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第16話 女は観察し男は推理する

 母が初めて入院したときに自宅マンションをリフォームした。

 俺自身何時痛風が悪化して車椅子生活になるかわからないので、風呂やトイレは介護を前提に広くとり、自室は長年の夢だった本格的な書斎に改造した。長方形八畳間の長辺両側に三列スライド本棚を設置している。

 本の中・小区分を行う際に便利なように、特製のブックカートも2台作ってもらった。その2台も収納できる特注品の本棚だ。

 学生時代。京都に下宿していた俺の部屋に泊まった友人は消灯すると必ず同じ事を呟く。

「夜中に地震があったら、この本にし潰されて死ぬんやな」

 もう2度と言わせないぜ。




 マヤが返事を待っている。定型質問なので俺は何時もの定型回答で誤魔化す。

「何冊かは読んでいるよ」


 マヤが小首を傾げる。ちょっとあざと可愛い。説明を求めるように、じっとこちらを大きな瞳が見つめ続ける。面倒くさい。今日会ったばかりなので俺の事を知らないせいか定型回答では駄目なようだ。友人相手であれば俺が真面目に質問に答えなければ、それ以上質問を重ねてこないからクドクドと説明しなくてよいから楽なのに。


「ここら辺の『大日本百科事典 ジャポニカ』は必要なところしか目を通さなかったし、こっちの『大日本古文書』や『群書類従』も論文を書くときに必要なところしか読んでいない。『史籍解題辞典』やその他の辞典の類も全部は読んでいない。史料や辞典を除いた一般書に限定するなら7割位は読んでいると思うけれど正確には把握していないよ」


 マヤは要領を得ないという顔をしているが、学部初年生や大学進学希望の高校生ではないのだから、これ以上細かい説明をする理由が無いので退出を促す。

 棚の陰に隠れてわからないだろうが、1番奥の列に収納しているのは中学・高校生の頃にのめり込んだウォー シミュレーションゲームの箱で、それを取り出されて説明を求められても困る。女からあぁいう視線を向けられるのは母親と姉の2人で十分だ。

 実際問題。他人の書斎の本を眺めるのは、その人の頭の中を覗き込んでいるのと同義なのだから、こういう無作法な行為は不愉快だ。


 リビングに戻るとマヤが振り向いた。

「日本の方々は皆さんあのような沢山タクサンの書物をお読みになっていらっしゃるのでしょうか?」


 本当に面倒くさいなこの


「俺の部屋に初めて入ったら『この本を全部読んだのか?』と、皆同じ質問をするよ。君が何を聞きたいのかはわからないけれど、それを聞いてくる日本人たちは多分俺に否定して欲しいのではないかな。つまり、あれだけの読書量は日本人の平均より多いと感じるからこそ聞いてくるのだと思う。その人にとっての許容量内や想定内であるのなら、わざわざ、全部読んだのかと一々聞いてきたりはしないだろう。俺が友人たちと何処かの家に行ったときに、友人が部屋の主に『この部屋の本は全部読んだのか』と聞いている場面にこれまで一度も出くわしたことがないしね」


「そうですか」


 ……俺の話についてこれなかったのか、口調を変えたから空気を読んだのか、マヤのイントネーションが微妙にかわる。ともあれ、飲み物の好みに話柄を変えよう。

「ホットミルクでいいかな?」


「そういえば、そろそろお昼ですね。保存食を持ってきているのですが、ご一緒にお召し上がりになりますか?」


「あぁお昼か。1度君の世界に戻って食べ終えてから、再び互いの世界の認識への擦り合わせを再開するのでは駄目かな?」


「……予告なしの訪問はできれば避けてください。いらっしゃっても但馬さんにお出しできるお食事はおそらく下級使用人用ですし、その方々の食べる分が減ってしまいますから」


「えっ?」


「えっ?」


「あぁごめん。俺は自宅にあるもので食べるから、マヤも向こうの世界で食べてきてはどうだろうかという提案だったのだけれど?」


「戻っても私の食事は今持ってきている保存食ですので同じ事です。ここで私が食事をとることに不具合があるようでしたらご指示通りにいたします」


 さて、どうしようか。いきなりカレーはハードルが高いよな。変な物を連想したらテーブルに近づくことすら拒否するだろう。ドライカレーにしようか。このが異世界でのフィールドワークで何を見てきたか予想もつかないけれど、ご飯を見て、動物の死体にタカっている蛆の蝟集イシュウを連想してしまったらやはり近づかないか。

 ルソーは「田舎育ちの娘は虫を恐がらない*」と言っているから問題ないような気もするが、そもそも俺は彼女がどういう育ちなのか知らないんだよなぁ。

 と、言うか。俺の母はド田舎育ちだが、虫を恐がらないことと、虫を嫌うこととは別の話だという実例を子供の頃から俺は見てきているのだから、育ちは関係ないか。

 カレーは駄目だな。


「保存食の方が食が進むかもしれないけれど、こちらの世界の中流層が食べる昼食に興味ある?」


「どのような物を食べておられるのですか?」


 冷蔵庫から麺を取り出してマヤに見せる。ワームだと言われると俺がへこむことになるけれど。

「こういう麺類は普段食べている?」


「はい似たような物を食べたことはあります」


「肉や野菜で食べられない種類や、調理方法に宗教的・文化的な忌避はあるの?」


「いえ。大丈夫だと思います。調理の際に隣か後ろから見ていてもよろしいでしょうか?」


「うん。何か問題があったら遠慮せずに言ってね。こっちの世界でも牛の肉や豚の肉が駄目な人たちがいるということは広く知られているけれど、外国人だと相手によっては鶏肉も駄目な場合がある。そういう人たちからは『貧乏人だから安い鶏肉で十分だろうという決めつけだ』と解されるから、侮辱だと捉えられて問題になってしまうのだけれども、殆どの日本人はこの話を知らない。だから、そういう慣習の違いは侮辱されたと感情的な反応をとらずに積極的に教えて欲しい」


「はい」


「とりあえず、焼きそばをつくろうと考えているけれど、小麦が主成分の麺。それと豚肉。あとはキャベツとネギ、それに玉葱と酢等でつくったドレッシングを使うつもり。何か止めて欲しい材料はある?」


「ありません」


 俺は何時も通り、自分1人用と同じ要領で雑に調理をはじめる。母の食事を用意していた頃は真面目に調理していたが、自分の分だけでよくなると日を追うごとに手抜きが増えていった。


 加熱したフライパンに油を引かず、弱火にしてから豚肉を放り込む。控えめな音を立てる肉に火が通ると中火にしてキャベツ、間を開けずに直ぐ麺を入れる。水気たっぷりのキャベツは何時も通りの大きな音を立てる。マヤは水蒸気爆発の音に驚いたのか後ろに1歩下がったが気にせず続ける。麺を解すのに水は使わない。全体的に火が通ると麺に付属しているソースを袋の7・8割だけ入れ、麺と部材にソースを馴染ませる。最後に刻みネギと玉葱ドレッシング。今、使っているのは160mlしかないのに店頭販売価格が1,000円超えの良いドレッシングだ。彼女は運がいい。

 それを入れようとしたら後ろから声がかかった。


「その40%と表示されているのは何が40%なのですか?」


 俺の手が止まる。さて、何と説明しようか。

* ジャン=ジャック・ルソー 『エミール 上』 岩波文庫 1962

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