40 神の祟り2
『祟り』という言葉に対して、人々が持つイメージは一様に悪しきものだろう。
それは、超自然現象からの災厄を意味し、祟られた者はもれなく悲劇を被る。
(まあ、ある意味間違いじゃないのだけれど)
しかし、元々祟りという言葉は、単に神々がなんらかの形を取って人間の世界に現れることを意味するものだった。
そこには善も悪もなく、ただ神の存在があるだけ。
(まあ、神なんていう大きすぎる存在は、ただいるというだけで、なにかしらの影響を人間に与えてしまうものだけど)
その影響の中には、良いことも悪いこともあっただろう。しかし、いずれにしろ人間にははかることさえできないほど大きなもので、それに対する畏れが怖れとなり、祟りは悪しきものになったのだと、アイーシャは思っている。
(たぶんだけど……カフィさんのおじいさまは、神の加護を強く与えられた人なんじゃないかしら?)
通常、人間に与えられる神の加護は、神にとってはごくごくささやかなものだ。
しかし、ごく稀に多めの加護をもらう者がいる。
(多いといっても、神にとっては誤差程度のものなんだけど)
そんな者は、神の影響を多く受けてしまうのだ。
たとえば、その神が気分良く絶好調なときは、その人間も絶好調に。
反対に、その神が落ちこみ機嫌が悪いときは、理由もなく死にかける――――など。
(なんとなくだけど、カフィさんのおじいさまの症状に似ているわよね?)
とはいえ、そうそう感情の起伏の激しい神はそれほどいない。
(パッと思いつくのは火の神フレイムかしら?)
強面の火の神は、普段は陽気で豪胆なくせに、自分の神仕に怯えられる度にひどく落ちこんでしまうのだ。しかしその落ち込みもちょっと慰めてやればコロリと治る。
彼の加護を多めに受けた人間ならば、カフィの祖父のような症状が出ても不思議ではなかった。
(あと思いつくのは、ワガママで気まぐれ、傲岸不遜な――――)
そこまで考えたそのタイミングで、果樹園につく。
広々とした土地の遠くに、なしやリンゴ、ミカンや葡萄の木々が連なり、手前にはメロンやイチゴ、パイナップルが植えられていた。
(これは! すごいわね。ありとあらゆる果物が、季節感や産地を無視して見事に実っているわ)
普通こんなことはあり得ない。少なくとも、人間の作るモノの限界を超えているだろう。
(こんなことができるのは、神の加護の力が強い者以外ないわ。植物に実をならせるのは大地の神、ゼリムの力だけど――――)
ゼリムは、感情の起伏がなく落ち着いていることで定評のある神だ。
(まあ、私が絡むとちょっとおかしくなるんだけど)
それ以外では滅多に感情を揺らすことはない。
(ゼリムではなく、これだけ豊かな実りを創り出せる力を持つ神)
「あ、いたいた! お~い、じいさん!」
カフィが大きな声を出した。
同時にザラムがピタリと足を止める。一点――――カフィが呼びかけた人物のいる方をジッと見ていた。
「ザラム」
声をかけ、首を優しく叩いてやる。
「カフィ! もうきたのか?」
そう声を上げた人物は、ゆっくり近づいてきた。
髪は見事な金髪だ。少し赤みを帯びているから昔は赤毛だったのかもしれない。
瞳はヘーゼル。かなり明るいヘーゼルで、陽光の下では金色に見える。
背はかなり高く、痩せぎすで腰は曲がっていない。
顔は――――きっと若かりし時にはさぞかしモテただろうと思わせるつくりをしていた。
たしかに老人のはずなのに、老いを感じさせない不思議な若さのある人物だ。
ザラムがブルルと鳴いて、一歩後退った。
闇の神である彼が退くなど、アイーシャ以外の前では見たことがない。
(ああ、違うわ。…………あの子の前でもザラムはいつも私の後ろに下がっていたわね)
「じいさん、寝てなくていいのか?」
「三年半ぶりに孫に会えるんだ。寝てなんていられるか!」
ワハハと笑ったカフィの祖父は、ガバッと孫に抱きついてバシバシと背中を叩く。
「痛い! 痛いって、もう!」
文句を言いはしたが、カフィも嬉しそうだった。
見れば両方の目に涙がうっすら滲んでいる。
やがてどちらからともなく抱擁を解いた二人は、アイーシャの方を向いた。
「カフィ、このお嬢さんは?」
「ああ、紹介するよ。旅の途中で知り合いになったアイーシャだ。――――アイーシャ、俺のじいさん。一応これでも前は皇帝なんていう面倒くさそうなことをやっていたんだぜ」
「おいおい、なんだその紹介は。……はじめましてアイーシャさん。カフィがお世話になっているね。こいつは一見いい人に見えるけど、そのくせわがままで欲張りな男だからな。迷惑をかけているのじゃないのかな?」
「おい! じいさん!」
カフィの祖父は、とても優しい笑顔をみせてくれた。
そこには幼い子どもだからとアイーシャを侮る様子など少しもなくて、彼の人物の大きさを感じさせてくれる。
(ああ、もう!)
アイーシャは、心の中で舌打ちした。
(ザラム、間違いないわよね?)
(は、はいぃぃっ! タドミールさま!)
一応、確認する。まあ、確認するまでもないとは思うが。
(私が、あの子の気配を間違えるはずなんてないもの)
「はじめまして、おじいさま。カフィさんはとても親切で優しい方です。少し心配性なところもありますけれど、それもいいところだと私は感じています」
カフィの祖父は、嬉しそうに話を聞いてくれた。
アイーシャは――――申し訳なさすぎて、頭を下げる。
「……なのに、ごめんなさい! 大恩のあるカフィさんのおじいさまに、私の家族が迷惑をかけてしまって!」
カフィもカフィの祖父も、キョトンとする。
「迷惑?」
「アイーシャさんの家族は、私の知っている人なのかな?」
知っているかと問われたアイーシャは、少し返事に迷った。
いや、存在そのものは間違いなく知っているはずなのだ。
どんな人間だってあの子を知らないわけがない。
ただ直接会ったことがある人間は、皆無のはずだった。
(あの子は人間には会わないもの。たとえ自分の加護を強く与えた者にだって顔を見せたりしないわ)
しかし、今はそんなことを言っていられない。
「たぶんお会いになればすぐにわかるはずです。今すぐ呼んで謝らせますから!」
アイーシャがそう言ったとたん、背後のザラムが悲壮な叫び声を上げた。
「まさか! タドミールさま、今この場にあの方をお呼びになるおつもりですか!?」
「…………馬が喋った」
カフィが、ポカンとして呟いた。