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第19話 「ノーフォークノーフォ」と毎年生徒のうけを狙う教師って実在するのだろうか?

 沈黙が重い。封建社会の人間だということを常に念頭に置かないと、平民の命は軽そうだ。


 リビングに戻り、マヤにソファーを示す。彼女は腰に提げた片手剣に手を添えながら、小柄な体を丁寧に折り畳むように腰掛け、躊躇なく炬燵布団に足を入れた。今日初めて見た暖房器具の何かを確かめるような表情を浮かべながらも、開口一番、重たい話の続きを促してくる。

「どうして日本の方々は変な農法に拘るのでしょう? 私にはどうしてもわからないのです」

 その真っ直ぐな問いに、一瞬言葉を選びかけた。少し間を取るため、俺は冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを取りに行き、水屋から取り出した朱色の美濃焼の湯飲み二個へ静かに注ぐ。

「変ではなくて、条件が揃えば今のところ四輪作は最も合理的な農法。それが普及しないのは伝え方に問題があるからだと思う」


 目の前に置かれた朱い陶器に目を奪われていたマヤだが、想定した話の流れでまとまらず、俺が議論に応じたことを意外に感じたようだ。

「問題とはなんですか?」

 声の調子は落ち着いているが、内心では深く考えようとしている様子が伝わってくる。


「端的に言うと、1冊の本の最後のページだけしか読んでいないのに、その本の内容を語ろうとするから、きちんと伝わらない。話し手が話の内容を理解していないのに、知識の無い聞き手が内容を理解できるはずがない」


 マヤは思考を巡らせるように目線を泳がせる。その目は何かを繋ぎ合わせようとしているかのように、炬燵の縁を指でなぞっていた。

「つまり、但馬さんであれば、ノーフォーク農法を広める事は可能であるとオッシャっているのですか?」


「そうは言っていないよ。既に三圃制が導入されているのなら、四輪作への移行は時間の問題だと思うけれど、輪作をそこまで拒絶しているということは、耕作と休閑を繰り返す二圃制で麦を育てるのがそっちの主流なのだろう?」


「えぇそうです」


「ならば、まず目指すのは農地を三分割する三圃制であって四輪作ではない」


「その、三圃制であれば確実に農作物の生産量が向上するということですか?」


「君達の世界の事を何も知らないのに、確実だと言う者がいるのなら、そいつは詐欺師だよ」


 マヤは一瞬、虚を突かれたような表情を見せる。だが、すぐに真剣な眼差しに戻った。

「それはそうかも知れませんが、では何故日本の方々はノーフォーク農法ばかりを口にして、但馬さんのオッシャる三圃制は言わないのでしょうか?」


「最初に言ったよね、本の最終ページしか読んでいないからだと」


「どういう意味でしょう?」


「別の言い方をすると、日本での教育は国による検定に合格した教科書しか使ってはいけないことになっている。今は知らないけれど俺の頃は検定に合格した世界史の教科書は15種類あった。この内三圃制という言葉が教科書に掲載されているのは14前後だったと思う。一方でノーフォーク農法という言葉が掲載されている教科書は3前後でしかない。しかも、俺の使っていた教科書ではノーフォーク農法は欄外に書かれてあるだけで本文には書かれていなかった。つまり日本の教育では生徒が覚えるべき世界史の重要事項は三圃制であってノーフォーク農法ではないということ。猫も杓子シャクシもノーフォーク農法を口にするのは明らかに不自然。その不自然な事がマカり通っているという事実が、逆説的に農業に無知な者が農業を好んで語っていることを示している。君の言う不幸な日本人がそっちの世界で増えているのはそういう半可通ハンカツウタグイであって、多少なりとも知識があれば農業のような面倒な話に口を出さないで黙っている。沈黙している者は数に入らないから、結果的に日本人はノーフォーク農法ばかりを言い出すという間違った印象を持たれてしまったのではないだろうか」


「但馬さんは農業の専門家ですか?」


「違うよ。俺の専門は国史」


「では、ノーフォーク農法を勧める他の日本の方々が農業の専門家で、但馬さんは門外漢であるがゆえに専門家の意図するところを理解できていないという可能性もあるわけですね」


「仮にそうだったとして、では何故その専門家はノーフォーク農法を普及させることに失敗したの?」


 今日何度目かの沈黙が訪れる。マヤは言葉を探しながらも、視線を外さない。

「……それは、たまたま天候の不順が続いたとか、領主が定めた年数以内に結果をだせなかったとか、保守的な農民の抵抗にあったとか、色々考えられるのではないですか?」


「結果をだせないのに専門家を名乗る資格があるのかな?」


 俺の問いに、マヤの眉がわずかに動いた。

「だったら、但馬さんの言う農業に無知ではない方の見解をお聞かせください。日本人は何故ノーフォーク農法の導入に失敗したのですか? 」


「リカード* という人の地代論を援用した柏祐賢** は、日欧の農地とそこに投下される労働量の違いを指摘している。日本では水田での稲作にのみ注力しているのに対し、麦が農業の主体である『欧州』と言われている国々では、日本のように主食にのみ大量の労働量を投下していないってね。ノーフォーク農法ではカブをサイクルに入れることで食肉の増産にも成功しているわけだけれど、カブのような大量の労働量を必要とする作物を唐突に生産しようとしてもその労働量をどうやって確保するの? 俺の世界では三圃制によって人口が増大し異教徒に侵略戦争をふっかける程の下地があったけれど、三圃制すら実現していないのにいきなりカブの量産をはじめようとしても、余剰人員のいない現地の人から相手にされないのは当然ではないかな。それに、こっちの世界でも輪作を導入した失敗例があってね。成虫が餌にする大豆を育てた土地には産みつけられた卵が土中にあるのに、卵から孵化した幼虫が餌にするヒエをその土地で次に育てたから害虫が大発生した。全く未知の土地で二圃制が主体なのに、三圃制を飛ばして四輪作を導入しようとするのは専門家とはとても呼べないよ」


