第50話 ─国境の城塞─ ゆめ な語りそ 人の世は 悦おほき宴ぞと そは愚かしきあだ心 はたや卑しき癡れごこち*
「何?」
両手を腰に当て仁王立ちしたままリンは俺の顔を睨みつけている。
「喫煙室で1,000人の兵という言葉が唐突に出ましたが、何故そんな話をはじめたのですか?」
ウィルマも俺が答えないと梃子でも動かないという圧を掛けてきた。その圧は、リンの攻撃的な態度よりも効果的に感じるのは歳の…… いや経験の差なのだろう。
「最初に嘘話をすると断ってあるのだから、1つの思考実験みたいなものだよ。この世界の軍事行動がどうなっているのかを知りたかった」
「喫煙室に入る前から但馬様は盗み聞きされている可能性を示唆なさっておられました。わたくしには農園の方々がそのような事をなさる理由がわかりません」
珍しくロミナが顔を曇らせて質問してきた。
「さっさと答えなさい!」
「別に明確な根拠なんかないよ。出迎えたふくよかな女性と女主人という組み合わせが昔観た映画** を連想させた。映画だと食事後に農園の女主人が後片付けを理由に主人公たちを別部屋に移動させるのだけれど、洗い物を放置したまま姿を消した女主人と使用人に不審を感じ、2階に上がったら暖炉の前で聞き耳を立てている女主人たちを発見する。1階と2階の暖炉は煙突が繋がっていて、主人公たちが移動を強いられた1階の部屋での会話は全て2階へ筒抜けになっていたという落ち」
「『映画』というのが何かわかりませんが、あなたはそんな事で農園の方々を疑ったのですか!」
「何か不都合があるのかな? ここにいる全員が嘘だと知っている。誰も盗み聞きをしていないのであれば、俺がバカな事をしたという事実だけが残る。それで終わる話だろ。一方でもしあの農園がトクマト教だっけ? その宗教の影響下にあり、且つ盗み聞きしていたのであれば、農園は俺たちの話を通報するだろうね。夜のうちに早馬でも出したんじゃないの。子爵が望んでいたのはそういう事ではなかったかな」
「どうしてトクマト教を疑っているんですか!」
「えっ?」
「ウィルマ様はトクマト教徒なのですか?」
「私めも閣下もトクマト教徒ですが……」
突然沈黙するウィルマ。
「ボックステッド子爵閣下はアーナンダ教が神官を派遣したことに不審を感じておられました。つまりトクマト教が行っているかもしれない何かがあるとお考えになられていたのではないのですか?」
「それは……」
ロミナが普段より少しだけ早口で畳みかけるも、ウィルマは視線を床に落としたまま、明瞭な返事を避けている。
「ウィルマ様。私たちが知っておくべき情報をお隠しになっておられますよね?」
マヤも追撃する。
「ウィルマさんにも事情があるのよ。あたしたちが知るべきではないと子爵閣下がお考えなら、ウィルマさんに強要するのは良くないわ。それよりその『映画』って何よ、詳しく話なさい!」
リンが露骨な話題転換を要求する。今、そんな話をする状況か?
「1度、但馬さんのお宅で『映画』を観せていただきましたが、これぐらいの板の中で演じられる劇のことです」
俺が思案していると、マヤが両手を広げて映画の説明をしている。
「それで、その劇ってどういう話なのかしら?」
子爵が俺たちに話さなかった事を部下がペラペラと話すことはないだろうし、今日は初っ端から空気が悪かった。ここは場に合わせるべきだろう。俺は空気を読める男なのだ。
「今、映画の話をするのもどうかと思うけれど、どういう話かと言うと、アメリカという国であった内戦を題材にとった話。日本で無能の代名詞として名が上がる牟田口という将軍だったら『ジンギスカン作戦だ~』と言うだろう補給を無視した作戦をアメリカでは優秀だと誉めそやされる将軍が内戦中に命令した。同時期に発令した無謀な作戦*** 8つだったかな? 8前後は失敗したけれど、唯一成功した作戦を映画には興味がない人でも名前だけは知っている有名な俳優が演じたから後世にまで語り継がれている。失敗した戦いは忘れられ成功した話だけが残る。日本だと成功した戦いには触れずに失敗した作戦だけを取り上げて『だから駄目』と旧軍批判しかしないのとは対照的だね」
俺が映画の話をしていると、リンと並んでいたウィルマはさりげない体で火の後始末をはじめる。
「騎兵だけで構成された2,000弱の軍が、輜重隊なしで敵地約1,000kmを駆け回り、補給網を寸断するのに成功した作戦。映画では敵側への通牒を防ぐために農家の女性2人を軍に同行させたことになっているけれど、その辺は画面が男臭くならないようにするための映画的演出で史実ではないと思う」
「だからあんたは1,000なんていう現実離れした数を口にしたのね!」
話題逸らしなのか、普段通りなのか、リンは平常運転だ。
「但馬さんの世界では何万人もの軍隊が戦われていることがよくあるのですか? それとも以前但馬さんが仰られた唯一の大国がそのような大軍を幾つにも分けて動かせるのですか?」
以前にも1度思ったが、マヤは俺の話を良く覚えているな。
「時代によるから何とも答えようがない。三圃制で農業生産量が増える前でも、それなりの国であれば数万の軍勢を動かしていたようだけどね」
「それって内戦ではなくて、他国や異民族との戦争のときの話よね? だったら同じよ。エァル国でも対外戦争だったら万の軍勢が揃うわよ。あたしが言っているのは辺境の100人も軍のいない拠点への攻撃よ!」
