第17話 常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションに過ぎない
「この字、読めるの?」
「サークレット(通訳)がありますから」
「俺が試したときには翻訳できる言語と、できない言語があったんだけれど?」
「そういう事があったのですか? 初耳です」
「英語という言語は翻訳できたけれど、仏語と独語という言語で書かれた文章は翻訳できなかったよ」
「……よくわかりませんが、誰かと暫くの間お話しすれば勝手に読めるようになりますよ? それがサークレットの役割です。できないことがあるなんて、考えたこともありませんでした」
マヤは本心から不思議そうな表情をしている。
「それって、そのサークレットが魔法か何かの超技術で会話相手の頭の中を探っているということなのかな。条件が同じなのに英語だけが読めるのは、サークレットが俺の頭の中の俺自身が覚えはしても思い出せない英語知識を発掘し、類推等で補完してくれたから?」
「さぁ? 私には分かりかねます」
マヤは困ったように眉を下げた。
「そういう物を頭に被るのって抵抗心とかないの?」
「但馬さんが何を気になされているのか、わかりません」
「誰かがそのサークレットを解析して、それを使用している者の記憶改竄や喪失を試みる可能性があるのでは? という話」
「サークレットは時折ダンジョン内で取得できますし、日本の方々も持ち込まれているので数はあります。そのような事があったという話は聞いた事がありません」
マヤはきっぱりと断言した。
「まぁ可能性の話だからね。日本人って、そっちの世界にどれ位の頻度で訪れているの?」
「地域によって偏在していますが、凡そ10年から50年・100年位の間隔で現れると聞いております。最後に日本人がオールバラ伯爵家領に現れたのは20年前だと聞かされました。10年毎に日本人が来ている貴族領もあるそうです」
この焼きそば。ちょっと火を通し過ぎたか…… 想定外の話に驚いて手元がおろそかになっていた。
中皿2枚に焼きそばをよそいはじめる。
「食材がこびりつかないのは、そのフライパンが石でできているからですか?」
マヤは強引に俺の脇から頭をつきだしてフライパンを覗き込む。好奇心いっぱいという体が子供らしさを醸し出す。
「御影石のように見えるけれど、これ、石ではないよ」
「え! そうなんですか? 石にしか見えません! 日本のフライパンって変わっています」
「いちおう説明すると、これはイタリアという国の製品で日本製じゃない。それと、このメーカーのフライパンは重すぎて日本の女性は敬遠するだろうから、この国では流行らないと思うよ、多分。食事の用意ができたから君の分は向こうのテーブルに自分で運んでくれるかな」
漸くマヤが離れてくれたので、俺は安心して冷蔵庫の扉を開く。
大半が○○%引きのシール付きだ。
水屋から4センチ位の豆皿を10枚取り出し、スーパーマーケットでパック売りしている香の物や煮豆や昆布等を少量ずつ盛っていく。
栄養バランスよりも色の違うものを優先して、失敗作の焼きそばの周辺に豆皿を配せば、見た目を補うことで全体的には体裁が整えられるのではないだろうか。
日本での食事とは目で食べるものなのだ。
それにしても……100年の間隔で日本人、か。100年前だと都市部出身なら「日本人」と名乗ることはありえるけれど。200年前の日本人は自らを「日本人」と名乗ることはないだろう。
それと、この娘の世界全体が数日前にできたのでないのなら、日本人が何かをやらかす度に新しいパラレルワールドが発生しているのか? その辺りの整合性は誰がとっているのだろう……
ソファーにちょこんと座っているマヤに、高足炬燵を覆う布団を捲って中に足を入れるように促す。驚いた風で布団の中を覗き込み、手を伸ばして何かを確かめている。小さかった頃の甥っ子を思い出す。こういう時の反応はどこの世界の子供でも同じだな。
これから食事だというのに片手剣を腰から外そうとしないマヤを横目に、フォークとスプーンを置く。
白人や黒人が消化できないのは昆布だったかワカメだったか。
わざわざ不安にさせることでもないので余計な事は言わない。
外国人だからという理由で海藻を食べさせない差別旅館があったというニュースは聞いた事がないので、日本の旅館やホテルは外国人にも気にせずに食卓へだしているのだろう。
本来日本の食卓だと出されたものは全て食べないと無作法になるけれども、マヤには食べつけないものは無理に食べなくていいとだけ言っておく。
結局、飲み物はミネラルウォーターにしておいた。4月上旬に飲む冷たい水は熱い焼きそばに良く合うかもしれない。
ある程度食事が進んだところで質問を再開する。
「100年・200年前に現れた人って自分で日本人と名乗ったの?」
