたちによるとイレギュラーダンジョンらしいから、蓋然性ではなく可能性の話だよ。後で揉めるのは嫌だから繰り返すけれど、確実に青オーブがあるという保証は全くない」


 決然とした表情を見せるウィルマは両足を揃えて立ち、姿勢を正す。


「これまでのワタシめと子爵の非礼は深くお詫びいたします」


 そう言って最敬礼の位置で頭を下げ留めたまま、動かない。


「どうか、そのダンジョンにワタシめを連れて行ってください。必ずお役にたってみせます。そしてし青の軟オーブが見つかりましたら、オールバラ伯爵家との競売にワタシめが参加することをご許可願います」


 言い終えてもウィルマは頭を上げようとしない。


「事情があるのはわかるけれど、俺が思うところのあるのは子爵に対してであって君ではない。だから、そういう話は保留にして。どの道この包囲下から解放された後にするべき話だろ。それ。正直に言うと、金輪際ボックステッド家と関わりたくない。それが本音」


 俺の最後の言葉でウィルマはオモテを上げた。

 怒り・悲しみと哀しみ・打算、様々な感情が表情から読み取れる。


 俺の直ぐ目の前にまで距離を詰めると、今度は濡れて泥状の地面に両膝をつき両掌リョウテを組み合わせ、祈るような姿勢で俺を仰ぎ見る。


「今、此の時より、ワタシめは閣下に命じられた任務を放棄し、但馬殿の護衛として誠心誠意努め上げます。その事をもってワタシめの謝罪とさせてください」


「同じ事を何度も言わせないで、そういう話は子爵の弁明を聞いてから決めるから。それと、今直ぐ立ち上がらないと俺の君への印象は悪くなるだけだから止めた方がいい」


 悄然ショウゼンとした風で立ち上がるウィルマ。


「あのー但馬さん。家令さんはどうしても買い取りたいという訳ではないですよ。ですから競売にはならないと思います」


 それを聞いたウィルマが俺に何かを期待する顔を見せる。

 答えようとしたら、集団が早足で駆け寄ってくる音が聞こえた。


「お前たち! そこで何をしているのか!」


 槍を持った集団が近づいてきた。市内巡回中の民兵だろう。


ワタシめにお任せください」


 早足で民兵たちに向かって行ったウィルマは倒れている男たちを指差しながら何やら説明し、最後に地面でのたうつ男のことで何かを言った。


「本当か!」


 民兵たちがざわめき立つ。


「こいつ! 雑貨屋で働いているところを見たことがあるぞ」


「あの店主もサナタ教徒か!」


 壁の側に蹲る男を取り囲んでいる民兵たちの辺りから、何度か苦痛に呻く声が聞こえてくる。

 ウィルマは話していた相手へ首を横に振ると俺を指差し、こちらへと歩いてきた。


「顔馴染みの者がいたので事情を説明しておきました。この場の事は彼等が引き継ぎます。酒場マリールーンにてお二方フタカタを待たれていますが、どうなさいますか? 次の指示をお願いいたします」


「事情って、俺もわかっていない事をどう説明したの?」


「一声尋ねたら『なんでも話す』と、自らサナタ教徒であることを認めましたよ、あの男。この場で襲撃を受けたのですよね?」


「今回の騒動を企んだ連中か……目立つ事はするもんじゃないね」

 マヤに向けて肩を竦めて見せる。


「但馬さんはご立派でしたよ。お気を悪くなされるかも知れませんが、本当は私(コワ)かったんです。自分より大きくて力の強い大人が戦場で不規則行動を始めたらどうしようか、と」


「だから騎乗するときアブミに足を乗せたまま、クラの上から俺を見てたのか」


「えーと、はいそうです」


 気のせいか、マヤのホオに少し朱がさしたように見える。後ろからマヤにしがみついている間、俺と同じ事をマヤも考えていたようだ。


 後方から不愉快オーラが漂ってきた。振り向いたがウィルマのまし顔と視線がかち合うだけだった。


「それじゃあ酒場マリールーンに行こうか、あの神官さんには酔い潰れていて欲しいけれど」


「そうですね。行きましょうか」


 俺の左側にマヤが立ち、並んで歩きだす。ウィルマは右後ろからついてきている。冷たい小雨は、俺たちの頭上へと変わらず降り注いでいた。


 翌朝。空は抜けるような青空がひろがり、前日まで降り続いた雨が嘘のように、爽やかな風が城門を吹き抜けている。ファグス=クレナを発つ朝を思い起こす。

 城塞に到着したとき、警備は傭兵達の任務だったのに、何故か今朝は近衛と民兵が門の周辺を警戒していた。総司令官から預かった短剣は昨日の内に返還し、挨拶も済ましている。傭兵隊隊長とは前日の城門上で別れたきりで会っていない。別に期待していたわけではないが、傭兵たちが俺を見送る気がなさそうなのはちょっと淋しい。


 門、か…… そういえば漱石三部作、正確に言えば前期三部作に『門』があったな。『三四郎』を連載していた朝日新聞社が漱石に続編を打診し、快諾はしたがタイトルを決められない漱石。続編だから『それから』でいいということになった。『それから』の連載が終了し、そのまま続編を希望する朝日新聞社。快諾はしたが、またしてもタイトルを決められない漱石は『それからのそれから」でどうだろうかと新聞社に尋ねる。担当から「真面目に考えてほしい」と言われても適当なタイトルを決められない漱石。取り敢えず『門』というタイトルで連載をはじめたが、一向に“門”は登場しない。『門』の主人公野中宗助は、物語の終盤、作者によって禅寺へと向かわさせられた。


 野中宗助は、門を(タタ)いたが門を開けて独りで入れず、門の下に立ち竦み、引き返すこともせず、日の暮れるのを待つべき不幸な人であり、彼は陰鬱な日常に回帰することを最後に選んだ。

 俺はどうなのだろう? 門は(タタ)いた。でも独りで開けて入ったのだろうか? そっと馬車の隣に座るマヤを見る。突然視線を向けられたマヤは、きょとんとした顔をして大きな目を更に見開いてから、穏やかな笑顔を向けてくれた。

 つられて俺も笑顔を見せる。自然に笑えた自分に驚く。


 先月無かった事が今月ある事も無く、今月無かった事が来月あるはずもない日常。築五十年弱のマンションで、独り昨日のコピペを繰り返すだけだった毎日。

 今、俺の隣には穏やかに微笑むマヤが座っている。何の(テラ)いもなく微笑み返せた俺がいる。もう、あの日常には戻れない。そう、静かに確信した。


 日本では見ることの無い透き通った青空の下、馬車は往く。

* 上田敏訳詩集『海潮音』エミイル・ヴェルハアレン「火宅」新潮文庫 1952

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