第44話 ─国境の城塞─
<ボックステッド子爵領-ファグス・クレナ領庁-執務室>
足の踏み場もない床。様々な物が散らばっている乱雑な室内。棚に目を向けると、そこに書物は見当たらず、書類ケースが不安定な状態で積み上げられている。
眉間に皺を寄せ書類を睨みつける中年男性が執務机にかじりついており、球冠鏡越しのこちらに全く気がついていない。
ヘルメットを小脇に抱えながら、失礼に聞こえないように慎重に咳払いしてから声をかける。
「こんにちは」
ビクッと上半身が反応した男性は首だけをこちら側に向けた。その疲労しきった顔から見てとれる不健康な印象…… 徹夜続きの中年男性であることを如実に示している。
男は視線を動かしながら俺たちの値踏みをはじめた。俺の全身を見、マヤはちらりと見ただけ。ロミナとリンを見たときには表情が少し動いた。
「君たちはどういう資格で球冠鏡を使用しているのか?」
子爵の声は、苛立ちを押し殺したような低い響きがあった。
「日本という国で低脅威度ダンジョンを探索中なのですが、途中で見つけたオーブの力で各貴族家からご支援を受けているところです」
「貴族…… その長髪の娘はグリンプトン家の御息女で間違いないね。『神々の愛し子』と言われていた……」
後ろにいたリンが俺を脇に押しやり前に出る。
「予告なく拝顔の機会を得、赤面の極みです。子爵閣下におかれてはご壮健の様子。お変わりなくお過ごしになっていらっしゃいますか?」
「壮健?」
フッと苦笑した子爵は言葉を続ける。
「今、当家の者は出払っていてね。支援してやりたいのは山々だが日々の雑事に忙殺されておる。1つ、ちょっとした用を頼まれてくれ。そうしてくれれば家の者も手が空くから支援も可能になる」
「望外の喜びです。子爵閣下。どのようなお手伝いでもお命じください」
「いや、ちょっと待ってリン。君個人の話をしているんだよね? 俺たち全員ではなくて」
リンはありえないといった表情で振り向いてから、俺を睨む。
「何を言っているの? 前衛を1人欲しがっていたのは貴方ではなかったかしら。私たち全員でお手伝いをするのよ」
「もし貴族に対して失礼でないのなら交渉は俺にやらせてくれないか。それとも平民は直接会話できないのかな?」
「そんなことはないぞ。直答を許す。だが、許可を得ずに貴族の話に割り込むのは今後控えた方がよかろう」
「配慮が足らず申し訳ありません」
俺は浅く頭を下げる。
「君は日本人だね。君たちの言う異世界での生活は楽しめているのかな?」
「いえ閣下。日本とダンジョンの往復だけです」
「ん? あぁそうなのか…… どうだい君。我が領地を見て廻ってみないか? 馬車を貸してやろう。確か日本人はそういうことを好むと聞いた」
「アームレットがあれば行き来は可能ですが、オーブを持っての移動は登録情報が失われると伺いました。私がそちらに移動すると日本に戻れなくなってしまいます」
「何言ってんのよ、あんた。使っていないアームレットが2個あるじゃない!」
俺は気合で表情筋を抑え込み、さもなんでもない会話の継続であるかの体を装い話し相手をかえる。
「ロミナ。オーブをこのダンジョンに残しておけば、アームレットを使って俺が君たちの世界と行き来することは可能なのかい?」
「原理的には可能だと思慮致します。但し確言は致しかねます」
ロミナに確認してから向き直り、念のために聞いておく。
「閣下はそのようにして、過去にも一時的に日本人を呼び寄せたご経験がおありなのですか?」
「ない」
俺が話を断ろうとすると、リンが大岩の上のアームレットを掴むと俺に突き出した。
「ごちゃごちゃ言っていないで行きなさい! もし日本に戻れなくなったら………… あたしがあんたの面倒を見てあげるから!」
別に日本の暮らしに未練はないから、そうなってもいいかなと思いつつ、バックパックから軟オーブ(赤)を取り出し病気治癒薬として飲む。
リンからアームレットを受け取り、子爵から許諾を得、映像の中に足を踏み入れた。
子爵に一礼し、球冠鏡と向かい合う。
