第33話 桜花 散りかひくもれ 老いらくの 来むといふなる 道まがふがに
日没迄はまだ間があるけれど、丁度道路が混みはじめる時間帯。客待ちタクシーが確実に一車線塞いでいる道路を避けて一方通行の狭い路を縫うように運転していく。助手席のマヤは、流れる車窓の景色を興味深げに眺めている。
よくよく考えてみれば、3等星ぐらいまでしか見えない現代日本の都市住民と、マヤの世界では、プラネタリウムで星を見るという行為は意味するところが違うのかもしれない。
門限がないというマヤの言葉を信じて、俺は寄り道をすることにした。
府庁有料駐車場に車をとめる。大手門前にあるので目的の庭園に向かうのに都合が良い。
近年のこの時間では日本人より外国人の方が多いのだが、桜の満開日が例年より1週間程遅れているために、会社帰りの日本人もそれなりに多い。八重桜の見頃は来週だろう。
思っていたより人が多い。車からおりてきたマヤが不安そうな顔で人の流れを見ている。安心させるために俺は手を差し伸べ、マヤと並んで大手門へ向かう。マヤの小さな手が、少し緊張しているのがわかった。
「ここは日本の首都なのでしょうか?」
水堀と石垣を間近で見たマヤは、何かを探るように聞いてきた。
「重要な都市であることは間違いないけれど、首都と今の大阪城を関連付けて聞かれると、ものすごく説明しづらい」
豊臣大坂城ができたときは実質的な日本の首都だが、徳川大坂城は豊臣大坂城より一回り大きく造られていても徳川大坂城時代には日本の首都ではなかったし、戦後の鉄骨鉄筋コンクリ大阪城の天守は豊臣大坂城を念頭に造られているが、縄張りは徳川大坂城のままだなんていう説明は誰も望まないだろう。
「どういうことでしょう?」
機嫌が良いのかマヤは可愛らしく首を傾げて俺の返事を待っている。
「これぐらいの城は日本各地にあるし、惣構の大きさや高石垣と、その土地の重要性は必ずしも一致しないよ」
なんとなくマヤに伊賀上野城や丸亀城の高石垣を見せてあげたいなと思った。
そういえば日本の石垣は花崗岩や安山岩といった火成岩が使われることが多い(砂岩が使われている城もある)けれど、欧州の城壁は加工のし易い砂岩が主(花崗岩が使われている城もある)らしい。マヤの住む地方ではどういう石が使われているのだろうか。
「但馬さん。お城の側を車で通りすぎる際から気になっていたのですけれど、灯りを当てた満開の花の下に座って飲食をされている方たちは、何故そのようなことをなされておられるのでしょうか?」
彼女は少し戸惑っているようだった。
「あぁあれは花見という日本独特の風習。何故かは誰も知らない」
「誰も理由を知らないのですか? まだ肌寒いですし、もう少し暖かくなってからでは駄目なのですか?」
「その頃のあの樹は花を落として葉っぱを茂らしているから意味がない」
俺がそう答えると、マヤはさらに混乱した顔で首をかしげた。
「先程但馬さんは誰も理由を知らない風習だと仰っていましたよ。意味とはどういうことでしょうか?」
「あそこで酒を飲んで騒いでいる連中や、マヤが今後出会う日本人に花見の理由を聞いても、誰もまともに説明できず、『昔から桜の花が咲いたら皆がやっている』としか答えないと思う。でも俺は意味があると思っている。その違い。俺が思っていることを話しても、それが正しいことの証明はできないからマヤを後々混乱させることになる」
「聞かせて欲しいです!」
大手門を過ぎると西の丸庭園まで間がない。庭園に着く頃には話終えているのだろうか。
「最初は関係ない話をしていると思うかも知れないけれど、長い話になるよ?」
「聞かせて欲しいです!」
「今から150年位前に日本に来たイギリス人が書き残した言葉だけれど『何処の国でも春は美しい、しかし日本の春は何処の国よりも遥かに美しい』と記している。春だけではなくて日本の秋の紅葉も何処の国よりも美しいと今では言われているけれどね」
ふいに吹き抜けた強い夜風が、小柄な少女の肩を揺らした。俺は彼女との距離を詰め、風が止むまで冷たい空気を遮るように立ち位置をかえた。
「秋の紅葉がですか?」
マヤは不思議そうな顔をした。
