第49話 ─国境の城塞─ 水こえ 山こえ 夢こえて つひのやどりはいづかたぞ*
「食べて」「考えておく」「食べろ」という、終わらない遣り取りを重ねていると、門前で出迎えてくれたふくよかな中年女性が「食事の用意ができた」と告げにきた。
皆の食事中1人外に居るのもどうかと思ったのでついて行く。
さして広くない邸宅だからか、食堂が塞がっているのか、食事は応接室で食べるようだ。ローテーブルに4人分の食事が並べられていた。
女主人とやらは同席していない。地球とは慣習が違うのかな。
予想通りと言っては語弊があるかもしれないが、全く食欲の湧かない食べ物が置かれている。
まぁオートミールではなくパンが置いてあるのだから、予想よりは良いとも言える。湯気の立つスープに入っている野菜は固形だけれど、それが何かは見ただけだとわからない。
金や銀色に見える食器は、多分黄銅と錫・鉛の合金だろう。ウィルマがこの一行をどう紹介したのか知らないけれど、木製食器ではないのだから上客としてもてなしてくれたということか。
リンがこちらをチラチラと見はじめた。
「何?」
「あんた。何しているの? 何時もの食事を摂ればいいじゃない。ついでにあたしの缶詰も取ってきて」
「この部屋に置いてあったバックパックはどこへいったのだろう?」
誰ともなしに呟く。
「皆さんが外に出られているあいだに、使用人が今夜泊まる部屋まで運んでいきましたよ」
「勝手に邸内をうろつくのもまずいだろうし、俺は部屋に案内されてから食べる。冷たくても食べられる缶詰もあるから」
「あたしは今食べたいのだけれど?」
「リンさん。ここはもうボックステッド家の領内ではありませんし、閣下の名代として泊まらせていただきました。ですから、女主人への失礼な振る舞いは控えてください。食事に十分な量がここにはあります」
ウィルマは背筋を伸ばし威厳をもってリンを諫める。その声には、貴族の名代としての強い責任感がこもっている。リンはウィルマに何か言い返すかどうか暫し迷ってから、俺をちらりと見て、再び食事を再開した。
もしかして缶詰を持ってこいと言うのは、俺にここで食べさせる口実だったのだろうか。
全員の食事が終わるのを待っていたかのように女主人が入室してきた。
「ご歓談中に失礼いたします。当農園は明日も朝が早うございます。まことに失礼かと存じますが、お休みの時間まで喫煙室への移動をお願いいたします。まだまだ宵の口はお寒うございますが、あちらの部屋には暖炉もございます」
「!」
女主人の最後の一言に、思わず声をださない笑みを浮かべてしまった。
応対しているウィルマを除く3人は俺が笑ったのを見咎め、互いに目配せをした。結構良いパーティーになってきている。
喫煙室に案内した後、女主人は出て行った。煤けた壁や暖炉から特有の匂いがする。不完全燃焼で発生した煤の微粒子が壁や天井に付着し、酸化と拡散を繰り返している年季の入った部屋だ。
マヤが口を開こうとしたので俺は決めてあったハンドサインで黙らせる。
1人1人の耳もとに口を寄せ、可能な限りの小さな声で「話を合わせて」と囁く。
マヤは顔を近づける俺に変な誤解をしたのか体全体が固まっている。ロミナは無表情のまま頷き、リンは露骨に顔を顰めた。
不信感を隠そうともしないウィルマにサークレット(通訳)を手渡し、小声の日本語で話しかける。
「話を合わせてくれるか、嘘がつけないのであれば黙っていて。協力してくれないのなら俺たちは明日日本に帰る」
ウィルマが一瞬躊躇してから頷くのを確認し、サークレット(通訳)は返してもらった。
さて一芝居をはじめるか。
「子爵が上に呼びかけて集めた兵1,000人って、輜重兵や工兵、徴用した農民を含めての数なのかな? それとも騎馬身分が1,000人で、その他を含めると数千人規模になるの?」
マヤが目をパチクリさせ視線を泳がす。
あれ? 1,000人は吹かし過ぎたか。300人ぐらいにしておけば良かったかな。
「恐らく騎馬身分は100人ぐらいではないかしら。後は傭兵が数百人と言ったところね」
普段とは違う硬めの声と真面目な顔をしているからか、珍しくリンが合わせてくれた。