成程。こういう風に見えるのか。
あれっ、戻るときも軟オーブ(赤)が必要なのか? なんかコレ、考えるのが面倒になってきたな。俺が日本で外出しなければ問題ないか。
「あんたは色々考えすぎなのよ!」
戻るなり罵倒された…… そんな単純な話なのか……
「もう良いかね?」
「申しわけありません子爵閣下。どうかお続けください」
又リンに割り込まれた。さっき釘を刺されたから成り行きを見守るしかない。
「国境…… と言っても何百年も前に滅んだ国との境という意味だが、そこに打ち捨てられた城塞があった。先年、トクマト教がその地での荘園獲得を企図し城塞を修築した。現在は入信すれば素性を問わないと人を集めておるところだ」
ここまではわかったかと、子爵は一旦言葉を切る。
「ところで君たちの中にアーナンダ教徒はいるのかな?」
子爵は女性3人の顔を順に、探るような視線で確認していく。
「おらぬようだな。よろしい。トクマト教が新たな荘園を設置し、そこにトクマト教徒を集める。これだけならよくある話で何の不審もない。だが、その地の礼拝堂にアーナンダ教の神官を派遣するということの意味がわからない」
子爵は俺がいることに気がついたという顔をし、女性たちのみを等分にみるのを中断し、警戒心を含んだ視線でこっちを見た。
「アーナンダ教の信徒は女性が多い。わからぬようだからもう少し補足すると、辺境の地で見境なく人を集めておるところでは女人の住人などほとんどおらぬ」
「そういうところに彼女たちのような羞花閉月を連れて行くのは危険なことではないですか?」
「城塞の責任者は、かのリカード・ファーンズワース卿だ。聖騎士としての勇名はこの地で知らぬ者なぞおらん。危険なことなんぞあるものか」
「まぁ! ファーンズワース卿にお会いできるのですね。それは楽しみです」
リンが又割って入ってきた。貴族の話に割り込んだら駄目なんじゃないの?
「うむ。楽しんでくれ。家の者をあの地に何人か遣わしたが、何が起きているのか皆目わからん。君たち、特に日本人が聞きまわれば異なる反応もあろう。わしは何かが起きる前に何が起きるのかを把握しておきたい。もし、何も起きないのであれば家の者を1人おまえにつけてやる余裕もできる。先程前衛が務まる者を欲しがっていると言っておったな」
「閣下。ご要望に応じることは吝かではありません。ですが訪問するにあたって前報酬をいただけますか?」
「ちょっとあんた! 何失礼なことを言っているのよ」
リンは目を丸くして、声を荒げた後、子爵に頭を下げる。
「申し訳ありません子爵閣下。後程私が叱っておきます」
「ふむ。日本人。前報酬とは何だ? 何が欲しい?」
子爵は俺の要求に意外そうな反応を示し、何かを試すように返事を促した。
「日本人が閣下の領地で伝染病を広めたと謗られたくないので、往復分と予備、合わせて10個の軟オーブ(赤)が今必要です」
「何やら計算が合わぬが、まあ良い。今用意しよう。前報酬と言ったが後には何を望む?」
「閣下が仰った通りに楽しい旅を過ごして戻ってこられれば、それだけで十分です」
「ならば余分な支払いは必要ないということだ」
そう言うと子爵はニヤリと笑った。その顔は、疲労の皺の中に、老獪な貴族の鋭い眼差しを光らせていた。
日本人が球冠鏡の接続を切った後も子爵は椅子に座ったまま動かずにいた。執務室に静寂が戻る。
考えをまとめると、室内に籠り続けたためにだるくなった重い体を気力で動かし、隣室の窓に歩み寄ると庭を見まわす。
馬丁が馬の世話をしていたので大声をだし呼び寄せる。
「以前ここにいたウィルマを覚えておるな。すまんが今直ぐ呼んできてくれ。急用だ。その馬に鞍を載せて連れて行きウィルマに使わせよ」
呼びつけられたウィルマが1時間後に執務室へやってきた。
「随分と急な呼び出しですね、閣下」
入室するやいなや文句を言う短い金髪の女性を子爵は受け流す。
「先程、そこの球冠鏡越しに『狂犬』と話をした」
「『狂犬』とはグリンプトン元子爵家のご息女を指していますか?」
「そうだ。数年前までは『神々の愛し子』と呼ばれていた娘でもある」