「日本の植生は豊かだから。諸外国では紅葉する樹の種類は高が知れている。日本の紅葉する樹の種類は諸外国より多い。外国で見られる広大な地域の紅葉は初見では圧倒されても、しばらく見ていれば色の単調さに飽きてしまう。でも日本の紅葉は少しずつ色が違うから見続けても飽きない。秋になれば俺の言っていることの意味がマヤにもわかるよ」
「秋……ですか」
マヤは顔を少し下に向けて残念そうな声をだす。
俺は気がつかないふりをして話を続ける。
「で、昔の人は考えた。春に梅や桃や桜が美しく山々を飾り、秋には全山が赤や黄で染め上がるのは何故だろうかと」
「何故ですか?」
「そこに人知を超えた神のような存在を感じたのだと思う」
「神? ですか?」
「日本には八百万の神々が御座すからね。あぁちゃんと翻訳できているかな、八百万というのは数えきれない程多いという意味だよ」
「何か不思議な感じがします」
「まぁ日本人の宗教観は独特だからね。四季はそれぞれが美しいけれど、地震や大風や大雨が人々の営みを無情に破壊していく。だから物は壊れるもの。年古りて壊れない物があるのであれば、それは魂が宿った常ならざる物であるからこそ残ると考えてしまう。大きな岩が壊れもせずに何時迄も残っていれば、神がその岩に降りてくるからだと簡単に信仰の対象にしてしまう」
「なんだかわからなくなってきました」
マヤは混乱している。
「1つの民族が長い時間をかけて培ってきたことを異なる文化圏の者が短い言葉で全てを理解することは難しいよね。最初の質問の答えは、雪深き深山幽谷に鎮座ましましました神々を拝謁せんがために、草木は美しく自身を飾り立て、人々は神々をお迎えするために酒や普段食べている物より良い物を捧げることで、人里に降りてきてくれた神々を歓待する。秋には神々をお見送りするために山が染め上がり、人々は賑やかな秋祭りを挙行し、春には又人里に戻ってきてくださいとお願いする。秋祭りと花見の本来の意義は神々を送り迎えする宗教行事だと俺は考えている」
「何故日本の神々は冬には山奥に行かれるのですか?」
「……無理に理由付けするのであれば、神々がいないから冬は過ごし難く、自然は鮮やかな色を失うのだと昔の人は考えたんじゃないの、順番が違うよ、春と秋に自然が華やぐ理由が先にあるから、冬にも神々が人里にいるのであれば、春と秋の説明ができなくなる」
「そういうものなのでしょうか?」
「俺はそういうものだと考えている。花を見ることも、有志の一団が花を見に行くことも、日本に限らずどこの国でもあることだと思う。日本の文献には中世以前に花見をするのは貴族のような支配階級の特権だったと書いてあるものもあるけれど、庶民の暮らしが数多く語られるようになったのは近世以降のことだし、戦乱期や寒冷期に庶民がこぞって花見をしていたなんていう事態は異常だと思う。ああやって満開の花の下で飲み食いし春を祝うことに階級は関係ない。そういうことをする文化があるのはこっちの世界で日本だけということが、日本の特異な宗教観の現れだと俺は考えている。最初に言ったが俺の考えは色々な民俗学徒のごった煮であって、特定の誰かの説ではないし、他の日本人に俺の話をしても、誰も同意はしてくれないと思うよ」
話していると西の丸庭園に着いた。昔は午後四時半以降の入園は無料だったと思うのだけれど、さすがにナイター営業中はこの時間でも有料だ。
マヤは目の前に聳え立つライトアップされた巨大な大阪城に賛嘆の声をあげ、漆黒の夜空を背景に、堂々とした白く輝く天守を見上げて楽しそうに眺めている。だが足元の空堀に降りそそぐ、風に舞う桜の花びらに気がつくと、少し切なげな表情となる。
頭上には今を盛りと咲き揃う満開の桜。
一陣の風が通り過ぎ桜の花びらが宙を舞う。
飛んでいく花びらを名残惜しそうに眺めおえたマヤはこちらを振り向き、後ろから見守っている俺を見て微笑む。
同じ時間に同じ場所にいて同じものを見て同じことを思う。マヤとの経験の共有は後何回重ねることができるのだろうか。
薄暮の空には数えられる程度しかない星が瞬いていた。
俺はふとプラネタリウムで見たばかりの降るような星空を想像する。
幻想的な全天に広がる星々。
ライトに照らされた満開の花。
それらを合わせた光景をこの目で見ることが叶うなら、俺のつまらない人生も生き続けてきた意味がある。
そう思った。




