第42話 友と敵がいなければならない 友は忠言を 敵は警告を与える
閉館時間まで図書館に籠っていたので、外はすっかり暗くなっていた。
この時期は毎年寒の戻りで、上旬から中旬にかけて徐々に上がっていた気温が少し下がる。振り向くと皆寒そうに肩を窄めていた。
車にもどりエンジンを始動させヒーターを最強にしてから、夕食を予約した店に向かう。
日本人にはわからない感覚だが、欧米人が喜ぶ日本独特の電飾で彩られた街路の光景。異世界人にも好評のようだ。少女たちが首を横に向け、色取り取りの光に感嘆の声を頻繁に上げているので、スピーカーから流れている音楽が時折り聞こえない。夕方のラッシュとはかちあわずにすんだので、スムーズに目当ての店に到着した。
しゃぶしゃぶと日本料理が売りのチェーン店。そういえば毎シーズンすき焼きのランチを食べに来ているが、この店でしゃぶしゃぶを食べたことが1度もなかったなと思いつつ店内に入る。個室を予約したとき、習慣で今回もすき焼きを注文していた。
つい見栄をはり、これまで1度もこの店で食べたことがない松阪牛を指定したのは完全に失敗だった。何気なくロミナまで追加注文をしてやがる…… そんなキャラだっけ? 君。
店側が芸能人の一団と勘違いして、宣伝のつもりで最良の肉を出してきたのではないかと変な疑心が生まれてくる。今度1人で来てこの店が客を見て出す肉を選んでいないか試してみるか。
結局、想定していた予算の2倍強の金額になり、マヤに買ってあげた服代と大差ない支出になった。来月からキャッシュカードの利用限度額が上がりそうな気がする。
店から自宅まで、夜の国道は空いており快適なドライブが楽しめた。
満腹感と暖かな車内。押し寄せる睡魔に抗しえる少女は1人もおらず、3人共夢の中。
異世界だとこの時間はもう寝ている時間なのかも知れないが、危機感が足りていない気がする。それとも、今日初めて出会った男が隣にいても、気にせず眠れるのが異世界の日常なのだろうか。
マンションの駐車場に車をとめ、声を掛けて皆を起こすと異口同音に不満を口にしている。こういうところは日本の中高生とかわらない。
事前に告げてあった通りに、ロミナとリンは[不可視]の魔道具を使用し姿を消してもらい、後ろについてくるように言う。
マヤは俺の左腕に両手を絡め、寝ぼけてもたれかかる様に時折胸も俺の左腕に押し当ててくる。
……以前歯科衛生士が似たようなことを、その時は俺の頭に胸を押し当てていたが、こちらが無反応だと胸の当て方が足りないのかと、何度も押し当て方をかえ、反応しない俺に胸が当たっていることを気づかせようとアレコレ試していたのを思い出す。後10年も経てば業を煮やして強く押し当ててくるのだろうが、マヤは少女の恥じらいか、当たるか当たっていないかという限り限りのところまでなのが内心の葛藤を示している。他の2人は眠いのだろうが、少なくともマヤは眠そうに見せかけているだけだ。
時刻は21時。エレベーターホールには誰もおらず、蛍光灯の無機質な光が床を照らしている。上りはエレベーターを使った。家を出るときは、途中階で誰が乗り込んでくるかわからないので階段を使用したが、図書館でエレベーターの説明はすましてあるので、姿を消した2人も躊躇うことなく乗り込んできた。と、思う。
通路にも誰もいない。この時間だから当たり前だが、足取りが覚束ない(振りをしている)少女を自宅に連れ込むなんていう行為は、見咎められると1発で警察に通報されるかもしれない。もうやらない方が良いだろうなと思いつつ自宅のドアを開ける。
リビングのソファーに少女達を座らせると、俺は洗面所で手洗いと嗽をして再度リビングに戻る。
バシッと、両方の手を開いて打ち合わせ、乾いた破裂音で夢現な少女たちに覚醒を促す。
「マヤ。ロミナとリンを連れ帰って欲しいのだけれど、何か問題あるかい?」
「あらっ? あたしはあんたが注文した本を手にするまで日本に残るわよ。ロミナ。貴女もここに残りなさい」
