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堺のカナタ  作者: 守名
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第零章 第二幕 スイゲツ(四)

 息が荒い。視界が揺れる。頭の中は恐怖だけ。振り返る暇もない。ひたすら前へ走るだけ。

 恐怖一色に染まった私の頭では、逃げる以外のことなんて考えている余裕はない。後ろを見る余裕もないから、あの怪異との距離がどれくらいあるのかも分からない。ただ、ひたすら足を前に動かして逃げるだけ。

 職員室に行けば、先生達がいるだろう。そしたら、少しは安心するかもしれない。それでも怪異に襲われることに変わりはなく、下手したら先生達まで巻き込んでしまうかもしれない。それだけは嫌だった。

 足の感覚が徐々に抜けていく。肺は痛み、息も途切れそうになる。いつまでこの鬼ごっこを続ければいいのか。もしかしたら私が殺されるまで……。この鬼ごっこの終わりを考えて、ゾッとしてしまう。


『あの、嘘つき怪異っ……!』


 「嘘つき怪異」とは、放課後のまだ日が昇っていた時間に会った怪異、永遠(とわ)のこと。学園にいる間、怪異から守ってくれるって言ったのに……!

 もしかして、これが永遠の提示した対価なの?だったら、もう十分役目を果たしたと思うけど。だから助けてくれてもよくない!?……なんて心の中で文句を言ったって、誰に通じるわけでもない。

 階段を駆け下りて、再び長い廊下を走ろうとした時、いきなり教室の中から手が伸びてきて力強く腕を掴まる。突然のことに対応出ず、成す術ないまま教室の中に引きずり込まれた。

 月は雲に隠れ、明かりのついていない正真正銘真っ暗な教室。背中に当たっているのは、私を引きずり込んだ人物の身体。それが誰かは分からない。ただその人物は、私の声が漏れないように片手で口を塞ぎ、もう片手は身動きが出来ないように腰に巻き付けた。この教室内に大きな怪異の気配はない。少なからず感じる怪異の気配が廊下にいる奴のものだとすると、後ろの人物が人間なのだろうというのは理解できる。でも、正体の分からない人物に恐怖を抱いていることに変わりはなかった。

 それから数分。廊下から私を追いかけていた怪異の気配が消えると、後ろの人物は私の拘束を解いた。私が勢いよく離れて教室の隅へ移動したとき、雲が晴れて月が再び顔を出した。


「そんな警戒しないで。でも、急に引きずり込んでごめんね。ああでもしないと君も逃げられなかったでしょ?」


 月明かりに照らされて、教室が明るさを取り戻す。そこにいたのは、同い年くらいの男女二人組。綺麗な湖のように青い目をもつ男子高生は、さっきまで私がいた場所に座り込み、月のような黄色い目を持つ女子高生は少し離れた場所で立ち尽くし、微動だにせず静かに佇んでいる。私を拘束していた男子高生は、眉尻を下げながら申し訳なさそうな顔で笑った。女子高生の方は、無言で、表情一つ動かさずに私を見ている。


君も(・・)……?じゃあ君達も、あれ(・・)が見えてるの……?』


 私がドアの先を指させば、彼らは首を縦に振った。

 

「うん。見えてるよ。令織(れいり)も見えてるよね?」

「……見えてる世界は雨絃(ういと)と同じ」


 令織、雨絃と互いに互いの名前を呼ぶ二人。この数秒の会話で分かったのは、彼らの名前と彼らも私と同じだということ。仲間を見つけて嬉しい気持ちと、何も解決していない恐怖が混ざり合う。だけど、その一瞬の感情を掻き消すように、また廊下微かに不気味な音が聞こえてきた。 その音の主であろうモノは、ゆっくりとドアを叩き、私達に話しかけてくる。途端に身体の奥が冷たくなるのを感じた。


「キ"ョ……ウ…………キ、ョ……コ」


 ドアを叩く音は次第に大きくなり、ガリガリとひっかくような音が増える。ドアに鍵は閉まっていないのに、それを「開けて開けて」と言うように引っ掻く手は止む気配がない。欄間窓(らんままど)の先から、ギラギラとしたいくつものギザ歯の口が見える。


『さっきの怪異……!』


 ドアに張り付いて引っ掻いているということは、私達がここにいることがバレているのだろう。ここは一階だから窓から出ることは容易だ。私が窓の鍵を開けようと手を伸ばすと、その手はパシリと掴まれた。行く先を阻まれた手は、微動だに出来ない。


「何をしようとしてるの?」


 私の手を掴んだ張本人、令織さんは私を責めるように睨む。窓から逃げることを伝えても、令織さんは離してくれない。それどころか、その力はますます強くなっていく。

 令織さんの行動を理解出来ない。だって、逃げたいんでしょ。この教室に入られたら逃げ場はない。だったら、今の内に外へ出た方がいいはずなのに……。


『だから、逃げるために……』


 そこまで言葉を紡いだ時、ドアがバキバキと崩れていく。調理実習室のドアと同じようにボロボロと崩れたドアだったものは、目の前にいる怪異の口の中に落ち、さらに無残な姿になっていく。私達に向けられた無数の目は、まるで「次はお前達の番だ」とでも言いたげにかっぴらいた。

 永遠が助けに来るという希望は捨てて、自分で動かないと。そうしないと、雨絃君も令織さんも食われて殺されてしまう。

 でも、私はただの人間。怪異に抗う術は何もはない。


「君っ……!」


 雨絃君の声を遮るように、いくつもの腕が空を裂き、私達へと迫ってきた。頭は危険信号を出しているのに、私の身体は少しの反応できず、目前に迫る手を見ているだけ。

 目の前に迫った無数の腕、その冷たさを感じる寸前で何かが動いた。頬をすれすれで通った鋭い風。私のすぐ横の壁は、鋭利な形をした腕に貫かれていた。腕の軌道は明らかに私の身体を狙ったもの。でも、その軌道を変えたのは、目の前にいる怪異――永遠だった。


