第35話 地上に すむものは よいも 悪いもない みんなの運命は同じなんです*
<自宅ダンジョン第一層>
午前7時50分。マヤが髪を気にしながら壁に映し出された映像の中から出てきた。
「おはようございます」
やや笑顔が硬い。
「おはよう」
俺は久しぶりの早起きなので眠い。朝の6時半起きなんて、紅葉の写真を撮りに行った去年の晩秋以来だ。
「私の髪。変ではないですか?」
不安そうにマヤがおずおずと聞いてくる。
「今日のマヤもとても可愛いよ」
朝シャンを習慣にされても邪魔くさいから弁茶羅ですます。
「但馬さんの言葉から誠意が感じられないのは私の気のせいでしょうか?」
目の前に詰め寄ってきたマヤとは身長差が20cm位あるので上目遣いが可愛らしく見える。
「久しぶりの早起きだから。まだ頭が半分寝ているからね」
「そんな状態でダンジョンに向かうのは危険です」
不満そうな顔が心配そうな顔にかわる。
「俺が決めた時間じゃあない。でもマヤがいてくれるのだから不安はないよ」
今度の弁茶羅は効果があったようだ。
「はい」
ようやくマヤの機嫌がよくなった。
「8時ですね」
この娘は俺の腕時計を盗み見るのが本当に上手だな。それとも体内時計なのだろうか?
今日からは3人パーティになるので、サークレット(通訳)は俺が持つことにした。
ベルトに引っ掛けて背中側にぶら下げている。頭髪越しでも機能するのだから、布程度は問題にならないようだ。
俺はバックパックから2と太字マジックで大書きした布袋を取り出し、中にある透明オーブを手に持つ。
映像が鮮明になるやいなや、できれば見たくない爬虫類顔の中年男が、俺の肩越しにこちら側を見分しはじめた。
「2人か?」
と不躾に尋ねつつ手を前に出す。
「そうです」
俺も答えながら、アームレットを渡す。
「ふん。此度は忘れなかったのだな」
多分嫌味なのだろうが、もしかしたらこの人なりの冗談なのかもしれない。言葉から感情を読み取れないのは、俺のことなどどうでもいいと思っているのか、何か他の事を考えているからか。
手渡されたアームレットを爬虫類顔の男は何やら見分しはじめる。鑑定でもしているのだろうか? 不審はないと判断したのか男は左横、こちらからは見えない誰かにアームレットを手渡す。
ピアニストのような長く細い透明感のある白い指が、アームレットを受け取っている。「白魚のような指」というのはこういう指を言うのだろう。
映像の中から出てきた女性。第1印象は40年位前のTVCMで見たフランスの少女。“アジア人(日本人?)のようなタレ目と浅黒い肌”で、カメラ慣れしていないぎこちない笑い方が印象的だった。
女性は俺の前で立ち止まると軽い会釈をする。朝日と言うよりは夕日に近い紅色の短髪。琥珀色の目。白い肌が際立っているせいか白磁の人形を連想させる整った容姿。背丈は俺より少し低いから170cmぐらいか。一目でわかるスタイルの良さは身に纏うコートでは隠せない。布とも皮とも判然としないコートの下には金属製だろうか? 札甲を着込んでいる。
「ロミナ・ファーガスと申します。わたくしの魔法がお役に立てば幸いです」
感情の起伏がない平静な声。活舌の良さに品を感じる。
「但馬です」
習慣的に初対面の相手には丁寧語を使いそうになったが、何故か俺の左隣りに並んでいるマヤが俺の顔を見つめているので、余計なことはいわずに短く言葉を切った。
「マヤ・カトーと申します。私のことはマヤとお呼びください」
すかさずマヤが会話に割って入ってきた。声色にわずかな硬さが混じる。
「かしこまりました、マヤ様」
ただ挨拶をする。俺には簡単な作業だと思えたのだが、何故歳の近い少女同士で初っ端から波風を立てるようなことをするのだろう?