「1,000人と言われていますが、目的地まで全数がついてくるとは限りません。少数の集団毎に移動しますので、約束の日に約束の場所に全員が揃うと考える事はあまり現実的とは申せません。今リン様が仰られたように数百人とみるのが現実的です。総指揮官に任命された方の力量次第ですが、兵の運用に慣れていない方が選ばれていれば500人も集まれば良い方です」
こういう即興劇はこの2人が合わせやすいか。マヤも早く再起動して欲しい。
「総指揮官って、言い出した当人か戦場に一番近い領主ではないの?」
「いえ、そういう基準で総指揮官が選ばれることはありません。但馬様のお国ではそのような基準で決まるのですか?」
「時代や状況次第で区々《マチマチ》かな。俺たちは今回名代として派遣されたらしいけれど、城塞まで行って帰ってくれば往来に差し障りがないことを報告できるし、治安絡みで特段の支障がなければ問題ないだろう。ロミナを迎えたのが3日前だから、城塞には2日滞在したらファグス・クレナに帰ろうか。ちなみにロミナは球冠鏡を使わずに侯爵家に帰還できる魔法があるの?」
「[テレポート]が使えます。ですが[テレポート]は常に数%の確率で座標がずれるので、最後の選択肢として行使いたしたく存じます。わたくしは家令より10日以内に1度帰還するように命じられておりますので、無理のない旅程をお願いいたします」
「ねぇあんたがさっき言った『工兵』って何?」
「あぁサークレット(通訳)が仕事をしてくれなかったのか。何かと言うと…… こっちだと何だろう? 橋が破壊されていたら、応急処置をして軍勢を通せるように壊れた橋を修復するようなことはやってるのかな?」
リンに聞いたら感情にかまけて議論に熱中し、芝居が台無しになるかも知れないので、ロミナの美しい顔を眺めながら尋ねる。
「そのような魔法は存じ上げません」
「魔法だけではなくて、例えば山間部で落石が道を塞いでいたら、早急に大岩を崩せるように予め道具を持ち歩く土木工事専門の部隊はいないの?」
「領内に山岳地域や湿地帯等の特異な地形があれば、そのような部隊が用意されているようです。ただしそういった部隊は維持に相当な経費が嵩む為に運用しない貴族家が多いようです。以前当家の家令が『ただ乗り』であると他家を罵っていたことがありました」
「わざわざそんな人たちを当然のように用意しているの? 本当に日本人って変な事ばかり考えるわね」
この後もリンの質問が続き、俺がいいかげん辟易していたら救いのドアが開いた。
「皆さま。お部屋の用意が整いました。ご案内いたします」
最初に門の前で待ち構えていた人で、俺とマヤたちが外で話しているときに食事の用意ができたと呼びに来てくれたBMI値の高そうな中年女性だった。
「殿方はこの部屋をお使いください」
そう指示された部屋に入って行くと何故かマヤがついてきた。
「護衛ですから」
しれっとした顔で振り向いた俺に答える。
「いけません!」
ウィルマがマヤの腕を掴む。ウィルマさんグッジョブ!
「冗談です。お休みなさい」
そう言うとマヤは爽やかな笑顔を俺に向けた後、ちょっとだけ舌を出す。
「あっ全員待って! えっと案内の人、女性たち4人の泊まる部屋は続きと向かいの4部屋でいいのかな?」
「さようでございます」
「明日の打ち合わせがあるから、ここまででいいよ。案内してくれてありがとう。4人は部屋に入って」
4人が部屋に入る間、俺は女性が立ち去るのを見送った。
「何よ打ち合わせって」
部屋に入って室内を見回す。天蓋ベッドがあるだけの簡素な部屋だった。あのベッドは動かせそうにないな。ドアは部屋が狭いせいか外開きになっている。
「但馬さん?」
「あぁごめん。物語に出てくる盗賊宿だったら天井や床に出入り口があるだろうから無駄だけれど」
そう言いながらバックパックに歩み寄り、中から釣り糸と多機能ナイフを取り出す。
「取り敢えず、ドアと窓の板にこの糸を仕掛けて簡単に外から開けられないようにしておくから、若し夜間に何かあったらそれを覚えていてね」
「そんな細い糸が何の役に立つの?」
「この糸、君たち2人ぐらいならぶら下がっても切れないよ」
そう聞いたリンは一瞬思考が止まる。
「あたしの分はあるのかしら?」
すぐに再起動できたようだ。
希望者を募ると全員が手を挙げた。
「あと。鈴もあるけど、使う?」
