46 あの男
タドミールが死んだのは、キアリークに殺されたからだ。それも、元はと言えば彼女の言葉が足りなかったせいだと、先ほどわかったばかり。
(それがなんでカフィさんのおじいさま――――つまり、カフィさんの一族のせいなの?)
いくら考えてもわからない。
「どういうこと?」
「――――イーヴァ帝国を興したのは、僕とキアがケンカをする原因になったあの人間なんだよ」
アイーシャの質問に答えてくれたのは、キアリークだった。
「…………まぁ!」
思いも寄らないことを言われたアイーシャは、ポカンとしてしまう。
だって――――、
「彼の? …………え? あの人、帝王になんてなったの?」
キアリークは、彼がイーヴァ帝国を興したとたしかに言った。
それは、イーヴァの元になった三国のうちの遊牧民の長のこと。
(長も帝王も、あの男にはまったく似合わない職業だと思うのだけど?)
「なにかの間違いじゃないかしら? 彼はなにより自由を愛した人間だったわ。どんな富も名誉も権力も、自分の枷になるくらいなら必要ないって言っていたわよ?」
そんな男が帝王なんていう面倒くさい地位に就くだろか?
アイーシャの疑問に答えたのは、ザラムだった。
「あの男も、タドミールさまを喪っていろいろと考えるところがあったのですよ。――――我らにとって彼奴は、殺しても飽き足らぬほどの男でしたが、死の間際までタドミールさまは彼の無事を願っておられました。そのせいで寿命以外では死ねない体に成り果てましたからね。国のひとつやふたつ余裕で興せましたでしょう。……もっとも、至高の存在であられたタドミールさまと知り合うという最高の幸せを享受しながら、己のせいでその至高の存在を喪った彼奴にとっては、残りの人生など地獄でしかなかったでしょうがね」
…………ザラムの笑みがとっても黒い。
(ああ、うん。わかっていたけれど、本当に彼が嫌いだったのね)
それはともかくとして――――。
「寿命以外では死ねない体に成り果てたっていうのは、いったいどういうこと? 私、そんな加護を付けた覚えはないわよ?」
たしかに、あのときのタドミールは彼の無事を願った。
それでも、それはただ単に願っただけ。
それ以上のことはしていない。
死ねないなどという人の運命を覆すような『願い』をした覚えはないのだ。
「ああ、それは僕がしたことだよ」
アイーシャが考えこんでいれば、キアリークがあっけらかんとしてそう言った。
「え?」
「だって、あいつったらミールが死んだのを見た途端、自分も死のうとするんだもの。それって、身を挺してあいつを庇ったミールの行動をまるっきり無駄にするのと同じ事だよね? そんなこと誰が許したって僕が許せるはずがない。だから呪ってやったのさ。うんと長生きするようにってね」
…………訂正。ザラムの笑みはまだまだ黒くなかった。
キアリークの笑みに比べれば、全然まったく白かった!
アイーシャは、心の中でザラムに謝罪する。
同時に、今はもういないあの男にも謝罪した。
あれほどに生き生きと人生を楽しんでいた男が死のうとしただなんて、タドミールの『死』は、それほどに彼を傷つけたのだ。
(まあ、目の前で創造神と破壊神がケンカして、あげく自分のせいでその片方が消滅するなんていう前代未聞の光景を見ちゃったんだもの。いくら豪胆な人間でも、そりゃあショックを受けるわよね)
彼が、そのショックで死ななくて本当によかった。
心の底からそう思ったアイーシャは……だからキアリークの体をそっと抱きしめる。
「ありがとうキア、彼を救ってくれて。寿命以外では死ねない体にしたっていうのは、ちょっと……ずいぶんやり過ぎだとは思うけど、でも彼のことだもの。きっと立ち直って、人生謳歌して、最後には『生きていてよかった』って思って大往生したと思うわ。……だから、そんな風に気にしなくても大丈夫よ」
よしよしと頭を撫でれば、キアリークは驚いたように目を見開いた。
「そんな馬鹿な! そんなことあるわけがない!!」
「あるわよ。あるに決まっているわ。だってあの男は、本当に底抜けのお気楽人間だったもの。人間ってものすごく弱いのに、時々いるのよね。神でさえも予測がつかないほどの精神力を持った人間が。……だから、私はあの男を見ていたいと思ったのよ」
キアリークは、ただの人間にタドミールがそんなに興味を持ったと思っていたのだろうか?