マヤが前に1歩でる。俺はさも用事を思い出したという体で右側に移動しながらオーブの接続を切るために布袋に入れた。
「私はまだ成人しておりませんから様付けは不用です」
せっかく機嫌が良くなったのに、マヤは不機嫌を隠そうともせずにロミナに向き合う。
「いえ。わたくしは平民です。セミロングの長さまで髪を伸ばされているマヤ様を呼び捨てにするわけにはまいりません。どうかマヤ様と呼ばせてください」
「俺も平民なのだけれど、マヤ様と呼んだほうがいいのかな?」
マヤが凄い形相で俺を睨みつけてきた。これ、どっちにつくのが正解なのだろう。
何か言おうとするマヤに先んじて問いかける。
「マヤ。髪の長さと身分って関係があるの?」
爆発しかけた感情をどうにか抑え込んだマヤが口を開く。
「手間のかかる長髪は貴族の女性。平民は短髪。というのが一般的です」
俺がマヤの髪を見ているとマヤが言い足す。
「私は父が騎士でしたので準貴族家でした。今は実質平民ですが、家令さんのご厚意によって髪の手入れに困っておりませんので、短く切らなくてもすんでおります」
以前は拒否されたマヤの私事が少し聞けた。もう少し話してくれそうな気もしたけれど、今はこの場を治めるべきだろう。
「俺には優先順位がわからないのだが、どちらも譲れないというのであれば、年少のマヤが譲って欲しい。年長者を敬えという俺の国の宗教規範を押し付けることになるけれど」
「では但馬さんも但馬様と呼ばれることに同意なさるのですね?」
合っているようで合っていない変な理屈だなとは思ったが俺は頷いた。
マヤはロミナに向き直ると勝利宣言でもするように言い放った。
「ではロミナ様。但馬さんのことも但馬様と呼んでください」
ロミナは言いたいことがあるようだが、出かけた言葉を飲み込んで俺を見る。
「但馬様。よろしくお願いいたします」
「よろしく。ところで俺もロミナ様と呼んだ方がいいのかな?」
マヤが何か言おうとしたが今度はロミナの方が先だった。
「どうかロミナとのみお呼びください」
マヤの方を見ると、こちらにトコトコと歩いてきた。
「やはり髪が気になります。今日も但馬さんに洗って欲しいです」
「今から?」
「はい! 今からです。但馬さんの自宅に行きましょう」
そう言うとマヤは俺の左手を手に取り歩き出そうとする。
朝シャンは髪によくないという話も小耳に挟んだのだが、言わない方が良いのだろうなぁと思いつつ向きなおろうとしたら、視界の隅にロミナが目に入った。どうしてよいのかわからないのか突っ立っている。
「ロミナもついてきて」
そう声をかけると首を捻りながらついてきた。うん。俺も首を捻りたい。
前回マヤを招いたのと同じ要領で、2人にはぬるま湯を用意するまで待っていてもらい、それを使って足を拭ってもらう。百均で買ってきた女性用の靴下とスリッパをそれぞれに手渡す。
年若い女性が男寡の家に早朝から2人もいる。今、姉が連絡なしにやってきたら俺はなんといって言い訳すればいいのだろう。
勝手知ったる他人の家。マヤは屋内をずんずんと進んでいく。ロミナは周囲を注意深く見回しながら、静かに俺の後をついてきた。
「髪を洗うのはいいけれど、もう自分で洗えるよね?」
俺の手を引くマヤにそう言うと、立ち止まったマヤが振り向く。
「えっ、洗ってくださらないのですか?」
「洗面台で洗髪するより浴室を使ったほうが、周囲に水や洗髪剤を飛び散らさないように気を遣わないから、俺が洗うよりマヤの髪はより輝くと思う」
嘘だ。本当は今まで使っていた安い洗剤を台所用や手洗い用まで含めて、全て高いのに交換しているがそれは言わない。頼むから値段相応の働きをしてくれよシャンプーさん。
マヤは俺の顔をじっと見つめ続ける。
「……ロミナ様は但馬さんが洗ってあげるのですか?」
「わたくしには不用です」
俺が答える前に後ろからついて来ているロミナが答えた。その声には一切の迷いがない。
「マヤに洗い方を聞きながら自分で洗うほうがいいかな?」
「いえ。洗髪は侯爵家で特別な配慮を賜り、生卵とアルコールを混ぜた物を使わせて頂いております。その後、植物油での手入れも家人の方々にしていただいております」
マヤの方を見ると、マヤはロミナではなく俺の顔を見ているだけで何も言おうとはしない。
「じゃあ手早く洗ってきてね」
俺はそう言ってマヤを浴室に送り出すと、ロミナにはリビングのソファーを指さして座ってもらう。マヤと違ってロミナは水屋の陶磁器には目もくれない。さて、茶器をお湯に浸すか。昨夜買ってきたハーブティーの淹れ方はネットで勉強したから大丈夫だ。多分。
ティーカップを洗った後ぬるま湯に浸し、ネットに書いてあった通りの準備を整えたので振り向いてソファーを見る。
誰もいない。
またか……
どこに行ったのかとリビングに入り周囲を見回すと、ロミナは灯りを点けっ放しの浴室と玄関に続く廊下にいた。
俺の撮った写真を眺めている。近づいていくとこちらを見て口を開く。
「素晴らしいガラスです!」
……ガラスを見ていたのね。
「もしかして君の世界のガラスは上側と下側で厚みが違うの?」
「そうです。これ程均一な厚みのガラスを見たのは初めてです」
確か森田芳光監督の映画** だった。
「明治の家を撮るのだから明治のガラスが必要だ」
と言ってスタッフに探し回らせ、仙台だったか東北のどっかの郵便局から明治時代のガラスを調達させたのは。あのガラス。撮影が終わったら明治村** にでも寄付したのだろうか。