リンは即座に、そして有無を言わせぬ調子で言い放った。その目と声は、もう先ほどの眠たげなものではない。
「日本に残るって、今から宿屋を探せということ?」
「日本にも宿屋ぐらいはあるでしょ」
「あるけれど、身分証がないから君たちは泊まれないよ」
「気が利かないわねぇ。それなら身分証を用意して」
「仮に今が日中だとしても、君たちの身分証なんか用意できない。だから君たちは日本で宿には泊まれない」
「ロミナ。貴女の魔法でなんとかならないかしら?」
「1度試してみましたが、日本では魔法が使えないようです」
「仕方がないわね。私たちはあんたの家に泊まるから、あんたは宿をとって明日の朝戻って来なさい。まさか、あんたも身分証がないとか言い出すんじゃないでしょうね」
「客用の寝床なんかないから、俺が日常使っている寝床で寝るということ?」
「……毛布もないの?」
「母が使ってたのが2枚ある」
「それで良いわ」
リンの表情が、これで決着といったようにわずかに緩んだ。
「だったら、その毛布を持って君たちがダンジョンで寝るというのは?」
「ふざけているのよね?」
リンはむっと顔をしかめ、声を荒げた。
「マヤ。第1層の出入り口近くなら俺が一晩寝ていても問題ないと思うかい?」
「たしか第1層では魔物と1度も遭遇していないのでしたね。確実なことは申せませんが恐らくは大丈夫だと思います。ご不安でしたら私がご一緒しましょうか?」
「ありがとう。でも、マヤは万全の体調でいて欲しいから帰って自室で休んでいてほしい。寝る前にテントごと[不可視]の呪文をかけておけば、仮に何かが襲ってきても対応できると思う。[魔法の矢]3回と魔法の槍があるから、ダンジョンを飛び出して日本に逃げ込むぐらいはできるだろう」
「情けないわね~ それでも男なの」
「日本では大型車の振動や高速道路の下の道が薄暗いからと怯えるのは幼児ぐらいなものだけれど、生活環境が全く違うのだから俺は仕方がないと思っているよ」
むっとしたリンが言い返そうとするのをマヤが割り込む。
「今夜但馬さんがお休みになる状況を確認させていただけますか?」
「準備するから、ちょっと待ってて」
俺はポップアップテントとキャンプ用のエアーマット等を取りに行く。
枕と毛布もいるなぁと用意したが、結構な大荷物になってしまった。
リビングに戻った俺を見るリンが吹き出して笑いだす。
それを受けてかどうかはわからないが、言葉を選びながらマヤが慎重に話しかけてきた。
「これから先、場合によってはダンジョン内で泊まることになるかも知れませんが、それ全部を持って入るおつもりですか?」
「このテントは嵩張るけれど、組み立てる必要がないから便利なんだよ。大き過ぎるというのなら小さく畳めるのもある。毛布も圧縮すれば小さくなるし、枕はタオルで代用するから持って行かない。口で説明するより必要になったら見せるから、そのときに判断してもらえるかな」
「わかりました。では参りましょう」
「ロミナ。自分は関係ないという顔をしてないで貴女もいらっしゃい。楽しいものが見れるかもしれないわよ」
「わたくしへの配慮はご不要です。そろそろ就寝したいのですが、わたくしはどこで休めばよいのでしょうか?」
「ロミナとリンは別室? 同じ部屋でもいいの?」
2人が顔を見合わせる。
「他人の家だし、同じ部屋で寝ましょうか。良いわねロミナ」
ロミナが頷く。
畳敷きの仏間へと案内しエアコンをつけ、加湿器の説明をし、毛布と座布団を2客渡す。
俺とマヤがダンジョンに向かうとリンは本当に付いてきた。
ダンジョンに入った最初の部屋で、ポップアップテントを収納袋から取り出しストッパーを外す。
展開したテントを前に「キャッ」と2人が同時に可愛らしい声をあげた。
「あんた! 一声ぐらいかけたらどうなの!」
マヤも恨めしそうな顔で俺を見ている。
「文化的な差異だね」
