第37話 人は人 吾は吾なり とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり
女性の剣幕に唖然として話しかける機を逸したまま様子を窺っていると、怒鳴られている太った若い男性がこちらに気がついたようだ。
「なんだお前たちは!」
男の声はひどく苛立っている。女性も後ろに誰かいるのかと驚いた顔で振り向く。
長い茶髪に鳶色の瞳。綺麗な顔をしているのに険のある表情が全てを台無しにしている。
マヤが着用しているのと同じような皮鎧と関節部に防具を装着し、肩に弓のようなものを引っ掛け、腰には短剣を吊っている。
肩には、服装に似合わない高価そうな赤いショールをかけているが、それは持ち主の過剰な美意識を強調しているようで滑稽に見えた。
「フンッ! 貧乏男爵風情が球冠鏡なんか持っていたの? 驚きだわ。これ、あたしの家から盗んだ物じゃないんでしょうね!」
十代後半に見える女性は二十歳前後に見える男性を嘲るとこちらを振り向いた。嫌な女、という第一印象が俺の中で固定された。
「で! あんたたち! そんな所で何をしているのかしら?」
……左隣にいる機嫌の悪いマヤは俺のいない左側を見ている。ロミナは後ろにいるのでわからないけれど、沈黙しているのだから何を言う気もないのだろう。
こちらを見ている2人の中間辺りに視線を向けて中途半端な会釈をし、奥の男性にも聞こえるように心持ち大き目の声をだす。
「初めまして。日本という国で低脅威度ダンジョンを探索している者です。こちらの黒髪の少女と後ろの赤髪の少女は……(固有名詞はどこまでだして良いのだろう)……とある貴族家からご支援を頂き私に協力してくれている者たちです」
言葉を選びながら丁寧に自己紹介をすると、男性はつかつかと前のめりな勢いで歩み寄ってくると、茶髪の女性の隣に立った。
「もしかして、後ろの赤髪は噂の紅宝石か? クーム侯爵家の。成程! 確かに美しい! 聞きしに勝る美貌だ! 侯爵が自慢するのも良くわかる。君! ロミナ! 我が家に招待しよう。こちらに来たまえ」
上ずった声で目を輝かせる男性を見て俺は呆れてしまった。振り向くとロミナは後ろを向いている。この異様に興奮している男と会話をする気は無いらしい。
「おい! おまえ! そこの日本人! アームレットを寄越せ!」
「駄目です!」
マヤは後ろを向いているロミナの前に素早く移動して、男の視線からロミナを遮ろうと動く。長身のロミナを小柄なマヤが隠せるわけがないのだが。
その動きに少し遅れて、ロミナがこちらを振り向く。舌打ちをしたような気がしたが、口元が僅かに動いただけで音は聞こえなかった。
「どこのどなたか存知しておりませんが、わたくしに御用がおありでしたらクーム侯爵家のスペンサー家令へ許可を申請してください」
冷たく言い放つロミナ。それを聞いた男は悔しそうに顔を歪ませる。
「日本人! おまえはどうやってそんな許可が取れたのだ。教えろ!」
諦めきれないのか男は噛みつくように吠える。
「みっともないわねぇ。あんた! 女だったら誰でもいいんじゃない。そこらの村娘があんたにとってはお似合いなのよ。こんな貧乏男爵家の当主が高望みをし過ぎなの」
「うるさい! おまえはいつまで俺と対等のつもりでいるのだ? お前の旧子爵領は我が家の領地になっていて、もうないのだぞ。そうであるはずなのに、横から嘴を容れる者たちが後を絶たないために、王宮が保留などと言ってくることになったのだろうが。俺の愛人になれば、産ませた子に旧子爵領の一部で代官をさせてやると言っているのだから大人しく言うことを聞け平民! 5年後・10年後に泣いて俺に縋りついてきても、抱いてもらえるなどと己惚れるなよ!」
「憐れね。そうやってありもしない未来の空想世界で夢を見てればいいのよ。あたしはあたしの領地を必ず取り戻すわ」
「おまえの領地なんか何処にもねいよ! 憐れなのはどっちだ! おまえの父親は俺に領地を頼むと言ってくたばったのだ。現実を直視する勇気もなく、幻想の中で生きているおまえの方が余程憐れだ! 知っているのか? おまえが貴族の間で何と呼ばれているのか、この『狂犬』。徳があると評判だった両親から、どうして頭のおかしいおまえのような娘が生まれたのか、皆不思議がっているぞ」
女性が激高して男に掴みかかろうとした正にそのとき、俺の隣に戻ってきたマヤがぼそりと呟いた。
「但馬さん。ここは駄目です。接続を切った方が良さそうです」
「ちょっとあんた! 聞こえたわよ。低脅威度ダンジョンごときでまごついているくせに、このあたしを駄目だなんてよくも言えたわね!」
マヤはそういう意味で言ったのではないと思うのだが、女性にとっては敏感な言葉だったようだ。
「おまえはいい加減黙れ! ここは僕の部屋だ」
