まふゆ
愛してるなんて言葉にどれくらい意味があるんだろう。
母と口づけを交わした父の手が酷く冷たかった記憶が。
私と口づけを交わした初恋の人の身体が酷く凍えていた記憶が。
いつも私にそう問うてくる。
雪女と口づけした相手の、体温低下は、雪女側の愛情で決まってしまう。
あの頃の私は結局、姉さんの―――ましろの主張を覆したくて、無理に相手に愛を求めていただけだった。だから私が愛した―――求めた人たちの体温は少しずつ下がっていって。
それじゃ、だめって気づくまでに、結構な時間を使ってしまったっけ。
愛は求めるものじゃなくて、与えるもの。そうして初めてそれは返ってくる。
言ってしまえば、野菜や果物と同じだ。手間をかけて、暇をかけて、水をやって、肥料をやって、日の当たり方を調節して。やっと実った果実を何か月もの苦労の代償として収穫する。
もちろん、育てる目的は、食うため、生きるため。そういう意味でも、野菜や果物と変わらない。
これが愛か? って言われるとよくわかんない。
イメージ的にはギブアンドテイクをもっと一方的にしたような関係に近い。
命という掛け替えのない時間を、私の出来る限りの奉仕の代償として受け取ること。
でも、貰いすぎれば、どうせまた悲劇を生むから。
期限は三年までと決めた。
今までも、これからも。
恋が覚めるその頃までが。
私が愛を育てられる限度だと想った。
※
「―――ってなわけで、寿命問題解決するかも」
「――――は?」
そろそろ姉さんの結論が出るころかなって時に、唐突にたかはな先生から、さらっと人生で最も重要な話を聞かされた。
え、ちょっと、まって。急に何言ってんのこの人は。
「そんで今度実験したいから、ぬくみも一緒に連れて来てくれ。ましろにはもうちょっとだけ伏せとくから、その間は内緒でね。大丈夫、ちゃんと向こうの結論が出たら、伝えるから」
「え、ちょっと、まって詳しく―――」
「ま、そういう話はまたこっち来た時な。私はこれから忙しい……なにせ看護師一同がもうはりきっちゃってさあ」
「―――いや、だから」
「なんにしても、近いうちに連絡するさ。じゃ、またな」
そう言って、たかはな先生は、情けも容赦もなくぶちりと通話を切ってしまった。
くそ、こっちの話全然聞いてやがらねえ。それにしても、なに? 寿命問題が解決した? キスじゃなくて、命を受け取る手段が出来た? え? ほんとに?
俄かには信じられないけど、この手のことでたかはな先生は冗談を言う人じゃない。まして、姉さんの命の瀬戸際でとりあえずのごまかしを提示する人でもない。
たかはな先生が解決するかも、といったなら、本当に解決するかもしれないのだ。
………………ほんとに?
だって、私が産まれてからずっと。自覚したときから数えても十数年。
私達を縛り続けた、雪女の寿命と、愛する人の命を縮めないといけないって言う宿命があって。
それのために、想って、悩んで、苦しんで、別れて、傷ついて。
それを山ほど繰り返してきたのに。
解決する? いまさら?