マヤにそう言うと苦笑してくれた。
リンはマヤと俺の顔を交互に見比べ、不満そうな表情をみせたが何も言わない。
エアーマットを手に取りテントの中に入る。オートエアバルブを開こうとしたら後ろから声がかかる。
「待ちなさい! 何かする前に、何が起きるのか先に説明して!」
テントの出入り口から2人が覗きこんでいた。
「何が起きるって、この…… 布が10cmぐらいの厚さに膨らむだけだよ」
そう言ってバルブを開く。
空気で膨らんだマットを目にするとリンがテントの中に入ってきた。
「狭いところに入ってこないで! 俺が1度外に出る」
そう言うとリンも状況に気がついたのか素直に外に出てくれた。
外に出た俺と入れ違いにリンがテントの中に入って行く。
「これ良いわね。もう1つないの?」
テントの中、無造作に寝ころぶリン。確か元貴族のお嬢様じゃなかったのか、この娘。
「ないよ」
「持って行っても良いかしら?」
「良いわけないだろ。それは俺が使う」
「あんた。淑女は労ることが常識なのよ」
「君たち3人分のエアーマットを買ってあげるから、今夜は我慢して。それに君だけがそれを使っていたことを知ったロミナの気持ちにも配慮してあげて。そういう物を使うのであれば3人全員が持っていないと、1人だけ特別扱いをしたら集団行動の統制がとれなくなる」
リンは上半身を起こすと、何事かを計算するような神妙な顔つきを暫く続けた後に肩を竦め同意した。
マヤを異世界に送るため、第1層奥まで2人でやってきた。
軟オーブ(赤)を手渡し、病気治癒薬として飲んでもらう。
「明日の朝食は一緒に食べる? それとも朝食を食べてからこっちに来る?」
「私も同席して良いのでしょうか?」
「3人分を用意するのも、4人分を用意するのもかわらない」
「ではご一緒させてください。何時にお迎えに来ていただけますか?」
「8時でいいかな?」
「わかりました」
そう言ってから、マヤは言葉を続ける。
「本日は本当に楽しかったです」
満面の笑みを俺に向ける。
「私は但馬さんを紳士だと信じていますから、お二人方に変なことをしては駄目ですよ」
そう言い残すと俺の返事を待たずにマヤは映像の中に入って行った。
リンがテントの中でエアーマットの感触を楽しんでいるのを冷ややかに見下ろし、一声かけて一緒にダンジョンを出る。
「何でついてくるの?」
背後にいる俺に気がついたリンは不信感をあらわにし詰問してきた。
「これから明日の朝食用のパンを買いに行くから」
「パンは朝買うものでしょ。何を言っているの?」
「朝の7時にパンを売っている店より、深夜まで営業している店で販売しているパンの方が俺の好みなんだよ」
「何を言っているのか本当にわからないわ。もしかして、それ、あんたの癖なのかしら?」
「日本ではパンを朝買うとは決まっていないし、店によって取り扱うパンが違うのだけれど、わからないならわからないでいいよ。とにかく、俺は、今からパンを買いに行ってくる」
帰宅すると、リンがリビングで待っていた。
そういえば毛布と座布団を渡していなかったな……
「それが日本のパンなの?」
近づきながらそういうと、リンは俺の手から引っ手繰るようにポリ袋を奪う。
リンは俺が買ってきた、ライ麦パン・日本人好みのソフトパン・その中間のセミハードパンを検分し、匂いを嗅ごうと袋越しに鼻を近づける。
「……日本のパンって匂いがしないのね。人が食べても大丈夫なのコレ?」
その質問は真剣そのもので、冗談を言っている様子は微塵もなかった。
「パンは駄目でも野菜やベーコンがあるから、パンを無理して食べなくていいよ」
「そうね」
毛布と座布団2客をリンに手渡す。
「ありがとう」
リンは意外なほど素直に礼を述べた。
トイレをすましてベランダに出る。何故かリンがついてきた。お見送りかな?
そう思う俺の背後で、掃き出し窓のロックがかかる音がした。
あいつ。俺を締め出しやがった。




