第52話 ─国境の城塞─ こゝ虚なる無声境 浮べる物や 泳ぐもの 生きたる物も 死したるも 此空漠の荒野には 音信も無し 影も無し*
「何をしにきたのかと問われても説明に困るのですが、日本という魔法や魔物の存在しない世界からの訪問者にしてみれば何もかもが目新しいものなのです。日本ですと城塞は観光地、槍や剣は博物館に陳列してあるものですし、馬車は特別な催し物で見かけることもある曾祖父時代の乗り物ですから」
老人の眉が又少し動いた。
「日本。日本人か…… あくまでも此の地には観光で来たと言い張るつもりなのか?」
雰囲気が悪い。剣呑な気配が濃厚になっていく。
「もしよろしければ、何が此の地で起きているのか差し障りのない範疇でご説明頂ければ、この場での会話が無為に終わることなく互いの着地点を見出せるかもしれません。如何でしょうか?」
老人。総司令官か。俺の目を睨みつければ隠している情報を探り出せるとでも言わんばかりにこちらを凝視している。いや、魔法があるんだったな、この世界。
俺を睨むのに飽きたのか、総司令官は傭兵隊隊長の方に視線を向け顎をしゃくる。
「ざっくばらんにいこうや。ボックステッド子爵とは連絡を取り合っているから、ゴブリン共が蠢動していることは俺等も把握している。子爵が籠城用資材を掻き集めていることも商人から聞いている。その赤髪女は噂の『紅宝石』だろ? 貴族間でどういう取り引きがあったにせよ、噂が事実ならその娘がいれば俺等も心強い。だが、事前に話を通さずに何もかも終わってから対価を要求されても困るんだよ。俺等はお前たちに何を期待していいんだ? その見返りに要求することは何だ? それを話してくれ」
「誤解があるようですね。ロミナがここに来ていることを侯爵は知らないと思いますよ」
そう言って俺はロミナに視線を向ける。
ロミナが1歩前にでた。
「今但馬様が仰られました事は事実です。侯爵はわたくしが此の地に来ていることを承知しておりません。わたくしに命じたのは但馬様の護衛です。ご懸念されている事態を避けたいと思し召しであるのならば、どのような騒乱にもわたくしの介入を望まないでください。もしわたくしが城塞の防戦に参加したことが侯爵に知られると…… 後悔なされる事態となるでしょう」
小屋が狭いせいなのか、静かなロミナの声が耳に染み入る。
こういうのを「鳩が豆鉄砲を食ったよう」と言うのだろうか、隊長は思考が読み易い。総司令官は憮然としている。どっちも皮算用を外したな。
状況を明確にするために、こっちの無表情女にも聞いておくか。
「ウィルマ。俺たちが子爵に聞かされていた話と事態は異なるようだが、子爵は俺が何を楽しむべきだと考えて送り出したのか説明してもらえるかな。それが出来ないならこれ以上俺たちが誤解されないように、そんな事態になっていることを俺たちは知らされていなかったと明言してくれ」
ウィルマは微動だにしない。ただ、彼女の表情は僅かに揺らいでから目を伏せ床を彷徨う。
「なんだお前、本当に観光に来ただけなのか?」
隊長が驚いている。
「最初からそう言っていますよ」
俺は隊長に視線を向けず、ウィルマの顔を眺め続ける。
「……」
ウィルマは俺の視線を避けたまま何も言わない。
「後払いの件だが、子爵からは沢山貰えそうだからもういいよ。答えなくても」
隊長に視線を向ける。
「情勢が逼迫しているのか余裕があるのか見当もつかないけれど、俺たちは明日帰ります」
「んっ…… あぁそうか、そうだな。その方が良いだろう」
「こちらでの作法を知らないのですが、俺たちはこのまま退室しても? それとも総司令官や隊長が退室するまで待機しておかないと失礼になりますか?」
隊長は総司令官に視線を向ける。
「どうやら誤解があったようだな。……だが解せん。お前は何なのだ? お前に何がある? 何故クーム侯爵やオールバラ伯爵は、そのような者たちにお前を護衛させている?」
「私のような平民から見れば、雲の上の方々のお考えなど想像力の埒外です。その答えは持ち合わせておりません」
「ふむ。そういう事にしておこうか。グラブ隊長、この者たちに一夜の滞在を許す。兵舎に泊めてやれ」
総司令官は立ちあがりながら隊長に命じ部下2人を連れて退室した。