信じられなかった。現実かどうかも怪しかった。たちの悪い夢の方がまだ納得できるし、皮肉にもそういう夢は何回か見たことがあった。
だから、これも夢かと思った。出来の悪い明晰夢。都合のいいただの妄想。
ただそう断ずるには少し難しいところが一つあって。
ぬくみが。
今の私のパートナーのこの子が。
電話口で耳を寄せて会話内容を聞いていたらしい、この子が。
溢れるような、止め処ないような、滂沱のような。
もう形容するのも馬鹿らしいほどに涙を流してた。
……人間ってこんなに泣けるんだって、ちょっと感心するくらいには。
この光景を私の脳が夢で再現できる自信がない……。
「ま、まふゆざぁん…………」
「ぬくみ…………」
「やた……やった……やりましだねっ!! とうとう、とうとう!! 解決したんですね!!」
「いや、そこまで詳しくはまだわかってないけど……」
そう、まだ確定した情報はまだ何もない。あくまで『そうなるかも』ってだけ。だけどぬくみの涙はさっぱり止まる様子がない。
「ぞれでもぉ!! 今まで、解決するかもっていう可能性すらなかったじゃないですか!! よかったよがったです!!」
「まあ……それは、そうだけど」
なんかぬくみのテンションがおかしいから、こころなしか私の動揺が鳴りを潜め始めている。そう、まだ何も確定していない、喜ぶも悲しむも、まだ何も判別できていない。今はただ次の知らせを待つだけだ。
そうやって、ようやく気を落ち着けて一息ついた頃に。
今だ興奮冷めやらぬぬくみは、鼻水と涙を滂沱のように垂らしながら口を開いた。
「こ……これで、私達も!! 晴れて三年の期限がなくなるんですね!!」
それから、そんなことを言った。
………………。
そうか。
寿命問題が解決したら、必ずしも三年で別れる必要はなくなってくる。
どれくらいの負荷が軽減するのかはわからないけれど、今みたいに、ころころパートナーを変える意味はもうないのかもしれない。
まあ、この手法も正直、私が若くて、ある程度見栄えが良く見えるあいだ限定だったから、そこはありがたいのか。
ふむ、でもそうか、そうだよね。
必ずしも、別れる必要はなくなった。
………………。
「でずよね!! まふゆさん!!」
「いや、別れるけど?」
でもまあ、正直、この子とは別れた方がいいだろう。
色々とお互いのために。
そう想って出した私の答えに、ぬくみはこの世の終わりのような表情で、全く別の種類の涙を流し始めたのだった。
…………落ち着けるのに、これまた時間がかかりそうだ。
※
「なんで、なんでなんでなんですかあ!? もういいじゃないですか!? 寿命の問題がないなら、一生一緒に居ましょうよ!! 手を繋いで一緒のお墓で眠りましょうよ!! 灰になる時も一緒がいいです!! 一緒に海にばらまいてもらって、一緒に自然に帰りたいですぅ!! 来世も来来来世も一緒がいいですぅ!!」
「はいはい、話飛躍しすぎだから、落ち着きなって」
「これのどこが落ち着いてられるんですかあ!!?? 愛が!? 愛が足りてませんか!!?? もっと出します、一杯出します!! 命振り絞っても出すから捨てないでぇ!!」
「…………まふゆ、なんだこれ」
「まー、色々ありまして……」
その後、結局、詳しい話が分かんないとどうしようもないってことで、ぬくみを連れてたかはな先生のところまで顔を出すことになった。ちなみに、その間、ぬくみはずっとこんな感じ。おかげでタクシー運転手さんの困ったような顔に晒されながら病院に来るはめになったわけだ。
「たかはな先生も何かいってくださいよう!! まふゆさん、三年で別れるのは、寿命問題があるからって言ってて!! その寿命問題が解決したんなら、もう離れる理由ないじゃないですか!! えばーでえたーなるならぶが約束されてるじゃないですか!! なんで、なんで、なんでぇ!!?」
ぬくみは若干暴走気味ながら、たかはな先生に、事情を説明してくれる。一見、滅茶苦茶ではあるけれど、引きこもり時代に比べたら、随分とコミュニケーションが取れるようになってる。成長してるなあ、なんて軽く考えながら、私はゆっくり首を横に振った。
「……だそうだが、まふゆ」
「そもそも、寿命問題ってほんとに解決するんですか?」
私の言葉に、たかはな先生はポニーテールをゆらしながら、天井を見てうーんと唸った。この人が考えるときによくやるポーズだ。
「んー……結局、確かなことはこれから調べていくことになる。ただ明確な糸口は見つけたと……思う」
ふーん、改めて、事実しか言わないこの人がちゃんと糸口があるというんだから、実際大した発見なんだろう。本当に寿命が解決してもおかしくない。
そっか、まあ、現実感はないけど、それはなにより。
そして、まあ、それはそれとして。
「じゃ、だめ」
「うわうぅわぁぁぁん!! なんでぇぇぇぇ???!!!」
なんてやり取りをしたのが、姉さんが生きることを決断する少し前のお話だった。
※
雪女の愛は何処まで行っても打算的だ。
…………いや、お母さんは姉さんの愛がそうだとは思わないから、雪女というよりあくまで私の問題かな。
私は結局、誰かを愛するときにどうしても打算で物を見てしまう。
この人がくれる愛は、命は、どれくらい?
それに私はどれだけの、経験を、価値を、時間を返すことができる?
彼らが、彼女たちが人生から失った三年間。
何をすれば、それに見合うだけの価値を渡すことができる?