感情を抑えることのできない女性を目の当たりにし、いったんはそれにつられた男性はクールダウンに成功したのか、何か考えこみ始めた。
「さっき日本とか言っていたな。お前は日本人か? 助力してくれる貴族を探しているのか?」
男は意識してロミナを見ないようにしながら、感情を抑え込むような声で話しかけてきた。
「取り込んでいる最中に身分をわきまえず大変失礼なことをしでかしました。これにて」
この場から早く立ち去りたい。 そう思い、俺は頭を下げて別れを告げようとした。
「待て! いや、失礼をしたという自覚があるのなら質問に1つ答えてくれ。日本では土が売り物になるのか?」
男の必死な問いかけに、俺は少しだけ興味を引かれた。
「高価な商品というわけではありませんが、土や砂を売買することはありますよ」
「その土や砂を使えば作物の生育がよくなるということか?」
「腐葉土のことですか? 土壌改良に用いるものなので腐葉土だけで食物の生育が良くなるわけではありません」
「違う。そうではない。農地の土を調べ、その農地で作物の成長を助ける魔法の土だ」
「日本には魔法の土なんかありません。それは土ではなく肥料のことではないですか?」
「その肥料とやらを用いれば、作物の育ちがよくなるのか?」
「まぁそうですけれど、前提として貴方が言われたように農地を調べたうえで最適化する必要がありますよ。それを怠ってただ肥料だけをばら撒いても逆効果になりますから、知識のない人が安易に手を出すのはお勧めしません」
「君! 君にはその知識があるのか?」
「ありません」
俺が素っ気なく答えると、熱心に話しかけてきた男は急に沈黙した。気まずい沈黙が流れる。男と見つめ合っても全く楽しくないのだけれど、俺のせいか?
「でも、こっちに来た日本人は土を売りさばいて大金持ちになっているわよ。あんたも同じ日本人ならできるんじゃないの?」
黙れと言われていたのに、男が沈黙するとすかさず女の方が話しかけてきた。
「その日本人にはたまたま知識があったということでしょう」
「どうしてあんたには無いのよ?」
「興味がないから」
「興味って…… ふざけているのかしら?」
「農学に興味をもって学ぶ人もいれば、他のことに興味をもつ者もいる。金色を好む人もいれば黒色を好む人もいる。それだけの話では?」
「それだけって、あんたねぇ…… その知識って学ぶのにどれぐらいの時間がかかるものなのかしら?」
「それは学ぶ人と環境によるからなんとも、まぁ数年はかかるんじゃないかな」
「あんただったら何年でできるようになるの?」
「俺? 机上で学ぶだけなら数ヶ月も必要ない。自分だけが食べる菜園をつくるのなら実地で3年か5年続ければ凡そのことはわかるようになるかな。質問の主旨が、産業として大規模な農園を安定して経営できるようになるまでの期間を言っているのであれば、10年以上はかかるだろうね。でも、やらないよ」
「なんでやらないのよ! 大事なことでしょ!……いいわもう。あたしなら何年かかるかしら?」
「あたしならって、俺からサークレット(通訳)とアームレットを受け取って日本で学ぶということ?」
「その2つなら持っているわよ」
男性がピクリとその言葉に反応したが、どうやら自制できたようだ。
「君達の世界の住人が今の日本に来たところで、基本的な素養が絶望的に足りていないから、何年かかるかなんて全くわからない」
「12×14は?」
「え?」
「だから12×14が幾つになるのか答えてみなさい!」
「168」
「え? ふ~ん。あんた日本人の癖に生意気ね」
女性は両手の指を使って俺の答えがあっているかどうかを確認していた。
フランス式指電卓* だったかな?
ちなみに俺は最初に言われたときに直ぐ暗算をはじめた。聞き返したのは時間稼ぎだ。
「日本人が暗算を自慢していても、2桁の暗算はできないはずなのに……」
気落ちしながらも女性は足元の袋に手を伸ばしアームレットを取り出した。
又男性が何かを言いかけたが、何も言わずに口を閉じた。自制が全くできない子供ではないようだ。初対面での印象は悪すぎたが、別なところで出会っていれば、今とは違う印象を男性にもてたのかもしれない。
「とにかく! あたしは日本に行くわ。さぁ受け取りなさい」
何を要求されているのかわからずマヤを見る。
「彼女のアームレットを受け取って、透明オーブに接続すればこちらにこれるようになります。但馬様が手を伸ばさないと、現状では球冠鏡のこちら側に彼女は干渉できません」
マヤではなくロミナが落ち着いた口調で説明してくれた。
バックパックのサイドに取り付けているワンドを外して映像に突っ込む。女性は露骨に顔をしかめたが、アームレットをワンドに引っ掛けてくれた。オーブに接続したアームレットを又ワンドに引っ掛ける。
「ロミナ様お下がりください。不測の事態には私が対応いたします」
マヤが剣を抜いて警戒しているのは男性だよな?