「確か幼児の頃、父上と共に乗馬中、蛇が馬の足を噛み父上は即振り落とされたのに、鐙に足が届かず手綱も持っていないに関わらず、見事な平衡知覚を発揮し、馬が落ち着くまで振り落とされることがなかったと」
「おそらくは長時間の乗馬で馬を疲れさせることなく駆けさせることに長けた者として、あの娘より巧みな者はそう多くはいまい。かつての彼女は、まさにグリンプトン家の至宝だった」
ウィルマは、遠い記憶をたどるように目を細めた。
「実務能力も並外れていた。10歳頃からはじめる貴族教育で、王都から呼び寄せた令夫人が2日目には『教えることが何もない』と3日目に職を辞し、12歳で『紹介できる学者は国内にいない』と王都の学者どもに言わせしめた英明」
「あの頃の彼女は、確かに完璧な貴族の息女でしたね」
「それだけではないぞ」
子爵が、手元の書類を整えながら付け加えた。
「下級使用人の家族も含めて、誕生日から結婚記念日まで、すべてを把握していた。記念日には必ず、その者にふさわしい言葉と心付けを贈る。そんな細やかな配慮ができる娘だったのだ。家が残っておれば伯爵家の正妻として迎え入れられたであろう、優秀で心根の優しい女性だ」
ウィルマは、子爵の言葉の裏にある情を読み取り、静かに首を振った。
「その完璧さが家を失った今、彼女を追い詰めているのかもしれませんね」
「両親の取柄が『善人』と『敵がいない』ではな。敵がいないという事は、一度退潮しはじめれば誰も家の存続や名を賭けて助けに出る味方がいないという事と同義語だ」
「閣下は熱心に彼の家を擁護したと聞きましたが?」
「わしだけではなかったさ。だから子爵領を男爵領に編入という要求を王家は却下した。家や名を損なわない範囲での弁を労する程度の義理が、何人かにはあったということだ」
「今回も、その義理で私めを呼び出した。と?」
「他にクーム侯爵家の『紅宝石』もいたな」
「私め、最近では歳のせいか体が鈍ってきたようです。久しぶりの乗馬で体の節々が痛んでまいりました。本日は帰って良いでしょうか」
「ふん、歳か。面白い話をしてやろう。他に成人前後の少女がいた。オールバラ伯爵の家令に雇われておるそうだ。その娘とお前との歳の差が10とする。お前が近日に訪問することになっているトクマト教の城塞にはアーナンダ教の女神官がおる。その神官とお前との歳の差はやはり10といったところか」
「その歳に10を足すと閣下のお歳になるということですか?」
ウィルマは、子爵のペースに乗せられないよう挑発的な質問で返す。
「……わしの歳の話はよせ。お前の10上と10下が1つ所に集まるわけだ」
「それがどうかしましたか?」
「ふっ、もしその3人が同じ歳であれば、一番強いのは誰だろうな」
「意味のない仮定です。つまらない話を聞くことで私めの閣下への義理は向こう数ヶ月間分使い果たしました。帰宅してよろしいでしょうか?」
「その結果。お前はこの場でした判断を近い将来悔やむことになるぞ」
子爵の言葉には確信めいた警告が込められていた。ウィルマは姿勢を正し、硬い声で聞き返す。
「何が起こっているのでしょう」
「ゴブリンどもが辺地で騒ぎ出した。集団からあぶれたものが人の地に追いやられたのではない。こちらの防衛体制を探るかのように入念な索敵と撤退を繰り返し、ときには威力偵察も交えておる。その動きは明らかに統率者の存在を示しているな」
「冬小麦が実るのを待っているのでしょうか?」
「わからん。ゴブリンが麦を収穫するのかもわからん。収穫前の麦を荒らすことで我が領の弱体化を狙っておるのであれば、統率者はゴブリンではないだろう」
「上位種の目撃情報がありましたか?」
「ない。そのかわりにサナタ教徒が辺地で信者を増やしているかもしれないという不確定情報はある」
「アーナンダ教の女神官が城塞に派遣された理由がそれですか?」
「おそらく中央で議題に上ったのであろう。何故あんな神官を派遣したのか、泡沫貴族には誰も教えてくれん」
「城塞への訪問に私めを同行させるのは、私めの潜入を隠すためですか?」