『あの男』は、良きにつけ悪しきにつけ、人間にしておくには惜しいような規格外の人間だったのだ。
「ねぇ、そうですよね? カフィさんのおじいさま」
私の問いかけに、カフィの祖父は複雑そうな顔をした。
「――――イーヴァ帝国初代帝王になった祖先については、様々な逸話が残っております。国を興すきっかけとなったノーティス王国との戦いで獅子奮迅の働きをしたというのもそのひとつ。彼の戦いぶりは死を恐れず――――いえ、むしろ死を望んでいるかのような無双ぶりで、敵も味方も数多の人間を畏れさせ同時に崇拝させたとか。その態度は戦後も変わらず、危険な難事にこそ彼は率先して当たり、多くの民を救ったと伝わっています。国内が治まれば玉座を甥に譲って出奔。各地で伝説となるような足跡を残しています」
うんうん、やっぱり彼らしい。
アイーシャは、クフフと笑い声を漏らす。
「悲壮感はなかったのでしょう?」
カフィの祖父は、少し躊躇った。やがて小さくため息をつき、話を続ける。
「昔の話ですので祖先の行動の真意はわかりませんが……祖先の側仕えの『手記』が残っています。中身は無茶ばかりする祖先への愚痴と、人助けの旅と公言しながら名所旧跡を巡り、うまい酒とうまい料理を楽しむ姿に呆れる言葉ばかり。側仕え曰く、祖先が殺しても死なないのは『呪い』などではなく単に『憎まれっ子世に憚る』に違いないとのことでした」
たまらずアイーシャは、吹き出した。
キアリークとザラムは、呆気にとられている。
「ハハハ! やっぱり。そうだと思った」
「…………なんて人間だ。タドミールさまを喪っても立ち直れるなんて!」
そう言って顔をしかめるザラムを、アイーシャは宥めた。
「まあまあ、彼だって最初は堪えたと思うわよ? 私の後追い自殺なんて、およそ彼らしくないことまでしようとしたんだもの。それが果たせないどころか一生その思いを背負って生きていく道しか残されなかったら、かなり追い詰められたはずだわ。…………でもね、人間は悲しみばかりに浸って生きていくにはあまりに弱い生き物なのよ。神々のようにひとつの思念を追いかけて何百年も何千年も飲まず食わずで存在できるほど強くない。彼らが生きていくためには、最低限でも数日間に一度の食事や睡眠、排泄が必要なの」
「数日間に一度って……それじゃ足りないだろう?」
アイーシャの言葉を聞いて、カフィがポツリと呟く。
もちろん毎日規則正しくが基本だが、あくまで最低限の話だ。
「寿命以外では死ねない体にしたって話だけど、生存行動がまったくいらない体にしたってわけではないのでしょう? いくら死ななくてもお腹が空けば食べるでしょうし眠たくなれば寝るはずよ。そんな日々を繰り返して、あの鋼のメンタルを持った男が、いつまでもクヨクヨしているはずがないわ!」
立ち直るまでに、どれほどの時が必要だったかはわからない。
その間、どれだけ彼が苦しみ悲しみもがいたのかも、想像することしかできはしない。
それでも、彼ならば立ち直る。
そうして、笑って楽しんで悔いなく人生を終えることこそが、タドミールへのたったひとつの手向けになることに、きっと気づいてくれたはずだから。
「――――だから、キア。彼を生かしてくれてありがとう」
もう一度アイーシャはキアリークにお礼を言った。