『永遠……!』

「すれすれじゃない。危ないわね」


 軌道を変えるために使ったのであろう永遠の腕は、赤い液体が流れている。綺麗な刺繍の羽織も、中の制服も切れてしまっていた。


『永遠……腕、血が……!』

「大丈夫よ。私は怪異だもの」


 永遠は落ち着いて、私をなだめるように、言い聞かせるように言うけれど、私の心は罪悪感や動揺で埋まっていく。ただでさえ切り傷は痛いのに、あんな大きなもので、ざっくりと切り裂かれた永遠はもの凄く痛いはず。それなのに、表情一つ変えずに私を安心させようとしてくれる。目頭が熱くなると同時に、自分の無力さを痛感した。


「何が原因で、どう生まれたかはしらないけれど、存在がない(・・・・・)怪異は消えて頂戴」


 永遠は怪異に向き直ると、目の前の真っ黒で巨体な怪異の懐と思われる部分から、黒くてドロドロした何かを引き抜く。すると、何かを引き抜かれた怪異は、ドロリドロリと黒い液体状に溶けて消えていく。

 安心したからか、全身から力が抜けて壁へ寄りかかる。二人の安全確認をして、二人に安全確認をされて、生きていることに心底安堵する。

 永遠は、私達のやり取りを少し離れた所から黙って見ているだけ。永遠の表情はぴくりとも動かず、一体何を考えているのかが分からない。ただその真っ赤な瞳は、雨絃君と令織さんを冷たく睨みつけていた。


「えっと、助けてくれてありがとう、赤目の人。君の名前は……?」

「どうして貴方達に名乗らなくてはいけないの?貴方達はこの学園の者ではないでしょう?」


 永遠の言う通り、彼らが着ている服はここ、いろは学園の制服ではない。だからといって、少し辛辣すぎやしないだろうか。質問をした雨絃君は、何とも言えない困った表情をしている。名前を名乗るだけなのに、どうしてそこまで責める必要があるのか。

 少しだけ雨絃君達のフォローをすれば、永遠も段々と落ち着いてきた。永遠の辛辣な言葉に疑問を抱いていると、そういえば、とふと思い出すことがあった。数時間前、部活動が始まる前に永遠と出会った時、永遠は「変な怪異の噂」だったり、「見慣れない人間」だったりを探していた。そうして、実際に「見慣れない人間」が現れたのだから、永遠にも焦りや混乱があるのかもしれない。


「私達は怪異じゃない」

「……ええ、そうね。……ところで貴方達は、自分が何者でどこから来たのか、何をしていたのか言える?」


 令織さんの言葉に反応つつも、永遠はその態度を崩さない。ただ少し救いがあるとすれば、さっきとは打って変わって、責めるような空気はなくなり、とても穏やかな空気が流れたことだろう。ただし、永遠の表情は一変もせずに冷たい目で二人を見ている。二人は何かを考え込み、黙ったまま口を開こうとしない。言えない何かがあるのか、何もないから言えないのか。すると、令織さんが諦めたようにため息をついて永遠に向き直った。


「私の名前は、宗塚(そうずか)令織。後は……ごめんなさい。私が分かるのは、ここまでなの」

「そう……。貴方は?」


 自分の名前以外分からないなんて、記憶喪失の類だろうか。ただ、記憶がなくて知らない場所で、知らない人や怪異に出会っているのに、混乱して取り乱したりしないのが凄い。怪異に驚かないのは、元々見ることが出来てたからなのかな。

 永遠は令織さんから視線を逸らした。視線を移した先には、ムムム……と両腕を組み、考え込んでいる雨絃君。だいぶ長考しているみたい。ただ、令織さんの言葉から考えると、もしかしたら雨絃君も記憶がないのだろうか。


『言いづらいことなら言わなくてもいいと思うよ?』

「あはっ!俺なら大丈夫だよ!」


 人懐っこい太陽のような笑顔を向けて、「ありがとう」とお礼を言う雨絃君。お礼を言われるようなことはしていないはずだけど……と考えていると、雨絃君はどうやら考えが解決したみたいですっきりとした笑顔で自己紹介した。


「俺の名前は三瀬(みつせ)雨絃!以上!」


 明るく言い切った雨絃君に、永遠はため息をひとつ。二人とも自分の名前以外は伝えない。その後、どれだけ質問しても、「知らない」「覚えていない」「分からない」と返ってくるだけだった。お手上げ状態で、どこか諦めたような表情をしている永遠だったけれど、急に何かを思い出したかのように「雨絃、令織……」と二人の名前を交互に呟き始める。聞き覚えがあるのかと聞いてみても、「ない」と返って来る。けれど、二人の名前を繰り返していた永遠は、私から見れば雨絃君と令織さんのことを知っているようにしか見えない言動だった。


「ねえ、名の知らぬ君」


 記憶を辿っている永遠に、雨絃君が問いかける。永遠は少し面倒そうに、「なに」とだけ返事をした。何かを考えている時に割り込んできた雨絃君の言葉が邪魔だったのだろう。

 しかし、それに嫌な顔ひとつせず、雨絃君は言葉を続けた。純粋な好奇心で満ちたその瞳に映るのは、明らかな嫌悪を向けた永遠の顔。雨絃君は、ただ無垢な子供のように笑って口を開いた。

 

「君は俺が何者かを知っているの?」

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