「こちらから出向くのではなくて、総司令官が居室から出てこちらに来られるとは、随分と行動的な方なのですね」
最初から感じていた違和感を誰にともなく呟く。
「へっ! 内壁内に入れるのは総司令官とお供だけだ。俺も中には1度も入ってねぃよ」
「何か理由があるんですか?」
「まぁ機密でもなんでもないから教えてやるが、内壁内にはでかい貯水槽が地下にある。知らない奴が馬を連れて中に入って馬が糞を垂れたら、水を入れ替えるにはとんでもない大工事になるだろう。水を汚染させないために許可した者しか中には入れない」
……建設に従事した労務者を皆殺しにしたのでなければ、人の口には戸が立てられないし、大工事と言うぐらいなのだから大勢が参加したのだろう。此の地では広く知られた事なのだろうけれど、これ以上軍事情報に関する話題は避けた方が良いだろうな。
「これから兵舎に案内させるから、今夜はそこで泊ってくれ。この後に何か予定はあるのか?」
「予定というか、到着したらお昼を食べようという話はしていました。今からでも城塞内で食事のできるところはありますか?」
「飯か…… ちょっと待ってろ」
隊長が小屋を出ていくと、戸口の前に元々この小屋内に居たであろう連中が所在無げに突っ立っていた。
「あぁお前等そこにいたか。今日の非番はC分隊だったな。誰でもいいからC分隊の中で臨時に4人の班をつくってB装備でここへ来いと伝えてくれ。この別嬪さんたちの護衛だと言えば、文句を言わずに来る奴が4人ぐらいだったらいるだろう」
「B装備ですか?」
「あぁBだ。逮捕者なんかだしたら面倒だ。このお嬢さんたちに近づけさせないように威圧して追い払えれば十分だ」
「わかりました!」
隊長の正面にいた男が何処にかへと駆け出して行った。
「お前たち3人は中に入って良いぞ」
言われた3人は、おずおずと小屋の中に入ってきた。彼らの視線は、マヤ・ロミナ・リン・ウィルマの4人に釘付けになっている。
「お前等だったら、この時間に昼飯を食いに行けと言われたら何処へ行く?」
「この時間ですかぁ~。こんな時間だと…… マリールーンの酒場が手近っすね。営業していそうな他の店はここからだとそこそこ離れていやすが、数え上げていきやすか?」
「いや、いい。無駄に壁内を歩き回って余計な騒ぎを起こしたくない」
部下と話し終えた隊長はこちらに向き直る。
「おっつけお前たちの護衛がやってくるから、そいつらに案内された店で飯を食ってくれ。食い終わって兵舎へ来た頃にはお前さんたちの寝床の用意もできているだろう。ご婦人方4人が1室とお前は…… 大部屋で1人寝るのと、俺の部下たちと同室で寝るのと、どっちを希望する?」
「大部屋で1人をお願いします」
俺は即答した。
そこそこの時間待たされていると戸口に男たちの声がした。ノック無しでドアが開くと1人の若者が入ってきた。
半球形の兜を被り、皮鎧と、金属や皮を部分的に被せている木製丸盾、腰に片手剣を吊るしている。
若者は隊長に声を掛けようとしたが俺の周囲にいる女たちが視界に入ると、これ以上は大きく広がらないだろうという限界に挑戦するかのように目を見開いたまま、こっちに視線を向け沈黙している。
「リンガー!」
隊長が一喝すると、リンガーと呼ばれた男は慌てて隊長に向き直る。
「し失礼いたすましたぁ」
「酔っているのか? リンガー」
「自分は素面であります。アルコールを口にしたことは1度もありません!」
「言っておくことがあるから後ろの3人も中に入れろ!」
最初の若者と似たような装備をした男たちがどかどかと入ってきた。年齢は20~40歳ぐらいで統一感はない。隊長の叱責が聞こえたのか全員緊張している。
「非番のところを呼び出して悪かったな。シフトは変えられんが今日の特別任務には手当をつけるから勘弁してくれ。でだ、お前たちにはこちらのお嬢さん方の護衛を頼もうと思って呼んだのだが、ちと、不安になってきた。お前たち! 俺の部下としての自覚はあるのか!」
「ルマリオ神の御名に懸けて、誠実に任務に当たります!」
リンガーが最初に唱え、残り3人が続いて唱和した。彼の声は、先ほどの失態とは裏腹に、訓練された兵士のそれだった。
