第34話 人は騙されることなど有り得ない 騙せるのは当人のみ
<オールバラ伯爵領-コッツウォルズ領庁-執務室>
「戻ったか」
球冠鏡から出て一礼したマヤに家令が声をかける。決して大きくはないその声は、執務室の静寂を破るには十分な音量だった。
「ただいま戻りました」
そう答えるとマヤは室外へと出るドアに向かい、廊下に出てから振り返り再び家令に一礼する。
「5階層辺りまでの攻略をすましたのか?」
家令は読んでいる書類から目を上げることもなくマヤに確認する。
「いえ。まだ3階層へも進んでおりません」
マヤの返事を聞いて家令は書類から顔を上げる。
「確か今日は午後1時にクーム侯爵家の家令との面談があったのだったな。何か無茶な要求でもあったのか?」
「家令さんが仰ったとおり、ダンジョン攻略に1人付けてくださるそうです。明朝8時に球冠鏡を繋げと言い終えると一方的に会話を打ち切りました」
「では今までおまえは何をしていたのだ?」
家令の問いには、僅かに感情が混じっていた。
「家令さんがお命じになられた三圃制の本を求めに但馬さんと日本の街へ行ってきました」
「おまえの髪が変わったのはそれが理由なのだな」
家令は、遠目にもわかるマヤの艶やかな黒髪に目をやった後、少女を見据える。
「街に出るには必要なことだと、但馬さんがお手ずから髪を洗ってくださいました」
「……まぁよい。おまえがそのような不用心なことを許すだけの信用関係を構築したということなのだろう。あの男にはまだまだ利用価値があるのだから、その関係を大事にせよ。ところで、その服で日本の街へと赴いたのか?」
それを聞くとマヤは何か一物があるかのような表情をする。
「どうした? 日本人はきれい好きだというが、まさか身体も洗わせたのではあるまいな?」
「自分で! 洗いました! そうではなくて、いえ、いいです! 外に出る際には但馬さんのお母様の服をお借りしました。その後日本の街で私の年頃相応の服を買っていただけたので、その服に着替えました」
マヤは興奮のあまり、言葉に詰まりながらも必死に否定する。
「買い与えられた服はどうした?」
「全て但馬さんの家に置いてきました。必要ですか?」
マヤの警戒したような問いに、家令はわずかに口角を上げる。
「そう警戒せずとも、お前の着古した服をご主人様のところに持って行ったりはせん」
「それを聞いて安心しました」
「それで?」
「なんでしょうか?」
「書物だ!」
「あ、あぁ。三圃制の本なのですが、入手には相当の時間が必要だそうです」
「相当とは?」
「数日から2ヶ月だそうです」
「日本では買いたいものがあれば、店で直ぐに買えるのではないのか? 自宅から商人に注文した場合でも、翌日には自宅に商人が届けると聞いておる。何故2ヶ月もかかるのだ?」
マヤは但馬との会話を思い出しながら、その内容を整理し、日本の出版事情の説明をはじめる。
「商人との通常取引内であれば注文した書物を数日で入手できます。ですが地方の町にある従業員が数人しかいない小さな商店では未だに半世紀前の商取引を行っているそうです。そうした小さな商店では注文を受けても通常取引を直ぐには行わず、半月に1度、あるいは月に1度しか商品を出荷しないそうです。ですから注文した日と、商店が書物を出荷する日の間が悪ければ、入手までにはその期間分待たされるそうです。更に通常取引の販路に乗せる前に、間に入る昔ながらの作業をしている地方・小出版流通センターという商会が介在しています。そこでも入ってきた書物を直ぐには通常取引に出荷せず、ある程度書物がまとまってからでなければ通常取引の販路に出荷しないそうです」
「日本人とは勤勉だと聞いておったが、たまにしか働かない者もいるということか?」
家令は眉をひそめ、不信感を募らせる。
「但馬さんが仰るには、……あ、いえ、但馬さんが申すには、利便性よりも効率を優先させないと、小さな会社は経営が成り立たないと」
家令は首を左右にふり言い放った。
「だからと言ってやるべき仕事を放棄するのは怠慢であろう。日本人にも色々いるのだな。但馬という男への認識は少々改める必要があるようだ。もう少し使える男だと思っておったのだが、奴はそういう考え方をする男だったのか」
何か言わなければ駄目だとマヤは焦るが、マヤの拙い知識ではどういう言葉で弁護すればよいのかがわからず、もう少し但馬への質問を重ねるべきだったと後悔する。
何か言おうとしているが言葉が出てこないマヤに家令は質問を続ける。
「他に但馬は何を言っておった?」
「他? ですか…… そうですね、もしかしたら但馬さんにはエルフかドワーフといった長命種の血が混ざっているかもしれません」
「エルフ? 成程。そうであれば奴の魔法適性の高さにも合点がいく。そう言ったのか?」
家令は興味をそそられたように身を乗り出す。
「直接は申されていません。家令さんは但馬さんがお幾つだと思われますか?」
「そう言うからには見た目通りではないのであろう。幾つだ?」
家令が何歳と答えるか期待していたのに質問をはぐらかされてマヤはやや不満そうに答える。
「55歳だそうです」
「ふむ。日本には人間種しかおらぬそうだが、奴の一族は以前から異世界との交流があったと話したのか? そうであるのならば、初見の際に私は奴に完全に騙されたことになるな」
「姓を使用していた先祖のことは、どういう地位にいたのかわからないそうです。500年前の大きな内戦で首都を離れ、それ以降は所有していた地方の荘園で現在の家名である但馬を名乗り、郷士のような身分だったそうですが、80年程前、日本は最後に戦った外国との戦争で大負けし、但馬さんのお祖父様は土地を失い、50歳で最底辺の労務者として初めて働くことになったと」
「ん? 長命種と接触したという話はなかったのか?」
「はい。但馬さんとご両親様とお姉様は実年齢より若く見られるという話があっただけです」
「お前はそれだけの話で長命種だと判断したということか?」
「私の知る限り、55歳の人間種であのような綺麗な髪と肌つやの方とは出会ったことがありません」
家令は露骨に呆れた声をだす。
「マヤよ。お前は若い。人間種でもそうした例はあるのだ。そんなことは長命種とは関係ない。……まぁ相手が長命種であれば、奴とおまえとの年齢差を気にする者は誰もおるまいがな」
後半は可笑しそうにマヤへ語りかける。
家令の言葉を聞かされたマヤは顔から耳の先まで真っ赤に染め上げた。