これも全員が手を挙げたので、5mぐらいで切った釣り糸と、鈴2個をそれぞれに手渡す。
「朝は7時起きで良いのかな?」
「今の時期ですと夜明けは5時半頃ですから、6時には起きてもらえますか」
「あぁ夜明けが生活の基準か、わかった。それじゃお休み」
俺はドアを開け退室を促す。
4人が退室したのでドアノブに釣り糸を括りつけ、天蓋ベッドの支柱に結ぶ。
ドアノブには鈴をぶらさげておく。
次に窓に歩み寄ると板を外に向けて押し上げ、板に釣り糸を巻きつける。ここは1階なので外から糸を切られたら意味がないが、釘を打ち込むわけにはいかないし、ホチキスの針では弱すぎるから仕方がない。この糸にも鈴をつけておくので、熟睡していなければ糸が切れたときに鈴が落下するから音で気がつく。
まぁ悪意のある人間が近づいてきたら熟睡していても俺は気がつくから、本当は糸や鈴にあまり意味がない。
トクマト教の信者が寝ている俺に何かすることは俺のためなのだと、本心から害意がなかったときの用心だ。
季節的に多分虫はいないだろうが、藁の上にシーツを掛けたベッドにワンタッチテントを載せる。天蓋と支柱が邪魔をしてきちんと広がらないが気にしない。
石の床は体温を奪われそうなので論外だ。ここの者がこんな事をしているのを見れば眉をしかめるだろうが、誰にも見られなければ何も問題はない。
天蓋に垂れ下がる薄いシーツを巡らすよりもテントの方が保温率はいいだろう。
寝袋に入りパウチ入り防災パンを1個だけ食べると、腕時計のアラームをセットして眠る。
……保温率が良すぎたようだ。朝目覚めると、テントの内側に水滴がびっしり付いていた。この部屋、昨夜は何度まで温度が下がったのだろう。
何のためにテントを使ったのか問い詰められたくないので寝起きに魔法を使う。
「[食糧、水を清める]」
うん。これで問題は何もない。テントは完全に乾いたので、きちんと折り畳む。
まともな朝食は数時間後ということなので、4人は昨日焼いた冷めたパンだけを受け取ってきた。
ウィルマが女主人に手渡しているのは恐らく銀貨だろう。
開放された門の側には、毎度の太った女性が暇そうに突っ立ている。
女主人に挨拶しない口実として、昨夜4人が使った寝袋と俺の寝袋を馬車の屋根に差し渡したロープに引っ掛ける作業を黙々と1人でこなす。
聞いてはいないが定型文の挨拶を終えたのであろう4人が馬車に戻ってきた。
今回は何故か女主人への挨拶に加わろうとしなかった俺の非常識な行動を誰も咎めない。
ウィルマは馬車の周りを1回りして、使用人の仕事に手抜かりがないか確認した後御者台に上がる。
他の3人も無言で馬車に乗り込んでいく。誰も何も言わない。俺も特に話題が思いつかなかったので、城塞についてからの行動を検討することにする。
朝の馬車内は冷え冷えとしている。車輪が石を弾く乾いた音だけが、会話の途絶えた空間を埋めていく。ウィルマは一度もこちらを振り返らず、淡々と馬を操る。馬車が揺れるたび、ウィルマが握る手綱の軋む音がやけに大きく響く。マヤだけは時折、助けを求めるよう隣に座る俺の顔に視線を向ける。視線を合わせようとマヤの方に顔を向けると、マヤは思い直したように顔を前に向けた。リンがそれを見てさらに深くフードを被る。ロミナだけが、揺れる車輪の音に合わせて規則正しく瞬きを繰り返し、この沈黙を当然の儀式のように受け入れていた。俺もまた、これから向かう城塞の光景を脳裏に描くことで、この居心地の悪い静寂から逃避していた。
出発してから1時間程で馬車が止まる。
「食事にしましょうか」
リンが俺を見据えてから首をクイと外に振る。
黙々と火を熾し、湯が沸くと火からおろして人数分の缶詰を鍋に沈める。
ほぼ1日ぶりの温かい食事にありつけた。
中身を食べたカレー缶に温くなった湯を注ぎこみ、薄いカレースープとして人心地をつく。
……緑茶パックも1箱持ってくれば良かったかな、と後悔していると。
「で!」
リンがいきなり鋭い声で突っかかって来た。
* 上田敏訳詩集『海潮音』アンリ・ドゥ・レニエ「銘文」新潮文庫 1952
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参考文献
新井由起夫『世界史リブレット105.中世のジェントリと社会』山川出版社 2020