バスティーユ牢獄の守備隊も、そういえばそれぐらいの数だったかな。
「1,000という数を出せば数百の兵が来るということであれば、そこは問題にするほどのことはないんじゃないの?」
守備兵より少ない数で攻め込んだ赤穂浪士は参考にならん例外だよなぁ。
「兎も角! 今後はアドリブ禁止! 何をやっているのか、さっぱりわからないあたしたちの身になってよ」
「君たちは俺の期待に完璧に答えてくれたじゃないか。次も大丈夫だよ、多分」
「お願いですから、もうそういう事はしないでください。但馬さん」
「善処いたします」
「えっ?」
「何で敬語?」
「わたくしからもお願いいたします。イレギュラーな言動をなされては、適切な護衛遂行に支障があります」
「あなたたち、出発の用意ができたわよ。馬車に乗ってもらえるかしら」
何もなかったように振る舞うウィルマに多少の思うところはあるが、俺は空気を読める男だから何も言わない。
「じゃぁ行こうか。混沌渦巻く城塞へ」
乗車前に空を見上げると、いつの間にか青空が見えなくなっていた。
お願いを誤魔化された不満顔。
何時もの能面が少しだけ崩れた思案顔。
城塞での立ち位置を決めかねている不安顔。
三者三様の顔つきで少女たちも馬車に乗り込む。
曇天の下、土の道を行く馬車の陰鬱に軋む音が響く。
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< 城塞『シュガローフ』 - 某所 地下室 >
石造りの部屋は日中の屋内のように明るく、よどんだ空気が重く滞留している。男が書きものをしていると、ドアをノックする音が響き、一拍後ドアが開く。
「助祭長。鳩が来ました」
陰気な声で助祭長と呼んだ男は、部屋に1台しかない机に5枚の紙を並べる。
書きものを止めようとしない男は顔を上げることなく問い返す。
「どこからだ?」
「全て、ファグス・クレナに通じるハンター農園からです」
書きものをしていた指が止まり、男は顔を上げる。
「授けた鳩全てを使わねばならん長文か、要約すると何が書いてあった?」
「5枚とも文面は同じです。何れ劣らぬ美しく若い女性4名と日本人の中年男性1名がこちらに向かっているそうです。目的は街道の調査。1,000名の兵が近々この城塞『シュガローフ』にやってきます」
「1,000だと? バカな。ファグス・クレナからの報告では、子爵はこちらの策に嵌り籠城の準備をしていたのではなかったか」
助祭長の顔に、明確な苛立ちが浮かぶ。
「はい。籠城用備蓄品の購入は増えております。しかしながら未だ、野営用の厚手外套・テント・樽・馬具といった遠征用品の追加購入をはじめたという情報は入っておりません」
「ボックステッドは狡猾だからな。ファグス・クレナより向こうの街から購入し、密かに運び入れている形跡がないか、我等が把握している増加分を考慮して、例年の通行量に変化があるかを調べなおせ。それと信徒共の子供等を動員して、ファグス・クレナに通じる街の商会に潜り込ませて、送られてくる荷物を確認させろ」
「何故こんなに早く軍が動くのでしょうか?」
部屋に入ってきた男は顔の汗を着ている服の袖で拭いながら、恐る恐る尋ねる。
「この愚か者! いいか! 我々がボックステッドを策に嵌めたのだ。ボックステッドが我等と同じように策を弄していると何故考えんのか!」
助祭長と呼ばれた男はヒステリックに早口で捲くし立てた後に肩で息をする。
「農家で立ち聞きした話だけで物事を決めつけてはいかん。現状、城塞内で新しい兵を受け入れる用意なんかしておらん。本当に増援が送られてくるのであれば、兵の数に応じた用地確保や資材備蓄に排水路の点検といった準備をしておるはずだ。それに1,000の軍ともなれば、高位貴族が指揮官だろう。後方で踏ん反り返るためにファグス・クレナの宿を月単位で押さえているはずだ。それも調べよ。お前が恐れても良いのは、先行部隊がファグス・クレナ周辺で野営地の選定を始めてからか、斥候が街道周辺の荒れ地を調査するようになってからだ。仮にこの情報が正しくとも、今からでは間に合わんよ」
「地下トンネルが開通する2・3日後までには、間に合わないということですね」
「そうだ。それとボックステッドの見え透いた餌に信徒が食いつかんように、過去に娼婦へ暴力を振るった者や酒癖の悪い者は全てトンネル掘りに回せ。事が起こるまで地上にはだすな」
「かしこまりました」
そう言って男は退室しようとする。
「待て! 先程、日本人が来ると言っていたな」
「はい。中年の男と書いてあります」
「1・2ヶ月前に入信した…… 今鵜と名乗ったか? 若い日本人を日没後に仮宮へ来るように伝えよ」
「助祭長は、あのような末端の信徒の名まで覚えておられるのですね」
男は意外そうな顔つきをする。
「ふんっ! 些末な信徒の名や経歴なんぞ、3分で覚えられるのだ。そして必要がなくなれば、そんな者の積み上げてきた人生なんぞ忘れるのに5分かからん!」
男は姿勢を正し、助祭長に一礼する。
「は、はい! 聖なる御業の元、必ずやり遂げます! 2日です。2日あれば土塊なんぞ主の光で貫けるのは確実です! 鋭意…… ええと、必死に邁進いたします!」
そう言って男は退室した。
* 上田敏訳詩集『海潮音』ジァン・モレアス「賦」新潮文庫 1952
** 『騎兵隊』米映画 1959
*** ビックスバーグに対する作戦行動




