おこがねさまさま
つぶらやはよう、もし自分用のロボットがいたとして、どれくらいの性能のやつがほしい? 自分より優れたもののほうがいいか? それとも劣っていたもののほうがいいか?
前者を選ぶ人の気持ちは分かる。
ケータイはじめ、自分が扱うものは性能がいいに越したことはないからな。動作が早いことで、そのぶんできた時間を有効活用できる。
いまどき、よく言及される「タイパ」というものには合致しているだろうな。
けれども、自分より優れたものには「おさえ」がきかない。
そいつが故障してはじき出した答えも、こちらはほいほい鵜呑みしちまうだろう。もし荒事になったならば、あっけなくこちらがヤラれかねないだろう。
ロボット三原則が守られるなんて、リアル相手には理想的な願望にすぎない。いつ暴れ出すか分からない、表向きはおとなしい猛獣を、「よしよし」と頭なでながら、そばに置くことができるか? といったところさ。
その点、後者の自分より劣っているやつは安心だ。
やらなきゃいけないことだが、自分がわざわざ動きたくないような、こまごまとしたもの。これをやってもらうというのは楽っちゃ楽だな。
かゆいところに手が届かないこともあって、気遣いしてほしい人からしたら、ストレスがたまるかもなあ。だが、そいつは自分にかなわないから「おしおき」とか「分からせ」とかし放題だ。
八つ当たりとか、他人にやるとやばいものの対象にできる、というのもいいかもな。誰だって表ざたにしたくないことあるだろうし、それらの発散の相手にちょうどいいだろう。
要はどちらのケースも、個々人のスタイルや好みによって、意見が分かれるといったところか。いずれの正解を相手にうながしたとて、納得がいくかどうかは分からない。
そして、そいつは人間そのものにも当てはまる。
人間の「調整」は、古く行われた事例がいくつか伝わっているようだ。
俺が最近聞いたケースなんだが、耳に入れてみないか?
むかしむかし。
俺の地元の集落では、「おこがねさまさま」と呼ばれる役割があったとされる。
その役は特定の男女が努め、村の一角にある蔵の中で、普段はひと目につかないように過ごしているのだとか。
村の若者たちで、子供を作れる身体になった者は、あまさずこの「おこがねさまさま」から男女の手ほどきを受ける。
いずれ本当の夫婦となる者にめぐり合った際に、不備や躊躇が起こるのを防ぐため……というのが表向きの話であったが、裏の事情というのが後年になって明らかにされていった。
このおこがねさまさまの手ほどきによって、子供ができてしまうこともある。
蔵から出てきたおなごの場合もあれば、中のおこがねさまの片割れであるおなごの場合もあった。
それらの子供は、次代の「おこがねさま」の候補として、村の日常からは隔絶された環境にて育てられるのだという。
村よりやや離れたところに位置する霊山。高さにして1000メートルちょいとされるその山の頂近くに、古くより村々の神職や拝み屋などが集まって生活している集落がつくられていたそうだ。
おこがねさまの候補は、生まれるとすぐさまそこへ連れていかれる。
そして次代のおこがねさまとなるべく教育を施され、生涯をおこがねさまの命脈をつなぐためのみに捧げるのだという。
この集落側の活動に関して、残されている資料や情報は限られている。
ただ数少ない情報の中だと、かの集落ではおこがねさま候補たちによる、徒競走が行われていたそうなんだ。
通常、考えられる競争とは違い、おこがねさまこと人同士での競争にとどまらない。
犬、馬、はたまた熊などの猛獣に至るまで、一緒に走らされる。ただ走り負けるならまだいい方で、途中でどのような動物側からの接触により、取り返しのつかない事態になるかもわからない。
それでも、大事とは扱われなかった、そのような最期をたどるならそれまで、おこがねさま足りえる器ではなかったという証になる。
かの競争は不定期的に催され、その中で優れた成績をおさめた者たちが、次代のおこがねさまの役割を担い、各村の蔵へと送られる。
競争の勝者は、純粋な足の速さで勝るものも、ごく限られた数はいたらしいが、大半は周りの動物たちが忖度するように足を緩め、勝ちを譲るという不思議な様子だったとか。
そして交代をうながされるその時まで、若者たちへの手ほどきをし続ける。おこがねさまがらみの子が生まれれば、また集落へ……というわけだ。
――ん? 競争で負け続けながら、生き延びた者は集落で暮らし続けるのか?
うん、敗者についての情報は、より少ないものでね。
歴史は勝者が作るというが、このおこがねさまについても同じように、敗者は闇に葬られるばかりと思われていた。
が、とある村人の証言が細々と残っているようでな。
その村人の女は、かつて自分の子をおこがねさまの集落に献じたひとりだったという。
すでに家を持ち、正式な母になったその女性は、山菜を取りに山へ入ったおり、ふと胸騒ぎがして、普段は踏み入らない山の奥へと足を向けてしまったのだそうだ。
歩き慣れた山とはいえ、丸腰の身であまり深入りをすべきではない。彼女自身、そう思ってはいたものの、それを上回って突き動かされる使命感に、押されっぱなしだったとか。
右か左か、いくつも曲がったが、そのいずれも意識した選択ではない。
いずれも自分の背を押す力に、流されるまま進んだ道の先で、彼女は見る。
それは、土にすっかり浸かった幼い女の子の姿だったという。
うつむいて、目をつむるその表情は眠っているように思えるが、顔そのものには無数のひっかき傷と土から糞尿まで入り混じる、いかにも長くこの場にさらされたがごとき様子だったんだ。
女の子は、首のみを出した生き埋めの状態になっていたらしい。
女はというと、最初こそ彼女を助けようと足を踏み出しかけるも、すぐに逃げる方向へ切り替えてしまったらしい。
ひとつは、彼女の頭に隠された向こう側から、ぬっと一頭のオオカミが姿を見せたこと。
もうひとつは、そのオオカミがこちらへ顔を向けようとしたところ、その足元から白い煙が立ち上り、オオカミそのものがたちまちに地面の中へ引きずり込まれてしまったこと。
さらにひとつは、それと同等の煙が彼女回りの地面から幾筋も立ち上り、取り囲むかのような格好を見せたうえ、立ち上る箇所がこちらにまで迫ってきたこと。
女は息もからがらに逃げ帰りながら、どこか名残惜しさのようなものが、胸の中でくすぶり続けていたという。それは、いまの自分の家にいる子供たちに対しても、ときおり抱くものに非常に似通っているように感じられた。
あの子は、ひょっとするとかつて自分が産み、おこがねさまの候補として送られた、娘ではないかと、女は思ったらしい。
しかし、それがおこがねさまの役目を果たさず、集落にもおらず、ああして土に埋められている。
それはひょっとすると、あの得体のしれない煙状の何かを生み出すための、人身御供なのではないかと感じたのだそうだ。