異世界基準でもこの女性は危ないから、そっちも警戒しておいた方が良いのだろうか?
アームレットの受け渡しはトラブルが起きることなく、女性はこちら側にやってくることができた。
「改めて自己紹介するわね。あたしはリン・グリンプトン。畏まらずに気軽にリンと呼んでくれていいのよ」
俺は透明オーブの接続を切るために、3と書いた布袋にオーブをしまう。
「あの男性の暴走を避けたかったから、こちらに来ることは同意したけれど、ちょっと待って。最優先するのは君の都合? それとも俺の都合?」
「どういうことかしら?」
「そのままの意味だよ。別行動はとれない。君が俺のダンジョン探索に同行してくれないのならば日本を案内するつもりはないし、君を単身で日本に送り出すつもりもない」
「わからないわね。何故あんたに協力しなくちゃいけないの? サークレット(通訳)はあるのだから、あたしは日本で困ることはないわ」
「彼女を1度日本に連れて行かれてはどうでしょうか。私にも図書館に連れて行っていただくというお約束がありますから」
「このダンジョン。放置していても大丈夫?」
「確かに規格外のダンジョンのようですが、第1層にスライムが現れていないのであれば、数日中に溢れるほどの魔素で何か異変が起きる可能性は低いと思います。もしかしたら低脅威度から中脅威度へと移行する可能性はありますが、日本には魔素がないか、若しくは極めて薄いようなので地上への影響は当面ないでしょう」
「あらっ? ここって規格外ダンジョンなの?」
俺には答えられないので、マヤとロミナを見る。
2人は顔を見合わせてからロミナが口を開く。
「最下級悪魔をはじめとして、低脅威度ダンジョンには通例現れないモンスターが出現しています」
「ふ~ん。面白そうね。ねぇ取り分の比率ってどうなっているの? あんたたち3人が半分で残りはあたしが貰ってもいいのかしら? あぁもちろん今までの分は要求しないから安心して」
「仮にその要求に応じるとして、俺が君を日本に連れて行く報酬として、君は何を提供してくれるの?」
「必要経費ぐらいちゃんと払うわよ。踏み倒されることを警戒しているの?」
「いや、だから何で支払ってくれるの?」
「まさか金貨がいるとか言い出すんじゃないわよね。銀貨じゃ駄目なの?」
「金貨であれ銀貨であれ、そんなものを受け取っても日本では無価値に近い。正確に言うと金や銀は取引されているけれど、出所不明の銀貨を日本の通貨に取り換える手間を考慮すれば、それは俺の中では無価値に等しい。それに異世界の通貨を持ち歩いていると日本で知られるのはできれば避けたい」
「随分と大きく吹っ掛けてきたわね。どれだけ過分な要求なのか自覚はあるの?」
「行ってみればわかるが、君のサークレット(通訳)で日本の本がきちんと翻訳される保障はないよ。そのサークレット(通訳)が俺の知識で上書きできるのであれば問題ないけれど、既に他の日本人で固定されているのであれば、専門書の読み込みはそのサークレット(通訳)ではできないかもしれない」
「ちょっと貴方。大丈夫?」
……何故か本気で心配顔をされてしまった。何故この女はかわいそうなモノを見る目で俺を見る。
「いいこと。お話しというのはね、相手にも自分にもわかる言葉で話さないと駄目よ。何を言っているのかわからないことを言っていては誰からも相手にされないの。気をつけて話せるように心掛けなさい」
無言で見つめ合う。綺麗な女性相手との見つめ合いなら大歓迎だ。
「ふうっ。ダンジョンであたしの取り分は4分の1。そしてあたしは日本での費用分担に一切応じない。それでいいかしら?」
彼女は結局、俺の言葉を理解しようとしないようだ。
「第4層での取り分はそれでもいいけれど、第5層以降の取り分は人数割りで」
後から溜息が聞こえてきた。間違いなくマヤだろうな。
* フランス式指電卓とは、5×5までは表などで暗記するのですが、6の段以降は(15×15までだったと思います)指を折って計算するという方法です。