「それは結果的にそうなるという話だな。最早その段階を過ぎているかもしれないが」
「どういうことでしょう?」
「わしが気にいらんのは、ゴブリンどもの動きが先を見過ぎているということだ。まるで城塞が陥落するのは規定の事実だと言わんばかりに動いておる」
「そんなことは……」
「もちろん。相手が先々に気をまわしすぎる利口なバカだという可能性もある。ファーンズワース卿も傭兵隊長のニック・ザ・グラブも経験と実績を積み上げてきた人物だ。苦も無く防衛できるかもしれない。だがな、城塞が陥落し難民がファグス・クレナに逃れてきても、わしは城門を開放するつもりはない。今から難民への対策を練っておかなければ事が起きてからでは間に合わん」
「どうなさるおつもりですか?」
「無駄になるかもしれないが、近場で農村が使用している(屋根なしの)荷馬車を掻き集めている。今の時期は商人どもが馬車を押さえておるから数を揃えられん。可能な限り難民は後送するつもりだ。ファグス・クレナから内地への路は、馬車が石に乗り上げて乗客の傷病者や子供を路上に放り出さないように、子供の握りこぶしより大きい石は見つけしだい路外に捨てるように触れは出したが、何故そうする必要があるのか理由は説明していない。どこまで実施されているのかは神々のみが知っておられる」
「時間の猶予はどれ位あると閣下はお考えですか?」
「わかっておらぬようだな。予定表に沿った行動を逐次とるのではない。できることをできるだけ順次行っておるのだ。お前に課す今次の任務は、お前が確実に帰還すること。これが第1だ。次に、可能であればクーム侯爵家の者も連れ帰れ。それが第2。後は附則としてオールバラ伯爵家の者も連れ帰ることができそうなら手伝ってやれ。他の『狂犬』と日本人は見捨てて良い」
「ちょっと待ってください! 日本人…… ですか? 聞いていませんよ」
「今、話した」
「どうして! そういう大事なことを最後に言うのですか!」
ウィルマは入室してから一番大きな声をだした。
「愚かな日本人が見目麗しい若い女性たちを連れ、女に飢えている無頼漢の巣窟に向かう。日本人に何が起ころうがお前は放っておけば良い。その日本人は生きて帰ってはこれんだろう。だからお前が気にすることは何もない。邪教徒どもの統制は完璧だ。どれ程探っても何も掴めん。だがな、下っ端まで完璧な組織なんぞ存在しない。今回投げ入れた餌に、その下っ端が食いついてくれば得られるものもあるだろう。お前はそれを持ち帰れ。現場で指揮を執っている者の名だけでも知ることができれば良い。情勢が不穏だと感じればお前だけでも帰ってこい。帰還の時期を見誤るなよ」
子爵の目は、冷酷な策略家のそれになっていた。ウィルマが仕える10年前、ボックステッド家の「将来を担うホープ」として人々が称賛した往事の片鱗をうかがわせている。
「私めの働きに重きを置かないということであれば、女性を危険な地に追いやることをお止めになられては如何でしょう」
「彼の侯爵が名高い『紅宝石』をつけたのだ。それにオールバラ伯爵家がつけた者もかなりの手練れだ。件の日本人にはそれだけの価値があると両家は判断したのだろう。わしはそれが何なのかを知りたい。だが上位貴族と張り合う気は全くない。与えられた任務だけでは不満だというのであればそれも探れ。だが、厄介事に首を突っ込むなよ。お前がすべきなのは全身を耳とし、両名と日本人がどういう会話をしているのか、それを全て覚え帰ってくることだ」
「本当に私めが行くべきなのか、疑問だけが膨らんでいきますね」
「釣り合いというものがある。代わりの者を行かせれば他家はその者の力量で我が家の戦力を推し量る。それは避けたいのだ。だから引退したお前を選んだ。お前が行くことで我が家の二次戦力を他家に知られることが防げる。もっとも、現在の状況で城塞に遣わしても生還を期待できる者など当家にはお前の他におらぬのだがな」
そう言って子爵は微苦笑する。それは自己嘲笑と、過酷な現実に対する諦念の混じった笑みだった。