 マヤは姿勢をかえず、ただまっすぐにこちらを見つめている。聞き逃すまいと集中の眼差しを外さない。その眉がわずかに寄った。言葉は理解できても、途中から話の内容についてこれなくなっている。目を伏せ、少し考え込むように視線をテーブルの端へと落とした。指先で布団の縁をいじりながら、再び口を開く。

「専門家である但馬さんがお勧めするのは三圃制ということなのですね」

 その声には、真面目さの中に少し意地を張るような響きも混じっていた。


「だから。俺は農業の専門家ではないって、さっき言ったはずだけど」


「そうでしたね」


 会話が途切れ、短い静寂がリビングを包む。話題を変えよう。

「それだけ悪評が広まっているのなら、君の世界では日本人と名乗らない方がいいのかな?」

 マヤは何かを思案するように瞳を細めた。彼女の表情には複雑な思いが浮かび上がっていたが、それをすぐに言葉にはせず、少し間を置いて答えた。


「昔は王族や貴族の方々も食事の際には手づかみで食べていましたが、今日コンニチのようにナイフやフォークを使うのは日本人が使っているのを見て真似たと聞かされています」


「手でつかんで食べるというのは宗教的な理由でそうしていたの?」


「いえ。わかりません。昔はそうだったという話を聞かされていただけですので。あとは、そうですね。以前は礼儀作法もあまり重視しておりませんでしたが、日本人が相手によってお辞儀の角度を変えて応対しているのを商家の方、次いで貴族の方々が真似られ、宮廷の礼儀作法は現代では非常に洗練されたものになったと聞かされております」


 その言葉に、俺は少し首を傾げながら考えた。

「洗練された宮廷の礼儀作法ということは、俺の世界だと中世後期、場所によっては中期(中世盛期)か、それ以降の文明度ということなのかな。あれ? そう言えば、二圃制ということは農村に余剰作物がないから貨幣経済は中世の中(中世盛期)・後期のように浸透していないの?」


 マヤの目が困惑の色を帯びた。表情から読み取れるのは、問いの核心にたどり着けていないもどかしさ。

「申し訳ありません。何を尋ねられているのか分かりません」


「ごめん。言葉をハブき過ぎたようだ。使われている貨幣は金貨・銀貨・銅貨でいいの?」


「金貨は国王・貴族間や大きな商会が介在した場合には使用されることもありますが、銀貨が主です。遺跡やダンジョンで旧い金貨や銀貨を見つけても、不用意に用いると贋金使いとして捕らえられるか、濡れ衣を被せられて没収もしくは処刑されることもありますので、信用できる商家で銀貨に換金してもらう必要があります。有力な商家に持ち込んでも、その日のうちに衛兵がやってくれば、そこまでです。理由なんて、私たちが死んだ後にいくらでもつくられますから。銅貨は各国や各地の領主や教会が鋳造していますが、当該地域外では不純物の雑じった銅としての価値しかありません」

 話しながら、マヤはわずかに声を落とした。そこには、過去に聞いた理不尽な話への忌避感がにじんでいた。


「都市だと平民でも銀貨や銅貨を日常的に使用している? 」


「都市によります。商業の発達した都市では市民の方も貨幣を日常的に使用しています」

 マヤは丁寧に、正確な言葉を選びながら説明する。その慎重さは、まるで失言を恐れているかのようだ。


「主要幹線路。交易路かな。人々の往来が激しい路沿いの農村だと銀貨や銅貨は使える?」


「銀貨や銅貨を受け取ってもらえるか否かは、交渉される相手次第です」


「あぁ。では行商の人が偶に訪れるだけの、来訪者のいない村では貨幣は使えない?」


 マヤはほんの一瞬、考える素振りを見せた。

「わかりかねますが、荘園領主は貨幣の価値を知っております。ただ、その荘園の預所アズカリドコロの成り立ち*** によっては、外部の者との取引を一切拒否される方もおられます。ただ、知己の相手との口頭の信用取引しか応じない村でも、物々交換であれば可能な場合もあります」


「単純にこっちの世界のどこそこと同じというわけではないということが確認できたよ。ありがとう」


「いえ。どういたしまして。私どもとの交易をお望みですか?」


「可能ならやっても良いのだけれども、面倒事が増えそうなので今のところは考えていない」


「家令さんは無刻印の金の地金ジガネを用意できるそうです」


「何か必要な物があるの? そういうのを受け取っても1度ぐらいなら誤魔化せるが、繰り返したくはないのだけれど」


「いえ。そういう話は聞いておりません。物品の取引は望まれていないと伝えておきます」


「さてと、久しぶりに沢山話したので、ちょっと顎が疲れてきた。休憩代わりにその道具で観劇を楽しまない?」

 俺は薄型大画面のテレビを指さす。マヤは、見たこともない黒い板状の道具に視線を固定した。その瞳には、討論の真剣さから一転して純粋な好奇心が浮かび上がっていた。

* デヴィッド=リカード(1772-1823) イギリスの経済学者


** 柏祐賢『農業問題の正しい認識』富民協会 1966


*** 主人公の専門が日本史なので西洋史ではなく日本史用語で翻訳されることも稀にあります。ここでの成り立ちとは、

 ・開発したのが荘園領主なので上位権力は相続に介入しにくい。

 ・上位権力により荘園領主となったが基本的には荘園領主の血族が相続する。

 ・上位権力により派遣された代官なので任期制。

等これいがいにも様々な様相があります。

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