第41話 悪徳を非難するより美徳を教える方がよい
オリジナルの41話は『The Outsider -memorandum-』「角栄 禿山 万博」に移動しました。但馬の能書きを堪能されたい方、ご用とお急ぎでない方はそちらへの移動をお薦めいたします。
昼食を終え車に戻る。
「マヤ。座席をかえなくても問題ない? 図書館まで10分程かかるから誰かとかわってもらう?」
「10分ぐらいだったら大丈夫です」
「早く到着できる狭い裏道を通って行くけれど、裏道ってのは誰も通りたがらない色々な理由があるから空いている。そのせいで途中、車を急制動させるかもしれない。食事後でお腹が苦しかったり眠気に襲われるかも知れないけれど、シートベルトは着実に装着してある程度の緊張感は持続しておいてね」
車に乗り込んでから、全員がきちんとシートベルトを装着したか確認しながら念を押す。
旧い家屋が並ぶ道を車は文字通り縫うように進んでいく。道の両脇には、経年劣化したコンクリートブロック壁や文字の読み難くなった赤錆びた看板等の侘しい光景が続く、マヤ達はそれを食い入るように見つめている。見通しの悪い住宅地を抜け工業地区に入り、川沿いの2車線直線道路に出ると、それまで閉塞的だった景色が一変し、急に視界が広がる。遠くに中環の高架道路が見えてきた。
「もしかして以前但馬さんが仰っていた『人が通れない道路』というのは、あの中空に架かった橋のことですか?」
俺はマヤの記憶力の良さに驚きつつ肯定する。
「あの橋はどこまで続いているのでしょう? どちら側を見ても終わりがないようです」
「マヤの言う『どこまで』というのが高架の話だったら市街地を出るまで、道の終わりという意味であれば、日本の主要4島の内3島を網羅している」
「道路がきちんと舗装されているのは市街地だけよね? これだけ状態の良い道路を維持できているなんて、ここの領主はなかなか優秀なようね」
コンピューター付きブルドーザーと呼ばれた人だからなぁ……
「優秀なのはここの領主ではなくて半世紀前の宰相だよ。その人が歳入の少ない地方自治体でも道路が維持できるよう議員時代に財源を確保させた。交通量の少ない過疎地は酷道と揶揄されるぐらい管理されていないが、主要道路の整備は有り余る財源からきちんと舗装がなされている。国内全域がね」
「嘘でしょ!」
リンの目が見開かれる。その驚愕は、貴族社会で培ったはずの常識を根底から揺るがされたようだった。
「別に信じてくれなくていいよ」
「但馬さん。冗談ではなく本当に国内全域がこの状態の道路を維持しているのですか?」
「こっちの世界の他国の人も驚くけれど、道路の整備にしか使えない税金* を15年前まで徴収していたから他の事には使えない。だから無駄に道路整備に金を捨て続けていた」
「あんたねぇ日本の自慢しかできないの?」
「今のは自慢ではなくて、自嘲のつもりだったんだが?」
また空気が悪くなってきた。何度目だろう、この、空気感。リンは窓の外に視線を逸らしたまま口を開こうとしない。
脇道を通ってきた車が中環の交差点に進入する。
「えっ?」
「何、ここ?」
「怖い…… 」
3者3様の反応。
中央の本線と左右の側道。これまで通ってきた道路より数倍広い本線路面道。
上方の高速道路6車線を含めると16車線から18車線に及ぶ、日本で1番広い道路。
先程までは明るかった周囲が突然薄暗くなる。
スピーカーから流れる天使の声が時折搔き消される。頭上から聞こえる異世界人にとっては得体の知れない大型車の出す振動音。
側面からは信号待ちをしている大型トレーラーから小型車まで、多種多様な車がこちらをヘッドライトで照らしている。
人というものの矮小さを思い知らすことだけを目的に、これでもかと揃えられた圧倒的な巨大構造物・人工物・騒音に包まれながら車はゆっくりと走り続ける。
何の予兆も無く異質な空間に連れこまれた少女達の緊張感。スピーカーからはメゾソプラノのアリアが車中に漂う。
もしかしたら、今、この場が、少女たち想像力の埒外である異世界へやって来たのだと、実感させた初体験となったのかもしれない。
車は交差点を通りすぎ東に進む。再び周囲は明るさを取り戻す。少女達の緊張感が解けていく。薄暗い交差点で止めてていた息をリンが吐き出しているのが聞こえた。
「今の禍々しい場所は何?」
……リンの地声を初めて聞いた。元貴族令嬢と言われてもこの声だったら納得できる。これまでの挑発的な声色が鳴りを潜め、知性を帯びた深い声。
「太陽の光が遮られ、聞いたことのない音が絶えることなく響いたからそう感じただけで、交通量の少ない深夜にあの道を車で素っ飛ばせば真逆の幻想的な感想を得たかもしれない。巨大構造物に関しては、日本に滞在してあちらこちらへと赴くと、これからも多種多様なものに遭遇することができるよ」
「どうやら日本を見くびっていたようね。リンでいいわ」
それは、それまでの彼女の態度からすれば、明らかに意識の変化を伴う歩み寄りだった。
「えっ?」
「私への呼びかけよ。ただし! あたしに話しかけるときのあんたの声、マヤやロミナと同じ声にして」