「信じよう! だが今回の護衛任務では、緊急の場合を除いてお前たちがお嬢様方に話し掛けることを禁ずる。何か言う事があったらお前たちはそこの男にのみ話しかけろ。わかったな!」
「了解致しました!」**
4人全員皆が揃って唱えた。
「よしっ! ではお前たち、こいつらは昼食が未だだそうだ。マリールーンの酒場へ連れて行ってやれ」
「はいっ!」
リンガーと呼ばれている男は俺を見て、少し睨んで、から口を開く。
「案内しますからついてきてください」
隊長に軽い会釈をして俺たち5人は部屋をでる。
馬車は兵舎の方に移動させてくれるそうなので歩きだ。
「どうかしましたか?」
城塞に1ヶ所しかない城門から先程の小屋までは城塞内のメインストリートだったのか、馬車3台ぐらいが並んでも余裕があったけれど、今案内されている道は馬車2台がすれ違うのも難しそうだ。
「農園のときにも思ったけれど、生活臭や動物臭があまりしないね」
「生活臭に関しては窮民支援政策として清掃活動に従事すれば手当が貰えますから、今では問題となることはありません。動物臭が農園で強くなかったのは、農園主が女性だったので清潔な環境を心掛けていたからではないでしょうか。この城塞内で動物臭が漂ってこない理由は私にもわかりません」
俺とマヤの会話にリンガーが割り込む。
「兄ちゃん。そいつはなぁここでは各家庭が家畜を飼っていないからだよ。家畜は纏めて管理している」
並んで歩いていた年嵩の傭兵が肘でリンガーを小突く。
「あぁなるほど。そういうことですか」
余計な事を話して諍い事を起こしたくないので、黙って歩くことにした。
案内された酒場。イメージとしては西部劇にでてくる酒場というよりは、イギリスの小洒落たパブに近い。
カウンター席は10席ぐらい。窓側はボックスシートが並んでいて、その間に丸テーブルと丸椅子が2組配されている。
奥側のカウンター席に女性だろうか、テーブルに顔を伏せているセミロングの髪が見える。
店内の空気は穏やかで、一種の気怠い時間が流れていた。
「おやまぁ、えれぃ可憐な嬢ちゃんたちだねぇ~」
酒焼けしたがさつな大声がする方を見ると、マヤよりも背の低い老婆がカウンターの向こう側からこちらを見ていた。
店内には2人しかいないので、傭兵たちには店外で待っててもらえるようにお願いする。
マヤたち4人にボックスシートを指差し、俺は女性陣たちが腰かけたボックスシート近くの丸椅子に座る。
「飲みに来たのかい? 食事かい?」
「何が食べられますか?」
多分配膳はしてくれないだろうと思い直し、立ちあがって老婆の方に行く。
テーブルに顔を伏せている人の髪が僅かに揺れた。
「こんな時間じゃねぇ~サンドウィッチで良いかい?」
「飲み物は何がありますか?」
「金は?」
そういえば俺は文無しだった。
「銀貨と、トクマト銅貨があります」
ボックスシートから立ちあがったウィルマが歩いてきて俺の隣に並ぶ。
テーブルに顔を伏せている人の髪が、又、僅かに揺れたのを視界の端で捉えた。
「おやまぁ嬢ちゃんだったのかい。あんた前にも1度来てるね。嬢ちゃんも良い女だけれど、どういうつもりでそんな可憐な嬢をぞろぞろと引き連れてやって来たんだい? その嬢たちなら王都で店を開いても繁盛するだろうに、あんたも酔狂だねぇ。それとも訳ありかい?」
「私めはただの案内人です。そういう事は考えておりません」
「おやそうかい。勘違いしたようだねぇ気を悪くしないでおくれよ…… 注文は蜂蜜酒でいいかい? エールやワインもあるよ」
「5人分のサンドウィッチと蜂蜜酒を4杯、私めにはエールをください」
そう言ってウィルマが貨幣を数枚テーブルに置いた。
「あっ俺は酒を飲まないから3杯でいいよ」
注文を訂正した後はすることもないので、用意ができるまで丸椅子に戻ろうかと思ったが、寝たふりをしている人を揶揄うために大回りして席に戻ろうかなと視線を背中に向けた。
寝たふりをしていた人は、俺が視線を向けるや否や振り向いて、鋭い視線を返してきた。
演技力を総動員し、突然どうしたのだろうと首を捻って不思議そうに見つめてから、席に戻ろうと背中を見せる。
背後で立ちあがったのが気配で分かった。
丸椅子に座るのと同時に丸テーブルの反対側に大女が立っていた。