どうしても、いつも、そんなことばかり考えてしまう。
その点、ぬくみの場合は簡単だった。
大学の後輩から、コロナの影響で、大学に入ったのに引きこもってばかりの子がゼミにいるなんて話を聞いたのが始まりで。
軽く話を聞いて、機会があったから会ってみて、なんとなく私に対して憧憬の視線を感じたからそれを利用したまでのこと。
引きこもりの狭い世界、外に出れない恐怖、それでも人と関わりたい期待、それができない自己嫌悪。
相手の心理を想像して、そこに欲しいと想っているものをぽんと手渡してあげるだけ。
特に意味もないのにご飯に誘って。特に意味もない遊びに誘って。特に理由もないのに無理を言って家にあがって、部屋の掃除をしてご飯を作って。特に意味もないのに細やかな好意を告げて。
人付き合いも、好意も善意にも、耐性がない子にこれでもかとそれを与える。
喋り相手になって、引きこもるまでの話とか、何が好きで何が嫌いで、何に打ち込んでるのかなんて話を聞いて。
本当は辛いこと。本当はしたいこと。本当は苦しいこと。本当はほしいこと。
そんなことを絡まった毛糸玉から糸を手繰るように少しずつ聞き出して。
それを無理のない範囲で少しずつ叶えてく。
程々に慣れたら、大学とはまた違ったコミュニティに誘ってみて、ちょっとずつ人の営みになれる訓練をして、その都度褒めて自信をつけてあげる。
あの子が好きな音楽を私も聞いてみて、あの子がよくやるゲームを私もやってみて、あの子が一生懸命描いた絵を、隣で見ながら時々感想を伝えたり。もちろん、褒め成分たっぷりで。
そうやって、ちょっとずつ、心を解して、気持ちを近づけて、少しだけ身体を触れさせる。
そうやっていくことで、簡単に誰かの大事な人になれてしまう。
拒めるわけがない、だって、それはぬくみの理想そのものなわけだから。
本当は大事な人が欲しい、本当は誰かに解かってもらいたい、本当は誰かと一緒に同じ気持ちを感じたい。
そんな独りぼっちで親密な関係に飢えている君に、少しずつ、赤子に哺乳瓶を与えるように緩やかに望むものを与えてく。
そうして、もう私の存在が彼女の中で取り返しがつかないくらい、大きくなってきた頃に。
そっと自分の事情を少し話す。
雪女のこと。
寿命のこと。
キスのこと。
命が足りないこと。
我ながら、最近、手慣れ過ぎてきて、悪徳商法も真っ青な手際になってきてる。繰り返してきたが故に訓練の成果がでてしまってる感じかな。
案の定、ぬくみは二つ返事で、了承してくれて。むしろ自分がパートナーになれたってことに、諸手を挙げて喜んでいたくらいだけど。
でも、やっぱりこの関係は健全じゃないし、この想いは純粋じゃない。
姉さんや、母さんみたいな、純粋な愛じゃない。
必要だから、求めただけ。
必要だから、愛しただけ。
そんな私の愛してるなんて言葉に、いったいどれだけ意味があるのか。
だから、あの子は一度、私から離れてもう一度、大切な人を探すべきだ。
私なんかみたいな、作為と利害でとってつけた愛なんかじゃなくて。
本当にちゃんとあの子のためを想って、あの子の隣に居てくれる人を見つけるべきだ。
だから、ぬくみとの関係は三年でお終い。
たとえ、寿命問題を解決できたとしても。
それは私の中で、何も変わらない結論だった。
※
「え、まふゆ……。別れたの? 本気で?」
「え、じゃあ、ぬくみちゃんもう会えないの……?」
あれからおおよそ三年経って、お母さんが少し体調が戻ってきたって言うから、ねえさんと一緒に近場のショッピングモールへ外出していた頃。ぬくみちゃんは最近どう? なんて聞かれたから、私は事実をそのまま答えてた。
お母さんと姉さんは驚愕で固まったような顔をしてる。ああ、そういえば、この二人の前で、あまりそういう話はしてなかったっけ。
「え、まふゆ、ぬくみさんのこと嫌いだったの?」
「なんで? まふゆなんで? ぬくみちゃんいい子だったじゃない、可愛くて、おっちょこちょいで、すぐ先走っちゃうけど。そういうとこに愛嬌が溢れまくってる子だったじゃない?」
動揺にみちた二人を見ながら、通りがかりのカフェで頼んだブラックを啜る。うーん、苦い。未だに私の舌にはあまり合わない。しかし大人の頼り甲斐のある女という体を保つためにはこれが必要だった。