「君が今のように知性を帯びた声で話してくれるのならば、そうすることは難しくない。自然にそうなっていたと思うよ」
……女性の集団を相手にする時、男相手でも物怖じしないタイプの女は、決まって俺の声に噛みついてくる。「他の女に話し掛けるのと同じ声で話しかけてこい」と。
実際、俺が彼女たちに向けるこの柔らかい残響は、男が聞けば吐き気がするほど気味が悪いらしい。過去に同行した男たちは皆、俺の声を「生理的に受け付けない」と吐き捨てて、何度かやめろと言ってくるが、男の機嫌をとっても全く面白くないので忠告を無視すると、俺が女と話しはじめると男はその場から立ち去るようになる。
だから俺は、現実世界で男と話すときは、無意識に怒っているか、あるいは不貞腐れているような、棘のある硬い声を出すのが習慣になっていた。
彼女たちが望む声をこれからも出し続ける限り、このパーティーに男の仲間が加わる目は最初からなかったのだ。
「話は変わるというか、君たちが関心を持っている農業のことだけれど、そっちは自給肥料が中心で、金肥、え~と、お金を出して小魚や植物油を採った後の残り粕を…… あ~貨幣経済が未達で商品作物もないのか……」
異世界との知識のズレに、会話が一時的にストップする。
「その『金肥』って、あたしが読みたいと言っている本にも書かれているのかしら?」
「書かれている本もあるけれど、そっちの世界では日本人が中途半端な農業知識であれこれとやらかしているんだろ? 基礎知識を固めずにいきなりこっちの農法に飛びつくと、そっちの日本人と同じ結末になるだけだと思うから今日は止めた方がいい」
「そうした御本をわたくしも読むことは可能でしょうか?」
「1冊買うのも、複数冊買うのも手間はかわらない。マヤも三圃制の本だけでなくそういう基礎知識の本って必要?」
「はい。買って頂けますか?」
「わかった。3冊買うから1人ずつ持って帰って」
「あんた特異の長口舌。優秀な日本人像と、あたしたちが事実として知っている愚かな日本人たち。真実はどちらなのかしら?」
考えを改めたのかと思ったのにリンは挑発的な言動を改める気が全くないようだ。
「マヤには以前言ったが、まともな日本人は沈黙しているからそっちの世界では話題にならず、まともでない日本人が異世界だからとはっちゃけた結果、そういうまともでない日本人ばかりが話柄に上ることになったんじゃないの。まぁそっちでミミズと呼ばれている日本人がまともなのかと聞かれても判断に困るが」
「そう! それよ! 販売している土はこれから調べるけれど、どうしてマッシュルームの栽培なんてことをその日本人ははじめたのかしら?」
「推測になるけれど、その日本人がいる地域って頻繁に雷が発生しているのでは?」
「多いという話は聞いたことがあるわね。何故?」
「日本では『雷の多い年は豊作になる』と言われている。植物の生育に必要な栄養素である窒素が雷で生成されて地上に降り注ぐかららしい。ただこの話、科学的に確定した論ではない。一方で、雷がマッシュルーム等の菌類成長を促進させることは実験で明らかになっている。だから、土とマッシュルームで雷を連想した」
「ちょっと待ってよ! じゃぁあんたの言う通りにしても雷が鳴らないと意味がないわけ?」
リンの焦燥が口調に現れる。彼女の関心が、抽象的な社会論から現実的な「農業」へと戻った。
「そんな天候頼りのことをさせたりはしないよ。そうしなくても農業に必要な3栄要素を揃えられる方法を探しに図書館へ向かっているのだから。その日本人が『土を食べる』というのは土を舐めているだけで飲み込んではいないと思う」
「そうなんですか? 家令さんも『土を食べる』と仰っていましたよ」
「宮沢賢治という人は農民に肥料を配るさい、農地毎に土を舐めて肥料の配分を決めたと言われている。まぁ伝説の多い人なので、どこまでが本当かはわからないけれど『土を食べる』というのは、土中に含まれる栄養素を口に含んで確認していたのだと思う」
「但馬さんも土を舐めればわかるのでしょうか?」
「できないし、できるようになろうとも思わない。絶対にやらないよ。それと、さっきのリンの問い掛けだけれど、百年前の日本の村が丸ごと前近代の世界に転移しても、自分たちで土地を測量し村を存続させることができたと思う。一方で現代の日本人が暮らす村が丸ごと前近代の世界に転移したら、現在の日本人はその世界の人々に援助を求めなければ自分たちだけで生きていくことは多分できない」
「はんっ! どうせなら百年前の優秀な日本人とやらとお会いしたかったわ」
「今の日本人が駄目なのは認めるよ」
到着前の数分間。誰も話そうとせず。スピーカーから天使の歌声が流れるだけだった。
3人の少女はそれぞれ、俺の抽象的な話と、目の前に広がる巨大な文明という現実。各々の思考経路で無理矢理纏めようとしている風に見えた。
図書館の駐車場に車を入れる前に路駐して飲み物を買いに行く。館内で缶は飲めるところが限られているがペットボトルは問題ない。彼女たちの好き嫌いがわからないので水を3本買って車にもどる。
平面駐車場が空いていたのでそこに車をとめて俺たち4人は図書館に入って行った。
* 道路特定財源制度