俺とウィルマと大女。きれいに正三角形の頂点に位置している。
マヤとロミナもこちらに注意を向けているのが何となく気配で分かる。
「アーナンダ教会から派遣されたガーナー聖職禄神官とは貴女でしょうか?」
ウィルマが何か含むところがあるかのように、正面に立つ大女の爪先から頭頂部まで睨めあげる。
この世界の神官衣なのだろうか黒地の服に金糸? でラインが入っている。どこかで見たような文様な気もしたが全体は見えない。
「あんたとは初対面だと思ったけどねぇ。どっかで会ったかい?」
「いえ、ボックステッド子爵から聞いていただけです」
「あぁそういうことかい。子爵は何て言ってたんだい?」
「10歳若ければ私めと良い勝負ができただろう。と」
大女が丸テーブルを蹴飛ばそうと動き出す瞬間ガラガラ声が室内に響いた。
「外でやりな!」
小柄な老婆が両手を腰に当て、意想外な大声で一喝した。
「ウィルマ。嫌な仕事を押し付けられて面白くないと君が考えていることはわかるけれど、外にはルマリオ教徒だったか? 俺たちの護衛をしている傭兵がいるんだから、自分がされた嫌なことをあの人たちに押しつけようとするのはやめてくれないか」
「けっ、小便くせいガキが粋がって調子こいているのはそういうことかい。で、小僧! 護衛を引き連れて何しにここへ来やがった!」
「その話は、今、総司令官と傭兵隊長にしてきたところなんだけれど。俺たちは明日の朝帰るから気にしないで」
「気になるから聞いてんだよ、小僧!」
「食事に来たのだけれど、この店のオーナーさんなの? 食べるのに許可がいるのであればそう言って欲しい」
奇妙な沈黙がおとずれる。
「エヴァ! その坊やの言う通りだ。ここは酒と食い物を提供する店だよ! 商売の邪魔をするのなら今日はもう帰んな」
周囲に味方がいない神官は、靴音荒く店を出て行った。
4人が食事している間、俺は食べないだろうなと思いつつ、サンドウィッチをハンカチで包んで丸テーブルの上に置いておく。俺の行為に店主が口を挟むことはなかった。
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<城塞『シュガローフ』 - 仮宮>
助祭長から送り出された日本人、今鵜健夫は頗る機嫌が良かった。
助祭長は1ヶ月前に1度会っただけの日本人の境遇を驚くほど正確に覚えており、「期待している」と幹部昇格も約束してくれた。
今鵜健夫は某県で最も古い由来をもつ神社の跡取り息子だ。
ある日、境内でダンジョンの入り口が発生していることに気付いた健夫は、その事を家人に伝えようと屋内に引き返す。そこには、祖父と母と妹が居間で健夫を待ち構えていた。
「ウストローシテ、外ニャ出ラレンバイ!」
妹が健夫を指差し泣き叫ぶ。
爺さんは鬼の形相で健夫のスマホを床板に叩きつけた。
母さんは巫女のバイトをしている女子学生が着替える部屋に、何故健夫のスマホが置いてあったのかを尋ねてきたが、たまたま置き忘れただけだという説明を哀しそうに見つめ返すだけだった。
家族は誰も俺のことを信じてくれなかった。
あの貴族は俺が苦労して作った石鹸をゴミでも見るような顔で駄目だししやがった。
ジジイが壊したスマホが手元にあれば、俺は異世界で知識チートができたのに、俺の溜め込んだデータは全て無駄になった。
でも助祭長は違う。あのお方は俺の言葉を全て信じてくれたんだ。
あの人は信じられる。俺の異世界冒険は今日からリスタートだ。
今度こそ上手くやってみせるぜ。
突然健夫の背中が痛む。痛みが強く、叫び声を上げることなく地面に突っ伏す。
「あんたの金を盗んで逃げた間男ってそいつかい?」
2人の女の片方がもう一方に尋ねる。
尋ねられた女は健夫の髪を乱暴に掴み上げ、顔を覗き込む。
「違った。黒髪で背格好は似ていたけれど、あたいの金を盗んで行った男はこんな平たい顔じゃない」
「捕まる前に早く逃げようよ!」
「あっあぁ。あいつは必ず見つけ出して殺してやる!」
2人の中年女は路地の中に駆け込んで行った。
* 上田敏訳詩集『海潮音』ルコント・ドゥ・リイル「大饑餓」新潮文庫 1952
** マナー教室の業務を否定するつもりは毛頭ありませんが、筆者には協力する義理もありません。




