第22話 生きるとは呼吸することではない 行動することだ
「明日あの者と会うたら、言っておったという『三圃制』とやらの農法を詳しく聞いておけ」
家令は椅子の背にもたれ、両手を前で組んだ。その仕草は、今後の展開を慎重に見極めようと思索するときの癖であった。
だがマヤは、わずかに眉をひそめ疑念を隠さずに口を開いた。
「日本人の言う事を信じているのですか?」
家令は苦笑にも似た表情を見せた。
「どうした? あの者が失敗して処罰される事を恐れておるのか?」
「そのような事は一切気にしておりません。ただ家令さんが日本人の言葉を信じている事が不思議なのです」
家令は椅子から身を起こし、表情を崩さぬまま問いかける。
「お前は『ミミズ』と呼ばれておる日本人を知っておるか?」
「存じません」
「で、あろうな。嘘か真かは不明だが、その日本人は土を食うそうだ」
家令の言葉に、青年が小さく鼻を鳴らした。マヤも思わず目を見開き、呆れを隠さずに言い返す。
「やはり日本人は頭がおかしいのですね」
「ふむ。そうかもしれん。だが、その日本人によって窮乏しておった領地は豊作が続き、『土』と『マッシュルーム』はその領の輸出品となった」
静かに語られるその言葉は、にわかには信じられない言葉だった。マヤは言葉を失い、眉をひそめて首を傾げる。
「ありえません。土をわざわざお金をだして買うのですか? 家令さんはまだ私をからかっておいでなのですね」
「もうよい。しかと言い渡したぞ。『三圃制』なるものの利点と注意点を詳しく聞き出し、現地で直接指導をする気があるのか、指導するのならその対価に何を望むのか、必ず聞いておけ。あぁお前には予め告げておくが『三圃制』の実験はカトー領主代行、お前の伯母に命じる。両親が残した荘園に未練はないのだな?」
唐突な通告にマヤの瞳がわずかに揺れた。一瞬、両親と共に過ごした頃の記憶がよぎる。しかし彼女は、すぐにその揺れを押し殺し、唇を真一文字に結んで答えた。
「未練はございませんが何故カトー領なのですか?」
「父から聞かされておるだろうが、私とお前の父は負け戦で1つの椀の麦粥を2人で分け合った仲だ。赤子の頃から見知っているお前の境遇には同情しておる。だが、ご主人様は違う。数ヶ月後には16歳と成り成人したお前に、お前の伯母が領主を継ぐ姪に婚姻の世話をするとご主人様に上申すれば、ご主人様は認めることになろう。たとえそれがお前の伯母の愛人の1人であったとしてもだ」
マヤは息を呑むようにして一瞬黙り込んだ。だがすぐに、凛とした声で言い放つ。
「あのようなご立派な方々は、私には畏れ多いので辞退いたしたく存じます」
「わかっておる。お前の伯母は顔が良いだけの空っぽ頭が好みだからな。しかしながら狡猾なお前の伯母は、僅かずつではあるが毎年の納税額を増やし、賦役に関しても他の荘園領主共は、反抗的な者や、命令を理解できない愚物や、四肢のどこかが欠損しておる者を寄越すのに対し、使える者を毎年手配しておるのでご主人様の心証は頗る良い。故にお前の事情なんぞ聞き入れてはくださらぬ」
「優秀な伯母であれば『三圃制』も成功させるとのお考えでしょうか?」
声は平静を装っていたが、わずかに言葉の端に棘があった。
「さて、それは分からぬ。脛に疵持つ身であれば、さぞや懸命に頑張って成功させてくれるやも知れぬといったところか。他の荘園領主に命じたところで、真面目に取り組むとは思えぬしな。何せ日本人の言う事だ」
「そういう事ですか。かしこまりました」
「あとは、武器が欲しいと言っておるそうだな。あの者はどんな武器を使っておるのか?」
「武器。と言ってよいのか判断に困りますが、本人は槍と投槍のスキルを赤オーブで得たと申しております」
「ジェイコブ。最下級の魔力付加のなされておる短槍があったな。素人が使うのだ。刃を研ぎなおし、柄には新しい鮫皮を巻いておいてやれ。明日朝までにできるか?」
「はい。ご指示通りにいたします。しかし、よろしいのですか? ご主人様の許可を得ずにマジックアイテムを下げわたしても?」
「この3品の返礼だ。お前がご主人様をどう見ておるのか話す必要はないが、問題ない」
ジェイコブは一瞬だけ目を伏せ、深く頭を下げた。
「失礼いたしました。ただ今の発言はお忘れくださるようにお願いいたします」
言葉の後、再び沈黙が訪れた。その空気を切るように、家令がふとマヤの方を見やった。
「マヤ。確認だ。あの日本人は『民主主義』や『平等』といった危険思想をお前に吹き込んだか?」
問いは鋭く、まるで尋問のようだった。マヤはためらいなく首を振った。
「いえ。話しておりません」
「ならばよいが、もしその種の危険思想をこちらの者に吹聴しはじめたら、お前の判断で処理しろ。できるな」
家令の目が真っ直ぐマヤを射抜いた。視線は鋭く、逃げ場を与えない。
マヤは一瞬だけまばたきをし、そしてゆっくりと口を開いた。
「……もちろんです」
「判断は任せるが、目撃者はだすなよ。20年前に来た日本人もある日どこかへ旅立ったのだ。お前の短慮で村人悉くが突然いなくなるような失態は許さんぞ」
「日本人とはそこまでの警戒が必要なのでしょうか?」
「昨日まで、鍬や鋤の使い方しか知らなかった農民が容易くお前を殺せる。お前はそれを脅威だとは感じないか?」
「脅威です」
「ならば、日本人とは十分な警戒をもって接する脅威であるな。当地と日本が全面戦争をはじめるなんぞ、あってはならんことだ。こちらの熟練兵や一般兵を育てるのにどれだけの時間と金が必要なのか、その程度の計算はお前にもできよう」
「はい」
「今日はもう休んで良い」
そう言うと家令はジェイコブを見た。ジェイコブはドアの前に移動するとドアを閉め始める。
ドアが閉まり始めるとマヤは命じられている通りに45度のお辞儀をする。
ドアが完全に閉じてから、マヤはゆっくりと1から5まで数える。
数え終わったマヤは頭を上げると、そのまま足音をたてることなく静かにドアの前から離れて行った。
閉じられたドアに目をやることもなく、家令は机の上の江戸切子を指先でゆっくりと回した。
「……面倒事に巻き込まれたくない。か」
ドアと球冠鏡の中間で待機しているジェイコブは、江戸切子に見惚れている家令を冷ややかに見つめている。