「別に嫌いじゃないよ、色々面倒みたから、その分ちゃんと愛着はあるし」
「だったらなんで…………」
ずずっと熱いコーヒーをすすりながら、ショーウィンドウのガラスで歩いて来た方向の道を窺う。
………………どこかで見かけたシルエットがぴょこぴょこと視界の端で動いてた。
思わず軽くため息をつく。
「私があの子の大事な人になれたのは、私が私の利害のために、そういう風に仕組んだから。そんな奴に一生捕まるなんて可哀そうでしょ、だから、ちゃんと選択肢はあげないと。世の中広いんだし、ちゃんとぬくみのこと見てくれる人もいるんだから」
「うう、そうだけどぉ……」
そんな私の言葉に、お母さんは未だ未練たらしく言い淀んで、姉さんはどこか呆れたような視線で私を見てくる。視界の端の誰かさんにも聞こえるように言っているんだけど、果たして聞いているのか。一応、別れるときに同じ話はしたけれど。
「我が妹ながら強情だなあ……」
「ねーさんには言われたくないから、それ」
やぶ睨みで視線を返すと、困ったように肩をすくめられた。ただお母さんの方は相変わらずおろおろしてる。やれやれ、ようやく病院から出れるようになったって言うのに、大丈夫かな。
なんて思考をしていたら、視界端でぴょこぴょこと飛ぶ姿が、より一層近くで、ちらちら移るようになってきた。……隠れる気あるんだろうか。
はあ、とため息をつきながら、しばらくその人影をショーウィンドウごしに見つめてたら、しまいにばっちり目が合って、大慌てで隠れていった。
お母さんはそんな私の様子に、少し不思議そうに首を傾げるけれど、姉さんの方は気づいたのか、あー……って少し呆れたようにこっちを見てる。
そういえば、あの子、何時か変なこと言ってたっけ。
『……うへへ、その時はストーカーしてでも振り向かせます。……引きこもりメンヘラの本気をまふゆさんはご存じではないのです』
『そう、まあ、三年後。期待しないで待ってるよ』
ふむ、まあ、有言実行できてるのはいいところだね。
そんなささやかな成長を実感しつつ、私はスマホを取り出して、つい先日ブロックしたばかりのアカウントに向けて通話をかける。
ぷるる、ぷるると呼び出し音を聞きながら、視界の端で姉さんがお母さんに事情を説明しているのを見届ける。ああ、ああ、露骨に喜んじゃってこの母は。姉さんの方も何やらにやにや笑ってるし。こんど、お返しに、このかとのことを散々からかってやろう。
なんてことを考えながら。
電話に出た君に、やれやれとため息をついて声をかけた。
「何してんの、ぬくみ」
『み、見守り隊です!!』
「うろちょろされたら鬱陶しいから、いるんならちゃんと合流してくれる?」
『え、え、え? お、お邪魔してもいいんですか? だって私ストーカーで……』
「しないの? ならいいけど」
『し、します!! します!! すぐに合流します!! あ、そこのカフェのパフェ食べてもいいですか!!?? テイクアウトで!!』
「……好きにしなさい」
そう言って、通話を切った直後に、勢いよく物陰から飛び出したぬくみを、母さんと姉さんは笑って受け止めていた。
それにしても、本当に強情な子だなあって想って、ぬくみをみたら。
目一杯の笑顔で返事をされた。
やれやれ、この子はほんとに―――。
打算で作ったこれはきっと愛じゃない。
都合のいい憧憬と、都合のいい尊敬と、都合のいい信頼。
私がそう組んで、そうなるように仕向けたもの。
手塩をかけて、手間暇かけて、鉢植えに水を遣るように育てたそういう想い。
それはきっと、三年も経てば、枯れて消えて、なくなるものだと想っていたけど。
「次からストーカーするなら、事前に連絡しときなさい」
「はい!! わかりました!!」
どうやらこの子の想いはまだもう少しだけ続くらしい。
本来あまり喜ばしくはないその事実に、少し顔が綻んでしまうこの想いは。
そういう時に私の胸を少しだけ暖かくするこの気持ちは。
一体なんて呼べばいいんだろうね。
もう何回目かもわからない冬の街を、家族三人と、おまけでもう一人と一緒に歩いてく。
仕方ないなあ、なんてちょっとだけ微笑みながら。