「たいへん図々しいお願いですが、この絵ごとガラスをお譲りいただけないでしょうか?」
「マヤに渡したお土産はその額縁より遥かに高価だったのだけれど、そんな物でいいの?」
「はい。偉大なる御主人様は芸術品にたいそう執心なされていますので、これを持ち帰ればお喜びになられるかと」
「中の絵だけでは駄目?」
「何故、絵だけなのでしょう。額縁はお譲りいただけませんか?」
西洋人形を連想させる顔から、高い知性を感じさせる透徹した視線が正面から俺を捕らえている。平穏な声なのに人を従わせる威圧感を言外に感じた。
「今回だけならば全く問題はないけれど、次回に色々サイズ違いの額縁を100枚調達してこいと言われそうな気がする」
「その命令をお受けできない合理的な理由があるということでしょうか?」
「いや。出来るか出来ないかで言うなら問題なく出来る。ただ、俺にはそんな面倒なことをする気が全くない」
「面倒だから、お受けできない?」
何言ってんだこいつっていう顔をされてもな。大手量販店には恐らく店頭品だけで倉庫に在庫なんかないだろうし、道具屋筋も含めて複数店を駆け回れば集められないことはないだろうが、それだけで半日は確実に費やす。
関わりたくない貴族から便利な使いっぱしりだと思われるのは避けたい。
「何を見つめ合っているのですか?」
濡れた髪にタオルを当てたマヤが廊下に出てきた。その目はロミナと俺の間の空気を探るようにじっと見ていた。
俺は写真を指さしながらマヤに経緯を説明する。
「ロミナがお土産に額縁を欲しいと言ってきたのだけれど、今回だけならともかく、追加を持って来いと命令されるのが嫌なので困っている」
「日本の店にはたくさんの商品が並んでいましたが難しいことなのでしょうか?」
「少しずつしか売れない商品は在庫を持たないのが基本だからね。在庫を持っているであろう問屋に注文を出しても、自宅に届けてくるまで数日はかかる。貴族様の買い物をしているはずなのに『ダンジョンなんかに行っているとはどういうことか?』と問い詰められたら上手く説明できる自信が俺にはない」
「但馬さんが仰った通り、すぐには揃わないのですよロミナ様。ご納得いただけたでしょうか」
マヤはロミナに、子供を諭しつけるような言い方で同意を迫る。
「日本では事情が異なるようですね。では今回限りということで額縁込みの頂戴をお願いしたく存じます」
何でそこまで額縁に拘るのか、疑問は感じたが安くすむので了解した。
「ありがとうございます」
ロミナは会釈より少しだけ深めのお辞儀をした。そういばこの娘。出会ってから1度も笑顔を見せていない。
「あの~。私もこの額縁をいただいていいですか?」
ロミナに話しかける声とは全然違う甘えた声で、マヤにも無心された。
みると、マヤが前回選んだ紅葉前のイロハモミジの写真だった。
「そんな地味なのでいいの?」
「はい! これがいいです」
本人が欲しがっているので頷く。
「それは良いけれど、髪を濡らしたままなのは良くないから、ドライヤーで乾かしておいで」
マヤは手に持った額縁と洗面所を交互に見たあと、額縁を俺に手渡し洗面所に引き返して行った。
「他に用がないのならロミナはリビングへどうぞ」
ロミナは額縁を大事そうに抱え込んで、何も言わずにリビングへと歩き出した。
マヤが来るまで少し時間がかかるが、先に俺とロミナだけでお茶していると、またマヤの機嫌が悪くなりそうな確信があった。
さりとてロミナは全身から話しかけてくるなオーラを出しているので、やることが何もない。
取り敢えず間を持たせるために俺はTVの電源を入れると、HDに保存してあるクラシックプログラムからベートーヴェンの第九を選択する。カラヤン**** が知れば間違いなく激怒するであろう邪道なのはわかっているが、終楽章の合唱までスキップする。
俺のすることに全く興味のなさそうなロミナも、気がつけばTVに聞き入っていた。
ロミナはソファーに座り、俺はキッチンとリビングのあいだに突っ立ったまま、カラヤン指揮のベルリンフィルを見入る。やはり俺はこの時代の撮影スタイルが現代より好きだ。
演奏がほぼ終わりかけた頃にマヤがリビングに入ってきた。
俺は再生をリピートしたあとマヤの髪を一言褒めてからキッチンに入り、ハーブティーを飲むための諸々をリビングに持ち込み1人で準備を終わらせる。
これからハーブティーを飲もうとしているのに、ロミナに並んでソファーに座るマヤはお構いなしで髪に櫛を入れ続け、人工香料か天然香料か判然としない香りを周囲に立ち込めさせている。
それなりの値がしたハーブだったんだけどなぁ。
嬉しそうなマヤと無表情なロミナ。
マヤはロミナに、俺の年齢を確かめるために[鑑定]の話を思い出したように振ったのだが、ロミナに拒否された。だが幸いにも揉めることなくお茶会は恙無く終えることができた。
まぁ魔素が無いか薄いだろうから使えたかどうかは不明だが。
それにしても、ハーレム主人公って大変だな……
* 小川未明 『定本小川未明童話全集 6』「美しく生まれたばかりに」 2001 大空社
** 『それから』邦画 1985
*** 博物館明治村。明治時代の建造物等を移築した野外テーマパーク。
**** ヘルベルト・フォン・カラヤン。日本では「帝王」と称されている。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督。