「私たちの住んでいる土地を異世界と呼ぶ人たちは、1人の例外もなく全て日本人を名乗っていると聞いています。何故ですか?」
「今、俺のいるこの世界にダンジョンが出現しはじめてから未だ10年経っていないからね。それと100年・200年前の日本人は島根県だと雲州。広島県なら芸州。もしくはそれぞれ出雲の国・安芸の国出身と名乗っていたと思う」
「あらっ、日本というのは随分と新しい国なのですね」
「ん? 違うよ。国号としての日本は1,000年以上前からあるけれど、この国に住む人の大半が自分を日本人だと認識するようになってからは数10年ぐらいかな。100年程前に明治天皇という一人が崩御されたけれど、首都から日帰りで歩いて往復できる近郊の農村に住む二十歳の女性が、ロシアという大国との戦争で有名になった日本の将官は知っているのに、天皇はこの国の元首であることすら知らなくて、息子がいればよいが、いなければ天皇という人の嫁は収入がなくなり苦労するだろうと答えたという逸話* が残ってる」
「アメリカという国だと未だに前近代の風潮が色濃く残っていて、生まれてから死ぬまで自分の生まれた州から外に出たことのない人は一定数いるらしい。映画** やドラマ*** という演劇みたいなもので時々ネタになっている。それに比べれば日本は封建制度下であっても、土地を持たない小作人や商家の奉公人、女性や子供でも主の許可を得ず勝手に数十日の旅行(お蔭参り)をしても、伊勢に参拝したという証拠の品さえ持ち帰れば咎めを受けなかったから、風通しは同時代のどこの国よりも良かったよ。ただ島国で外国人と接触する機会がないのと、対外戦争が頻発するようなことがなかったから、日本という国号が大半の日本人には縁が無かっただけ。この国では120年前に大きな国と戦争をしたけれど、その時に出征した兵士は、300年前の戦争での殿様の恥を雪ぐとか、50年前の戦争での殿様の恥を雪ぐと言って戦う人たちもいたらしい。国王のためではなく領主のために戦うという感覚。マヤにはよくわかる話だろ」
「確かに。最後のお話しだけはよくわかります」
「ある程度の知識層なら君の世界でも国家を意識するだろうけれど、教育を受けていない人たちは対外戦争と言われても、国王のためではなく領主のための戦争という理解なんじゃないかな。で、日本の場合だけれどそういう認識に大きな転換があったことが現在の国民国家に深く根ざしている。ちょっと前の話にでてきたアメリカという国では何処の州の住民かを聞かなくても自分から言うけれど、現在の日本人は外国人に出身を聞かれても、日本とは答えるが、自分から日本の何処出身と話すことはまずない」
「その大きな転換とはなんですか? 」
……この話。いつまで続けようか……
「日本での通説は後で調べ方を教えるから自分で読んでほしい。一般的ではないけれど俺の認識でいい?」
「えっと、その、困ります」
「だよね。通説だと江戸時代という封建国家から明治という近代立憲君主制国家となり、超大国に喧嘩を売ってボロ負けした後に、民主制国家として再起したということになっているのだけれども、あぁそれぞれが転換点ね。俺は近代立憲君主制国家、日本が大日本帝国と名乗っていた時代なので俗に帝国憲法下とも言うのだけれど、それを3つに分けていて、通説とはその帝国憲法下全体の認識が異なっている。俺の言う大きな転換ってのはその時代を更に細分していて、通説のように手軽に1つにまとめていない。通説だとさっき言った蘆花の随筆* と整合性がとれなくなるが、日本の一般人は教育関係者も含めて誰も気にしていない」
「どうして但馬さんは他の人と違う考え方をされているのですか?」
「俺が違うのではなくて、日本で望まれる通常教育(義務教育と高等学校)を受けている人たちと、高等教育機関(高等学校ではない)で歴史の専門性に特化した人たちとでは認識が異なるという話。別の専門性に特化した人たちは高等教育機関を出ていても、歴史の認識は通常教育を受けただけの人と大差ない。俺の考えていることは、俺と同じ教育環境下で学ばないと探しても見つけられない。長い話になってしまったけれど、君の世界に行った日本人は何百年という期間にばら撒かれていても、日本人と名乗っているのであれば直近100年以内の日本人だろうし、おそらくは最近数年間の日本人がマヤの世界を訪れていると思う。繰り返しになるけれど、こっちの世界でダンジョンが現れてから10年経っていないからね」
「えっ?」
マヤは俺の最後の言葉を聞くと目を細め、何かを考えている表情を見せた。
* 徳冨健次郎『みみずのたはこと 上』 岩波文庫 1977
** 『遠い空の向こうに』アメリカ映画 1999
*** 『クリミナル・マインド FBI行動分析課』 アメリカTVドラマ 2006(シーズン2)




